せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年11月29日(月) 大休暇その一が終了して慌しい季節に突入す

秋から冬に掛けて、この辺りでは感謝祭とクリスマスという二大家族大集合イベントが続く。この度はその一つである感謝祭があり、民族大移動が彼方此方で見掛けられた。

外国人で身寄りの無い独り者は、こういう家族が集まる休暇が近づくと益々ひとりぼっちである事実が歴然として、甚だ寂しい思いをするのだが、幸運な事にワタシは、毎年どちらかの休暇で他所の家の晩餐に呼ばれては、七面鳥のご馳走に与かっている。

こうやって喰いっ逸れが無いところを見ると、ワタシという人間は「飢え死」という死に方だけはしないものと思われる。何と恵まれた人生だろうと思う。

それぞれの七面鳥晩餐には色々な思い出があるので、それも交えて今後書いていこうと思っているのだけれど、こと先週末に関しては、ワタシは思いがけず一人きりで過ごした。それと言うのも、数少ない親しい友人が大陸の端っこから訪ねて来ると言っていたのに、それきり何の連絡も無いまま結局休暇が終わってしまったからである。何だか狐につままれた様な心地である。

彼とは以前住んでいた街で知り合った、大変気の合う友人である。ツウと言ってカアと返ってくるような友人というのは実際中々無いので、ワタシは彼と知り合い、友好関係を築く事が出来たのを、大変光栄に思っている。

丁度同じ頃別々の街へ旅立って行ったワタシたちは、全く異なる人生を歩む事になるのだが、何しろ彼は順調に達成すべき目的を達成し、今では優しい彼も出来て、遠くの町で仲良く二人暮しをしている。

その恋人の実家が偶々うちの川向こうにあって、休暇になると二人して大陸を遥々渡って実家へやってくるので、その序でにワタシとも遊んでくれたり、また恋人の実家の晩餐にも呼んでくれたりする。

それが今年は、クリスマスの休暇にいよいよ日本の実家に連れて帰って、彼の家族に紹介するという事になったらしい。それで今年はクリスマスでなく感謝祭の休暇中に川向こうの恋人の実家へ帰る事にしたので、またその序でにワタシの街まで出掛けてくるから会おうという話であった。

去年はヤツラは前日の宴の酔いが残っていて今にも吐きそうだったので、積もる話どころか普通の話も間々ならなかった上、何やら気に病む事があるらしい恋人には用事が済んだらさっさと追い帰されたから、ワタシと友人はゆっくりと親交を確かめ合うような時間が与えられなかった。だから今回のお出ましは、ワタシには大歓迎であった。

その上恋人には高校の同窓会に出席する予定があるというので、それならば彼が留守の間君もこちらへ出て来て軽く同窓会と行こうではないかと、ワタシたちはメールで暫し盛り上がった。

具体的に日取りが決まったら是非知らせてくれろと言ったのに、それきり彼からは何の音沙汰も無かった。

それで一寸がっかりして、うちで鶏の揚げたのをひとりで喰い、翌日の安売り市にも出掛けてみたけれど目当てのものは手に入らなかったので、更に又がっかりして、唯一買って来た日本語の本を読んで、ひとり大人しく過ごした。しかし久しぶりに読んだら、閃く事が随分沢山あって、中々有意義な休暇に仕上がったので、満更悪くは無かった。

しかし彼には今回の件についての説明を期待している。実際恋人の実家まで出掛けて来たのやら来なかったのやら、また来るには来たのだがワタシとの逢瀬はどういう訳だかで止めにしたのか、その辺りをじっくりと聞かせて貰わねばならない。


2004年11月24日(水) 大型休暇前日と言うのにざんざんと雨が降っている

頭に来る事が幾つかあったから、それらについて一寸書いておく。

其の一。
時折覗きに行っていたサイトが近々閉鎖される、と告知があった。ワタシはそれを知るや残念に思って、もし他所で再開する予定があるなら是非引越し先を教えて欲しいと、簡単なメールを打った。そうしたら、今日その返事が来た。色々書いてあった最後に、不満げにこう記してあった。


「自己紹介もなしに、ワタシは貴方に何を発信したらよいのでしょう?」

…?

いや、ワタシも一応、見知らぬ人に初めてメールを送る上での、最低限の自己紹介はしたつもりだったのよ。しかしどうやら、もっと凝った事を彼是述べないといけなかったらしい。ならば、その旨予め書いておいてくれればいいのに。

ワタシはサイキックじゃないのだから、テレパシーで海の向こうの見知らぬ人の心は読めぬ。貴方が何を要求しているのかは、貴方がそう言わなければ誰も知りようが無いのだから、突然怒られても、こちらも困る。

それにしても随分横柄な御仁だと思う。一体何様だか知らないが、頭ごなしに噛み付くような人間とは、此方から頼んで知り合いになって頂かなくとも結構。そんなに高いハードルを越えないと付き合いが出来ないと言う程の高尚な人物だったとは知らなかった。

そういう了見の狭い事では、成仏しないよ。

其のニ。

気付いたら銀行が一つの支払いを二回加算していて、ワタシの当座預金口座には金が残っていなかった。良く見ると、銀行はワタシの別の口座から勝手に金を動かして、既に使った分を支払っており、ご丁寧に手数料を取っていた。当座預金口座は金が残っていない事になっているから、当分使えなくなってしまった。

文句のメールを打って、直ちにこれを訂正するよう要求する。

こういう手違いは、時折起こる。以前にも余計な加算があった時、それが銀行でなく店側の仕業かと思って、休暇先でカードを使った店まで何度も長距離電話を掛けた覚えがある。結局は銀行の間違いと分かったのだが、何時の間にやら訂正がされていて、それについて何の説明も詫び状も来ないまま、ワタシは月々の領収書を見るまで知らなかったから、少々不満が残った。

恐らく今回も、音無しの構えで片付けてしまうのだろう。何とかして仕返ししてやりたい気もするが、何しろ此方の銀行その他の業者は客を「神様」だとは認識していないから、失敗しても謝るという事を中々やらないし、これはこれで治めるしかないのだろうか。


2004年11月23日(火) 戦利品のご紹介と好きな色の事

そういうワケで、戦利品のご紹介をする。

(カメラが無いから、写真を載せられないのが残念であるが、まあこんな物を見ても仕方が無いと思う読者もあろうし、また特に見ないでも想像が付くだろうとも思うので、良しとする。)

まず とある店で、七分袖のボートネックシャツ(紫)と「ボーイビーター」タンクトップ(ベージュ)を買う。

この「ボーイビーター」と言っているのは洒落で、元は「ワイフビーター」(wife beater)である。つまり休日にビール片手にフットボールの試合を見ているハズバンドのうち、尤もワイフに暴力を振るいやすい輩というのは、上にランニングシャツ、下はボクサーショーツ、そして黒い靴下を履いてどっかとソファに座っているもの、と云われている。

これはこの国のプロファイリングに拠るデータがあるから、一般に広く信じられているのだけれど、女性でもこのランニングシャツを着るのが流行ってきたから、そういう不届き者に対抗して「ボーイビーター」(boy beater)とこの店では呼んでいるようだ。

それから別の店でタートルネックのセーター(珈琲色)、スウェットシャツ(エンジと水色各一)、毛糸の手袋と帽子(ピンクとエンジとベージュ色)などを購入した。

(おや、どうやらまだ日本進出していない模様。とってもチープでよく破れる大量生産既製服を欧米で売っている店のことである。欧米各州に在住の読者には、買う前に一通り袖や襟等を縦横によく引っ張って、品質を確認するのをお薦めする。)


ああ、そういえばここへ来て思い出したけれど、ピンクのフリースジャケットも夏の終わりにセールで買ったのだった。これは某アウトドア会社が出している少々厚手のものだが、豪く気に入ってしまって、氷点下に下がるまではこれで行こうと決めて、例のキルトジャケットかこれのどちらかを着て何処へでも出掛けている。

だから今年はこれらの上着に合う色を見繕ってこなくては、と思って買い物に出掛けたのだった。すっかり忘れてたよ。

それでピンクやエンジ、珈琲に水色といった辺りが、今年のワタシの関心の的なのである。このチープな店で買った帽子や手袋は、まさにこのフリースジャケットにぴったりな色合いで、これと去年のクリスマスに貰ったマフラーが見事なマッチングを見せているのだ。我ながらむふふ。

そしてこの珈琲色のタートルネックセーターは、基本が綿で少しばかりスパンデックスが入っているのだが、動き易い上肌触りが只者でない快適さである。ウールやカシミアのセーターも幾つか持っているのだが、タートルネックと言うのは実際、随分暑苦しいニット製品である。厚手のニットを幾つも持つよりは、細畝の薄手のやつを重ねた方が暖かだし、極寒期以外にも活躍の場がある訳だから、余程意義ある買い物だろうと思われる。

珈琲色はワタシの目の色にも合うし、他のものとの色合いも絶妙で、大変気に入っている。是非ともこのシーズン以降ももってくれる事を祈るばかりである。



ワタシは元々紫や蒼が好きなのだが、この街へ越してきて以来慌しい日々が続いていて、紫的蒼的感覚を忘れかけていた。ここは都会らしく黒が蔓延って居る街なのだけれど、ワタシも例外無く、それで数年通していた。

しかしそのうち段々疲れてきたので、ここ数年は寧ろ茶色を好むようになってきた。この街で茶色を着ている人は余り見かけないのだけれど、それでも自分を落ち着かせたいとか地に足を付けて暮らしたいとかいうような気持ちが余程強かったのだろうと思う。黒を着続けていると、早く老けるし疲れやすくなって気に悪いから、都会に暮らす面倒臭がり諸氏は留意されたし。

そしてここ一二年くらいだろうか、徐々に色の好みがまた変わってきた。紫やピンクも良いじゃないか。そしてそれに合う檸檬色も青色も気分が一新されるではないか。

また以前好んだ茶は土色や煉瓦色だったのが、この頃は珈琲や枯葉色が増えてきた。よくよく考えてみれば、これらの色はワタシの肌色によく映える。

ワタシは青みの濃い赤色の血をしているので、橙や濃緑や煉瓦色は合わないが、青や紫や銀等は良く似合う。そういう事を考えながら服を選ぶと、何故か魔が差して奇怪な色の服を買ってしまうというような事が無くなって、似合うものばかり揃うようになるし、経済的でもある。

こういう色の好みの変化は、この頃のワタシの心の安定と比例している。元々自分が持っているものを受け入れ、周りに惑わされないという意思の表れでもあるという事を、この頃よく思う。


それにしても随分横柄な御仁だと思う。一体何様だか知らないが、頭ごなしに噛み付くような人間とは、此方から頼んで知り合いになって頂かなくとも結構。そんなに高いハードルを越えないと付き合いが出来ないと言う程の高尚な人物だったとは知らなかった。

そういう了見の狭い事では、成仏しないよ。

其のニ。

気付いたら銀行が一つの支払いを二回加算していて、ワタシの普通預金口座には金が残っていなかった。良く見ると、銀行はワタシの別の口座から勝手に金を動かして、既に使った分を支払っており、ご丁寧に手数料を取っていた。普通預金口座は金が残っていない事になっているから、当分使えなくなってしまった。

文句のメールを打って、直ちにこれを訂正するよう要求する。

こういう手違いは、時折起こる。以前にも余計な加算があった時、それが銀行でなく店側の仕業かと思って、休暇先でカードを使った店まで何度も長距離電話を掛けた覚えがある。結局は銀行の間違いと分かったのだが、何時の間にやら訂正がされていて、それについて何の説明も詫び状も来ないまま、ワタシは月々の領収書を見るまで知らなかったから、少々不満が残った。

恐らく今回も、音無しの構えで片付けてしまうのだろう。何とかして仕返ししてやりたい気もするが、何しろ此方の銀行その他の業者は客を「神様」だとは認識していないから、失敗しても謝るという事を中々やらないし、これはこれで治めるしかないのだろうか。


2004年11月22日(月) 長い連載随筆が終わったところで、これまで貯めていた日々の事などを書く

この間終えた仕事の報酬が入ったので、すっかり機嫌を良くして、冬物衣類を買いに街へ出た。そうして気付いたのだが、ワタシと来たらここ数年、衣類を殆ど新調していなかったらしい。何しろここの所忙しく暮らしていたものだから、そんな気分にもなれないでいたのだ。だから下着等の必要に駆られて買った物以外に、碌な服が無い。

流行はそれとなく見聞きしていたけれど、実際自分の身に着ける物となると、余り時代を反映した物を持っていない。それはそれで面倒が無くて良いけれど、花も恥じらう独身女性のワードローブとしては、何だか味気ない気もする。


どうやら今年流行っているのか、うちの近所で良く見かける物のひとつに、「キルトジャケット」というのがある。実は以前からこれが欲しいと思っていて、春に偶々セールで見つけたのを買っておいたのだが、まさかこれが後に流行るとは知らなかった。流行を先取りしたようで、中々気分が良い。

ワタシの買ったのは伊太利亜製のもので、実はお子様用サイズのうち一番でかいやつである。「一番でかい」とは言っても、かの国とこの国のサイズには随分隔たりがある。この国の女性用の小さい方のサイズを着ているワタシが着れば、それは袖が少々短いし、全体的にぴったり、かつかつという印象である。

しかしこの国では、ワタシが気に入るようなデザインだとかカッティングだとか、そういうのに中々出くわさないから、一度それに近い物を見つけたらさっさと買ってしまわないと、後で豪く後悔する羽目になる。だからこの時も、値段を聞いたら即購入を決めた。

