せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年12月30日(木) ここ数日温んで来て、この間の雪がすっかり解けた

時々旅行に行きたい虫が騒ぐ。とは言え、急に思い立って行動に移せる程の経済的時間的余裕が今は無いので、一先ずネットを徘徊して人の旅話を読んでみる。

最近のニホンジンの旅の記録を読んでいて驚くのは、彼らの多くはバックパックを背負ってベッドルームを他人とシェアするような貧乏「的」旅行をしている癖に、ラップトップ・ノートブックコンピューターの類の物を持参して居るという事である。

大きなバックパックを背負った汚らしい格好の若者が、最新式のラップトップを携帯しているというのは、世界中どこへ行っても恐らくニホンジンくらいなものだろう。旅の仕方が随分高価になった事に、ワタシは奇妙な感慨を覚える。

勿論、同じ程度かそれ以上に金の有る旅人は、二ホンジンに限らない。しかし他の国の旅人はもう少しはっきりしていて、金があればハイクラスのホテルに個室を取って泊まり、コンピューターを使う必要のある職業人なら尚更その管理は徹底的にやるだろうし、また金が無ければホステルや旅人宿・商人宿などに雑魚寝状態であっても、まさか高価なコンピューターを其処へ持ち込もうなどという大それた事をする若者はいないだろう。

それで無くとも、只でさえ旅行者は金や旅券等の高価な物を持ち歩くものと思われているのに、ドミトリーの宿屋でコンピューターなど広げていたら、盗ってくれと言っている様なものである。

しかもそれを始終身に付けるのではなく、宿に於いたバックパックの中に入れたまま其処を離れて市内観光に出掛けると言うのだから、ワタシなどは想像するだけでもぞっとする。そして案の定、宿に戻ってみればバッグにナイフの切れ目を発見して、コンピューターは跡形も無いという羽目になるのに、懲りずにまた購入して旅を続けるというのだから、昨今の二ホンジンの旅行事情というのは、ワタシなどには計り知れない。

ワタシの知る時代には、ウォークマン等のテープレコーダー(テーププレイヤー?)を持って出掛けてテープを聴くというのが精々であった。CDがまだ出たての頃だから、それをテープに起こして持ち歩いていたのだが、今時ならMP3プレイヤーにお気に入りのCDを好きなだけ落として持っていくという事になるのだろうか。

こうして書いてみると、なんとも時代を感じさせる。しかし多くの発展途上国ではCDすら出回っていなかったりするので、現地の音楽を聴きたければ結局テープを聴く装置が必要になってくるから、あながち間違った方法でもないだろう。

もし長期間旅に出るとしたら、ワタシならテープレコーダーとMP3プレイヤーを両方持って行くかも知れない。いや、MP3はこの際諦めて、テープレコーダーのみにするだろうか。

ニホンジンならMDというのを使うのだろうが、これはワタシの住む街では二ホンジン以外に持っている人を見た事が無いので、「全く」流行っていないと言って差し支えないだろう。

この辺りではCDからMDの時代をすっかり飛び越えてMP3の時代になったので、今では街で音楽を聴くと言ったら間違いなくMP3である。例の白い林檎会社のやつが巷で大流行しており、色違いのが数種出回っているらしいのだが、見たところそれはPDA(「電子手帳」と訳しておく)が更に太った感じで、ポケットに入れようものならパンパンである。それにうっかり落としたら忽ち壊れて使えなくなる程の低性能、という話を聴いたので、ワタシはそれより他の会社のMP3の方が性能も良く、サイズも小さくて落とし難そうだから良いと思う。

とは言え、ワタシは音楽を絶えず聴き続けるという事を普段しないので、携帯音楽の機能については、実は大した問題ではない。高級な持ち物の話である。ついつい話が逸れる困ったワタシ。

今時の旅人の持ち物の高額化の一端としては、デジタルカメラが主体になって来た所為もあろうかと思う。これは一見便利そうだけれども、撮った絵を何処かハードウェアへ保存するのにどうしてもコンピューターが必要で、長期旅行になるとラップトップを携行せざるを得ないのだろう。

ラップトップを持ち歩き続けるという行為は、何しろワタシの人生が全て詰まったような掛け替えの無いものである上に、なけなしの金を注ぎ込んだお宝でもあるから、どうも気が気でない。メディアを幾つも持ち歩く事で何とか賄えないものかと思う。



ところでそんな事を気に掛けながら眺めている旅のサイトの発行人・管理人の若者たちが、どうやら先頃の広範囲大地震及び大津波の被災地辺りを今頃旅しているらしい事が判明して、実は一寸心配している。

幾人かはほぼ間違いなく巻き込まれているものと思われるのだが、こういう場合メールを打つ程の知り合いでも無い上、実際問題として現地では回線も使えない状態かも知れないし、どうしたものかと考えている。

まあ他人のワタシが心配する事でもないのだけれども、こういう風に世界中に旅に出る若者が増えた昨今、こんな大規模の天災がこれだけ広範に渡って起ころうとはまさか誰も想像していなかったろうし、旅人の方としても自分がこれ程の非常事態に巻き込まれようとは想定していなかったろうと思うので、一体どういう状態になっているのかと想像すると恐ろしくなる。

更に聞くところによると、東南アジアのある国の在日本大使館では、着の身着のままで逃げた末旅券を紛失した邦人に対して、臨時の帰国用書類の発行に、なんと「手数料」を徴収せしめるらしい。これは日本円にして一万円を超えるような金額だというのだが、帰国後に返済するのを条件にするという。余所の国ならこういう災害時にはどこも無料で手続きをするのが普通なのに、日本国というのは一体どこまで非人道的なのかと呆れてしまう。

こういう話を聞くと、度々此処でも愚痴を溢している同朋や他人の災難に冷たい二ホンジンの話と同様、ほとほとうんざりしてきて、自分が同じ日本人である事が恥ずかしくさえ思えてくるのである。


2004年12月27日(月) 一日遅れの雪が降って、ホワイト・クリスマス(の翌日)

今年のクリスマスには、家のない人々や一人暮らしや病気の老人らを対象にした食事提供のボランティアをした。

つくづく思ったのだけれど、こういうのにやって来るボランティアの人々というのは、大変良く働く。金が欲しくてやっているのじゃないから、少々遅れてやって来ても(それはワタシ)、また予定より多く働こうとも、そういう細かいところは誰も気にしない。その割りにテキパキと作業をこなしていく。金を貰っている割には全然働かないこの国の一部の職業人と比べると、目を見張る働き振りである。

そして、実に沢山のボランティアがやって来た。ワタシは朝から出掛けて行って仕度をするところから夕方片付け終わるまで丸一日居たけれども、準備段階では余りにも沢山人が来たので、作業は一時間程早く終わってしまって、数人は予定を変更して帰ったくらいだった。これ程資本主義的、俗物的、自己本位的な街で、意外に他人の為に手を貸そうという人々が沢山居た事に、ワタシは改めて感心した。ひょっとするとそれは、クリスマスくらい良い事をしようと、日頃の行いの悪さの罪滅ぼしの積りでやって来たのかも知れないのだが。

そして、皆大変にこやかで協力的であった。こういうのを見ると、これまでワタシが嫌だ嫌だと言ってきたこの街が、意外と捨てたものでは無いという事がよく分かる。

経済的心理的な余裕があるかないかという事が、他人への態度にも影響を及ぼすのだろう。良く考えてみれば、そもそもこうしてボランティアに来る様な人々というのは、他で充分な収入を得ているからこそ、気忙しくぎすぎずした心持ちでボランティア活動をしないでもいられるのだろう。金持ちの娯楽などと世間では思われている節もあるが、しかし自分のコミュニティで困っている人々を助けたいという素朴な気持ちの現れでもあるので、結局は他人の事まで気に掛けるだけの心の余裕があるかどうかという問題だろうと思う。

兎に角、ワタシはこのところのボランティア活動に於いて、毎回いい仲間に恵まれ、非常に心地良く活動出来ているのは、大変喜ばしい事だと思う。

特に今回は、実際食事を提供する段になって、ワタシはゲストを空いているテーブルまでエスコートする役というのを仰せつかったのだが、合間に他のエスコート係りの若者たちとの談笑を愉しんだり、またゲストの老人から小さな親切に大いに感謝されたりして、なんだか幸せな気持ちになったりした。こちらこそ有難うという気分である。

尤も、家の無い人々の中には、当分風呂に入っていないのか、何とも言えぬ熟成した芳香を漂わせている人もいて、そういう場合には上品で気難しそうな老人とは出来るだけ相席にしない様に心掛けたりして、一寸した機転が要った。

