せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年02月01日(火) 「蟹座の気違い男」 端書

実は、以前に大雑把な下書きを書いて、書き終わったなり気が済んでしまった雑文がある。そして下書きを書いただけなのに、どうやらここへ載せたものとすっかり思い込んでいたらしい。

今回それをもう一度読み返して、少々推敲を加えたので、分割してまた掲載しようと思う。一寸「時差」が感じられるけれども、折角だからそのまま据え置く事にする。

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既に何度も述べているけれど、ワタシは自分が長年住んでいるこの街が好きではない。だからこの街については、敢えて紹介などしない事にしているし、また住み着くのは誰にも勧めない。尤もワタシなどが言わなくとも、ガイドブックやら在住ニホンジンらによるインターネットのサイトなどが乱立している世の中だから、知りたい人があれば、情報などは容易に見つかるだろう。

中には、住み始めて間も無いうちから、恰もその国の全てを分かった様に書き連ねているのもあるようだから困った物だが、だからと言ってワタシのようなひねくれ者のほざく愚痴などを参考にしていては、住まないうちから住む気も失せよう。

尤も、どこか余所の国に住みたいと思うような人というのは、他人がなんと言おうが構わずに住み始めてしまうものだろうから、そういう独立心とか自立心とかいうようなものを備えている人には、ひとつの情報としてワタシの意見も或いは参考になるかも知れないと思う。

随分前にも述べたように、この街には多くのニホンジンが住み付いている。中には仕事も無いのに、兎に角住んでしまえば何とかなるだろう、などと見切り発車をする輩も後を絶たないらしい。

それは法的に問題であるばかりでなく、それによって例えば不法就労などで捕まったり、他のニホンジンとのいざこざに巻き込まれた末謀られて移民局に通報されたりなどして、強制送還の憂き目に遭うのもいるというので、その辺りもよく考慮するが良いと思う。

聞くところによると、この様にして同胞を陥れる民族というのは、この街ではどうやら二ホンジンだけだそうである。

(ちなみにワタシの住む国では、現在移民局という名称の機関は無くなって、統括した別の名前になったのだが、ここでは要するにその系統のことを司る公的機関の意で使用する。)


この街のニホンジン・コミュニティは、日系企業を中心としてそれなりの規模がある。そして意外なところで意外な知り合いが通じていたりして、非常に狭い世界でもあるのが、少々ややこしくまた煩わしくもある。ここで言う二ホンジン・コミュニティとは、元々日系現地人を中心としたものの事だが、現地に帰化していない駐在や留学などの目的で短期間やって来た純二ホンジンも、その数が増えるにつれ独自のコミュニティを作り出している。

ワタシはこの街へ越して来て以来、いけ好かない同僚や訴訟をきっかけに知り合った一部の隣人を除いて、ニホンジンの友人というのがいなかった。そこでこれはいい機会だと、少しばかり接触を試みた事がある。

これは今にして思えば、大きな過ちであった。あの「気違い男」と関わる事になってしまったお陰で、忙しい最中にも関わらず、たった数ヶ月の間に、訴訟の一件以来またも夜逃げを決行する羽目になってしまったのだから、経済的心理的影響は多大である。しかもそれは、ワタシを人間不信にも陥らせ、同朋に対する不信感をまた募らせる一因にもなったのだから、これはもう充分な害を被ったと思っている。



「蟹座のがみがみガール」に続く、蟹座シリーズ第二弾、「蟹座の気違い男」について書こうと思う。ワタシがこの街で知り合った蟹座の奇妙な人々にはもう一人、「蟹座の気違いおねーさん」というのがいるので、気が向いたら大迷惑を被った蟹座シリーズ三部作となるかも知れない。請うご期待?

ところで、蟹座に該当する人々が皆頭が可笑しいなどと言っている訳ではないので、誤解をされないように予め断りを入れておく。

これは偶々、誠に偶然、ワタシがこの街にやってきて以来知り合った二ホンジンのうち、何故か蟹座が群を抜いて多かった事、彼らに共通する何かにつけて感情的になり易い性質が偶々尋常で無く、周囲と色々な問題を起こす人が多かった事、そして彼らとの問題が容易に、極端な形でエスカレートし易かったのにワタシが大変驚いたという事、などの極めて個人的な経験に基づいて述べている次第である。

この傾向がこの街に住む蟹座二ホンジンに共通事項であるかどうかについての事実関係は、社会学的人類学的研究を待たねばならないから、その点に付いては、ここでは関知しない事にする。

また「気違い」という表現は差別用語であると指摘する向きもあろうかと思うが、少なくともこれから登場する人物については、専門家の保護や監督無しに社会生活を送っているとこういう事をやらかすのだという好例でもあるので、敢えてそのまま使う事にする。

読者の皆様がこういう輩に出くわさずに、穏やかな暮らしを営まれる事をお祈りして止まない。


第一、相手の方が先にワタシの事を勝手に気違い呼ばわりして、周囲の人々にさんざん触れ回っていたのだから、そういう様子をワタシが「気違い」の沙汰と呼んではいけないという云われはないだろう。

と一先ず正当化しておく。

それからこの話には、 この間も少し述べた「生臭坊主」がひとり、登場する。


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