Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
19世紀後半のイギリスとエジプト、スーダン
「サハラに舞う羽根」の舞台は、現在のスーダン。 スーダンとは「黒人たちの土地」を意味するアラビア語「Bilad al-Sudan」に由来し、北のサハラ砂漠と南のコンゴ盆地との間の土地をさします。 その意味ではサハラ砂漠はスーダンにあることになるのですが、この地域は厳密には西スーダン、その一部はフランス領スーダンと呼ばれ、後にイギリス植民地となった東スーダンとは区別されています。 現在のスーダン共和国は東スーダンにあります。 サハラ砂漠を含むフランス領スーダンは、現在のマリ共和国です。
東スーダンの砂漠はヌビア砂漠と言い、現地ロケを行った「四つの羽根」1939年版を見ると、砂漠ではなくて土漠のようです。
この物語の舞台となるのは、映画パンフの解説にもある通り、1881年のマフディーの反乱ですが、これは単なる原住民の反抗ではなく、マフディーはハルトゥームの英スーダン総督府陥落以後11年にわたり、エジプト(英国)の残した官僚的政治支配体制を利用、スーダン人による徴税機構や軍隊を整備し、東スーダンの中央集権的な統合に成功しました。
映画の中にも、トルコ帽をかぶった兵士が登場しますが、これはオスマン・トルコの支配下で半独立国状態だったエジプト軍です。イギリスはエジプトにスーダンを統治させていました。
エジプトは19世紀の半ば、スエズ運河を開削し、紡績工場を建設し、西欧へ留学生を送って近代化をはかろうとしていました。しかし急激な開発近代化はエジプトの国家財政を破綻させ、結局はイギリスの介入(1882年)と植民地化を招いてしまいます。
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エジプトの近代化を推し進めた蕃王の名はイスマイールと言います。不成功に終わったエジプト近代化の話は、日本ではほとんど知られておらず、やはり同時期にタイ(シャム)で近代化政策を行ったチェラロンコーン王も、日本では「王様と私」を通じてしか認識されていません(正確には王様のモデルになったのは、チェラロンコーンの父のモンクット王)。 初めてこれらの話を聞いた時には、ずいぶん驚いた記憶があります。ヨーロッパ以外で近代化に成功したのは日本だけだ…と思いこんでいましたから。
私の場合、高校の世界史は、通例に漏れず時間が足らず、1815年のウィーン会議で踊って終わってしまいましたので、19世紀後半の世界史は、知識にかなりの大穴があいています。
でもこのあたりの事情は、現代の世界史、とくに国際紛争の遠因になっていることが多く、知らないではすまされないことも多々。また、日本が国際化していくについて、アフリカに行く日本人も多いけれども、アフリカから来て日本に暮らしている日本人も決して少なくはなく、またかつて東西スーダン地域の宗主国だったイギリス人、フランス人も日本国内には大勢いるのですから、やはり東スーダンがサハラっていうのは、ちょっとまずいのではないか…と。
私が多少なりともアフリカの知識を持っているのは、青年海外協力隊でアフリカに行っていたり、現地の建設工事現場に駐在していた経験をもつ知人のおかげですが、その関係もあって来週末は東京・日比谷公園の国際協力フェスティバルに「ぜひ来るように!」と勧誘されています。
これはアフリカだけではなく、アジア、南米など世界各地で活躍する国際機関やNGOなどが共催するフェスティバルで、各国の舞踏、音楽、料理などを紹介するコーナーがあったり、NGOが各国の民芸品を即売するバザーがあったりとさまざまです。 去年はナイジェリアの芋料理という不思議なものを食し、スリランカの刺繍のめがねケースを手に入れました。 べつに私、主催者のまわし者じゃないんですけど、一人の旅好き異国好きとして、東京に居ながらエスニック体験のできる貴重な機会として、毎年楽しみにしているイベントです。 楽しみながら、異国の知識も増えますし…。おすすめです。詳細は、こちら。
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今回の参考文献: 山川出版社「アフリカ現代史�供弋氾直刺� 岩波書店「アラブ近現代史」中岡三益
スーダンレポート:http://www.ric21.com/~grplanet/ecostyle/sudan/sudan-index.htm
マフディの戦争:http://www3.kiwi-us.com/~ingle/topix-2/mahdi1.html 専門ライターの方のサイトですが、マフディーの反乱についてはかなり詳しい。 他のページをのぞくと当時の銃などについての記述もあります。
2003年09月28日(日)
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