無責任賛歌
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| 2003年08月13日(水) |
でもちょっとだけ長く書きました。/『雨天順延 テレビ消灯時間5』(ナンシー関) |
12日午後、『西部警察2003』の名古屋市内でのロケ中に、池田努運転のスポーツカーがスピンして見物人の列に突っ込み、男女計5人が重軽傷を負う事件あり。 テレビの映像を見ると、別段、危険な撮影中というわけでもなく、どうやらただの運転ミスらしい。観客も随分間近で見ていたようだけれど、特に危険な撮影でもなければそれも至極当然だろう。なんだか随分不運な話だけれど、かと言って今後撮影を続行すれば世間の非難は必至だろう。いったんは製作中止もやむを得ないのもわかるが、なんか釈然としないものも残る。 やっぱ芝居やってると心のどこかで「人死にが出ようが幕を降ろしちゃなんねえ」って外道な感覚があるからかな。
福岡市中央区の私立高2年の少年が、昨年8月から今年5月にかけて起こった31件の婦女暴行事件の容疑者として逮捕。本人は「アダルトビデオや漫画を見て自分もやりたくなった」と話しているとか。 校名隠してるけど、地元だと自然とどこのことかわかっちゃうんだよな。こういう場合、マスコミも「中央区」とか「私立高」とか、記事から外すくらいの配慮はできんものか。「福岡市の少年(17)」で情報としては充分だろ? なんかねえ、いかにも人権守ってますって顔しててさ、ネットに情報流すためのヒントを与えようとしてるってのが見え見えだしさあ、あまりいい気持ちはせんのだわ。犯行の原因を「ビデオやマンガ」のせいにするって図式もすっかり犯人たちの意識に擦りこまれてるし、ああ、いったいいつまで犯罪推奨キャンペーンを続けりゃ気がすむんだ。
夕方から父のマンションで、例年通りに亡母を迎え火。 毎年、父のマンションの来客用の駐車場はいっぱいになってしまうのだが、今年はうまい具合に何ヶ所か空いている。それどころか住人の駐車場もガラガラだ。と言うことは、ここの住人、地元の人間がすごく少なくなっちゃったということか。 父の部屋に入ると、いきなり小向美奈子のポスターが貼ってあるのに出くわして、思わず引く。よく見ると、去年のカレンダーで、店に貼ってあったやつだ。わざわざウチまで持って帰って貼るかい。父、「よかろうが」とか言ってくれるが、どう返事すりゃいいんだか(-_-;)。 まずは母の位牌に焼香。もうそろそろ母との年齢差も二十歳になる。仏壇の母の写真は若々しくて、もしこのころの母と今の私が一緒に並んで歩いていたら、夫婦に見られるかも知れない。生前は父と私が兄弟で、母だけが年上に見られて随分憤慨してたものだったが、案外早死にしたのはもうこれ以上老けたくないとか考えたのかもなどと漠然と考える。 部屋を見回すと、テレビの横のケースに、石原裕次郎のDVDボックスが置いてある。「DVDを見る時間なんてない」とか言ってたわりにはほしいものはやっぱり買っているのだ。裕次郎は昭和9年生まれ。7年生まれの母や10年生まれの父にとっては全くの同世代である。映画は多分、二人とも殆ど見ているのだろう。デートで一緒に見たというものも少なくないに違いない。両親にとってはまさしく青春の1ページを象徴している大スターのである。親には悪いが、太ってからの裕次郎しか知らぬ私は、裕次郎映画を見るたびに「カッコ付け過ぎ」と貶してたものだったが、そのたびに「ばかたれ」と小突かれていたものだった。うちでは長谷川一夫と石原裕次郎の悪口はタブーだったのである。 その反動で、一時期私は石原裕次郎をケチョンケチョンに貶してたものだったが、今見返してみると、どれもこれもすげえ名作揃いなのだ、これが。昔は「カッコつけ」としか見えなかった裕次郎の「フリ」が、今にも弾け飛び、踊り出しそうな「若さ」だったのだということに気がつく。一時代を築いたのも頷けるのだ。 でもよく見ると、まだ買ったばかりらしく、封を切ってない。ちゃんと見る気あるのかなあ。一緒に見ようと誘ったほうがいいのかも。
迎え火だってのに、いきなり「どこの川に行くんだっけ?」とボケをカマしてしまい、父から「それは送り火」と突っ込まれる。 ベランダで火をつけるとき、ふと気づいて、「昔は茄子の馬かなんか一緒に置いとかなかったっけ?」と聞いたが、「いろいろやり方あるからなあ」と気のない返事。「最近は盆もせん家も多いっちゃないや」とやや淋しげである。 そのあと近所のステーキ屋で分厚い肉をウェルダンで。父も生ビールを頼む。二人とも糖尿なのに何も考えていない(^_^;)。 ふと父に「昔、外から帰ってきたときに、砂糖水を飲む習慣ってあった?」と聞く。こないだ見た映画『山の音』で、山村聰が原節子に砂糖水を頼むシーンがあったからだ(原作にもこの描写はある)。 「さあ、知らんな」 「映画の舞台は鎌倉なんだけど」 「あれやないか。病院で点滴打つのと同じやないか? アレの中身がほら、あの」 「ブドウ糖?」 「それ。栄養つけようとやろ」 リクツは通るようだけれど、「習慣」として、どの程度の地域でどの程度浸透していたのか、というのはよくわからない。シティボーイズのライブ『丈夫な足場』でも中村有志さんが「砂糖水を飲む」というコントがあったので、現在でもそういう人はいるのかも知れないが。
