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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
パトリック・オブライアンを読む方法

パトリック・オブライアンのオーブリー&マチュリン・シリーズの話を、最初に聞いたのはもう10年以上前、BFC(ボライソー・ファンクラブ)関東艦の艦長(会長)からでした。

欧米のオブライアン・ファンには、ランクがあるそうです。シリーズ1〜20巻を読んだだけのファンは候補生、20巻に加えて他2冊のオブライアンの海洋小説を読んでいると海尉、さらにパトリック・オブライアンの伝記まで読んでいると勅任艦長。
このランキングで行くと、1〜20巻のみならずオブライアンの伝記まで原書で読破している関東艦艦長は、グローバルスタンダードでも十分、勅任艦長で通るわけで…尊敬申し上げてます、艦長>。
ちなみに私は今現在、原書8巻の途中ですので(映画の全米公開までに10巻読了は無理そうです)、候補生居住区に入れない下甲板の住人となります。4〜7巻を読破した功で、せめて上級水兵扱い…にしていただけないかしら?

ともあれ、その艦長が昔から「これは本当に面白い!」と折り紙つきで推薦していたのがパトリック・オブライアンでした。というわけで、1993年に徳間書店から第一巻「激闘!地中海」(ハヤカワ文庫の1巻(上)に相当)が出ることになった時には、私は発売日に乗り換え駅の大きな書店まで行って入手しました。
ところが…、

白状します。
2巻の発売日がいつだかわからなかった私は、本屋さんに問い合わせる手間をかけず、そのままコロッとこの本のことを忘れました。再び思い出したのは、2000年に海洋小説関係の掲示板に書き込みをするようになってからで、そこでどなたかが振ったオブライアンの話に「あっ!そういえばすっかり忘れてた!」と、本屋に走りましたが、もはや2巻(現文庫では1巻(下))は絶版で手に入らず、3〜4巻(現文庫の2巻)をやっと古本屋で入手した始末。
やはり…、上級水兵の資格ありませんね、私。逆に鞭打ちかしら。
でも…ほら、既に原作を読まれた方ならおわかりになりますよね? つい下巻をころっと忘れた私の不覚。

先日、初めてオブライアンを読んだ友人が言いました。「まるで『指輪物語』のようだったわ」。そのココロは、1巻(上)がエキサイティングではない。
いや、わかります。先に進めば面白くなるのだけれども、出だしがつまづくんですよね。何がなんでも下巻を読もうという強烈な吸引力がないというか…。
ファンタジーを読み慣れていない方にJ.R.R.トールキンの「指輪物語」を紹介する場合、私は文庫版で言えば2巻から入ることをおすすめしているのですが、オブライアンの場合も…、いやしかし、オブライアンの2巻は冒頭は陸上の恋愛小説(?)ですし、3巻の冒頭はお偉方の会議と昆虫学……こまりましたね。

思うにパトリック・オブライアンの面白さは、海洋小説の中でも上級者向け…というか、既に海洋小説の面白さを知っている人向けなのではないでしょうか? オブライアンには読み口の軽さや、読者をハラハラドキドキさせながら引っ張っていく小説上のテク、と言った技巧がいっさい凝らされていないように思います。その代わりに登場人物や世界が、一見無秩序に見えながら実は広く深くひろがっていき、最後は確かな人間考察にうならされる。

オブライアンは様々な顔を持っており、このシリーズの中にはハラハラドキドキの連続…という巻もあるのです。とくに5巻などは、正当派海洋小説の技巧が満載されていて、緊張感に満ちた空気が全編を貫きます。
…そうなんですよね、だから最初に「5巻を読んでください」と言えると良いのですけれど、あいにくとこれは未翻訳。

そこで考えました。初めての方に「パトリック・オブライアンを読んでいただく法」
海洋小説として読むのなら、まず最初に別作品でその世界に慣れてから、オブライアンの3巻から入る…というのではいかがでしょう?

海洋小説入門となる別作品のおすすめは、
1冊だけ読むのなら、同じくハヤカワ文庫から出ているアレクサンダー・ケントのボライソー4巻「栄光への航海」
軽い読み口でいいから数冊かけて基礎を固めたいのであれば、徳間文庫から出ているデューイ・ラムディン「アラン海へゆく」のシリーズ。
「栄光への航海」はプロットのよく出来た小説だと思います。次がどうなるのかハラハラドキドキ、捕まったら最後まで止められません。テンション高く引っ張って行ってくれます。ただし英国人一般読者向けに書かれいるので、海洋関係のある程度の知識があることを前提にしています。
これに対してアメリカ人のデューイ・ラムディンは、あまり海に詳しくない自国の読者向けにアランのシリーズを書き始めたので、読者は初めて海に出るアランとともに、少しずつこの世界に慣れていくことができます。

ところで、ここまで書いてきたのは、「海洋小説としてのパトリック・オブライアンを読む方法」なのですが、もちろん全く別のアプローチもあると思います。それは海洋冒険小説としてではなく、歴史文芸小説として読む方法。
この場合は2巻から入ることをおすすめします。
オブライアンの小説は「ジェーン・オースティン、チャールズ・ディケンズ、マルセル・プルーストを合わせたようなものである」という評価も受けているのです。
これもオブライアンの持つ顔の一つだと思います。

いずれにせよこのシリーズは実に奥が深く、読むほどに噛むほどに味が出る密度の濃い逸品だと思います。私は海洋冒険小説だと思って読み始めましたが、それだけだと思うと損をします。19世紀初頭に旅をするつもりで、ジャックやスティーブン、ソフィーやダイアナとともに、当時の世界や価値観、人々を存分に味わえるという意味で、これは優れた歴史文芸小説なのではないでしょうか。


2003年09月26日(金)