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2006年01月30日(月) ナンパについての一考察

金曜の夜、ミナミを歩いていたら、向こうからやってくる男性と目が合った。
スーツ姿のサラリーマンで、年は私と同じか少し下かというところ。見知らぬ人である。
よって私はすぐに目をそらそうとした。……のだけれど、あちらが知り合いに会ったときのようなハッとした表情をしたため、すれ違ってから心の中で腕組み。
「はて。以前どこかで会ったかいな?」
サークルの後輩だろうか、派遣でお世話になった会社の同僚かもしれない。いや、それとも……。
歩をゆるめて脳内検索をしていたそのとき。「あの、すみません」と声がかかった。振り返ると、さきほどの男性が立っている。
「わ、やっぱり知ってる人だったんだ。どうしよう、ぜんぜん思い出せない」
焦っていたら、彼が言った。
「突然すみません。あの、もう食事されました?」
「へ?」
「よかったら食事しませんか」
……あ、えーと、それってもしかして。

それがナンパであると気づくまでにかなりの時間を要したのは、あまりにもひさしぶりの体験だったからだ。なんせ直近のそれはスポーツクラブで「エアロビクス、上手だなあっていつも見てたんです」と食事に誘われたときだから、数年ぶりの快挙。
ナンパをされたときの女性の反応には二種類ある。「そんな軽い女じゃないわよ!」と気分を害する人と、「あら、私も捨てたもんじゃないわね」とホクホクする人。で、私は後者。
そりゃあ相手が見るからに遊び人で、「ネーネー、ちょっとそこのオネーサン」なんてふざけた声のかけられ方をしたときは返事もしないが、女性に不自由していそうにない普通のルックスの男性に一対一で、まともな言葉で誘われたときは悪い気はしない。

しかしながら、三十を境にそういう機会が激減した。
というよりほとんど絶滅。三十代になったとたん、夜ひとりで歩いていても透明人間のような扱いをされるようになったのである。
「三十路」「既婚」なんてワッペンをつけて歩いているわけでもないのにどうしてなの……。

* * * * *

ところで、私はナンパに応じたことが一度もない。そういうことをする男性に対する不信感以外にもうひとつ、大きな理由がある。
「お茶しませんか」「食事しませんか」を真に受けてはいけないのだろうという思いがあるためだ。

たとえば今回、「よかったら食事しませんか」の後、
「あ、でもちょっと……」
「素敵な人だなと思って、どうしても話してみたくなって声をかけてしまったんです。もしご迷惑じゃなかったらぜひ」
「あ、はあ……。じゃあ少しくらいなら」 (「あなただから誘ったんです」という一言は効果大)
となっていたとする。
私の想像では、彼は私をレストランではなくおしゃれめの居酒屋に連れて行くだろう。お酒が入ったほうが打ち解けやすいのと適度にワイワイしている店のほうが女性を安心させられるのを考えてのことだが、そのチョイスは正解だ。もしいきなり連れて行かれたのがやたら夜景がきれいだったり、恋人同士の客しかいないようなムーディーな店だったりしたら、私はその用意周到さに引いてしまうに違いない。
で、そこで私たちは互いのプロフィールを当たり障りのない程度に二時間くらい話すのだろう……が、私はこの後の展開についてある疑問を抱く。

「誘い文句が『食事しませんか』だったからといって、本当にごはんだけ食べてサヨウナラということは可能なのか。というより許されるのだろうか」

誘いに乗ったと同時に、ナンパした側とされた側のあいだには暗黙の了解のようなものが生まれるのではないか。つまり、食事であれ飲みであれカラオケであれ、応じた時点で男性に対して「気が合ったらその先もあるかもね」というサインを出したことになってしまうのではないか……と案じるからだ。
巷に存在するナンパは即日か次回以降の決行かはともかくとして、やはり「エッチ」目的であろう。それを知りながらついて行き、ごちそうになった後で「あなた、食事しないかって言ったんじゃない。だからオッケーしたのよ、そんなつもりじゃなかったわ」というのは、ある種のルール違反であるような気がする。
一次会が盛り上がらなかったから“続き”がなかった、ということなら男性もしかたがないと思えるだろうが、はなから女性にその気がなかったと知ったら、「それなら声かけたときに断ってくれよ!」と言いたくなるのではないだろうか。俺はべつにメシを誰かと食いたかったわけじゃないんだ、と。
よって仮に相手がなかなか素敵な男性で、たまたまこちらも暇だったので「お茶くらいならべつにいいけど」とちらと思ったとしても、気を持たせるようなことをしてはいかんなと配慮するわけである。

……という話を某所でしたところ、ある男性日記書きさんがおっしゃった。
「僕の場合は会って即エッチというのは考えない。その日はとりあえずメシとかお酒とか飲んで意気投合できればいい。電話番号を交換するだけでも成功と言えるかもしれません」
純粋に女性との会話を楽しみたい、それが目的、というナンパもあるのか。なるほど、それなら「それ以上のことは望まない」ということを声をかけたときにアピールしたほうがいいかもしれない。
ナンパに応じる女性が少ないのは、私と同じように「ついて行ったらヤレると思われる」が頭にあるためだと思うので、そこのところをはっきりさせてあげれば勝率はぐっとアップするのではないかしらん。「お茶ならオッケー」「ごはんだけなら」という女性を見つけるのはそれほど難しくはなさそうだ。


「僕の彼女はナンパされても完全無視だそうで、彼氏としては嬉しい限り。完全無視だから安心なのと、ナンパされるってことは可愛いってことですからね」
と先の日記書きさん。
ふむ、ついて行かれると困るけれど、恋人がナンパされること自体は男性もまんざらでないわけね。
出張中の夫にメールで「私もまだいけるみたいよ」と自慢……もとい報告したら、「へええ、そりゃすごい。大したもんだ」と返事が来たが、少しは妻を見直したかしら。


2006年01月27日(金) クレームをつける人

立ち読みした『週刊文春』で、林真理子さんのこんなエッセイを読んだ。
オペラを見た帰り道、タクシーを拾おうとしたら思いきり無視された。が、車がすぐそばの信号で引っかかったため走り寄って乗り込み、「どうして停めてくれなかったんですかっ」と文句を言った。運転手はしどろもどろになって言い訳をしたが、怒りはおさまらなかった……という内容だ。

「君は気が強いからそういう嫌な目に遭うんだよ。自分を避けてるタクシーにどうして無理に乗ったりするんだ。一台ぐらいやり過ごせばいいじゃないか」
という林さんの夫の意見はもっともだ。乗り込めば運転手はバツの悪さから黙り込み、自分は彼の顔を見てムカムカし、その空間が気まずい空気に包まれるのは間違いない。
だから、私なら乗らない。「あの客は遠くまで行きそうにないな」とこちらを値踏みし、乗車拒否をしたタクシーの売り上げになど貢献してやるものかという思いもある。
が、一方で、林さんがわざわざそのタクシーに乗り込み、「待ってる私に気づかなかったんですか」と問い詰めずにいられなかった気持ちもよくわかるのだ。私もどちらかと言えば、客の立場にあるときに理不尽な扱いを受けると「どうして自分はそのように扱われたのか」を解明したいと思うほうだ。

