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Sail ho!
Tohko HAYAMA
ご連絡は下記へ
郵便船

  



Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
とり急ぎ:28日ポーツマスの写真サイトなど

お仕事がきゅうきゅうで、トラファルガーどころの騒ぎではないのですが、
ネットは一定期間が過ぎると画像が流れてしまうので、とり急ぎ2件だけ、写真の見られるサイトです。

ガーディアン紙
http://www.guardian.co.uk/gall/0,8542,1516564,00.html

ロイターは比較的、帆船の写真が多いようです。
http://photos.reuters.com/Pictures/NewsGallery.aspx?type=News
ただしこのサイトは全世界のニュース写真が次々と入ってきますので、もはや30日ですから「Next」で6〜7画面程度送らないと一昨日の写真は出てこないかもしれません。
またJapan Times 6月29日の一面に綺麗な写真が載っていました
この2つの情報はCさんに教えていただきました。ありがとうございます。

日本国内は読売新聞サイトだけのようです。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050629id02.htm
Kさん、情報提供感謝です。

私といえば時間がないので、とりあえず英国の各新聞をダウンロードして、そのまま放置状態です。
まぁ腐るモノではないので、これは追々、再来週までかかるかもしれませんが、ぼちぼち読んで、何か面白そうな話題があったらご紹介しようと思います。

とりあえず、NHKBS1の29日朝5:15〜のBBCニュース(英国時間6月28日18:00のニュース)は見ました。
28日のポーツマスは曇り時々雨で寒そうでした。
各国の最新鋭艦船が中心で、あまり帆船が出てこなかったのが残念だったかしら。
米国の帆船の登檣礼が、フットロープを足場に帆桁で上半身を支える形ではなく、完全に帆桁の上に立つ形だったことに感心しました。

エジンバラ公はさすが軍服が板についていらっしゃるわね…とか、女王陛下がお乗りになった船は軍艦ではなく海洋調査船なのだけれども、名前が「エンデュランス号」で、これってやっぱりドラマでも放映されたシャクルトンの探検船エンデュアランスにちなんで名付けられたのかしら?とか、
そのエンデュアランス号が、隊列を組んだ船団(艦隊?)の中を斜めに突っ切って行くので、その操船技術に感嘆したり(ダドリ・ポープの「囮のテクニック」の中で、船団の中を駆逐艦が突っ切って行くシーンがあるけれど、それってこんな感じ?とか思ってました)、

とりあえずはこんなところです。
BBCワールドニュースはもう少し詳しかったのかしら?
今は週半ばでばたばたしていますが、週末にはもう少し時間がとれる…かもしれません(でも確約はできません)。
以上とり急ぎでした。

メールをお送りくださった方へ>返信がちょっと遅れます。来週になってしまうかもしれません。ごめんなさい。


2005年06月30日(木)
日本に居ながらにして見るポーツマス観艦式

今日6月28日、英国ポーツマスでは「トラファルガー200周年記念国際観艦式」が行われる予定です。
この様子はTVなどで広く報道されることでしょう。

いずれはこちらでも簡単に紹介しようとは思っていますが、やはり、生の映像に勝るものはありません。
日本でも運の良い方は、ケーブルテレビなどで、英国BBCの放送を直接見ることができるのではないでしょうか?
明日の放映時間などの詳細は、下記ホームページをご参照ください。

BBC ワールドニュース(スカイ・パーフェクトTV,各ケーブルテレビ等)
http://www.bbcworld-japan.com/

NHKBSでも「世界のニュース」の中で、BBCニュースが毎日10分程度ですが、紹介されます。
週間放送予定では、現地時間28日夜のニュースは日本時間翌29日午前5:15〜6:00、7:15〜8:00までの放送枠に入っていますが、大リーグ放送の関係で「世界のニュース」の放映時間は毎日変わりますので、一応、下記にてご確認ください。
NHK BS1 放映予定
http://www.nhk.or.jp/hensei/bs1/20050629/frame_05-12.html


以下は英語のページですが、BBCは「Trafalger Legacy」という特集ページまで作る熱の入れようです。
写真を見るだけでも面白いのではないでしょうか?
BBCニュース
http://news.bbc.co.uk/
「Trafalger Legacy」のページ
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4627469.stm


ついでに、英国の三大新聞のホームページをご紹介しておきます。
こちらにもいろいろ写真が載ると思います。

タイムズ紙
http://www.timesonline.co.uk/?999
ガーディアン紙
http://www.guardian.co.uk/
インディペンデント紙
http://www.independent.co.uk/


土日がまるまる旅行でつぶれてしまったら、週末に片づけていた家事があふれ、6月末締めの仕事もあって、なかなかホームページに時間が割けません。
情報ページでありながら、タイムリーな対応ができず申し訳ありません。
とりあえず上記ページで写真を見るなどして、観艦式の様子はご想像ください。

今週末もあまり更新に時間がとれないかもしれません(家事の余波その他が…)。
あしからずご了承くださいまし。


2005年06月28日(火)
[Sea Britain 2005]オフィシャル・ブックと観艦式タイムテーブル

トラファルガー200年のオフィシャル・ブック「The Island Nation」が発売されました。
著者は国立海事博物館のブライアン・ラブリー、というより、M&Cファンにはピーター・ウィアー監督の映画で歴史考証を担当したラブリー氏、とご紹介した方が良いかもしれません。

この本の発売に関する記事はこちら



また、6月28日の国際観艦式のタイムテーブルが発表されました。
下記の通りです。
1300 - 1500 Fleet Review by HM The Queen:女王による国際観艦式
1520 Fly past
1525 - 1630 Sail past
1730 - 1900 Air Display includes:
Red Arrows (1730 - 1750)
Spitfire
Yakovlevs
SU 26
Army Blue Eagles
1900 - 2210 Son et Lumiere(sound and light show):歴史スペクタクルショー
2210 Firework spectacular and lighting up of the Fleet:花火と、艦隊のライトアップ

Fleet ReviewとSail pastが分かれているということは、帆船パレードは別途ということになるのでしょうか?
Fly pastというのは、空軍のアクロバット・チーム、レッド・アローズが飛来するのだそうです。
詳細はこちら


このHPをご覧になっていらっしゃる方で、実際に現地に行かれる方はいらっしゃるのでしょうか?
当日は混雑が予想されるため、ポーツマス市付近は交通規制が敷かれるようですのでご注意ください。
一般車の立ち入りが制限され、最寄りの高速道路出口付近には駐車場が設けられ、そこに車を停めて市内まではバスのピストン輸送になるようですよ。

交通規制の詳細はこちらをご参照ください。

またこの期間、ポーツマス市博物館、公文書館でも、あわせて特別公開が行われています。
詳細はこちらに。


以下、事務連絡です。
今回、モデムトラブルのため、テキストのupが遅れてしまいました。
また私事ながら、次の週末(25-26日)は社員旅行のため、おそらく全く更新はできないと思います。

観艦式は来週の水曜日28日ですが、観艦式に渡英される予定で、このページを当てにされている方があっても、残念ながら来週末は私は対応できません。
今回のモデムトラブルのようなアクシデントの可能性もありますし、

私がニュースを拾っているのは、こちらのプレース・レリースです。
観艦式にポーツマスに行かれる方>
急ぎの情報にはできるだけ対応したいとは思いますが、
直前の情報収集はこちらを頼らず、恐縮ながら上記プレスレリース・ページから、ご自身でも直接お願いいたします。


来週末は更新お休みの予定です。よろしくお願いいたします。


2005年06月20日(月)
キングダム・オブ・ヘブン

「キングダム・オブ・ヘブン」を見てきました。
リーアム・ニースンを聴きに行っただけではなく、もとから史劇好きなので、「トロイ」「アーサー」「ジョヴァンニ」「アレキサンダー」と洩れなく網羅しておりまする。
が、それにしても、そのおかげで、
なんだかここ2年、ヘルムス・デール(LOTR:二つの塔)以来、投石機を使った攻城戦ばかり見ているような気がするのですが、「ジョヴァンニ」を例外として。