しかしワタシの肌色には、少し色が薄過ぎる気がする。だからそのうち暇が出来たら、濃い色の服と一緒に洗って色を足してやろうかと、少々荒っぽい事を目論んでいる。

兎に角このキルトジャケットが、今年の唯一の買い物だったから、これはいけない。これ程ファッションに無関心では、来る筈の待ち人も来ないかも知れない。それはいけない。

そう思い立って、この度久方ぶりに買い物をしてみた次第である。

明日は戦利品をご紹介してみようと思う。


2004年11月21日(日) 寒くなったと思ったら意外と温い今日この頃、訴訟其の一、あとがき

訴訟其の一、あとがき。

ワタシはこのアパートに彼是一年程住んでいたのだが、そのうち由に半年強はこれまで述べたような状況で訴訟やその準備等に費やした。また住み初めの頃にも工事が遅れて住めない日々があったから、ここで心安らかに暮らしていたのは、実質何ヶ月も無い。

元々このアパートは二年契約だった。契約当初のワタシは、さあこれで当分引越しの心配や煩わしい同居人問題等とは無関係で居られる訳だから、心置きなく本業に精を出せると期待に胸を膨らませていた。ここで二年頑張って、そうして成功して別の世界へ飛び出してゆくのだ。そこには幸せな人生が待っている筈だ。

それで思い切って、家具や調理器具等を幾つか揃えてみたりして、本気で其処に落ち着く準備を重ねていたのだ。

それまで同居人が数人、最小でも必ず一人は居る生活の数年間だったのが、漸く一人の城を構える事が出来た。この忙しない都会で、やっと穏やかに暮らせるようになったと思った。そしてそこが、この街でほぼ唯一、元手の少ないワタシでも一人暮らしが出来る価格帯の住処でもあった。



ワタシは、この訴訟の一件について、真意をどこまで伝えられたか分からない。この訴訟が、その調査段階から実際の裁判の過程に渡って、どれ程ワタシの貴重な時間とエネルギィを消耗させ、脱力させ、また自分の身の上を恨む結果になったか。そういう事を、ワタシの拙い文章でどこまで伝えられただろうか。思いつくままにただ書き連ねたから、これを実際に経験していない読者にどれ程理解してもらえただろうか。

とはいえ、これを書いているうちに、ワタシは唯この街や自分の身に起こった色々な事を恨み愚痴を溢すばかりでなく、それをこうして書き留めておくのも一つの使命というか、満更悪くないではないかと思うようになった。そういうひとつひとつの出来事の中から、自分がどう感じたか、またそこから何を学び取りどう成長したかというようなものを、忘れずに書き記しておく事で、ワタシという人間の成長の過程が見えてくれば、それは今後の指針となるだろう。

不甲斐無い事だらけながら、しかしそれが当時のワタシの最大限の力の結果である。それを了承した上で、そこから次へどう進むかが肝心であり、そうやって過去の経験から得た貯金が増えれば、次回迷った際の選択肢がまた増えるのだから、それだけでも人生は心強い。


2004年11月20日(土) 段々と大きな休暇が近づいてきて人々は忙し気、訴訟其の一、第十一話、そして最終話

訴訟其の一、第十一話、そして最終話。

ところで地下に住む留守番音楽家とは、以来行き来をする友人になった。ワタシは気休めに彼の演奏会に出掛けてみたり、休日には一緒に昼飯を喰ったりして、割合時間を一緒に過ごした。

ある時彼の演奏会に行った帰り、彼は別の友人の留守宅で猫の世話があるので、今日はそちらに泊まると言う。そして、もしよかったら一緒に来るといい、そちらには電気があるからテレビも観れるし冷房も効いているよ、と言う。折りしも自宅へ帰る方向の電車が工事で不通になってしまったので、まあそれでは折角だからと言って、川向こうの街へ泊まりに行く事にした。

その翌日が、例の大きな事故があった日である。それからニ三日は交通機関が遮断されたりして自宅に帰って来られなかったが、尤も帰っても電気が無い家だから、却って情報は入って来なかったろうし、それを考えるとこれも何かの巡り合わせと言うか、神様だか仏様だかはたまた死んだばあさんだかが、大変な事が起こるからこの晩のうちに他所へ行っておくのがいいだろう、と計らいをしたのに違いないと思っている。

そうして自宅にやっとこさ帰って来たのだけれど、近所の闘争の「同士ら」が電気が無いワタシの事を心配して電話をくれていたり、また知らせる為にわざわざうちへ足を運んでくれていたと知り、それぞれの友情に深く感謝をした。

それから階下の友人が電気を「貸してくれる」と申し出てくれたので、ワタシは延長コードを繋ぎに繋いで、それを窓から階下へたらりと落とした。それを下で彼女が壁に繋いでくれたので、ワタシはテレビを付けて事態をじっくりと知る事が出来たから、近所のケーブルチャンネルを持たない友人らを家へ招いて、皆してニュースに見入ったりした。どうやらケーブル以外のローカルニュースチャンネルは、一社を除いて全て遣られてしまっていたらしく、電気があってもケーブルが無いとまともなニュースが入って来なかったのだ。

またお陰でコンピューターを繋いで、メールで彼方此方の人々に無事を伝えたりする事が出来た。これも帰宅してみたら、えらい数の電話やメールのメッセージが溜まっていて、非常事態に際して人々がワタシの身を案じてくれていた事を更に有難く思ったものだ。

相変わらず風呂は薄暗いロウソクの光でやるから、掃除などは行き届かないけれど、この電気を借りる事が出来たお陰で、ワタシの生活は随分過ごし易くなった。


それでも、やはりこれは限界かと思う事が多くなった。

ワタシと階下の友人は、訴訟続きの生活にすっかり疲れ果てていた。その頃には、殆どの住民がこの訴訟から手を引いていて、結局残ったのは二人きりだったのだ。

それにどんなに諦めずに裁判所へ通い詰めようとも、憎き大家には殆どダメージを与えられないでいた。

何しろ彼には、金が唸るほどあったから、裁判所が幾ら罰金を課そうとも、他に幾つもビルを所有して家賃収入を上げている実業家の彼にしてみれば、まさに屁にも満たない金額である。そして金の無いワタシたちは、例えば有能な弁護士を雇ってさっさと解決をつけて貰うというような事も出来ず、奴に痛い思いをさせる事も出来ず、ただ時間とエネルギィを費やして本業が疎かになっていくばかりであった。

そこでワタシたちは、最早これまでと思い始め、最後の手段として家賃を踏み倒して「夜逃げ」を決行する積りで、着々と準備を重ねていた。

ワタシはそんな話を、例の留守番音楽家氏にしたところ、彼の友人で同居人を探しているのがあるから、そいつを紹介しよう言う。後にそいつも訴える羽目になるのだけれど、この時はそんな事は知らずに、是非にと言ってそこへ越す事に決めてしまった。

本当は例の大きな事故が起こる前に逃げようと予定していたのだけれど、お陰で街中大混乱で、手配した引越屋の事務所も潰れてしまったから、予定を延ばして秋の深まった頃、夜逃げならぬ「朝逃げ」を決行した。

どうも見ていると、夜中は夜逃げ防止の為か、管理人が廊下を意味も無く長時間掃き掃除している事が多かったからだ。だからワタシも階下の友人も、早朝に引越屋を呼び付け、行き先など他言は無用と厳しく言い置いて、素早く逃げて行った。

こうして、「夜逃げ」によって、ワタシたちの闘争は事実上終結した。

訴訟其の一、あとがきへ。


2004年11月18日(木) 今日は突然暑くなったり寒くなったりして妙な日だった、訴訟其の一、第十話

訴訟其の一、第十話。

それはある日の昼頃、何の前触れも無くアパート中の電気が切れてしまったのだ。

初めはブレーカーが落ちたのかと思って、箱を開けて様子を見てみるのだが、どれを上げたり下げたりしても変化が無い。ワタシは異変に気付いて、段々焦り始めた。


それは、ワタシにとっては紛れも無く突然の出来事だったが、しかし実は以前からなんとなく嫌な気配がしていた。

と言うのも、実はこういう事を言うと大分人聞きが悪いけれど、そのアパートへ越してきて以来、ワタシは「電気代」というものをそもそも払った例が無かったからだ。

賢明な読者の皆さんは、それはワタシが怠慢だとかケチだ等と早合点してはいけない。何故なら、それは電気屋が請求書にその月の使用量をいつも「ゼロ」と書いて遣すからいけないのである。

この街では電気とガスは一つの会社が一括して取り扱っている地域が多いのだが、そのアパートの近所もそういうシステムであった。引っ越して来て何日も経たぬうちに、その電気・ガス会社から通知が来た。


この部屋の所有者の方へ、室内で電気とガスが使われている事を、こちらでは承知しています。もし貴方がこの部屋の電気とガスを使っていてその支払い責任があるなら、この番号へ連絡をして新規サービスの登録をして下さい。


ワタシは勿論、直にそこへ電話を掛けた。そして必要書類を送ったりして、新規サービスの登録を済ませた。

ところが、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、請求書にはガスの使用量のみが書かれていて、電気の欄には使用量が「ゼロ」と書かれている。だから電気代は、基本料金のみ請求してあった。

幾ら環境に優しいワタシだからと言っても、家にはコンピューターもあれば当時は電気電話・ファックス機も置いていたし、夜になれば電気も点けなけりゃ生活だって出来ないのだから、どうしたって電気使用量がゼロという事は在り得ない。

ワタシはまるでタダで使いまくっているようで気が気でないから、ちゃんと請求してくれ、と度々電話で訴えた。ところが会社の方では、なんでも以前の住人が支払いを滞納したので、電気のみ供給を止めて以来、針が動いていないという。

しかし良く良く調べてもらったら、ある時その住人の「いとこ」という人が現れて、住人は事故に遭って入院しているから支払いは出来ないが、なんとか電気を供給して欲しいと交渉しにやって来たそうだ。しかし会社としては、滞納しているうちの幾らかでも払って貰わなければ、供給を再開する事は出来ないと説明すると、その「いとこ」は帰って行ったという。

だからもしそれ以降に「何らかの形で」この部屋で電気が使える状態にされているのだとしたら、それは法に触れる行為である可能性があるから、貴方は早い所大家に話して、建物内部の配線状況を調査するように言うべきだという。

ワタシは引っ越して来てまだ間も無い頃、そしてまだ大家との関係がそれほど険悪でなかった頃、実際大家に電話をして、電気会社に手続きをしたらここん家の電気の様子が可笑しいと言っているから調べてくれ、と話した事がある。ところが奴は何しろ人の話をちゃんと聞かないから、いいからお前は兎に角その電気会社の事務所へ出掛けて行って、ちゃんと手続きをしてくれば良いんだよ等と繰り返すばかりで、埒が開かなかった。

それで電気会社に電話をする度に、大家にも電話をしてみたのだけれど、何度言っても人の話を聞かないから、案外これは大家も「ぐる」なのかも知れない等と思って、放っておいた。

そこへ持って来て、例の訴訟が始まり、それも漸く解決しそうかという頃になって、突然電気が切れてしまったのだ。


どうやらそれは、大家が半ば意図的にやった事らしい。手下の修理工が別のアパートの修理の為にやって来たついでに奇妙な配線を発見したので、それを切断したところ、ワタシの部屋の電気が見事に切れてしまったという訳だ。苦情を言ったところでいよいよアチラの思う壺であった。

ワタシは地下に集中ブレーカーボックスがあるのを知っていたから、一旦表へ出て、地下の住民の誰かが在宅である事を祈りながら、地下室へのブザーを鳴らした。(ここいらのアパートビルには、大抵地下にも部屋がある。中には地下に人が住むのが禁じられているビルもある。)

すると一人の音楽家が出て来た。ここいらでは見慣れない人種だったからちょっと驚いたが、彼が言うには、友人が日本へ暫く帰っているので、その間猫の世話を頼まれてここに住んでいるとの事だった。

彼に中へ入れてもらって、ブレーカーボックスの入った扉を開けてみるのだが、勿論目盛りは全く動いていない。他に目ぼしい情報も無いと判断して、とりあえず彼と電話番号を交換する。又後でここへ入れて貰わねばならなくなるかも知れないからよろしくと言って、途方に暮れつつも一先ず自室へ戻ってきた。

そのうち大家の手下の修理工がやって来て、お前は自分の電気は自分で支払わなければいけないから、電気会社へ電話をしろという。それはもう何度もやったのだ、大家にも何度も説明している、と言うのに聞かないで、いいから電話しろと煩い。

それでまた電気会社へ電話をして、とうとう電気が止められてしまったのだけれど、唯今訴訟中で大家は電話に出ないのでどうしましょうと言うと、会社の人はお気の毒だが、こちらのコンピューター画面上では数年前から電気の目盛りは止まったままだから、何とも仕様が無いと言う。兎に角大家に連絡を付けて内部の配線を直すか、または自分で電気工事人を雇って直させ、支払いは大家に請求すると言う方法もありますよと言う。

ワタシは頭痛がしてきた。やれやれ、一難去って又一難。今度は電気ときたよ。

そこで、日頃ワタシたちの訴訟を助ける為に裁判所にまで助太刀しに来てくれている、市議会議員の秘書の女性がいる議員の地区事務所へ電話を掛けた。事情を説明すると、それではこの件についても訴訟を起こしましょう、兎に角気を落とさないように、頑張りなさいと励まされた。

