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2005年12月30日(金) 2005年 web日記関連10大ニュース<下半期>

※ 上半期分はこちら

【6】 絵ハガキ企画第五弾「ラブレター・フロム・ドイツ」 《8月》

年に一度のこの企画ももう五回目。オーストラリア、中国、北欧、スイス、そして今年のドイツ。全部制覇してくださっている方もいらして感謝!
「大変じゃないですか?」とよく言われるけれど、心配ご無用。送る相手がいなければ自分宛てに書く私である。旅行中は日記を更新できない分、なにか書きたくてしかたがない。で、今回も毎日寝る前に五通ずつ、四十人の方に書かせていただきました。
帰国する機内でメールをチェックしたら(帰りの飛行機にネット環境があるというのは、機内食で蕎麦や寿司が出るより何倍もうれしい) 、早い時期に投函した方からもう届いたと報告が入っていてびっくり。中国から送ったときは二週間かかったのもあったのに。
どこの国から送るときも「届かなかったら……」は心配になるので、できるだけホテルのフロントには預けず、途中で見つけた郵便ポストに投函するようにしています。


【7】 トップページ50万ヒット達成 《9月》

のべ五十万人ってどのくらい?えーと、甲子園球場を満席にしたとしてちょうど十杯分。
……と言われてもちっともピンとこないけど、例のデータによると(なんだそれ?という方は後述の「私事で恐縮ですが」をご参照あれ)五年前の今日の来訪者は8人。そうか、そこからてくてく歩いてここまできたんだなあと思うと、感慨深いものがあります。
本当にありがとうございます。


【8】 出版相談会に行く 《9月》
(2005/9/26付 「出版社に行ってきた」 参照)

事の顛末はログを読んでいただくとして、話を聞きに行ってよかったなあと思ったのは、そのとき置いて帰った原稿が審査会議にかけられ、数週間後にその結果が届いたときでした。
「作品の表現力、時代性、オリジナリティ、完成度、芸術性、本になった場合の公共性、読者獲得の可能性等を評価させていただきました」
ということで、その内容が便箋五枚にびっしり。
「あなたの文章の強みはここで、ウィークポイントはここ。ターゲットになるのはこの年代のこういう人たちで、彼らを取り込むには……」
「日々のつれづれ日記に終わらせないためには……」
といったようなことがずばり書かれてある。出版するしないは関係なく、これがむちゃくちゃ勉強になった。
また、なるほどなあと頷くアドバイスもあれば、ええええ?と驚くような分析もあり(たとえば、文章の特徴として「コミカルでかわいらしい文体」とあった)、プロの目にどう映ったかを知るのも純粋に面白かった。
このレポートをもらえただけで、出向いた価値は十分ありました。


【9】 サイト開設五周年 《11月》
(2005/11/21付 「私事で恐縮ですが」 参照)

サイトを続けるために必要なのは根気だけじゃない。むしろ更新作業に充てる時間と体力の確保のほうが、意思ではどうしようもないだけにずっとむずかしいと感じている。
就職したり結婚したり出産したり離婚したり……でひとりふたりと去っていく。私が日記を書きはじめた頃、リンク集で目立っていたサイトのほとんどがもうない。これも世代交代というのだろうか。あの頃、有名だった日記書きさんたちはいまどうしているんだろう?
私が今日まで書き続けてこられたのは、自分や家族が無病息災で家庭内に大きな波瀾もなく、安定した日々だったから。来年もここにいられますように。


【10】 日記の書籍化 《12月》
(2005/12/19付 「日記を本に。」 参照)

「きゅるる」というブログのサービスを利用し、過去に更新したテキストから九十一話を選んで一冊の本に。
上記の日記を書いたとき、「私も本にしてますよ」という方が何人かいらっしゃったのだけれど、やはりそういうリクエストが多いのだろう、いまあちこちのブログで書籍化のサービスを提供していますね(……とわかったような口をききましたが、実はつい最近まで知らなかった。だって「エンピツ」にはそういうサービスないんだもん)。
本という形になると、モニター上で読むのとはまた雰囲気が違って面白い。「あ、ここの表現おかしい」とか「この部分は削ったほうがいいな」とか更新前に下書きを推敲している気分になって、ふつうの本のようにスムーズに読み進められないのが難点であるが(いい加減あきらめろ、と自分に言いたい)、本棚に並べていると悪くない気分。
えー、正直言うと、うれしいです。


……と一年の振り返りが終わったところで。うちはこれが今年最後の更新になるので、ごあいさつを。
今年一年、大変お世話になりました。来年もたくさんの人といいお付き合いができることを願ってます。

今日あたりから実家に帰省という方も多いでしょうね。ものすごく寒い年末年始になるようですが、風邪など引かず楽しくお過ごしください。
みなさま、よいお年を。


2005年12月28日(水) 2005年 web日記関連10大ニュース<上半期>

先日、読売新聞に「2005年 読者が選んだ日本10大ニュース」という記事が載っていた。
一位はJR福知山線の脱線事故、二位は愛知万博、三位は紀宮さまご結婚……という具合に、今年起きた印象的な出来事トップテンが発表されていたのであるが、それを読みながら、「お。いい企画見っけ」。
よし、私も自分のプライベートで10大ニュースをやってみよう!

……と思ったのだけれど。
かなしいかな、十個も見つからない。いや、あるにはあるのだが、上位にくるいくつかの出来事はここに書けるようなことではないし、となると片手で間に合う分くらいしかリストアップできず。

というわけで、「2005年 自分で選んだweb日記関連10大ニュース」をやってみた。これなら書けない話はないもんね。順位をつけるのはむずかしかったので、時期の早いものから並べている。
本日は上半期の分の発表です。興味のある項目がありましたら、ぜひ当時のログもご覧ください。


【1】 レンタル日記「エンピツ」にサイト引越し 《1月》

調子の悪いホームページビルダーに見切りをつけ、「エンピツ」にスペースを借りて書くことに。
そうしたら、最新日記を更新する際にトップにあるテキストを自分で過去ログに移動させる必要がない便利さに感動。移す前にうっかり上書きしてしまい、テキストの復元に四苦八苦する……そんな日々ともおさらばよ!(何回かやりました)
そしてもうひとつすばらしい点は、自宅以外の場所からも更新作業が可能なこと。
「なにもよそ行ったときまで書かんでええやん」とずっと思ってきたのだけれど、できるようになるとうれしいものなんですねえ。今年は沖縄のホテルやドイツから帰国する飛行機の中から更新しました。お正月も実家からごあいさつすると思います。


【2】 ソーシャルネットワーキングサービス「mixi」に入会 《2月》
(2005/2/9付 「私とお友達になって!」 参照)

突然、会員制の友達リンクサイト「mixi」に入りたくなり、ここで「どなたか招待状ギブミー!」と大騒ぎ。心優しい方から送っていただきました。
「未知の人と知り合い、友人の輪を広げる」がSNSの目的であるが、私の場合は既知の人(このサイトでお付き合いのある人)との交流の場として利用。
……するつもりだったのだけれど、こちらまでなかなか手が回らない!マイミクさん(登録しているお友達)の日記を読みに行くばかりで、自分の日記はさぼりまくっているという体たらく。日記を複数書いている人ってほんとすごいですねえ。
それでも、たまに書くときはこちらではしないようなこと(バトンとかオトナな話とかテキスト更新後の後日談とか)をしてみたりして楽しかった。来年はもう少し更新頻度を上げたいものだ。