キング・ダム・オブ・ヘブンの時代は12世紀の終わり、トロイやアレキサンダーに比べれば遙かに現代に近い時代ですが、戦さの方法は意外と変わっていないのね…と思いました。
というか、いや火薬が登場するジョヴァンニ(16世紀)の時代以降400年間の、戦争技術の発展スピードが速すぎるのかしら。

先日、やはり史劇好きの友人がメールを送ってきて「どうだった? 見比べると私は『トロイ』が一番良かった気がする」と書いてきたのですが、私は、ここ2年のハリウッド歴史スペクタクルとしては、「キングダム…」が一番かなとおもいます。。
いや、人間ドラマとしてはやはり「トロイ」なのだと私も思うのですが、あちらの方が確かに華麗だとも思うし、でも私が「キングダム…」と敢えて言うのは、印象的な時代の「絵」を見せてくれたから。

「キングダム…」の方が、一度みたら忘れられない「絵」が多かったんです。私の場合。
荒涼とした冬のヨーロッパ、灼熱の砂漠、美しきエルサレム、無惨に破壊された城壁、死屍累々禿鷹の舞う戦場。
その全てに暗いフィルターがかかっていて、陰鬱な「絵」が多いのですけれども。

ナポレオン戦争の戦場跡を描いたターナーの絵を見たことがあります。(日本でのテイト・ギャラリー展だったか、それとも英国でだったか記憶が定かではなくて恐縮なのですが)
とても陰鬱な絵で、間違ってもこの絵が「好きだ」とは言えませんが、でも一度見たら忘れられない「絵」でした。
ITVテレビの「Sharpe's Company」(シャープ3作目)の、あれはバタホース要塞の攻城戦でしたっけ? 多大な犠牲を払って破口を開けた城壁(ここで子役時代のウィリアム・マナリング=M&Cのファスター・ドゥードルが演じていた候補生の少年が気の毒に死んでしまう)を翌朝、ウェリントン将軍とシャープが見ているシーン…これも一度しか見ていないのに焼き付いてしまった「絵」なのですが、エルサレムの城壁もきっと、同じように、これからずっと、私の脳裏に焼き付いていくでしょう。

さすが名匠サー・リドリー・スコット監督…でしょうか?
今回、もう一つ、私にとってとても魅力的だったのは、映画に再現された12世紀のエルサレムの町でした。
セットの製作にあたっては、スタッフは詳細なリサーチを行ったと言います。この時代に詳しいわけではありませんから、何処まで正確でどこから創作なのか、私にはわかりません。ただ、この再現されたエルサレムの凄いところは、町の雰囲気までもが見事に描かれているところです。
スコット監督が「ブレードランナー」で描いた近未来ロサンゼルスは、想像の産物なのですが見事に「生きている都市」でした。
このエルサレムも同じように生きていて…ゆえに死にかかっていてとても魅力的だった。
死にかかっている…というのは、私がこの映画のエルサレムを見ていて、なんとなく戦前の上海(これも映画などで再生されたものしか知りませんが)を見ているような気分になったから。
同じように魅力的に見えるのは、私がこの町の運命を知っていて、この町のこの姿が、この映画の最後では失われるとわかっているからなのでしょうけれども。

何やら私、外縁的なことばかりを語っていて、まったく映画の本論…登場人物とストーリーに触れていませんね。
これはですね、まだちょっと、1回しか見ていないものですから、割り切れてなくて書けないんです。
でもおそらく、2回目に行く時間はないと思うので、それを語るのはDVDが出てからでしょうか?

これは役者さんのせいでは全くなくて、歴史の描き方というか解釈の部分…に私がちょっと引っかかっているから。
歴史は歴史、映画は映画と割り切って、物語としてもう一度見たら、例えば主人公バリアンの心情とかボードワン四世の描き方とか、いろいろ語ることがあると思うのですが、現時点ではその前で引っかかってしまって、まだ主人公の心情を考えるところまで見切れていないのが実情です。

実はこの映画、歴史上のキャラクターとエピソードを整理統合して、2時間半ですっきりおさまるわかりやすい話にまとめています。
例えば、原作小説のキャラクターを整理して(M&C10巻のマーティン牧師が切られるとか)、エピソードを切って(先生が窓から落ちないとかアマゾネスに会わないとか)すっきり話をまとめるのは、私は可だと思うのですよ。
でも歴史的事実に対して、これをやってしまっていいのか?というと、
どうなんでしょうか?
大学時代に歴史学科(日本史ですが)に居た身としては、かなり抵抗があるんです。
数人いた家臣を一人に統合して代表させるという程度は可だけれども、一代すっとばして争いを簡略化するというのはちょっと。

ましてやあの時代は現代にまで禍根を残す、かなり微妙な時代と場所なわけで、
にもかかわらず、意外と歴史の詳細を知っている人が少なく、この映画の内容をそのまま史実と考えてしまう人の数はかなり多い。
「ラスト・サムライ」を見た外国人が、「あれは明治10年に日本で本当にあった話だ」と思いこむより、問題は大きいと思うんですけど。

ボードワン四世が瀕死の床についていた時、確かに十字軍側は穏健派と強硬派に分裂していたけれども、穏健派のリーダーでティベリアスのモデルになったトリポリ伯レイモンには彼なりの野心があり、ティベリアスのようなまったくの忠臣ではなかった。
ボードワン四世には6才の息子がいて、王位は一旦この幼児が継いだのだけれども、幼年王は翌年死亡。その後、王位は婚姻によって強硬派であるギーのものとなった。
新王への服従を拒絶したトリポリ伯は、逆にサラディンと手を結ぼうとした…という流れでは?

ボードワン四世の下で十字軍内に対立関係、というより激しい勢力争いがあったことと、四世の死後、ボードワン五世が即位したこと、穏健派は強硬派の追い落としにサラディンの手を借りようとしたこと。
でもその通りに話を作ると、ギーとルノーははっきり悪役で、すんなりわかりやすいストーリーの、この映画にはなりませんから。
だからこのような話になった? だから強硬派の二人は実名なのに、対するトリポリ伯レイモンは実名では登場しない?
いいのかしら? 映画製作上はいいのだろうけれど、でもこれ歴史だから。うーん。

もう一つ気になっているのは、バリアンの現代的な価値観。
私は以前、英国海軍の追っかけ(?)でマルタ島に行った時に、聖ヨハネ騎士団に興味をもって(注:マルタ島は本来は聖ヨハネ騎士団の島です。英国海軍の島ではなくって)、十字軍の通史を1冊読んだことがある(解説パンフで山内進先生が名前を挙げていらした「アラブが見た十字軍」という本)のですが、
その本を読んで思った当時のイメージなり価値観と、今回の映画で描かれた価値観がちょっと違う…というのが、もうひとつ引っかかってしまった理由。

主人公バリアンって、現代的な価値観で見たところの「良き領主、良き家臣」ですよね。
自ら井戸を掘って貧しい領民のために畑を開いたり、貧乏くじを承知で防御戦の指揮をとったり、
あの時代、フランスからいきなり異国の地に来て、いきなり城主だと言われた人が、果たしてあのような価値観を持てるものなのか?
これもね、それを疑ってしまうと、この映画にならないんですけど。

ヨーロッパから来たばかりの一世代目の十字軍兵士と、中東で生まれた二世代目では価値観が違う…という例が私の読んだ十字軍の本にはいくつか書かれていて、
現地で生まれた二世代目は、外見的にはヨーロッパ人でも中身はオリエントで、新たに来たヨーロッパ人よりもむしろ、敵であるムスリムと価値観を共有してしまうような人物がいる。
…と、私が読んだ本には書いてありました。
こういうことって、植民地時代のイギリスでも時々起こる(つまりインド植民地生まれの英国人は本国生まれと価値観が違うというようなこと)ので、私はこれって面白いと思ったんです。
そんな例を頭に置いて見ていると、果たして、フランスからやってきたばかりなのに、バリアンのこの価値観は普通なの?って映画見ながら悩んでしまいまして。