それはそれで心強いのだが、しかしそうこうしているうちに宵闇が迫ってきた。

ワタシは電話を切るなり、近所の店へ走った。抱えられる限りのロウソクと懐中電灯の電池を買うと、早速部屋へ戻り夜を迎える準備をした。


翌日も、そのまた翌日も、とうとう電気は戻って来なかった。


時は八月の盛り。


ワタシは観念して、来宅した友人らが誤って冷蔵庫や冷凍庫を開けてしまうのを避けるために、黒いビニールテープでドアを封じて開かないようにした。言うまでも無く、中身は全滅であるが、悔しいから後片付けなどするものかと思う。

辛うじて食べる事が出来たのは、缶詰やカップに入ったものなど、日持ちのする乾物や非常食ばかりだった。自然と、角の中国料理店やピザ屋等の持ち帰り食が増えた。

風呂場にもロウソクを持って行って用事を済ませていたので、階下の住人から、風呂場の窓のカーテンを燃やさないように気を付けろと忠告を貰った。彼女は既にこれをやらかしていて、カーテンと言うのは良く燃えるものだと妙に感心していたから、それは随分説得力があった。

何しろこの現代社会に於いて、電気が無い生活と言うのは、相当過酷であった。

訴訟其の一、第十一話へつづく。


2004年11月16日(火) 漸く先日購入したおズボンの裾上げをする、訴訟其の一、第九話

訴訟其の一、第九話。

補修工事については、それぞれにダメージの度合い別のランクが付けられる。ワタシの家のバスルーム天井部については、そのうちの最重要課題、至急修繕が必要という意味のDランクと判定され、また部屋の幾つもの穴に関しては、単に穴を埋めるだけでなく新たな木枠や板を張り替える必要があるとの事でCランクと判定された。

他の住民宅でも同様に調査が進み、主にBとかCランクの修理項目が出揃った。これを持ってして、判事は大家に対して修理の義務を果たすよう命令を下した。



この裁判に関わった市の弁護士や裁判所の事務官らとの裏話を総合すると、どうやらこの大家は「悪徳大家」として、裁判所でも随分知れ渡っているとの事だった。そして裁判も、ワタシたちの件が初めてではなかった。

尤も集団で住民が訴えた判例としては、これがこの大家にとって初めてだったので、この大家の悪徳振りがいよいよ判事らに大いに印象付けられたのは事実である。

裁判所内には、過去数年間の裁判暦が調べられる便利な機械が設置されている。これに拠れば、この大家は既に何件も訴えられており、その殆どは彼が修理の義務を果たしていない為に、部屋が居住不可能で危険な状態のまま放置されていて、裁判所から強制的に修理をするよう判決が出ていた。またそれにも従わないので、市が修理を代行して、その支払いを後から大家に請求するという方法で執行されているものも幾つかあった。

そういえば、過去に訴えを起こして修理させて、当時まだ住み続けていた住民もいた。彼らはなぜワタシたちの暖房に関する訴えから途中で手を引いたのだろう。彼らの過去の訴えと比べて、大した問題では無いと見做されたのだろうか。これは未だに疑問ではある。



まあ、何にせよそういう訳で、裁判所の人々は一様にワタシたちの味方だった。今回の件でも、判事は先ず、住民一人一人にスケジュールを聞いて、修理の日程を組んだ。そしてもしこの日に修理が来なかったら、また裁判所へ戻っていらっしゃい、大家がやるべき事をちゃんとやるまで、裁判を続けましょう、と言ったから、それはそれで心強かった。

ダメージの大きい世帯から修理は始まったので、ワタシのアパートは日程の初めの方で組まれていた。

結論から言うと、途中まで修理して、後は時間切れだから又明日来ると言って、明日と言われてもワタシは都合があるし、などと問答をしている間に修理工たちは帰ってしまった。そして別の修理の予定日には、とうとう誰もやって来なかった。

他の住民宅も来たり来なかったりという状態だったので、ワタシたちは再び裁判所へ出向いて、一旦決着が付いた訴訟をまた差し戻した。そして新たな修理の日程を組んで貰って、今度こそとその日を待つが、しかしまた来ないのでまたも裁判所へ出掛けては新たに日程を組む、というような亀の前進的作業を何度か繰り返した。

そのうちやっと、どこか一箇所だけふらっと直しに来た。そうして気の長い話だけれど、徐々に徐々に、やっと少しずつ直ってきて、もう好い加減強情を張らないで一気に直してしまえば良いのに馬鹿だねえなどと噂している間に、ある日とんでもない事が起こった。

訴訟其の一、第十話へつづく。


2004年11月15日(月) 昨夜の晩飯は小鰯とほうれん草で和風のパスタにしたら、美味過ぎてつい喰い過ぎた、訴訟其の一、第八話

訴訟其の一、第八話。

ワタシのアパートに関しても、いくつかの放置された修理事項があった。そのうち最も大きな問題は、バスルームの天井の崩壊である。

ある日管理人が階上でパイプの詰まりを直そうとしていて、どうやら力任せに所謂「スネーク」という機械でもってパイプをぶち壊してしまったらしい。

帰宅して見ると、バスルームは一面水浸しで、天井には幾つもの大きな割れ目が走り、電球にも水が入り込んで、灯りはぼんやりと鈍く光っていた。階上に住む老女は、自分は何も知らんから、関わり合いたくないと言う。それで直に大家に電話を掛けたが、何しろ訴訟中につき機嫌が悪いらしく、音沙汰が無い。

仕方が無いので、以前修理に来た折電話番号を置いていった電気系統の修理屋に電話を掛け、時間外で済まないが直に来てもらった。

彼は元々市の委託修理人で、中々の好人物だった。こういうところは危ないぞなどと入れ知恵をしてくれたり、また仕事の合間に家族の話をしたりしながら、移民同士助け合っていかないとねなどと、好意的であった。それで帰りしなに、何かあったらオフィスに電話をくれれば直に飛んでくるから、と言って番号を置いて行った。

職人はワタシたちの訴訟の事を聞き及んでいたと思われる。大家に無線機で連絡を取り(つまり大家御用達職人であり、また大家自身も近距離に居たものと思われる)、これは電気系統まですっかり遣られているから、相当の損害であると言った。そして控えめに早く直さないと拙いだろうと言ったが、大家から何か言われると暫く頷いて、そして分かったと言って通信を切った。そして彼は、水が引くまでバスルームの電気は付けてはならないと言い残して、去って行った。

その後、結局修理が来ないまま、天井の隙間からは黒いねちねちと光る物体がぞろぞろと湧き出てきて、ワタシの生活を日々脅かし始めた。





(注 ここから先は、お食事中又は家に出る昆虫・小動物等の話が聞くに堪えない読者は、お読みにならない事をお薦めします。)






(それでも先を読みたいという気丈な読者の皆様、そうですか、どうなっても当方は知りませんよ。それでは早速行きますよ。)






ある時など、ワタシがベッドに腰掛けて食事をしながらテレビを見ていたら、なんとなく気になる気配があった。ふと自分の胸元を見下ろしてみたところ、そこにはなんと五センチ程の体長の黒光りする物体が、ワタシの顔目掛けてまさに上昇中であった。

絶叫しながらそれを払いのけるも、その物体はそこいらを飛び回り、ワタシは気が遠くなる思いで部屋中逃げ惑った。

これは中々トラウマティックな出来事だったから、何年も経った今思い出しても、背筋が凍る思いである。

またある時には、バスルーム天井の穴から無数の黒い物体が這い出てきた。あるものはばさばさと奇怪な音を立ててそこいら中を飛び回り出したから、ワタシは眩暈と冷や汗が止まらなかった。ワタシは勇気を振り絞って、既に薬局にて購入してあった特殊薬品を噴霧したのだが、それによって弱った物体が、今度はそこいらでのたうち回り始めた。

半分生きているようだから、それを掴んで捨てるなどという技は恐ろしくて出来そうにない。何しろ先日の這い上がってきた奴のお陰で、この生き物に対してトラウマが出来てしまっているから、例えば新聞紙を丸めて気合を込めた一撃を喰らわすなどという大胆な行為も、最早ワタシにはとても敵わない。


などと途方に暮れた末、甚だ面目無いのは承知の上で、勇気ある階下の住人を呼び出す事にした。

彼女は新聞紙とビニール袋持参で現れると、勇ましくもさっと丸めた新聞紙でぱしんと一撃を食らわせ、瞬く間に賊の息の根を止めると、キッチンペーパーとガラスクリーナーを所望した。へなちょこ助手のワタシがはいはい唯今とそれらを傾げ持って行く間に、賊を素早く新聞紙で摘み取るとビニール袋にさっと放り、そしてガラスクリーナーをしゅしゅとやって、キッチンペーパーをくるくると丸め取ると、それで辺りを拭き出した。それも袋に入れてきゅっと厳重に縛ると、さあ、終わったよと言って、何事も無かったかのように帰って行った。

その手際もさることながら、あれだけの大きな蠢く物体にも怯まない彼女は、大変逞しい立派な日本女子である事を、ここに感謝の気持ちを込めつつ記しておく。貴方は勇気がある人だ。何時嫁に行っても、充分にやっていけるよ。



ところでワタシの家には、超音波を出してそれらの黒い物体やらげっし類やらを撃退する装置が取り付けてある。なのにそれは、こういう肝心な時に全く効果を示さなかった。どうやらあのように大きな穴があちこちに開いていては、電波も歯が立たないらしい。

そこでワタシは又しても薬局へ出掛けて行って、穴や隙間に塗りつける薬やら強力な噴霧式の薬やら置き薬やらを一通り買ってきて、先ず一番大きな穴の火口部にぶち込み塗り込め噴霧し、そして荷造りテープでもって穴をぴったりと塞いだ。他の穴も、薬のチューブの口が入る大きさのものは全て塗り込めて塞いだ。

これは脚立を借りてきて、無防備に上を向きながら何時賊が出現するやも知れぬような、戦々恐々とした作業だから、冷や汗掻きつつ何時間も掛かってしまった。嗚呼、もうあんな怖い思いは、二度と御免である。


それから部屋の隅には、丁度床と壁の交わる辺りに隙間がいくつか開いていた。また備え付けの暖房器具の下には、これまた大きく深い穴が開いていた。特にこの大きな穴からは、夜な夜なネズミが顔を出しては、ワタシのアパートを徘徊していた。

ある時など、朝方ふと目が覚めてがばと起き上がってみると、ワタシの鞄の中から小さい頭がこっちを覗くなり「お早う」と言ったのだから、心臓が止まるかと思った。余り驚いたから向こうさんも驚いて、其処から素早く出ると一目散に例の大穴へ向かって逃げて行った。何だか悪い事しちゃったと、一寸後悔したりもした。鞄の中にはお弁当の匂いが残っていたのだろうが、実際餌になるようなものは入っていなかったのだから、益々気の毒である。

そうした穴には、所謂モスボールと言って服を仕舞うときに一緒に入れる防虫剤を、兎に角入るだけ詰め込み、そこをまた荷造りテープできっちりと塞いだ。モスボール後に金網のシートや鉄のスポンジ状のものを詰めると、げっし類は噛み切れないから出て来られない、とは別の修理工氏談であるからして、余裕があればそれもやると良いだろう。ワタシの場合はとりあえず火急の事態につき、いろいろと取り揃えている時間的精神的余裕が無かったまでの事だ。

兎も角こういう涙ぐましい自力の付け焼刃的補修工事も、市が遣した調査官氏は隅々まで事細かに目を通してくれた。その有様を見て、余程怖い思いをしたのでしょうと慰めを言ってくれた時には、やはりお天道様はお見通しなのだ悪者よと、目が潤むのを止める事が出来なかった。

訴訟其の一、第九話につづく。


2004年11月14日(日) 風さえ遮られれば寒さはなんとか凌げるものだ、訴訟其の一、第七話

訴訟其の一、第七話。

訴訟手続きの為に一緒に裁判所に出掛けたこの階下の住人は、家賃の支払いをワタシたちより一歩先に止めていたので、既に大家から未払いで訴えられていた。だから、店子全体で起こした訴訟以外に自分でも対訴訟を起こそうとして、早くから自主的に調査を進めていた。お隣のお姉さんに比べると余程行動力も精神力もあったから、却って頼りになる相棒であった。

実際他の店子たちは、この時点で皆、腰が引け始めていた。度重なる嫌がらせや脅迫で、一人減り二人減りして、当初の半分位は脱落していたし、残る者も不安を隠せないようだった。非ニホンジンで残っていたのは、結局ほんの一世帯だけだった。残るニホンジンは、義理とか同朋からの目に見えない圧力とか、そういう理由からだったのではないかと思う。

もっともこの街では、かつて凶悪犯罪が多かった事情から、人々はそもそも揉め事には関わりたがらない。

例えば、電車の中で音楽を大音量で聴いている人が居るからと言って、その人を睨み付けたりして、迷惑を掛けている事に気付くのを期待するようなニホンジン的感覚は皆無である。そんな事をしては却って自分が遣られてしまいかねないから、普通は見て見ぬ不利である。例え喧嘩や痴漢が目の前で起こっていたとしても、この街の人々は大概そうやってやり過ごす。自分の身は自分で守らなければならないからだ。

だから非二ホンジン住民がぞろぞろと抜けていったのは、アジア人同士の執念深い抗争とでも思ったからだろうかと思う。また彼らは民族的にもここでは少数派であるから、抵抗運動を遣ったところで彼らの要求が通った例が無い、と言う経験も、また彼らを容易に諦めさせ、悲観的・無関心にさせる一因であったろうと思う。


訴訟は実質的には半年程続いた。

その間ワタシたちは、度々早朝から法廷に足を運び、その都度仕事や学校を休んだりして都合を付けねばならなかったし、また法廷から調査官を送るからこの日は家に居るようにと言われれば、またそれにも対応しなければならなかった。そして次の出廷に備えて必要な資料を揃えたり、またどのような質問が来たらどのように答えるかなどの予行演習をしたりして、始終気の抜けない日々が続いた。

そうしている間も暖房は入らなかったから、市の管轄当局に苦情の電話をしたり、また調査官が来た時に暖房が入っていないことを証明して貰わなければならないから、出来るだけ家に居るように心がけたりして、それはそれで落ち着かない日々でもあった。

訴訟自体では、ワタシたちの主張が認められた。判事は、最初にワタシたちの苦情の電話が市に入った日から数えて、それにこの手の違反の罰金の相場を掛けたものから、更に大家側の弁護士が交渉して少し値下げしたところで「示談」と決定して、大家に支払いを命じた。

しかしこれは大家対市当局の訴訟という形になっているので、罰金は市に対して支払われる。そうすると当然、ワタシたちの懐には一銭も入ってこない。

これを知って、ワタシたちは見る見る脱力感に見舞われた。これまで数ヶ月頑張って来たのに、何の報いもないのか?

