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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
三人の女王

先週の火曜日に、BS-Japanでヘレン・ミレンの「クイーン」を放映していましたね。
現在の英国女王エリザベス二世を描いた映画ですが、ミレンは同じ年にテレビドラマでエリザベス一世も演じていて、一世と二世で2007年ゴールデングローブ主演女優賞をダブル受賞しています。
エリザベス一世のドラマの方は以前にNHK-BSで放映されて見ることができたので、これは二世の方も見るしかないわねと思いました。

1997年のダイアナ妃の交通事故死からウェストミンスターでの葬儀までの一週間の舞台裏を描いた作品で、
ダイアナが離婚という形で王家を出た以上、きっちりけじめをつけて葬儀は実家スペンサー家のものとすべき…と考える王室と、ダイアナを慕う国民との意識のギャップ、その間に立って奔走する若き首相(労働党のブレア)というセミ・ドキュメンタリー・ドラマです。

まぁ実際のところ、どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのかはわかりませんが、
やはり象徴としての高貴な家を擁した別の国に住む、戦後価値観世代の一人として見ていると、なかなか興味深く、

女王(エリザベス二世)がよく用いる「duty」という英語の概念。
日本語では「義務」ですが、よく言われる「ノブリス・オブリジェ」という概念と同じような意味なんでしょうね。
上に立つ者には「私」よりまず「公の義務」がある。

ダイアナを慕う国民たちの意識は「私」の、ごく普通の家のお葬式感覚なのですが、王家の人達はまず「私情」ではなく「公」の判断を優先させる。
それが理解できない国民は、女王を冷たい人だと考えてしまう。
でも女王は、元王妃に対しては女王として公の判断をするけれども、母を亡くしたばかりの孫二人に対しては一人の祖母としての情があり、そのあたりの矛盾を映画はわかりやすく描き出しています。

女王を理解しながらも、国民への譲歩を求めるブレア首相が女王を、「ウィンザー公の退位から、予期しなかった女王の地位へ、戦争の時代に育ち、20代で即位してまず国のことを、と教育されてきた方」と評するのですが、
この映画に繰り返し出てくる「duty」というキーワード…映画の中でそれを最も尊重するのは、女王の夫エジンバラ公。
この「duty」の概念、英国海洋小説を読み慣れているせいか、「あ、なるほど」と腑に落ちるものがあります。…陸での私生活(家庭生活)を犠牲にして海に出て行く海軍士官たちに通じるものがありますから…もっともエジンバラ公は大戦中に巡洋艦で戦場に出ていた海軍士官でしたから当然かもしれませんが。

映画を見終わって思ったのですが、
日本にも英国と同じように皇室がありますが、似ているようでいて日本の場合はちょっと違うんじゃないかって。
英国王室の守ろうとしている「duty」は、皇室が守ろうとしているものとはちょっと違うような、日本が守ろうとしているのは義務ではなくて、もうちょっと抽象的な「ミステリアスな権威」みたいなものじゃないだろか…ということ。
それと日本国民も英国国民とは違って、やっぱりまだ皇室の方を普通の家族としては見ないでしょう? やっぱり半分雲の上の方みたいな意識があって、
英国民はダイアナを、不幸な結婚をして離婚した普通の女性に近い意識で見ているところがあり、王家にも普通の家の葬儀の常識感覚を求めてしまうんだけれども、日本人はまだまだそういう目では皇室を見られないんじゃないかって。


ところで、先週のレディスデーにひさびさ日比谷シャンテに行ったら、上映前の予告がなんと「ヴィクトリア女王」でした。
これ3月15日の日記でご紹介した「Young Victoria」ですよ。ポール・ベタニーが首相役(メルボルン卿)です。
12月下旬から公開だそうです。よかった〜、日本公開されるんですね。

ついでに、シャンテでは10月下旬から「ジェイン・オースティン」、「高慢と偏見」などで有名な18世紀末〜19世紀初の女性作家の伝記映画が公開されます。
あの時代の映画なので、ご興味をもたれた方は行かれてみては?


2009年10月03日(土)