私は東洋史専攻ではありませんでしたから、この時代の価値観が実際のところどうなっていたのかはわかりません。
そのようなものは本1冊読んだくらいでわかるものではなく、当時のさまざまな原史料を読んでゼミなり卒論なりで1〜2年おつきあいしてやっとなんとか雰囲気がつかめる…たぐいの話だと思います。それに私が読んだ本はアラブ視点の本だったから、キリスト教視点だとまた違うとも思いますし。
だから断言はできないんですけど、
でもやっぱり…妙なところが引っかかってしまって先に進めない私なのでした。

そのようなわけでこの映画、登場人物とストーリーについて語るのはもうちょっと待ってね…というところです。
史実を置いて、ドラマとして見る分には良かったと思います。渋い演技派を揃えていましたし。

リーアム・ニースンは、スターウォーズ1もだけれど、こういう無骨な父というか師というか、人生の先輩を演じるといいですね。
ホスピタラーとティベリアスはちょっとキャラクターが重複していたような気がするのですが、ティベリアスの役割が歴史上の実在人物であるレイモンだったら、もう少しアクが出て(たぶんジェレミー・アイアンズが「仮面の男」で演じたアラミスみたいな感じになるのかと)、ホスピタラーの寡黙だが信義を貫く生き方と対比になったのかなぁと。
ブレンダン・グリーソン(ルノー・ド・シャティオン)には最近よくご縁があるけれども、この人も本当に上手い。

オーランド・ブルームは立派に主人公をつとめていましたが、私、これ「コールド・マウンテン」の主演ジュード・ロウを見た時にも思ったんですけど、彼らはもちろんこういう正当派主人公を演じても良いのですけれども、こういうアクの無い役って別に彼らでなければいけない必要性はないんですよね。
でも「トロイ」のパリスはブルームでなければ駄目…というか、他の人が演じたらもっとどうしようもない男になった筈のパリスを、「しょーもない弟だなぁ」と上手く思わせてしまうのは、ブルームでなければ出来ない。
この人って、世間では正統派王子様のように言われているけれども、実はジュード・ロウ同様、個性派脇役じゃないの?…と個人的には思います。

あーところで、サラディンの副将、バリアンと馬のご縁がある人ではなくって、もう一人のあっさり顔の、アラブというよりはタタール(モンゴル系遊牧民)の血を引いてません?…と思ってしまった方の副将ですが、あれって誰なのですか? いや俳優さんじゃなくてポジション。
私、最初はサラディンの弟なのかなと思ってたのですが、違うみたいで…、映画パンフキャストにものっていないので、確認がとれませんでした。
未確認といえば、チョイ役で出ていたニコラス・コスター・ワルドウも確認しそこね。どうやらフランス人の追っ手みたいですけど、あらあら、つい先日「ウィンブルドン」のドイツ人を見て、やっと母国(デンマーク)に近づいたかと思ったら、また「ひとつ戻る」でフランス人?…と笑ってしまいました。

ごにょごにょいろいろ言ってますが、DVD出たら買います!楽しみに待ってます!
砂漠と空と…この地域が好きで、ヨーロッパとオリエントが混在したこの雰囲気が大好きで。
やっぱりいい映画ですよ〜。

でも皆様>
やはり初回は映画館の大スクリーンでね。
私はM&C以来、1年2ヶ月ぶりになる有楽町マリオンの日劇1に行きました。
城壁に激突する岩の音を聴きながら、サプライズ号の砲撃をなつかしく思い出しておりましたことよ。


2005年06月19日(日)
国防省の命令

先週の日記で「ラッセル・クロウは電話機を投げた」と翻訳紹介しました。
確かに電話機はtelephoneだったのですが、その後ネットにクロウが投げた電話機の写真(そのものではなくて同型機)が出ているのを見ました。
「電話機を投げ」て警察沙汰というと、なんとなく、ブッシュボタンと受話器の一体型を振りかぶってがーっと投げた…というようなイメージがあるじゃないですか?
ところが違いました。

彼が投げたのは、正確には子機。
問題の電話機は日本製のパナソニックなのですが、受話器部分がコードレスで持ち歩けるようになっているのだそうで、
クロウが投げたのはこの、バナナ大の大きさの子機のみだそうです。
細かい話ですが、一応、イメージの訂正ということで。


先週、アメリカのネットで読んだ書き込みで印象的だったのは、もう一つ。
「ニュース番組に出て謝罪したクロウの態度が真摯で立派で、まるで11巻のジャック・オーブリーのようだった」というファンの方の書き込みです。
私はニュース番組を見ていないので何ともコメントできないのですが、そういう見方もあるのかと思いました。

書き込みされた方は、どうしてそう思ったのか詳しく説明していらっしゃいます。
が、その理由が、実は大変なねたばれで、11巻未読の私は、正直、読んで「しまった!」と思いました。ちょっと読むまでこれは知りたくなかった展開だわ。
…ので、こちらではその詳細までは紹介しないことにいたします。

しかし、この書き込みされた方の説明通りだと、ポール・ベタニーとビリー・ボイドは9月14日にマンハッタン裁判所の外でラッセルを待っていなければならないことになってしまうけど。


ラッセル・クロウ関連では、もう一つ。
アメリカでは近々「グラディエイター」のスペシャルDVDが発売されるようですが、このDVDにはクロウによるオーディオ・コメンタリーが入るそうです。
…いぃなぁ。「M&C」でそういう計画があったらよかったのに。20世紀FOXさま>ご検討いただけませんか?
この「グラディエイター」DVD、日本での発売がどうなるかは不明です。


声と言えば、聞いてきましたよ、リーアム・ニースンの声。
あぁこの人のアスラン、良いかも…と思いました。
ショーン・ビーンの声も聴き直してみたのですが、比べるとニースンの方がある意味丸い…というか、穏やかな声なので、わたし個人的にはニースンのアスランをプッシュです。

いや、こんなこと言うと、ファンの人には石を投げられてしまうかもしれないんですけど、
(最初にあやまって置きます。ごめんなさいっ!)
ショーン・ビーンの声ってちょっとがさがさっとした味があるでしょう?
いや、そこが(ポール・マッガン同様)彼の声の魅力だと思うんだけれども、でもあのガサガサっとしたところが、ライオン…かもね…って、一瞬、思いました。うわぁごめんなさい。石投げないでください。

さてそのショーン・ビーンですが、彼が主演するナポレオン時代の陸軍士官を主人公とした英国ITVテレビの長編ドラマ、シャープ・シリーズ、最新作の製作は95%確かだそうです。
ただしあくまでも95%なので、また確定ではありません…と、原作者のバーナード・コーンウェル談。

コーンウェルが自身の公式HPの「日記」の6月2日付けで紹介している、地元新聞「My Chatam.com」のインタビュー↓の
http://mychatham.com/bernardcornwell.html
最後から5番目のパラグラフ(BV: It looks as thoughで始まる文章)によりますと、
確かに現在、TVドラマ化の話があり、次の冬にインドでロケをするという話だが、まだ決定には至っていない。
95%まで煮詰まっているところだが確実ではない。
私(コーンウェル)がプロデューサーとしてこのドラマに参加することは、絶対にない。私はただチアリーダーとして旗振りをするだけだ。
と語っています。


最後に、もう一つ、真面目なニュース。

先週のクールビズの話で、当時の英国軍に軽装の規程があったか無かったか…という話をしたところ、「実はこんな話があります」と教えてくださった方がありまして…。

仕立屋では下着着用=英国防省が兵士に命令
(AFP=時事 2005年 5月31日 (火)配信)
英国防省が陸海空3軍の男女兵士に対し、「新しい制服の寸法を取ってもらうために仕立て屋に行く時は下着をつけていくのを忘れるな」というお触れを1月に出していたことが明らかになった。

なんでも、軍御用達の仕立屋多数が、軍当局に対し、兵士が不適切な服装で採寸に来ると苦情を申し立てたことがきっかけとなって、全兵士に下着着用命令が出された。英国防省スポークスマンも5月30日、その事実を確認した…のだとか。

いぇこれ、冗談とかエイプルフールではなくて、本当にネットのニュースに出ていました。
gooで検索してみてください。

こんなことが…本当にあるんですね。
でもこの命令、確実に200年前にはありませんでしたよね。
不適切な服装で、水浴(ポンプ行水含む)をするな…という命令もね。


2005年06月17日(金)
サプライズ号のクールビズ

金曜日に地下鉄の霞ヶ関駅を通ったところ、
「男性がネクタイを外せば、女性の膝掛けがいらない職場になります」
「ノーネクタイ、ノー上着、部下からは出来ません、社長」
などなど、夏の軽装を広めるポスターがずらりと並んでいて、うわぁ政府は本気だわ、と思いました。

