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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
テメレア戦記

12月末にソニー・マガジンズ社から発売されたナオミ・ノヴィク「テメレア戦記」、
米国オブライアン・フォーラム(掲示板)でいろいろ、前評判は読んでいたのですが、実際に手にとってみると…、

私にとっては、近来まれに見る最高に面白い物語でした。
夢中になって電車を乗り過ごすという、ここ10年ほど無縁だった失態を、ひさびさにしでかしてしまうほど、ぐいぐい引き込まれてこの世界から帰ってこれなくなってしまったんですが、

作者のノヴィクいわく「テメレア・シリーズの家系図を描くとすれば、パトリック・オブライアンとアン・マキャフリイが最初のご先祖さま」になるのだそうです。
アン・マキャフリイは「パーンの竜騎士」シリーズを生み出した米国のSF作家、日本では1980年代からハヤカワ文庫SFで翻訳紹介されていて、現在13巻まで刊行されています(米国では14巻まで、未訳1冊あり)。

これは米国のオブライアン・フォーラムでも言われていたことですが、「テメレア戦記」の基本はマキャフリイ、というかドラゴン・ライダーの物語で、そこに歴史海洋小説(オブライアン)テイストがまんべんなくふりかけられている形です。
ですから、この本を読まれる方は、海洋歴史小説を読むのではなく、ドラゴン・ライダーの物語を読むつもりで接した方が良いと思います。

ただし、

ドラゴン・ファンタジーを読むつもりで読むと、テイストの違いに違和感を覚えることになるでしょう。

何故かといえば、テレメアを始めとするドラゴンたちは、英国空軍という組織に属していて、物語そのものは軍組織を舞台に展開するのですから。
ゆえに物語の展開、主人公の価値観などはオブライアンやアレクサンダー・ケントなどの海洋小説、または同時期の陸軍を描いたバーナード・コーンウェルのシャープ・シリーズなどに極めて近いものになり、中世の砦やギルドを思わせる世界を舞台にくりひろげられるアン・マキャフリイの竜騎士物語とは、かなり雰囲気が異なります。
「テメレア戦記」で言うドラゴン・ライダーはマキャフリィ的な竜騎士ではなく、空佐の階級を持った空軍士官たちなのです。
私たちがよく読む海洋歴史小説は、英語ではNaval historic fiction(海軍歴史小説)と呼ばれるのですが、「テメレア戦記」を表現するのに一番適切な表現はAir Force historic fictionつまり空軍歴史小説なのではないかと、私は思うのですが、

ごぞんじの通り、軍組織が陸海空の三軍になったのは20世紀に入ってからで、現実の歴史では空軍に近代化以前の歴史はないのですが、ノヴィクのこの世界では、古代から人間は「竜」という空軍力を有していたことになっています。

ナイルの海戦で、フランス艦ロリアン号が爆発・炎上したのは、英国艦の砲撃から火薬庫に火が入ったからではなく、英国と同盟を結んだオスマン・トルコ軍の火吹きドラゴンによる空中からの攻撃によるものなのだそうです。
それより何より、13世紀に日本がフビライ・カーンの大陸軍を撃退したのは、風を操る能力のある日本独特の竜の力なんだそうですよ、こんな世界史ごぞんじでした?
同じく大陸からの脅威にさらされた島国として、当時の英国人たちは、このかつての日本の事例に勇気づけられたのだとか。
………。
いやその、私は20年ちかくナポレオン時代の英国海洋小説を読んできましたが、あの時代の英国の状況を元寇当時の日本の状況と重ねたことはついぞなかったので、
はぁぁぁ。アメリカ人のファンタジー作家の目で世界史を見ると、そう見えるのか…っていうのはえらく新鮮なオドロキでしたけれども。

というわけで、もしこの小説を読まれるのであれば、既存の歴史観や先入観は一度捨てて、白紙の状態でナオミ・ノヴィクの1805年に入っていかれることをおすすめします。

と言っても、私たちの場合は全く知らない世界に飛び込むわけではありません。
主人公はフリゲート艦リライアント号の勅任艦長ウィリアム・ローレンス。
彼が拿捕したフランス艦アミティエ号が、皇帝ナポレオンに中国から献上される竜の卵を輸送中であったことから、彼は拿捕艦のみならず竜の卵の面倒も見ることになり、英国にたどりつく前に艦上で卵が孵化してしまったことから、ローレンスは竜から飛行士と認定され(孵化時に竜が乗り手を選ぶというこの設定はマキャフリイと同じですね)、空軍に転属になることになります。

竜に乗るのも、海軍と勝手が違う空軍組織も、ローレンス(と私たち読者)にとっては初めてのものですが、ローレンスが海軍時代の経験と引き比べていろいろと物思うので(命綱をつけて飛行中の竜の背中を移動するのは、嵐で揺れるマストのヤードを移動するのと似たようなものであるとか)、海洋小説ファンには馴染みやすい…というか想像しやすいのではないかと思います。

実際、ナオミ・ノヴィクはかなりの海洋小説ファンでいろいろ読み込んでいるのでしょう。
細かいところの描写にぬかりがなくて、思わず苦笑させられます。
竜の体重が増えると、艦の喫水調節のために船倉の積荷を移動する騒ぎがありますし、元が船乗りであるローレンスは本能的に風に敏感…とか、妙なところにリアリティがあって、海洋小説ファンにはたまりません。
ちょっとだけ残念なのは、翻訳がノヴィクの海軍知識についていってないことなんですが(翻訳経験は豊富でも海洋歴史用語はちょっと特殊なので)、そこはみなさまの頭の中で適切な日本語に訂正していただければ。

本来は存在しない筈の空軍力を有するという設定ですから、英国本土侵攻をめぐる英仏軍の戦いも、実際の歴史とは多少異なってきます。
ツーロン沖の封鎖任務に当たる英海軍海峡艦隊と英本土の間の連絡通信や補給を、空軍の逓信使(小型で速い飛脚ドラゴン)が受け持っていたり、これは海峡艦隊にしてみれば、本当にありがたい援軍だっただろうと思います(苦笑)。
もっともその反面、フランス軍の重装備ドラゴンが、ドーバー海峡を越えて飛来し、英国本土に直接攻撃をかけることもできるわけで、一巻の最後のクライマックスは、ドーバーの白い崖を背後に、フランス重戦闘竜部隊(!!)を迎え撃つバトル・オブ・ブリテン1805とあいなります(旗艦ならぬ空将が搭乗する竜には、空将旗がたなびいてしまったりするんですよ、こういうところが、この作者ぬかりないなぁと思うわけですが)。

まぁこれも、あまり真面目に考えすぎると、戦略上の穴とか見つかるのかもしれませんが、この本に関してはあまり細かいことを言わず、片眼をつぶって海洋歴史テイストだけを楽しむのが、賢いたのしみ方かもしれません。
私は、近来まれにみる面白い本だと思うのですが、皆様はどのような感想をおもちでしょう?


2008年01月13日(日)