実際ゲストの中には高学歴の老人も少なからずいて、暗にそうした身なりの良くない人々とは相席を控えたいという旨をリクエストする人もあったそうだ。場所が場所だけに、近所には高収入の家族が多く住んでいるので、給仕するボランティア側も給仕されるゲスト側も比較的身奇麗な人が多かったようだ。

ワタシはと言うと、無償労働の報酬として七面鳥の焼いたのにクランベリーソースとグレイビーソースが付き、他にスタッフィングといってパンと野菜や果物等を七面鳥の中に詰め込んで焼いたやつを後に取り出したものや、かぼちゃやさつまいもを焼いて潰したの、豆や根菜類を煮たの等を食す事が出来た。

これはゲスト用かと思って初めのうち遠慮していたのだけれど、我らも喰って良いのだと聞いたので、手の空いた頃有難く頂いた。七面鳥は少し乾燥気味だったけれど、スタッフィングやその他のものは大変美味だった。

帰りには余ったのを土産に少し包んで貰ったので、二食分のご馳走であった。これは帰宅後に少し食べて、残りは休暇の翌朝恒例の「七面鳥サンドイッチ」にして食べた。

しかし一日中立ち通しだったから、すっかり疲れてしまった。けれども、こうして給仕した方も良い事をしたので気分が良いし、された方も一人きりで寂しく過ごす休暇よりは断然和やかに暖かく食卓を囲める訳で、この活動はなんとも上手く出来ているものだと思った。


2004年12月24日(金) 歳も押し迫り、雪も降れば風も吹くというのに、黄色い葉っぱが落ちないでいる不思議

周囲の盛り上がりを他所に、クリスマスとは全く無関係なところで、相変わらずに進んでいるワタシの日常。

昨日辞書を買って来た。

この街に引っ越してくる時、車に積みきれなかった本や書類関係を箱で幾つか送ったのだけれど、そのうち一箱届かなかったのがある。

その中には、主に日本語の文庫本やらペーパーバッグ等の、小さい本たちが入っていた。ワタシが長年愛用していた辞書もその中に含まれていて、鼻を近づけると古本独特の匂いがしてうっ!となったけれども、しかしそれなりに愛着もあったので、新しいのを買おうか迷っていた。

そのうちハードカバーの大きな卓上辞典を買った。電子辞書も持っていたので、語彙は少ないものの、暫くはそれで何とかやっていた。しかし流石に語彙が少なすぎて色々と差し支えるようになり、片やハードカバーのは持ち運びに不便だし、どうしたものかと思案しているうち、これはやはり手頃なペーパーバッグの辞書を買うべきだろうという結論に達した。今頃。

それで、季節外れに横殴りの酷い雨が降る中、気合を入れて本屋まで遠征して来たのだ。

本屋が好きである。古い本屋が特に好きだが、真新しいビルディングの本屋も、それはそれで気分が良い。

久し振りの本屋は、少し配置が換わっていて戸惑ったが、それでもワタシには充分過ぎる程の品揃えで、気持ち良く辞書を選ぶ事が出来た。

結局、浮気心を抑えて、以前持っていたのの改訂版を買う事にした。一単語試しに引いてみて、見比べたのだが、例えばワタシが持っているハードカバーの辞書のペーパーバッグ版ではその単語自体が載っていなかった。随分定評のある辞書の筈なのだけれど、さてはこの程度は誰もが知っているものという示唆であろうか。そんな事では、ハードカバーの方はいずれお役御免にしてしまうぞコラ。

実は既にそれを考えている。この業界から足を洗った暁には、この部屋にある本棚を埋めて更に隙間も埋め尽くしている本の山を十分の一くらいまでに処分する心積もりで居るのだけれど、実際大きな辞書は面倒で中々手にする機会が少ないから、それならば思い切って小さいのだけ残して処分しても良いだろうと考えているところである。

こういうものは、家を構えて、腰を据えて暮らしている人には、是非置いておきたい物のひとつではあろうが、何しろワタシは独り者だし、先の知れない暮らしをしている訳だから、却って尻を重たくしてしまうような気がするのだ。

それに所詮辞書の類のものは、何年かすれば時代遅れになってしまって、新しい語彙が載ったやつに買い換えていく性質のものでもある。そういう時に、大きなハードカバーの辞書よりは、小さく手軽なペーパーバッグの方が経済的な痛手も少なくて良い。大きい辞書が居るような調べ物が必要になったら、図書館に行けば良いのだ。いつでも最新のものがあるのだから。

そんな訳で、ひとたび図書館の重要性を行動範囲の中で再認識すると、そこへ行けば買わないでも済むような本を、わざわざ良くもまあ沢山買ったものだなと思う。それは職業的研究的プライドの様なものの所為である。確かに、足を運ばずとも済むように手元に置いておいて好都合なものも沢山あるのだが、まあ無ければ無かったで良かったかも知れないとも思う。


2004年12月23日(木) 一寸張り切り過ぎて、頭痛がする

それはまるで、
機嫌が悪くなってわーわー泣き叫ぶコドモを
周りの大人たちが、これはどうだあれはどうだと
懸命になだめているような様子。

そしてそのコドモは、
どれも気に入らないと言って、
まだ、わーわーやっている。

大人の子守をするのが特に好きな訳でも無いワタシは、
何度か試みた後、もう意欲も関心も無くして、
これでも嫌だと言うのなら、もう仕方が無い。
そう言って、手を引く事にした。

むしろ、周りの大人たちが、
あれやこれやと手を焼いてやっているのが
誠に気の毒に思えて、
そしてその末に、疲れてしまったと言う人も出てくるのを
全くさもあらんと思えて、

分かりますよ、ワタシもそうだもの。

そう言って、
控えていたのだが、
もう一言だけ、言い添える事にした。
これでもう思い残す事は無い。


双方の言い分が分かるだけに、
中々双方が納得の行くような言い回しを思い付かないで
困っている人は多いだろう。
また、こんな事で誤解する人もいるのなら、
おちおち意見なんて出来やしない
と、却って不安になる人もいるだろう。

ましてや、敵と味方の区別も付かずに、
猫も杓子も片端から責め立てているのを見るにつけ、
これではもう何を言っても無駄だろう
と、諦めの気持ちが先に立つ。

そういう事を、
あの大きなコドモたちは
分かっているのかしら。
折角の理解者たちを、自ら遠ざけている事を。



2004年12月22日(水) 片やこんなで、片やあんなで、人生とはつくづく不公平なものなり

今日になってすっかり温んできたけれど、実は昨日の天気のショックがまだ抜けない。我ながらなんとへなちょこな事だろう。とほほ。

そうそう、昨日の日記で言い忘れたけれど、実際の気温はマイナス11℃でも、体感気温はマイナス20℃との事だったので、外出を躊躇したのにはそういう背景もあった。それもこれも、みんな風がいけないのだ。


ところで今日は調べ物ついでに、同朋の同業者の皆さんのサイトを開拓してみたのだけれど、その中には同業も同業で、近々是非お近づきになりたいと思うような人のがあったかと思えば、随分ふざけた輩のにも出くわして、一寸気分を悪くした。

ワタシが日々これ程苦労しているというのに、そいつは小細工やら情報操作やらをしながら適当にやってみたら簡単に此処まで辿り着いてしまいましたよあははは、というような体験談を書いていて、しかも同じ事をやっている割には目指しているものは随分違うので、まあ価値観の違いと言ってしまえばそれまでなのだけれど、ワタシとしては随分遣り切れない思いで、くらくらする頭を抱え込んでしまったのである。

以前にも回りくどい言い方で分かり難く書いたが、ワタシはこの業界へ入ってくる時、様々な不手際と予期せぬ不都合の数々に見舞われたので、あの時もう少し知識があればとか、もう少し物が分かっている先達があってくれればとか、あそこでもう一寸まともな担当者に当たっていればとか、色々と歯痒く思う事が多い。

それなりに調査もして、人にも聞いて回り、持てる情報をじっくりと吟味した上で決断したにも関わらず、結果が余りにも予想と懸け離れてしまった所為もあって、暫くの間人生や将来に全く希望が持てなくなってしまった。あれは星回りが悪かった所為だと信じたい。あのような事は、これまでの人生でも稀に見るどんでん返しというか、挫折中の挫折である。

しかしこうして見てみると、同朋の皆さんの中には随分恵まれた状況にいる人も多いようだ。尤もだからこそ、そうやってウェブサイトに紹介したりなどする気になるのだろう。

彼らの多くは、入って来た当初からあれやこれやとお膳立てがなされていて、手助けをしてくれるスタッフやメンターにも恵まれ、あとは自分の力を発揮して課題に邁進するのみという、大変羨ましい状況を手に入れている。それらを読んでいくにつれ、ワタシの人生は一体何処で間違ってしまったのだろうと頭を捻らずにはいられない。

しかし先日来そうやって頭を捻り続けていたのだけれど、今回このふざけた野郎に出くわしてしまったが最後、ワタシはもうこのままでは終われまいと、恨みを晴らさねばという勢いで、俄然張り切り出している。

こんな奴でも出来るのだ。そして奴は、随分簡単だったよなどと触れ回るのに違いない。ワタシはこんな奴にすら負けてしまうのか。こんな誤魔化し野郎にまで。こんなに人生を舐め腐った野郎にまで、ワタシという人間の価値は及ばないというのか。


いいや、そんな事は許されない。そんな冒涜が許されてはならない。



許さないわよーーー!!!