私の職場でも5月に「今年の夏は軽装とする。各自適宜、暑くなったら軽装でも良い」とお知らせがまわっていたのですが、
「軽装ってどういうものですか?」とか「いつからやらなければいけないんですか?」とか質問が出たらしく、先週あらためて「夏期の軽装について」というお達しが配られました。
それによると、軽装はノーネクタイ、ノー上着で社会常識を逸脱しない節度を保った服装のこと、ポロシャツも可、これは男性の場合だが、この趣旨は男女をとわない…のだそうで。
ま、言われなくても昔から女性はクールビズですが。
女性の夏用スーツは半袖デザインが普通だし、インナーにタンクトップ組み合わせればいくらでもスーツで涼しくいられるし、ねぇ今さらクールビズもあったもんじゃ…。

このお達しには、注意事項が付記されていまして、
「たとえ、トップからの呼び出しがあったとしても軽装で良い」とか「外部者を呼ぶ会議の時は、会議案内状に軽装実施中であることを付記し、外部者にも軽装をうながす」とか。
うーん、日本を変えるのはやっぱり大変なことのようです。

この話をオフ会でしたところ、「そりゃあ、ミスタ・ホラムには朗報ですね」と仰った方がありました。
そう言えば、映画M&Cでドルドラム(赤道無風帯)でサプライズ号が風に見放された時、艦内では艦長以下、ノーネクタイならぬノー襟飾りにノー上着で軽装を実施していましたが、艦長室に出頭したホラムは、上司の前に出るということで、きっちり上着を着こんで暑苦しそうでした。

当時の小説を読んでいると思いますが、海軍さんでも陸軍さんでも英国軍は服装の礼儀作法が厳格ですね。
それがそのままサヴィル・ロウに反映されて、現代のスーツ、ネクタイの伝統が確立されたのかもしれませんが、考えてみれば夏は35度を超す日本で、よほどの事がない限り年に数日しか30度を超さないヨーロッパの夏の伝統そのままの礼儀作法を、そのまま実行しようというのが無理だったのでは?

でも考えてみれば、英国軍は第二次大戦以前にこの無理を解決する方策を実践していました。
私には映画で見た知識しかありませんが、インド駐留英国陸軍の軍服は映画「ガンジー」の時代にはもうレッドコートではなくてカーキ色の半袖半ズボンの、いわゆる探検家スタイルになっていました。海軍さんは白の半袖半ズボンです。
60年以上前から軽装の伝統があったんですね。
この伝統は…日本には伝わらなかったのでしょうか?

そろそろ20年近く前、ホンダがF1に再参戦した時に、夏になると欧米F1チームの制服は半袖半ズボンに変わるのに、ホンダの人たちだけ長ズボンなので、奇異の目で見られたという話がありました。
現在はホンダもトヨタもブリジストンも、F1チームスタッフは皆さん半袖半ズボンですが、これも変わったのは比較的最近だったような気が…。

ところで先刻、サプライズ号では熱帯で軽装を実行していたと書きましたが、この軽装実施の実際はどのようになっていたのでしょうか? 軽装規定のようなものがあったのでしょうか?
疑問に思って、私の手持ちの本の中ではいちばん詳しいと思われるBrian Laveryの「Nelson's Navy」の制服のところを読んでみたのですが、制服規定は細かく説明されていますが、軽装に関する記述はありません。
Dudley Popeの「Life in Nelson's Navy」にはひょっとしたら記述があるかもしれませんが、この本280ページもあるのでとてもすぐには探せません。
結局のところ、これまで読んできた海洋小説の記憶の中から類推するしかないのですが、

これどうでしたっけ? どなたか覚えていらっしゃいます?
何処で読んだのだったか、熱い熱帯でも艦長がうるさい人でウールの軍服を着ていなければいけない艦があって、軽装実施中の僚艦がそれを気の毒に思う…というような話があった気がするのですが、これが何の話だったか思い出せる方あります?
もしそうだとしたら、軽装の実施は、艦長の一存に任されていることになりますね。
まさに「ノーネクタイ、ノー上着、部下からはできません。社長」という標語の通りになるわけですが。
考えてみればいま日本で実行しようとしている軽装も、決して規定うんぬんではなく、あくまでお知らせとかお達しレベルの話なので、当時の英国海軍に軽装規定がなくても別に不思議ではありません。

本人が有能で形式にとらわれない実際主義、部下思いの艦長であれば、ためらいなく軽装を実施すると考えて良いのかもしれません。
ジャックなんてその典型ですね。
ボライソーの艦は南太平洋で軽装を実施していた記憶があります。
ホーンブロワーはどうだったかしら、どちらかというと暑いところより寒いところの話が多いので、艦長になってから暑いところ…というとパナマ沖ぐらいか、ざっと流し読みしてみたのですが、総督邸に行くため正装するシーンはありましたが、艦上で軽装があったかどうかは確認できず。
ラミジは今日の午後から探しているんですけど、巻数が多くてまだ発見できず。あぁでも彼も泳ぎやすさを最優先して襟飾りをふんどしにするような人だから、可能性はあるような気がしますが、

そういえば、5巻でミセス・ウォーガンの存在をコロッと忘れて、水泳後に誕生日衣装で艦に上がったジャックが、夫人を見かけ慌てて(服を着ている)プリングスを盾にするシーンには笑いました…が、副長では盾にするには横幅が足りないと思ったのも事実。

あぁいや、なんだか話がずれてしまいましたが、ですからクールビズ。
果たして日本に根付くのか興味津々ではありますが、寒すぎる冷房で体調を崩した経験があり、冷え対策を考えると夏の映画鑑賞にスカートでは行けない身としては、日本の冷房温度が下がることを願ってやみません。


2005年06月12日(日)
ナルニア国とホーンブロワー

6日の月曜日の午前中だったか、検索しようとYAHOOをクリックしたら、右横の目玉ニュースに「ラッセル・クロウ逮捕」とか出ちゃってました。
あらあらあらあらあら。
日曜からアメリカではささやかれていたけど、日本ではこの記事YAHOO映画のニュースのところにしか出てこないかと思っていたのに。

オーストラリアのデイリー・テレグラフ紙によりますと、クロウの容疑は「暴行および犯罪的武器(電話)の所持(assault and criminal possession of a weapon - a telephone-)」とのこと、すぐに釈放されましたが、9月14日に再び裁判所に出頭を求められている、とのことなので、刑罰はこの時に決まるのでしょうか?

なぜ電話が犯罪的武器なのかといいますと、いらついたクロウが電話器を投げたところ、これがホテルのコンシェルジェに当たり、怪我をさせたからなのですが。

クロウ側の説明によると、彼はこの日、ほぼ日帰りのような形でアメリカのニューヨーク〜イギリスのマンチェスターを往復し、戻ってきてニューヨークのホテルにチェックインしたものの、時差ぼけで眠れなかったためバーで酒を飲んだ。そのまま明け方の4時になり、奥さんの声が聞きたくなった彼はオーストラリアに国際電話をかけたが、1泊$3,905(40万円超)のスイートルームの電話が何故かつながらず、怒った彼は電話を(本人いわく)壁に投げつけようとしたところ、人に当たってしまった…のだとか。

ただし本人はこれを大変反省しており、この状況をきちんと解決し再び胸を張って世間さまに出られるように全力を尽くす、とコメントしています。

この件に関しては、米国のオブライアンの出版社ノートン社の掲示板にも多くの意見が寄せられていましたが、さすがアメリカのオブライアン・ファン…と言って良いのでしょうか?
「役者の行動に問題があったからと言ってまもなく全米公開になるクロウの主演映画『シンデレラ・マン』そのもの価値が落ちるわけではない、パトリック・オブライアンに妻子を捨てて駆け落ちした過去があっても、皆はその文学作品を評価し読んでいるではないか」という冷静な意見が同意を得ていました。