【3】 「夕食のおかず」についてのテキストで過去最高の被リンク数をマーク 《2月》
(2005/2/18付 「それは夕食のおかずになるか」 参照)

“隣りのごはん事情”に多くの方が関心を寄せてくださり、六十を超えるサイトから文中リンクしていただいた(ただし半分は個人ニュースサイトからだったが)。
「お好み焼きを夕食に食べる」という人は東西問わず、けっこういた。言われてみれば肉も野菜もたっぷりでボリュームもあるものね。
「おでんはおかずじゃない」という人も想像以上に多かった。食堂には「おでん定食」あるやんっと言いたいところだけれど、呑ん兵衛でない私にはわからない感覚があるのかもしれない。
コロッケについては、「立派な夕食。なにがだめなのかわからない」という人と「ミンチカツとか海老フライとかがつかないとちょっと……」という人にぱっくり。割合では前者のほうが多かったけれど、後者は「メインはやっぱり肉か魚でなくっちゃ。イモでは弱い」ということなのだろうか。
その他、スパゲティをおかずにごはんを食べるとか「おでん、コロッケ、ごちそうじゃないか!俺なんかいつもカップ麺かスナック菓子だぞ」といったようなびっくりな食生活をしておられる独身貴族な男性もいらっしゃいました。


【4】 日記書きの友人と飲み会 《3月》
(2005/3/28付 「スケベ格付け」 参照)

仲良しの女性日記書きさん三人と再会、オトナな話で盛り上がる。えー、その、みなさんすごいですな。いやいや、勉強になりました。私も精進せねば、と思わされましたよ。
精力的にオフ会を企画したり参加したりしていた二年前と比べ、初めましての人に会う気力、体力がめっきり減退してしまった今日この頃(年かしら……)。その分、すでに気心の知れている人と回数を重ねる会い方をするようになった。定期的にごはんを食べたりお茶を飲んだりで、もう十回くらい会っている人もいたり。
関西にそういう日記書きさんが何人かいてくれるのは幸せなことです。


【5】 「和式トイレ」に関するアンケート実施 《5月》

(2005/5/25付 「『和式トイレのレバー問題』アンケート結果発表」
参照)

“隣りのトイレ事情”に多くの方が関心を寄せてくださり……ってそんなものありませんが、「和式トイレのレバーをどうやって押すか」アンケートが好評で、結果発表のテキストで過去最高のアクセス数を記録。
「個室内の常識の違い」には目から鱗が落ちましたが、読み手の方にとってもなかなかショッキングな内容だったようです。こういう機会でもなければ、他の人がどうしているかなんて(かなり笑えるものもありました)一生知ることがなかっただろうと思います。
これまでに実施した中で、集計作業がもっとも楽しかったアンケート。いいテーマを見つけたら、来年もぜひやりたいです。


ああ、そういうこともあったねえ、と覚えておられる項目もあったでしょうか(だとうれしいなあ)。下半期の分もぜひ見てね(こちら)。


2005年12月26日(月) チャイムが鳴るとあたふたする理由

二十三日のクリスマスイブイブの日、独身の友人が泊まりがけで遊びにきた。「ひとりで過ごすのはいやっ!」と泣きつかれ、わが家で鍋パーティーをすることになったのだ。

さて当日、もうすぐ家を出るところという彼女から携帯にメールが入った。
「悪いけどスウェット貸してね。持って行くの重いので」
とある。スウェット?ああ、寝るときに着るのね。そうよね、いくら友人の夫とはいえ、恋人でもない男性にパジャマ姿は見せられないものね。
しかし、あいにく私はそれを持っていない。すると、「じゃあジャージでいいわ」と彼女。
えっ、ジャージって……テツandトモ(古いか)のあれ!?
いぶかしく思いつつ「なおさら持ってません」と送ると、返ってきたメールには「じゃあ持って行きます」に続いてこうあった。
「家でいったいなに着てるの?」

* * * * *

一時間ほどしてやってきた彼女とお茶を飲みながら、先程の会話の続きをする。
「なにを着てるのかって、それはこっちのセリフやわ。スウェットはともかく、家にジャージなんかあるわけないでしょ」
「なんで?私、家ではジャージかスウェットやけど」
「えっ、なんでジャージなんか着るん」
「なんでってふつうに着るやん、部屋着として」
「着いへんわ!あんたは体育教師かっ」

友人はひとり暮らしだから家の中で着るものにこだわる必要がないのはわかるのだが、だからってなにゆえジャージなんだ。そんなにハードに家事をするわけでなし、そこまで動きやすさや吸汗性を追求しなくても……え、べつにそれを求めてのジャージではない?
ではなんでまた。だってスウェットよりさらにかっこ悪いじゃないか。

……とここでふと思い出したのは、数日前に読売新聞監修の「発言小町」の中に見つけた、「スウェットでどこまで外出できますか?」というトピック。投稿主はスーパー勤務の女性で、
「上下スウェットで買い物に来ている女性客をよく見かけますが、恥ずかしくないのでしょうか。私は深夜の自販機、マクドナルドのドライブスルーまでなら行けるけど、それ以上は無理です」
という内容だったのであるが、ついたコメントの大半が「スウェットは家の中だけ」というもの(こちら)。たとえ家の目の前のゴミステーションでもマンション一階の自販機でも、玄関から一歩でも出るときは必ず着替える、宅配便が届いたり回覧版が回ってきたりしたら大慌てでジーンズに履き替える、という人が多かった。
「他人に見せられない」度合いはほとんどパジャマと同等のようである。
しかしながら、コンビニやスポーツジムくらいなら平気だという人も少数派ながらいたので、私は念のため友人に尋ねてみた。

「郵便物を取りに行ったりゴミを捨てに行ったりするときにいちいち着替えるのって面倒じゃない?」
「着替えへんもん」
「じゃあその格好で近所に買い物行ったりもするん?」
「スーパーには行かんけど、夜中にコンビニとかレンタルビデオ返しにとかは行くよ」

ひゃあ、スウェットで外出できる人がこんな身近にもいた!
が、私は動揺しつつももうひとつ確認する。

「ちなみにそのスウェットってどんなの?」

スウェットはスウェットでも、海外のセレブが普段着として愛用しているというジューシークチュールのスウェット(上下セットで五万円也)なんかもある。
友人が着ているのが、丸首で足元がすぼまった“グレースウェット”とは限らない。もしかしたら浜崎あゆみさんや神田うのさんが着ている、ウエストを絞り込んだ丈の短いパーカーにローライズでブーツカットのパンツ……というおしゃれスウェットかもしれないではないか。
が、彼女はすまして答えた。
「どんなのって……ふつうのトレーナーとズボンやけど?」


えらそうなことを言えるような立派なものを着ているわけではないけれど、私はスウェット(おしゃれスウェットでないやつね)を部屋着にするのにはかなり抵抗がある。
楽ちんなのは私も大歓迎だが、チャイムが鳴ったら猛ダッシュで着替えなくてはならないような格好というのは、さすがにかまわなさすぎなのではないだろうか。そして、もし近所でスウェットを着て歩いている隣人に出会ったら、彼女がその姿を他人に見られてもかまわないと思っているという点に私はさらに驚く。
上下スウェットでスーパーに行くか、スッピンで電車に乗るか。どちらかをやらねば火であぶると言われたら、私はどちらを選ぶだろう。