と、コンピューターの前でぷるぷると拳を握り締める、独身女性ひとり。お陰様で、もう寒くは無い。


作業に戻るとする。


2004年12月21日(火) 夜になったら−11℃になっていた

この時期になると、天気の事が気になる。実に毎日の関心事である。

以前住んでいた街が国境沿いの湖周辺で豪雪地域だったのと比べると、今住んでいる街は比較的雪は少ない事になっている。その代わり、海からの吹き曝しと、大都会らしくビル風が吹き荒ぶのと、それから湖地域からの吹き降ろし効果で、寒さだけは相当なものである。

去年は何度か寒波がやって来た。一番寒い時ではマイナス18℃というのがあって、これがニ三日続いたから、外を歩くのも恐々していた。凍て付いたアスファルトは良く滑るし、雪が降った後なら尚更足型の付いたまま固まって、大変足場が悪いのである。

もっと北の街では、同じ頃マイナス50℃に届いたらしいから、去年の冬は特に寒い年だったのだろう。

この街の人々は、いつもは薄っぺらなレザージャケットなどを着て洒落込んでいるのだけれど、大体マイナス10℃を切る辺りから、ダウン入りのロングコートを着るようになる。これは首元から足元までをきっちりと被い、外の生地は風を通さず、しかし軽い素材の頼れるやつが良い。フード付きなら、尚更グーである。

今時毛皮のコートを着ている人は、ロシア人かヒップホップ業界の成金野郎ども以外見掛けないが、それでもこの位寒くなると偶にいて、大概老人である。老人相手では、カラースプレーを吹掛けてやりたくなるのを、ぐっと堪えるしかない。今にも肺炎に罹りそうな人々を、この期に及んで苛めてはならない。

勿論ニットの帽子にマフラーと手袋の三点セットは、氷点下になった辺りからの必需品である。この三点セットは、寒い地方ではどこへ行っても、外出の際にはくれぐれも忘れずにと繰り返し注意を受ける。それくらい死活問題である。それ以外の衣類が心許無くても、この三点セットがあれば、ある程度まで凌げるからである。要するに、皮膚が出ているところから寒さは侵入してくるのである。

だかそれも、寒さが進むと、どうにも足りなくなってくる。手袋やニット帽は二重になっている物が必要になる。または、二三枚重ねて身に付けたりする。日本で百円で買ったのびのび手袋では、対応が難しくなってくる頃である。


そういうワケでワタシも必要に駆られて、数年前にセールでダウンのロングコートを購入した。伊太利亜メーカーの物らしく、サイズが丁度良かった。色も気に入って、着心地が良かったので、これを氷点下辺りから着始めていたら、去年のマイナス18℃の頃には後悔する羽目になった。身体を甘やかし過ぎてしまったのである。

それで今年は少し我慢して、マイナス5℃辺りまではキルトジャケットか厚手のフリースジャケットのいずれかでやって行こうと決めたのだ。

それなのに、今日はその我慢の甲斐あっていよいよマイナス11℃に届いたというのに、ワタシときたらすっかり怯んでしまって、特に急ぐ用事で無いから、明日になれば少し温むだろうから、と結局外出しないで過ごしてしまったとは、何というへなちょこ振り!ちゃんと朝シャワーも浴びて、出掛ける心積もりはしていたというのに!持ち物も前夜から詰め置いて、コートも三点セットもクローゼットから出してきて、ちゃんと準備していたというのに!おズボンの下に穿くウールのタイツも靴下も毛糸のパンツも皆、ちゃんと枕元に揃えておいたというのに!


ワタシはどうも、寒い土地に長く住んでいる割には、寒さが苦手である。寒いと聞くと、防寒具を更に購入して備えなければと心配になってくる。より暖かいコートやブーツがあると聞けば、どうにも欲しくて堪らなくなってくる。実際の寒さや充分な備えの有無と別のところで、どうも「寒い」というのに、何かがあるような気がする。

これは小さい頃山頂のテントの中で寒さを堪えながら何日も過ごした経験が、トラウマになっているのだろうか。両親の趣味に付き合わされて、充分な防寒具の無いまま耐える事を強要された末の、学習効果だろうか。

何しろ歩き始めた一歳の頃から、毎年二度は長期休暇を取ってあちこちの山に連れ歩かれたから、そのうち何度かは高地で悪天候に祟られ、身動きの出来ない日々があったのだ。幼児体験がその後のワタシの寒さ恐怖症に繋がったとしても、不思議は無いだろう。

そう思いながら、ワタシはスウェットシャツのフードを被り、マフラーを巻き、ダウンベストを着て、ヒーターの前でこれを書いている。


ところで今ワタシが大変気になっているのは、隣の家のイヌが吠えているのが聞こえるという事なのだけれど、これは一体どういう事なのだろう。これは動物虐待と言って良いのではないかと常々思っているのだけれど、隣家の老夫婦はこれについてはどう考えているのだろう。

階下に住む大家の家にもイヌがいるが、これは冬場は大抵室内に入れて貰っているから、泣き声を聞く事は殆ど無い。ところが隣の家のは冬でも始終外にいるので、ワタシが帰宅すると鼻を鳴らして寄って来る。可哀想でならないので、とりあえず金網越しに身体を撫でてやったり声を掛けたりして、適当にしたらワタシは家に入るのだけれど、そうするとそのイヌはまた鼻を鳴らして泣いているのだから、心苦しい事極まりない。

しつこいようだが、今日は今年一番の寒さを迎えた日である。とりあえずマイナス11℃である。幾ら毛皮のあるイヌであっても、外に放置は不味いだろう。

他イヌ事ながら、とても気になる。


2004年12月20日(月) 只今午後の段階で気温は−8度だそうで、昨夜の雪が積もってもいるしで出掛ける気が失せる

先日来書いているネットでの行き違いについて、ワタシの中で結論を出した。

結局のところ、ワタシには他人の心の中で起こっている事についてまで責任は負えない。だから、幾ら言葉を尽くして思うところを説明したとしても、理解して貰えない事もあるだろう。それは相手の読解力や理解力という初歩的な問題もあれば、その時の精神状態が偶々混乱していて冷静に話が聞ける状態では無かったという様なのもあるだろう。

いずれにせよ、ワタシ個人の側では解説を加えるなり別の視点から物事を見てみるなりと変更の仕様もあるけれど、他人様の事では手の施しようが無い。ましてや、互いに歩み寄る為の努力をする気が相手の側に無いのなら、こちらとしてはお手上げである。

そういうワケで、一通り説明を加えた後でお手上げ宣言というか、これで分かって貰えないのならもう結構という事で、引き上げて来た。個々人の意見の相違すら認め合いたくないのなら、致し方無い。


そもそもの始まりは、その話題に入る際、レズの彼女らの方から質問して、事情を知る人々がそれに正直に答えてあげたまでの事である。それをショックだ偏見だと騒ぎ立てているから、ほれ見た事かと気の毒に思ったのだ。特に彼女らのうちの一人は最近セクシュアリティ絡みで酷い経験をしたばかりだと言うから、尚更「フラッシュバック」と言って当時の色々な感情が蘇って来る状態になり易かったのだろう。

それが容易に想定出来たからこそ、関係者の方でも言い難い事を承知の上で、言葉を選びながら返答したのだろう。ワタシはそういう善意の人々を却って責め立てるような事態になっているのが居たたまれなかった、というのもあって助太刀をしたのだけれど、それはどうやらとんでもないお節介だったようだ。

それにしてもワタシの言った事を勝手に誤解して、それに勝手に過剰反応して、辛らつな言葉を並べて人を散々非難しておいて、いざそれが勘違いだったと分かったのなら分かったで、何か言う事があるんじゃないのかと思う。しかし呆れた等と言い捨てて〆てしまうのだから、こちらこそ呆れて物が言えないというものだ。