ゆっくりしていけと言われたので、そのまま三人で漫然とテレビを見て過ごす。 『トリビアの泉』、福岡の柳川と言えば、名物は鰻のせいろ蒸しだが、「イソギンチャクの唐揚げを売ってる店」もあるそうな。柳川に行ったことはあったけれども、そりゃ食べたことなかったな。ゲテモノはまあまあ食べられる方なので、そのうち行ってみよう。 「中国ではパンダに性教育ビデオを見せている」っての、確かゴリラにそれやってた動物園もなかったか。あれはストレス解消のためだったかな。人間に飼われるうちに野性を無くしてしまった動物も多いから、これやってるとこって少なくはないと思うけど。 「ハンガリー語で塩が足りないことを『シオタラン』と言う」っての、日本語との意外な類似ネタだけど(イタリア語の「タベルナ」とかな)、わざわざハンガリーまで行って撮影して来るって、なんか無駄なカネ使ってるなあ、という気が先に立ってしまって、どうもノレない。 何度も書いてるが、ネタが薄いのは知識が基本的に偏在するものであることを考えれば特に気にはならないのである。不特定多数を相手にするテレビでは、そもそも「こんなの常識だろう」なんてのは有り得ない。自分には周知のネタでも他人には「へぇ」ってことも、またその逆もよくあることだ。要は薄いネタでもそれをどう見せるかって点なのだが、演出まで薄いんじゃどうもね。 その点、興味を引いたのは、「ルソーは露出狂」というネタ。「ジャン・ジャック・ルソー」の名はもちろん有名だけれども、何をした人か、なんてことまで含めたら、認知してる人は少なかろう。私はかろうじて『エミール』を読んでたんで、まあ大雑把な経歴は知ってたが、露出狂かどうかまでは知らなんだ。その点も一応「へぇ」なんだが、どっちかと言うと「ルソー」がトリビアのネタに使われたことの方がずっと「へぇ」であった。 だってMEGUMIにビビる大木、あからさまに「誰それ?」って顔してるんだもん。あのね、この人が『告白』書いてなかったら、それに影響受けた島崎藤村が『春』とか『家』とか私小説を書くことも無くって、日本に私小説の伝統もできなくて、引いては飯島愛の『プラトニック・セックス』も生まれなかったかもしれないんだよ。なんてことしてくれたんだルソー(←牽強付会を承知の上で書いてるので突っ込まないよーに)。 なんかまたネタに突っ込み入れるだけで行数かかっちゃうのでこのへんで省略するけど、親父が見てて一番大笑いしてたのは、「秘密戦隊ゴレンジャーは鶏がらスープで敵を倒したことがある」であった。いや、これトリビアじゃないでしょ、そもそもそういうオチャラケな設定の番組なんだから。「ウルトラマンは怪獣の腋の下をくすぐって隙を作り倒したことがある」ってんなら、ウルトラマンはもともとそんなことするキャラじゃないから「へぇ」にもなろうが、ゴレンジャーでそれやっちゃ、番組自体をバカにしてるのと変わらん。こんなのネタにされてたら、特撮ファンはもっと怒んなきゃいけないんじゃないのか。
父がイネムリし始めたので、十時過ぎに辞去。帰り際に父が「(来てくれて)ありがとね」と言うが、息子が盆に帰ってくるのが感謝されることかい。なんか日頃よっぽど親不孝してると思われてるな(-_-;)。
ナンシー関『雨天順延 テレビ消灯時間5』(文春文庫・420円)。 本文よりも興味を引いたのは、巻末の大月隆寛の解説である。 故ナンシーさんへの感情過多で、自分の書いた追悼文に勝るものはないと断言し、他の追悼者たちを全て「わけのわかんねえ追悼文垂れ流してたひと山いくらのボンクラ共!」と罵倒する、その過激さだ。 これを読んで、その傲慢さにムッとする人も多分いるだろうし、またかえってナンシーさんの評判を落とすことになりはしないかと懸念される方もいらっしゃるだろう。実際、いとうせいこうさんの追悼文の方が、はるかにナンシーさんの喪失の事実をこちらにヒシヒシと伝えてくれる。それに比べれは大月さんのはナンシーさんを私物化しようとしているだけのただの駄文だ。 にもかかわらず、ナンシーさんに関してはこういう「駄文」こそがもっともっと書かれねばならないと思う。 「自分だけがこの人のことを本当にわかっている」というのはもちろんただの思い込みだ。妄想と言ってもいい。しかし、そんな思いを持つファンが誰もいないような作家に、いったい何の価値があろう? 「自分こそが一番のファン」と自負する思いを持つ人間が多いことがすなわち、その作家にとっての最大の勲章なのだ(作家本人にとっては迷惑な場合が往々にしてあったとしても)。 大月さんの言に腹を立てた人は、「いいや、大月、おまえこそナンシーさんのことがなにもわかっちゃいない。真のファンはオレだ」と声高に宣言すればいいのだ。静かに追悼するばかりが能じゃあるまい。作家は、作品は、読まれ、語られてこそその命脈を保つのである。
