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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
【未見注意】【未読注意】オブライアンとともに──脚本ジョン・コーリー

【未見注意】【未読注意】映画「マスター・アンド・コマンダー」で脚本を担当したジョン・コーリー氏が、英国の新聞デイリー・テレグラフ紙に昨年11月15日に寄稿した記事です。全文ではなく主要部分のみ訳しています。
原作のストーリーをどのように映画にまとめたかという内容であることから、原作10巻、映画ともにストーリーのねたばれがあります。


It felt as if Patrick O'Brian's ghost was writing with us

アメリカの出版社から、映画監督のピーター・ウィアーに会ってみないかとの電話をもらったのは、シドニー・オリンピックの年、2000年のことだった。
最初に会ったのはシーサイドのカフェ、私たちは二人ともシドニー在住で、その後もたびたびランチをご一緒した。良い友人となったが、仕事をともにする具体的なプロジェクトがあったわけではなかった。

しばらくして監督から電話があった。私が興味を持ちそうなプロジェクトがあるという。パトリック・オブライアンの小説の映画化を手がけるというのだ。
オブライアンは、ナポレオン戦争を舞台にした歴史小説で有名な作家だ。その筆はあちこちに飛び、通常の小説作法、プロットや作劇法に縛られない。世界のあちらこちらを舞台とし、時に脇道にそれて植物学や砲術やロープワーク、開頭手術について詳細に記述する。オブライアンはそれら全てを自らの画布にとりこみ、その上に何百人もの、一度読んだら忘れられないような個性的なキャラクターを登場させるのだ。
そのオブライアンの小説を映画化する…まるで聖書を映画化せよと言われたようなものではないか。
だがピーターは、解決法があると考えていた。1巻に絞って映画化する。他の巻に比べればプロットがまとまっている10巻「The Far Side of the World」を。

オブライアンは、時に細部にこだわり、意図的にプロットに全く関心を割いていないところがあるが、キャラクターの創造にかけては巨匠と言って良い。
二人の主人公、ジャック・オーブリー艦長と、医師スティーブン・マチュリンという、あらゆる面で正反対の二人の友情は、20世紀文学における著名な人間関係の一つと言える。ジャック・オーブリー艦長は何と言っても行動の人であり、直截な物言い、大酒飲み、愛国心があり、職責(軍務)に邁進、戦いを愛している。これに対してドクター・スティーブン・マチュリンは複雑な性格の個人主義者だ。深謀遠慮の人であり、リベラルな人道主義者。博学だがその知識ゆえに自分自身に無力感を抱く。

オーブリーとマチュリンの関係は、数多くのテーマを提示してくれる。職責の概念、愛国心の本質、右派の政治主張と左派の政治主張、次の世代に伝えていかなければならない責任とは何か?
映画化というこのプロジェクトにとりかかるに当たって、ピーターと私はこのようなテーマについて話し合いを重ねた。

だがピーターはたいへん用心深く、ストーリーの根幹を形作る統一テーマを設定するようなことはせずに、まず航海に出てみようじゃないか?と提案した。オブライアンのストーリーをわかりやすく整理してみたら、何かがわかるのではないかという。
「こういう時に、ふつう君ならどうする?」とピーターが尋ねたのを覚えている。何度もアカデミー賞に(そのうちの一度はオリジナル脚本賞に)ノミネートされた人にしては、なんと謙虚なことだろう、と私は驚いた。
ピーターと私の方法は同じものだということがわかった。プロットの主要な要素をリスト化し、手におえる数のシークエンス(一続きの場面。約30〜40シークエンス)にまで整理する。しかる後に、その30〜40のシークエンスを並べ替えて、一つのストーリーラインにまとめあげるのだ。

我々に必要なのはコルクボードとカードと画鋲だった。
映画作りの第一歩は、タイトルカード作りから始まった。「嵐」「砲術訓練」「海の悪霊」「ミセス・ホナーの病」などと言うカードが作成され、コルクボードにピンで留められていった。

一般的な映画は、3つの構成要素から成るものである。1.問題の発生、2.問題の複雑化・発展、3.問題の解決。
原作をこれに即して整理すると、以下のようになる。
1.ジャックが命令を受ける。乗組員の紹介。敵との初戦。
2.敵艦との追撃戦(航海)、その間に艦内の三角関係が乗組員の士気に悪い影響を及ぼし、殺人事件を引き起こす。
そのあと私たちは原作を100ページほど飛ばし、3.に当たるシーンとして、サプライズ号と敵艦がともに嵐に遭遇し、無人島にたどりついた後に、双方の乗組員が対立する場面を選んだ。

この大まかなパターンを幾つかのシークエンスに分類し、各シークエンスを更に幾つかのシーンから構成する。
シドニーの、海からの風をまともに受ける崖の上の監督の家で、私たちは艦尾甲板を歩き回るように言ったり来たりしながら、シーンを創作していった。
その間、情感を盛り上げるために、ピーターは常に音楽を流していた。
ある時は私がジャックでピーターがスティーブンの役、またある時は私がスティーブンでピーターがジャックの役割を演じて、言葉を紡ぎ出していく。