しかし今回の件でよくよく思い知ったけれど、二ホンジンというのは本当にとことんまで止めを刺さないではいられない人々なのだろうか。仲間同士なのに何故そこまで酷い言葉を並べて責め立てるのだろう、等と「仲間意識」を持っていたワタシの方が余程ナイーブだったのかと思われる。

そう思って、他の同種のサイトを回って見た。ある人が、そういうサイトの中には情緒不安定なサバイバーもやって来るから、精神的にバランスが良いとは言えない書き込みもある、という事を書いていて、納得した。結局は現実社会で折り合いをつけてやって行くのが当面の目標であるから、サイト上でのコミュニケーションは一寸異質な状況というか、半分妄想の世界というか、偏った現実というか、兎も角それをそのまま実社会に引きずってはいけないと思った。

あるいは、これは二ホンジンというより、以前のワタシがそうだった様に、自分が正しいと信じて疑わない人々に偶々当たっただけなのかも知れない。

それなりに挫折の多い人生を送って来たワタシだけれど、そういう自分の経験に過信して、人生の全てを分かった様な気になっていた頃があった。そういう状態だと、人には説教口調にもなり易いだろうし、また自分が間違っているかも知れない等とは夢にも思わないから、一歩引いてみるという事をしない。こうと決め付けた言い方も多くなるだろうし、それに人々が従うのを期待しているようなところもあるだろう。

これは実際、ワタシが父からされていた扱いをそのまま体言したに過ぎず、憎んでいる割にはその影響を大いに受けて育ったという事を、こうして書きながら改めて思う。

そう考えてみれば、ワタシが怖いもの知らずだった頃の友人と、それ以降の過渡期から今に至る時期に付き合っている友人とでは、割合はっきりと区別が出来ている様に思う。幼少期から現在まで続く友人らや過渡期以降の友人らと比べて、怖いもの知らず期に密度の濃い付き合いをしていた友人らとは、今では殆ど関わりが無くなっているのだ。

怖いもの知らず期の友人らに、ワタシがそれまで受けていた虐待の末の顛末であるという事情を理解して貰えたらいいのにと思う。

虐待的体質の家族と離れて暮らすようになって以来、様々のネガティブなしがらみから解放されて、また一人で様々な困難に立ち向かっていくうち、ワタシは随分変わった。過去の自分を振り返って気の毒に思う反面、他人に対しては傍若無人な振る舞いが恥ずかしくもあり、自分が以前とは随分違う人間なのだという事をじっくり話して聞いて貰いたい様な気がするのである。

しかしそれと同時に、人生の色々な段階で出会う人々とは、何らかの縁があっての故であるから、その時の自分の成長にとって彼らとの出会いは必要だったのだろうし、それ以降関わりが無くなったという事はつまり、彼らとの出会いの役目は終わったという事なのかも知れないとも思う。お役御免となった出会いに固執していては先へ進めなくなるから、それはそれと心得て、次の新しい出会いを心待ちにしつつ、引き続いている出会いを大事にしていくのがいいのだろうか。


兎も角、今日で水星が順行に戻り、明日は太陽も次の部屋へ引越しをするし、これで新たな季節が公式に始まるのだから、過去の話はひとまず終了として、未来へ向かってレッツゴー!懸案事項をさっさと片付けて、来週には何とかして小旅行へ出掛けられる様取り計らう心積りである。今日からは仕事と天気の心配だけして過ごす事にしようではないか。


2004年12月18日(土) an exhausting persuasion

Well, it turned out that they don't agree to disagree.


2004年12月16日(木) 昨日は一日氷点下だったけれど、今日は少し温んで氷点上

とある虐待のサバイバーの為のサイトで書き込みをしていて、行き違いが起こって困った。

元々インターネットやメールでの文章というのは、誤解が生じやすいものではあるが、加えて少々デリケートな話題だったので、尚更拗れてしまったようだ。

尤もワタシを含めて様々な虐待を受けて育った人々が議論をする場所だから、過去の経験を触発されて過剰反応を起こしたり、また気分が悪くなったり鬱になったり不眠になったりと、色々と事情もある。

そういう事を踏まえた上で話をしていく訳だが、虐待については周囲の認識不足から理解されずに辛い思いをする事も沢山あるから、せめて此処だけでも心の拠り所となってくれればと集う人々がやって来る。ワタシもそのうちの一人である。同じ様な立場の人々同士だから分かり合える事もあるし、多くを語らずして理解が得られるとの思いもある。時にはそれを過信してしまう事もあって、今回の件などは恐らくそれだと思う。またはワタシの日本語能力の問題もあったのかも知れない。


話題は同性愛者に関してのものだったのだけれど、ワタシの住む街にはどっさり住んでいるし友人も何人かいるから、彼らが日頃受ける差別や偏見についてはよく聞くハナシである。以前いた街でも同性愛者の集中する小さなコミュニティがあって、彼らは一様に親切で「小さなアジアの女の子」(=ワタシ)を可愛がってくれたから、ワタシに取っては馴染みのある人々というか大切な友人らである。

しかし日常会話やテレビ等でも、彼らの人権を無視した品の無い冗談はよく飛び交うし、またこの同性愛者めなどとからかわれて本気で怒っている異性愛者の友人(これは特に社会的少数派、有色人種の男性に多いようである)もいるくらいだから、ああまたかと半ば呆れて見ている。

尤もワタシ自身が「黄色いヒト」扱いだから、人種にまつわる無礼な行為を目の当たりにするのも日常茶飯事だし、それで悔しい思いをしたり不条理に憤ったりするのも、またよくあるハナシであり、しかしそれで一々反応していては身が持たないからそれなりに適応するというか妥協するというか、まあ慣れっこになっているわけだ。何年もこういう土地で暮らしていると、来た当初よりは当然経験を積むから、少々の事では憤慨しないようになる。単に歳を取った所為もあるだろうが。

そういう訳だから、ある人が同性愛者に関して誤った認識があった某件について「ショック」だと言っているのを聞いて、正直随分ナイーブな人だなと思った。昔の方が今より偏見を持たれていたのはある意味事実だし、それがそんなにショッキングな事だろうかと、不思議に思った。

それで、まあそう気を落とさずに、というつもりで、その件は偶々そういう経緯だったかも知れないが、何年か前に偏見に基づいてそういう次第になったとしても悪気があった訳では無くて、偶々便宜上の措置であったのだろう、という様な事を書いた。そうしたら奇麗事だ自意識過剰な「投影」だ、悪気が無ければ何を言っても良いと思っているのかと言う人がいた。その余りの勢いに、ワタシは暫し言葉を失った。


書かないで言外に含めたつもりの点は次の様な事である。「クローゼットから出て来て」(自分が同性愛者であると対外的に告白して)以来何年経つのかは知らないが、少なくともいい歳の大人ならば、ワタシたちが生活するこの社会がどれだけ不公平で様々な差別や偏見に満ちたところかというのは承知しているだろう。そして残念ながら自分が少数派である場合、その少数派の意向は度外視されがちな社会でもあるという事は、そのモラル的善し悪しは兎も角、そういう事情が存在するという事自体は事実としてある程度受け入れられなければならないだろう。

…冷たく聞こえるかしら。でもそう心得ておかないと、自分が傷つくだけじゃないかと思うのだけれど。

これがまだ若い人だったら、話は違うかも知れない。世の中の苦く辛いところをまだ知らない若者だったら、こんな事を聞いたらショックを受けるのかも知れない。でも凡そ察しは付くものではないかとも思うけれど。

それとも日本ではそういう事は表立って話し合われないから、免疫が出来ていないのだろうか。ワタシはそれこそ奇麗事だと思うから、こういう事ははっきり本当のところを言うべきだと思うけれど、言わないのが良いと思う人もいるのかも知れない。


例のショックを受けた人は、性虐待のサバイバーである所為もあってか、随分ショッキングな事として受け取ったようだけれど、案外それは実際以上に受け取って反応しているのではないかとも思う。悪く言えば、本人にそういう認識は無いかも知れないが、「被害者意識」が強く前面に出た様な感じがする。

これはワタシ自身も時折反省するのだけれど、虐待の日々を耐え忍んで生きて来たという感覚は、下手をすると自分を過剰に被害者扱いしてしまいがちである。自分を可哀想がってしまうと、物事を自力で処理出来無くなってしまう。運命を呪い過ぎると、日々降って掛かる大小の困難に立ち向かうのが鬱陶しくなってしまう。これはワタシの場合、後の様々な苦労も重なっているから、満更被害者であるのに間違いは無いのだけれど、だからと言って自分を甘やかしてもいけないとも思う。自分を労わるのは大いにやるべきだけれど、そして虐待サバイバーは概してそれを知らずに育っているから尚更重要だけれど、しかし甘やかすのは命取りでもある。