先日、書店で若い女性店員にある本を置いているかと尋ねたところ、「Eカウンターで訊いてください」という答え。初めて立ち寄る店で、しかもフロアはかなり広い。どのあたりかとさらに尋ねたら、彼女は数秒間沈黙した後、「……で、私は案内すればいいんですか」。
「ご案内しましょうか」ではなく、「案内すればあなたの気は済みますか」というニュアンスだ。彼女は仏頂面でカウンターから出てきてEカウンターが見えるところまで行くと、無言のまま手で指し示した。
私はしばらくあっけにとられていたが、落ちつくと腹が立ってきた。つい癖で言ってしまった「ありがとう」を取り返したい気分になった。

が、友人は「彼女の名札、チェックしとけばよかったわ」と歯噛みする私に、自分はいままで面と向かって抗議をしたり苦情の電話をかけたりしたことがない、そうしたくなったことは何度もあるがいざとなると気後れしてしまうのだと言う。
ふうむ、そういう人は少なくないかもしれない。
たとえば外で食事をしていて皿の中から髪の毛や虫が出てきても、店員に言わない人はけっこういる。彼女がそれを取り除いて続きを食べていたら「そのくらいどうってことないんだな」と思えるのだけれど、たいていの人はもう箸をつけない。それならどうして取り替えてもらわないの?と私は不思議でならない。
クレームをつけるという行為は言われる側のみならず言う側にとっても嫌なことだし、少々勇気のいることでもある。名前を訊かれたり謝罪に伺うと言われたりするのは面倒だし、万が一にも「ごねている」と思われたらしゃく。だから我慢してしまう……となるのは理解できる。
けれども、「これ、髪の毛入ってたんで交換してください」はそんな大層なことではない。「それは申し訳ございませんでした」「いえいえ」で済む話だ。お金を払うのに損をした気分のまま店を後にするなんてバカバカしいじゃないか。
友人が注文したサラダにドレッシングがかかっていなかった。が、彼女はトッピングの塩昆布の塩味だけで食べ続けようとする。
「店の人に言いなよ」
「ううん、べつにいい。こういう味のものだと思えば」
こういうのには本当に驚いてしまう。

* * * * *

……という話を職場でしたところ、「うちのだんなも店の人になんもよう言わん客やわ」と同僚。
然るべき場面でクレームをつけたり意見をしたりしないだけでなく、「値切る」ということもしないらしい。「電化製品を表示価格で買う人がどこにいるよ?」と彼女が値引き交渉を始めると、いつもどこかに消えてしまうのだそう。
するともうひとりの同僚も、うちもそうだと言いだした。
「ちょっと値の張るものを買うとき、店頭に陳列してあるものじゃなくて在庫の新品を出してきてもらうんやけど、そういうのもぜったい私に言わせるねん」
へええ、彼らはそういうことをみっともない、恥ずかしいと思っているのだろうか。
私の夫とはぜんぜん違う。彼はそのあたりの遠慮や物怖じはしない人だ。

出張先の夫からメールが届いた。
「交渉成立。物損、百万出ることになりました」
去年の秋、彼はオートバイで六甲を走っていて、目の前で転倒したオートバイと衝突した。バイクは廃車になり、レーシングスーツは破れ、彼自身も太腿を内出血で真っ黒にして帰ってきたのだけれど、保険会社から提示されたのは二十万。
たしかに年季の入ったバイクだが、エンジンを積み替えたりあれこれパーツを取り付けたりしてレースにも出ている。その金額ではバイクどころかつなぎを買い替えるのがやっとである。
というわけで粘り強く交渉し、そこまで持っていったらしい。
初回提示の額で引き下がる人ではないとは思っていたが、「ウーン、さすが……」とうなってしまった。


2006年01月25日(水) 女ふたりの温泉旅行(後編)

■こんなはずでは
当たり前といえば当たり前なのであるが、いかに部屋が妄想と一致していようと(前編参照)、「一緒に行く相手」の部分が違うとストーリーはまるで変わってくる。
新聞のテレビ欄を見て、「おっ、今日は九時から『釣りバカ日誌』がある」と言ったら、すかさず「そんなん見いへんでっ」と彼女。
そりゃそうね、ゆっくりごはん食べたいし、お湯のはしごもしなきゃならないし、なにもこんなところに来てまでテレビ見ることないわよね。
と頷きかけたら。
「九時からは土曜ワイド劇場見るで!混浴露天風呂殺人事件、古谷一行と木の実ナナのこのシリーズ、昔から好きでさあ」
結局、夕食の後はふたりでこたつに入りながら、「犯人は川島なお美やな」「でもアリバイあるで」「それはやなあ……」なんて言い合いながら見た。この手のドラマはひさしぶりに見たけれど、露天風呂でのサービスショット(若い女性の胸ポロリ)はいまも健在で笑ってしまった。
ああ、これが旅先のこんな素敵な部屋ですることだろうか。

テレビの後は本日最後のお風呂。プライベート露天風呂はふたりで入るのにちょうどいい大きさだ。
とはいえ。本館の大きな露天風呂には一緒に入ったけれど、相手が彼女では部屋のそれまで一緒に、という気にはならない。私は文庫本を持ち込み、家と変わらないお風呂タイムを過ごしながらつぶやく。
「女同士で泊まるにはもったいない部屋よね……」
そうしたら、寝るとき友人も同じことを言っていた。

そうそう、寝るときと言えば、私はこの夜ほとんど眠れなかったのだ。
理由は彼女のいびき。それがもう、すごい音量なのである。彼女とは何度も一緒に旅行をしているが、いつもこう。
彼女は「おやすみ」を言うと三十秒くらいで寝てしまったが、私は気にすまいと思えば思うほどだめ。「ぐおーがお−ずぴー」とあまりに遠慮がないので、よほど顔の上に座布団を載せてやろうかと思ったが、そんなことをして朝冷たくなっていても困るしなあ……と思いとどまったら、徹夜になってしまった。
男性と泊まって寝かせてもらえないのは望むところだけれど(キャッ)、こんな理由で寝不足になるのはぜんぜん歓迎じゃない。

目をつぶっていたら女性から発せられているとはとても思えない、轟音を聞きながら思う。
寝相が悪いのはまだ愛嬌がある。「しょうがないなあ」なんて苦笑しつつも、彼は愛しげに恋人の飛び出た足に布団をかけてやったりするのだろう。
しかし、いびきというのはどうなんだろう。百年の恋も冷め……とはならないとは思うけれど、初めての夜にこれをやられたら、男性はけっこうショックなのではないだろうか。

■熊野古道
次の日は雲ひとつない快晴。関東は雪がひどいらしいと聞いたが、こちらは風もなく、日の当たるところは暖かくさえある。
荷坂峠の登り口までホテルの車で送ってもらい、フロントでもらった地図を片手に二人でてくてく歩く。この時期なので他に観光客もおらず、道に迷いながら、歌を歌いながらの楽しい散策。
ところで、写真に写っているのは全部ひのき。熊野古道は杉とひのきの林の中にあるのだ。
来月のいま頃はこの美しい石畳の峠道も恐ろしくて近づけない場所になっているだろう……くしゅん!