ドラマを創作するという作業は、情感の真実を探り出す作業であり、自身の人生経験を語ることなしにその真実を探し当てることは出来ない。今回の仕事にあたっては、その人生経験がすぐ手の届くところにあった。途上国で医療活動に従事していた私自身の経験は、ドクター・マチュリンを理解する手助けになった。治療法を発見した時の喜びや、対処法がわからぬ時の恐ろしい不安感は、私自身が経験している。
監督として映画スタッフを率いてきたピーターは、ジャック・オーブリーの苦悩をよく理解していた。数多くのスタッフと多額の資金のかかった決断をしなければならない時に感じるプレッシャー。時には周囲からの疑問や反対を押し切ってでも、自分が最善と思う道を選び、それを貫くこと。

午後は私一人で、これにサブテキストを加え、さらにそのシーンのムードや情感をわかりやすくする。翌朝、私がこのテキストを朗読し、ピーターは聞き役にまわり、そのシーンの情感に没入する。文章は人をあざむくことが出来るが、読み上げられた言葉から感情を隠すことは難しく、言葉の流れの不自然さはおのずと明らかになる。
何かおかしなところがあれば、直していく。

このようにして125ページの第一稿が完成した。
だが、全体を通して読み直したピーターは、私に電話をかけてきて、私たちは針路をはずれてしまったのではないか?と言った。

ピーターが指摘した問題点は、第一稿の中心となる三角関係だった。掌砲長とその妻、妻の恋人の三角関係は、オブライアンの原作ではもっともドラマチックな要素となっている。だが彼女を中心とした人間関係は、オーブリー艦長とドクター・マチュリンに直接結びつくものではなく、彼女の存在そのものが艦全体のバランスを崩してしまう。唯一の解決法は、ピーターの言葉を借りれば、彼女を舷側から放り出して再び帆を上げることだ。

そこで我々は再び航海に乗り出し、書き直しの作業にかかった。かつて私たちがオブライアンの原作を整理し、新しいパターンに沿って並べかえたように、私たちが書いた第一稿を見直し整理するのだ。これにはさらに数ヶ月がかかった。
ストーリーラインを単純化すると、オブライアンが創造した途方もないキャラクターたちは息を吹き返したようだった。プロットの皮を剥いていき、本質的要素と考えていたものも捨て去ってみた。観客は最初の戦闘シーンを通じて乗組員と出会う。掌砲長の妻をめぐる三角関係はカット、代わりにジャックとスティーブンの意見の対立が映画の中心となった。
最終的に完成したプロットは、たいへんオブライアンらしいものになったが、オブライアンの原作とは全くかけはなれていた。
私たちはオブライアンのように考え、オブライアンのキャラクターのように話すことを学んだのだ。作者オブライアンが危険を冒し帆の開きを変えた(方針を変更した)ように、我々も針路を変更した。
後になって私は、それが自分たちの書いた脚本なのかオブライアンの書いたものなのかわからなくなってしまった。それはまるで、オブライアンの幽霊が私たちと一緒に脚本を書いているような感じだった。

だがもちろん、オブライアンの幽霊であっても、映画製作会社を納得させなければならない。制作費に合わせて、私たちは幾つかのシーンをカットしなければならなかった。
2002年の初めに脚本は完成し、プロジェクトは私の手を離れた。

その後の脚本の成長に私は立ち会っていない。
2週間前、私は完成作品を初めてこの目にし、まるで長い間行方不明だった子供の卒業式に立ち会っているような感慨に襲われ、思わず涙してしまった。
私たちの脚本に、俳優たちは個性を吹き込んでくれた。
歴史考証を担当したゴードン・ラコは、細部に至るまで当時を再現してくれた。
ウィアー夫人のウェンディ・スタイタスと彼女のスタッフは、塩がこびりついているような19世紀の船乗りたちを見せてくれた。

ポール・ベタニーは、思いやり深い一面を持ちながらも複雑な心理的葛藤に引き裂かれるスティーブンに、血肉を与えてくれた。
ラッセル・クロウはジャック・オーブリー艦長そのものであり、溢れんばかりの熱情で船乗りの生活を愛し、「こんな仲間たちと一緒に大海原に乗り出していくのはきっと素晴らしい体験だろう」と見る者に思わせる。
これは一度見たら、すぐにまたもう一度見たくなる映画だ。あの木造帆船にもう一度乗り込んで、さらにもう2時間半、髪を風になぶられ、塩からい飛沫をあびて、裸足の足の裏にサプライズ号の甲板の感触を感じるために。
オブライアンが存命で、この映画を見ることが出来たら、どれほど良かったことか。


2004年04月04日(日)