また、保釈後の水曜か木曜に、彼はCBSテレビのニュースショーに出たらしいのですが、この番組を見たオブライアン・ファンの一人は、「ラッセル・クロウは人間として、また一人の子の父親として責任を持ち、真摯に自分の過ちを受け入れ償おうとしているように私には見えた」と書き込みしていましたので、オブライン・フォーラム掲示板の中では、ラッセル・クロウの評価は落ちていないようですが。

まぁでも、それが世間一般で通用するのかと言えばまた別問題でしょうし、ロン・ハワード監督の新作の公開直前にトラブルというのは、プロモーションには痛打でしょう。
今年は新作映画「ユーカリプタス」の製作もトラブルに陥ってしまっていますし、クロウには御難というか…でも彼、今41才でしたっけ? ひょっとして男の大厄?に当たっているのではないかと。

このニュースを聞いて私が思ったのは、「あ〜あ、これでアスランの声はダメかもね」ってことでした。
いくらんなでもやはり、ナルニアの絶対神が前科もちというのはまずいでしょうから。
かなり残念ですね。

となるとやはりアスランはリーアム・ニースン?
でも今月1日発売だった「Movie Star」誌では、ショーン・ビーンの名前も上がってましたね。
いったい誰になるのでしょう?

ちょっと興味があったので、以前に製作されたBBCのテレビドラマの「ナルニア国物語」のキャストを調べてみました。いったいアスランの声は誰だったのかと。
BBCテレビのナルニアは、長時間単発のドラマで1988年から90年にかけて「ライオンと魔女」「カスピアン王子の角笛」「朝びらき丸東の海へ」「銀のいす」の4本がドラマ化されたようです。
日本では昔、いちどWOWOWで放映があったらしいですね。この冬の絵画公開で、再放送があると良いのですが。

それで、話戻ってアスランの声なのですが、これが皆さんもよくご存じの俳優さんでした。
「ホーンブロワー」第一シリーズ第3話「公爵夫人と悪魔」でポルトガルの司令官ドン・マサレードを演じたRonald Pickupだったのです。

そのままついでに、興味本位から、ナルニアで子供たちを演じた子役さんたちはどうなったのかしら?と続けて調べみたのですが、
ナルニアの主人公になる、こちら側の子供たちは6人います。前2作のピーター、スーザン、エドマンド、ルーシイと、後半2作のユースティスとジル。
ピーター役のRichard Dempseyとルーシー役のSophie Wilcoxは大人になってからも役者を続けており、Richard DempseyはNHKBSでも放映されたリチャード・E・グラントの「紅はこべ」にも脇役(Conte de Claris de Florian役)で出ていたようです。

余談ですが、この「紅はこべ」ってまだ日本国内ではDVDが発売されていないのですね。アーチー・ケネディを演じたジェイミー・バンバーの出世作なのにね。
これも面白かったのに、ホーンブロワーと違って再放送もない。
私、ショーブラン好きだったのに。

でももう一人、今回2度目のびっくり!ご存じ!があったのです。
ジルを演じていたCamilla Power、「ホーンブロワー」第三シリーズ第2話「ナポレオンの弟」のジェロームの妻、ベッツィーを演じた女優さんに成長していました。
果たして、むかし朝びらき丸で航海した経験が役立っていたか否か…は不明です。


2005年06月11日(土)
ロアリング・フォーティーズ

今週はヨットの単独無寄港世界一周航海から二人の方が無事帰還されました。
おひとりは最高齢での世界一周無寄港となる71才の斉藤実さん
もうおひとりがヨットマンとして有名な堀江謙一さんです。

斉藤さんの帰還は母港への到着のみをTVニュースで見ただけなのですが、堀江さんの航海は、昨年秋の出航からNHKの朝のニュースで特集しており、冬の初め頃にはホーン岬通過とチリ海軍との交歓が放映され、思わず出勤前の化粧の手がとまり「きゃ〜!ホーン岬!」と画面に見入ってしまいました。

堀江さんのルートは東回りの世界一周で、日本からまっすぐに南アメリカ南端のホーン岬をめざし、そこから南大西洋を東へ、喜望峰を迂回してオーストラリアの東をまわって太平洋を北上するというコースだったようで、途中、南大西洋と太平洋の一部が今回(5巻)のレパード号の航路と重複するように思います。
NHKはこの航海をかなり熱心に取材していたようなので、いずれ特集番組でも企画しているのか?
もし企画しているのであれば、レパード号が大変な辛酸をなめた南緯40度海域(ロアリング・フォーティーズ=吼える40度)の海というのを、見ることができると思うのですが…だめかしら?

英国のポーツマスとかプリマス、地中海のマルタとか、オーストラリアのグレートバリア・リーフとか、その気になれば多分カリブ海も、彼らの航海した海を陸地から眺めることは私にも出来るのですが、大海原というのはどうも…。
地中海やカリブ海は、お金を貯めて、定年退職して、暮らせる程度の年金が幸運にももらえたら(私の世代はもう…どうなるんですかねぇ?)、ひょっとしたらクルーズの1回くらい出来る可能性が全くないとはいえないかもしれませんが(…かなり弱気)、それでも南緯40度なんていうのは、普通のクルーズ船はまず行きませんから(当たり前ですって)、こういう堀江さんの航海みたいな機会に、目を皿のようにして映像を見るしかないわけです。

いやでも、今回、すごいなぁと思ったのは、堀江さんの世界一周が約250日だったこと。
マゼランのビクトリア号が3年かかったことを思うと、いかに現代のヨットが速く、また整備された海図やGPSや気象衛星などのデータを活用して効率的な航海ができるようになったか…という事実に驚かされます。


ところで、南緯40度海域といえば、今回5巻を読んでいてちょっとびっくり!だったのは、レパード号って南緯43度で氷山に出会っているんですね。
これをそのまんま北半球で考えると、北緯43度って北海道でしょう? 稚内が北緯45度なのだから、43度と言うと札幌とか根室とかあのあたり?
根室には流氷…来ましたっけ?もうちょっと北の網走には確実に来ますけど、でも、網走にだって氷山は…来ないですよ。

以前に、19世紀半ばのフランクリン探検隊の航海を再現したセドナ号の映画を見た時に(1月10日の日記)、
「ヨーロッパでは北緯70度の不凍港があるから、ヨーロッパ人はカナダの北をまわって大西洋から太平洋に抜けられると無謀にも思ったのだろうか? でも大西洋の西岸や太平洋の流氷限界はもっと緯度が低いのだから、こんなこと日本人の常識では考えられない」
というようなことを書いたのですが、なんだか南半球の常識も、北半球の常識とは違うようですね。
もっとも…ジャックの生きていた時代は現代よりは寒かった…ほぼ同時代に当たるナポレオンのロシア遠征が冬将軍に負けたのは、当時の気候が特別に寒いサイクルに入っていたからだ…という話を読んだことがありますから、現代の南緯43度に氷山があるとは限りませんが。

でもね、そうするともう一つ考えてしまうのね。
…ということは、英国海軍は19世紀の初頭に、場所によっては43度の緯度でも氷山がある…ということを知っていた、ということでしょう?
だったら、フランクリンの探検隊と軍艦2隻をカナダの北まわり航海に送り込む前に、氷に閉じこめられて全滅する可能性についてもわかっていた…ということになりませんか?
うーん。
まぁでも、マゼランのビクトリア号にして、太平洋の広さもわからずに横断したんですものね。400年後の19世紀半ばになっても、探検航海というのはそういう…わけのわからないところに行くのが常識…だったんでしょうか?