強制的に旅の思い出に付き合わせてしまいました(スミマセン)。次回から通常営業です。


2006年01月24日(火) 女ふたりの温泉旅行(前編)

週末、友人と三重県の紀伊長島に行ってきた。世界遺産の熊野古道歩きと温泉が目的だ。
今回と次回は旅のシーンのいくつかを切り取ってお届けします。

■道の駅
近鉄松阪駅から送迎車でホテルに向かう途中、道の駅を発見。
横を通り過ぎながら、「道の駅って寄ったことなくて、どういうところか知らんのよ」と友人に言ったところ、運転手さんがじゃあと車を停めてくれた。
なるほど、ドライブインのようなものなのね。「奥伊勢おおだい」には野菜や果物など地元の特産品がたくさん売ってあったのだけれど、その安さにびっくり。寒波の影響で野菜の値段が高騰し、スーパーでも野菜コーナーは素通りしなくてはならないくらいなのに、そこに並んでいる水菜は一束九十円、レタスは一玉百円、きのこは一盛り五百円なのである。
興奮した私は友人にまくしたてる。
「いまレタスもキャベツも一玉四百円すんねんで、それが百円やで、百円!」

が、ひとり暮らしで自炊をしない友人はちっとも感動しない。それどころか、私が腕に抱えているあれやこれやを一瞥して、「安いのはわかったけどさ、旅行の行きがけにそんなもん買ってどうするつもり?」。
水菜とレタスは泣く泣く棚に戻したけれど、イチゴと地玉子はどうしてもあきらめられず、買ってしまった。
でも、イチゴは夕食の後部屋でデザートに食べたらとてもおいしかったし、玉子は家に帰ってからだし巻きを作ろうと殻を割ったら、黄身がいかにも元気のいい色をしていた。もちろんすごくおいしかった。

■イメージ通り
車に揺られて一時間半、ようやくホテルに到着。
携帯を見ると、「圏外」の表示。それもそのはず、「このあたりは“日本のチベット”と呼ばれていて、新聞も配達してもらえないんですよ」と出迎えてくれた女将さん。
さて、今回私たちが予約していたのは本館ではなく、離れの部屋。案内され、私はきゃーと歓声をあげた。「コテージ」だったのだ。
下駄箱のある玄関、ダイニングキッチン、こたつの置かれた広い和室。プチサイズだけれど、れっきとした一軒家である。
が、うれしかったのはそれだけではない。
「そういえばお風呂はどこだろう?」
縁側状の廊下を通って部屋の裏手に回ったら。庭にはり出したテラスのような空間が露天風呂になっていた。
「まああ、これってまさに私がイメージしていた通りの部屋じゃないの……!」

半年前、恋人と温泉旅行をしたことがない私が「彼とこんな部屋に泊まってみたい、あんなことをしてみたい」と妄想して書いたテキストを覚えておいでだろうか。
「部屋は一戸建ての家タイプの離れで、和室にはこたつがあって、山を眺めながら二人で入れる露天風呂がついていて……ウフ」
というようなことを書いたのであるが、その通りの造りだったのである(二〇〇五年八月三十日付「湯けむり劇場」参照)。
宿選びは旅行会社勤めの友人にまかせ、私はタッチしていなかったので、なんたる偶然と驚いた。

■独身者の特権
女ふたりの温泉旅行。お湯に浸かりながらの話題は、やっぱり“こいばな”。
といっても、こちらにはのろけられるようなことも相談したいようなこともないので、もっぱら聞き役だったのだけれど……(ちぇ)。
彼女は目下、片思い中。
「もし告白して失敗したら、同僚としての良好な関係まで壊れてしまうかもしれない。だったらいまのままのほうがいい。ああ、でも……」
といった話をえんえん聞かされたのであるが、ちょうど一年前、長野の扉温泉に行ったときにも私はまったく同じことを聞かされていた。
「よくまあ、そんな長いこと心に秘めていられるねえ」
と感心するやら、あきれるやら。
私にも片思いの経験は何度もあり、中には何年にも及んだものもある。しかし、そのほとんどは「振られちゃったけどやっぱり好きなの」とか「別れてからも忘れられない」とかいうもの。相手に気持ちを伝える前段階の片思いではなく、伝えて玉砕した後の片思いである。堪え性のない私は好きな人を前にそう長く黙ってはいられないのだ。

「向こうから来てくれるの待ってたって時間の無駄やで。うちらみたいな平凡な女は自分からつかみに行かんとチャンスなんか一生めぐってこんよ」
「それはわかってるんやけど……」

この会話も去年したっけ。
恋愛は独身者の特権なんだから、しっかりがんばんなさいよ。で、来年はちょっとは進歩した話を聞かせてちょうだい。 (つづく


2006年01月20日(金) 恋人の過去を知りたいですか

「カレシの元カノの元カレを、知っていますか。」
電車の中吊りのこんな文句が目に留まった。自分の知らないところで知らない誰かとつながっている、エイズ検査を受けましょうと呼びかける公共広告機構の広告であるが、そのキャッチコピーを読み、私は間髪入れず突っ込んだ。
「知ってるわけないやん!」
が、ためしに過去の恋人を一人ずつ思い浮かべ人間関係を遡ってみたところ、あにはからんや二人の男性の「元カノの元カレ」が判明したではないか。
出会いの場が学校だったり職場だったりする場合はけっこうな確率で“ゴール”まで辿り着けるようである。

* * * * *

で、今日は「あなたは恋人の過去を知っていますか」という話。
といっても、「エイズは他人事ではないんですよ」とか「みなさん、コンドームをつけましょうね」ということが言いたいのではない。新しい恋人ができたとき、相手がどんな恋をしてきたか気になるか?という文字通りの意味である。
昼休みに同僚五人に質問したところ、「かなり気になる」が三人、「気にならないといったら嘘になる」が二人という結果。
彼女たちが彼にそれを尋ねる理由として挙げたのは、「どういうタイプが好きなのかとか、彼女たちとはどうしてだめになったのかを今後の参考にする」「過去を含めた彼のすべてを好きになりたい」「何人くらいと付き合ったのか興味がある」というものだったのだが、相手の写真が見たいと言う人までいたので私はすっかり驚いてしまった。

