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| 2006年12月03日(日) |
武勲を祝う島、なんDear閉場、恵まれない「めぐみ」 |
立て続けに三本映画を見る。
「硫黄島・父親たちの星条旗」 国庫が枯渇するくらいまで、あんな小さな島にも、島の形が変わってしまう程砲弾銃弾浴びせ続けりゃ、誰でも勝てる。 ラバウル方面で活躍した戦闘機乗りの坂井三郎が書いていた。激しい空中戦を終え帰路、島の山をひょいと飛び越え眼前に広がる海を見ると、「ごまを散らしたような無数の艦隊を見た」ときの絶望感が今回の映画にもあった。多勢に無勢。夢想する。ハンデなしで戦ったら勝てた。 →硫黄島に関して2003年のたん譚
「Dear 平壌」 平壌と書いて、「ぴょんやん」と読む教育は受けてないので、閉場(へいじょう、漢字はこの方が正しい!?)とよむ。この映画、大阪朝鮮総連の患部?の*おっさん(「_さん」、は敬称、以後敬称拒否)を父に持つ女映画監督が作った、「非道いながらも楽しい我が家」物語。映画は娘のインタビュー形式で、乙を映す。この首の後ろにたるみを持つ乙が横田めぐみさん他、日本人拉致に加担した機関の親玉の一人だという思いで最後まで見ていた。 映像をとる娘に「はよ、嫁に行け」と言い、言下に「ただし日本人はあかん」という。この乙は、現在の自分がどうした訳で、今の日本にいる事になったのか、「無理矢理つれてこられた」との大嘘をいつ言うか、今か今かと待ち続けたがついに言わなかった。制作段階ではあったらしいがカットしたようだ。 例へ無理矢理連れてこられたとしても、戦後自由なんだからとっとと帰ればいいのにそうしないでいるのは他に何かあっての事だろう。
娘は、「アボジ(乙)と私は考えが違う」と言ってインタビューは続く。どう違うかは具体的には言わない。 乙は、帰国事業で三人の息子達を「治ようせん金主主義貧民狂和酷」に帰すも、せがまれて、以来数十年来続けている北への仕送りの中身で貴重な物の一つが、現在日本で特殊な職業の人達以外、もはや使っていないと思われる普通のただの「鉛筆」であった。日本の小学生でも、削る必要のないシャープペンシルを使ってエンピツを使っている事少ないのではないか。 こんな物(実は鉛筆の製造工程は高度)一つ用意出来ない国に大事な息子を帰してお役に立てるつもりが、帰して以後、人質に取られ、ずっと彼等一族の面倒を見続けている。
驚く事に、娘のカメラは閉場の中にまで入り、兄達のアパートを撮影している。カメラは十階建て位のアパートの外観を映しだす。そこで奇妙な事に気がついた。次男だかのアパートの窓にだけ,鉄格子のようなものが入っていた。 これはきっとそこの家だけは、乙のお陰で裕福な事を周囲は知っているがために、本人達も警戒して賊に入られないようにそうしているのだと思えた。
部屋に入ると広くはないがピアノがあり、乙の孫はピアノを弾き始める。 ここで館内でヤジが入る。「なんで閉場の一家庭に、ピアノがあるんじゃ!」真っ暗闇の映画館の中は、どうも右斜め前の一団が民団系、たん譚達ををはさみ後ろの一団が総連系のようで、総連系は映画中に演奏される北の歌に合わせて一緒に歌い始める。一種異様な雰囲気だった。 閉場で、平常ではありえない乙の何年かぶりの祝賀パーティが開かれる。北各地から集まった親戚縁者に大判振る舞い。党幹部も出席。下品なくらい向かって服右側半分一面勲章だらけで演説、金様に忠誠を誓う。ちなみにこのパーティの費用は自前で二十数万円くらいと説明が入る。何だ、自前か。
乙はやがて体調を崩し病気になり、気弱になったか、拉致事件などでちょっとは心が痛んだか、娘に韓国籍にしても良いという。筋金入りも「こんな筈じゃなかった」と思ったとしても、息子達が人質に取られている現在どうしようもない。真実を言えば、次の日から北の息子一家は確実に行方不明になる。