ところで、話もどりますが、5巻って「ジャックの一人称が『俺』」だっていうのが不評なのですか?
私ってば、全く不覚にも、言われるまで「俺」にぜんぜん気づかなかったんですよ。うううう。

どうも私って、基本的にそういうとこ鈍いんですよね。
ボライソー24巻騒動のようなことでもない限り、あまり気がつかない。ファンの風上にも置けない奴かもしれないんですが(でも風下を走るのは嫌です…って違う?)。
たぶん…原因の一部は、先に英語で読んでることと、私が仕事の一部で実務翻訳をやっていることにあると思うんですが。

小説を読むのは、私の場合、頭の中に自分専用の映画を作るような行為です。
なので最初に英語で読んだ時にも、それなりの映像ができあがり、脳みそHDDのどこかに録画される。
それで、しばらくしてから(今回は2年後でしたが)日本語訳が出版され、読み始めるのですが、その時に何が起こるかというと、2年前に脳みそHDDの何処かに録画されていた「マイ映画」が、日本語に刺激されて再生されてくるんです。
これが日本語の小説を読むのであれば、私は日本語から新たに「マイ映画」を作るのですが、以前に英語で一度読んでいる小説の場合は、日本語は映像の作成素材ではなくって、再生のきっかけというか触媒のようなものになります。

その場合の日本語は、たぶん「言葉」ではなくって「記号」のようなものなんです。漢字は表音文字でなくて表意文字なので、ななめ読みでも意味が通るでしょう? 別に意識してななめ読みしているわけじゃないんだけど、たぶん「マイ映画」の再生スピードが速いので、日本語を一字一句読んでいたら追いつかないんでしょうね。
ゆえに、あまり日本語にひっかかる…ということが、私の場合はありません。

それから、直訳調でわかりにくい文章があっても、単語が日本語になってますから、もとの英語構文の単語を日本語に置き換わっただけだと思って、英語感覚さらっと意味だけとってしまう。
これ、仕事上ではやってはいけないんですけどね。
実務翻訳で他の人の翻訳をチェックする仕事をしている時には、絶対に先に英語は読みません。先に英語読んでしまうと、変な日本語でもわかっちゃって、おかしいと思わなくなってしまうんですよ。
もっとも実務翻訳の場合は、間違っても「マイ映画」なんて作りませんから、こういう状態に陥る可能性は低いんですが、
小説だと、日本語より先に「マイ映画」が進行し、ストーリー展開に夢中になってしまうものだから、一種ほら、本に夢中になると電車を乗り過ごす…みたいな感じでしょうか? ストーリーに夢中でまわりが見えなくなる。


ただ今回の「俺」事件(事件なのか?)については、私は個人的にですけど、実は「ジャックって現代的には『俺』って人なんじゃない?」って思っています。
だからたぶん、映画化に際してもラッセル・クロウという男臭い俳優が選ばれたんだと。

これは別に高橋先生に限ったことではなくて、あの世代…つまり戦前・戦中派で、旧制中学・高校の残り香を知っている世代の使う「僕」とか「君」の感覚って、現代の私たちが使っている「僕」の感覚とちょっと違うのではないかと。
かなりバンカラな、今の大学生だったら当然「俺」でしょう…っていう人も、あの時代は「僕」を一人称に使うんですよね。
だからこれは、ホーンブロワーでもボライソーでも、オーブリーでも、それからやっぱり高橋先生と同世代の方が訳していらっしゃる至誠堂のラミジ等のシリーズも、若いというか戦後世代の私たちの「僕」感覚で読むとちょっと違うのかな?と。

私はアラン・リューリーのシリーズが、大森先生の、現代感覚に近い訳で出た時に、こういうのを待っていたと思ったんです。
1巻で候補生だったアランとキースが、旧制高校ではなくて、現代の高校・大学生感覚(でももうちょっと丁寧)で会話しているのが嬉しかった。
ホーンブロワーの日本でのTV放映があって、ホレイショとアーチーが吹き替えで普通に会話しているのを聴いた時も嬉しかったですよ。

まあでも、本来がこれ200年前の話なんだし、本当にそれでいいのか?と言われるとまた問題はあるかもしれないのですが、
ケストナーの「飛ぶ教室」の翻訳が最近新しくなりましたけど、「読みやすくなった」「少年らしい会話だ」という好意的な声がある反面、「あの会話はギムナジウムの会話ではない」という批判もあるそうで、そう言われてしまうと確かに、ギムナジウムには旧制中学同様の独特の雰囲気があるのかも…と思いますし。

まぁ何にせよ、翻訳ものを読む時は、いつも頭のどこかで用心して、日本語訳を絶対的な固定イメージとはしないようにした方がいいのではと思います。
同じ原作からスタートしても、かなり解釈のちがうウィリアム・ブッシュという人物が成り立つように。
英語の上下関係は日本語の敬語関係とイコールではない…ということも。

そうそう、上下関係と言えばもう一つ。これお気づきの方あると思うんですけど、
私が用心して人間関係に修正かけて見ているケースがもう一つあるんです。
アガサ・クリスティのポワロと助手のヘイスティングス大尉の関係。

日本語ではヘイスティングスは、「ポワロさん」と相手をさん付けで読んでいますが、私ある時、NHKで放映していたディビット・スーシェ(ポワロ)とヒュー・フレーザー(ヘイスティングス)のシリーズを、副音声の英語で聞いて、ちょっと愕然とした。
ヘイスティングスは英語ではポワロに「ミスター」も「サー」もつけてなかったんです。「ポワロ」って呼び捨て。
でもってヘイスティングス役のヒュー・フレーザーが、タレ目だけど結構なベテランだし(シャープ・シリーズでウェリントンン公爵を演じた俳優さんでもあります)堂々としているので、なんか二人の間の力関係の雰囲気が、ちがうんですよね。
で、主音声に戻すと、あいかわらず熊倉一雄吹替のポワロに安原義人吹替のヘイスティングスが丁寧に敬語でしゃべっているのですが、これなんか英語と雰囲気が違う…いいんだろうか?って思いました。
いぇ同じ劇団で長年一緒に仕事をしてきたこのお二人の吹替は独特の味があって、好きなことは好きなんですけど。

けれども、以来、私はこの二人については、たとえ日本語では敬語で会話が進行していても、実際はちょっと違うんじゃないの?って頭の中では修正をかけながら見ています。


2005年06月10日(金)
アスランの声はラッセル・クロウ???

今冬公開のファンタジー映画、「ナルニア国物語:ライオンと魔女」のアスランの声の候補が、ラッセル・クロウかリーアム・ニースンに絞られた…というニュースがアメリカのクロウ関連ネットに出ていましたが、本当でしょうか?
この話、まだ裏がとれていないのですが。

アスランはライオンの姿をとったナルニアの絶対神。
これは…合うんじゃないでしょうか? ラッセルの声。
まだ掲示板の噂ですから、ガセネタの可能性もあるのですが、でも個人的にはちょっと聴いてみたい気がする。

リーアム・ニースンってどんな声でしたっけ?
いかん、これは早いところ十字軍の復習して「キングダム・オブ・ヘブン」にリースン聞きに行かなければ。
まだ「キングダム…」行けておりません。上映時間が長いので開始時間が早いというのがネックで。
先に「クローサー」を見に行ってしまいました。

これは実に面白い…、と言っても「楽しかった」という意味ではなく、「見応えがあった」という意味で。
でも「見応えがあった」と言っても、決して理屈で重い見応えではなく、おそらく余計なことを考えずに感受性のチャンネルを開いて、理性ではなく感性でありのままを受け止める映画…かもしれません。

テーマは二組の男女の愛のすれ違い。
…というよりは、男性と女性の愛というもの、もしくは愛に求めるもの、に対する感覚のすれ違い…なんでしょうね、たぶん。
私はアンナ(ジュリア・ロバーツ)とアリス(ナタリー・ポートマン)の気持ちはわかるけど、ダン(ジュード・ロウ)はわからない。ラリー(クライブ・オーウェン)の方がまだわかるけど、でもやっぱりすっきりとはわからないなあ。
でもきっとこの映画、男性がご覧になったら、アンナはともかく、アリスはわからない…という感想になるのではないかしら?
このわかる、わからない、というのは理屈ではないと思います。
いや、男二人は理屈かもしれないけれど、アリスのは理屈ではないわね。私も何故わかるのかは説明できない。ただ共感するだけ。
とてもよく出来たドラマです。