だってそんなことを知ってどうするんだ?
彼が過去の恋人に未練を残しているとかまだつながっている気配があるとかいうことなら探りを入れなくてはならないかもしれないが、そうでないのなら知ることにメリットがあるとは思えない。それによってなにかが生まれるとしたら、嫉妬心や対抗意識くらいのものではないのだろうか。
相手に離婚歴がある場合は別れに至った理由を知っておきたいと私も思う。しかし、恋人関係はその大半が遅かれ早かれ解消される運命にあるのだから、破局の原因を聞いたところでなんの意味もない気がする。出会う前の彼を知りたいということであるなら、私だったら元恋人との日々よりも子どもの頃の話を聞きたい。
相手がどんな恋愛観を持っているかということは彼を好きになる過程で自然に伝わってきているはずだから、私にとってはあらためて経験を訊いて確かめるまでもないことだ。

そんなわけで、私は彼がどんな女性と付き合ってきたのかについてはほとんど興味がない。だから私が「元カノ」を知っているのは、出会った時点で彼が他の女性と付き合っていて、それがたまたま顔見知りだった……というケースだけ。
過去と現在は地続きではあるが、過去は現在の後方にしかない。さまざまな経験をしてきた結果として現在の彼があり、その彼が選んだのが「私」なのである。そう思えば、過去の恋人がどんなだったかなんてまるで気にならないし、知っておく必要があるとも思えない。人は恋愛によってのみ成長するわけではないのだし。
夫とは恋人時代に音信不通になっていた期間がある。彼がやり直したいと言ってきたとき、私は「どうしていなくなったのか」「十ヶ月間どうしていたのか」といったことは尋ねなかった。
他の誰かと付き合っていたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。しかし、一度も連れて来たことのない私の実家まではるばるやってきた(連絡が途絶えていた間に私はマンションを引き払い、実家に戻っていた)という真実以外に“再出発”に必要なものがあるだろうか。


私は自分を選んでくれた男性の「過去の恋人」は気にならない。でも、自分を選んでくれない男性、つまり片思いの相手の「いまの恋人」は気にかかる。
どんな人なんだろう、どこに惹かれたんだろう、彼が選んだのだから魅力的な女性に違いない。綺麗な人なのか、それとも可愛いタイプ?料理は上手なんだろうか、彼をなんと呼んでいるんだろう、なんと呼ばれているの……。
彼の中に彼女の影を見つけるたび、ついそんなことを考えてしまう。
笑顔で相槌を打ちながら胸の痛みに耐える。「かなわないや」という気持ちは少しずつ少しずつふくらんで、私の思いをいまにも押し潰そうとする。


2006年01月18日(水) 私の弱点

手提げカバンから伸びるチョコレート色の毛糸。向かいに座る制服姿の女の子は私の視線にも気づかず、長い編み針を淡々と動かしている。
「彼氏の誕生日が近いのかしら。あ、そうか、バレンタインかもね」
仕事帰りの電車の中で、十五年前にタイムスリップする。
ああ、懐かしい。私も高校生の頃はこうして学校の行き帰りにせっせと編んだものよ……。

というのは真っ赤なうそ。なにを隠そう、私は編み物ができないのである。
と言ったら、たいていの人は「そういうの、嬉々としてやりそうなタイプなのに」と意外そうな顔をする。しかし、私がやったことがあるのは「リリアン」だけだ。
私の母はたいていのことは器用にこなす人だった。しかし中学だったか高校だったかのとき、「編み物だけは教えてあげられないからね」と言い渡された。母もしたことがなかったのである。
だからマフラーやらセーターやらを編めるという人がいると、私は心の中でハハーとひれ伏してしまう。
「やったことないだけで、やりゃあ私にだってできるわよ」と思えればそんなふうにはならないのだが、やってみようという気すら起こらない。休み時間にせっせと編んでいるクラスメイトを見て、「いいなあ、そういう相手がいて」とは思えども、「私も編んでみたい」とは思わなかった。この時点で、彼女が私にはないものを持っていることを認めざるをえない。

大学時代、とても好きな男の子がいた。ある日、講義室で隣り合った彼がおしゃれなセーターを着ていた。
色はアイボリーで、衿のところにくるみボタンが三つ。細身で長身の彼にとてもよく似合っていた。
「まっ、素敵なセーター」
「サンキュ」
会話はこれでは終わらなかった。恋愛事となると私は異様に勘が働くのだ。
「……ねえ、そのセーター」
「ん?」
「もしかして彼女の手編み?」

彼が地元に恋人を置いてきていることは知っていた。彼よりふたつ年上で、中学時代から付き合っていて、スレンダーな美人らしい。それでも私はめげることなく、「そばにいればチャンスはめぐってくるわ」と思っていた。
しかし、彼の「お、ようわかったな」を聞いたときのショックは大きかった。相手がこんな素敵なセーターを編める女性だったなんて……。
私にとってそのことは単にセーターを自分で編めるか編めないかの違いという話ではない。ひと目ひと目こつこつと、それは育むように編まれたものに違いない。編み物には見向きもしないできた自分と彼女とでは内にある細やかさというかしとやかさというか……そう、「女性らしさのようなもの」の差を思い知らされたような気がしたのである。
初めて「かなわない」と思った。私は好きな人にはいつも自分から気持ちを伝えるのだが、彼にはそれができなかった。
そのときの名残か、私は編み物好きの女性に出会うと無条件に「魅力的な人だな」と思うのである。


実を言うと、私がだめなのは編み物だけではない。
主婦にとっての「さしすせそ」は裁縫、しつけ(子育て)、炊事、洗濯、掃除であるが、「しつけ」を除いた四つの中で、私がだんとつで苦手なのは「裁縫」なのである。
中学・高校時代、夏休みの宿題で最後まで残すのは家庭科の課題だったし、手芸用品店に足を踏み入れたことも数えるほどしかない。レベルとしては、一般的な男性の料理の腕(カレーしか作れない)くらいのものではないだろうか。
そりゃあ必要に迫られればボタンをつけたり、スカートの裾上げをしたりはする。が、そうでなければランチョンマットひとつ自分で作ろうとはしない。