……という私も実は、夏場はチャイムの音にあたふたするのだけれど。
わが家にはクーラーというものがないため、これ以上は無理!というところまで薄着にならざるをえない。
よって、私はキャミ一枚(もちろん下着のキャミソールではない)。で、私は家ではブラをしない人。
なので、「ハーイ」とインターフォンに出てから大慌てで上を羽織る、間に合わないときはエプロンをひっかけて玄関に走ることになる。
毎夏のことながら、これ、けっこうなスリルです。


2005年12月23日(金) どんな恋も、いずれは。

大学生の頃、友人カップルに憧れていた。
互いにバイトやサークル活動に忙しく、始終べったりということはなかったが、一緒にいる時間が多いとか少ないとか、そんなことは問題にしないふたりだった。彼らを見ていると、ふつうの人がもっとずっと後になってからようやく見つける“伴侶”というものに早々と出会った……そんなふうに思えた。
でも、そうではなかった。ふたりは九年付き合った後、二十七のときに別れた。彼女が別の人に心移りしたから。
彼は二年待ったが彼女は戻らず、その半年後、職場の女性と結婚した。

「で、あなたはどうなの。幸せにやってるの」
「まあね。結婚はまだ先になりそうだけど。彼のとこは子どもが生まれたみたいね」

彼女がとりたてて感慨もなさそうに答えるのを聞いたとき、私はなんだか裏切られたような気分になった。
なあんだ、彼らもそこいらのカップルと同じだったんじゃないか。あはは、私ってば大きな勘違いをしていたよ!と。
信頼し合って尊重し合って、本当に素敵なカップルだった。あの頃、彼が彼女以外の女性と一緒になるなんて、彼女が彼以外の男性と一緒になるなんて、私にはまったくイメージできなかった。だけど実際はペアが変わったところでどちらの人生にもなんら支障は起きず、うまく回っている。互いがかけがえのない相手であるなどというのは、私のひとりよがりな幻想だったのだ。
たぶん私は、彼らは特別なカップルなんだと思うことで「終わりのこない恋がある」という夢を見ていたかったのだろう。そういうものがこの世に存在すれば、いつか自分も、という希望を持つことができるから……。
長いこと「ふたりは他のカップルとは違う」と思い込んでいためでたい自分を、バッカみたい!と笑ってやりたくなった。
そして、泣きたくなった。

* * * * *

恋には寿命があると思うようになったのはそれからだ。長い短いの差はあれど、どんな激しい恋にもどんな澄んだ恋にも、終わりはいずれやってくる。
だから、私は誰が別れたのなんのと聞いても「信じられない!」なんてもう思わない。仲睦まじいカップルの姿にものろけ話にも、「そうは言っても先のことはわからないんだよ」と皮肉なことを考える。
わが身を振り返ってもそうだもの。いつもはじまりから数年内に、まるで計ったように終わりがやってきたではないか。
演歌でもポップスでも大半の歌のテーマが「恋」。永遠不滅の恋というものが存在しないからこそ、人は老いも若きもそれに憧れ、これだけ歌われるのだ。

休憩室のテレビを見ながら、同僚が内田有紀さんと吉岡秀隆さんの離婚について、びっくりした、びっくりした、と繰り返すが、なにをそう驚くことがあるだろう?
派手に交際宣言をしたり挙式したりした芸能人が半年後、一年後に別れたなんて話、これまでにも数え切れないくらいあったじゃないか。このふたりはそうはならないと思わせてくれるような特別な理由などべつになかったろうに。
「どんな恋も遅かれ早かれ終わるのだ」を証明する事例がまたひとつ増えただけのことだ。

出会った場所で幸せいっぱいの式を挙げたふたりがたった三年でこうなる。恋心というものがいかに生命力の弱い代物か、「この恋は特別」がいかにあてにならないかをあらためて思い知る。
「矢田&押尾 手をつないでハワイへ!」という見出しにも、こういう時期もあるんだよな、という感想しか持たない。
三十余年生きてきて、終わらない恋なんて私は手に取ったこともなければ見たことも聞いたこともない。まだ終わりがきていない恋、なら巷にあふれているけれど。


……なあんて。この時期にはふさわしくない話でしたね。スミマセン。
恋をしている人もしていない人も、二〇〇五年のクリスマスをどうぞ楽しくお過ごしください。


2005年12月22日(木) 日記を本に。(本の宣伝ページ)

「われ思ふ ゆえに・・・」本第1巻

サイト開設五周年記念に、「きゅるる」のサービスを利用して
「われ思ふ ゆえに・・・」のテキスト(の一部)を本にしました。

 


【仕 様】
・ モノクロ、横書き。
・ 文庫本よりひと回り大きいサイズ(130mm×183mm)。
・ ノンブル(通し番号)がないためページ数は不明ですが、300ページの文庫本とほぼ同じ厚み。
・ 本の外観は期待しないで〜。カバーを外した状態の文庫本をイメージしてください。

【価 格】
(本体) 1980 円 ←現在キャンペーン中。終了後は2640 円(定価)に戻ります。高くてごめんね。
(送料) 500 円

【その他】
・ 2005年12月までに更新した800超のテキストから反響の大きかったものなど91話を選び、収録しました。
・ 目次ページのテキストタイトルの横に記されている日付と、実際にテキストを書いた日付は一致していません(書籍化するには日付を連続させ、三ヶ月分にまとめなければならなかったため)。
・ 何人かの日記書きさんにご登場いただいた箇所は、「A子さん」のようにイニシャル表記にしています。

【注文方法】
「きゅるるブックストア」にて承り中。リストを上から探してください、「われ思ふ ゆえに・・・ 2005.10-2005.12」が見つかります。
(タイトルは「2005.10-2005.12」となっていますが、中身はこの三ヶ月間に書いたテキストではありません)
なお、きゅるるブックストアの運営は有限会社ロマンテックイノベーションが行っています。注文者の情報は私には一切わかりません。


 収録テキスト一覧 ◆

2005.10月
(2001.11〜2004.2更新分)
2005.11月
(2004.3〜2005.2更新分)
2005.12月
(2005.2〜2005.12更新分)

1 大食い・早食い番組に思う
2 掲示板に棲む人々
3 ささやかな運命論者
4 ある日の新聞投稿に思う
5 読み手のマナー
6 すべては起こるべくして
7 呼び捨て
8 子ども年賀状
9 「禁ガキ車」と大人の領分
10 セックスレス
11 匿名希望
12 「タメ口」を考える
13 最後の恋
14 「おかえり」
15 見せたくない理由
16 ウンチクを語る人
17 ひとこと言わせて。
18 記念日のある人生
19 私を舞い上がらせた男のセリフ
20 そのひとことがうれしくて。
21 着信拒否
22 ボウリングOFFレポート(後編)
23 上手な苦情の言い方
24 桜餅の葉っぱを食べますか?part.2
25 鈍い男
26 女はそのとき、どうしてほしいか
27 携帯持たず者の苦悩
28 賽の河原に石を積むような……
29 その気はないけど……
30 口説かれぬ理由(前編)
31 口説かれぬ理由(後編)

