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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
復元船プリンス・ウィレム号炎上

先週私は「今週はニュースがなく」などと申しておりましたが、申し訳ございません。
実は一つ残念なニュースがありました。日本でも産経新聞と地方紙では紹介されていたのだそうですが、私がそれを知ったのはアメリカのオブライアン・フォーラム(掲示板)経由で、今週の初めでした。

かつて長崎オランダ村に展示され、オランダ村の倒産後は故国オランダの観光会社に転売されたオランダ東インド会社の復元船プリンス・ウィレムが、7月30日、回航先のオランダ北部の町Den Helderで焼失しました。
火災の原因は現在調査中ですが、電気系統のショートによる発火の可能性が濃厚と言われています。

火災の様子を伝える山陽新聞
http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2009/07/31/20090731010005681.html

Fire Destroys Replica Of Dutch East India Company Flagship Prins Willem (英語)

帆船の炎上というのは、実は絵画では…英国の美術館にあるターナーのナイルの海戦の名画から、ジェフ・ハントやジェフリー・フバンドによる帆船小説の挿絵まで、何度となく見ているのですが、この状態の本物を見るのは初めてで(カティサークの時は報道が駆けつけた時には既にかなり火がまわっていたので)、絵画と違ってやはり…胸が痛いですね、見ていると。

今週に入って他にも記事が書かれるようになりましたが、印象的だったのはアメリカの海洋関係のライターの方の下記の記事でした。

The Long, Strange Journey of the Prins Willem
August 3, 2009 · Filed Under Current, Lore of the Sea, Ships
http://www.oldsaltblog.com/tag/prins-willem

オランダ東インド会社船プリンス・ウィレム号の復元船が焼失した。が、この船のたどった運命は数奇なものだった。
彼女は1985年に、オランダのフリースランドで、日本のテーマパーク・長崎オランダ村に展示されるために建造された。
このテーマパークが閉鎖されると、プリンス・ウィレム号はオランダに戻り、2003年からデン・ヘルダー※に係留されることになった。

プリンス・ウィレム号を引き取ったオランダの観光会社Libéma社は、この船をデン・ヘルダー観光の目玉とした。
同社は炎上したこの船を再建する計画があると言う。

この復元船プレンス・ウィレム号は、正当性を重んじる批評家からは、実は「ディズニー・レプリカ」と呼ばれていた。
当初の目的がテーマパーク展示であったために、船倉の一部まで船室を拡大するなど(注:プリンス・ウィレム号は建造当時、世界最大の船倉を誇る商船であった)歴史的正確性を欠く部分があったのである。
そして、この船の船殻は鋼鉄製であった(注:これも歴史的にはありえない)。

だがこの鋼鉄製の船殻は炎上にも焼け残ったため、Libéma社は再建を検討しているとのことである。

この例は現代における復元船建造に、一つの問題を定義しているように思われる。
実際のところ、オーストラリアの港に係留されたH.M.S.バウンティ号にも同様の問題はある。
この艦は海軍本部の図面通りに復元されているものの、復元の目的が映画の撮影であったため、実船より30%の拡大復元がなされているのである。
歴史的正確性以外の目的をもって再建される復元船の使命を考える時、このプリンス・ウィレム号の事例は検討課題となるだろう。

復元船の元となったオランダ東インド会社船Prins Willemは、1642年にオランダで建造、1662年にマダガスカル沖で沈没した。

※注)
デン・ヘルダーはアムステルダムの北、ノルト・ホランド州の北海に面した港町です。ここからアイセル湖(内陸に切り込んだ内海、首都アムステルダムはこのアイセル湖沿にある。このアイセル湖と北海との間にあるのが有名な大堤防)をはさんだ対岸が、1985年にこの復元船を建造したフリースランドとなります。

このライターの方のブログ、右上にこの方が撮影したサンディエゴ海事博物館のサプライズ号などの映像があります。


2009年08月09日(日)