がっぽり慰謝料を取ってやろうなどと考えていたワタシたちはすっかり落胆してしまったが、しかしよくよく調べてみると、そういう民事訴訟を別個にやろうと思えばやれない事も無かった。ただ問題は、半年どころではなく何年も掛かりそうだという事と、それから今度はワタシたちも弁護士を雇わなければ太刀打ち出来ないという事だった。

しかし、実際そこまでする意義が見当たらなかった。そもそも何の為にわざわざ外国まで出掛けて来たのか。それは、訴訟をする為では勿論ない。全く本末転倒である。

たかがアパートに暖房が入らなかったくらいの事で、いやそれ自体は充分生死に関わる大問題ではあるけれども、しかしそれについて慰謝料を請求する為の訴訟を起こしたところで、一体どれ程の気休めになるというのか。あの悪徳大家がどれだけいけ好かない男だと世間に知らしめたところで、それはワタシの人生にとって、一体何の効果があるというのか。多くの時間と費用と、その間に当然圧し掛かってくるであろう嫌がらせ等に拠る心理的圧迫などの犠牲を払ってまで、果たしてやる価値があるのか。

仮にアパートの家賃が法外に値上げされていたとしたら、まだ取り付き様もあったかも知れない。しかし役所を回って一通り調べたところ、ワタシのアパートに関してはその可能性はなさそうだった。ええ、八方手は尽くしてみたのです。

こうして得るものと失うものとの天秤を見比べ、熟考を重ねた結果、結局ワタシたちに残されていたのは、暖房を供給するよう大家に再度裁判所を通して要求する事と、それからアパート内の故障箇所について修理をするよう裁判所から正式な命令を出して貰う事くらいだった。

こうして半年程の訴訟のうち、初めの三ヶ月程は暖房に関しての審議だったが、それも暖房のシーズンが終わってしまったので責める術が無くなり、残りは修理に関わる審議で引き続き法廷へ出向く事になった。

訴訟其の一、第八話へつづく。


2004年11月13日(土) 突風吹き荒れる初冬の雨、訴訟其の一、第六話

訴訟其の一、第六話。

この訴訟に関しては、住宅関係の問題を専門に扱う裁判所というのがあって、そこへ提出する訴状を一人一人用意しなければならなかった。それでワタシは、必要書類を取り寄せ、まだ運動に参加し続けている店子のうちニホンジンで言語に問題のある人々に書き方を説明し、これを集めて裁判所に提出に行く事にした。

その段になって、お隣のお姉さんが「ビビり」始めた。

彼女もまた大家からの嫌がらせの電話によって、精神的なダメージを受けていたのは確かである。しかし書類のコピーやら話し合いやらに熱を入れ過ぎ寝坊するなどして、当時通っていた語学学校に足が遠のき、遂に学校から最後通牒のようなものを貰っていた。これ以上学校に来ないと、外国人として滞在する為の許可証を出しません、というような内容だったと思う。

ワタシは自分の本業を犠牲にしてまでこういった運動をするのは本意で無いと言ったのだが、彼女はいや、やる時にはやらねばならないのだ、と言って聞かなかった。だからワタシが、ここまでにして今日はもう遅いからまた明日の晩に帰ってきてからにしましょう、などと言うのが気に入らないようだった。

とは言え、ワタシも日々こればかりに精を出している訳にもいかないから、じゃワタシはこれで休みます、と言って退散するようにしていたし、自宅を提供していた日には彼女にも適当にして帰って貰った。

それでも彼女は隣の自宅に戻ってから、運動参加者の「連絡網」のようなものを皆の許可無しに作って配布したり、日系地域新聞などに不動産屋の「悪徳業者」振りを暴露する内容の手紙を出したりするなど、独自な活動もして、多忙さを増大させていたようだ。そうやって自分の首を絞めていたから、精神的にも切羽詰っていたのかもしれない。

そうこうしているうち訴状が集まり出して、さあそれでは明日にでも裁判所に行って出してきましょうという日になった。話し合い会場であるワタシの自宅に隣のお姉さんが現れないので、こちらから電話をしてみると、彼女は突然ドラマチックに語り始めた。

アタシ、迷ってるの。

は?

ワタシは既に集まっていた人々と顔を見合わせ、受話器を押さえて説明した。

アタシ、やっぱり訴えるのはもう少し考えようと思うの。

ワタシは堪らず聞いた。

何を考えるの?

ええ、色々と。

ここへ来て皆の意見がまとまって、団結して訴状を出しに行こうと決まったのに、何を今更迷う事があるの?

すると彼女はヒステリックに怒鳴り始めた。

迷ったっていいじゃない!人間なんだから迷う事くらいあるでしょう!

ワタシは何故か非常事態に際して平素以上に冷静になるところがあるのだけれど、この時も逆上する事も無く、極めて冷静に言った。

勿論、貴方が迷うのは貴方の勝手だけれど、それに皆を巻き込むのはどうかと思うのよ。ここまでまとめるのに随分労力が要ったし、ワタシの時間もエネルギィも犠牲にして本業にも支障が出て来たし、また度重なる嫌がらせにも堪えて来た訳だし。それを誰か一人が迷ってるくらいの事で、全てを無にする訳には行かないのよ。今だってこうして皆集まって、頑張って作業を進めているというのに、そこへ言い出しっぺの貴方に突然迷ってると言われても、こっちも困るの。

すると彼女は忽ちぶち切れた。怒鳴っている内容は、もう何が何やら分からなかった。ワタシは堪りかねて受話器を耳から放した。何しろ闇雲にわあわあと怒鳴っているから、初めのうちはワタシもまあ落ち着いてなどと言っていたのが段々効かなくなってきて、苛々し始めた。

そのうちとうとう頭に来て、

ところで貴方、「連絡網」とやらを作って配っているそうだけど、個人情報を公開するにあたって、掲載する人たちの許可は取ったの?ワタシはそういう話は聞いて無いし、「連絡網」自体貰って無いから、何が起こっているのか知らないけど、勝手な事してると訴えられるわよ、

と言ったが最後、彼女は何か怒鳴った後、がちゃんと電話を切ってしまった。

残されたワタシたちは、互いに顔を見合わせ、溜息をついた。

彼女、何テンパってるの?

困るよなあ、そういうの。

それで一体何がしたい訳?

ビビってるんでしょ、要するに。


翌日、訴状の提出をしに裁判所に出掛けた。隣のお姉さんは、自分は別個に訴状を出すから構わないでくれと言って来た(と別の住民が伝えてきた)ので、階下の住人と連れ立って出掛けることにした。

第七話に続く。


2004年11月12日(金) 今朝の珈琲は妙に水っぽくて不味かった、訴訟其の一、第五話

訴訟其の一、第五話。

まず大家は、店子のうち、簡単に落ちそうだと思われた者から崩しに掛かった。それで署名した店子のうち何人かは、やはり抜けると言って来た。

対抗してワタシたちは、陳情書のコピーを市の管轄当局と市長、市の事務長官らへ送りつけ、ワタシたちが暖房も無いまま寒波の厳しい冬に晒されている窮状を訴えた。

それらの手紙のコピーも逐一大家に送り付けておいたから、今度はこの運動に参加しているワタシたち一人一人に対して、嫌がらせを仕掛けてきた。

ある者は外で待ち伏せしていた大家に腕を捕まれ、車に連れ込まれ、署名を取り消せと脅された。ある者は、署名を取り消さないと其処には住めないようにしてやる等といった脅迫電話が、日に何度も掛かって来て、電話のメッセージ機能がパンク状態だった。ある者は、住む処を探している友人を暫く家に泊めていたら、許可なしに同居人を連れ込んでいる等と言い掛かりを付けられ、そいつを追い出さないと家賃を上げるだのいっそ出て行ってもらうだのとしつこく嫌がらせが続いた。

また数人のところには、自宅に大家が押しかけてきて遂に侵入し、運動から手を引けと怒鳴り散らし、実はあの女(ワタシの事ね)に脅迫され署名させられたのだという嘘の内容の書類に無理矢理署名させられた。

これにはワタシも驚いて、そういう嘘の供述を続けるならこちらも相応の手段を取らねばならないから、そうなる前に元の友好的隣人関係を取り戻すべくご連絡を請う、とそれぞれに手紙を送って取り消させたりしたので、随分手間が掛かった。

しかし大家は何しろ相手を良く見ていて、それぞれに相応の手段を講じていた。そしてその一部は非常に効果的であったから、脱落者が続いたし、また残ったものも精神的な疲労が激しかった。

ワタシ個人に対しては、例えば電話で、お前が皆を丸め込んだのは分かっている、お前のボスに言い付けてやる、等と脅してきたり、また隣家のお姉さんが夜中に管理人から怒鳴られているのを聞き付けてドアを開け何事かと聞いた折には、管理人がそれを大家に言い付けたので、そういう「営業妨害」を止めないと訴えるぞ、等の脅しの手紙を送りつけてきたりした。

しかしこちらも、そういう一連の脅しの手紙などをまとめて、市当局に加えて市議会の地区選出議員、その上の議会の市選出議員や国会議員、果ては日本大使館にまで送り付け、救済を求めた。テレビ局への投稿も考えたが、これには別の政治的思惑も介入しかねないと言う事で、却下した。

勿論、これらの一見無関係な機関に訴えているのは、心理作戦の一つである。こうして手紙を送りつけた各機関のうち、実際にはほんの少数しか返事をくれなかったり、また実際に協力してくれなかったりしたのは、元々計算の上である。重要なのは、こうして彼方此方に知らしめている手紙の写しを大家にも送り付ける事に拠って、大家を焦らせる事であり、裁判に持っていかずとも彼に暖房を供給させるのが、ワタシ(たち)の狙いであった。

だって裁判になったら、どう考えても面倒だもの。何しろ相手はプロの弁護士が付いている訳で、片やこちらはド素人の集団である。毎日法廷に出向く事で金を貰っている人と、そんな事とは全く無関係に暮らしている一小市民のワタシの付け焼刃の法律の知識なぞ、所詮比べ物にはならない。それはつまり、インターネットに出ているものと裁判所がまとめた冊子等の資料で賄っている知識であって、それはまるで鼻毛にくっついた鼻糞程度のものでしか無い。


しかしその願いも空しく、一月の下旬になっても二月になっても、暖房は充分に供給されなかった。ワタシたちは、既に陳情書の予告に従い、家賃の支払いを停止した。

こうもプライドの高い男が相手だと、話は拗れるばかりである。男の粘着質なのは、全く始末が悪い。

どうやらワタシたちの住む建物の一方では、バスルームのみ暖房が入るが部屋には入らず、そして建物のもう一方では、バスルームとそれに近いダイニング・キッチンには暖房が入るが奥の部屋には届かない、という状態だったようだ。だから、ワタシのアパートを含めた、バスルームのみ暖房が入っている側の住民に取っては大変深刻な寒さが続いているが、反対側のアパートの住民に取ってはそれ程でもなく、奥の部屋を使わずにダイニング・キッチンで寝る様に算段すればそれで済む程度の問題だったようだ。

勿論、多額の家賃を払っているのだから全ての部屋が使えなくては困るのだが、彼らにとっては比較的生活に支障が無いようだった。それで署名運動からの脱落者の多くは、そちら側の住民という結果になった。

結局残されたワタシたちは、いよいよ裁判を起こす事に決定した。何しろ大家に、やれるものならやってみろ、という態度が満ち溢れていたからだ。

訴訟其の一、第六話へつづく。


2004年11月11日(木) 余程寒いのかと覚悟していたが意外と寒くなくてよかった、訴訟其の一、第四話

訴訟其の一、第四話。

それではいざこの陳情書を送付しよう、ということで、お隣のお姉さんとワタシは翌日郵便局へ連れ立って出掛けた。

ワタシは実は前夜から嫌な予感がしていて、それを包み隠さず彼女に伝える積りでいた。

というのは、この陳情書の差出人として誰かの名前と住所を書かねばならないのだが、それを誰にするかという事についてだった。それは受け取る方からしてみれば、単なる差出人では治まらず、この一件の纏め役、または首謀者、更に反逆者であるという風に受け止められる事はほぼ間違いなかった。

そうなれば、様々の嫌がらせの矛先が集中する事は容易に想像が付いた。ワタシはそれを懸念して、まるでドアの外に大家の差し向けた手下の者がじっと中の様子を窺っている様子を想像して、不安で前夜は中々寝付けないでいたのだ。

これまでの経緯から、彼女は恐らくワタシに面倒を押し付けて来るのではないかとの予感があった。そしてそれは見事に的中した。

ワタシは一頻り世間話をした後で、彼女に話しかけた。

ところで、この「差出人欄」については、どうしましょうか。

すると彼女は軽く答えた。

ああ、それはもう、ワタシはホラ、全然言葉が出来ないから、そういう大事な事は全て貴方にお任せしといた方が良いと思うの。だから、宜しくお願いします!頼りにしているからね。