せめて娘の婿は韓国人(ここでも日本人は認めない)にとおもっても不思議はない。いつでも帰国出来るのに、大嫌いな日本になぜか住み続け、極悪な環境のはずの日本で映画監督になった良い娘を育てられた日本を乙はみとめない。
乙と同じような家族構成の家族がいる。映画「めぐみ」の横田滋さん一家だ。 乙の娘が撮った「Dier 閉場」を見ると、人んちの娘などどうでもよいのである。とくに敵視(勝手に)している民族の人間なんかほんとにどうでもいいのである。 人間は朝殺しておいて、夕には愛を語る事が出来る。自分はそうではないと思うのは、たまたまその立場にいないからかもしれない。「Dier 閉場」はそう言う事を強く感じさせた。自分が乙の立場だったら同じようにしていたかもしれない。自由の国であれば、反省謝罪が出来るが、かの国では抹殺粛正を覚悟せねばならない。
「この映画を作ることができたのは、私自身の成長とともに、家族を客観視できるようになったから」と女監督は語るが、忘れてもらっては困る。多くの差別やなにやかやがあったとしてもなを「日本に生まれ住み育った」環境があってこそ、この映画は出来たのだ。
「めぐみ」 小さい頃、あんまりに手に負えない悪さをする子に、サーカスがさらいに来るとか、売り飛ばすとかよく周囲の大人が言っていた。子供心に、何か目に見えない恐怖の世界が想像されて戦慄した。何でサーカスなのかは解らないが、口減らしのために、そうした事があったのかもしれない。しかし、この映画はまぎれもない「現実」なのだ。黙って見るべし。 連れ去られる直前に合唱し、めぐみさん本人がソプラノ独唱した「*流浪の民」の詩の所々、が妙にひっかかる。だが、めぐみさんは流浪ではなく、「拉致」である事は間違いの無い事実なのだ。
映画「めぐみ」に使われている「シーン」の多くは稲川和男さんが撮影し、監督のカナダ人夫妻に欲得なしで提供されている。 (→西村眞悟の時事通信11月28日)
流浪の民 シューマン 石倉小三郎訳
ぶなの森の葉隠れに宴(うたげ)寿ひ(ほがい)賑はしや 松明明く(あかく)照らしつつ木の葉敷きてうついする
これぞ流浪の人の群れ 眼(まなこ)光り髪清ら ニイルの水に浸されて きららきらら輝けり
燃ゆる火を囲みつつ強く猛き男(おのこ)やすらふ 女立ちて忙しく酒を酌みて差しめぐる
歌い騒ぐその中に南の国恋ふるあり 悩み払う祈言(ねぎごと)を語り告ぐる嫗(おうな)あり 愛し(めぐし)乙女舞ひ出でつ 松明赤く照り渡る 管弦の響き賑はしく 連れ立ちて舞ひ遊ぶ
既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の風 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
東(ひんがし)空の白みては夜の姿かき失せぬ ねぐら離れ鳥鳴けばいづこ行くか流浪の民 いずこ行くか流浪の民 いずこ行くか流浪の民 流浪の民
→2003年の今日のたん譚
ちょっと上等な山葵おろしには、鮫皮が使われている。これで円を描くように擦ると、ねっとりとした山葵ができる。銅製のそれですると、ショウガを擦った時に近い状態になる。最近、日本刀の中でも鎌倉刀に興味があって、バラバラに分解した図を見ていたら、握りの部分に、鮫皮が使われている事を知った。 膠できつく巻き締める事で、木製の柄は、茎(なかご−刃から続く握りの金属部−)が暴れても破壊されない強さを持つ。ここで、いままでずっと「鮫皮」は、Shark skin、 文字通り鮫の皮だと頭から信じて疑う事は無かった。ところが、これが大きな間違いである事がわかった。 「古事記」「出雲国風土記」に見える「和邇(わに)」が(鱶−ふか−または鰐−わに−)と同じ、いまで言うshark(さめ)の事で、昔は海鷂魚(エイ)の事を「さめ」といった。 だから、山葵おろしの鮫皮というのは、あの平べったいエイの白い腹の部分なのだった。知らなんだ。