…などと思える辺りまでワタシは回復したから良いようなものの、そうでない人々が沢山居るサイトだから、そういうところでこんな冷めた現実的な事を言ってはいけないのかも知れない。日々の様々な症状を乗り越えるのに精一杯な人々に対して、仕様が無いじゃないそれが現実なのだから等と言ったら、却って症状が悪化してしまうだろう。それでは余りにデリカシーが無いというものだ。

ここいらが丁度潮時なのかも知れない。

此方のサイトに出会ってから、何度救われたか知れない。遠い空の下に似たような境遇の仲間が居る、と思えば、辛い事もまだ耐えられる気がして、本当に心強かった。お陰でワタシも漸く心の安定を取り戻す事が出来た。

しかしワタシは今、有難いのと同時に、同朋の執拗な追及というのか、ちょっとのミスも許さず徹底的に息の根を止めないと気が済まないかのような非難の応酬に、すっかり閉口している。そういえばいい年をした大人が職場でも「いじめ」をするように、陰湿な抑圧された恨みのようなもの、何かこう、何としても誰かを蹴落としてやらないといられないという様な鬱屈した気味の悪い性質が、どんよりと回線を超えて伝わってくる様な気がしている。辛うじて保たれているワタシのエネルギィが吸い取られ、呼吸困難に押しやられていく。

星回りも良い頃合の様だから、やはりここいらが潮時か。

楽しい事には、全て終わりがやって来る。


2004年12月15日(水) 只今の気温は-5.5℃だそうだが、うんこの事について書いている

ワタシはうんこが出ないで困った例が殆ど無い。時差を有する旅行に出たとか人の家に泊まったとかいう様な、余程の事態に遭遇しない限り、ワタシのうんこは日々それなりの量がそれなりに一定の時間帯に排出されている。今日は何故か二度も大量なのが出たので、一寸驚いてこんな事を書いているけれど、あれは一体何事だったのだろう。

食べた物も、特に日頃より多く食べたとか少なく食べたとか、そういう変化は無かったと思う。穀類が幾つも入ったパンやご飯をいつも通りに食べたし、野菜もそこそこに食べた程度で、特に心掛けた事は無い。強いてあげれば、一日家にいたから、お茶を沢山飲んで過ごした事くらいか。

うんこと肥満や冷え性等の問題を抱えた女性との関係については以前にも書いたけれど、ワタシの冷え性についてはそういうワケで水を沢山摂るようにしたら随分良くなった。しかしそれとワタシのうんことは、特に相関関係は無いように思われる。本当にあれは一体どう理解すれば良いのだろう。



ところでうんこの話で思い出したけれど、知人にうんこが出ないで困っている奥さんと、日に四度もうんこをするダンナという夫婦がいる。

ここんちの夕食に呼ばれた時、うちはご飯が大目なのよね、と言って出されたカレーを見て、一寸肝を抜かれそうになった。

それはご飯が大皿一杯に山盛りになっており、その上からカレーは並々と溢れんばかりに盛られ、しかし当然それではカレーが足りないから、ご飯を完食しようと思ったらカレーを何度かお代わりしないといけないのだ。ご飯自体は、そうさね、普段うちで食べている茶碗の三倍強はあったか(と言ってもワタシの茶碗と貴方の茶碗はサイズが違うかも知れないので、この比較は無意味)。ワタシは食べる前に半分位に減らして貰ったのだけれど、それでも後半はもうすっかり持て余してしまった位だ。

ワタシはこれでも結構食べる女である。基本的に出されたものは残さないし、ファストフードの類に至ってはこの国のサイズにすっかり慣れてしまったから、コンビネーションで頼んだ此方サイズの草鞋若しくは赤子の顔程もあるハンバーガーにミディアムサイズのフレンチフライ(は日本的に言うところのラージサイズ)にミディアムサイズの炭酸飲料(同)を、こちらの皆さんと同様難なく完食する。

またある時には、この国の体格の良い大学出たてのオトコノコに、こんなに(俺以上に)喰う女を初めて見た、と言わしめた程のものである。全く売れ頃のいい女が、面目丸潰れ。

これは一応言い訳をして置くけれど、朝ご飯と昼ご飯、または昼ご飯と夕ご飯が一緒になってしまう事が多いから、必然的に一回の量が増えてしまうのがいけないのだ。だから平均にしたらそれ程でも無いのだろうが、偶々その日は日中食事の時間が取れなかったから、折角美味しそうなオトコノコと一緒に美味しい夕ご飯を食べましょうとなった段には、斯様な有様だったという訳である。

だからと言って、ワタシは人より格別体格が良い訳でもなければ、胃下垂でもない。尤も消化器系統の働きが幾分悪い様なので、呑み過ぎや食べ過ぎには留意する事にしてはいる。


いや、食事に寛大な夫婦だという事を言わんとしているのではないのだ。確かにこの夫婦は二ホンジン的には多少大きめではあるけれど、それでも特に肥えているという印象は無いから、まあ中年太り程度の部類に入れて良いだろうと思う。双方辛うじてまだ中年の域には達していないように思えるのが難だけれども。

ワタシが言いたいのは、奥さんはこの勢いで食べているのに、それを中々「出さない」のだから困るという事である。

そしてこのダンナは、この勢いで喰う割りに「稼ぎが無い」のだから、更に困るという事である。つまり、稼がないのに喰うだけ喰って、日に四度もうんこをするのである。(余計なお世話だが。)


元々は奥さんの方がこちらへ先に出て来ていて、ダンナは日本での仕事を辞めて後を追って来た。以来ダンナは「無職」である。奥さんは大学院で勉強していたのだけれど、始めの頃は奨学金が出たので、ダンナは奥さんの「扶養家族」という事になっていた。そしてそれが切れると、奥さんは学業の傍ら少しずつ仕事をするようになった。

「傍ら」と言っても、ダンナと自分を喰わせなければならない訳だから、結局学業に遅れが出た。お陰で彼女は、やれやれ、もう何年学校に居るのだろう。日本で途中までやってからだから、通算十五年じゃ効かないだろう。漸く受けた試験では教授も匙を投げたと人伝に聞いたから、どうなるのやら。

奥さんが大学院に行っているのに、自分が高卒では釣り合わないと思ったのだろうか。ダンナはこちらで大学に通うつもりで居ると胸を張る。初めからそのつもりで来たから、働く気は無いらしい。仕事をしようと思えば無い事も無いが、しかしそれをやってしまったら本末転倒だから、だから働かないのだと言う。

それにしては現地語会話が一向に上達しないダンナだから、ワタシにはこの理屈は良く理解出来無かったが、兎に角ダンナは働かないと堅く決めて居るという事だから、それについては放って置いた。それでは一体何をして日々過ごしているのかと言うと、夫婦が週末に通っている教会へ毎日出掛けて行っては、そこで建物の修理だの寄付品を集めたバザーの準備だのといった、「ボランティアワーク」をしているのだという。

そしてそこへ出掛ける時には決まって、それじゃあこれから「ワーク」(仕事)に行って来るから、などと言うのである。

それを聞く度ワタシは、「ワーク」じゃなくて「ボランティアワーク」だろう、とか「仕事」と言うからには金を貰ってこその「仕事」だろう、そんな事だから婚約指輪ひとつ買ってやれないのだこの甲斐性無し、等と悪態を付きたくなるのである。甚だ余計なお世話なのは重々承知だが、嫁入り前の売れ頃女子には、打って付けの反面教師である。


そういうワケで肉体労働が多い所為だろうか。ダンナは何しろ良く喰うし、また良く屁もこく。

ある時など、誘われて大人数で野外に出掛けたのだが、ふと気付くと、前方を歩く彼が恰もイヌの用足しの様に片足をひょいと上げたのでおやと思うやいな、ぶはっと破裂音が響いたから驚いた。ワタシは目を丸くして、まさか今のは屁では・・・?とたった今目の前で起きた事を信じられずに凝視しているのだが、彼は何事も無かったかの様に歩いて行く。

あの傍若無人振りには、恐れ入った。あの様子だと、いつでも発射準備は万端と見える。

ところが奥さんの方は、もう半月も出ないで困るなどと溢しているのだ。例によって水を飲めと薦めたのだが、どうやら続かなかった様だ。それきりうんこの話を聞かないから、恐らく水を飲むのは止めにして、ついでにうんこも出し渋っているに違いない。

