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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
起爆阻止

ハヤカワ文庫NV3月の新刊に、ダグラス・リーマン「起爆阻止」という1冊があります。
ダグラス・リーマンは、ボライソーシリーズの作者アレクサンダー・ケントの本名、同じ海洋小説でもナポレオン戦争もの以外は本名のリーマン名義で刊行されています。

「起爆阻止」は第二次大戦中の英国海軍機雷処理チーム(敷設と処理を担当)の人間ドラマを描いた作品です。
原題は「Twelve seconds to live:生きるための12秒」12秒とは機雷の起爆装置が作動してから爆発するまでの時間、機雷処理担当者にとっては人生最後の12秒となるかもしれない時間です。
そのような非情な世界を舞台としながら、ダグラス・リーマンの筆が描き出すのは人間の情。
それは「M&C」脚本家ジョン・コーリーが、マダガスカルの石油掘削現場での経験を通して知った「厳しい現場で働く荒っぽい男達が持つ驚くほどの優しさ」に通じるものではないかと思われ、非情な世界ゆえに際だち、胸にこたえるものです。

私は艦内の人間ドラマが読みたくて、海洋小説を読んでいるようなところがありますが、ケント(リーマン)にしても、ラミジ・シリーズのダドリ・ポープにしても、ホーンブロワー・シリーズのC.S.フォレスターにしても、人間ドラマについて言えば近現代のものの方が凝縮されたものを描き出しているかもしれません。

たとえば…、リーマンが「起爆阻止」の前に出版した「輸送船団を死守せよ」(ハヤカワNV1028、2003年1月新刊)。物語の舞台は駆逐艦ハッカ号、1942年の12月。
ハッカ号の副長フェアファックスは、戦死した前艦長から「艦をたのむ」と言い残され、損傷の修理に当たってきた。自分のキャリアから言って、このまま艦長に昇進もあり得るかと考えた矢先に、新たな艦長が着任するとの報を受け失望を隠し得ない。
新艦長マーティノーは、以前の指揮艦を撃沈され、部下の多くを失い、自身も心身に傷を負っていた。
着任したマーティノーは艦長室の引き出しに忘れ去られた前任者の遺品を見つける。それは髪の長い女性の写真だった。
ハッカ号はプリマスに入港しマーティノーは上陸する。士官クラブにいると「ハッカ号の艦長」を尋ねてきた婦人士官が居た。それはあの写真の女性、マーティノーの顔をみると、彼女はすべてを悟ったようだった。「彼、死んだんですね」
このような状況から始まる物語は、一つにはマーティノーがどのようにハッカ号の乗組員たちを一つのチームにまとめあげていくか、また作戦司令室に勤務する写真の女性アン・ローシュがもう一つの軸となって、展開していきます。

第二次大戦ものというのは、日本では、そしてやはり女性にとっては、敷居が高いのではないかと思います。
私の場合も、それまではこのようなジャンルは読んだことがなく、唯一読んだと言えるのは小説ではなくて、学校の課題で読まなければならなかったノンフィクション記録文学、吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」でしたから。戦争小説なんて読むのは不謹慎では…とも考えました。

けれどもリーマンの描きだす人間ドラマは、ケント作品の歴史帆船小説と基本的には同じ、おそらく作者の中でもこの二つは同じものなのだと思います。
ダグラス・リーマン(アレクサンダー・ケント)は1924年生まれ。第二次大戦が始まったのは15才の時、高校卒業と同時に海軍に志願し、21才の中尉で終戦をむかえています。
終戦時に21才ということは、「戦艦大和ノ最期」を書かれた吉田満氏とほぼ同年…ということなのですね。
リーマンの筆は小説の形をとって、当時の忘れ得ぬ人々のことを間接的に伝えているのでしょう。リーマンが歴史小説を書く時に使っているペンネーム、アレクサンダー・ケントは、戦死した候補生時代の友人の名だと聞きました。

もちろん「戦艦大和ノ最期」や「聞けわだつみの声」などの持つ意味と重さは別格、全く別のもので、これらの小説と比較できるようなものではありません。

けれども、リーマンやポープやフォレスター、さらにはニコラス・モンセラットや海洋小説の最高峰と言われるアリステア・マクリーンの描く、明日をも知れない時代を必死に生きた人々の物語は、小説とは言っても十分に胸に痛く、忘れられないシーンが数多くあり、気安くは読めないと知りながら、新刊が出ると必ず、手にとってしまうのです。
それは、面白いと言うことは決して出来ないけれども、忘れることの出来ない本たちです。


2004年04月11日(日)