同僚が頭を抱えている。今月中に「スモック」を作らなくてはならないらしい。
「子どもが学校行きだすと、これ作ってこい、あれ作ってこいって言われてほんま困るわ……」
彼女も裁縫が大の苦手で、笛のケースと給食袋は同級生のママに頼んで作ってもらい、座布団と手提げカバンは手作り風のものを買ってきたという。しかし、「パパのお古のワイシャツを再利用して作ったスモック」はさすがに人にはお願いできないし、どこの店にも売っていない。
「勘弁してほしいわ、うちらの母親の時代とは違うんやから」
という彼女のぼやきに深く頷く。
母は編み物こそしなかったが、私と妹の服はよく作ってくれた。学校で使うものに名前を刺繍してくれたりもしたし、ドアノブや電話、ティッシュのカバーといった小物も手作りだった。しかしいま既婚の友人たちに訊いても、家にミシンがあるというのはひとりもいない。

親は自分が持っている以上のものを子どもに与えることはできない。
先日テレビで、この頃は漬物や梅干を家で漬けず、店で買うものと思っている主婦が多いとやっていたが、次の世代ではその傾向はさらに強まっているだろう。同じように、いまの子どもたちが大人になったときには「主婦のさしすせそ」の中で裁縫が極端に弱い女性の割合は現在以上に高まっているに違いない。
そういえば、アップリケをした服を着た子どもを長いこと見ていない気がする。いまの若いお母さんは子どものズボンの膝が破れたらどうしているんだろうか。


2006年01月16日(月) メードさんのいる暮らし

出張中の夫からメールが届いた。第二の人生を海外で送りたいと考えている人たちのためのメールマガジンの記事の転送である。
彼はリタイアしたら雪のある国に移住してスキー三昧な暮らしをするという夢を持っており、「六十にもなってから言葉で苦労したり、長年の友人のいない寂しさを味わったりするなんてごめんだわ」な私を洗脳すべく……かどうかは知らないけれど、毎回転送してくるのだ。

さて、今回の内容は「東南アジアの国でのリタイアメント・ライフの勧め」だったのであるが、冒頭にこんな一文を見つけた。
「物価水準の安い国でメードを雇って暮らしてみたいとお考えの奥様も多いことでしょう」
えー、そうかなあ?と首をひねる私。
日本での年金暮らしは大変だから、物価の安い国に移住してゆとりある老後を送りたいと考える人がいるのは理解できる。しかし、メードのいる暮らしに憧れている日本人がそうたくさんいるとは思えない。


四年前、女四人で香港旅行をしたとき、現地ガイドの女性がこの国では夫婦共働きが当たり前で、既婚女性の八割が仕事を持っているという話をしてくれた。
「大人の女性で仕事をしていないのは年配の人か小さな子どもがたくさんいる人くらいのもの。日本の主婦みたいに子どもとテレビの相手をして一日を過ごすということはありません」
と言うので、家事と育児と仕事をこなすなんてこちらの女性はスーパー主婦なんだなあと感心したら、そうではなかった。香港の多くの家庭では月六万円ほどでフィリピン人やインドネシア人の住み込みのメードを雇い、炊事に洗濯、掃除に子どもや老親の世話といった家の中のことをすべてさせているというのである。
香港の女性には専業主婦になって家事や育児をするという考えは毛頭なく、メードにそれらをまかせて自分は外に働きに出るのが一般的なのだそうだ。

「ということは、あなたの家にもメードさんがいるんですか?」
「もちろんよ。いまごろは息子に夕飯を食べさせているでしょう」

私は大いに興味を持ち、旅行中、彼女に“メードのいる暮らし”について質問攻めにした。そうしたらとても面白い話を聞くことができた。
人口密度世界一の香港の住宅事情は劣悪だ。かの地を旅したことがある人は目眩がするような高層マンションが林立している風景を思い出すことだろう。土地がないため、ビルは上へ上へと伸びるしかないのである。そして家賃は東京以上に高い。
そのため、五十平米の2DKに二世代、三世代の家族がひしめきあって暮らしているという状況もめずらしくない。よってメードに個室を与えられない家も少なくなく、ガイドさん宅では子ども部屋で寝てもらっているそうだ。
しかし、夜だけ台所に簡易ベッドを置いたり、家族が寝てから居間のソファを使わせたりしている家もあるとのことで、「うちは決して悪い待遇ではないのだ」と彼女は言い張る。

「でもそれじゃあメードさんにも雇い主にもプライバシーがないですね」
「だから、日曜日には外出してもらうの」

これを聞き、私はそうだったのか!と膝を打った。
大学時代に初めて香港に行ったとき、軽く百人は超えていると思われる大量のフィリピン人女性が広場でシートを広げ、お弁当を食べたりカード遊びをしたりしているのを見て、「なんの集まりなんだ!?」とびっくりしたことがあったのだ。なるほど、週に一度の休日を家でのんびり寝て過ごす……というわけにいかないメードさんがあちこちの家から集まってきて、あの状況になっていたわけである。

この時点で、日本人は少なくとも香港ではメードを雇うことはできないな、と確信した私。
だって、仮にも一緒に暮らす人を台所に寝かせたり、家族団欒するからといって日曜日に家から追い出したりなんてことが私たちにできるだろうか。

* * * * *

赤の他人を家に入れることにはプライバシーの問題以外にもいろいろと不具合があるようだ。
家人の留守中にテレビを見たり、昼寝をしたり、ボーイフレンドやメード仲間を家に呼んだり。もっとひどいメードに当たった家では金品を盗まれたり、子どもを虐待されたりといったことも起こるらしい。
情けをかけると働かなくなるため、厳しく接しなくてはならない。細かく指示を出し、いちいちチェックをする。テレビと私用電話はもちろん禁止。家のすみずみまで知られているので、用心のために彼女が送る手紙の宛先を把握しておかなくてはならないし、届いた手紙も本人に渡す前に内容を確認する必要がある。
話を聞きながら、そういう生活を想像しただけでぐったりとなる。“わが家”でそんな緊張感を強いられるなんて、私にはとても無理だ。いや、仕事場では人を使うことに慣れていても、家でも“ボス”として振る舞うことができ、かつそれを負担に感じない日本人はそういないのではないだろうか。

が、それよりなにより、私が「この先なにかの間違いでそういう社会システムの国に暮らすことがあっても、うちはメードさんなんてぜったい来てもらわない」と思う理由。
それは、家族ではない妙齢の女性が同じ家にいるという気持ちの悪さ。
私ならおちおち出張や旅行にも出かけられないのでは……と思うが、香港の女性はそちらの心配はしないのかしらん。
(これについて尋ねるのはさすがにはばかられた)


2006年01月13日(金) 体罰について(後編)

※ 前編はこちら

「体罰」がごく身近なものだった私の小・中学校時代。
おかげで学校生活は思い出したくもないものになってしまっただろうか。いま私は「当時の先生になんて二度と会いたくない」と思っているだろうか。

