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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
最近の映画など

ここ1〜2週間はちょこちょこ時間を使って映画にいきました。
「シンデレラマン」も行きましたよ〜。
やっぱりロン・ハワード監督にはハズレがありません。ラッセルもレニー上手いですしね。

M&C関係の情報収集にあけくれたおかげで、ここ2年、ラッセル・クロウという人のインタビューやら記事やらをいろいろと読む機会があって、おそらくマスコミに作られたイメージではないプロの役者としてのクロウという人に少しは触れられたか…と思いますが、この人、職人ですよね。
ファンになったつもりはないけど、つくづく「いい役者さんだなぁ」と思うので、この人の演じるものは見てみたいなと。

「シンデレラマン」、たしかに中村勘三郎と蜷川幸雄が推薦しても恥ずかしくない出来の映画だと思います。
本当にロン・ハワードにははずれがない。ハリウッドで私が一番好きな、信頼できる監督です。
ただハワード作品で横に比較すると…、「アポロ13」と「ビューティフル・マインド」にはちょっと及ばないかな。
アポロ13号はやはりスケールが違いますし、ビューティフル…は、同じく家庭と夫婦の物語ではありますが、あの脚本のトリックであっと足をすくわれるところがありますから。
大恐慌の時代に、あがきながらもそれでも再び前を向いて生きようとする人々…というテーマは一昨年アカデミー作品賞をM&CやLOTRと争った「シービスケット」にも共通しますが、シービスケットが3人の男の再生を描いていたのに比べて、こちらは一つの家族の再生ですし。

ラッセルは6月の全米プレミアの時に「アメリカは貧しい人々が真面目に必死に生きようとしていたこの時代のことを忘れている。今こそこの時代の生き方を思い出すべきだ」と言っていたけれど、実は皮肉にも私は、この映画の中でラッセル演じるジム・ブラドックと同じような立場になった人のインタビューを、先週見て、なんだか考えこんでしまいました。
シンデレラマンのジム・ブラドックは大恐慌で職を失い、その日その日の食糧を手に入れ家族を養うために、毎日、港に日雇いの仕事を探しに行きます。
先週、ニュースでニューオリンズのアフリカ系アメリカ人のインタビューを見たのですが、彼は水害で家を失い、貯金も多くはなく、強制避難で職場も失ってしまったために、毎日の暮らしと家族のために、日雇いでがれき撤去の重労働に従事しているのです。その人の言っていたことが全くブラドックと同じで…今のアメリカは、やっぱり多くのこと大切なことを忘れてしまったのではないかしら…と。

ただこの物語はテーマを家族に絞ったゆえに、ひとつのパラドックスを抱えてしまったかな?とも思います。
ブラドックは家族のために賞金のかかった危険なボクシング・マッチに挑みます。妻のメイはお金よりも夫が無事でいてくれることを祈りたいと思っている。
もしブラドックが本当に家族のためだけにボクシングをやっているのだとしたら、これは矛盾になりません?
たぶんブラドックには他に理由があったと思うんです。彼自身がボクシングというスポーツを愛していたと思うし、自分はまだ引退年齢じゃない、まだやれる、若い者には負けない、挑戦してみたいという気持ちがあっただろうと。だから危険と言われてもマッチを引き受けた。
ま、そのあたりを出してしまうと、感動の家族愛物語…ミルクのために戦った男…というテーマがぼやけてしまうのかもしれませんが。

マネージャー役のポール・ジアマッティが素晴らしい。
この人、この前は「サイドウェイ」の、ワインおたくの小心な英語教師役で見たんですけど、今回の、試合に指示を出すマネージャーとしての激しさと、時おりジム個人にみせる思いやり深さと、ビジネスマンとしての計算高さが見事に融合しているキャラクターは見事でした。ぜひぜひ彼に助演男優賞を。
日雇い仕事で知り合った元証券マン(なのかな?)のパディ・コシダインも魅力的です。この人、「イン・アメリカ」のお父さん役も良かったんですよねぇ。

ニューヨークのビジネス街ど真ん中のセントラル・パークが、ホームレスの人のテント村になっている…という光景は衝撃的でした。
東京で言えば、ビジネス一等地である丸の内や大手町前の皇居前広場とか日比谷公園がホームレスに占拠されてしまうような感じ?
よくパニック映画とかのCG映像で見る、ニューヨークの廃墟…とかより、なんだかよっぽど背筋が寒くなるようなコワイ光景…やっぱり現実にあったことだとわかっているからでしょうか。