2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪) 2001年08月13日(月) 代打日記 2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)
| 2003年08月12日(火) |
もうあまり長く書けません/映画『地球へ二千万マイル』 |
仕事は半ドン。これからが本格的な盆休みである。
NHK−BS2で映画『地球へ二千万マイル』。 WOWOWで放送されてた時には『金星怪獣イーマの襲撃』というタイトルがついていた。しかし「イーマ」(北欧神話のイミールのこと)という呼び名は映画中では一切語られない。これはハリーハウゼンが人形の付けていた愛称なのである。 昔、日本の着グルミ特撮に馴れていた身には、ハリーハウゼンのダイナメーションには違和感があったのだけれど、CG全盛の現在の目で見ると、この残像のないチカチカする動きがかえって懐かしく感じるんだから、映画の見方なんてものはいい加減なものである。 でも、やっぱりアチラの怪獣は概して弱いよな。すぐとっ捕まるし、逃げ出しゃやられるし。たかが象と戦ったって、面白くも何ともないのである。怪獣としての矜持がないのか。引力光線くらい吐いてみろ金星竜(^o^)。
『探偵学園Q』、『ぴったんこカン・カン』、『学校へ行こう』、『愛と誠』と続けて。 『学校へ行こう』は、「マドンナ先生」はそんなにかわいくないし、「学校の怪談王選手権」は、語ってる本人の方が怖い。 『愛と誠』のゲストは久本雅美。本人と知らせず100人の独身男性にボタンを押させたら73点で歴代2位だったのに、久本さんとわかった途端に51点まで下がる。……いい人だと思うんだけどなあ。このデータだと、男の三人に一人は先入観で女を見てるってことにならんか。女を選り好みできる男がそうそういるとも思えんが。
マンガ、鳥山明『ドラゴンボールZ 完全版』17・18巻(集英社/ジャンブコミックス・各980円)。 2、3巻、前のやつ感想書き忘れてる気もするが、まあいいでしょ。後付けの説明がやたら増えてきて、連載中はすっかり飽きてきたころ。フリーザ登場編だけれども、このキャラには全然と言っていいほど私は魅力を感じなくなっていた。それでもまだ買い続けてたんだから、健気なもんである。
2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか 2001年08月12日(日) 代打日記 2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか
| 2003年08月11日(月) |
水がまた来る/『さちことねこさま』1巻(唐沢なをき) |
午後から半日だけの出張である。 出張先、自宅から一本道なのだが、なぜかバスが通っていない。福岡というところは博多、天神間の交通の便ばかり考えられていて、他の地域は殆ど田舎同然である。亡き母は「福岡って田舎ですねえ」と遠方からの客に言われたときに烈火のごとく怒っていたが(言う客も客だが、怒る方もちょっとなあ)、実際、バス路線の不便さを考えるとそれも否定はできない。 言っちゃなんだが、福岡市とその周辺でせいぜい「街」と言えるのは「博多」と「天神」くらいしかない。あとはホークスタウンができてからの「百道」かねえ。言われて嬉しかないだろうが、他地区はやっぱり、軒並み「田舎」なんである。 粕屋とか箱崎とか香椎とかもねえ、いろんな建物おっ立てて「街」を活性化させようと頑張ってるけど、たいていの買い物、「博多」と「天神」で賄えちゃうから、近隣の客以外、そこまで遠出して買い物する必要ないんだよねえ。『エクセルサーガ』に某デパートが閉店するネタがあったけど、事実だからなあ、アレ(^_^;)。 久山なんか、昔はアスレチッククラブしかなかった山ん中に映画館だのスーパー銭湯だの市場だの作って、でもやっぱりなにか「目玉」になるものに欠けてる印象が強い。たまに行くたび、本当にたまたまなのかもしれないけれど、店内がガランとしてるの見ると、大丈夫かなあ、と心配になるのだ(もっと心配なのは博多リバレインだけど)。 もっともそんなふうに「適度に寂れて」いるおかげで、粕屋のワーナーマイカルとか久山のヴァージンシネマズとか、映画館は空いていてありがたい。喜んじゃいかんか。 その逆に天神東宝やAMCキャナルシティは、いつ行っても混んでいる。だもんで、最近そこでしか見られないって映画がかかってない限りは、とんと足が遠のいてしまった。ポイントカードが溜まってて、タダ券使わないともったいないんだが。