1 突っ走る女たち
2 「それは自信ですか?」と訊かれて。
3 日記書きの所要時間
4 萎える理由
5 男性と食事に行くと必ず苦悩すること
6 コンプレックスが厄介な理由
7 私についてpart.1
8 私についてpart.2
9 私についてpart.3
10 本当の事情
11 身も蓋もない話
12 指輪コンプレックス
13 それが、愛情。
14 目指すべき場所
15 「寄せて上げる」は許せても。
16 携帯メール中毒
17 女たるもの……
18 人間、幸せになるべきだ
19 批評する側に求められるもの
20 悲しい心当たり
21 「ベジタリアン」として生きる。
22 脳内デート
23 それが「縁」というもの
24 なれそめ
25 別れた後、思い出の品をどうするか
26 「結婚しなくちゃ幸せになれない」
27 私とお友達になって!
28 「自分は悪くない」の精神
29 それは夕食のおかずになるか
30 女の不用意

1 男の不用意
2 友達親子
3 子どもの性教育はいつから?
4 「大の男」の涙
5 真夜中の訪問者
6 何食わぬ顔をして
7 和式トイレの疑問
8 「和式トイレのレバー問題」アンケート結果発表
9 夫婦の終末時計
10 「嫁」という職業
11 夫婦の寝室事情
12 恥じらいのポイント
13 異性からもらって一番うれしい褒め言葉
14 湯けむり劇場
15 旅館の仲居さんに心付けを渡しますか
16 書いてあることを、書いてある通りに。
17 約束の残骸
18 携帯もメールもなかった頃は
19 私はあなたの友だちではない
20 子ども
21 匿名社会
22 「レディーファースト」がうらやましいわけじゃない
23 私事で恐縮ですが
24 問題のありか
25 スモーカーの苦悩
26 人間はどこまで望むことができるのだろうか
27 「冷えものでごめんよ」
28 変われない
29 チャイムが鳴るとあたふたする理由
30 2005年 web日記関連10大ニュース
31 あとがき


「私の日記もこのサービスで本にしてみようかな?」と思われた方、質問などありましたら遠慮なくどうぞ。


2005年12月21日(水) 日記を本に。(後編)

前編からどうぞ。

サイズは文庫本をひと回り大きくしたくらい。ノンブルがないのでページ数はわからないが、三百ページの文庫本よりもやや分厚い。持ち歩くのに支障のない大きさ、重さだ。
恐る恐る中を開く。
「まああ、本当に私の書いたものだわ……」
当たり前のことにじいんとする。
これはサイトの文章、という頭があるためだろうか、横書きでもまったく違和感はない。画像もいくつか使用したが、モノクロでもきれいに表示されている。
一字一句違わぬ文章なのに、パソコンで読むのとはまた雰囲気が違う。なんだか“一端のもん”みたいだ。川上さんじゃないけれど、勘違いしちゃいそう。
表紙のデザインはかなりシンプル……というか地味で、「カバーを外した状態の文庫本」と言えばイメージしていただけるだろうか。だから書店に並んでいる本と比べたら、そりゃあ見劣りはする。
しかしながら、巻末にはちゃんと奥付(書名・著者・発行者・印刷者などを記載した部分)があり、「本書の無断複写・複製を禁じます」というおなじみの一文も入っている。自宅でプリントアウトしてホッチキスで留めたようなものとはやっぱりぜんぜん違う。
ページを繰るごとにうれしさが増してきた。

* * * * *


今回利用したのは「きゅるる」というブログなのだが、あちこち覗いてみると、私と同じように他のところで書いている日記を本にするために登録したという人がけっこういるようだ。
そして、そういう人たちが書籍化とセットで利用しているサービスが「ブックストア」。作った本をオンライン販売してくれるのである。
私は「出版社に行ってきた」の中で、出版プロデューサーの方に「重要なのはターゲットの層から共感を得られる内容にすること」と言われ、「原稿を本にする」と「出版する」はまったく別物なのだということに気づいた、と書いた。
自分のためだけに本という形にしたいということであれば、お気に入りのテキストばかりをチョイスして一冊に、ということもできようが、書店に並べるとなると少なくとも初版分をはくだけの商品力が求められるため、外部からコントロールされる部分が生まれる------ということなのだが、このブックストアなら自分の好きなように作った本を販売できるという、おいしいとこ取りができるのだ。
しかも、ノーリスクなのである。これにチャレンジしない理由はない。

……と思ったら。
「うっそー!表紙のタイトル、間違えられてるーー」
ここで、あ、ほんとだ、と相槌を打ってくれた方は皆無だと思うが、うちの正式名称は「われ思ふ ゆえに・・・」なのだ。
「“ふ”と“ゆ”のあいだは一文字空くんです」
管理人さんに連絡したら、製本しなおしてもらえることになった。
というわけで、ブックストアでの販売は表紙の修正が完了してからにしようと思っているので、みなさましばしお待ちください。
フフッ、冗談、冗談!
超豪華本……あっ、間違えた、超“高価本”なので「買ってネ」なんてとても言えません(なんせ文庫本が五冊も買えてしまう値段なのである)。
でもせっかくなので、近いうちに宣伝を兼ねた本の詳細説明のページを作るつもり。「私もここで書籍化してみようかな」と思った方にも参考にしていただける内容にするので、トップに見慣れないボタンかアイコンが増えているのに気づいたらぜひ見てみてね。

日記の書籍化に興味がおありの方へ。
自分の書いたものを本にするって、思った以上に素敵なことでしたよ。私はサイト開設五周年のいい記念品になりました。
ブックストアでの販売もちょっぴり夢がありますよね。

【あとがき】
本の詳細説明ページができました。よかったらみてね(こちら)。


2005年12月19日(月) 日記を本に。(前編)

川上弘美さんの「活字のよろこび」というタイトルのエッセイを読んだ。
世に出る前、まだ誰に読まれることもない小説を書いていた頃に初めてワープロを使ったときの話である。
汚い自分の文字で書いた文章はつまらないひとりよがりなものに思えるのに、ワープロで印刷したものを読むと、なにか「いいもん」のように思えた。もしかして私って話書くのうまいんじゃない、という幸せな勘違いに浸ることができてとてもうれしかった------という内容だ。

うんうん、わかるなあ。私にも覚えがある。
大学四回生のとき、卒論を書くのに便利だからと両親がワープロをプレゼントしてくれた。当時それは非常に高価なもので、いまのデスクトップパソコンと同じくらいした。自分ではとても買えなかったため、私は大喜び。早くキーの位置を覚えて使いこなせるようになろうと、大学ノートにつけていた日記を練習用の原稿にしてそっくりそのまま打ち込んだ。
すると、あら不思議。活字にしてプリントアウトしたものは手書きのそれよりもずっと出来のいいもののように見えるではないか。
試しに論文の下書きも打ってみたところ、こちらはぐっと賢げな面構えになった。

「活字ってなんて素敵なんだろう……!」
このときの感動を、私はいまも忘れられない。



発端は、三ヶ月前に書いた「出版社に行ってきた」というテキストだ。
「あなたの原稿を本にします」という広告を見て出版社に話を聞きに行ったら、費用が百五十万と言われた。それで泡を食って帰ってきた……という内容だったのだけれど、それを読んだ方が「日記を書籍化してくれるブログサービスがありますよ」と教えてくださった。
早速そのサイトに行ってみたら、三ヶ月分の日記を三千円で本にしてくれるという。しかも一冊から製本可能。書籍化した人たちの日記を訪ねてみると、「自分の本ができた!」とみな大満足の様子だ。
そうよね、自分の書いたものを本という形にして持ち歩いたりページを繰りながら読んだりできるなんて、照れくさいけどうれしいよね。
相槌を打ちながら読んでいたら、なんだかとてもうらやましくなってきた。そして、「そうだ、サイト五周年を迎えた記念に私も一冊作ってみよう」と考えたわけである。