→2001年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
| 2006年10月18日(水) |
台湾は台湾でいたいわん |
今月の初め遅い夏休みをかねて台湾に行った。猫がこの九月で人年齢で言うと百歳を迎えた。もう耳も目も、ほとんど聞こえないし見えない。本来なら、ドイツのオーケストラに勤める夫君をもつ友人に会いに行く事にしていたのだが、猫があまりに歳取っているため十日間の旅行はとても望めなく、かといって休みなしではへたってしまうので、4・5日で行って帰ってこられる所と言えば「台湾(殆ど日本語でも通った。)」ということで決めた。 向こうにいる間、タクシーの運転手にそれとなく(もし外省人だったらまずいので)台湾は中国かと聞いてみたら、「台湾は台湾、言葉も中国語と台湾語とは違う」ときっぱりいった。確かに、「ありがとう」も、中国語(北京語)は「謝謝 シェシェ」だが、台湾語は「感謝 カムシャ」だし、「美味しい」は、台「眞好呻 チンホーチャッ」中「好吃 ハオツー」、「いくらですか」は、台「若多銭 ゴワツェージー」、中「多少銭 トゥオ サオ チェン」と似ているものもあるが、多く違う。出来るだけ台湾語でと意識した。台湾は大丈夫だ。独立の気概はある。
基本的に観光旅行はしないので、名所旧跡・神社仏閣には行かない。今回は茶商を訪ねた。台湾が日本だった頃、日本の富士山をしのぐ最高峰という事から、新高山(にいたかやま 標高3952m−明治天皇命名−現名は玉山)と名付けられた山があり、その山系に阿里山があってそこに行きたかったが、まだ台湾新幹線が開通(この十月開通予定だった)しておらず、今回は見送った。 その山の中腹で採れるお茶の一つに、阿里山金萱茶というのがあり大人気だが需要と供給のバランスが完全に崩れていて、それゆえに市井に出ているもの日本で売られているもののほとんどがニセモノで、かってその特徴ある直線的香りに幾度も騙された。 しかし茶商自体が勉強不足でニセモノと知ってか知らずか売っている事もある上に、客もブランドを妄信して買ってしまう。茶商だけを非難出来ないのだ。最近では何と出自を科学的に判別出来るキット(DNA鑑定が出来る薬品が塗られた綿棒)まで売られている。 ニセモノは少し場数を踏めば見抜けるようになる。日本の有名漫画家の「台湾論」本中に紹介された茶商もこの茶に関する限り、店頭で出て来たものは一口飲んで真っ赤なニセモノとわかった。法外な値段がつけられていないことがまだ救いであった。普通百グラムだと六千円くらいの値がつく。 弁護ではないが、ここの文山包種茶はよかった。花香が心地よい。
いろいろ調べている内に、阿里山の茶農家が台北に出店を持っているという事を知って訪ねて行った。店主の女主人は、一目見て明らかに朝鮮中国日本系の顔とは違う顔立ちの人で、聞けば阿里山に住む高砂族だという。「高砂」族命名は日本らしい。 話している内少し意気投合して後、高砂族は昔ここに流れ着いた日本人を一杯殺したねというと,「あれは悪い高砂族! 高金素梅と同じ」という。突然、「高金素梅」という名前が飛び出してびっくりした。元俳優・歌手で現在無所属の中華民国立法委員で有名人らしいが、日本では、靖国神社の前で、国内にいる反日的な日本人と共に、靖国反対を叫んだ、お騒がせ女である。 かって台湾が日本だった時、戦時先頭に立って活躍した高砂義勇兵の顕彰碑を、大日本帝国を殊更賛美していると碑撤去運動を近年起こし、ついに撤去させた。 父は外省人(中国本土の人)で、母は高砂族のタイヤル族、本人は北京の民族大学を出ている。下半身スキャンダルで有名で、マスコミには「誹聞天后」(お騒がせ女王)と揶揄されている。 この「高金素梅」はわるい高砂族だというのである。 話の中で、高砂族の中にもええのと悪いのが存在するらしい事が分かった。高砂族と言っても、政府認定されているのが、十族くらいで、非認定の*平埔族といわれる部族が十数族いる。合わせて四十万人くらいいるという。ここまで細分された民族とは何だろうか。よくわからなくなってくる。