ナタリー・ポートマンとクライブ・オーウェンはこの映画でゴールデングローブの助演賞を受賞していますが、これは納得ですね。
実を言えばジュード・ロウだって、主演賞にノミネートされた去年の「コールドマウンテン」のインマンよりも、こちらの方が複雑で難しい役だとは思うのですが。
でも一般受けはしないかしら、ある意味「嫌な男」かも。これはオーウェンにも言えることですが。
綺麗なジュード・ロウのファンや、ストイックなクライブ・オーウェンお好きな方にはあまりおすすめできないかも。
役者の幅を知るには面白いと思うけれども。

さて、話し戻って、
アメリカではロン・ハワード監督の最新作「シンデレラ・マン」の公開が近づいて、クロウはプロモーションのため渡米しているようです。
6月1日の「シンデレラ・マン」ニューヨーク・プレミアには、ジェニファー・コネリーがゲストで来ていましたが、彼女のダンナはいませんでした。
彼はまだ何処かで撮影中なの?
「ダ・ヴィンチ」はまだでしょ。

そう、ロン・ハワード監督の次回作「ダ・ヴィンチ・コード」。
これ当初は主役にラッセルの名前が挙がっていたのですが、それはトム・ハンクスになって、でも今度はジェニファーの旦那様ことポール・ベタニーに、シラス役のお声が。
Yahoo USA Movieによると、契約にサインしたそうです。
いやこれ…涙が出てしまうほどハマリ役ですけど。でも…原作イメージではもうちょっと若い人に行くかと思ってた。「コールド・マウンテン」の酷薄な殺し屋を演じたキリアン・マーフィとか、あのイメージ。
まぁハワード監督としては実績でポール・ベタニー、というところなのでしょうか?


2005年06月05日(日)
ジェフ・ハント氏の4つの理由に思う(下)

先週の日曜日は横須賀に行ってきました。明治の始めから軍港だった町、英国で言えばポーツマスでしょうか。
ポーツマスにビクトリー号があるように、横須賀には日本海海戦の東郷提督の旗艦「三笠」が展示公開されています。
日本海海戦100年の記念で、この日はこの三笠や、海上自衛隊の護衛艦などが公開されていました。

「三笠」艦首より主砲と艦橋


主砲はともかく巨大…という印象。これで射程は10kmと聞きました。
三笠でこの巨大さということは、戦艦大和の上部構造物はいったいどれほどのものだったのでしょう。

主砲後ろの艦橋の露天部で、東郷提督は三笠艦長、参謀たちと指揮をとっていました。

艦橋露天部より、艦首を見下ろす


ここが実際に海戦時に東郷提督が立っていたところです。
甲板上にプレートが埋め込まれ、東郷提督、加藤参謀長、秋山参謀、伊地知艦長の立ち位置を示しています。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」には、艦橋が目もくらむような高さにある…と書かれているのですが、ここは帆船の檣楼よりは低いので、目…くらむかな?と突っこみを入れたくなったことは内緒。
どうも私の常識は200年前の艦にあるので、大変こまったことですが。

さて、日露戦争を描いた歴史小説といえば「坂の上の雲」。
司馬遼太郎の小説は昔ひと通り読んだのですが、実はこの「坂の上…」だけは未読というか、最後に残しておこうと取っておいたというか。
ところが今回、実際に三笠に行ったらいろいろと疑問点が多出して。
いや司馬遼太郎にも事実に反する記述はあるそうですが、しかし、通勤途上の書店で容易に入手できてこの一週間で読める本というとやはり…というわけで、急遽、文春文庫版の8巻を購入、日本海海戦のくだりだけを読みました。

海洋小説として司馬遼太郎を読むと…、ちょっと驚きました。
これ、小説ではなくてノンフィクションですね。
いやその、ハヤカワ文庫NFから出ているダドリ・ポープの海洋ノンフィクション群とアプローチに差がない。
全く同じ方法で書かれているのに、かたや小説で、かたやノンフィクション。

司馬遼太郎は、江戸時代以前を扱った作品については見てきたような嘘を言い(失礼!)ではないですけど、ノンフィクション風でも実際の目撃談など引いているわけではないのですが、明治時代舞台の小説の場合には、司馬氏がこの小説を執筆した時点でまだご存命だった目撃者もあり、見てきたことや文献を組み合わせて小説化する…というような作業になっています。
それは一見、同じような司馬節に見えるのですが、でも違うのだなぁという発見を今回してしまいました。
…というのは余談。

この日は「三笠」を見学した後、やはり100周年を記念して公開されていた海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」も見学。
こちらは平成15年に就役したばかりの最新鋭艦です。
つい先日見学したばかりの、500年前のマゼランのビクトリア、以前に英国で見学した200年前のHMSビクトリーと60年前の巡洋艦HMSベルファスト、100年前の三笠と最新鋭艦たかなみ。

この時間軸の中で相互比較して見ると、三笠とその時代というのは、
これはあくまで私が見学して受けた「感じ」なので、造船技術や兵装に詳しい方から見ると全く違うかもしれないのですが、
あくまで「感じ」だけで言うと、
外見的には三笠は汽走の鋼鉄艦ですし、はるかに第二次大戦当時の戦艦や巡洋艦や、ひいては現代の艦艇に近いんですけど、その運用というのはむしろ意外と帆船時代からの伝統の方に近いのではないかと感じたのですが、いかがでしょう?

指揮所が艦橋に集中していて砲術長までここにいるとか、後年のようにあまりシステマチックに艦内配置が分散がされていない。
艦尾に司令長官の豪華な公室や専用の艦尾回廊があるのはビクトリー号のようだけれども、このあたりのスペースは比較的広々ととってあって、ひょっとして水密隔壁とかのことを…考慮していない?(もっとも三笠は復元艦なので、当時はあったのかもしれませんが)

司馬遼太郎は「坂の上の雲」を描くにあたって、当時の海軍の雰囲気というものを正確に再現すべく、多くの関係者の話を聞いてそれを反映させた…とのことですが、もしこれが正確であるとするなら、当時の艦上の雰囲気というのは、40年後の第二次大戦よりも100年前の帆走軍艦に近かったように、私には「感じ」られる。
この認識が正しいのかどうかはわからないけれども。

意外と古風といえば、
最新鋭艦の「たかなみ」を見学して、またもや意外に思ったのは、機器類がけっこうアナログのように見えたことです。
JRの運転席とか、旅客機のコクピットとか、最近は表示機器にデジタルのものが多いですから、最新鋭艦といったら艦橋はデジタルなのかと思ったら、意外と普通の機械室のように、アナログの機器が並んでいました。
もっとも今回、見学を許されたのは艦橋と機械制御室だけで、もちろんCIC(Combat Information Center)などには入れませんから、そのような場所は最新鋭デジタルなのかもしれませんが。

今回すべて末尾が疑問系です。
だって…ねぇ。
このあたりの軍艦等については、こと詳しい方は非常に詳しいのがわかっていますから、私は的はずれなことを言っているかも…とびくびくものです。
ハント氏も述べられているように、最近の船は帆船と違って素人には検討がつかないものですから。
まぁ今回は素人の素直な感想と思っていただければ。苦笑して許してくださいね。

日本ではそれほど注目されることなく終わった日本海海戦100周年、かたや英国では大がかりにこれから祝われるトラファルガー200年。
今回ひとつ気になったのは、今回の日本の100周年の中には対馬沖の海戦現場でのロシアとの合同慰霊祭が含まれているのに引き替え、「Sea Britain 2005」では今のところ、そのような催しの記述に出会わないことです。
英国が今年をどのように200年を祝おうとしているのかは、実際に現地に行ってみなければわかりませんが、ただ当時の英雄行為に夢を見るだけでは…終わってしまってほしくないかな…と。

映画M&Cの辛口評の中に「多面的な視点で有名なピーター・ウィアー監督が、どうして英国艦の中だけの視点で当時を描くような映画づくりをしたのか?」というものがありました。
その評を読んだ当時は私も「それは、原作がそうなんだから無茶なこと言いなさんな」と思ったのですが、確かに英国の海洋歴史小説って、英国の船乗りの英雄譚で終わってしまっているものが多いかもしれません。
今こうして見ると、あの時の辛口評の意味がわかりますね。