そう言うんじゃないかと思っていたの、とワタシは苦笑した。

これは言うなれば、ある日貴方がうちの戸を叩いて、自分だけ良ければいいと言うような勝手な事ではいけないと言うから、ワタシはこれまで貴方の言う様に協力してきたのだけれど、これは元々は貴方の考えであった訳で、ワタシはそれに協力しているだけの身分だし、またワタシより貴方の方がずっと年上なのだから、当然貴方がリーダーシップを発揮してやって行くべきだし、それに社会的地位とかいったようなこの地で守るべきものが、貴方には無いようだけれどワタシにはあるので、いざとなったら日本へ逃げて帰れば良いという様な状況ではないし、そうするとワタシだけが痛い思いをするのは納得が行かないのだけれど、その辺りについてもう一度聞くけど、貴方はどう考えているのかしら。

すると彼女は少し真面目な顔になって、もし貴方が何か嫌がらせを受けるような事があれば自分も助けに行くから心配するな、と言った。

しかしだからと言って、それではここで自分の名前を差出人・首謀者として書いて潔く自分が痛みを引き受けましょう、という様な事は一切言わなかった。何しろ言葉が出来ないから、普段苦情を言うのにも、例の不倫相手の医師に頼んで大家と交渉してもらっているくらいだから、こんな「大それた事」で大家と逐一交渉するだなんて、とんでもないと言った。


ワタシは言葉を飲み込んだ。



…じゃあ、そんな「大それた事」をやろうなんて、自分で出来もしない事を、無闇に人にけしかけるんじゃねえよ…



こういうところが、実に間が抜けていると思う。この人は、自分では全体像を見据えて完璧にやっている積りらしいが、分かっていそうで実は何も分かっていないから、結局誰かが尻拭いをしてやらなければならない。七つも年下のワタシが、どうして貴方の尻拭いをして上げなければならないのだ。自分は随分出来る人間だと言っていたじゃないか。看護学校で教えるのは、それなりの学校を出なければ出来ないのだと、あんなに自慢していたじゃないか。口で言う程出来の良い人物でも無いくせに、大きい事を言い過ぎる。


しかし既に人々の署名を集めてしまっているので、ワタシたちは後に引けない。

結局ワタシが自分の名前と住所を提供して、陳情書を出すことになった。このお陰で、まんまとワタシが首謀者であると見做されて、法廷でも法廷外でも、散々な目に遭う。

第五話へつづく。


2004年11月10日(水) 事実は小説より奇なりと言うから、訴訟其の一、第三話

訴訟其の一、第三話。

年明けのある日、誰かがドアをノックした。覗き穴から覗いて見ると、見知らぬ長い黒髪の女性が、俯いて立っている。一先ず現地語でどなたと聞くが、それには答えないで、更にドアをノックする。

不審に思いドアのチェーンを掛けたまま応対すると、日本の方ですよね?ワタシ隣の部屋に越して来たばかりの者なんですけど、と日本語で言う。なら早くそう言えよ、と口には出さぬものの、また非常識なニホンジンがやって来たものだと溜息を付く。

特にタオルやら石鹸やらの典型的引越用粗品を手にしている様子でもないので、ああそうですか、よろしく、と愛想を言って早急にドアを閉めようかと思ったのだが、実は聞きたい事があるんですと言う。

お宅に暖房は入ってますか?

いいえ、今は入っていません。

どうやって生活してるんですか?

どうやってと言われても、とりあえず布団を重ねて、こうして衣類も重ねて、オーブンも点けたりして、なんとかやっていますよ。

それでいいんですか?

は?

それで貴方は構わないんですか?

いや、別に良いとは思っていませんけど、一応ワタシなりに大家にも市にも電話はして訴えていますし、出来る範囲の事はやってますけど?

ワタシ、そういう事ではいけないと思うんですよね。そういう自分だけ良ければ良いというようなやり方は、やっぱり良くないと思うんですよ。ここはやはりニホンジン住民が一致団結してですね、何とかして立ち向かって行くべきじゃないんですか?

・・・・・・


初っ端から唖然としたが、兎に角こうしてワタシたちは知り合った。後にワタシたちは、この訴訟を通して意見の食い違いが大きくなった末に、大喧嘩になってしまったのだけれど、こうして見ると初めからなんとなく不吉な予感が立ち込めていたようにも思う。

この隣人のお姉さんはワタシより七つ程年上で、東北のある街の看護婦をしていたが、更に看護学校でも教えていたと言うのが自慢で、以後幾度と無くこの話を聞かされた。それをどういう訳だか放棄して外国まで出掛けて来てしまったのだが、現在はこの国での資格がないので「ヴォランティア」という形で、ある大学病院の研究室に時々手伝いに行っているという。

その所為か「過去の栄光」に拘ってよく一端の事を言うのだけれど、実際いつもこの人の言う事はどこかしら間が抜けていた。

例えば彼女は靴の収集が好きだったとかで、日本から送ってきた手持ちの靴を全て、クローゼットのドアの裏面に備え付けた靴掛け一面にずらりと並べて、一人悦に入っていた。

しかしよくよく聞いて見ると、今ではサイズが変わってしまったので、そのどれも入らないのだと言う。捨てれば?とついついワタシなどは思ってしまうのだけれど、随分執着があるらしいので、黙っておいた。

また独身看護婦または看護学校教員の見入りは随分良いんだなと思わせる話に、マイケル・ジョーダンの「追っかけ」をしていたというのがある。このバスケットボールチーム「シカゴ・ブルズ」の当時の花形選手の大ファンであったという彼女は、知り合いの「つて」を駆使してチケットを入手しては、アメリカへ夜勤明けの日帰りとか、または有給を当て込んで一泊、二泊などしては、あの街からこの街へとチームが遠征するのを「追っかけ」ていたと言うのである。

その話を聞いていて、この人は随分思い込みが激しい性質なのかしらと、ワタシは少々不安になった。「ストーカー」というのが居るけれど、本人は気付かないでやっていることが多いから、気をつけないとねぇ。

また「金に糸目はつけない」と言うのが口癖でもあったから、日頃倹しい生活をしているワタシなぞはそれを聞く度、却って自分の財布の紐がきりきりと絞まっていく様な心地がしたものだ。


兎に角そういうワケで、彼女がワタシを随分自分勝手な人呼ばわりするので、仕方が無い。売られた喧嘩は買おうじゃないか。

じゃあ具体的に貴方はどうしたいと思ってるんですか、と聞いてみた。彼女は、このアパートには日系の不動産会社を通じて入居したニホンジンが多く住んでいるから、その人たちを集めて署名運動をしたらいいという。そしてこんな暖房も入っていない不良物件を紹介したという事で、その仲介会社にも責任を取って貰うべきだと言う。でも、このビルにはニホンジンだけが住んでいる訳ではないから、その非ニホンジンについてはどうするのですかと聞いた。すると、それも含めて、一度聞き取り調査をするべきだと言う。実際暖房が入っているのかいないのかも確認するべきだと。

それで、ワタシとそのお姉さんとで、アパート内の世帯をひとつひとつ尋ねて、聞き取り調査をした。

もっともその時になって分かったのだけれど、彼女は言葉が殆ど出来なかった。だから元々、ニホンジンしか集める気はなかったようだ。それで結局それ以外の住民には、ワタシが事情説明をしてあれこれ聞き出し、特にワタシたちより長く住んでいる彼らと大家との関係なども垣間見れるまで、何度か足を運んでみた。

ニホンジン宅では、お姉さんはやはり饒舌だった。自分より若い住民たちを相手に、説得というか説教というか、こうするべきだ、そんなことじゃ駄目なのよ、と片端から強力に説いて回った。大家の逆襲を恐れて数名は二の足を踏んだが、他は大家の態度が悪いと日頃から不満を抱えていたので、ワタシたちのチームは少しづつ大きくなって行った。

そうしてワタシたちは、大家に対して暖房を入れてくれという旨の陳情書を作成する事にした。これはお姉さんの不倫相手である大学病院の医師(彼女は「フィアンセ」と呼んでいたが、実はその研究室にやってくるニホンジン看護婦を片端から手篭めにするので有名なドクターだと言う事が、後に判明する)が下書きを書いて、それをワタシが修正した。そうして一軒一軒説得を重ねて、住民のうち七割の署名を集める事に成功した。

訴訟其の一、第四話へつづく。


2004年11月09日(火) 今年初の氷点下につき数年前の寒い部屋での暮らしと闘争を思い起こしたから、第二話へ

訴訟其の一、第二話。

そのメモにはたどたどしい文章で、お願いがあります、と始まっていた。ワタシは何事かと直に目を通した。

どうやら階下の住人らしい。バスルームの天井に穴が開いているのだが、階上に住む貴方が留守がちだからという理由で、何ヶ月も工事が放置されているので、何とか都合をつけて家に居てもらえないだろうか、と言う。せめて週末に一日休んでもらえれば助かるのだが、と結んでいる。

これは全くの初耳だった。ワタシは直にそこへ書かれていた番号に電話を掛けた。

階下の住人は、ニホンジンだった。だから話が早くて、ワタシたちはその週の土曜に互いのスケジュールを合わせ、彼女がその旨大家に連絡した。するとまた折り返し彼女から電話があり、大家が電話に出ないのでメッセージを残したのだが、不安が残るのでワタシにも電話をしてみて欲しいと言う。

そこでワタシは大家に電話を掛け、メッセージを残した。すると、五分と待たぬうちに、大家から電話が掛かって来た。どうやら相手を見ているらしいと察した。

階下のバスルームの工事の件は、今週末で問題無いと言う。わざわざ連絡をありがとうとまで言っている。

欲を出したワタシはそのついでに、ところでもうすっかり寒くなっているけれど、暖房はいつから入れてくれるのかと聞いてみた。

この国の多くの家やアパートでは、暖房設備を集中管理システム(セントラルヒーティング)にしている。そしてこの街の条例では、十月から三月までの冬季間に外の気温がある一定より下がったら、室内の温度は何度以上に保たれなければならないという風に決まっている。時は既に十月の後半だったが、ワタシたちのアパートはしんと火の気の無い状態だった。

大家は直に管理人に暖房を入れるように言うから心配要らないと言った。ワタシはそれなら結構ですと言って、電話を切った。

それから小一時間程して、パイプがかつんかつんと言ったと思うと、アパートになにやら温もりが感じられ始めた。

しかし、二三時間もすると、直に切れてしまった。

その日から、大体朝方になると暖房が入る音がして、そして二三時間で切れる、というのが繰り返されるようになった。しかしワタシの住処ではどういう訳か、バスルームが一番暖かく、普段過ごしている部屋の方には暖房は殆ど入らなかった。


年の瀬になってくると、どうにも寒くて生活に支障が出て来た。ワタシは部屋とバスルームの中間にある台所にあるオーブンに点火して、その扉を開け放した。これは危険だからお勧めは出来ないが、部屋を手っ取り早く暖めるのにはいい方法である。

それからありったけの毛布や布団類を寝床に重ねて、更にその上に緊急用のアルミフォイルシートを掛けた。これは、布団に入った直の頃は凍えそうに冷たいのが、朝方起きる頃にはシートの上に汗を掻いている程の保温効果があった。

そして家で過ごしている間は、厚手のセーターの上にダウンジャケットを着て、靴下も厚手のを二枚重ねて凌いだ。


その年は酷い寒波が来たので、特に年末年始の頃は、大雪が数日続いて大変寒かった。ずっと暖房が入らないものだから、何度か大家に電話をしてメッセージを残すのだが、あれきり全く音沙汰が無いのだ。

ワタシは市の管轄機関の所在を調べ出し、そこへ訴えを出す事にした。これは暖房が規定通り入っていない時に電話をすると、そのうち調査官を送ってくれる。苦情の電話が入った順に回ってくるので中々早くには訪れないが、首を長くして待っているうちに漸くやって来て、室内の温度とお湯の温度(これは年中一定の温度以上に保たれていないといけない事になっていて、暖房とお湯は元が同一の事が多いから、一緒に調べるのだそうだ)を調べて行く。

そうして出来た調査書を本に、大家に対して市から知らせが行く。いついつに住人誰某からこういう苦情が来て、調査の結果確かに条例違反であったから、直ちに改善するように勧告する、というものである。これはあくまで「勧告」であって、強制力は無い。だから、悪徳大家ならば、こんな通知は屁でもないと言って、全く従わないで居る事も出来る。

運悪く、この大家もそういう輩だった。

ワタシは結局年末までの間に、幾度と無く市の機関に苦情を出して、そのうち数回調査官を迎えた。そしてそういう活動の都度、何の気無しに記録を取っておいた。何月何日何時、市へ電話をする。天候、室温何度、外気温何度。何月何日何時頃、調査官来る。当初はまだ訴えよう等とは考えも及ばなかったが、こういった記録は後の裁判で非常に有効な資料となった。

第三話へつづく。


2004年11月08日(月) 明日から寒波がやってくるらしいと天気予報が言う

実はこの街が好きでない理由のひとつに、蟹座の「がみがみガール」 に幾度と無く 振り回されたというの以外に、必要の無いトラブルに巻き込まれ続けたというのが大きい。

この街へ越して来て最初の数年間のワタシには、所謂「家運」というのがまるで無かった。同居人や大家の良いのに当たらなかったので、忙しい最中に不本意ながらあちら此方へ引越しを繰り返す羽目になったし、その関連で訴訟も二回ほどやったから、本業には当然支障が出た。