故宮博物院の多くの展示物は、台湾の歴史ではない。支那の歴代王朝の変遷の遺物である。蒋介石が逃げる時に支那本土から持って来た。 一番見たかったものが一つあった。それだけのために故宮博物院にいったようなものであった。 そこでこの写真。これは何でしょう。
 これはどう見たって豚の角煮「東坡肉(トンポーロー)」だ。 北宋代の政治家で詩人書家でもあった、蘇東坡(そとうば 本名は蘇軾・そしょく)の発明料理とされるところから、その名を取って、東坡肉といわれる。 この写真は「肉形石」と呼ばれて、清の時代のものである。 職人の手がちょっと加えられて、着色されたりはしているが、殆ど、もとの石の味わいを残しているという。 これは、自然が創ったスーパーリアリズムである。 絵画や彫刻(立体)のスーパーリアリズムはアメリカから始まったが、たん譚自身の絵は、別にこの流れが無くても、写真のように描くと言う嗜好は既に持っていた。ルーブルにある古典絵画の写実にもびっくりしたが、真似をしようとは思わなかった。 単発だが、スーパーリアリズムが「清」の時代に置いてすでにあったことに驚いたが、よく考えてみると、エアブラシ(絵の具を吹き付けて描画する技法)も、すでに単発ではあるが、太古の洞窟に麦わら(ストロー)を使って、口に含んだ絵の具を吹き付けて絵を描いた痕跡がある。 清は女直(女真)族でいまの漢族とは違う。満洲族である。後の満洲帝国は、*ロシアを実質発展させたモンゴルのチンギスハーンの孫バトゥと同じく、満洲帝国は後の漢族支那に、バトゥの*「黄金のオルド」は 十九世紀白系ロシアに歴史から抹殺されてしまった。 そう言うわけで、支那何千年はすごいなどとというつもりは毛頭ない。別な民族の別な文化、芸術品である。 それにしても見れば見る程面白い。ずうっと見ていると腹が減る。その日の夜は、杭州料理と決まった。勿論「東坡肉」をたべるためであった。
*平埔族… 台湾島の平地に住み漢化が進んだ原住民を「平埔蕃(へいほばん)−平埔族−」と呼び、特に漢化が進んだ原住民は「熟蕃」と呼ばれた。同時期に、漢化が進んでいない原住民を「生蕃(せいばん)−高砂族(たかさごぞく−)と呼んだ。
*ロシア 九世紀にルーシ(スカンディナヴィアのノルマン人を指す)のリューリク三兄弟がノヴゴロドやキェフの町を支配したのが、「ロシア」のはじまり。 リューリク家の諸侯はチンギス家の皇女たちと競って婚姻、ハーンの娘婿としての特権を享受。ロシア正教会も、モンゴル人の保護を受けて発展。以後の数百年問はモンゴルが支配。 十九世紀に愛国主義的なロシア国民学派の歴史家がロシア史を書き換え改竄 モンゴルによる統治を「タタール(ロシア人のモンゴル人呼称)の軛(くびき」と呼び、忌み嫌った。
*「黄金のオルド」… ヴォルガ河畔の移動式の大天幕に住むモンゴルの遊牧王権を「黄金のオルド(帳殿)」と呼んだ。 「黄金のオルド」はロシア史上はじめて戸口調査を実施し、駅伝を監督し税金を徴収する代官を置いた。一五五二年、イヴァン雷帝(四世)は、「最後の大ハーン」アフメドの曾孫をツァーリ(ロシア皇帝)の位に就け、自分はこれに臣事して、翌年あらためて彼から譲位を受けてツァーリとなった。これでモスクワ大公は「黄金のオルド」の継承者の一人となり、ロシア皇帝はこれ以後、モンゴル人から「白いハーン」(チャガン・ハーン)と呼ばれることになった。
参考文献: 世界史の中の満洲帝国 宮脇淳子 PHP新書
