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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
やっと見てきました映画「ローレライ」

ついに、やっと、映画「ローレライ」を見てきました。
ぎりぎりセーフというか、私の見に行った映画館は6日で上映終了。7日以降の東京は、お台場のメディアージュ唯1館での上映となるのではないでしょうか。

よく出来た映画化でした。
あの原作がこうなるわけですね。いえ原作ではないんでしたっけ?
ローレライの映画と原作は最初から別々にスタートした兄弟作品で、基本ストーリーだけは同じでも、全く解釈の違う別の作品ということになっています。最後の結末も少し違いますね。
映画は映画にしか出来ないことを、小説は小説にしか出来ないことを表現していて、よくある「原作つき映画の不満」というものを全く感じませんでした。
生身の人間が演じることで、二次元が三次元になる醍醐味というのを存分に味わわせてもらった…という感じ。
役者さんのちからというのは凄いとつくづく思いました。

一つ意外だったのは、映画になってみたら、これって実は「いわゆる潜水艦映画」ではなかった…ことに気づいたことでした。
これは「潜水艦映画とは何か?」という認識にもよりますが、私の認識では潜水艦映画とは、
1.「眼下の敵」に代表される潜水艦と駆逐艦の音だけを頼りにした駆け引き
2.「Uボート」や「クリムゾン・タイド」などに代表される極限状態における密室閉鎖空間の人間ドラマ
なのですが、2.はともかく、1.を期待して行くとちょっとはずれますね。
ローレライシステム(索敵システム)が優秀すぎて、駆け引きにならない。ゆえにソナーのピン音がしてもあまり切迫感を感じない。

だからこれはあまり潜水艦であることにこだわらず、冒険映画として気軽に見た方が良いと思われます。
艦内の人間ドラマは良く出来ていますが、陸上の司令部でも同時進行で話が動いていて、「Uボート」のように艦内だけで全てが進むわけではありません。
海洋小説ファンは、潜水艦や海戦にあまり期待しすぎないことです。
もっとも、そのような点で敷居を高くしなかったからこそ、この映画ここまで一般にヒットしたのではないかとも思うのです。

マニアな原作を映画として一般化するときに何を取捨選択するか?という点については、この映画は良くできていたのではないでしょうか。
先の2.の点、つまり艦内の人間ドラマをしっかりと描いていましたから。
ここさえしっかりしていてくれたら、テニアン沖の戦闘が多少ご都合主義でも目をつぶる。
(駆逐艦ってあぁいう密集隊形をとるの?とかせめて巡洋艦が立ち往生して通せんぼの原作の方が、とかは…言わない言わない)

でもやはりそれじゃぁ…と反論されます? では考えてみてください。たぶんローレライの逆をやったのがロード・オブ・ザ・リングの「王の帰還」ですよ。
あれは戦闘シーンは物量的に十分でしたけど、その分人間ドラマを切ってしまいましたもの。
あのような形の一般化は私はいやです。一般化するなら戦闘シーンのスペクタクルより人間ドラマをしっかり描いて敷居を低くしてほしい。
人間ドラマというのは、舞台が潜水艦であれ異世界であれ過去であれ未来であれ、唯一誰にも共感できるテーマなのですから。

さてその人間ドラマですが、何といっても役者さんたちの存在感がありました。
原作の登場人物を整理して、展開も単純にした分、演技の「間」や余白に余裕を持たせた。
極限状態の閉鎖空間である潜水艦内は、背景の景色や照明効果が限られる分、ある意味、舞台での芝居に共通した人間(役者)の見せ場があるのではないでしょうか?
セリフやエピソードにない、行間の演技表現が見事でした。特に発令所。

以前にメイキング番組で先任役の柳葉俊郎が、セリフに出ない副長の役割について語っていましたが、いや確かにこの艦、艦長の背後で先任(副長)の指揮系統が動いているのがわかるんですよ。
すごいわ、サプライズ号と同じだわ(これもプリングスの指揮系統が背後で動いているのがわかる細かい演出だった)。
セリフの少ない水雷長や、セリフのない操舵員なども動きに存在感と理由があって。
揺れる艦内での立ち方や癖などは、元海上自衛隊の潜水艦長の方が指導されたそうです。戦闘シーンが多少、荒唐無稽でも、このようなところがしっかりしていれば、それを補って余りあるのではないでしょうか。

それが実写の、それから生身の俳優が演じることのリアリティなのかなぁと思います。
映画のパンフレットで原作者の福井氏は「元来はアニメでしか表現できないと思われていたものを、大人が食べられる普通の皿で出したかった」と答えています。
原作を読んだ時に感じた「ガンダムくささ」を、映画では私は全く感じませんでした。
私はエヴァンゲリオンを見ていなかったので、ごく普通にパウラを見ていて、後で友人から「あの潜水服とチューブがエヴァなのだ」と教えてもらったのですが、映画を見ていた時にはその特異さには全く気づかず、ごく普通に違和感なく受け入れていました。
もともと日本のアニメはストーリーがしっかりしていて、ガンダムなど「スターウォーズ」よりはるかに複雑でリアルな設定とストーリーを持っているのですから、福井氏のめざしているような形での、大人の鑑賞に十分堪える一般化と海外進出もありえるのかもしれません。


2005年05月05日(木)