浅間日記

2006年03月31日(金) 報道のねらい

第二東京タワー構想なるものがあるのらしい。

「三丁目の夕日」で、東京タワーが建設中であることを
いやに強調していたのはそのためか。

と、考えるのは穿ち過ぎか。



意識の高揚とかコンセンサスの形成というのは、実に周到に行われる。
いつの間にかそれが常識となるように。
場合によっては、それを逸脱することは許されないことだ、と皆が思うように。

そういうふうに考える癖がついている。

誰が、いつおきたことを、なぜ今−今でも−報道するのか。
国民が問題にするニュースであればあるほど、
そういう報道のねらいを考えずに受け止めるのは、危険だと思っている。

だから、直感的におかしいと思う報道については必ず、
自分の意思としっかり照合することが必要だ。
意見ではなく、意思である。

2005年03月31日(木) メンテナンスフリーな子どもの親は誰か
2004年03月31日(水) 書を捨てよ街へ出よう



2006年03月28日(火)

Hの右膝は、もう、どうしようもない程のスポーツ傷害なのらしい。
クライマーとしては死刑宣言のような事実を鍼灸師に伝えられて、
彼は家に戻ってきた。一週間ほど前のことになる。

みると確かに、ねじの壊れたピノキオ人形みたいに膝が左右にゆれている。



治癒の見込みはない。リハビリをして現状を維持するのがやっとである。
自分の膝をあげられるのならそうしたいが、残念ながらそれは無理のようだ。

客観的にみて、今年でかけるガンゴトリのあの山へ登頂するまで、
否、下山するまで、そんな膝がもつとは思えない。
そして、冷静な判断を今の彼が出来るとは言いがたい。

そんな心中を察したか、聞いてもいないのに
「行くか行かないかは自分で決めるよ」というのであった。
だから私も、Hのショックや無念については、できるだけ考えないようにしている。

2005年03月28日(月) 饒舌教育の効果はありや
2004年03月28日(日) ボサノバの神様



2006年03月27日(月) のっぽさんのエスプリ

「のっぽさん」こと高見映氏が唄う「おじいさんのグラスホッパー」。
バッタのおじいさんが、孫たちに聞かせる昔語りである。
さすが、高見氏だなあと感心しながら、ラジオに耳を傾ける。

「若いときは二度とこない そしてあっという間に年をとる」
という、おじいさんの科白。
高見氏が、何とも言えないエスプリのきいた語り口で言う。



若い時は二度とこない。そしてあっという間に年をとる。

若い時は一度はやってくる。
必ず誰にでも、あの若葉のような季節は存在する。そして去ってゆく。

世の中に響き渡るアンチエイジングの大合唱で、
こんな大切なことを、すっかり忘れていた。

私達は「人はすべて死す」の主人公フォスカのようになりかけている。
不老不死の身体を手に入れても、人間はその心が生きていなければ駄目だ。

若い時は二度とこない。そしてあっという間に年をとる。
この甘美な響きをもつ言葉を、なんども繰りかえし思う。

高見氏みたいにエスプリの利いた言い方ができるようになるまで、
私は私が今しかできないことをやって、しっかり年を重ねたいと思う。

2004年03月27日(土) レッツゴー3匹



2006年03月26日(日) 生と死のはしご

昨年の夏のお楽しみでお世話になった、在宅ホスピス医のN先生、
自然なお産を支える産科医のY先生と、甲府で邂逅。昨日のことである。

両先生は偶然にも、同日同時間、同じ建物の会場で、それぞれ講演会。
引き合うべき人達は必ず再びめぐり合うように、天の采配がされている。

何とかやりくりして、主催者の異なる二つの講演会をはしごする。

尊厳死協会に呼ばれたN先生は、「今隣の部屋で、産声をあげる時の先生が、講演をしていらっしゃいます。」と話し、またY先生も「今日、息を引き取る時の先生が隣で話をしています」と紹介がある。