それから「頭文字D」も見てきました。広東語版、日本語字幕のバージョン。
アンソニー・ウォンが父親の文太役だと聞いた時から見てみたいと思ってたんですよね。実写でダウンヒルレースやってくれるっていうし、モータスポーツ・ファンとしてはやっぱりちょっと、見ておきたい映像(ちがう?)
だって私、この漫画を知ったのは鈴鹿サーキットの売店だったんですもの。もう10年前ですけど。
私はその昔バイク漫画が流行った80年代はじめに、少年サンデーや少年マガジンを読んでた世代なので「あらぁしげの先生なつかしー!」のノリで。

いやいや、ホンモノのスプリンター・トレノ(AE86)やスカイライン(R32)がダウンヒルレースを繰り広げてくれる実写映像を堪能させていただきました。
これより凄いドライビングは、もちろんWRC(世界ラリー選手権)とか見ていればあるでしょうけど、でもラリーは単独走行で、テール・トゥ・ノーズのドッグ・ファイトなんてありえないじゃありませんか?
2台が重なりあうようにコーナーを流れていく…なんて、まるでフィギュアスケートのペア競技の妙技を見ているようで…綺麗…うっとり。
この漫画、深夜にアニメ化されたものも2〜3回は見たのですが、あのCG映像よりこちらの実写の方が、やはり迫力が違うわ。まぁ映画館のスクリーンは大きさが違うという部分はあるかもしれませんが、やはりCGはホンモノにはかなわない、限界があるような気がします。CGの動きはやわらかすぎるんでしょうか?

でもストーリーとキャラクターは、原作とはちょっと変わってしまっています。
イツキがガソリンスタンド店長の息子だったり、高橋兄弟が兄だけになってしまったりというのはストーリーをまとめる都合上仕方ないと思うんですけど、イツキとお父さん(文太)と須藤のキャラクターがちょっと変わってしまった(もう少し強烈でちょっと下品になってます)のは残念かな。
のんびり屋でいい加減だけど決して悪いヤツじゃないのが、イツキのいいところだと思うんだけれども。
それから文太お父さん…アンソニー・ウォンは滅茶苦茶かっこよかったんですけど、もうちょっと人情の部分を強調した脚本にしてくれたらよかったのに、そういう芝居も出来る人なのに(「インファナル・アフェア」でトニー・レオンのヤンに見せていた、隠れた思いやり深さとか)。
原作では、拓海がエンジンブローしてしまったあと、お父さんがトラックで迎えに来ます。ショックでポロポロ泣き出した息子に、ぼそっと。「おまえクルマこわしたの自分だと思ってるだろう、それは違うぞ」って言って頭ぐりぐりしてやるんですけど、このシーンは映画にはありません。こういう柔らかな情の部分が消えちゃってるんですよね、この映画では。
それが同じアジア人でも、香港人と日本人の微妙な情感のズレなんでしょうか?

この映画、アジア5カ国、シンガポールやタイでも大ヒットしたそうです。
作者のしげの氏もパンフの中で語っていらっしゃいましたが「群馬の走り屋たちという日本の地方ローカルな物語が、アジアに通用するとは思っていなかった」。
それは、確かにそうなんだけど、でも例えば、両側田んぼの国道沿いのコンビニの駐車場にクルマをとめて、ジェイ・チョウの拓海とエディソン・チャンの涼介が缶コーラを飲みながら広東語で話しをしている。
…別にぜんぜん違和感ないですよ。いや彼らが上手く日本人になりきっているという意味ではなくって、これって台湾でもタイでもありえる光景だと思うんですよね。
アジアも発展して来ているから、今はタイでも都市近郊なら幹線道路沿いにコンビニがあるし、若者が自力でこのようなクルマを手に入れるのは今はムリにしても、でもあの時代の日本車は、日本の中古車が多いタイなどの日常では見慣れた光景だし。
そしてなにより、豆腐ですよ!
豆腐をこわさないように配達することでドライビング・テクニックが磨かれた…というこのストーリーの基本が、説明なしでわかってしまうのは、まいにち豆腐を食べているアジア人ならではのことでしょう。
もっとも中国の豆腐の方が日本の豆腐よりちょっと硬いからこわれにくいかもしれませんけど(笑)。

ジェイ・チョウの拓海くんはぴったりだと思います。ぼーっとしている時は本当にぼーっとしていて、フツーの高校生に見えるところがナイス。
アニメの拓海くんは声がかっこよすぎたので(声優さんのファンの方ごめんなさい)、ちょっとちがう…と思っていましたので。
エディソン・チャンの涼介さんはめちゃくちゃかっこよくって、これもベストだと思います。原作だと「涼介さま〜」という追っかけギャルが出没する設定の彼ですが、原作読んでいた時は追っかけなんてアホかいなと思っていた私が、このエディソンの涼介なら「きゃ〜っ!」ってみぃはぁしても良いと思いました。この彼にアニメ版の声の吹き替えが乗ったらカンペキ!だと思いますが、日本語吹き替え版を見に行った友人の話だと声のキャストは違うそうですね。