ワタシの生活に数年間の空白があったと 以前書いたけれど、それは必ずしもその言葉通りではなくて、本業的な業績としては芳しくなかったが私生活的には大忙しだったの意である。

裁判沙汰というのは、時間と神経を大いに磨り減らすので、避けようがあるなら避けるが良いに越した事は無い。

ワタシの場合は、一度は大家を相手にアパートの住民を集めて裁判を起したのと、もう一度はその後住んだアパートの同居人を相手にやったのとである。

どちらも法的手段に訴える以外に手が無かったから、今では勉強にもなったしご苦労さんと自分の肩をぽんぽんと叩いてやっているけれども、当時は一体どうしてワタシばかりがこんな目に遭わねばならないのかと、神様仏様イエス様にアラーの神様と、片端から捕まえては恨み言を述べ立てていたものだ。当然ながら、ワタシは以来無心論者である。



その大家は、某アジア系移民で、成金上がりの嫌らしい男であった。

「嫌らしい」というのは、どさくさに紛れてワタシの手を握ったり腰に手を回したりと、勘違いも甚だしい行為を続けたからである。こういう権力を笠に着るやり方というのは、アジアの成金特有のものだろうか。こういう輩に手篭めにされるアジアの女が後を立たないのも、全く心苦しい限りである。

勿論ワタシは強く逞しい女であるから、そのような手には一切乗らない。勇ましくもその汚らしい手を捻り上げては、そんな事をしていると今に貴方の後ろの穴にこの汚らわしい指を突っ込んで前立腺を突付き回して差し上げるから覚悟なさい、等と言ってやったりしたものだ。お陰で以来その大家は、ワタシに対する破廉恥な行為を慎むようになった。

何にせよ、初っ端からどうも胡散臭い奴だという懸念は抱いていたのだ。

契約が済んでも、ワタシの部屋はまだ改装工事が済んでいなかった。更に引越しが済んでも、まだバスルームが使用不可能だったから、ワタシは友人宅を頼って暫く居候の身分であった。

その際、ワタシのボスにその事情を話したら、彼は大家にわざわざ電話を掛けて苦情を述べてくれた。「ネームバリュー」というのは、こういう時に心強いものだと感心した。力のある人物や会社などとの関わりは、こういう時大いに役立つ。大家は直に工事を終わらせると、ワタシに電話を掛けてきて、わざわざボスに言うまでも無かったのに馬鹿だなあはははと言った。

振り返ってみれば、この時の対応は、ワタシと大家の間の後の紛争にも一役買ったのかも知れない。

兎も角そうしてワタシは、新居にやっとこさ落ち付いた。

ある秋の肌寒い日、ワタシは帰宅するなり、ドアの下にメモが挟まっているのを発見した。

訴訟其の一、第二話へつづく。


2004年11月07日(日) 蟹座の「がみがみガール」続編

結局彼女とは口を利かない仲になってしまった。

きっかけは他愛も無い事なのだけれど、行きがかり上一応書いておく。

ある時二人で話をしている時に、別の同僚が通りかかった。すると「がみがみガール」はワタシには無言で、さっとそちらの方へ行ってしまった。話の途中だったので不審に思いながらも、ワタシはその場で一先ず待っている事にした。

暫くして彼女が戻って来たので、それでさっきの話の続きなんだけど、と言って話を再開したのだけれど、そのうちまた無言で何処かへ立ち去ってしまった。

そういう事が何度かあったので、ワタシも段々嫌になってきた。初めは余程ワタシの事が嫌いなのかと思ったのだが、本人に問い質すとそんな積りはなかったと何度も言うので、恐らく彼女としては悪気は無いのだけれど、その同僚にも話があったのを思い出してそっちへ意識が行ってしまって、同じく同僚であるワタシにはある種の甘えがあるのか、わざわざ「ちょっと失礼」等と断りを入れる礼儀を忘れていたのだろうと思う。

それで、ある時彼女の方から質問してきた話題について話している時にまたそういう事があったのを機に、ワタシはこの気分の悪い関係を絶つ事に決めた。

以来ワタシは彼女と関わりを持たないようにした。そのうち彼女から、何か怒っているのか、もし自分が何かしたのなら謝るとメールを寄こして来た。ワタシは一通り説明をして、だからワタシはそういう失礼な人とは関わり合いたくないという旨を伝えた。彼女は、これからは気を付けるから許して欲しい、と謝りのメールを寄こしたので、ワタシもそれを受け入れる事にした。

しかし、そういう事は以後も続いた。勿論、話をしているうちに突如怒鳴り出す癖も健在だし、又何か手助けをして上げてもきちんとお礼を言わないところも、そのままである。ワタシは随分舐められたものだと感じていた。

そうしてまた数ヶ月が経って、ワタシも随分疲れて来て、こう気持ちを落とすような友人というのは、無ければ無い方が健康の為ではないかと思うようになった。

それで、ワタシは彼女との関わりをきっぱり経つ事にした。例に因って彼女から、自分が何かしたのかとメールが来たが、ワタシは、自分がどういう事をしたのか分かっていないなら、謝ってくれなくてもよいと返事をした。

それきり。

後味は悪いけれど、どうにも仕様がない。

でも彼女には手助けをしてくれる人が沢山いたし、そのうちの一人とは結局不倫の関係にまで至ったのだから、彼女も私が友人で居なくなったからといって淋しい事なんか無かったろうと思う。



そうそう、その不倫相手というのは他国人なのだけれど、こいつはひょっとするとかつての歴史的な恨みを別の手段で果たそうとしているのではないかと勘繰りたくなるような国粋主義者で、そして物凄く自尊心の高い男である。

こいつは当時、川向こうの街に奥さんと五歳になる男の子の三人して住んでいたのだけれど、国の母親が還暦だかなんだか、節目の歳を迎えたとかで、長男の嫁である奥さんが子供を連れて国へ一年帰る事になったとか言っていた。その隙に「がみがみガール」に手を出した訳だ。

やつは夜な夜な彼女の部屋を訪れてはそのまま宿泊していったそうだから、彼女と当時同居していたアジア人の友人は、アジアはもっと保守的だと思っていたのに、流石はニホンジン、と眉を顰めていた。誤解を解くのに、随分骨が折れたよ。同朋として、全く迷惑な話である。

もっとも、以前からこいつと、例の某西日本出身の意地悪男と、それからもう一人妙に爺臭い別の国の出身の男とで、「アジア三馬鹿トリオ」とワタシが密かに名付けた、いつも連れ立っている男たちが居るのだけれど、こいつらは「がみがみガール」の事を矢鱈と気に入っていた。一見大人しげに見えるから、所謂アジア的控えめな女性という印象を持ったのだろうか。はたまた良い学校をいくつも出たから、そういうエリート崇拝志向の高いアジア人には、受けが良かったのだろうか。

兎に角この「三馬鹿トリオ」はこの「がみがみガール」をいつもちやほやしていたのだが、中でも一人だけ既婚者の筈の例の男が、格別ご執心だった。

ある時ワタシはこいつと食堂で出くわして、不本意ながら一緒に飯を喰う羽目になった。その際やつは、お前の名前を漢字で書いてみろ、と紙とペンを差し出した。日頃漢字を使い慣れた民族同士だと、下手な外国語で話すより漢字を書いた方が通じやすいこともある。異文化コミュニケーション宜しく、ワタシは疑う事も無く素直に書いて見せた。

すると、どうだろう。こいつは一字一句意味を解説し始めた。この字からは農民の出身だと言う事が窺えるとか、こっちの字も結局農民らしいとか、そういう事を言い出したのだ。それでワタシは、ええまあそうでしょうね、近代以降異なる身分間の結婚が進んでその違いは一概には分かり難くなったけれども、ワタシの国は元々大多数が農民でしたから、とはいえワタシの親類には直接農業に携わっている者はありませんが、と答えた。

しかしそんなことで彼は治まらない。自分は国では代々官僚の家系の出身で、初代から系譜を読んでいくとどの先祖も皆政府に務めた者だという事が分かると言う。それから「がみがみガール」は武士の出身だと言っていた、と更に続ける。

だから何?

ワタシの方が身分が低いと言う事が苗字からも明らかだと言いたいようだが、仮にそうだとしても、だったらどうなの?階級が低いからといって、それがここでのワタシと貴方の同僚としての関係に、何か支障があるとでも?

奴は正に言い難い事を奥歯に挟み込んだままの様で、ワタシの質問にははっきりと答えなかった。

結局それきり、ワタシはこいつとも口を聞かなくなった。今時、所謂先進国に階級社会がこうもあからさまに存在するとは思いも寄らなかったが、自国のやり方を外国人のワタシにまで押し付けられたのでは堪らない。しかもそれらとも全く別の第三国に住んでいながらそんな時代錯誤な話をして、奴は一体何がしたいのだろう。

こいつの奥さんと子供はその後戻って来た様なので、彼らの不倫関係は表向き終わったものと思われた。しかし他の同僚に依れば、彼らを含めて食事に行く予定があった時、男が何らかの事情で遅れただかすっぽかすだかしたとかで、そうしたら「がみがみガール」は目を剥いて、一人だけいつまでも怒り狂っていたそうで、周りは大層不審がっていたと言う。ワタシはその場に居てそんなのを見ないで済んだ事を、本当に良かったと思った。

だから、ひょっとすると彼らの関係はまだ続いているのかも知れない。

いや、そもそもそんなのはワタシの知った事ではないのだが、しかしかの国では嫁は最初の十年ばかしは人間扱いすらされずに、婚家の者から虐げられているようなお国柄と聞いているから、苦労しているに違いない奥さんや可愛い盛りの子供の身を思うと、ほとほと気の毒になってくる。ワタシは人に遣った事は自分にいつか返って来るという説を信じているから、多分この「がみがみガール」にも同様の仕打ちが待ちかねているだろうと思う。

人のものに手を付けてはならぬ。


2004年11月06日(土) 蟹座の「がみがみガール」

「がみがみガール」については以前に少し触れたが、これの詳細を書いてみる。

「がみがみガール」は、ワタシがこの街に移って来て二番目に知り合った二ホンジンである。

ちなみに一番目は、ボスのオフィスで初日に紹介された某西日本出身の男だが、こいつはワタシがにこやかに自己紹介をしたのにも拘らず、鼻でせせら笑うだけでうんともすんとも答えなかったのみならず、ボスが「ニホンジン同士だから、色々教えてやりなさい」と言うのに、その後先輩として一切の手助けをしてくれなかった、甚だ心の狭い男である。

ところで「がみがみガール」は、ワタシが勝手に付けた名前であるから、勿論彼女の本名ではないしそのような渾名で通っている訳でもないから、人物の特定は出来ないものとして話を進める。

同期であるこの女とは、偶然にも出身地が同じ市であったので、ワタシたちは直に打ち解け、お互いのこれまでの経歴などを話し合ったり一緒に食事をしたりしているうち、しばしば行動を共にするようになった。

周囲の同僚たちも、ワタシたちを「セット」として見る事が多かったようだ。特に、誰かが世間話なり仕事上の話なりをしていて彼女が理解出来ないで居ると、誰かしらがワタシを呼びに来た。そして、彼女の為に通訳してやれと言った。実際ワタシはそうやってよく借り出され、お陰でバイリンガルになったので、その事自体は満更悪く無いとは思っている。




彼女は感情の自己制御が出来ない性質らしく、よく癇癪を熾していた。外国語での会話が間々ならずに苛々するのは理解出来るが、ワタシとの日本語会話の中でも、他愛も無い事で彼女はよく怒鳴り出したから、理解するのに随分苦労した。

何を隠そう、ワタシも若い頃は、モノをはっきり言う性質だ、などと人からよく言われたものだ。ワタシはワタシなりに考えた末に、必要な事を最適な言葉を選んで分かりやすく述べている積りなので、そう言われる度に、まるで無神経で人の気持ちを推し量らない薄情者かのような、なにやら謂れの無い追及を受けているような気持ちになって、心苦い思いをしたものだ。

しかし、そのワタシをも黙らせる程、彼女は頻繁に切れた。前触れも無く突然ぶち切れるから、驚いた。

ひとしきり怒鳴り散らした後、ワタシが、貴方がなぜそんなに怒っているのかは知らないが、話はそう込み入ったものではなく、ただ単にこれこれについての噂話やら世間話やらであり、誤解の無い様もう一度ワタシの意図を赫々然々と説明するけれども、何も貴方を怒らせる積りで話しているのではないし、それ程怒るべき大問題について話し合っているのでもないから落ち着け、と言うと、彼女は急に合点が行くようで、ああ御免、と言う。

しかしまた直に、今度は別件でもって切れる。それが業務上の事であろうが時事であろうが同僚の噂話であろうが食べ物の話であろうが、彼女は何に対しても忽ち怒り、一緒に話をしているワタシに対しても辛らつな言葉を並べ、怒鳴り散らす。ワタシは、そんなに怒る様な事ではないのだから、もう少し落ち着いて、穏やかに話をしないか、と度々提案した。その度、彼女は御免と謝るのだが、また直に忘れて、がみがみと遣り始める。

故に、「がみがみガール」である。

ちなみに彼女は、蟹座である。ワタシは何故かこの街に来て以来蟹座に縁があるので、偏見とは知りつつ敢えて書いておく。

思うに、彼女は人の話をきちんと聞いていないのではないか。横着して話半分に端折って聞いていて、耳に残った一つ二つの言葉だけを掴み、そこから全体を推測して不完全な理解のまま自分の意見を述べ始めるのだろう。だから彼女との会話はいつも頓珍漢だった。大概彼女がこちらの意図を誤解していたり、全く別の話であると捉えてそのまま別方向に話が飛んでいく、というのが常だった。

はたまた、彼女はその輝かしい学歴にも拘らず、国語の成績が良かった例が無いと言っていたから、理解力の問題もあるのかも知れない。




初めの頃は、恐らく日本を出てきたばかりで不安もあろうしと同情して、彼女の我儘を一々聞いてやっていた。今にして思えば、それは彼女の「感情の掃き溜め」、「ゴミ箱」の役目を果たしていた訳である。

紹介された寮に入居するまでは、こうしてホテル住まいを続けているのは経済的にも不安だし中々集中して作業が出来ないと溢し、寮に空きが出て入居してからは、どうして自分がトイレットペーパーやらシャワーカーテンやら布団やら、自分の個室に必要な物をわざわざ取り揃えないといけないのかと不平を訴えた。

これは毎日続いた。

余り煩いので、一先ずワタシの使っていない枕とシーツセットを貸すことにした。毛布も貸そうかと言ったら、流石に布団くらいは買いに行くと言って、そのついでに枕も買ってきて、ワタシの貸したのを返して寄こした。しかし数日後、枕を洗濯機に入れたら中で分散してえらい目に遭ったと言って来た。枕を洗濯機に入れて中を綿だらけにした人というのを初めて聞いたと言ったら、絶句していたが。

入居して暫くの間、彼女はシャワーカーテンが無いままで過ごしていた。すると何が起こるか?