そんなことはない。まったくない。
あの頃、先生が私たちに行った教育行為のすべてを肯定するわけではない。給食を残らず食べるまで食器を片付けさせなかったり、テストの答案用紙を点数の高い者順に返したりといったことは一部の子どもたちを無用に傷つけた可能性がある。私自身、与えられた罰に対し、罪との不均衡を感じたこともないではない。先生も人間だから指導や罰し方を誤ったこともあったかもしれない。
しかしそれはそれとして、すっかり大人になったいま思うのは「生徒とはいえ他人の子を見放すことなく、よくあれだけ叱ってくれたものだ」ということだ。

私は教育現場における体罰を許されないものだとは考えていない。肉体的苦痛を伴うという理由だけで、体罰が他の罰よりも子どもにとってつらい、残酷、危険なものであるとは思わないから。
……と言ったら、「体罰は子どもの心を傷つける」とか「体罰では子どもは改心しない」といった声が聞こえてきそうだ。でもそうだろうか。
たとえば反省文を書かされたり、居残りをさせられたり、掃除当番を増やされたりといった体罰でない罰であっても子どもが理不尽に感じ、心に傷を残す可能性はある。叱責や説諭であれば彼を必ず反省に導けるというわけでもない。子どもが先生や学校を嫌いになったり、かえって反抗心を募らせる結果になったりするリスクはどんな種類の罰にも同じように存在するのだ。
「おまえはクラス一のバカだ」「明日から学校に来なくていい」といった言葉でも子どもは心に深い痛手を負うだろう。体罰だから、傷ついたり反省する気になれなかったりするわけではない。
許されないのは、暴言や度を過ぎた指導を含めた「すべての不適切な懲戒」なのである。

体罰は他の罰よりも重い、きついというのはイメージに過ぎない、と私は思う。一時的に肉体に与えられる痛みより、たとえば何かの権利をとりあげられることのほうが子どもにとっては重罰と感じられる場合もあるのではないか。
給食の時間に数人の男子児童が配膳係の女子児童を「おまえが盛ったものなんか食べられない」と言っていじめた。担任は「食べられないなら食べなくてよい」と彼らを叱りつけ、教室の外に出した。これは横浜市の小学校で起こり、子どもの人権を侵害したとして担任教師が非難される形で新聞に載った話であるが、男子児童たちには正座やゲンコツより「給食抜き」のほうが堪えたのではないかと想像する。
私が「子どもにとって体罰がもっとも厳しい罰で、その他の罰が温情的であるとは限らない」と考える根拠のひとつだ。

たしかに、高校生にもなると体罰によって何かをわからせよう、改心させようとしても難しいかもしれない。しかし、中学生くらいまでならそれが効果を発揮する場面は少なくないのではないか。
いまでもはっきり覚えている光景がある。図工の時間に男の子が後ろの壁に向かって彫刻刀でダーツの真似事をしたとき、飛んできた先生は彼の手を強く打った。
彼はちょっとふざけていただけで、誰かを傷つけるつもりなどもちろんなかった。だから他の子どもも笑って見ていた。しかし、パシッという大きな音で彼だけでなくクラス全員がはっとしたのだ。
四年生だったから、話して聞かされれば理解することはできただろう。しかし、それがどんなに危険な行為であるかを思い知らせ、二度と同じことをさせないためには、ただ叱責したり彫刻刀の扱い方をあらためて説明したりするだけより有効だったのは間違いない。

さらに学年が下がると、無邪気に危険なことをしたり悪気なく嘘をついたり誰かをいじめたりした子どもにどんなに「だめ」の理由を説いても、幼いゆえに心から納得させることができない場合もあるだろう。そういうときは「とにかくやっちゃいけないんだ!」と強い態度で示す必要がある。
「体罰ではなく話し合いで」がいつも通用する、どんなときにも最善の策である、とはやはり言えないのではないだろうか。


「愛の鞭といっても所詮は暴力なのだ」と言う人はいるだろう。「だから法律(学校教育法第11条)で禁じられているんじゃないか」と。
しかし、もし体罰イコール暴力であるなら、教員による体罰だけでなく親による体罰も禁止されているはずだ。民法第822条はそれを禁じていない。
盆栽を割ったことをごまかそうとしたカツオが波平に頭をゴツンとやられ、わーんと泣く。このシーンを見て、「暴力だ、虐待だ」と思うだろうか。

一生家族としか関わりを持たずに暮らしていくのであれば、しつけは家庭内でのみ行われればよい。しかし、すべての子どもは近い将来、社会に出て行くのである。彼らが起きている時間の半分以上を過ごす学校に求めるべきものが「勉強を教えること」だけであるはずがない。
社会の常識、ルール、他者へのいたわりといったものを身につけさせようとする中で、先生が親に代わって体罰を与えざるをえない場面が出てくるのはごく自然な成り行きではないだろうか。

当時を思い出し、「遅刻や忘れ物くらいでどうして正座をさせられたり叩かれたりしなくちゃならなかったんだろう?」というふうには私は思わない。「ちゃんとやっておかないと将来困るのはおまえらだぞ」なんて口で言われるだけでは何の効き目もなかっただろうから。
たとえば時間を守ること、与えられた宿題をすること、授業がつまらなくても一時間おとなしく座っていること、日直や掃除当番をさぼらないこと、立場をわきまえた言葉を遣うこと。そうした一見瑣末な事柄を通じて、子どもは我慢や根気、責任感、協調性といった社会生活を営む上で必要な能力を養っていく。
授業に遅れたり学校をズル休みしたりが卒業するまで平気だった生徒は、会社に行くようになっても同じなのではないだろうか。あの頃、「だるい」「面倒」「まあええやん」でやらずに済ませたことが大人になったら自然にできるようになっていた……ということはたぶんないんじゃないか。


2006年01月10日(火) 体罰について(前編)

昨年の暮れ、仲良しの元同僚五人で忘年会をしたときのこと。小学四年生の女の子の母親であるA子さんが「こないだ忘れ物を届けに学校に行ったらさ」と話しはじめた。
時限終了のチャイムが鳴るまでしばらく廊下から授業風景を見ていたのだが、とても驚いた。男の子がふたり、教室内をうろちょろしているのである。
先生の目を盗んで、という感じではない。「見つからないように……」なんてまるで思っていない様子で、堂々と友だちにちょっかいをかけに行ったり、後ろの棚に荷物を取りに行ったり、突然がらっと戸を開けて廊下に顔を出したり。立ち歩かないまでも完全に体を横に向けて座り、後ろの席の子とずっと話をしている子どももいる。彼らがあまりにのびのびしているので、彼女は先生の姿を見つけるまで自習の時間だと思っていたそうだ。
その夜、娘にいつもああなのかと訊くと、そうだとの答え。先生が注意しても五分と経たぬうちにまたうろうろしはじめるし、それどころかチャイムが鳴っても教室に入らない子どももいるという。