どちらの先生も、「あちらの先生と私の仕事は同じ。生きることと死ぬことはコインの裏表である」と、強い結びつきをもっておられるのがわかる。

そして生と死の現場に寄り添うお二人が共有するものは「自分の生を命をかけて生ききってほしい」、という、悲願にも近い思いなのである。

2005年03月26日(土) 深夜仲間



2006年03月24日(金) ビーフとストーブその2

米中堅牛肉加工業者のクリークストーン・ファームズ・プレミアム・ビーフ(カンザス州)が、民間業者による牛海綿状脳症(BSE)の自主的な全党検査を認めるよう、米農務省に対する提訴を発表する、というニュース。

これだけでは一体なんのことかわからない。
ただ、アメリカの食肉業者には、自主的に全頭検査をやりたくても、農務省の権限による制約があって、出来ない状況があるのらしい。

もう2年も前から、顧客の要望に応えるために全頭検査をやらせてほしいと要望していたのを、農務省は何故、放っておいたりしたんだろうか。

「検査をする自由か、法に基づく農務省の権限か」などという、
不毛にしかみえない議論の、背後にある事情は何なのか。

そしてこの提訴の行方は一体どうなるんだろうか。

2004年03月24日(水) 年度末公道占有



2006年03月23日(木) 春の門前に子鬼

雪が降るような冷え込みは、必ずわかる。
でも、だからと言って、実際に雪が降っているのが嬉しい訳ではない。

そんなふうに、昨晩見て見ぬふりをしていた寒の戻りの雪は、
朝まで降り続けたのか、風景を白くするまでになった。

春分の日も過ぎた頃の寒さというのは、どうしようもない。
気温の低さは大したことはない。しかし無性に骨身に堪える。

だいたい、大寒小寒を乗り越えてきたこの身に対して、
今頃こんな少々寒をいわすとは、卑怯ではないかと思うのだ。

ようやくたどり着いた春の門の前で、不服に思う。
どう努力しても、このしみったれた風情を楽しむことができない。

あと10歳若ければ、もう少し違う心境だろうか。
それとも、あと10年年をとれば、この良さが分かるようになるのだろうか。

2005年03月23日(水) 自分アーカイブ
2004年03月23日(火) 頼むから静かにしてくれ



2006年03月22日(水)

バスに乗って散髪に行く。
道すがら、最近買った英会話のテキストを読む。

英会話の登場人物と言えば、若者が定番と思っていたが、
登場するのは、語学留学する50代の主婦である。

トシコさんは、夫の勧めで半年間ホームステイしながら語学留学するんだそうである。

世相を反映した主人公なのは結構であるが、
この、「夫のすすめ」という動機が、既に、なんと言うか、危なげである。
そして、せっかく出かけたというのに、日本にいる夫の心配ばかりしている。