シャワーカーテンをしないでシャワーを浴びると、当然だが辺りが水浸しになる。彼女の部屋はバスタブが無くてシャワーの設備のみだったので、特に酷かった。階下の住民から水漏れについての苦情が連日、寮の管理人に寄せられた。それで管理人は彼女の部屋を訪ね、シャワーカーテン無しでシャワーを浴びてはいけないと彼女に注意をした。しかし、彼女の不服そうな様子を見て、自分のお古のシャワーカーテンを取りに戻ると、自分のを買うまで暫くこれを使っていなさいと貸してくれたとのことだった。

なんと親切で人の良い管理人だろう。こんな事は稀である。ワタシは彼女は本当に運が良いと、羨ましく思った。ワタシがどんなに困っていようと、誰ひとり助けてくれないというのに、彼女はこうしていつも誰かしらに助けられている。

彼女の日々の定番の文句の一つに、部屋が真っ白いペンキで覆われていて、まるで病院のようで味気無い、というのがあった。ワタシはその度に、では好みの色のカーテンなり布団カバーなりカレンダーなりポスターなり、好きな物を買ってきて部屋に色を入れたらいいとアドヴァイスをした。その度、彼女は、ああそうか・・・と溜息を付いた。

そして数分後にまた、ああ部屋が真っ白で気が滅入る、まるで病院のようだ、部屋へ帰るのが憂鬱だと繰り返した。だから何か買いに行って来ればいいじゃないの、とワタシはまた言う。その繰り返しである。

ワタシは段々と、彼女と会話をするのに疲れてきた。何の話をするのにも一々怒鳴り合わないといけないし、また毎日同じ愚痴を聞かされて、同じアドヴァイスをしているのに、彼女の悩みの質は日々変わらないのだから。

ある日、ワタシが根負けした。週末のある日、ワタシは彼女を強引に連れて、数ブロック離れた日用品の大型店に出掛けた。ちなみにこの店は、「新規入寮者の栞」の家財道具の揃え方の欄に出ていた、寮お薦めの便利な店である。ワタシもこの街にはまだ詳しくない頃だったから、彼女が持っていたその栞を見せてもらっているうちに発見したのだ。

まずシャワー用品売り場に行って、さあ好きなシャワーカーテンとカーテンリングを選べと言った。彼女は緑色が好きだからと言って、濃いかえる色のカーテンを選んだ。そしてカーテンリングを選んでいる矢先に、彼女は部屋に音楽が無いのは寂しいと言い出し、家庭電気用品売り場へすたすたと歩き出した。そういう娯楽物も良いが、トイレットペーパーだのカーテンだのシーツだのといった、必要なものから片付けるのが先じゃないかと言うワタシの声には耳を貸さず、ラジオとカセットテープ・CD機能の備わったミニコンポをあれこれと楽しげに選んでいる。

あぁ、全く当時のワタシときたら、呆れる程人が良過ぎた。結局、何度声を掛けても家電売り場から動かない彼女を置いて、ワタシは彼女の部屋に必要なあれこれを一人でかき集め、さあこれで当分はいいだろうからさっさと買って帰ろうと、家電売り場に戻って来た。

買い物が済んで彼女の部屋に戻ってからも、彼女は早速そのコンポに取り掛かりきりで、ワタシが結局シャワーカーテンを取り付け、シーツを取替え、トイレットペーパーをホルダーに取り付けた。

ほら、出来たよ、と声を掛けると、あぁはいはい、ありがとね、とこっちを向かずに彼女は言った。

お陰でワタシの時間も随分ロスがあった訳だけれど、彼女はそんなことはお構い無しで、コンポに夢中である。ひょっとすると、彼女はこうやって誰かに何とかしてもらう事を期待していたのだろうか。自分の問題を自分で解決せずに、きっと今までもこうやって誰かに何とかしてもらって過ごして来たのに違いない。



そしてその後も、彼女の愚痴は毎日続いた。あれだけして上げたのに今度は何だと言うと、買ってきたシャワーカーテンの色が濃過ぎて重苦しいと言う。そしてバスルーム用品以外の物を殆ど選んで来なかったから、部屋自体は病院染みたままで憂鬱だという。ワタシはすっかり脱力した。

流石にワタシにも自分の生活があるし、これ以上の時間と労力を彼女の為に割くのは御免だったので、それならまたあの店に行って返品するなり必要なものを買って来るなりすればいい、場所はもう分かっているのだから、ひとりでも行かれるでしょうと言って放っておく事にした。

そして彼女は、引き続き毎日同じ愚痴を垂れた。


既に書いたかしら?ワタシは当時、友人ひとりいない大都会へやって来て、不慣れな業務に突っ込まれて、上を下への大騒ぎ。更に新しい同居人との問題もあって心休まる処も無く、日本にいるはずの家族も音信不通で孤軍奮闘。本当は他人の世話なんてしている場合では無かったのだけれど。


ワタシのことは誰も助けてくれなかったけれど、彼女の事はワタシ以外に、寮の管理人以外に、実は結構な数の人々が手を差し伸べていた。

困った事に、彼女は内弁慶と言うのか、外面が良いと言うのか、他の同僚に対しては借りてきた猫みたいに大人しく内気そうにしていた。だから、彼らに愚痴を溢しても、誰一人ワタシの苦悩を理解してくれる人はいなかったのだ。彼女が日本語で君にどういう事を言っているのかは理解出来ないから、何とも言えないと。

そして多くの同僚は、今君が彼女と友達で居るのを止めたら、彼女はここでは生きて行かれないから、そんな事をしてはいけないと言った。


ならば、ワタシの立場は?


そんな我儘娘に煩わされて、毎日がみがみと怒鳴り散らされて、更に自分の生活もあっぷあっぷで、それでもワタシは生きて行かれるのだろうか?それでも生きて行けというのだろうか?

まぁ早い話が、彼らはワタシの事を買い被っていて、大変な事が山積みであろうともあいつは大丈夫、と思っていたらしい。君なら大丈夫だ、と妙に自信を持って何度も皆から言われた事を、良く覚えている。ワタシの何を持ってしてそう思うのだろう。

人は時に不条理な事を平気でする。


続編へつづく。


2004年11月05日(金) 夏時間が終わって暗くなるのがすっかり早まった

にんにくをたまに料理に使うことがある。しかしいざ一株買ってきてしまうと、使い切らないうちに痛んでしまう。放っておくとそのうち芽が出てきて、するとにんにく本来の部分は味が落ちてしまって、どうも頂けない。

そう嘆いていたら、友人がにんにく醤油を作るといいと教えてくれた。彼女はにんにくを使った料理に慣れ親しんだ文化の人なので、折に触れ様々な使い方を伝授してくれたものだが、ちょっとした問題があって、というかいつも自分の愚痴を聞かせに毎晩電話を掛けてくるばかりだったのでちょっと文句を言ったらそれきり連絡を取り合う仲でなくなってしまったのだが、元気でいるだろうか。その節はどうもありがとう。

ところでにんにくのハナシに戻るが、先日一株購入した際、半株ほど刻んで醤油に漬け込んでおいた。これを瓶に入れて炒め物やら炒め飯やら残り飯やら、事あるごとに片端からかけて食べている。これは驚きの美味さである。これがあるとないとで、味の差は歴然である。

しかし如何せんにんにくが生なので、完成した料理も思いのほか強烈なにんにく臭を発するし、翌日もなんとなく人目が気になるような気がしないでもない。歯医者の予約を翌日に控えている時は、にんにく醤油の使用を避けるのがエチケットだろうと思う。

近頃のお気に入りは、芋と卵をそれぞれ茹で、にんにくもひとつかふたつかけら程茹でて、茹で上がりをすべてをボウルに入れてフォークで一斉に潰しに掛かる。これを気が済むまでひとしきりやったら、そこへマヨネーズとこのにんにく醤油をぱらりと掛けて食べるのだ。好みで乾燥ベーコンの粒だとかセロリを細かく砕いたのだとかを混ぜてもいける。

通常これは「サラダ」と呼ばれることが多いが、ワタシは主食同様にこれのみで済ませる事もある。これもやはり、にんにく醤油を足すか足さぬかで、えらい違いである。芋の皮は、勿論好みに依るが、剥かずにそのままでやるのが、ホームメイド風の良さが出てワタシは好きだ。同様に、芋も卵も荒く潰すのがこつだ。

この料理には本来、何もにんにく醤油を掛けなくともよかったのではないかと思ったところで、ふと思い出した。そういえばここいらで売っているマヨネーズがお国のそれと違って、なんとも間の抜けた味がするから、だから試みににんにく醤油を足してみたのだった。

そうそう、こちらのマヨネーズは大概大きな瓶に入って売っているので、通常人々はスプーンやナイフを突っ込んで、かしゃかしゃと掬い出しては、サンドウィッチなどにぺっとりと塗りつけて食べている。ところが数年前から、チューブ状のプラスチック容器に入ったものも売り出されるようになった。これが、日本のマヨネーズの佇まいに慣れ親しんだワタシには非常に使い勝手がよくて、専らチューブマヨ一筋なのだが、何れにしてもこのマヨネーズが、どういうわけか不味い。

そういえば、以前日本人と同居していた折、卵サラダを挟んだお手製サンドウィッチをご馳走になったことがあるのだが、なぜだか日頃慣れ親しんだ味と微妙に違って大変美味だった。褒めながら、マヨネーズ以外に何か入れたのかと詮索してみたのだが、相手は不審気にそんなことはないと言う。

後から思うに、味の違いは結局、我らの使っているマヨの違いだったのだろう。ワタシには未だに、日本マヨには何か一味隠された秘密があるように思えてならない。そしてそれはひょっとすると秘密などではなく、泣く子も黙るMSG、日本的に言うところの天下の○の素なのではないかと勘繰っている。

以前にも少し述べたが、こちらでMSGと言えば、恐らく多くの人が眉をしかめるであろう代物である。もう随分前のことだが、街角のピザ屋やデリと並ぶお手軽食品店である中国料理店で、このMSGという「これを食べるとおいしくておいしくてそれを食べるのを止められなくなっちゃう」ものが混入していたというので、社会問題になった。それ以来多くの中華料理店では、店で出す醤油などのソース類のパックやメニューなどに「No MSG」などと書いたりする。これがお馴染みの○の素と同一物体かどうかは定かでないが、友人らの説明を総合するとどうやらそれに類するものと考えられる。

東南アジアなどではこれを山盛りに入れたスープやらヌードルやらを食べていると聞く。そして食べ過ぎると味覚障害を起こすと言われているにも関わらず、当地の人々は日本から派遣された某社員らに「食べると美人になる」などと言われて、それに慣れ親しんだというハナシも聞いた。モラル上の懸念も大いにあるが、それよりこれを長期に渡って食べ続けることについての、健康上の問題は現地の人々にどう考えられているのだろう。

それよりはにんにく醤油を掛ける方が、数倍美味だし安上がりだし、健康にも良かろうと思われるのだが。どなたか資金と発言力のある方がちょいと出掛けて行って、働きかけて下さると良いのに。


2004年11月04日(木) 景気付けに久しぶりに真剣なヨガレッスンに行ったら筋肉痛が酷い。

斯くして、漸く秘密の液体其の二に話を移す。

そういうワケで、現在のワタシの住処には、合成洗剤の類のものは一切置いていない。

しかし残念なのは、恐らく多くの石鹸愛好家の女性たちが気に病むように、化粧品に於いて人畜無害な製品が少ないことである。生活一般に関しては、割合簡単に石油化学合成製品から足を洗えるものだが、ことコスメティックの類になると、これがなかなか手に入らない。

気をつけないといけないのは、オーガニック屋だからといって、置いてあるものが全て無害なものばかりとは限らないということだ。やっと少しずつ害の少ない化粧品も出始めたが、以前は有名メーカーの商品に押されて中々見当たらなかった。

ワタシはちょっとした「こだわり」があって、こうした常用品に関しては出来るだけ身近なところで手軽に入手出来るのがいいと思う。だから、わざわざオーダーしなければならないようなものは使わないことにしている。高級品で肌を慣れさせてしまうのも良くないと、自分を律する狙いもある。

