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Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ウィアー監督への質問

アメリカのネットから、ピーター・ウィアー監督へのインタビューページを2カ所ご紹介。

米日刊紙ワシントン・ポストでは、読者からウィアー監督への質問を公募し、質疑応答をこちらに紹介しています。

Q:ドクター・マチュリンのキャスティングにあたって、原作に描かれている彼の身体的特徴を無視した理由は?

Peter Weir(PW):ポール・ベタニーはマチュリンの精神をとらえ表現できる俳優だと信じている。原作にあまりにも忠実であることから生じる危険性を未然にふせぐことは、監督としての責任だと私は考える。同時に、原作の精神を忠実に再現することも監督の責任だ。
原作に忠実にマチュリンをスクリーン上に再現すると、物語が喜劇化する危険性があり、それはジャック・オーブリーの体重を正確に再現した場合にも言えるだろう。

Q:もし監督が、「M&C」の続編を製作することになったら、今度はソフィーやダイアナも登場するのですか?

PW:映画会社はこの作品が成功を収め、続編が作れるようになることを願っている。私自身は続編にこだわるつもりはないが、続けたいとは思う。この映画が新たな原作ファンを拡大し、多くの読者がここに描かれた魅力的な男と女の関係を発見することを望んでいる。
(訳注:ねたバレを防ぐため、この項、意訳してあります。原文を読む方は注意!)

Q:女性の立場でお尋ねします。この映画は男性向けのような前宣伝がなされていますし、ソフィーやダイアナについては全く触れられていないとのことで驚きました。女性にとって、この映画の魅力は何なのでしょう?

PW:この映画には全く女性が登場しない。しかし事前試写(訳註:7月末にオレゴン州ポートランドで行われた最終編集前の特別試写会をさすものと思われる)の結果を見ると、女性も男性と同じように、ジャック、スティーブン、士官と水兵たちの描かれ方に満足していることがわかる。確かに前宣伝はアクションシーンに高い比重が置かれているが、映画会社側はこれから宣伝方法を変えていくと言っている。もちろんこの映画にはアクション以外のテーマ、人間関係やエモーショナルな部分も表現されている。

Q:この映画は歴史考証にこだわったと聞いていますが、監督はそれに成功したとお考えですか?

PW:原作でも細部には最新の注意が払われており、それが物語に迫真性を与えていた。私は映画でも同じようにしなければならないと思った。
私はまず復元船エンデバー号で2回の航海を体験した。ニューサウスウェールズ(オーストラリア)沖の航海で私はフォア・マスト班に入り、最初の晩の真夜中ちょっと前には、命がけでフトック・シュラウド(※訳注1)にしがみつき、フォア・トップをめざしていた。
それから私はグリニッチ(訳注:グリニッチにある英国国立海事博物館と思われる)に旅してコクラン卿(※訳注2)の書簡を見、ビクトリー号でネルソンが撃たれた場所の甲板の板張に手をすべらせ、米国ボストンに現存するコンスティテューション号の最下甲板をはいずりまわった。
歴史考証担当のGordon Laco、ビクトリー号のPeter Goodwin、グリニッチのBrian Laveryからは多くの助言を得た。
※訳注1「フトック・シュラウド」:マストの檣楼(見張り台のようなところ)の外側を登る横静索で、檣楼がオーバーハングする形になるため、この部分を登る時は横静索にぶら下がる形になる。誤って手を放すと背中から甲板に墜落します。おぉこわ。1巻(上)P.158前後を参照されると、マウアット君が親切に説明してくれると思います。
※訳注2「コクラン卿Lord Cochrane 1775-1860」:1800〜1814年に英国海軍で大活躍した第10代ダンドナルド伯爵トーマス・コクランのことと思われる。この時代の様々な小説の主人公のモデルと言われていますが、「事実は小説より奇なり」を証明する波瀾大万丈の人生を送られたお方です。コクラン艦長の大活躍については、英語ですがこちらのページを。

Q:監督のところには今回以前にも「M&C」映画化のオファーがあったとのことですが、以前のオファーを受けなかった理由は、タイミングが悪かったということなのですか?

PW:私が最初にオファーを受けたのは90年代半ばのことで、第1巻を映画化しないか?というものだった。私は1巻を読み直したが、これは映画化しにくいと思った。最初の巻にはあまりにも多くのエピソードが詰め込まれすぎている。
2回目の映画化のオファーは2000年の中頃で、20世紀FOX社のものだった。私は前回と同じように第1巻映画化の難しさを説明し、このシリーズから1作だけを映画化するのなら、シリーズ中盤の一航海をとりあげるのが良いと提案して「The Far Side of the World」を挙げた。
この巻であれば世界が限定され、オブラアンの小説の神髄--ジャックとスティーブンの友情、この時代のフリゲート艦の小さな世界、読者にとっては馴染みの登場人物達--に触れることができる。驚いたことに、FOX社は私の提案に理があると認めてくれた。

Q:「The Far Side of the World」の映画化にあたって、敵役を、1812年のアメリカ海軍フリゲート艦から1805年のフランス私掠船に変更したのは、アメリカの観客への口当たりに配慮したからですか? また敵となるフランス船Acheron号の名前の由来は?