短く書かなきゃと思いつつ、また余計な話をしているが、つまり、「出張先まで交通機関がない」ということなのである。 で、夕方から仕事があるしげにムリヤリ頼みこんで、送り迎えをしてもらう。タクシー代を払うほどの余裕はもう今月はないのだ(T∇T)。 出張仕事、予定時間が少し遅れて、表に出たときにはもう5時。 外では新車に乗ったしげが、仕事に間に合うかどうか、イライラして待っていた。慌てて謝りながら車に乗った途端、稲光とともに豪雨に見舞われた。いやもう、あっという間に道が水没していく。 「こないだの水害のときみたいに、駐車場、水にしずまんかなあ」 「すぐ仕事に行くんやろ? 仕事先は水、大丈夫なん?」 「高くなってるから、あそこは大丈夫」 「だったら、仕事が終わっても、そこに置いたままにしといて歩いて帰ってくればいいやん。また迎えに行ってもいいし」 「最悪の場合、そうするけど……」 しげはそれでも不安そうである。 マンションの駐車場に到着した時点では、まだ一階のピロティは無事であった。就業時間が迫っているしげは、慌てていったん汗を流そうと風呂に入る。で、着替え始めるまでほんの20分ほど。いきなり玄関のホーンが鳴って、ご近所さんの顔が画面に映しだされた。 「はい、何でしょう?」 「藤原さん! 車が沈みようですよ!」 「えええええっ!」 慌ててパンツのまま(本当に驚いていたのである)、ベランダに飛び出したら、まさしく先日の悪夢の風景が再現されようとしているさ中であった。 轟々と流れてくる茶色い濁流が、今にも新車のタイヤをその下に隠そうとしている。 部屋に戻るやいなや、しげに向かって「急げ! もう大分沈んどう!」と叫ぶ。しげも血相変えて玄関から飛び出す。すれ違いざまぶつかりそうになるがお違い怒鳴りあってる余裕はない。やっぱりパンツのまま、ベランダから下の様子を覗いていると、しげ、水の中をジャブジャブと車まで辿りつき、そのまま濁流のの中を進んでいった。一応、こないだのように座席まで水が入りこむということはなかったようだが、これでまた新車がオシャカになっちまったら、泣くに泣けない。 今年の夏はなんか一気にいろいろ来るなあ、そう言えば今年は、後厄だったなあ、厄除けなんて特にしなかったけどまさかそのせいかなあ、とか、普段は全く考えないことがアタマに浮かぶ。 とりあえず部屋に戻って、テレビを点けたのだが……。 映らない。 顔が蒼白になる。明らかにこの雷雨のせいなのだが、今まさにレイ・ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』がNHK−BS2で放映されていて、それを録画しながら見ようとしていたところだったのだ。 あああああ、雨の野郎めえええええ! 天に怒っても仕方がないので、怒りはやはり福岡市の市政に向かう。こないだの水害で、市は警戒サイレンをあちこちに設置すると発表していたのだが、今回もそれは間に合わなかったようだ。よしんば設置されたところで、鳴らすのが遅れればそれまでである。どの程度役に立つものだろうか。
父と姉が心配になったので、電話をかける。「なんや」と、父のいつものぶっきらぼうな声が聞こえて来る。 「そっちはどげんね? こっちはもう一階が水没しとうばってん」 「おう、店ん前は川になっとうぜ。こないだ溝に泥ば流しとうけん、水がはけんとたい」 暗に道の掃除をした私を非難しているのだが、かと言って、店の前にヘドロを放置しておくわけにもいかないだろう。リヤカーなんかで泥をどこかに運ぼうにも、そのリヤカー自体、持っていないのである。 生前の母は、自分の責任で何かしたことを、初めはたいして何も言わないで見過ごしてるのに、何かが起きた後になって、こんなふうにイヤミを言う父のクセを、ものすごく嫌っていた。父は70になろうとするこのトシになっても、その悪癖が治っていないのである。私もやや父のモノイイにムッとはするが、心配して電話をかけたのに口ゲンカになっても仕方がないので、そのままやり過ごすことにする。それにこういうイヤミグセ、父ほどではないが子である私にもしっかり伝わっている。父に向けた刃はそのまま私に返ってきてしまうのだ。 「どげんすると? また椅子とかブロックの上にあげるんね」 「どげんするかはまだわからん。最悪の場合はそげんしてシャッター閉めて帰るしかなかろうばってん、ぎりぎりまでここにおって様子ば見とく」 何かあれば呼んでくれ、と言って、電話を置く。幸い、それから10分ほどして雨は上がった。どうやら今年初めての、そして典型的な夕立だったようである。