恐らくワタシのような生活をする人間は、アロマセラピーの辞典やレシピブック等に加えて、化学辞典のようなものを身近に置くのがいいのかも知れないと思う。

兎に角、そういうワケでワタシは、自家製化粧水を作る事にした。人により色々と方法はあろうけれど、ワタシのよく作るやつは非常に簡単で、ハーブを手頃な酒に漬けたら燗を付けてアルコール分を飛ばしたのである。ハーブはローズマリーをよく使う。これは出来れば生の方が良いだろうが、家には乾燥ローズマリーが随分余っているので、これを使う。予算に余裕があれば、薔薇の花や檸檬の皮を乾かしたの等も加えて、ハンガリーの女王様宜しく若返るというのも良いかも知れない。

酒は手頃な日本酒が入手出来れば、それを使うが良いに越した事は無い。生憎ワタシにはそれが出来ないので、代わりにウォッカを使う。

実は、以前住んでいた家で同居人が何かと煩わしかった所為か、飲酒量が増えてしまってそれこそキッチンドリンカー並みになってしまった事がある。中瓶では直に無くなってしまうので、特大瓶を購入したのだが、その家から移ったら直にそういう心配は無くなったので、特大瓶のウォッカがそのまま暫く鎮座していた。それで化粧水作りを思い立ったという、今では笑い話の裏事情もある。

(この男が又、早く心理治療に行けと言うのに中々行かないで周囲に迷惑を掛けてばかりいるのだが、こいつが遣らかした事等ついては後日に詳しく書こうと思う。)

面倒が嫌いなワタシのやることなので、作り方は至って簡単。乾燥ローズマリーを適当にウォッカにぶち込んで、二三日放置する。酒に色が少し付いたら、ローズマリーを漉して、酒を瓶に注ぎ込む。この時、予め布袋などにローズマリーを入れてから漬ければ、これを引き上げるだけで手間が省ける。そうして出来た酒を湯煎で「燗」を付ける。ふわふわとした酒の香りがしなくなるまで気長にやって、そうしたら冷まして出来上がり。最も、面の皮の厚さに自信の在る人は、燗に付けるなどと柔な事を言わずに、そのままでやって頂いてもよいだろうが。

ローズマリーは血液循環や新陳代謝を良くしたり、収斂、坑酸化作用(つまり若返り作用)もあるらしい。これを煮て洗髪後のリンスに使うと、髪がつやつやになるし、血行が良くなるから抜け毛防止にも良いという。

日本酒は肌をつるつるにするし美白、保湿、肌荒れ予防などの効果もあるというから猶良いのだが、アルコール全般には、肌に残った汚れを取り除くのに良いし、また天然の防腐剤の役目も果たすので、大変便利である。

ところでこの間(と言っても随分前だが)日本へ帰った折に、どうやら日本ではとっくの昔に流行ったらしい、「お手製化粧水の素」を購入してきた。それはグリセリンと尿素が適量、既に袋に入ったものである。これらを混ぜて水で割ったものを、更に十倍とか二十倍に薄めて使うという。

それを遅ればせながらやってみた訳だが、しかしどうだろう。気の所為か、ワタシはこの化粧水の効果を余り感じられないでいる。却って肌が部分的に乾燥してきたような気もしている位である。しかしまだ沢山あるから、今度はこれを全身に付けてみようかと思う。顔の皮膚は身体全身と少し性質が違うから、顔で合わなくても身体で合う場合やその逆もまた在る。それが駄目なら、今度は洗髪後にリンスとして使ってみようか。

何しろ高い輸送費が掛かっているから、どうにかして無駄にせずに置きたいものである。


2004年11月03日(水) 選挙結果ほぼ出揃い、また世界が遠くなってしまった日

先日の石鹸の話のつづき。

近所のオーガニック屋に出掛ける機会があると、くんくんと鼻を利かせて按配のよさそうな石鹸をひとつ買ってくる。

最近では、とある自然派メーカーの作で、ラベンダーとアーモンドのオイルが入った石鹸がお気に入りである。アーモンドオイルは幾分こってりしている感があるので、例えばグレープシードオイルなどと比べると髪がぱさついたりしなくて具合が良いし肌にも全く支障を感じない。

オリーブオイル入りの石鹸も、後の酢でやるリンスが要らないくらい適度にしっとりと仕上がって調子がいいが、身体洗いにはワタシには少し刺激が強すぎるようなので、洗髪のみの使用である。他には、アプリコットオイルの入ったものだったりすると、肌も髪も丁度良い具合に仕上がる気がする。

これらはすべて偶の贅沢である。日頃は例の特売石鹸である。

しかしあるとき、ふと着ていた綿のティーシャツがかしゃかしゃと音を立てるのに気付いた。それで以来ベーキングソーダ(重曹)を溶いた湯で衣類を洗うようにしてみたところ、これがまた非常に都合が良い。このかしゃかしゃは、石鹸に含まれる脂肪酸というのが付着してしまうかららしい。だから、それほどの汚れでなければベーキングソーダやウォッシングソーダ(というのは日本語ではなんと言うのだろう。炭酸塩かしら?)などで洗うのが良いらしい。これだと濯ぎも簡単で便利である。

拠所ない諸般の事情により、現在のワタシの洗濯は手動の場合が多いのだが、動力を使う場合でも大抵ゼリー状にした石鹸液かベーキングソーダを使うことが多い。一つには、あれやこれやの洗剤類の瓶や箱などが、そこいら中を占領するのが気に入らないからでもある。もしコドモがいる家庭だったら尚更神経を使うだろうと思う。ワタシは洗剤類がどこかで混ざる危険性についても、非常に案じている。何しろ一人暮らし故、そこいらでこてっと逝ってしまう訳には行かない。

それにウォッシングソーダも洗濯機で洗うのが前提で、手洗いでは手荒れは避けられない。またセーターやらランジェリーなどを洗うのにも、ベーキングソーダの方が弱酸性で刺激が少ないし、またあちこちの掃除や研磨にと、色々に使い回せて便利である。そしてこれはワタシの住む辺りでは徳用サイズの大きな箱に入って売っているから、食品制作のみならず、掃除や洗濯にも豪快に使える。

また、漂白の必要がある場合は、徳用瓶で売っている檸檬汁を湯で薄めたのに暫く浸すか、石鹸液とベーキングソーダを入れて煮洗いする。檸檬汁はオリーブオイルと混ぜて木製の家具を磨いたりするにも使えて、便利である。もちろん、蜂蜜と混ぜて湯で割れば、疲労や風邪の回復にも良い。

もし現在の経済事情から少し発展した暁には、例のデリケート用粉石鹸を使って日常の洗濯をしてみたいとも思う。何しろ固形石鹸を砕いて溶かすという作業は些か手が掛かるので、自分だけならまだしも、ダンナだとか他人の手を煩わすには少々気が引ける。それに生活が今より忙しくなったりでもしたらば、金で解決を付けずには賄いきれなくなるような気もする。粉石鹸すらも、今のワタシにとっては贅沢の一種である。

人体や環境に害の少ない生活というのは、概して時間と手間が掛かるものだ。

しかし純石鹸に替えて数年、肌荒れや謂れの無い乾燥などとは縁遠くなった。(そうでなくても縁遠いなどと陰口を叩いてはいけない。)尤も、ワタシの住む辺りはお国と比べると乾燥していることになっているから、冬場など多少肌がかさかさになる。そういう時は質の良いオイルを一滴取り、極薄く手に伸ばして塗る。ワタシのお気に入りはアプリコットオイルだが、この間日本で買ってきたスクワランオイルというのも、あっさりしていて使いやすいようだ。

聞くところによると、薄毛に悩む男性が石鹸で洗うようになってから、抜け毛が減り毛質も弱々しいひょろひょろのから逞しい太い毛に変わったそうだ。そう言われてみれば、ワタシの毛も少ない猫毛だった筈なのに、しっかりと太くまた沢山になっている。またアトピー性皮膚炎という、見るにも気の毒な肌質の人々も、石鹸に替えたらステロイド剤の必要が無くなる程改善したと言う。そうして見ると、石鹸とはなんと安全でしかも安上がりなのだろうと思う。

次回に漸く秘密の液体(実は秘密でもなんでもないんだけど)の其の二へ移る。つづく。


2004年11月02日(火) 漸く石鹸の話に戻る

実はワタシの住む辺りには、ピュアソープの種類が少ない。水の質が随分悪いらしく、かつては石鹸業界も大いに苦労したそうで、結局面倒の少ない合成洗剤作りに精を出したようだ。だから合成洗剤なら、スーパーの棚にも沢山種類が揃っている。中身はどれも殆ど同じである。例えば合成の着色を施したものや、燐だの酵素だの、または防腐剤だの金属封鎖剤だのといった、石油化学物質のオンパレードである。

ワタシの経験から言えるこれらの製品の共通点としては、どれも使い続けるうちに白い衣類の汗染みが消えなかったり黒い衣類が褪せてくることであり、だから大量の漂白液を併用せねばならないし、衣類も頻繁に買い換えねばならない。

それでワタシは専ら、どこの街でも手軽に入手が可能な、非常に伝統的と言ったら少々買い被り過ぎかも知れないが、とにかくこの国のどこの街の薬局やスーパーでも売っている定番商品の石鹸を愛用している。

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ワタシはこれを特売の折にダースで買ってきて、ひとつは風呂用、ひとつは洗面用、そしてもうひとつを軽く砕いてパスタソースの空きボトルに入れて湯を少量注ぐ。それを適当に振り振りし湯を足し足ししながら、ボトル一杯のとろりとゼリー状になった石鹸液を作る。これが洗濯と台所用である。

所謂粉石鹸なるものもあるにはあるのだが、これはデリケートな衣類用と表示がしてある。愛用している固形石鹸と同じシリーズから出しているものが一般のスーパーなどで入手出来るが、そういう特別扱いだから少々割高である。オーガニック用品店に行くともう少し種類が見つかるが、このオーガニック屋というのは概して割高であり、そこでやっとこさ見つけた石鹸と呼べる代物には、やはりデリケート衣類用石鹸と書いてある。

これ以外の普通の洗濯用や台所用だと、不審な化学物質がいくつか含まれている。だからワタシの肌には覿面に反応を及ぼすだろうことは容易に想像がつくので、結局敬遠せざるを得ない。所詮オーガニック屋であろうが普通のスーパーであろうが、石鹸業界的には大差は無い。

要するにワタシは買い物の際、商品の裏を一々引っくり返しては、その商品の構成物質書いたラベルを一つひとつ確認しているわけだ。だから新商品の開拓には時間が掛かる。暇をみては街のオーガニック屋を散歩ついでに見回るのだが、中々その時間も取れないでいる。そういう事もあって、結局愛用の固形石鹸を溶いたもので当座を凌いでいるのが現実である。

つづく。


2004年11月01日(月) 頑張り過ぎて少々疲れたので旨い鶏の話でも

先程気合を入れて長々と自説を打ったら少々疲れたから、気を取り直して旨い物の話でもする。

今日はこのところ忙しくて放ったらかしていた野菜の下拵えをしてから、冷蔵庫の掃除を兼ねた残り物アレンジ料理などを喰ったのだけれど、先日沢山焼いた鶏の残りが予想外に旨くなっていたので驚いた。

これはどこかのサイトで随分前に見かけたレシピなのだけれど、その通りに作ったら上手く出来なかったのでオーブンに突っ込んだら、その方が楽ちんで上手く出来る事が判明した。しかも一度に食べきれないから次回に暖め直す際またオーブンへ入れると、更に鶏に火が通り、摘むと肉がほろほろと剥がれ落ちる程に軟らかく仕上がる。指を舐め舐めしながら鶏にしゃぶり付いていると、実は骨までも随分と軟らかくなっていて、そのまま難なく齧る事だって出来ると気付く。

家には電子レンジというものがないので、加熱するにはオーブンかガスコンロを使うのだが、オーブン料理は何が良いって、手間が要らないことだ。材料を突っ込んだら、放置してその間他の作業が出来るのだから、忙しい皆さんは是非活用されるがいいと思う。適当に作っても大概旨いから、騙されたと思って一度オーブンで肉と野菜を一緒に焼いてみるといい。

気をつけるのは火加減だけで、基本は最初に強火で、それから火を弱めて中身に火を通す。これでじっくりやれば、中まで味が滲みて直に食べ頃である。七面鳥やローストビーフなどの大きいものは、最初はフライパンで焼くか蓋をせずにオーブンに入れて焦げ目を付けてから、アルミフォイルなどを被せてじっくり一二時間焼くといい。

今回は鶏の手羽が安かったから、そこへ醤油と味醂、にんにくと生姜を微塵に切ったの、そして煎胡麻を擂ったのを混ぜたのに漬け込んだ。本々のレシピでは鶏を二度素揚げしてこのソースを絡ませるとあるのだけれど、揚げ物自体手間だから、ワタシのように面倒が嫌いな人は、やはり初めからオーブンを使うのがいいだろう。ソースごと鶏をキャセロールにぶち込んで、オーブンで焼く。時たま中を見て、鶏をひっくり返してはソースを満遍なく絡ませる。部屋中鶏が焼ける香ばしい匂いがして、待ち切れない。

このソースをご飯に掛けて食べるのも楽しみである。又ソースを多めに拵えて、事ある毎に肉を焼いたり材料を足したりしながら熟成させると、また旨いソースが出来上がる。ステーキソースなんて買わなくても済む位の、立派な自家製ソースである。野菜炒めや温野菜のサラダに掛けても良いし、餃子のたれにしても中々旨い。おかずが乏しい日には、遠慮なくこれを掛けてご飯が喰える。怪しげな添加物はゼロの、健康的なソースである。


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