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2006年01月10日(火) 体罰について(前編)

昨年の暮れ、仲良しの元同僚五人で忘年会をしたときのこと。小学四年生の女の子の母親であるA子さんが「こないだ忘れ物を届けに学校に行ったらさ」と話しはじめた。
時限終了のチャイムが鳴るまでしばらく廊下から授業風景を見ていたのだが、とても驚いた。男の子がふたり、教室内をうろちょろしているのである。
先生の目を盗んで、という感じではない。「見つからないように……」なんてまるで思っていない様子で、堂々と友だちにちょっかいをかけに行ったり、後ろの棚に荷物を取りに行ったり、突然がらっと戸を開けて廊下に顔を出したり。立ち歩かないまでも完全に体を横に向けて座り、後ろの席の子とずっと話をしている子どももいる。彼らがあまりにのびのびしているので、彼女は先生の姿を見つけるまで自習の時間だと思っていたそうだ。
その夜、娘にいつもああなのかと訊くと、そうだとの答え。先生が注意しても五分と経たぬうちにまたうろうろしはじめるし、それどころかチャイムが鳴っても教室に入らない子どももいるという。

「それって学級崩壊ってやつ!?」
という声がどこからともなくあがったが、そこまでひどくはないらしい。
「でも先生は何してるわけ?そんな子はひっぱたいてでも座らせな」
と誰かが言ったら、「いまの先生は子どもにはぜったい手を上げんよ」とB子さん。彼女も小学生の男の子の母親だ。
「そんなことしたら、体罰で保護者に訴えられかねんで」
「だったら外に放り出したったらええねん」
「それもだめ。“教育を受ける権利”の侵害になる」
「えー、自分は他の子の授業を受ける権利を侵害してるのに?」
「義務教育やからなあ……」
ほおおと一同感嘆。
「うちらの時代には考えられへんよなあ。もしそんな子おったら、しばかれてんで」

そこから小・中学校時代にどんな罰を受けたかという話になった。
そうしたら出てくるわ、出てくるわ。学年も出身校も違えど、「あったあった、それむっちゃ痛いんよなあ」「そうそう、私もやられたわ!」と場はかなり盛り上がった。


二十数年前に子どもだった私たちはよからぬことをしでかすたび、さまざまな罰を当たり前に先生から与えられたものだ。
小学生のときは宿題を忘れたり授業中に私語をしたりすると、椅子の上に正座。何度も繰り返す場合は廊下に立たされた。とりわけ厳しかった音楽の先生はまじめに歌っていない子がいると、連帯責任だと言って班のメンバー全員を教室の後ろに立たせた。
給食を残すことも許されなかった。私はドッジボールの場所取りのために一番に食べ終え、校庭に飛び出して行く子どもだったが、牛乳が飲めなかったりニンジンが食べられなかったりする子は昼休みも机に向かっていた。五時間目がはじまっても食器を片付けさせてもらえず、よくべそをかいていたっけ……。

中学に上がると懲罰はぐっとバラエティ豊富になり、体罰と呼ばれるものも加わった。私が通っていたのは目立った非行もいじめもない、偏差値も中くらいのごくふつうの公立校だったが、それでも学校生活においてそれは日常茶飯事に行われた。
どの科目でも宿題や教科書を忘れた生徒は授業の最初に申し出ることになっている。各先生は教卓の脇に並ぶ生徒をそれぞれの持ち技ならぬ、“持ち罰”でお仕置きするのだ。
国語の先生はパーで思いきり背中を叩いた。手形がくっきりついたことから、その罰は「カエデ」と呼ばれた。
英語の女の先生は長い爪で手の甲をほんのちょっぴりつまむと、キュウッとつねりあげた。これをやられると皮がめくれ三、四日は跡が残ったが、常習犯にはさらにスリルのある刑罰が用意されていた。教卓の上に画鋲を並べ、生徒はその上空三十センチくらいのところに手をかざす。先生が上からバシッと叩き、生徒は力を入れて持ち堪えるのである。
数学の先生は「ケツバット」。といっても布団叩きだったのだが、これで生徒のお尻を叩いた。理科の時間には「グリコ」(両こめかみをゲンコツではさんでグリグリされる)で生徒が悲鳴をあげた。
寝ていたら出席簿の角でガツン!とやられ、私語や手紙の交換が見つかるとチョークや黒板消しが飛んできた。部活の顧問にはビンタをされたこともある。

中でも、もしいま生徒にこんなことをしたら大問題になるだろうなと思い出すのは「強制マルコメ」だ。
当時、兵庫県内の公立中学では(もしかしたら「神戸市内」かもしれない)男子は丸坊主と決められていた。よって定期的に頭髪検査がある。先生が頭の上にパーにした手を載せ、指が髪に埋もれたらアウト。つまり、指の厚みより髪が長かったら三日以内に切ってこなくてはならないのだ。
しかし、守らない生徒はやはりいる。彼らは放課後、職員室でバリカンの刑に処された。

* * * * *

ここまでに挙げた罰の大半は「子どもの人権を侵害する」として昨今の学校には存在しないだろう。もしいまこのテキストを十代の人が読んでいたら、「そんなの虐待じゃないか!」「軍国主義の時代の話みたい」とびっくりしたかもしれない。
しかし私が知る限りでは、少なくとも二十年くらい前までこういうことはめずらしい話でも“ひどい”話でもなかったのだ。 (つづく