無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪)

 盆は朝寝。
 昼過ぎ、広島に住んでる友人のHくんが里帰りして来たのを、博多駅まで迎えに行く。
 それからどこかに出かけたのかというとそうではなくて、なんとゴミタメよりも乱雑な我が家にご案内したのである(^_^;)。
 年に1、2回しか会えないのだから、そんなときくらい部屋を片付けておけばいいのに、もう引っ越し以外に本の整理はムリだと諦めちゃってるので、ぐちゃまらにとっ散らかってる部屋にそのまま招き入れてしまったのだ。全く、いい迷惑だったろうなあ、申し訳ない。
 「床に敷いてあるフトンは絨毯だと思ってくれ」
 と、いきなりムチャを言う。
 Hくん、笑って頷くが、これで友達をやめないんだから、彼も相変わらず心が広い。夫婦でケンカひとつしたことないってんだから、全く、世の中に善人ってのはいるものだね。
 いつも来てもらうたびに要らなくなった本なんかを頂いてるのだが、今日は大野安之の『That'Sイズミコ』全巻をくれる。……って、それ、持ってんだけど(^_^;)。
 お礼がわりにいつもDVDなんかを貸してるんだけど、何しろオタク系のものが圧倒的に多いので、お子さんと一緒に見られるものがほとんどない。
 「やっぱりオタク度強いのは、ウチじゃ見られないか?」
 「まあな」
 Hくんも以前は私以上にオタクだったんだけれども、美人で素敵な奥様と、かわいく聡明なお子さんができてからというもの、自分の趣味をほとんど犠牲にして、ご家族との生活を第一に考えているのだ。煩悩捨て去り難い私には、とてもマネの出来ないことである。
 結局、今回貸せたのは『パンダコパンダ』1本きり。正月までにもう少し健全なものを買っとかないとなあ(^o^)。
 あまり滅多に見る機会はなかろうと、『DAICONFILM版 帰って来たウルトラマン』を見せる。
 「これ見たことある?」
 「ないけどアレか? アンノヒデアキが素顔でウルトラマンやったとゆー」
 なんだ、知ってるじゃん(^_^;)。Hくんからオタクの血が消えたわけではないのだな。そのことは、武田信廣さんが出演した途端に彼が「のーてんきー!」と叫んだことで確認できたのであった(^o^)。まあ、簡単にやめられないからオタクなんだろうけれども。
 帰り際、部屋を一瞥したHくんから痛いツッコミ。
 「あそこに置いてある○○○○(エロゲーのタイトル)はいったい何だ?」
 「しげのだよ!」
 しげよ、頼むから目立つところにエロゲーの空箱並べるのはやめてくれ。私が全部やってると疑われるじゃないか(T.T)。

 Hくんを再び駅までお送りしたあと、最近できたばかりのアジアンレストラン「バーミヤン」で食事。
 味はまあまあってとこだが、単品が安いのがなかなかいい。
 私はカレービーフン、しげはタンタン麺。だったんだけれども、辛いと言って私のと交換させられる。あと、エビマヨネーズを二人で分けるが、私が二個食べてるうちに、気がついたら残り5個くらいあったのを全部食われた。いくら好物だからって、一言くらいあってもいいんじゃないか。


 夕方、父のマンションで迎え火。
 小さな庭の、土の上で火を焚く。風が少しあって、下火に使った新聞の燃えさしが吹き飛ばされるのをしげが慌てて追いかけるが追いつかない。火事になる心配はないと思うが。
 チラチラと燃える火を見ながら、父が呟く。
 「もう、最近はこんなことする人も少なくなったってな」
 死後の世界を信じるか信じないかは別として、こういうしきたりは忘れずに続けていきたい、というのが父の考え方だ。
 しきたりなんて全否定したい私とは180度逆なので、私のことを牽制したつもりなんだろう。ここで私が余計なことを言ったりした日には、盆だってのに母の墓前でケンカをすることになりかねない。オトナになって、黙ってウンウン頷く。
 「さあ、これでお母さんが来たたい」
 蝋燭に移した火を仏壇に捧げ、少し肩を落として仏壇を拝む父。後ろ頭はすっかりハゲだ。二十年後には私もこういう運命か(^_^;)。
 私としげも、父に続いて手を合わせる。父と私は数珠を使うが、しげは使わない。何か意図があるんだろうか。単にめんどくさいだけかもしれないが。
 ふと、位牌を見ると、母の戒名の字数が祖母のものより少ないことに気付く。葬式んときにケチったからかなあ(^。^)。さて、オヤジんときにはどうするか。母と字数が違うのも座りが悪い感じだし。
 私は戒名なんて要らないけれど、死んだあと勝手に変な名前つけられそうな気がするな。もっとも私がマトモに墓に入れたならって話だが。