PW:その方がアメリカの観客になじみやすいと考えた。また物語の舞台としても、1812年の英米戦争より1805年の対ナポレオン戦争の方が大規模で有名であることから、舞台を1805年に移すことにした。
Acheronというのは川の名前で、Styx川(※訳注3)の支流だが、オブライアン好みの名前なのではないかと私は考えている。
※訳注3:スティックス(Styx)川というのは、ギリシア神話に登場する冥府に流れる川のこと。ステュクス川とも訳されている。この支流Acheron川はアケロン川とも訳され、地獄の渡し守カロンがいる川として知られている。
ちなみに、アレクサンダー・ケントのボライソーシリーズの13〜14巻に登場する32門フリゲート艦スティクス号(ジョン・ニールの指揮艦)は、本流にあたるスティクス川に由来しています。
さらに、Acheronというフランス艦は、19世紀末には実在するようですね。検索していましたら、hushさんの近代世界艦船事典にたどりつきました。

ワシントン・ポストの記事は以上。


またパトリック・オブライアン・フォーラムにも、試写会でウィアー監督に幾つか質問をしたJim Reilly氏の投稿が、こちらのページに掲載されています。

試写会でウィアー監督と話しをすることが出来た。
私はまず、「映画製作にあたって、このパトリック・オブライアン・フォーラムをどの程度参照したか?」について尋ねた。
驚いたことに、ウィアー監督は、このフォーラムにROM担当スタッフを充て、3年間全ての発言をチェックしていた。担当スタッフは監督に電話帳サイズの報告書と、4ページのチェクリストを提出した。監督はフォーラムに書き込まれたファンの意見や感想を常に意識していた。

監督はこのように話してくれた。「映画でのテーマを明確に表現するために、原作プロットの正確な再現を犠牲にしている部分がある。映画が最終的に狙っているのは、作品全体からエッセンスを捕らえることだ」。
監督が描きたいテーマは、「当時の空気」、「サープライズ号の心(spirit)」、二人の男の「友情」よりは「キャラクター」である。
監督の関心は舞台となる環境(海)の荒漠さにあり、第二次大戦の独潜水艦を舞台にした映画「Das Boot」(ウォルフガング・ペーターゼン監督「Uボート」1981)の描き出す「閉所感」に影響を受けたという。「M&C」ではこの閉所感が、広大な大海原での孤立感として描かれる。監督は、「未知の空間(the ambiance of the unknown)」が、数多くのプロット(エピソード)で壊されることを望まなかった。長期間の航海を舞台にした「The Far Side of the World」を映画化することが、オブライアン世界を忠実に再現することになると監督は考えており、それによって、大きな意味での映画のテーマが明確に表現できると考えている。

監督がラッセル・クロウを主演に選んだ理由としては、クロウ自身がこの映画に興味を示していたこと。大スターの看板がマーケティングに役立つことの他に、ジャック・オーブリーというキャラクターの多面性(戦士であり船乗りであると同時に女好きでもある)を演じるには、クロウのような演技の幅の広い俳優が必要であり、彼であればオーブリーの「ペルソナ」を表現できると考えたからだ。

続編の可能性については、この映画がアメリカだけではなく全世界的にどの程度受け入れられるかによるとのことである。

監督は、当時の砲弾の音を正確に再現したことや、エンデバー号の協力を得たフォークランド沖やホーン岬の映像など、緻密な考証と正確な映像の再現を誇りにしている。
白兵戦のシーンでは、「個々人に独立し結末のあるアクション」を好む殺陣師たちに対して、監督は「結末のない混乱状態のアクション」を求めた。監督は35mmカメラを据えて、混乱状態にきりきり舞いする役者たちの動きを捕らえた。戦闘シーンの細部の再現にあたり監督が参考にしたのはフレデリック・マリアット(※訳注4)の本である。
※訳注4:フレデリック・マリアット(Frederick Marryat 1792-1848)「ピーター・シムプル」(岩波文庫)の作者として知られる英国人作家。1806年に士官候補生として海軍に入り、前述のコクラン卿の艦に乗り組む。1830年フリゲート艦アリアドネ号の艦長時代に最初の小説「The Naval Officer」を発表、退役後は作家となる。
ウィアー監督がどの本を参考にしたのかはわかりませんが、マリアットの海洋小説についてはこちら。またマリアットの生涯についてはこちらをご参照ください。

最後に、試写会を見たJim Reilly氏の個人的なアドバイス:原作は家に置いて、映画館に行き、ありのままの映画を見ること。パトリック・オブライアンが生きていたら、そのような見方を喜んでくれるだろうと私は思う。ワイドスクリーン、サラウンディング・サウンド完備の映画館で見るのがのぞましい映画。

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この二つのインタビューを通して、かなり映画の方向性が明確になってきたような気がします。
しかし…、「Uボート」ですか。

日本語に訳された1〜3巻だけを読んでいると、オブライアンとUボートというのはかけ離れた世界のようにも思えます。アレクサンダー・ケントならUボートでもわかるんだけどね…という意見が出てくるのではないかと。
けれども確かに、オブライアンにもUボート的な作品は存在します。私はまだ9巻までしか読んでいませんが、5巻などはかなりこのパターンに近いと思われます。戦列艦が独航し、艦内のみが舞台となり、逃げ場の無い状況で次から次へと危機に襲われる…。閉塞的な状況における人間ドラマもオブライアンは上手い。
ゆえにウィアー監督のおっしゃることも、わかるような気がしますし、期待して良いのではと思われます。

ちなみに、今週の金曜日の洋画劇場(地上波、日本テレビ読売系)はウォルフガング・ペーターゼン監督の「パーフェクト・ストーム」です。「M&C」の映画評を読んでいると、パーフェクト・ストームの嵐のシーンがよく引き合いに出されるので、見てみようかと思っています。


2003年11月10日(月)