無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか

 今日も謎の出張(^^)。
 全くたいして立派な仕事でもないってのに秘密にしなきゃならんってのも理不尽な話だ。でも、不思議なもので、こうやって職業をボカして書いてると、それはそれで知ってる人には面白く読めるらしいんである。「私だけが知っている」(また古いネタを……)って快感があるってことなんだろうか。
 けれど知らない人にはいったいどんな仕事してるように見えてるのかね、私は。そこんとこ聞いてみたい気もするけれど、当たっちゃったら困るしなあ。
 世間的に偏見の強い職業でもあるし、この日記書いてる私は、本職の立場を離れて自由に書いてるのだけれど、どうもそこんとこを誤解されることも多い。ネットで知りあった人と親しくなって、つい職業を言っちゃった途端、疎遠になっちゃったって経験もあるしな(^_^;)。全くどんな職業なんだか。

 帰りに博多駅を回って、紀伊國屋に寄ったら、ちょうど宮部みゆきの『理由』が文庫化されていた。しげがつい二、三日前に、「『理由』はまだ文庫になっとらんと?」と言ってたので、買おうかと思ったが、うっかりしげも買ってちゃマズイので、念のためしげに電話を入れる。
 けれど全く応答がないので、さては寝てるものと思って、安心して『理由』を購入。ところが、帰ったら、しげも昼間本屋に寄っていてちゃっかり買っていたのだった。
 「何で電話に出なかったんだよ」
 「だってヒョウジケンガイだったから」
 携帯の電池が切れていたので公衆電話でかけたんだが、あれって、ナンバーディスプレイだと「ヒョウジケンガイ」って出るのな。うーむ、この行き違いはどうしようもない。
 余った一冊はしかたがないからよしひと嬢にあげよう、ということになったが、こんなダブり分を通算したら、多分、これまでで万単位で損してるのだ。これって、すれちがいが多い夫婦ってことになるのかな。


 マンガ、内藤泰弘『トライガン・マキシマム』7巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 掲載誌の休刊で一回中断したときにはここまで続くとは思わなかったけれど、いよいよクライマックスが近いかな。ヴァッシュとナイブスがどうして別々の道を選択しなければならなかったのか、謎がようやく明かされていくんだけれど、ちょっと『エヴァンゲリオン』か『エイリアン4』っぽいな。
 考えてみたら、これも延々と続く『フランケンシュタイン』テーマの物語だったわけである。ある意味結末がわかりきっているこのテーマの物語に、なぜ人が惹かれ続けるのかってことも、考えていけば哲学的に面白い研究テーマになるんだろうな。私は面倒だからやらんが。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』巻之四(講談社/少年マガジン・コミックス・410円)。
 連載、最近は巻末ページに近くなってきてるけど、打ち切りになったりしないだろうかななあ。もっとも、今巻で通巻90巻になる連載が終わったからって、早過ぎるってことはないんだけれども。
 それでもこれが大長編の最終章だと考えれば、まだ敵のほんの一旦しか見えていないのに、尻切れトンボで終わってほしくはないなあと思う。もう一度復活してほしいキャラ、腐るほどいるぞ。個人的にはジェイソン(♀)が好きだったしなあ(そういうファンも滅多にいないと思うが)。
 コータローの父ちゃんだって出さないとね。

 今回新登場のいかにもヤラレ役なマール・スネーク、名前からして「大蛇丸」なわけだけれども、となるとあとは自雷也に綱手姫が出るのかね。自雷也はまんま「G・ライヤー」とかになりそうだよな。綱手姫は「プリンセス・ロープハンド」か?(^o^) ちょっとネーミングはも少し考えてほしいもんだけれども、未だに「シーノ・タッカー」の元ネタがわからない。誰か知らない?