マンガ、唐沢なをき『さちことねこさま』1巻(エンターブレイン/ビームコミックス・651円)。 オビに「唐沢なをき初(?)のシット・コム」とあるが、さて、そう名付けていいものかどうか確かに(?)だわな。まあ面白けりゃなんでもいいのである。 筋を書くのはめんどくさいんでオビの惹句をそのまんま引用。 「かわいいメガネっ娘と不思議なねこが大活躍!! 貧乏でいたいけで業の深いメガネっ娘・薄氷(うすらい)さちこ。彼女がイジメられると出現する“ねこさま”の正体とは!?」 まあ、これはネタバラシしても構うまいが、一見動物に見えるこの物体、「アタマノサキニアルモノ」という先祖代々の「業」が凝ったものなのである。普通は人の目には見えないはずなのに、とびきり業の深いさちこのそれはしっかり見えちゃうだけでなく、エサは食うわ人は襲うわ海苔は食うわしっことうんこをしまくるわネズミやヘビをおみやげにくれるわ、狼藉のし放題なのであった。 「シットコム」というだけあって、確かに設定が揺るがず、文法破壊もないが、そういうのは本当は「唐沢さんらしくない」マンガになるはずなんである。ところがいつもの唐沢さんのマンガと違和感がさしてないのは、やっぱり登場するキャラクターが全ていつもの粘着質でデンパなやつらばかりだからなんだな(^o^)。けど、これまで一度もアニメ化されたことのない唐沢作品の中で、これが一番アニメ化向きなんじゃないかなあ(個人的には『蒸気王』をアニメ化してほしいんだが)。唐沢なをきメジャー化計画で(それなりにマニア受けはしていようが)、どこか勇気のあるスタッフ(IGとかマッドハウスとか)、一本作ってみないか。
2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダム�供〃邯�蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか 2001年08月11日(土) 代打日記 2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか
| 2003年08月10日(日) |
二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか |
『プレイガール』の沢たまきさんが、9日、虚血性心不全のため死去。享年66。なんでも風呂場での突然死だそうで、私の母が死ぬ前にも風呂に入って失神していたことがあったから、イメージがダブって少しく気分が悪くなった。 基本的に私は政界に進出する役者さんというのが好きではない。筒井康隆がいつかマンガの中で「タレント議員に占拠された国会」というのを描いていたことがあったが、ただでさえ不透明な政界を更に解りにくくする効果しかないという気がしている。つまり「党の宣伝塔」というだけでなく、「カモフラージュ」の役割も果たしてるわけやね。それを知ってか知らずか、立候補するっていうのは、よっぽどタチが悪いかよっぽど呑気なのかどっちかだろう(真剣に国政を考えていたとしてもそれはやっぱり「呑気」である)。 『プレイガール』の誰が好きだったか、というのは人によって好みが別れるのだが、下っ端ばかりが活躍して実質ちょっとしか出演しない「アネゴ」が私は一番好きだったのである。それだけに沢さんの政界進出はちょっとショックだった。 ……しかし『プレイガール』、東京12チャンネル系だったから当時は福岡にはキー局がなくて、放送してたの、土曜だったか日曜だったかの昼だったんだよなあ。小学生であんなの見ててよく親に叱られなかったものである。まあ巷間言われるほどにセクシーなシーンとかヌードシーンなんてのはなかったんだけどね。
アニメ『鉄腕アトム』第18話「プルートゥは死なず」。 プルートゥを作ったのは実は……ってあの設定、何か意味があるのか。ボラーもあんなんなっちまうしなあ。いやまあ、見てる人も多いだろうから隠すほどのことはないんだけどさ。「一応」原作通りプルートゥは死んじゃうんだけど、盛りあがらないんだよなあ。ちゃんと、火山の爆発をアトムと二人で食いとめるシークエンス入れなきゃダメじゃん。岩で火口を埋めるなんて乱暴なやり方、科学的にはおかしくても、ドラマは心情的なもので、科学考証はそれに勝るものではないのだ。 脚本の長谷川圭一は『GMK』で戦争ネタを強行に入れたがった人である。察するに主題主義に毒されてるとこあるんじゃないかな。
AIQのMLメールが来ていたので、今ごろなんだろうと思ってみたら、エロの冒険者さんからのAIQ解散のお知らせであった。 「事後承諾ですみません」とあり、一瞬、何のことか分らずに首を捻る。もうひと月ほど前に解散会を開いて、そのときに解散の報告はあっているのだ。私もしおやさんもZUBATさんもそのことは日記に書いているし、事後も何も、みなさんそのことは先刻ご承知のはずなのである。 何か改めて解散の理由でも書いて送らねばならない事情でも起きたのかとも思ったが、それも何も書かれていない。何のためのMLか、見当がつかないので、もしかして暗号でも隠されているのかと行数をいろいろ変換してタテヨミまでしてしまった(^_^;)。 ふと気が付いたのだが、エロさん、もしかしてオタクアミーゴスのお三方に「AIQ解散」の報告をするの、忘れてたのではないか。……多分そうなんだろうなあ。何しろエロさんのホームページ、未だにオタアミ公演の広告が削除されないまま残っているしなあ。 「ああ、終わった飲んだ終わった飲んだ、ふぃー、ええこんころもちや♪」ってな調子で、きれいサッパリ後のことを考えてなかったのであろう。呑気なお人柄が偲ばれてそれはそれで微笑ましくはあるのだが、あまりトンチンカンなことをされていると、こうして私の日記のネタにされてしまうのである(^o^)。
