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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
【未読注意】【未見注意】脚本家ジョン・コーリーの経歴

【未読注意】【未見注意】ピーター・ウィアー監督と、脚本のジョン・コーリーが、原作10巻をどのように脚色していったかという記事です。原作のどのエピソードがどのように形を変えて映画になったかが、具体的に詳しく書かれています。原作10巻未読の方はご注意ください。

米国メリランド州の地方新聞ボルティモア・サンに、映画公開直後の2003年11月23日に掲載された脚本ジョン・コーリーに関する記事の要約です。

Man of the world wielded a pen for 'Master'

「マスター・アンド・コマンダー」は大人向けのハリウッド大作である。公開第一週の統計では、観客の83%が25才以上という結果が出ている。この映画は、単なるスペクタクル映画ではなく、大人の感性に訴えかける独特の味がある。
これはもちろん、監督ピーター・ウィアーによるものだが、共同脚本にジョン・コーリーを選んだのは、賢明な選択だった。

脚本家としての知名度は高くないが、コーリーは最近の若手脚本家と異なり、映画産業の外での豊富な経験がある。映画の世界しか知らない脚本家の経験は、映画の中にしかなく、以前に何処かの映画で見たシーンを、形を変えて再現しているようなことが多い。
だがジョン・コーリーは、戦争による破壊の跡をその目で実際に見てきた経験がある。「私がそのようなシーンを執筆する時には、想像に頼るのではなく、実際の記憶を再生する作業になるのだ」とコーリーは語っている。

ジョン・コーリーはスコットランドのエジンバラ大学で医学を学び、ケンブリッジ、バース、ブリストルで開業医として働いた後、マダガスカル、ガボン、旧ソ連、ソロモン諸島などの僻地医療に携わった。オーストラリア人の新聞記者である妻とは旧ソ連で出会った。
「私はだんだん最先端の西洋医療にうとくなっていった。医師としての私のテクニックは、ジャングルや孤島などの僻地で役にたつようなものばかりだ。つまり、限られた薬や副木でどうやって即席かつ最前の治療をするかというテクニックさ」

当時の任地、ソロモン諸島での医師の給料が安かったことから、コーリーは英オブザーバー紙にコラムを書くようになり、後にラジオ・ブリストルの電話医療相談にも出演することになった。
また3本のサスペンス小説をあらわし、そのうちの1本「Paper Mask」がTVドラマ化された際には脚本をも執筆した。
子供が生まれたことからコーリー夫妻はオーストラリアに落ち着くことになり、シドニーでコーリーは、フルタイムの脚本家となった。

「マスター・アンド・コマンダー」の脚本執筆にあたって、ウィアーとコーリーは徹底的に原作を読み直した。
彼らは枝葉を落とし、プロットラインを艦対艦の追撃戦に絞り、原作10巻に登場するアマゾネスのような海賊や中絶の犠牲となる女性については映画の中心テーマとなる男同士の友情をぼやけさせるものとして割愛した。
「オブライアンの小説には永遠のテーマと言えるジレンマが存在する」とコーリーは語る。
「何時、戦いを仕掛けるのか? それとも戦わないのか? 犠牲を払うに値するものは何か? 友情の限界とは? 原理原則からどの時点で逸脱するのか?」
結局彼らは、原作とされる10巻だけではなく、全20巻から脚本を作り上げることになった。

キャラクターについても、ウィアーとコーリーは、そのエッセンスを汲み上げることにした。
「原作のスティーブン・マチュリンは常に葛藤のただ中にいる男だ。小柄で、チョッキを着崩し、海の上では全くの素人。だが映画のポール・ベタニーはそうではない。だがポールは、マチュリンの神髄を体言している。彼を導く羅針盤すなわちマチュリン像は、ダーウィンの進化論を予見するような考えを持った敬虔なカトリック信者。だからこそ、彼にとってガラパゴスは、地をゆるがすような重要性をもっており、その上陸をめぐって、なおも戦闘を優先させようとするジャックとの間にいさかいがおこる」

ウィアーとコーリーはまた、この映画をドキュメンタリー仕立てにしようと考えた。映画館を風が吹き抜け、観客が潮の香りを感じるような映画に。そのために「言葉」もまた重要な表現方法の一つだった。現代の我々にはちんぷんかんぷんな戯言や、あまり笑えないジョークを使うか使わないか。ジャックと部下の士官たちは、「lesser weevil(小さい方のコクゾウムシ:字幕では「虫はムシ」)」のジョークに馬鹿笑いするが、ネルソン卿の思い出は感傷的に語る。

ウィアーを巨匠と呼ばしめるものは何か? コーリーによれば、それはウィアーが「各シーンの情感をつかむ」ことにこだわる点だ。
「映画を作るということは、タイプライターの前に座って気のきいた会話を紡ぎ出すことではない。ある女性キャラクターについて(最終的には彼女は脚本から削除されたが)話し合っていた時に、ピーターが言った。『わかった。じゃぁこれから私が君に中絶を依頼するから、君は私のどこが悪いのか、それを私は言葉では言わないが、読み取ってほしい。君が医者で、私は中絶を求める女性、我々はどこかで妥協しなければならない』 それは文章では表現できないものだ。ニュアンスと表情。そして監督としてピーターは、観客が登場人物の表情からその考えが読み取れるような芝居を引き出す。

脚本執筆に際して役に立ったのは、コーリーの医者としての経験だけではなかった。1980年代の後半、コーリーはマダガスカル沖の石油掘削現場に医師として派遣されていた。「石油掘削現場はタフな男たちの世界だ。厳しい自然環境、携帯電話の発明される前は隔絶された世界、そのような中で重機を扱い海底や沼地を掘削する。勤務中は厳しく、作業に没頭しているが、仕事を離れた時には驚くほど優しく仲間思いの連中だ。

「マスター・アンド・コマンダー」でウィアーとコーリーは、この「タフな男社会における男性間の情愛について語ることのタブー」を破ろうとした。この映画に涙した人もいるだろうが、それはおそらく、この映画が男性間の秘めた情愛を呼び起こすものだからだ。男同士が助け合う時、男性のもつ女性的な側面があらわれる。

だがコーリーは、この石油掘削現場で、男同士の絆のもつ残忍な面をも目にした。男たちの間には自然とグループが出来ていき、その雰囲気に合わない者はのけ者にされる。映画では年を取りすぎた候補生が、乗組員たちからヨナと見なされ、「追放」されるのだ。

この候補生、ホラムは、原作を脚色するにあたって最も進化をとげたキャラクターだ。ホラムのキャラクター進化は、脚色にあたってウィアーとコーリーがたどった遍歴を、最も良く現している。
この進化がこの映画を、「当時そのままの」作品へと仕立て上げており、映画から「メロドラマの部分を取り除き、真のドラマ」のみが残る作品としたのだ、とコーリーは考えている。


2004年03月27日(土)