「それって学級崩壊ってやつ!?」
という声がどこからともなくあがったが、そこまでひどくはないらしい。
「でも先生は何してるわけ?そんな子はひっぱたいてでも座らせな」
と誰かが言ったら、「いまの先生は子どもにはぜったい手を上げんよ」とB子さん。彼女も小学生の男の子の母親だ。
「そんなことしたら、体罰で保護者に訴えられかねんで」
「だったら外に放り出したったらええねん」
「それもだめ。“教育を受ける権利”の侵害になる」
「えー、自分は他の子の授業を受ける権利を侵害してるのに?」
「義務教育やからなあ……」
ほおおと一同感嘆。
「うちらの時代には考えられへんよなあ。もしそんな子おったら、しばかれてんで」

そこから小・中学校時代にどんな罰を受けたかという話になった。
そうしたら出てくるわ、出てくるわ。学年も出身校も違えど、「あったあった、それむっちゃ痛いんよなあ」「そうそう、私もやられたわ!」と場はかなり盛り上がった。


二十数年前に子どもだった私たちはよからぬことをしでかすたび、さまざまな罰を当たり前に先生から与えられたものだ。
小学生のときは宿題を忘れたり授業中に私語をしたりすると、椅子の上に正座。何度も繰り返す場合は廊下に立たされた。とりわけ厳しかった音楽の先生はまじめに歌っていない子がいると、連帯責任だと言って班のメンバー全員を教室の後ろに立たせた。
給食を残すことも許されなかった。私はドッジボールの場所取りのために一番に食べ終え、校庭に飛び出して行く子どもだったが、牛乳が飲めなかったりニンジンが食べられなかったりする子は昼休みも机に向かっていた。五時間目がはじまっても食器を片付けさせてもらえず、よくべそをかいていたっけ……。

中学に上がると懲罰はぐっとバラエティ豊富になり、体罰と呼ばれるものも加わった。私が通っていたのは目立った非行もいじめもない、偏差値も中くらいのごくふつうの公立校だったが、それでも学校生活においてそれは日常茶飯事に行われた。
どの科目でも宿題や教科書を忘れた生徒は授業の最初に申し出ることになっている。各先生は教卓の脇に並ぶ生徒をそれぞれの持ち技ならぬ、“持ち罰”でお仕置きするのだ。
国語の先生はパーで思いきり背中を叩いた。手形がくっきりついたことから、その罰は「カエデ」と呼ばれた。
英語の女の先生は長い爪で手の甲をほんのちょっぴりつまむと、キュウッとつねりあげた。これをやられると皮がめくれ三、四日は跡が残ったが、常習犯にはさらにスリルのある刑罰が用意されていた。教卓の上に画鋲を並べ、生徒はその上空三十センチくらいのところに手をかざす。先生が上からバシッと叩き、生徒は力を入れて持ち堪えるのである。
数学の先生は「ケツバット」。といっても布団叩きだったのだが、これで生徒のお尻を叩いた。理科の時間には「グリコ」(両こめかみをゲンコツではさんでグリグリされる)で生徒が悲鳴をあげた。
寝ていたら出席簿の角でガツン!とやられ、私語や手紙の交換が見つかるとチョークや黒板消しが飛んできた。部活の顧問にはビンタをされたこともある。

中でも、もしいま生徒にこんなことをしたら大問題になるだろうなと思い出すのは「強制マルコメ」だ。
当時、兵庫県内の公立中学では(もしかしたら「神戸市内」かもしれない)男子は丸坊主と決められていた。よって定期的に頭髪検査がある。先生が頭の上にパーにした手を載せ、指が髪に埋もれたらアウト。つまり、指の厚みより髪が長かったら三日以内に切ってこなくてはならないのだ。
しかし、守らない生徒はやはりいる。彼らは放課後、職員室でバリカンの刑に処された。

* * * * *

ここまでに挙げた罰の大半は「子どもの人権を侵害する」として昨今の学校には存在しないだろう。もしいまこのテキストを十代の人が読んでいたら、「そんなの虐待じゃないか!」「軍国主義の時代の話みたい」とびっくりしたかもしれない。
しかし私が知る限りでは、少なくとも二十年くらい前までこういうことはめずらしい話でも“ひどい”話でもなかったのだ。 (つづく


2006年01月06日(金) 親知らずが抜けない訳

檀ふみさんのエッセイに、歯についての話があった。
昔から歯が悪く、高校生のときに「君は嫁入り前に総入れ歯になる」と歯医者さんに宣告された。毎食後三十分かけて磨くのだが、それでも膿んだり痛んだり。これまでにかかった治療費を合計したら、上等な車が買える------という内容である。
たしかに、歯を治すには時間もさることながらお金がかかる。以前、雑誌でソムリエの方が「ワインの勉強のために胃の中に家を一軒建てました」と言っているのを読んだことがあるが、歯の弱い人が長年保険の利かない治療を続けていたら、口の中に車を買うくらいのことはできるかもしれない。

そんなわけで歯医者さんと縁の切れない檀さんであるが、幸いなことに歯医者さんが大好きなのだという。歯がよくなると思うと、あのキーンという音も治療中の痛みも好ましいものに感じられるそうだ。
が、こういう人はかなりめずらしいだろう。「地震・雷・火事・親父」はひと昔前までの「怖いもの」であるが、現代なら「歯医者」もランクインするのではないかと思うくらい、世の中にはそれに恐怖を感じる人が多い。
放っておけばひどくなる一方なのだと頭ではわかっていても、我慢に我慢を重ね、一日でも行くのを先延ばしにしようとする。大の大人がこれほど堂々と嫌がったり怖がったりする場所は、なかなか他にないのではないだろうか。
かくいう私も長いあいだそうだった。幼稚園の頃に通っていた歯科医院の待合室の壁紙の模様をいまもはっきり覚えている。小さな私はそこに置かれていたぬいぐるみや絵本には目もくれず、自分の番が来るのを恐怖におののきながら待っていたのだろう。

歯医者通いが苦手でなくなったのは、かなり最近のことである。
二年前、突然前歯の一本が激痛に見舞われた。昨日までは冷たいものがちょっとしみるなあというくらいだったのに、今日は唇が載っているだけで痛い。食べることも話すこともできず、近所の歯科医院に飛び込んだところ、それがとてもいい先生だったのだ。
腕の良し悪しが私にわかるわけはないから、「いい」の基準は「優しくて、痛くしない」こと。
もし「どうしてこんなになるまで放っておいたの!」「ちゃんと歯磨きしてるんですか!?」なんて叱られたら萎縮してしまうし、過去には麻酔なしのときに神経を触られたり(あまりの痛さに泣いてしまった)、治療後も疼き続けたり……ということがあった。
しかし、その先生にかかるようになってからはそういうことは一度もないし、治療中にいま口の中でどんな作業をしているのか、次はなにをするのかについて説明してくれるのもありがたい。「ちょっとごろごろと響く感じがすると思いますけど大丈夫ですよ」とか「薬をつけて虫歯が除去できたかどうか調べさせてもらいますね」とか言われると、なんとなく安心できる。
これまでは治療以外のことで歯医者さんに行くなんて考えられなかったが、そこでは歯みがき指導や歯周ポケットの測定検査を受けたり、スケーリング(歯石除去)をしてもらったり。この世でもっとも行きたくない場所のひとつだったのに、ずいぶんな変わりようだ。