さらに言うと、アメリカみたいな土地で自己紹介をするのに、
「主婦です」などと言ってしまっては駄目だ。
家の中にも、土足を躊躇せずにズカズカ上がりこまなければ。

そんなことで、半年間も大丈夫だろうか。
それとも、来年の3月にはちゃんと自立した女性になって、
無事日本に帰国するのだろうか。

2005年03月22日(火) 彷徨えるカーナビ車
2004年03月22日(月) 慕情先生



2006年03月21日(火) ハリー・ライムを探せ

山の家で過ごす。

夜の映画は、「The third man」。
観るたびに違う感想を持つ不思議な作品。



ハリー・ライムは、銀幕を抜け出して私達のすぐ隣にいる。
憎めない顔をして、愛嬌のある親しげな風でいて、
こっそり、水増しのペニシリンを売っている。

観覧車の上から、私達の暮らしを「点」呼ばわりしては、
非人道的な商売の、金勘定をしている。



嫌らしい鑑賞のしかたをするな、と言うこと無かれ。

それが証拠に、現代日本を騒がせている株も牛も住宅も、
水増ペニシリンと何も変わらないのだ。

2005年03月21日(月) 我ら思う、故に価値あり



2006年03月18日(土) 年度末の一點鐘

いくつかの郵便物。
いくつかの契約更新。

年度末である。
年末とは違う「年の瀬」で、世の中の色々な区切りがある時期。



もし、「年度末用除夜の鐘」のようなものがあれば、
色々な節目にある人に思いを込めながら、
そういうものを一度、ついてみたい。

2005年03月18日(金) 木の芽時のヒューマンエラー



2006年03月17日(金) 急発進

寝しなに、はた、と気がついた。
確認したら、やはりそうだ。
明日は上京せねばならない日だった。それも朝一番だ。

寝入りばなのHを起こし、明日の予定を調整する。
ぶつぶつ文句を言われるが仕方ない。

もう年度内は差し迫る仕事はないしと、
すっかり気持ちを解除していたのだが、まったく危ないところだ。

2005年03月17日(木) 3月の水



2006年03月16日(木)

一昨年の冬から日記を書き始めたから、
こんな酔狂を始めて、ぼつぼつ3年目に入る。

書くべきことは書いたと、ジャンルを変えてみたりもした。
思いの至ることを言葉に変える作業は楽しく、
温泉のように後からあとから湧いて出た。

言葉は自分とは別の場所からやってくる。
気に入りの誰かになりたくて、表現を真似したりもしたけれど、
次第に自分の言葉が現れて、とても不思議な感覚で私はそれを受け入れた。

そして何だか最近は、日々の思いのあれこれに、
これは日記とは違う形でアウトプットしたほうが適切ではないか、
という種類のものを感じつつある。

しばらく、それは春のせいということにしていたけれど、
どうしても納まりきれなくなったので、記録することにした。

2005年03月16日(水) 性と生殖に関する口角泡



2006年03月15日(水) よれよれ申告

晴天。

今日は、所得税の確定申告の締め切り日なのである。
税務署の職員や、借り出されてきた税理士から、
もっと余裕をもって申告に来なさいよ、という視線を受けつつ、
申告会場で書類を仕上げる。

PC入力のサポート要員は、如何にもアルバイトと思われる若者。
その支給された赤いジャンパーを脱げば、どこからどう見ても学生だ。

納税者が気合いを入れて届けに来るの場所なのだから、
スーツ着用とは言わないまでも、
そのよれよれのジーパンはやめてくれ、と思うのである。

税務署の「署」は、監督業務を行う場所という意味がある。
納税者達から、そういう役所の非常勤職員として見られているという自覚をもってもらいたい。
ついでに言うと、守秘義務なんかの教育も、事前にちゃんと実施しているのか、気がかりだ。



という訳で、よれよれ君によってPCにインプットされた
私の所得金額やら納税額がちゃんとなっているか、
ずいぶん気になって何度も確認した。

2004年03月15日(月) Mayor! Mayor!



2006年03月14日(火) ナヌークと扶養家族

寒い日。
図書館へ行って、ちょっとした調べ物。

ついでに、「北極のナヌーク」というドキュメンタリーのビデオを借りる。
カナダ北東部で暮らすイヌイット、ナヌーク一家の生活を追ったもの。

撮影したロバート・J・フラハティと言う人は、
ドキュメントの父とも言われているのらしい。
この映画の撮影も、数々のトライアンドエラーの上に完成している。
そういう苦労話のような、愚痴のような文章を、冒頭に長々と読まされる。



家長のナヌークさんは、見事なまでに甲斐甲斐しく家族の世話をする。
たった一人で、一日の生活の計画を立て、段取りをし、
アザラシと格闘し、雪と氷で家を普請し、毛皮を剥いで服をあつらえ、
子どもを船やそりに乗せ、雪を払い、時には遊び相手をする。