 WOWOWで『エースをねらえ!』1〜4話の再放送。
 久方ぶりに見たけれど(最近そういうのが多いな)、よくお蝶夫人のキャラデザインなんかがからかわれるけれど、それ以前にセリフ回しがもう聞いてて恥ずかしくてしかたがない。当時ホントにこんな喋りかたしてた少女たちがいたのかね?
 大学時代、下宿先の学生が、私以外みんな、原作の『エース』にかぶれちゃって、アニメ版、劇場版を「原作の精神を全く解ってない」と憤慨してたが、いったい原作の『エース』にどんな思想があるというのか。私ゃ妄想しか読み取れなかったんだけれど。向上心も精神修養も、それが規範扱いされて人を縛れば宗教にしかならんと思うんだがねえ。


 夜中の3時頃、ペルセウス座流星群が北東の空に見えるとのニュース。
 あいにくの空模様なのだが、もしかしたら見えるかもしれない、と思い、仕事帰りのしげを誘って、須恵の岳城という山に向かう。
 街中では明る過ぎて見えないことは解りきっていたけれど、どの山に登れば条件がいいかは解らない。ニュースでは「雲が出ていますので、南の方に行かないと」と言ってたが、具体的な山の名前は言わなかった。
 岳城は南というより東にある。そこを選んだのは、そこなら道を知ってる、ということでしかない。
 山腹に公園があって、乗用車が何10台も並んでいる。てっきり我々と同じ空の観測に来たのかと思ったが、誰も外に出ていない。ただの駐車場がわりにしてるかと思ったが、側を通ると人が乗っているのである。
 ……こんなとこまで来てヤってんじゃねえよ(-_-;)。
 とてもこんなところで観測はできないので、行きつ戻りつ、山上の広場の側に車を停める。

 ずっと昔、中学生の頃、友達とみんなでキャンプをした。
 水を汲みに、山間の小道を歩いていて、ふと見上げたら、空一杯に天の川が広がっていた。
 そのころも目は悪かったが、まだ今よりはマシだった。どれくらい、そこで空を見上げていたろう。水を持って帰って、「どこまで行ってたんだよ!」と友達に叱られたから、結構な時間、ぼーっとしてたのだ。
 「もう、こんな星空は見られないかもしれない」
 そのとき、そう思ったのが、当たった。

 視力は年々衰えている。右目はときどき血管が切れるようになって、霞むことも多くなった。
 何年か前、同僚と雑談していて、「もう星を見ることもないかもって思いますよ」と言ったら、「まあ、そうでしょうね」と笑われたことがある。その同僚とは結構親しくしていたのだが、その一言がその人との絶縁の動機になった。思い返せば青臭い話なのだが、この人には「孤独」の意味ってのがわかんないんだよな、と悟ってしまったのだ。
 今日、星が本当に見えると思っていたわけではない。
 ただ、しげと一緒に星を見たことがなかったな、と思って、それで衝動的に行きたくなったのだ。
 
 暗い中、私は足元も見ずに広場に上がって行く。どうせ見たって見えないのだから同じことだ。しげの方が心配しているのか自分のほうが怖いのか、懐中電灯で私を照らしながら追って来る。
 「そんなん光らせてたら星も見えんよ」
 私の側に来て安心したのか、しげ、懐中電灯の光を消す。
 しばらく、流星雨が流れるという北の空を見た。
 しかし、山の上でも、平野の電気は空をそれとなく照らしている。雲間にチラチラと星が見えなくもないが、そこにもまたうっすらと雲が掛かってはいるのだろう。昔見た、あの星の群れには程遠い。
 しげが「何か流れた気はするけど、錯覚かも」と言う。
 しげの視力は1.0以上だろう。そんな錯覚すら私には見えない。
 もう、見えないな、と諦めたが、まだ帰るわけにはいかなかった。いつの間にか流れ出していた涙が乾いてくれないと困るからだ。
 「星が動いてない?」
 としげがバカなことを言う。
 「星は動かねえよ」
 と答える。
 「目がおかしいのかな、ほんとに星が動いて見えるんだよ」
 多分、雲が動いているので相対的にそう見えているのだろう。
 夜目に慣れて、何となく足元も見えるようになってきた。
 10分か、20分か、そこにいた。
 そして、帰った。

 多分、またいつかしげを誘って、星を見にいく。そのときも見えないかもしれないけれど、それでも見にいく。
 付き合わされるしげには迷惑かもしれないが、せっかく夫婦になったのだから、これくらいのワガママは許してもらいたい。

2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか



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