昨日、掲示板にふーみんさんという方から、故・坂口祐三郎さんについての問い合わせがあった。 日記に思い入れたっぷりの記述をしてしまったから、坂口さんについて何か詳しいことでも知ってるんじゃないかと思われたらしい。しかしながら、私はただの一ファンに過ぎなくて、特に坂口さんの関係者というわけではない。だもんで結局、申し訳程度のことしかご返答ができなくて、ふーみんさんはさぞやガッカリされたことだろうと思っていたら、今日になってまたレスがついて、随分感謝されてしまったのである。いやもう、すっかり恐縮してしまった。
世の中にはおだてられれば簡単に有頂天になれる幸せなお脳の持ち主も多々おられるようだが、私はどうにもこういう過分な評価を受けるとすっかり逃げ場を失ってしまい、部屋の隅で膝っ小僧を抱いて畳に「の」の字を書いてしまうのである(そんなかわいいものか)。 ……いやね、「誉められ上手」な人の「誉められて嬉しい」という気持ちがわからないではないけれど、翻って自分のことを考えた時に、「自分がそんなに誉められたもんかな」ということはどうしても考えてしまうものではないのかな。 私が掲示板に「悪口可」と書いているのは、実際、悪口を書いてもらったほうが気が楽だからだ。悪口の中にはただの難癖もある可能性はあるが、正鵠を射ているマットウな批判になっている場合も多い(つーか、悪口と批判の区別は論旨が明確であれば簡単に見分けられる)。 いや、ただの難癖だろうと、それはそれで相応の対応ができるのだ。誉められてしまうと「私はそんな立派な人間ではありません」と私がいくら“本気で”言っても信じてもらえないのである。何度か日記にも書いたことだけど、文句をつけられた方が、反論するにしろ謝るにしろ対話はしやすいのだ。 なんだかなあ、私がマジメだとか善人だとか、そういうふうに見られるのは、しげに言わせれば「たまに善人ぶったこと書くからじゃん」と突っ込まれてしまうのだが、それはもう、いろいろと「偽善者」であらねばならないオトナの事情もあるからではないの。つか、私はこの世に「善」と「悪」の二項対立が存在しているとは露も思っちゃいないのだ。 そういうものがあるとすれば、「偽善」と「悪」の二つだろう。人が大上段に「愛」や「夢」や「理想」を語らねばならないとき、その根底に「偽善」ないしは「悪」があることを否定してしまっては、まさしくそれは「絵空事」ないしは「信仰」にしかならない。 ……何だか話がまた横ちょに飛んじゃったような気がするが、要するに私は「感謝され下手」だってことです。逆説的かつ矛盾した表現ではあるけれど、私がしげと一緒にいて疲れるけれど気が楽なのは、あいつが絶対私に「感謝しない」からなんだな。まあもともとあいつは誰にも感謝しない人間ではあるのだが。
マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル 〜推理の絆〜』9巻(スクウェアエニックス/ガンガンコミックス・410円)。 四十四話の「シュレンディンガーの猫は元気か」のタイトルには笑った。 確かに量子論に基づく猫のたとえ話は「フタを開けてみるまですべては不確定」ということではあるのだけれど、私の拙いアタマによる解釈が間違っていなければ、それは意志が物理的影響を及ぼすということであって、「やってみなけりゃ分らない」って意味とは大分違うと思うんだが。 量子論ミステリというのは私もいっぺん書いてみたくて、実際に舞台にかけたこともあるのだけれど、やっぱりどうしてもSFになってしまうのであった。量子論一つだけだとどうしても日常的説得力に欠ける。統一場理論がどんな形になるのかは分らないけれど、我々文系の凡人にも「ああそうか」と納得できるくらい噛み砕いてわかるように説明してもらえると助かるのだが。 それはそれとして、今巻もカノン・ヒルベルトを止めるために。結崎ひよのが自ら腕を切るという、いつも通りムチャな展開ではあるのだけれど、何となく納得してしまうのはひよののキャラがそれだけ「バカ娘」(もちろん誉め言葉である)として立ってるからだろう。最初は「ヒデエなこのマンガ」と思ってたのが、段々病みつきになってきた。これで私もトンデモミステリが書きたくなっちゃったら困るんだけど(「既に書いてるだろう」というツッコミは却下)。
