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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
宮廷画家ゴヤは見た

歴史好きの人にはお奨めとの声を多数耳にしていたのですが、やっと行くことができました。

なんと言ってもあの時代…1792年〜1808年のスペインが舞台と聞いていたので、興味がありまして。
ナポレオン戦争時代のスペインは、バーナード・コーンウェルの小説…後にショーン・ビーンの主演でTVドラマ化された「シャープ」シリーズで一度見ているのですが、これは英国側の視点ですし、やはり当事者であるスペイン側の視点から見てみたいと思って。

「宮廷画家ゴヤは見た」…なんだかこのタイトルは家政婦のなんとかみたいでちょっといただけませんが、
しかしこの映画、この動乱の時代を、宮廷に近いところで生きたフランシスコ・デ・ゴヤという反骨画家を観察者として描いた…という意味ではやはり「見た」に他なりません。
主人公は野心家の神父ロレンソと、裕福な商人の娘イネス。
隣国フランスの革命とそれに続くナポレオン軍の侵攻が二人の運命を狂わせ、その二人の肖像画を描いたゴヤも、彼らの運命に関わっていくことになります。

うん、確かに歴史好きの方にはおすすめです。
なんというのか時代の空気を見事に描き出しているという点で、良い映画だと思うんですよね…でもそれゆえに重い映画なんですけれども。

でもスペインのこの時代って本当にこうだったんでしょうか?…いやこの時代の映画は、M&Cやホーンブロワーに限らずいろいろ見ているんですけど、当時の英国と引き比べると、19世紀初頭にここまで教会の権力が強くて、まだ異端審問をやっていたスペイン…ってちょっとオドロキです。
異端審問の光景だけを切り取って言えば、200年前の無敵艦隊の頃とほとんど変わらない…その頃の英国はキャプテン・ドレイクの時代じゃないですか?たまたま同じ女優さん(ナタリー・ポートマン)が主演してますが「ブーリン家の姉妹」の時代のちょっと後ですよ。 
それから200年がたって、英国はもうネルソン提督の時代になっているのにスペインの宗教裁判所だけはドレイク時代と変わらないというのはどうにも…にわかに信じがたいのですが、史実では1834年まで異端審問が続いていたとか。

ハビエル・バルデムの演じる野心家のロレンソ神父が魅力的です。
教会権力の中で出世を狙いながら、合理的な商人からその非を追求され失脚、逃亡した先のフランスで革命思想に触れて近代合理主義にめざめ、ナポレオン軍の官吏としてスペインを旧弊から解放しようと乗り込んでくる。
しかしナポレオンを侵略者と見なしたスペイン国民はこれに反攻し、結局はもとの権力構造に逆戻り、それを国民は歓呼で迎える。
故国を「解放」しようとしたロレンソの夢は見事に破れ去るのですが、

私はスペイン史には詳しくないですし、当時のスペインの国内勢力がどうなっていたのかについても詳しい知識はありませんが、でもこの旧弊にまみれた実態がスペインの…というかマドリッドを中心とするカスティリア政府の本質なのだとしたら、…そりゃぁマチュリン先生には、彼が(マドリッドとは敵対する)カタロニア人だということを置いても、180度相容れない価値観だろうな…と思います。

幽霊を信じていた水兵たちとのエピソードでもわかる通り、マチュリンは合理的な理性の人で、もしこの映画の場に居合わせたら、むしろロレンソに共感しそうなところがある。
いやマチュリンもフランス留学当初は革命思想に共感していたんでしたっけ?確かにこの土俗的なスペインに育ったら(カタロニアはカスティリアよりは合理的だとは言われてますが)革命の合理思想は新鮮かつ衝撃的でしょうし、当初熱狂的に受け入れてしまうだろうとは思います。ただそれが血塗られた恐怖革命に変貌した時点でマチュリンは絶望して、方向転換したのですけれども。
そこで、武力をもっても(ナポレオン軍の力を借りて)もスペイン国民を「解放」しようと考えてしまったロレンソは、結局は本質的には熱心すぎる伝道師のままだったということなのか。

この映画の監督は、1932年にチェコで生まれたミロス・フォアマン(「アマデウス」の監督として有名)。
大国の侵略に翻弄されるスペインを、監督自身は、ナチス・ドイツの侵攻と戦後はソビエト共産主義に翻弄された祖国チェコに重ねていたようですが、映画を見ながら私が思っていたのは、「現在のイラクとかアフガニスタンってこんな感じなのかしら?」ということでした。
アメリカはイラクを解放すると言ったけれども、解放される国民側の意識との間には隔たりがあって、結局はさらに血で血を洗う混乱がもたらされてしまった…というあたり。

スペインのナポレオン戦争は、ウェリントン率いる英国陸軍のレッドコートがフランス軍を追い払って終わります。
その英国軍とて、スペイン人にとっては他国の軍隊ではあるのですが。解放の手みやげに掠奪を働く英国軍もしっかり描かれているところが、シャープシリーズとは異なるところ。

人間達が血みどろの戦いを繰り広げるマドリッド市街戦の中、籠から逃げ出した市場の売り物のアヒル、死刑台の傍らで何事もなくのんびり藁を食べ続けるロバなどの映像が妙に印象的です。
全てを目撃してしまったゴヤは、皮肉とともにそれをただ書き記さざるをえなかったのかもしれません。

その全てを飲み込んで生き続ける初老の画家の魅力を、ステラン・スカルスガルドが余すところなく表現しています。
味わいのある俳優さんだと感心します。アダム・クーパーと同じ意味で、好きな俳優さんです。


2008年11月03日(月)