その一冊は、CDで言うならば“ベストアルバム”にしようと思った。
そこで、これまでに更新した八百を超えるテキストの中からとくに思い入れの強いもの、よく書けたもの、反響が大きかったものなどを九十一話選んだ。
……と書くとすんなり事が運んだみたいだけれど、これがなかなか暇のかかる作業だった。
テキストの選定自体はすぐに終わったのだが、少しばかり大変だったのは誤変換や誤字脱字のチェックのためにすべてのテキストに目を通したから。
しばらくのあいだ日々の更新をこなしながら過去ログを大量に読むという日記漬けの生活をしていたら、すっかり“日記酔い”してしまった。

しかしながら、こういうことでもなければ半年以上前に書いたものを読み返す機会はほとんどない。そのため面白い発見もできた。
私に時の流れをもっとも実感させたのは、文章が拙いとかテキストに登場する自分が青いとかいうこともさることながら、「関心の持ちどころが現在と違う」という点だ。三年も四年も前の日記は、取り上げているテーマが幼いのだ。
いまならまったく食指が動かないような事柄について------「男と女の友情は成り立つか」とかね------熱弁を振るっていたりする。いったい何度、ひえーやめてーと叫んでページを閉じてしまいたい衝動に駆られたことだろう。

いやしかし、これもまぎれもなく私なのだわ……とその羞恥に耐え、ピックアップしたテキストをブログに移し終えたのが二週間前。
そして週末、本が届いた。 (つづく


2005年12月16日(金) 街で見かけた有名人

半月ほど前のこと。梅田の梅三小路を歩いていたら、前方に人だかりを発見。
ラーメン店の前であるが、行列ではない。二十人くらいが入口を取り囲むように人垣をつくり、携帯を頭上に掲げ店内を撮影している。通りすがりにちらっと覗いたら、俳優の中尾彬さんがラーメンを食べていた。
隣りに座っているリポーターらしき女性と楽しそうに話している。特別男前なオジサンというわけではないのに、雰囲気が華やかでとても目立つ。へええ、こんなところに芸能人が来るんだなあ。
……と思っていたら。何日かして、それが『Maki’s 魔法のレストラン』のロケで、私がリポーターだと思っていた女性は女優の水野真紀さんだったことがわかった。

「女性のほうもタレントかな?と思って顔は見たんよ。けどすごい地味やったから、水野真紀さんとはぜんぜん気づかんかった」

食事をしながら友人たちに話したら、「もっとちゃんと確認せなあかんやん」「え、写真撮ってないの?見せてほしかったのに」と叱られてしまった。そして場はその後、有名人目撃自慢の様相を呈してきた。
「でもさ、私なんかこないだ東京行ったとき、居酒屋で飲んでたら竹野内豊が来たもんね」
とA子。うっそー!と思わずはしたない声をあげる私。
「で、で、かっこよかった!?」
「華奢やった。女連れやったわ」

悔しいけれど、「中尾彬+リポーター(水野真紀さんだけど)」では竹野内には勝てないわ……。うなだれたら、今度はB子が参戦してきた。

「大阪場所やってるとき、琴欧州が会社に来たで」
な、なんですってえ。 これまたスケールの大きな話やのお!
「なんで琴欧州があなたの会社に現れるのよっ」
「飛行機のチケット取りに来てん」
彼女は旅行代理店勤務なのである。

* * * * *

というわけで、この夜の勝負には完敗した私。しかし、自分では関西に住んでいるわりには有名人を目撃しているほうではないかと思う。
京都の百貨店で働いていたとき、俳優の西村和彦さんが店にやってきた。後から聞いたところによると実家が京都なのだそうで、このときも母親と思しき女性と一緒だった。
さて、もちろん「きゃー。私が接客したい!」と思ったのだが、西村さんは私の隣りにいた同期の女の子に声をかけた。
彼女が両手で包むようにして釣りを渡しているのを見て、私は「そんなていねいに接客してんの見たことないでー」と心の中で突っ込みを入れ、彼女は案の定、「ふっふっ。手に触っちゃった」と大喜びしていた。

ところでこのとき面白かったのは、西村さんだとわかった途端、周囲の客が遠慮してか緊張してかさーっと引いてしまい、まるで彼のまわりに半径三メートルくらいのバリアが張られているような状態になったことだ。
東京ではテレビで見かける人たちがわりとふつうに街を歩いたり、店で食事をしていたりするそうではないか。そしてたまたま居合わせた人たちも平静を装い、それほど騒がないと聞く。
しかし、関西で有名人にばったりなんてことはめったにない。あるとしたら、吉本のタレントか上沼恵美子さんくらいのもの。だから思いがけずそういう偶然に出くわすと、中尾さんのときのように携帯で写真を撮りまくる、さもなくば西村さんのときのように逃げてしまうといった両極端な反応になるのではないだろうか。

アメ村で江口洋介さんを見かけたときは、ふつうの男の人より頭ふたつ分くらい背が高くてびっくりしたっけ。まだスヌーピーみたいな髪型をしていた頃で、かっこいいと思ったことがなかったのだけれど、実物を見ると「一般人とはぜんぜんちゃうなあ」と思った。
三年前、香港旅行中にペニンシュラホテルの裏口あたりを歩いていて、突然浜崎あゆみさんが出てきたときも驚いた。
あ然としていたら、香港人のファンがリムジンに乗り込んだ浜崎さんに近づこうとして道路に飛び出し、後ろから来た車にはねられた。が、女性はむくっと起き上がると足を引きずりながらタクシーをつかまえ、後を追ったのである。私はもちろん「そうじゃなくて病院行かんかいっ」と突っ込んだ。
今回の中尾彬さんを除くと、直近の目撃は半年前。上京した際にバスに乗っていたら、沿道に若い女性があふれている。誰かが「あれ、いつもキムタクが運転してるバスだよ」と言ったので、ドラマ『エンジン』のロケ現場を通りがかったのだとわかった。
ちょうど収録が終わったところだったらしく、私たちのバスが信号待ちで停車しているあいだに木村さんはバンに乗り込み帰って行ったのだけれど、横を通り過ぎた瞬間、バスの中に「おお〜」とどよめきが起こった。

「有名人に遭遇する」という出来事は運の強さの表れだと思うので、その人のファンというわけでなくてもうれしいものだ。


私がこれまでに聞いた中でもっとも「すごい!」と思った目撃談は、義母のそれである。
少し前、ゴルフ場のお風呂で黒木瞳さんと一緒になったというのだ。

「やっぱりすっごいきれいなんですかっ?」
「ふつうの人だったわよ。あいさつもしたけど、最初わからなかったくらいだもの。タオルで体を隠したりもしなくて、堂々としてたわねえ」

いまをときめく美人女優を街で見かけるだけでもすごいのに、裸を見ちゃうなんて!
今日の日記を読んで、「あら、私も負けてないわよ。こないだね……」という遭遇経験をお持ちの方がいらしたら、ぜひ教えてください。


2005年12月14日(水) 変われない

友人から届いたハッピーバースデーメッセージ。文末に「私のときもお忘れなく!」の一文を見つけ、苦笑する。
はいはい、わかってますってば。彼女の誕生日は私の一週間後。まったく抜かりないんだから……。
といっても、この年になってプレゼント交換をするわけでなし、“お忘れなく”の中身は「私にも『おめでとう』を言ってね」という、ただそれだけのことなのだけれど。