 母は、しょっちゅう夢の中には来てるように思う。うっすらと、そんな気はしてるのだ。けれど、目が覚めたら忘れてることがほとんど。多分、私のいろんなドジに呆れてるんだろう。 
 父はもう食事をしていたとかで、火を焚いたらすぐに帰宅する。
 なんだか疲れが溜まってたので、そのまま寝る。


 マンガ、小花美穂『アンダンテ』2・3巻(完結/集英社/りぼんマスコットコミックス・各410円)。
 えーっと、お兄ちゃんは、血のつながった妹と、血のつながってない妹と、どっちを選ぶか迷って、血のつながってる妹を選びました。マル。
 って、いーのか? 『りぼん』にそんなマンガ載っけて。私はいいんだけど、世間の反響はいろいろあったんじゃないかなあ。わずか3巻で終わり(と言っても一年以上は連載してるけど)ってのも、もしかして、どこぞから批判があったせい? とか邪推したくなる。
 もっとも、前作の『こどものおもちゃ』でも、相当シリアスな設定持ちこんでたから、これくらいなんということもないのかも。
 けれど、本当の人間ドラマってのは、ここから始まるんだよね。
 恐らくはもう長くは生きられないだろうメルと兄の那都との最後の日々、更にメルを失ったあとの那都の生き方はどうなるのかとか、洲に押し倒されたあと茗はどうなっちゃうのかとか(^o^)。ヘタすりゃドロドロする直前でシメちゃったのが、少女マンガの限界ってことなのかなあ。


 マンガ、永井豪『魔王ダンテ 神略編』1巻(講談社/マガジンKCZ・550円)。
 永井豪がいったいいつからつまらなくなってしまったのか、ということを真剣に考えてしまうと、それはどうしても『デビルマン』を頂点として、答えるしかない。もちろんそののちも永井氏は『バイオレンスジャック』『手天童子』『凄ノ王』と力作を発表していくのだが、作者本人がどんなに精魂込めて描いていようが、読者にしてみれば、燃え尽きたあとの「残滓」にしか見えなかった。いや、『デビルマン』以前はたとえギャグマンガであろうが、永井氏の若さとエネルギーの爆発が見られていたのに、それ以後は気の抜けたサイダーのような、はっきり「愚作」としか言えない作品ばかりを乱発するようになってしまったのだ。
 それは『デビルマン』の原型たる『魔王ダンテ』のリメイク版であるこの『神略編』を読めば特に感じることである。オリジナル版でメドゥーサによって語られた侵略者としての「神=人間」の起源。1巻を費やしてそれを描きながら、それは物語でもマンガでも無く、ただの「説明」にしかなっていない。作者本人は語り口が上手くなっているつもりなようだが、実際にはどんどんヘタになっている。魔獣ゼノンとの戦いの後、メドゥーサの涙とともに語られたからこそ、かつての神略に読者は衝撃を受け、悪魔たちの戦いに感銘を受けもしたのだ。
 『マジンガー』や『キューティーハニー』のリメイクもそうだが、どうして永井豪は自作を貶めるような新作ばかり描くようになっちゃったのか。描線が死に、キャラクターに深みがなくなり、アイデアも陳腐、ドラマも作れない、どうにも見るに堪えない状況がもう何年続いているだろう。なのに、どうして誰も永井さんに「つまんねえよ」と言ってやらないのか。本当に永井さんは燃え尽きてしまったのか。
 思うに、完全にシリアスに転じてしまって後、永井さんのマンガからは「伸びやかさ」が消えていったのではないか。
 『ハレンチ学園』『キッカイくん』『あばしり一家』『馬子っこ金太』『まろ』『ズバ蛮』『ガクエン退屈男』『あにまるケダマン』『ドロロンえん魔くん』『スペオペ宙学』『イヤハヤ南友』『おいら女番』『けっこう仮面』『迷探偵イボ痔小五郎』、かつて驚嘆と歓喜に打ち震えつつ読み耽っていた一連の永井豪ギャグワールド。ギャグかと思えばシリアス、シリアスかと思えばギャグ、その縦横無尽な自由さこそが永井豪の真骨頂だった。しかし、今の永井氏のマンガにはそういった驚きが毫も見受けられない。
 今、永井豪は何かに縛られている。
 それは、永井氏自身、長年かかって自ら身に付けたと信じているマンガのテクニックだろう。けれど、コマ割り一つ取ってみても、永井氏の技術は昔より後退しているのである。もはや昔に戻ることが出来ないのはしかたがない。けれどせめて、自分の遺産を食いつぶすマネだけはもうしてほしくないのだ。
 このままだと、『デビルマン ハルマゲドン編』なんてのを、いつか永井さんが描き始めるんじゃないかと心配で心配で……。

2001年08月13日(月) 代打日記
2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)



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