女の方が色々なものをよく堪えるのが常だから、便意も感情も何もかも、すっかり体内に溜め込んでしまうのだろう。気の毒な事である。


とは言え、他人のうんこ事情に一々文句を言うのも無粋と言うものであろう。ワタシのうんこはお陰様ですっきりさっぱり、出るべくして日々出ているのだから、人様のうんこが何処でどう油を売っていようとも、ワタシには痛くも痒くもない話ではある。鼻面に屁を吹き掛けられさえしなければ、ワタシはただ黙って人様のうんこ事情を理解するに務めようという所存である。

それにしても出すものまで分担が行き届いているとは、今時の夫婦の間柄というのは、他人には一寸分からないものである。


2004年12月14日(火) 祝 思いがけずテレビ生出演

この週末、ボランティア活動をした。

ワタシの住む街には、毎年十二月になると、家庭で不要になったコート類を集めて家の無い人々や生活に苦しむ人々の為に活用しようという、もう彼是十五年程続いた活動がある。テレビのコマーシャルにもなっているから、ワタシも度々目にした事がある。これに突如参加する事になった。

当初は今度のクリスマスに、家や家族の無い低所得の人々を対象に七面鳥を初めとした暖かい食事を提供するというボランティアに参加しようと思いついたのだ。しかしそれをやるには「オリエンテーション」というのを先ず受けないといけないというので、一番早いスケジュールを見たら偶々その寄付されたコートを整理するやつのと重なっていて、ではと気合を入れて日曜の朝六時半集合というのに出掛けて行ったのだ。

それは街の端っこにある市場の中にある倉庫であった。倉庫内は寒いから重ね着をしてくるように、とメールで予め連絡があったので、ワタシもその通りに着込んで行った。

この所十二月だというのに、コートを着る程でも無いような寒さの日が続いていたが、今週から漸く吹雪きそうに寒くなるという事で、川沿いは次第に風が強さを増していた。

早朝の街を歩くのは久し振りだった。日曜だというのに、それでも電車には数人腰掛けていたので、日頃ワタシがまだ呑気に夢を見て居る時分にこうして勤勉な市民の皆さんが仕事へ出掛けて行くのか、と何だか有難い気持ちになった。何時までも寝呆けている日頃の自分に、暫し反省。

少し迷って、やっと到着すると、人々は既に活動を始めていた。寄付されてきたコートの山を崩しながらテーブルの上に乗せていくグループ、それを男性用、女性用、子供用、それより小さな子供用、の四種に分けて積み重ねていくグループ、更にその分けられたコートを数枚ずつビニール袋に入れて種類毎に山にしていくグループ、に分かれていた。ワタシも簡単な挨拶を済ませた後、そのうち種分けするグループに加わった。

これが貴方、意外と大変なの。

何しろこちらの人々は体格が良いから、日本的には中くらいの女性であるワタシは小さい部類に入るので、そのワタシから見て大きい女性用サイズと男性用サイズの見分けが中々付かない物もあって、コートを手に暫し迷う事になった。ボタンが右前とか左前とかデザインとか、そういうのだけでなく、肩幅も考慮に入れると良いというので、汚いかも知れないコートを軽く身体に当ててみたりしながら、また周りの人々に相談しながら、作業を進めて行った。お陰でこれは中々和気藹々とした、いい感じの作業でもあった。

主催している団体の担当者は、大変親切な若い女性たちであった。揃いのスウェットシャツに団体名が入ったのを着て居るのがそうで、それ以外に作業の場に不釣合いなビジネススーツを着込んだ人々が数人話し合っていたり、更によくよく見てみるとテレビクルーがいた。

そういえば、迷った序でに裏口から入って来た時、大きなバンが停まっていたのを見たのに気付く。

そして暫くすると、本当にそのテレビクルーは、生放送の撮影を開始したのだ!

ワタシは期せずして、初めてローカルテレビの生放送にご出演と相成った。祝。


皆さん、それではこちらがそのボランティアの皆さんです!と言ったら、カメラに向かって笑顔で手を振って下さいね。

ワタシたちは言われたようにテレビに向かって手を振り、画面に入らないからこちらに寄って作業をして下さいなどと言われるままに、リポーターの後ろで込み合いながらせっせと作業に励んだ。

この日の早朝数時間の間に、約2000着のコートを整理したそうだ。

そしてその間、度々生中継の機会があって、ワタシたち数名の初心者ボランティアは途中オリエンテーションを中断してコート整理の作業に加わったりして、少し慌しい数時間であった。

一頻り撮影を終えて、テレビクルーが帰って行く頃、ワタシたちの活動も終了した。

今回はテレビが来るので臨時に早朝から人を呼んだけれど、いつもは九時から五時の間にコート整理の作業をしているのだそうだ。これは一月初旬まで続くので、それまでに都合が合えばいつでも来て作業に参加して行って構わないとの事だった。

しかし生放送というのは、先に言ってくれないとビデオの予約録画も出来やしないから、自分で自分がテレビに出ているところが見られないのが、誠に残念。


2004年12月09日(木) 心に迷いがある時は尚更読書が良い

先日は眠れなくて、この間の 感謝祭の休暇中に買って来た日本語の本をつらつらと読んでいたら、ついつい徹夜になってしまった。

元々ワタシは、出掛けには必ず文庫本を一二冊カバンに詰めて行く程度には読書が好きだったのだけれど、片道二時間半の学校へ通っていた頃はもう乱読で、古いのから新しいのまで片端からよく読んだ。とはいえ、いつまでも飽きが来ないのは、やはり実のある古典的な作品で、明治から大正辺りのが好きで、新しいものはノンフィクション以外好まなくなった。

尤も後になって、業務上止むを得ず日々吐くほど読まされるようになってしまったから、読書が趣味で御座います等と呑気な事を言っておれなくなってしまった。

それに今となっては日本語の本は中々手に入らないし、いや勿論売ってはいるのだけれど、ワタシの経済力ではそうちょくちょく買う訳にもいかないので、その辺りは控えめである。自ずと、同じのを何度も読み返す羽目になる。言い換えれば、何度も読むに耐えない本は、手持ちの中には置いていない。なにしろ隙間という隙間をやり繰りして埋めた本棚には、もう余裕がないのである。

そういう訳だから、先日の買い物は、久しぶりの贅沢である。本屋は何時行ってもわくわくするね。


今回は平岩弓枝の『御宿かわせみ』と宮尾登美子の『陽*楼』(ようきろう、「き」は日偏に軍だが、ワタシのコンピューターの辞書には出て来ないから、常用外か)を買った。女モノばかりである。

時代劇も好きで、お気に入りは『鬼平犯科帳』なのだが、あれは大長編だから、一から揃えていくとなると置き場所やら資金やらの心配も出てくるし、なにしろ次に引越しをする時の事を考えると無闇矢鱈と物を増やすのも考え物だから、容易に手が出せない代物である。『御宿かわせみ』もシリーズがあるようだが、今のところはこれひとつを大事に読んで行こうと思っている。どちらも、いつもいつも「此れにて一件落着」とばかりに上手く解決が着く事ばかりではない、現実的なところが、大人向け、世の中の在り様を分かっている人向けな感じがして、気に入っている。

『陽*楼』は比較的新しいところで、昭和初期の作品である。今回これを徹夜で読んだ次第だが、この読後の感じはなんとも言い難い。

というのも、ワタシはこの主人公に、なんだかすっかり嫌気が差してしまったのだ。人から何と言われようと黙って耐える女、というのは、日本的には美徳のうちとして良い印象があるのかも知れないが、こうまで言う事を言わないで遣られっぱなしなのも、見ていて苛々する。まるでその「耐えている」という事を周囲(または読者)が当然好感を持ってくれるものという前提があっての話、という日本特有の文化的背景があるから、尚更嫌らしい。しかもこの人の場合、自分の言い分を言える機会はそう無い立場だというのに、僅かな機会すら活かしていないのも、余りに間抜けで腹立たしい。

そうは言っても、或いはワタシ自身の中にそういう「負け犬」的要素(と書くと今時の流行言葉の所為で誤解を招きそうだから気が進まないのだが、他に適した語が見当たらないので致し方無い)があるのを承知しているから、まるで鏡を見ているようで気に入らないのかも知れないとふと思う。

苦い話を序でに話せば、こんな次第である。ここで ほぼ日さんというところから週に何度か届くメールサービスの中で、父親についての投稿を集めた中に手頃なのが丁度あったので、例に挙げる。おとーさんの話はこの際無関係である。