たった五文字。だけど催促してでももらいたいって気持ち、わかるよ。
目に見える形にしてもらわないと受け取れないものって、耳で聞くことができる形にしてもらわないと信じようのないものって、やっぱりあるもの。

「人生これから。幸せな一年にしてください」

だいじょうぶ。なに不自由なく暮らしてるよ。
だから、欲しいものはひとつもない。望めば手に入るものの中には。

* * * * *

うんと小さい頃、サンタさんには毎年同じものをリクエストした。そして毎年、枕元の四角い箱をひと目見て、今年も願いが叶わなかったことを知った。
だって私がお願いしたものだったら、包みは棒みたいな形をしているはずだもの。

「どうして叶えてくれないんだろう?こんなにお願いしてるのに」

サンタの正体を知ったのと、注文の品がまずかったのだと------「魔法の杖」だった------知ったのと、どっちが早かったんだっけ……。


この世にないものをあきらめるのは、五歳の子にもできる。ならばこの世にあるものでもあきらめることができるのが大人、なんだろうか。
だとしたら、いつまでたっても変われない私ってなんなんだろう。


2005年12月12日(月) テキストを確実によくする方法

私はエッセイが好きで、ほとんど作家を選ばず読むのであるが、そうすると誰のところでもお目にかかる話があることに気づく。
その、作家共通のネタとも言えそうなテーマのひとつが「締め切りの恐怖」である。
週末に読んだ筒井康隆さんのエッセイの中に、「泣きごとは言いたくないのだが一度だけ言わせてほしい」ではじまる、新聞連載のつらさを書いた話があった。
エッセイを書くには毎回テーマを見つけてこなければならないが、それが毎日続くので眠っている間も気が抜けない。今日中に書くことが浮かばなかったらあさっての新聞に空白ができるのだと思うと不安のあまり、そうなったらどれだけの人に迷惑をかけるだろうかとついその数を勘定してしまい、さらに追い詰められることになる……という内容である。

読みながらこちらまで息苦しくなったのは、その切羽詰まった感がとてもよくわかる気がしたからだ。
うちは毎日更新ではないけれど、曜日と時間帯を決めて更新しているので、締め切りがあると言えないこともない。次回書く内容を決めるまでの、なにか小さな宿題を抱えているかのような気分は私も日常的に味わっている。
日記読みをしていると、ネタがないことをネタにした日記にしばしば出くわす。一日二日更新しなくても誰に迷惑をかけることもない日記書きでも、書くことが見つからないと焦るのである。趣味でやっている者でさえこうなのだから、書けなくても書かなくてはならない作家のプレッシャーはそれはもう大変なものであるに違いない。
ひらめきを必要とする仕事は、締め切りが迫ってきたからといってこなせるものではない。
だから、「自分は締め切りを守る」と書いている作家を見つけると------たとえば村上春樹さん、池波正太郎さん、酒井順子さん、内館牧子さん------本当にすごいなあと思う。

* * * * *

ところで、そうした作家が締め切り日までに仕上げる理由として、「各方面に迷惑をかけないため」「性格だから」以外にもうひとつ挙げることがある。
「たとえ一日でも原稿を渡す前に読み返す余裕を持つことで作品がよくなるから」ということだ。

村上さんはそれを「クール・オフ効果」と呼んでいたが、これはもう本当にその通りなのである。
私は書いたものは必ず一晩寝かせることにしている。というのは、長文のため書くのにけっこうな時間がかかる。すると書き終えたときには頭の中がその内容一色になっており、その状態で推敲しようとしても不具合が目に留まらないからだ。
窓を開けて部屋からタバコの煙を追い出すように、眠っている間に頭の中の空気を澄ませる。そして、「えーと、昨日なに書いたんだっけ」くらいまで内容を忘れてから再読する。そうしてはじめてテキストのいびつさに気づく、文章を削ったり語尾を直したりすべき部分が見えてくる。
見違えるようになるとは言わない。でもたったこれだけのことで、書き上げた直後のテキストと比べたら出来栄えは三割増しになるのである。

この“手直し”をあなどれないと感じているので、私はサイト開設当初からそのプロセスを踏んできた。結果、自分の満足度が上がり、五年間楽しく書き続けてこられたのだろうとも思っている。
半日置いて読み返してから更新する、これは誰にでも簡単に、今日からできることである。しかも確実に効果が期待できる。
テキストをいまよりよくしたいと思っている人がいらしたら、ぜひお試しあれ。


2005年12月09日(金) 恋人がいない年のクリスマスは

学生時代の友人から電話。「近々家に行ってもいい?」と言うのをふたつ返事でオッケーする。
独身でひとり暮らしの彼女は料理というものをまったくしない。鍋物が食べたくなると私の家に遊びに来るのは、京都で大学生をしていた頃からの冬の習わしのようなものなのだ。
「いつにする?うちは今週末でもいいよ」
すると、
「二十三日か二十四日か二十五日にしない?」
と友人。
えっ、それってもろにクリスマス期間じゃないの。ってことはあなた、三日間なんの予定もないの?
「今年のクリスマスは曜日まわりが最悪やねん。天皇誕生日が金曜やろ、おかげで会社が三連休……」

長らく恋人がいない彼女にとって理想のクリスマスというのは、週の真ん中にあって残業を終えて帰り支度をしているときに「あ、もしかして今日って」と気がつく……というものだそう。今回の「行ってもいい?」はこんな時期に三日も家にひとりでいたら孤独で死んでしまう!ということだったのだ。

「クリスマスにまさか彼氏持ちの子は誘えんし、結婚してる子のとこにお邪魔するのも気がひけるしなあ」

でも、うちならお邪魔虫にならないだろうと考えたらしい(なんでだ)。そんなわけで、二十三日は鍋パーティーをすることになった。


友人のようにばりばり働き、「適齢期?なにそれ、私の辞書には載ってないわ」な女性でもクリスマスをひとりで過ごすのは耐えられない、という事実。私は内館牧子さんのエッセイを思い出した。
たとえ恋人がいなくても、誕生日とクリスマス・イブは誰かと過ごしたい。が、友達はみな結婚しており、付き合ってくれる人はいない。かといって、家で親とケーキを食べるほどみじめなことはない。そこで恋人がいない年の誕生日には休暇を取り、旅行に出かけることにした……という内容だ。内館さんが二十代の頃の話である。

恋人のいない女性のクリスマス、そして誕生日はしばしば、男性にとってのバレンタインデーとは比較にならないくらい切ない一日になる。
年上の友人は、ひとりで過ごすことが決定しているクリスマスは仕事を休み、マンションの部屋から一歩も出ないという。街にあふれる幸せそうなカップルを見たくないからである。
「それにさ、会社の人にもうれしい勘違いをしてもらえそうじゃない?」
と笑う彼女を私はバカになんてしない。ふだんはすっかり慣れっこになっていてどうもないことでもその日ばかりは堪える、ということはあるだろう。
そういえば昔見た『グレムリン』という映画の中に、「一年で一番自殺者が多いのはクリスマスだ」というセリフがあったっけ……。