マンガ、赤松健『魔法先生ネギま!』1巻(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。 ……えーっと、例えて言うならハリー・ポッターが女子中学の先生になる話です。まんまやんか。主人公のネギは魔法使い見習いで、卒業試験として女子校の先生をやらされる、という設定なんだけど、まあ無理があろうと女の子が出てくりゃいいだけのマンガなんだから文句つけたってしょうがないな。 なんで魔法使いって設定になってるかってーと、まだ新米の、しかも10歳だから、魔法をコントロールできなくて、くしゃみをしちゃうと回りにいる女の子の服が破れて裸になっちゃうのである。 ……感想は要らんな。いや、なんでこんなの買ってるかなんて突っ込まないで……(−−*)。
横溝正史『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(角川文庫・580円)。 『八つ墓村』映画化時に、それまで90冊も出ていた角川文庫の横溝正史シリーズはわずか22冊に圧縮された。この『人面瘡』も旧シリーズの『びっくり箱殺人事件』『不死蝶』『華やかな野獣』『貸しボート十三号』『死神の矢』の五つの短編集から、表題作にならなかった短編だけを集めて一冊に纏めている。 収録作品は『睡れる花嫁』『湖泥』『蜃気楼島の情熱』『蝙蝠と蛞蝓』『人面瘡』。いささか知名度の低い作品が多いが、いずれも金田一耕助シリーズの中では「一風変わった」異色作ばかりを選択して集めているのはさすがだ。 巻頭の『睡れる花嫁』は金田一ものの中でも最も陰惨かつグロテスクな事件だろう。JETによる金田一もののマンガ化はいずれもつまらないが、この『睡れる花嫁』だけはそのグロな絵柄が作品と待マッチしていた。 『湖泥』は金田一がラストで犯人にブラフをかけるのだが、コロンボならしょっちゅうやってるようなこの手、実は金田一はほとんど他の作品ではやっていない(『犬神家の一族』で意図せず結果としてブラフをかけることになった例などはある)。その点でこれも異色作である。 『蜃気楼島の情熱』では金田一の「和服談義」が読める。やっぱ和服の方がいいよな。 『蝙蝠と蛞蝓』はこれも数少ない「一人称」小説。表題の「蝙蝠」というのが金田一のことである。『女王蜂』にも「蝙蝠」になぞらえられている人物が出てくるし、横溝正史がカムバックしなければ、最後の事件は『蝙蝠男』になる予定だった。正史はよっぽど蝙蝠が好きだったのか。 『人面瘡』を読んだ殆どの人は、あるマンガ家のある作品を思い浮かべるだろう。これも一風変わった結末である。 作品自体、読んだのはもう30年近く昔なので、ディテールはかなり忘れている。やっぱり本は読み返さないといけないなあ。 装丁デザインはいいのだが、本文は以前あった解説がなくなって、新しい読者には書誌的なことがわからず、不親切である。
2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダム�機|狼絽�』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか 2001年08月10日(金) 代打日記 2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか
| 2003年08月09日(土) |
一足遅れの祝4周年/『なんだかコワレ丸』4巻(矢也晶久)/『プリティフェイス』5巻(叶恭弘) |
頑張れ爆走(^o^)。(あとから纏めて読む人にはわかるまいが、また更新が遅れまくっているのである)
しまった。8月5日で日記書き始めて満4周年だったんだな。まあ特に記念イベントなんてするつもりはなかったからいいんだけど。 しかしいろんなことがあった4年間である。たった4年とはちょっと思えないね。
『宇宙戦艦ヤマト』の新作製作に関して、こないだ西崎義展氏と松本零士氏との間で「和解」が行われているものとばかり思っていたが、急に東北新社から横ヤリが入る。 「当社は『宇宙戦艦ヤマト』の新作を製作する権利も保有しております。今回の発表によれば、松本・西崎両氏がそれぞれ新作を製作するとのことですが、当社は両氏だけでなくいずれの新作に対しても何ら許諾を与えておりません」とのこと。 法律的な細かいところはよく分らないが、西崎さんの会社、ウエスト・ケープ・コーポレーションが潰れた時点で東北新社とバンダイに権利は移っているとのことだから、まあ筋は通ってるんだろう。 ただ、筋が通ってればそれでいいってものでもない。両氏がずっと係争を続けてたことは東北新社だって随分以前から知ってたはずだ。それを今までずっと黙ってて、今更こんな口出しをしてくるというのはいったいどういう了見なんだか。オトナが「後出しジャンケン」みたいなみっともないことしてんじゃねえよ。それにそういう事情なら、バンダイとも話し合いをしなけりゃいけないんじゃないのか? まあどこが『ヤマト』を作ろうが、どうせロクなものにはなるまいと思うのだが、曲がりなりにもアニメブームの牽引力となった作品の価値をどんどん下落させる愚はいい加減でやめたがいいと思うんだが。