さておしまいにご要望におこたえして…って言いますか、「素直に書け!」というお声を身近から頂戴したので、ここ1年私がハマっていたものの話しを。
先週最終回を迎えた土曜6時放映のガンダムだったんですけど。
いやべつにわざと語らなかったわけではありませんで、ここは海洋小説と映画関係のサイトですから、映画化されたアニメはともかくTVシリーズはジャンル違いだろうと。また、ガンダムという話題が通じるのは年代的に現在50才くらいの方が上限ですから、一般的話題というのにはムリがあるだろうとも思っていたからなんですけれども。

前々から評判は聞いていた最新作のガンダム(2002年〜2003年放映「ガンダムSEED」)、昨年10月から続編(SEED Destiny)の放映が開始されたのをきっかけに、久しぶりに見てみました。
そうしたらすっかりはまってしまいまして、毎週いろいろと先の予想をたてては、次の週に当たったりひっくり返されたりして、1年間すっかり楽しませていただきました。
複雑なストーリー、よく出来た多人数のキャラクター、張り巡らされた伏線、予想外の展開。よくできたドラマだったと思います。
申し訳ないけれども、夜9時台の「海猿」より、ドラマとしては複雑に出来ていたんじゃないかと。これを6時台の30分枠放映というのはちょっと勿体ないかも。
まぁこの作品をこのままゴールデンタイムに持って行くことはできませんが(アニメゆえの子供だまし的設定がありますから)、ある程度のクォリティのものが出来るのなら、ゴールデンタイム1時間枠でアニメ・ドラマを放映するという可能性も、将来的にはあるのかなぁと思いました。

ただ、これだけ複雑なドラマだと、おそらく本当の子供さんたちはついてこれなかったのではないかと思います。
この番組の対象年齢は子供よりは少し上の、ティーン世代だということですが、それでも、最終回などはセリフの中にキーワードが隠されていて、それに気づけばすっとわかるけれども、気がつかないとわかりにくい展開でしょう。
なんだかこれでは現代国語の読解問題のよう…。というより視聴者にある程度の読み解きを要求するようなものを、本来ならば流しで1回しか見ない筈のテレビという媒体でやってしまっていいのか?というと、それはちょっと問題があるような気もします。
でも友人の「でもガンダムってそういうものでしょう?難しくてよくわからないのがガンダムだと子供の頃は思ってたわ」という意見もあり、まぁそれは昔からの伝統で、それでも(それゆえに?)半世紀以上人気がもっている作品群とも言えるのかもしれませんが。

大規模テロをきっかけに再び起きる戦争、対立する2勢力と、中立の第三勢力…の筈が、同盟条約に規定された派兵という形で一方の陣営に引きずりこまれていく…という流れの中で異なる立場に立つ3人を主人公に三軸の複雑な物語が進行していきます。
勧善懲悪はどこを見ても存在せず、登場人物それぞれにそれなりの理由や信条があり、その結果として殺し合い(実際にはモビルスーツ戦ですが)が起こってしまう…まぁ現実ではありがちな展開なのですが、それをドラマとして真っ向から描いてしまうと、ある意味、正義という名の言い訳が無いだけに、やりきれない展開になることもしばしば。
ま、視聴者にこのやりきれなさと厭戦気分を感じさせることがこの作品のテーマなのかもしれません。

ただ、前作より舞台が拡大したゆえに、風呂敷を広げすぎてしまったかな?という感もあり、確かに国のトップと最前線にカメラを据えればそれで戦争を描くことはできますけど、でもそれでは一般国民の視点が抜け落ちてしまっていない?
…などという突っ込みを、ティーン向けアニメに入れてしまうのは大人の反則?そこまでは求めるのはムリかしら?
でも時に優れた人間ドラマなどかいま見せられると、ついそれ以上を期待してしまったりします。

最後に、このHPらしい話で締めましょう。
以前に一度書きましたけど、この番組の製作スタッフにはかなりマニアックな海洋小説ファンがいらっしゃるようです。
地球連邦軍の航宙艦が、ドレイク級、ネルソン級、アガメムノン級だったり。地上部隊の空母の名前がジョン・ポール・ジョーンズ(アメリカ海軍の父)だったり。
オーブ海軍の戦闘準備命令はなぜ「合戦用意」なのでしょうねぇ?
アタマを抱えながらも、このような密かなでマニアックなお遊びを私も楽しみにしておりました。


2005年10月06日(木)