私もやはり過去には何度か、クリスマスをひとりで過ごしたことがある。
まったくなにもしないのも寂しいなと思い、ミスタードーナツで“サンタでCHU”(一人用のクリスマスケーキならぬ、クリスマスドーナツ)を買って帰ったりしたが、そのときほど「ひとり暮らしでよかった」と思ったことはない。こんな日にまっすぐ家に帰って家族と過ごすなんて、傷口に「孤独」という名の塩をすり込むようなものだもの。
それに妹が親がやきもきするような時間まで帰ってこないのに、姉は二十時には家にいる……というのもなんだか格好がつかない。
家族に見栄を張ってもしかたがないのはわかっているが、年頃の娘としてはプライドというものもある。そんな気分でもないのにウィンドウショッピングをしたり、喫茶店でお茶を飲んだりして時間潰しをしなくてはならないのはしんどい話だ。
実家住まいの人は恋人がいない年のクリスマスをどのようにして切り抜けているのだろう?といつも思う。

* * * * *

冒頭の友人が不敵な笑みを浮かべて言う。
「でもな、今年と来年を乗り切れば、しばらく平日クリスマスの年が続くねん」

おお、友よ。そんなことを励みにしないで、どうかこの一年でいい人を見つけておくれ。


2005年12月07日(水) 「冷えものでごめんよ」

十二月に入って急に寒くなり、月曜には初雪が降った。
この時期に友人と会うと、必ず出るのが「温泉でも行かない?」という話。休みやお金の都合で実現する確率はせいぜい半分であるが、どこそこ温泉はどう?なんとかって旅館がいいらしいよ、なんて相談をするだけでも楽しい。
年明けにふたつ、計画中だ。


温泉といえば、昨日の読売新聞の投書欄に四十代の主婦の文章が載っていた。
子ども会で一泊旅行に出かけたら、子どもたちが全員バスタオルを巻いて湯に浸かっている。そんなに恥ずかしいの?と尋ねたら、「テレビでこうしているから」という答え。自分たちにとっては誰に教わることなく自然と身につけた常識でも、いまの子どもにはそれぞれの家庭できちんと教えていかなくてはならない……という内容だ。
つい一週間前、私は同欄で別の人が書いた「旅番組の入浴姿 マナー違反助長」と題された文章を読み、「テロップなんか入れなくたって、裸を映すわけにいかないからタオルを巻いてるんだってことくらいわかるよおー」と突っ込みを入れていた。
しかし、私が言うまでもないと思っていたことは、子どもたちにとっては“言うまでもあること”だったのだ。

いや、子どもだけではないか。温泉やスパワールドのような公衆浴場に行くと、えっと驚くようなことをする大人をたくさん見かける。
ガラガラと引き戸を開けて入ってきたと思ったら、そのままジャボン!奥に洗い場があるつくりのときやカランが空いていないときは体を洗ってからというわけにいかないのはわかるけれど、かけ湯をして入るのは常識中の常識ではないか。
バスタオルを巻きつけて湯船に入っている人を見たことはさすがにないが、ハンドタオルならいくらでもいるし、長い髪を泳がせている人もしかり。
今年初めに長野の扉温泉に行ったとき、のんびりと露天風呂に浸かっていたら、若い女性の四人グループが入ってきた。職場の同僚らしく、部署への土産はなににする、有休はあと何日だ、といったことを大きな声で話しはじめた。脇を流れる渓流のせせらぎは瞬く間にかき消された。
また、私は自宅以外の場所でシャワーを使うときは必ず温度調節の目盛りの位置を確かめてから蛇口をひねる。なにも考えずにひねったら、いきなり水が出てきてひゃー!ということが何度かあったからだ。
洗い場で水を使ったら湯温を元に戻しておく、そんなの当たり前のことじゃないか……ぶつぶつ。

しかし、もっとも憤慨したのは青森の十和田温泉に行ったときのことだ。
屋内の温泉だったのだがものすごく広くて、浴場内に大きな木が何本も生えている。なんでこんなところに桜が!?と目を丸くしていたら、近くにいた若い女性ふたりが写真を撮りはじめたのである。
めずらしいお風呂だから記念に残そうと持ち込んでいたのだろう、カメラをあちらこちらに向け、湯に浸かっている周囲の人が一緒に写ってしまうことなどまったく頭にない様子。
気の強い私の友人が注意をすると彼女たちは手を止めたが、ここまでものを考えない人がいるのかと本当に驚いた。これじゃあ立ったまま湯をかぶったり、洗い場で盛大に泡を流したりする人がいるのも当然だわね。

脱衣所でも事態は同じ。
体を拭かずに出てマットや床をびしょびしょにする、扇風機を専有する、ドライヤーは使いっぱなし(それどころか、私が通っているスポーツクラブには「ドライヤーを持ち帰らないでください」の貼り紙がある)、素っ裸でマッサージチェアを使用する……。
そばで若い女性が一服しはじめたときはあわてて部屋に戻った。洗いたての髪や体にタバコの匂いをつけられてはかなわない。

* * * * *

先日、作家の出久根達郎さんの講演会でこんな話を聴いた。
古本屋の見習い小僧だった頃、銭湯の湯に浸かっていたら、後から入ってきた八十歳くらいのおじいさんに「ヒエモノでちょっとごめんよ」と声を掛けられた。意味がわからず、店に帰って辞書で調べたら、江戸時代、明治時代に冬場に銭湯の湯船に入るときに使われたあいさつ言葉とあった。
「冷えた自分の体が入ることでちょっと湯の温度を下げてしまうよ、すまないね」という意味だ。

何事におけるマナー違反も、その多くはそれがマナーであると知らなかったからではなく、想像力の欠如で起こる。
私たちは「冷えものでごめんよ」の精神を、少し見習ってもいいんじゃないだろうか。


2005年12月05日(月) 自分が死んだ後のこと

※ 前回の「人間はどこまで望むことができるのだろうか」から読んでね。

テキストを書き上げると毎回それなりに達成感があるものなのだが、前回はちょっと違った。アップした後もずっと、「まだ終わっていない」ような気分が続いていた。
原因は、テキストの最後に「いずれ書いてみたい」と書いたこととは別件である。

* * * * *

前回紹介した衆議院議員の河野太郎氏のサイトのトップページに「ワンクリックアンケート」というコーナーがある。
質問は、「もしあなたが脳死になったら、移植のために臓器を提供しますか」。選択肢は「提供する」「提供しない」「わからない」の三つだ。
テーマは途方もなく重いが、アンケート自体は“ワンクリック”の名の通り、お気軽にどうぞというノリのものである。私もやってみようと思い、マウスを握った。

……のだが。
十分が経過しても、私はどこにもチェックを入れることができなかった。とりあえずの答えでよいことはもちろんわかっている。しかし、それすら見つけられなかったのである。
「提供したいと思うか」
「思わない」
「では提供したくないのか」
「いや、そうではない」
そう、提供するのは嫌だとも嫌でないとも思えないのだ。ほんのわずかでも天秤が傾いたほうに回答しようと思うのに、完全に水平なのである。

たとえば、これが臓器移植でなく献体についてのアンケートであったなら、私は「提供しません」ときっぱり意思表示することができる。
「献体」をご存知だろうか。医学生の解剖学実習のために自分の遺体を無条件・無報酬で提供することだ。
生前に然るべき機関に登録しておく点や遺族の承諾が得られなければ意思が実行されない点がドナー登録や臓器提供が行われるプロセスと似ているのだが、私が「献体は嫌」と思う理由ははっきりしている。
ひとつは、「大事に扱ってもらえるのだろうか」「感謝してもらえるのだろうか」という部分に心許なさを感じること。実際、私は解剖学者であり東京大学名誉教授である養老孟司さんの講演会で、献体された遺体の取り扱いについて遺族からクレームがつくことがあるという話を聴いている。
もうひとつは、献体としての役目を果たした後、遺骨が家族に返還されるのに二、三年かかること。そんなにかかるのでは夫や子どもに寂しい思いをさせてしまいそうだ。