夕飯は久しぶりの「めしや丼」。 カネがないので、しげにおごってもらう。こういう時のしげは心底イヤそうな顔をする。そういう顔を見ていると、どんと高いものを注文してやりたくなるのだが、めしや丼ではせいぜいしょうが焼き定食とか、たかが知れているのであった。
マンガ、矢也晶久『なんだかコワレ丸』4巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 月刊誌連載で4巻まで来たというのは立派なもの。女の子人気ばかりじゃないと思うんで、もちっと頑張ってほしいものである。 で、今巻が十二天将勢ぞろいの巻。全員女の子かと思ったら、残る五帝神は男でしたね〜。まあこれ以上女の子増やしても、描き分け限界に来てるし、この判断は正しいでしょう。えばって登場したわりに天一がヘタレってのもいいギャグだった(^o^)。
マンガ、叶恭弘『プリティフェイス』5巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 雑誌連載の方が終わったせいか、折り返しの作者コメントで叶さん、「自由ってすばらしい」と天に昇ってますけど、次の連載は決まってるのでしょうか。 こういうH系ラブコメって、ジャンプには似合わないなあ、と思っててハッと気付いたんだけど、これって10年前で言えばまつもと泉や桂正和のポジションなんだねえ。でもまつもとさんほどイメージ優先でもなく、桂さんのようなSF・特撮系への傾倒もない。特徴と言えば、ギャグマンガの古い古いルーティーンを、一歩間違えば陳腐になるだけって危険もあるのに、あえてストレート勝負で展開しているところだろうか。 ついに「由奈=乱堂」であることを知る少女、夏緒の登場もあまりにも定番だ。でもその度胸にこそ好印象を持ってたので、本当はもうちょっと続いてほしかった。でもまだ最終巻じゃないから、後1巻、楽しませていただきましょ。
夜、チャットで鍋屋さんとタツノコ話。CSで今『科学忍者隊ガッチャマン』を再放送しているが、それを鍋屋さんはずっとチェックしているとのこと。私自身はタツノコプロの作品は昔からあの吉田竜夫の劇画調の絵が肌に合わなくて(そのくせコスチュームがマンガチックで違和感がどうしてもぬぐえなかった)どうしてもハマレなかったのだが(女&悪役好きの関係で、ジュンとベルク・カッツェ目当てで全話見てはいた)、鍋屋さんにとってはあのあたりがタツノコの原体験なのであろう。 本放映当時、友達と『ガッチャマン』についてどんな話してたか思いだしてみると、「ベルク・カッツェ馬鹿過ぎ」とか「なんでゲゾラが出るんだ、東宝に許可取ったのか」とか「あの隊長、絶対○○の○○○だよな」とか、見るたび貶してた記憶しかない。世間的にはそんなクソナマイキなガキばかりじゃなかったと思うが、少なくとも私の周辺ではそんなガキしかいなかったのである。それでも「他に見るものがない」という理由だけで殆どのアニメ、特撮を見ていたから、鍋屋さんの話になんとか付いては行ける。けどやっぱり一つのことにあまり執着できない性格のせいか(そんなことないだろうと突っ込む人もいそうだが、冷静に考えればやっぱりそうとしか言えない)、ディテールは殆ど忘れちゃってるのだ。 タイトルの「ガッチャマン」、これ「科学忍者隊」のことではなくて、「大鷲のケン」一人を指す通り名だと鍋屋さんに指摘されて、思わず「へぇ」とボタンを押しそうになる(^o^)。なんでもどこかのエピソードで「俺の通り名がガッチャマンだと知っているのは、ここにいる科学忍者隊の皆と、ギャラクターの連中だけだ!」というセリフがあったとか。そんなん、見事なくらい、きれいサッパリと忘れている。でも、となるとケンがギャラクターに向かって「科学忍者隊ガッチャマン」と名乗るのは、自分のことだけ言ってて、他のメンバーは無視ということになるわけだ。なんてナルシストなヤツだったのだろう(^_^;)。 このあたりの知識もタツノコマニアなら周知のことなんだろうし、そこから「ガッチャマン」の世界観やら何やら、分析することもやるんだろうけれど、私の場合は「へぇ」と感心するだけで、それ以上に想像力が広がることはないから、自分はオタクじゃないよなあとつくづく思うのである。
2002年08月09日(金) 文学を教養で語るな/劇場版『機動戦士ガンダム』四部作/『まんがサイエンス�次.蹈椒奪箸陵茲親察戞覆△気蠅茲靴箸�)ほか 2001年08月09日(木) 代打日記 2000年08月09日(水) 姓は愚奈印、名は南公/映画『ジュブナイル』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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