もちろん当時の人々の英雄的な行為を称えることは大切なんですけれど、それはでもネルソン提督なり東郷提督だけの英雄物語ではなくて、むしろ「プロジェクトX」のようなもの。
「坂の上の雲」を読んでいるとわかるのですが、日本海海戦の勝利というのは、決して提督一人の英雄的行為ではなくて、それ以前に例えば通信機の改良であるとか、爆薬、信管の改良とか、情報収集、作戦立案、策敵や陽動や、それからロシア軍の倍以上の速度での装填発射が可能だった日本の水兵の練度とか、数多くのあまり有名ではない人々の、細かく積み上げられた様々な要因が重なり合って導かれたものなのだから。
そう考えてみると、今の英国のトラファルガー海戦のとらえ方とか、海洋小説の描き方とかもある意味一面的なのかなぁと、ちょっと辛口に思ったりもするのでした。


2005年06月04日(土)
ジェフ・ハント氏の4つの理由に思う(中)

29日(日)は、横須賀に行ってきました。
日本海海戦100周年で、横須賀に保存されている記念艦「三笠」(日本海海戦時の東郷提督の旗艦)が無料公開されていたのです。

私は今年、可能であればトラファルガー200年記念の英国に行きたいと思っていますが、自国の100周年を差し置いて、よそ様の200周年もないものだと思いまして。
それに両方を見て空気に触れることで、英国と日本の違いのようなものが肌でわかったらいいな…とも思ったのです。

さて、オブライアン5巻のあとがきでジェフ・ハント氏は、
「かつてはどの国にもあった一つの国家意識というものが急速に失われていっている現在、はっきりとした国家意識をもった今より単純な世界をイギリス人は郷愁をもって振り返っている」
と述べています。

戦後の日本では、かつて極端な国家意識を持ったことへの一億総反省から、国家意識が希薄であり、おそらくそのためなのでしょう、日本海海戦100周年も英国のトラファルガー200年にように派手に祝われることはありません。

しかし第二次大戦中あれだけ団結して国を守り通し、先勝国となった英国人の国家意識が、現在は急速に失われていっている、というのは少々意外な感がありました。
でも確かに、イギリスのスパイ小説とアメリカのスパイ小説を読み比べて見ると、イギリス人作家の書くものは国家観がクール…というか客観的で他人事のように冷めていて、アメリカ作家のものとは全く違います。

アンディ・マクナブのニック・ストーンを主人公としたシリーズ(角川文庫)を読んでいると、イギリス人主人公と仕事相手のアメリカ人シークレットサービス(でしたっけ?ちょっと記憶が不確か)の価値観の違いが明らかなのですが、元軍人それもSASのキャリアを持つ主人公(実は作者もですが)の国家観が、あまりにも冷めているので驚きます。
これが急速に失われつつある、イギリスの国家意識の実態なのでしょうか?
あんなに夢中になって、国を上げて「トラファルガー200年」とか言っているのに?
でも逆に言えばやはり、今に無いものだから、200年記念にかこつけて夢中になっている…とも言えるかもしれませんが。

たしかに、EUという形で国境をなくそうとしているヨーロッパでは、どこの国も国家意識を主張してはやっていけないでしょうし、
現実問題として、今は国境を越えてイギリスにも、人やモノがどんどん入ってきています。

国際関係に目をむけても、地球温暖化だ、夏は40度だ、海面上昇だ、温室効果ガス削減だ、という時代に、「国益」を主張して京都議定書を批准しないような大国(イギリスではありませんよ)は…、やっぱり「国益」と書いてそのルビは「ワガママ」とふる?…とか思ってしまいますし。
21世紀は「国家」の時代ではないような。
その点、小説の世界に夢を見ている分には罪はないし、現代はうまくいくのかもしれません。

あぁでも、小説でもついていけなかったことが一度だけあったのですが。
バーナード・コーンウェルの「イーグルを奪え」は、ちょっと辛かったです。
旗というものは時に神聖視され、現代でも国旗は国家の代名詞。軍旗が崇高なものだという当時の価値観は、わからないではないのですが、でもこの小説ではその為にあまりにも多くの人がばたばたと死んでいき、旗一枚のために…と思ってはいけないのでしょうけれども、やはりそう考えてしまうとむなしさを感じてしまう。

…まぁこんなことを言うと「男のロマンは女にはわからん」と言われちゃうのかしら。でも申し訳ないけど、これだけは唯一、私がついていけなかった小説。
この小説がショーン・ビーンでTVドラマ化されたと最初に聞いた時は驚きましたが、実際に見てみたらTV版は相当アク抜きされてましたね。やっぱりお茶の間じゃないリビングに放映する以上、英国でもトーンダウンは必至なのでしょうか。

脱線ついでにもう一つ、これは「国」ではないかな? ご本人たちには国の意識かもしれませんが、
今回の5巻でひとつ、私的には大発見をしました…長年、英国の小説を読みながらこれに気づかなんだなんて…。
たいへん迂闊であった。おーまいごっど。

下巻のP.216、ジャックのひょうきんさの裏をスティーブンが読み取ってしまうシーン。
「ジャック・オーブリーという男は、もしもっとましなことを思いつかなかった時には、できかけの駄洒落を口にしながら死んでいくだろう」というくだりですが、ここ好きなんですけどね。
問題はスティーブンが、そういう船乗りの性質を「とりわけイングランド人くさくてときどきうんざりする」という目で見ていること。
これ、イングランド人なんですね。ブリテン島とアイルランド島の住人(現代で言うところの英国人)ではないのね。

そう言えば、冗談を連発するスコットランド人…知らないなぁ。皮肉じゃないジョークを明るく言うアイルランド人…読んだことないなぁ。
ウェールズ人はデータが無いけれども。
そうだったんだ。これって英国人ではなくってイングランド人のお家芸だったんですね。

「危機に陥るとジョークの冴える英国人」というイメージを、中学生だった私に埋め込んだのは007ジェームズ・ボンド=ロジャー・ムーアとイアン・フレミングの原作でした。
大学卒業前の春休みに生まれて初めて飛行機に乗って、香港に初の海外旅行をした時に、なんとエレベーター故障で英国人家族3人と私たち、箱の中に閉じこめられたことがありました。
初海外旅行、初トラブル。まだ英語もロクにしゃべれないのに、最初にかけつけたビルの管理人は広東語で何か言ってるけどさっぱりわからず。いつ動くのか出られるのかもわからず。
私たちの一人が「困ったわ。3時まで行って戻って来なければならないのに」と言ったところ、乗り合わせた見ず知らずの英国人が、
「大丈夫、安心しなさい。あなた達は最悪でも、午後3時にここにいるよ」と、それはたぶん午前10時頃の話。
思わず全員、笑ってしまいましたね。

さすが007の国の人だと、その時は感心したんですよ。普通のおじさんでもこうかと。
結局、30分くらいで故障は直ったんですけど。
以来、英国人=ジョークのイメージは決定的に。
でもこれ以降はイングランド人=ジョークに認識を修正します。いかんいかん、20年近く誤解していたことになる。

いちばんジョークの上手いイングランド人は、ラミジ・シリーズを書いたダドリ・ポープのように思います。
よくよく考えれば重い題材を、ジョークのオブラートにくるんでさらっと読ませてしまう。
「囮のテクニック・暗号編」の主人公たちはいずれも重い過去を背負い、そのうちの一人のジェイミーなどは明らかに、今で言うところのPTSDだと思うのですが、それを笑いとばして前向きにいき続けて。読んでる私たちに、悲壮感のかけらも感じさせない。たぶんこの3人が揃っていたら、ジャックと違って最後の瞬間にもジョークが完成するような気がしますが…、

それはたぶん、ポープの一生そのものの反映なのでしょう。大戦中に商船の士官候補生だったポープは、乗り組んだ船を撃沈され、その時の傷の後遺症を生涯かかえていたと聞きます。
もっとも、それを悲壮に言い立てることは、たぶんご本人の本意ではないでしょうから、私もポープの作品は面白おかしく、でも奥の痛みだけは忘れないようにして、楽しませていただこうと思っています。

あらら…、なんだか長くなってしまった。これはもう一回「つづく…」にせざるをえませんね。ごめんなさい。
まだ横須賀の報告をしていない。明日はその話をして、終わります。


2005年06月03日(金)