臓器提供に話を戻す。
ドナーとして体を提供するのであれば、大事に扱われないかもとか感謝されないのではといった心配はしなくて済む。レシピエントとその家族は涙を流して喜んでくれるに違いない。また、臓器摘出の手術にかかる時間は五時間前後というから、遺体は翌日にも家族の元に返るだろう。
そんなわけで、献体登録を考えたときのような具体的なNOの理由は見つからない。
……にもかかわらず、ドナー登録に前向きな気持ちになるかというとそうはならないから、私は不思議でたまらないのだ。
脳死が人の死であるかどうかは議論の分かれるところらしいが、私は私自身についてのみであれば「その状態になったら、死亡と判定していただいてかまいません」と言うことができる。だから、臓器移植に反対する人たちがしばしば唱える、「まだ死んでいないのに救命行為を中止し、臓器摘出のための措置に切り替えるなんて許されない」というようなことは思わない。
また、「ドナーであるという理由で救命をおろそかにされるのでは……」を危惧する人もいるようだが、私はそんなことが起こりえるとは思っていない。
提供した後の体がどんな状態になるのかについては、多少気がかりではある。傷口を縫合してできるだけきれいな状態にして返還するとのことだが、痛々しい姿になることは間違いなく、家族に余計なつらさを味わわせてしまう可能性はある。
しかしその代わり、妻なり母なりの臓器がいまも誰かの中で生きているのだと思えることで、家族の悲しみが癒される部分は小さくないのではないだろうか。

こんなふうに考えていくと、「積極的に提供したいと思う理由はないけれど、かといって嫌だと思う理由もない」ことに気づくのである。


先日読んだ群ようこさんのエッセイに、お墓の話があった。
知り合いの男性が「景色のいい高台に墓を建てるのが夢だ」と言うのを、群さんともう一人の女性が「死んだら景色なんて見られないんだし、関係ないじゃない」「そうよ、死んだら何もわからないんだから、そういうのって無意味」と一笑に付した……という内容だ。
こういう人はとくに若い世代には多いのではないかと思う。
自分が死んだ後の話は私も友人とたまにすることがあるが、「お葬式はぱあっと派手にやってもらいたいわ」とか「立派な仏壇に祀られたいなあ」とか言う人にいまのところ出会ったことがない。

……で。
もしあなたが「死んだ後のことになんて興味ないよ」というタイプでありながら、「臓器提供はしたくないなあ」と思っているとするならば、矛盾しているような気がしないだろうか。
「死後の自分に執着がないのであれば、火葬される前にちょこっと手術室に寄り道をするくらいどうってことないんじゃないのか?怖いとか痛いとかもありえないわけだし。だってそれで確実に誰かを救うことができるのだよ?」
と。

とてももやもやした気分だったので、週末、ドナーカードをもらってきた。頭の中だけであれこれ考えるより、実際に手に取ってみたかった(これです)。
しかし、アンケートにはまだ回答できない。


2005年12月02日(金) 人間はどこまで望むことができるのだろうか

先日、実家に帰省したときのこと。
母とテレビを見ていたら、討論番組に衆議院議員の河野太郎氏が出ていた。そのとき顔色がとても悪く見えたため、「体、どっか悪いんと違うか。土気色してるやん」と言ったところ、「ほんまやねえ。あの手術の後遺症なんやろか……」と母。

あの手術とは、三年半前、生体ドナーとなって肝硬変を患った父の河野洋平氏に肝臓の三分の一を提供した手術のことである。その後、洋平氏がすっかり良くなったことは現在衆議院議長を務めていることからも窺い知ることができるが、息子のほうはどうなのだろう。
肝臓は再生機能が高い臓器で、切り取ってもじきに大きさも機能も元に戻る、だから生体移植が可能なのだと聞いたことがある。しかしいくら回復するといっても、健康な人のおなかを切り開いて臓器を取り出すことが体にとって負担のないことであるはずがない。
もっとも、手術以前の太郎氏の顔色を知らないので、もしかしたら「俺はもともとこんな色なんだよ!」と怒られてしまうかもしれないけれど。

そんなことを考えていたら、母が言った。
「もしこの先、私がそういう病気になっても、移植とかそんなことはしていらんからね」
「なによ、突然」
「こういうことは元気なうちに言うとかんと。子どもの体を傷つけてまで生きたいとは思わんから。あ、それから延命治療もやめてね」

こういう会話はどうも苦手だ。いつまでも目を背けてはいられないことはわかっているが、まだ考えたくないというのが正直なところ。
わかった、わかったと答えながら思い出したのは、洋平氏が当初、臓器提供の申し出を拒んでいたという話。「せがれの体を切り刻んでまで生き延びたくはない」と突っぱねる父親を、「俺がやると言ってるんだから、気持ちよくもらえよ」と太郎氏が説得したのだそうだ。
十八日付けの読売新聞の投書欄に、大学生の息子から「サインしてほしい」とドナーカードを差し出されたという五十代の主婦の文章が載っていた。
予期せぬことに驚き、どうしたらよいかと悩んだ。まだ結論は出せていないが、それが息子の意思ならば尊重するしかない、という内容だったのだが、「提供した後、私の元へはどのような姿で戻って来るのだろうか……」という一文には胸を突かれた。
脳死状態にあり、なおかつ本人がそれを希望しているとわかっていてさえ、親は子どもの体が傷つけられることに耐えがたいものを感じるのである。生きている子どもから、ましてや自分のために内臓を取り出そうとは考えられないことであるに違いない。
太郎氏だけでなく洋平氏にとっても、大変な勇気のいる決断だったと思う。


太郎氏は自身のサイトに掲載している「臓器移植法を改正すべし」というコラムの中で、二〇〇二年までに日本で行われた生体肝移植のドナー1853人のうち、胆汁漏出、高ビリルビン血症、小腸閉塞などの余病を発症したドナーが12%に達すること、健康な人間から肝臓を摘出する前に脳死ドナーからの移植という選択肢があるべきなのに、それを可能にする条件が非常に厳しいことから、現実には近親者からの生体移植が唯一の選択肢になってしまっていること(二〇〇三年に国内で行われた脳死下での肝移植は2件、生体肝移植は500件超)について言及している。

「一人の命を救うために、もう一人の人間の健康が失われても良いのでしょうか。人の命を救うためと言いながらも、健康な人間の腹をかっさばき、その肝臓をぶった切る生体肝移植がどんどんと増えていくことに、私は疑問を感じています」

というくだりを読みながら思う。
医学が進歩し、これまではあきらめるしかなかった命が救えるようになった。私も自分の身内が重い病気にかかったら、どんなことをしても助けたいと思う。その“どんなこと”の幅が広がるのはすばらしい、ありがたい。
……でも、そのこととは別に。
生体臓器移植というのが、生きている人間の健康、場合によっては命を犠牲にする可能性をはらんだ“治療”であることを思うとき、「人間はどこまで望んでもよいものなのだろうか」という問いかけが浮かぶ。
これは代理母出産のニュースを耳にするたび胸に浮かぶ思いでもある。

いまの時点では、私の中にそれらについて是非や賛否を論じられるほどの材料がない。しかし、いずれ書いてみたい。