家長とそれ以外の家族、という区分が、映像から明確に感じられる。

文句なしに、家長は家族を養っている。
その様子は、奉仕でもないし、貢献でもないし、
別に生きがいという訳でもなさそうだ。

おそらく文明とか文化に由来する感情ではないのかもしれない。
不可思議だ。

2005年03月14日(月) 札のかけかた
2004年03月14日(日) 春風とジャムの一滴



2006年03月13日(月) 離れた場所、離れた島

呆けて暮らしているうちに、もう3月も半ばである。

先週は休暇のつもりで南の島へ出かけてみたが、
Tさん夫妻をようやく表敬訪問できたこと、
旧い知人のM君に会えたことの他は、今ひとつだなあという感想。
年齢のせいかもしれない。

島の歴史や文化は、この国の縮図のようなものをみつけることができる。
そういう興味から、20代の頃はあちらこちらの島旅を楽しんだ。

離島という所を、息苦しいなと感じたのは今回が初めてである。
周りは見わたす限り海で、本土とは呆れるぐらい離れている。
なにか逃げ場のない、電子レンジの中に入れられたような感じ。

一旦そう思ってしまうと、
さんご礁も、白いビーチや緑のマングローブも、楽しめるものではない。
もう、バカンスというより、島流しの感覚に近い。

しまいには、
「リタイア後は島に移住してのんびり暮らす人が増えているらしい」
という話の、もうそれだけで息苦しい、という始末である。

2005年03月13日(日) 24時間営業・徒歩10秒の未来



2006年03月10日(金)

呆けて暮らしている。
留守宅のHは、ちょっと寂しそうである。

それでも、やけに冷たく感じる東京の雨のせいで、
家に戻りあぐねているのだ。

2005年03月10日(木) 完熟産業
2004年03月10日(水) 聖トーマス教会受難、そして光



2006年03月03日(金) ひとくぎり

花冷えの雛祭り。
夕方には雪になるそうだが、その頃はもう東京に着いている。

仕事を片付け、家を片付け、出発の諸々の準備をする。

「人間」という日本語は、随分ユニークな単語であるけれど、
humanの訳語としてつくられたのだろうか?
どうして「人」と「間」で構成されているのだろうか?

などと駄考しながら、部屋中に掃除機をかけてまわる。

2005年03月03日(木) 低俗の海へ
2004年03月03日(水) 寒の戻り



2006年03月02日(木) 高村光太郎の後ろ道

仕事の切れ目に、確定申告の準備。

自営というのは、常に沖に浮かぶ小舟みたいなもので、
港に係留されている漁船とか、横を悠々と過ぎる豪華客船や、
パナマ船籍のタンカーなんかをみると、時々どうしたものかと思う。

自分自身で方針と戦略をしっかりもっていなければ、座標を見失う。
それはとても恐ろしいことだ。



本多静六博士の「人生計画の立て方」あたりに、
この浮舟に何か有益なヒントが示されているだろうかと読み、
その様に自嘲する。
四分の一貯蓄法?私はドイツトウヒじゃない。
そんなものには、最早、なりたくてもなれない。駄目である。

まあそれでも、
人生は短く、しかるべき時点にはしかるべきマイルストーンが必要だ、
という考えは理解できた。
人生は短い。そして−本多博士は否定するけれど−何が起こるかわからない。


そうしているうちに気がついたことは、
とにかく私は、人の後ろを歩いてきた。今までずっと。
そしてまったく悪いことに、結構いけている人たち−本多静六みたいな?−の後ろを歩いてきた。
そういうことである。

私の前にも後ろにも、いつも立派な公道ができていたし、
昨日と明日のトラフィックは、準備怠りなくつながれていた。

でも、それはその道をつくった人たちが所有する人生と幸せであって、
私のものではない。
その道を長いこと歩きすぎたせいで、
私は今でも、時々再確認しなければそのことを忘れてしまう。

でもまあ、そういう昨日までのストックを明日につなげるという作業を
今度は自分の手でやっていけばいいのだろう。
そういう立場で、人の助けも借りたらいい。
丁寧にひとつひとつやっていくしかないのだ。

ああ、いくらか整理がついた。

2005年03月02日(水) 危険4点セット
2004年03月02日(火) 保育士による景気動向指数


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