「数年前の今ごろ、父はガンで入院し、
  もう末期で寝たきり、
  ほとんど何も分からなくなってしまってた。
  私のレポートを丸写しした女が
  それで何かの賞を取った。
  父の病室で,寝ている父越しに、
  怒りを母にぶつけてた私に向かって
  突然父が
  『見ている人は見ているもんだ、またがんばれ』
  と言った。
  そのまま亡くなったから、その言葉が遺言です」

ほぼ日刊イトイ新聞(デリバリー版)2004年 12月7日(火)第853号より抜粋


読んだ時、一瞬ぎょっとしたのだが、ワタシも同僚にプロジェクトのアイデアから資料から、そっくりそのままかっさらわれた事がある。更にワタシが四苦八苦しながら会議でやっとこさ発言すれば、必ずその後に続けてなんやかやと難癖を付けたりこき下ろしたりと、意地悪のされ通しだったのである。

ワタシもこの投稿者の様に励ましてくれるおとーさんがあれば、まだ傷の癒えも良かったろう。しかし相手は年下の同朋だったから、この女もまたワタシの知る「同朋に無慈悲で時に競争心を顕にする海外在住二ホンジン」かと、改めてがっかりさせられた。

只解せないのは、この女は業界では有名な学校を出て学位も取っていたし、そのまま某国際機関へ務めたりもしていたから、人のネタを盗まないでも充分実力を誇示出来る筈の人間という事である。それが何でまたワタシのような、当時その業界ではまだ知識も経験も無くお手柔らかにと言ってお茶を濁して居るような新入りと張り合う必要があったろうか。同じ二ホンジンという事を利用して差を付けようとは、なんという性悪かと、思い出してはむかっ腹を立てていた。

尤も、その某国際機関というのは、始終そんな事をやっている処だそうである。あそこでのし上がって行くには、学位と専門分野に於ける職務経験の上に、同僚を蹴落とすあの手この手が要るらしい。それが「国際」になっただけの事で、何処の国でも官僚がやっている事と実質大差は無い。

勿論今ではワタシも少し冷静になって、それだけ自分に自信が無いからそんな姑息な手を使ってまでアピールしたかったのだろうという事は理解出来るけれども、しかしこの女に対して、当時のワタシは然したる手立ても講じられず、結果的に泣き寝入りの状態になったのは事実である。

そしてそういう負け犬の愚痴には滅法冷たいのが、この土地の人々である。誰一人それはお気の毒に等とは言わない。遣られっ放しで泣きべそをかいているのは子供だけで、大人は断固として立ち向かわなければならない。それが出来ないからと言って、誰かが横から手を貸してくれる事もない。弱い者は滅び、強い者だけが生き残る、まるでダーウィン様の仰せの様な世界である。

だから、そういう不甲斐ない自分の姿がかつてあった事は嫌でも良く覚えているから、本なんかで似た様なのに出て来られては、ワタシとしても悔しくてならないのだろう。


しかし参考になる部分もあった。

これは花柳界の話だから、小さい頃から借金の片に連れて来られた娘たちが、日々踊りや三味線、唄等の厳しい稽古に励む訳だが、主人公は踊りの名手という事になっている。しかしそこは子供の事だから、歌詞や筋書きをよくよく理解しての上での踊りと言う訳には行かないで、専ら型通りに踊って上手いと褒められながらやって来たという事である。

それがある時、姉芸妓に唄の稽古を付けて貰っている時、その唄の意味を漸く理解して、そうするとそれに合わせて自然と身体も付いて行く、という事に気付く場面がある。成る程、物事何でも只やれば良いというものではなくて、その裏の意味や道理や理論などを分かっていないと意味が無いとは良く言ったものである。これはワタシ自身の「芸」の向上にも、有益な戒めである。

とまあ、ワタシなりにこれは言い聞かせた次第である。


思うに、どの本を取っても、読み返すに足るものは皆、読む度毎に新たな戒めを発見する事がある。勿論その作品としての完成度や作家の力量にも依るだろうが、飽きずに繰り返し読んでいる内に、以前には発見出来なかった意味合いや前後関係などが分かるようになってきて、それにはまたそれの醍醐味がある。

これは古典扱いして良いものかどうか定かでないが、黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』などは、小学生の頃に初めて読んで以来、何度読んでも同じ味わいと読む度に違った味わいとがあり、そういうものこそベストセラーとして名を残すべきだろうと思う。

その読む毎に発見する別の味わいは、その時の自分の心理状態や人生の指針を計るのにも役立つから、まさに自分の成長の証でもある。


2004年12月08日(水) 行き付けのヨガセンターが閉鎖されるとお触れが出る

今日、いつもの様にここ数年来行き付けのヨガセンターへ出掛けたら、今月一杯で閉鎖される事になりそうだとお触れがあった。

以前から経営難らしいと聞いてはいたが、家賃が上がっただか大家と上手く話が取り纏められなかっただか、現契約が切れる今月末ですっかり引き上げなければならないと言う。

尤も、他所も当たっているらしいから、ともすると「引越し」で済む次第なのかも知れないが、インストラクターの言うのから察するに、どうも望みは薄そうである。

ワタシは降って湧いたこの閉鎖の報に、俄かに途方に暮れてしまった。嗚呼、これでワタシは次に何処へ行けばよいのだろう。初めて此処の門をくぐった頃は、まだ基礎を齧った程度の「にわかヨギニ」であったが、運良くいいインストラクターに巡り合ったのを幸いに、足繁く通い詰めたから、随分上達した。割引が効いたのも大きいが、他所を十幾つも回って見た結果、その質の割りに御代が安く上がっていたから、浮気もせずこれまで何年も通いが続いたのだろう。

来年から何処へ行こうか、思案中である。


2004年12月06日(月) 孤独と無気力に立ち向かい何とか実績を残さねばと思う

色々と行き詰まる事があって、ここの所非常に辛い日々を送っている。

その元凶は、一緒に困難に立ち向かったり、その辛さを分かち合い愚痴を溢し合い勇気付け合う事の出来る「仲間」が居ないというのが一番大きいと思う。

今日はつい思い余ってインターネットサーフィンをして、同様の状況で頑張っている同朋の皆さんのサイトを幾つか覗いてみた。彼らには同業であったりなかったりするが兎も角、周りに各種の友人がいて、気晴らしをしたり一緒に課題に取り組んだりなどしているようだ。

ワタシはそれを大変羨ましく思いながら、彼是眺めて半日程過ごした。

どうして彼らにあるものが、ワタシにはないのか、つらつらと考えてみる。

それは偶然に偶然が重なった所産でもある。

この街の特殊性やワタシの置かれている立場、内部事情等、諸々の事情が考えられる。

初めの頃に上手い具合に心を許せる同僚に巡り合えなかったダメージは大きいだろう。また入った先が既にワタシとは全く状況の異なる人々で占められていたので、彼らと中々共通点を見出せず、疎外感を感じて過ごした所為もあるだろう。

それに適当なメンターとかアドバイザーというような人にも恵まれなかったから、初めの段階ですっかり道を踏み外し、将来的な展望をしっかり組み立てないまま走り始めてしまったのも、残念な事である。

外部にネットワークを求めた頃もあったのだけれど、その時は本当にもうこの街在住の二ホンジンとは一切関わり合いたくないと思わせるような苦い経験があった。

これは実際かなりトラウマティックで、インターネットが絡んでいた所為もあるが、以来個人情報の漏出に関してはワタシはすっかり過敏になってしまった。だからここへ書いている内容も、随分ぼやけた感じだという印象を持っている読者も多い事だろうと思う。

すいませんねえ。でもワタシは、此処の二ホンジンコミュニティが怖いのです。まるで鬱屈した精神を何処で吐き出そうかと日夜獲物を狙っているようで、気味が悪くていけません。

辛うじて残った比較的マシな友人らも、それぞれ帰国したり生き残る為に色々な仕事をするようになって忙しくなってしまって、結局偶に話すのが精々という間柄になってしまった。

非二ホンジンのネットワークも無いではないが、この街特有の排他的なところがあって、発展性は中々期待出来ない。本当はもっと密な関係を築きたいと願っているのに、残念な事である。


なんだかこの処のワタシときたら、すっかりひとりぼっちで困難な作業に立ち向かっている様な気がしている。

人生なんて元々そういうものかも知れないけれど、しかしワタシはこれまでもう充分ひとりで何でもやって来た。ここへ来て、まだこの先も困難をひとりで背負って行かなければならないのかと思うと、何とも遣る瀬無い。