ところで、私の右下の親知らず。
虫歯になったことがあるのだが、横倒しになっているため被せることもできないそうで、セメントを詰めている状態である。先日それが取れてしまったので、くだんの先生に「セメントを詰め直すくらいなら、いっそ抜いてしまいたい」と言ったところ、いまひとつ気が進まない様子。
私は、実はこれまで何人かの歯医者さんに抜きたいと伝えたのだが、どの先生にも「いますぐ抜く必要はないと思いますよ」と言われて暗に断られてきたんですよ、という話をした。

「『どうしてもというなら口腔外科に行ってください』って言われたこともあるくらいだから、よほど厄介な生え方をしているんでしょうねえ……」
すると先生は苦笑しながら、「大きな声では言えませんが、歯医者にも得手不得手がありましてね」。
そして、
「僕みたいに“被せ”を専門にやってきたようなのは正直なところ、抜歯はあんまり……なんですよ。とくにこういう親知らずは。でも、口腔外科には歯を抜くのが好きというか、得意な先生が多いんですよね」
とおっしゃった。
そうだったのか!だからどの先生も抜きたがらなかったんだ。

いくら信頼している先生とはいえ、「まあ、うちでも抜けないことはないですが……」ではお願いするのは腰が引ける。かといって、抜歯好きの先生がいっぱいいるという口腔外科に足を踏み入れる勇気もまだない。
そんなわけで、今回も「しばらく様子を見ましょう」になったのだけれど、歯医者さんにこんなにはっきりとした不得手があるというのはちょっと面白い発見だった。


2006年01月05日(木) お正月休みの間にあったこと

あらためて、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
五日が仕事始めという会社が多いようですね。「われ思ふ ゆえに・・・」も今日はウォーミングアップということで、年末年始にあったことをさらっと。

■思い込み
大晦日、実家の母とおせちを作った。私の担当は煮しめだったのだが、味見をすると甘みが足りない。けっこう砂糖入れたつもりなんだけど……と思いつつも、スプーンで山盛り一杯追加。
すると、隣で黒豆を煮ていた母が「へえ、私は煮しめに塩を入れたことないわ」と驚いたように言う。
煮物の味付けは酒、しょうゆ、砂糖、みりんが基本。私も塩など使わない。
「でもいまあんたが入れたの、塩やないの」
「……え」
自宅で使っている調味料入れと実家で使っているそれは同じもの。引き出し式になっていて、私は左に砂糖、右に塩を入れている。が、実家では配置が逆だった。
しかし、私は「左が砂糖」と信じて疑わなかったため、両者の質感の違いも目に留まらず、いまどき漫画の主人公でもやらないような失敗をしてしまったのである。

その夜、お風呂で体を洗った後、ボディソープを棚に戻そうとしてラベルが目に入った。犬のイラストが描いてある。
なんで犬?
「犬用ノミとりシャンプー」
ぎゃ〜〜!!
洗いながら、めずらしい香りだなあとは思った。なんだか草みたいな匂いだったのだ。しかし、私はその水色のポンプ容器を「クールビオレu」だと思い込んでいたため、中身を確かめるということをしなかった。
おかげで二日間もこれで体を洗ってしまった。悪い虫なんかついてないのに。

■夢の舞台
年始にやっていた番組で、小学生の三十人三十一脚競走の全国大会をやっていた。
「日本一になる」という夢に向かって一生懸命な子どもたちの姿にほろり。こういう経験は思い出以上のものを彼らに残すに違いない。

箱根駅伝。アナウンサーが何度も口にしていたように、まさに「夢の舞台」。そこでトップを独走していた順天堂大学に起きたアクシデント。
八区の選手が脱水症状を起こして意識朦朧となり、右に左に蛇行しながら、それでもゴールを目指すのを見て、ロス五輪のアンデルセン選手を思い出した。
ご両親はいまこの場面をどんな気持ちで見ているだろうと思ったら、さらに涙。

■唖然
夫の実家で、ひさしぶりに会った義弟の奥さんにいきなり言われた。
「小町ちゃんとこ、だいじょうぶなの?」
質問の意味がわからない。だいじょうぶとはなんのことかと訊き返したら、「夫婦仲」のことだった。
「結婚してけっこうたつのに子どもの話も聞かないし、○○君、しょっちゅうこっちに帰ってきてるでしょう。もしかしたらと思って」
その後は、
「(子どもが)できないってわけじゃないんでしょう?」
「ほら、私の姉が離婚してるでしょう。だから結婚だけが女の幸せじゃないっていうのはわかるんだよね。あ、べつに離婚をすすめるわけじゃないけど」
と続いた。

仮にもっとはっきりした根拠があって、本気で心配していたとしても、だ。年に数度しか顔を合わせず、腹を割って話せる仲でもない人に面と向かって訊くようなことだろうか。いくら身内でも、相談されたわけでもないのに子どもがどうの離婚がこうのなんて話をしたら失礼ではないかしら……というふうには考えないのだろうか。
私は問いの突拍子のなさ以上にそのことに驚いた。ちょっと信じられない。


というわけで、二〇〇六年が始まりました。いい一年にできるようお互いがんばりましょう!


2006年01月02日(月) 新年のごあいさつ

新年あけましておめでとうございます。小町です。
お正月休みをいかがお過ごしでしょうか。私は暮れから自分の実家に帰省して、のんびりしています。

さて、戌年の今年は例年のようにイラストではなく、愛犬の写真で作った年賀状がとても多い。
子ども年賀状を嫌う人は少なくないが、そういう人たちもこのペット年賀状には目くじらを立てないのではないだろうか。と思うくらい、どの家の犬もとてもかわいい。
「ゴールデンはかわいいわあ」
「いやあ、でもやっぱ柴が一番やなあ!」
なんて一枚一枚コメントしながら見ていたら、私も猛烈に親ばかがやりたくなってきた。
なにを隠そう、わが実家にもそれはそれはかわいらしいのがいるのである(……ということは私は“姉ばか”になるのか)。

で、本当に作っちゃった。いまさら誰に出すわけでもないのに。




あ、あかん……か、かわいすぎ……(日記書く気喪失)。

なにはともあれ、二〇〇六年もどうぞよろしくお願いいたします。