そう言って相方を見つけた同僚も多数ある。尤もな事だと思う。

世の中順風満帆だと言うなら、ひとりでもう暫くやってのけるだろうが、生憎ワタシの人生はそうはイカの金玉。もうこうなったら誰でもいいから、少しこの重荷を肩代わりしてくれはしないかと、街をほっつき歩いてみたくなる。


もう少し明るい話題を日々お届け出来たら良いのだけれど、何しろ冗談をすっ飛ばす余裕すら無いのだから、致し方あるまい。溜息で宜しければ、幾らでも出て来るのだけれど。


2004年12月05日(日) 週末に歯科矯正プランの変更を篤と思案する、歯磨き下手

そういうワケで痛みは随分治まってきたのだが、矯正の為に歯に入れている六つの「スペイサー」なるもののうち、既に三つ程ぶっ千切れてしまっていて、歯の間を前後に行ったり来たりする様な、随分呑気な有様である。

これはこのまま次の予約まで放って置いて良いのかいけないのか、ワタシには全く合点が行かないが、説明が無かったのだから仕様が無い。今度歯医者に行ったら、そこんとこよくよく聞いておかねばならぬ。いっその事その抜けたやつを全部そのまま抜けたままにしておいても一緒ではないかと思うのだが、こんな腑抜けでも無いよりはマシなのかも知れないと言い聞かせて、抜ける度元の所へ戻しておく。

しかしこれが一々動くから、物を食べようとすると歯や歯茎の隙間に入り込んで、非常に気分が悪い。またそこへ指を突っ込んで詰まったのを取ろうと奮闘しているうち、何やら嫌な臭いがしているのに気付くのだから、始末が悪い。まさに虫歯さんこんにちはと言っているようなものである。

仕方が無く、食事が終わるやこの切れたスペイサーを一つずつ取り外しては、歯磨き+フロス+フッ素入り歯磨き粉を付けて再度歯磨きとやって、それからまた一つずつはめ込む、という作業を丁寧にやっている。

そういう面倒を考えると、やはり「インビザライン」というやつの方が、余程手間が省けて良い様に思う。あれなら、食事の時だけ取り外して、食べ終わったら歯磨きしてまた取り付けておけるから、歯磨きの際異物が邪魔して上手く磨けないというような事にはならないのだから、全く手軽である。

これでもうワタシの心は、ほぼ決まったようなものだ。次に歯医者に行ったら、潔くプランを変更して貰うのだ。あんたの腕を信用してないからとは決して言わないが、これで腕の立たない歯医者に逐一通う手間も省けて、ワタシの矯正生活は穏やかなものとなるだろう。


2004年12月02日(木) 歯が痛い・・・;

歯並びの悪さがどうにも気になるようになってから、彼是何年経ったろう。

この国へやって来てから、まともな月給取りになった暁には何としても歯列矯正を、と密かに目論んでいた。しかし「まともな」レベルというのの程度が良く分からないまま数年が過ぎても、ワタシの歯並びは相変わらず恥ずかしいままであった。これではいざという時、人様にぱっかりとお見せする事も出来ない。ここは思い切ってさっさと手を着けてしまわねば、何時になっても汚らしい八重歯のまま。少なくともニ三年は堅苦しい器具を口に入れっ放しにするのだから、早く始めたが良いに越した事は無い。

そうじりじりとしているある冬の日、それはつまり去年の今頃、ワタシは同僚の誕生日会というのに招かれた。興味深い事に彼女と旦那は、二周りほど違うとはいえ、誕生日が同じ日だという。お陰で双方の同僚や友人らが大量にやって来て、貸し切りレストランアンドバアは満員御礼であった。


話が長くなるので端折るが、音楽に合わせて人々と一緒に踊っているうち、近頃とんと目が遠くなったワタシは気が付くと、何と暗闇で壁に正面衝突を挑んでいた。

酔っ払っていたからその時は気付かなかったけれど、翌日起きてみたら、ワタシの前歯の様子が何だか変。あらら。一体どうしたのかしら。何だか前歯がぐらぐらするヮ。

ワタシはそれまで入ったきりだった歯科保険の存在を思い出した。今こそ使わなければ!

それはとある大学病院の付属歯科クリニックだったので、予約を取るのに一苦労だったが、それでも何とか「半年後」にはクリーニングの予約に漕ぎ着けた。

歯医者は以前の街で行ったきりご無沙汰していたので、虫歯の存在にも気付かず何年も経っていた。それで口がすっかり綺麗になったところで治療もして貰っているうち、途中でまんまと保険が切れた。仕方が無い、更新手続きを取って、更に治療を続けて、それも済んだところでいよいよ矯正歯科部を紹介して貰った。

そして彼是の検査で数回足を運んだ後、漸く実際の矯正作業に突入と相成った。

それが昨日。

今、ワタシの口内には、青いゴム製のリングが奥歯の間に二箇所ずつ、計八個入っている。いや、その筈だったのだが、そのうち二箇所はきつ過ぎてこれ以上の流血を見るに忍びないという事で、針金がきりきりと詰め込まれている。

針金などと言うと、随分乱暴なものを口の中へ入れたなと思われるかも知れないが、これが貴方、意外と悪くないのです。上手い人が遣ったものならば。下手なのが遣ると、口の中を切ったりして、途端に血豆が出来てしまうけれど。

それよりこのゴムの方が、物を噛む度に歯茎と歯を押し広げるので、なにやら痛い。

とても痛い。

こんなに痛いとは聞いてない。

あれ程痛いのかと聞いたのに、いやただちょっと変な感覚がするだけだ、と言ってのけた見習いの「学生ドクター」とやらを余程怒鳴り付けてやろうかと思ったが、ウェブサイトで先人の書き付けたのを読んでいると、どうやらこの段階が一番痛いらしいと知る。

彼を怒鳴りつけるのは止める事にする。

しかしもう一度どういった手順で今後やっていくのかを、よくよく話し合う必要があるだろう。

何しろコイツは、これまでの数回に渡る検査を通して、ワタシの歯がきつきつに詰まっている事は充分承知していた筈である。それなのに、このゴムの「スペイサー」なるものを突っ込むのに随分と無茶をして、中々入らないからと言って、これにフロスを二本通して輪ゴムを両側に引っ張りながら歯の間に押し込めるという「問答無用作戦」を取ったのだ。

そう力任せにやるものだから、お陰でワタシの上の歯に詰めた銀色の塊は引き剥がされてすっ飛んでしまった。また可哀想にワタシの小さなお口の中には、そして何も知らずに痛みに堪えながら寝かされているこのワタシの純粋無垢なお顔の上には、無残に荒らされた歯茎からの血飛沫が撒き散らされた。

そして言うに事欠いてコイツは、


きっと君には「歯槽膿漏」があるに違いない、


とほざいたのだ。ワタシは(痛いので口が動かなかったが)、眉を歪めた。

ちなみにワタシの歯茎は、随分綺麗で健康的だと、前の歯医者でもお墨付きを貰っているくらいなのだ。しかし流石のワタシも、フロスを二本重ねたのや輪ゴムを使って歯の間を掃除した経験などというのは生まれて初めての事なので、幾ら健康な歯茎を持ってしてもそんな強引な事をやれば、当然血ぐらいは出る。

そういう流血騒ぎを見て、気が付くと他の見習いドクターらもわさわさとやって来て、ワタシの寝かされた椅子の辺りを取り囲んでいた。

そのうち免許を持った監督者である本物の「ドクター」がやって来た。余りの惨事に見かねたのだろう。彼もこれはきついとは言ったが、しかし流石はプロのジェントルタッチでもって、軽々と二つ三つスペイサーを押し込んでいく。そしてどうにも入らない箇所は無理せず針金をこのように捻ってこう通して、とちょちょいとやると、痛みも無く事は済んだ。

そうやって最初から助けに来てくれていれば、ワタシの身の安全も保たれたろうに、随分遅いお出ましじゃないの、じれったい。

恐らく例の見習い「学生ドクター」を他のに変えるか、または矯正手段を当初予定してた銀のワイヤーとプラスチックのブレイスから、透明のマウスピース的「インビザライン」というやつにするか、どちらかを変更した方がワタシの身の為だろう。

この「インビザライン」というのだと、「学生ドクター」との付き合いがそれ程頻繁に要らないし、奴の腕を当てにしないでも治療が出来る。ブレイスを奴にやらせるとなると、こうやって無茶を平気でやって適当な事を言ったりするような輩だから、とんでもない間違いを遣らかさないとも限らない。

しかし、ああも荒っぽい事を平気でワタシの口にやるのだから、奴がベッドでどう振舞っているのかも、想像に難くないというものだ。わざわざ寝ないでもその粗末さが良く分かるヮ、全く。ああ、嫌だ。


昨日翌日
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