→2001年の今日のたん譚 →2003年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚
先週の土曜日七日に台湾から帰って来て翌日の夜、大切な人達と宴会、貴重な心に残る日となった。気持ちのいい料理屋で、気持ちのいい人達との歓談は近頃無かった事だった。Nさん御夫婦、その秘書の方も交じへて、今回の算段をしていただいたMさん、たん譚は家人と二人、総勢六名だった。 Nさんも、Mさんも国会や市議会で拉致問題、部落利権問題など、著書やテレビなどで知る人ぞ知るなのだが、たん譚はいじわるなので誰だか教えない。繊細・剛胆の両方を併せ持つ希有な人達だが、気取らない素朴さをもち、馬鹿話も楽しく終始笑いにつつまれた。本当に楽しかった。 料理屋を出て、夜の円山公園のしだれ桜の前まで着た時、二十数年前、同じような深夜に、ここで友とその奥さん三人と夜空を仰いで、絶対絵描きとして名を挙げようと誓った事を思い出していた。その友は後に某テレビの「美の世界」で特集もされ、立派な画家としてやっている。たん譚も末流絵描きとしてなんとかやっている。 後、家の近所まで秘書の方の運転する車で送っていただいた。NさんMさんはこの次の日、「救う会奈良」第一回大会に檄を飛ばしに出かけられたはずである。頭が下がります。
→2002年の今日のたん譚
ちょっと時間があったので、過去のたん譚を読み返す(→2006/06/28)と、記憶違いやら、綴りの間違いやらを発見した。まだこれからも気がつけば、無知から来るもの、思い違いなどは消してしまわずに、取り消し線にて消してそのまま残して置き、括弧内に正しい記述をしておきます。「ようやく気がついたか」と笑っていただき,これに懲りずにこれからもご愛読、ご批評よろしくお願いします。
| 2006年09月15日(金) |
国(カントリーとネィション) |
皇室に悠仁親王殿下が御誕生し、秋篠宮紀子様は今日病院を退院された。誕生してお目出度いが、依然このままで行くと、「皇室」は先細りになって、また同じような問題が出て来る。アメリカによって解体させられた旧宮家を元に戻す事が最善と思う。 こういうとすぐ憲法云々を言う人達がいる。天皇家は今の進駐軍憲法、ヨーロッパの成文憲法をもとにした明治憲法制定の遥か以前からの存在であり、その存在を後の「法」をもとに考える事はおかしい(と思う)。どうせなら井上毅からくる、「皇室典範」にもう一度戻って考え直してはどうか。
Symbolを「象徴」と造語訳したのもおかしい。もとは、*中江兆民がフランス語symbole を造語訳した。うまく言えないが、象徴派(symbolists)詩人という時、フランスのマラルメ、ランボー、ボードレール、ヴァレリー、英国ではイェーツ、ドイツではリルケなどが相当し、日本では、三木露風、荻原朔太郎がそれにあたる。本来、「関わりのない別物を何らかの類似性をもとに、関連づける作用」、例えば、鳩は平和、火星は戦い、月桂樹は勝利、赤は情熱、青は憂鬱 黒は悲しみなど。 今ひとつの意味に「ある別の物を示す目的・記号」 「天皇」は上のどれにも当たらないし物ではない。
「天地初めて発(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神(かみ)の名は」 −古事記−
「大君は神(かみ)にし座(ま)せば天雲の雷(いかづち)の上に廬(いお)らせるかも」 −万葉集−
だから「神」で良いのである。
当たり前にあると思っている国(countryではなくnation)とはなんだろうか。日本人は「現在ある国々」は世界中に、昔からあり,またあり続けるように錯覚してしまう傾向にあると思うが、すぐ簡単に滅ぶ事は、この前のソ連を見ても分かるように、あっけなく無くなったり、分裂したりするのだ。 今の中国の建国何千年は嘘っぱちで、たかだか六十数年、その前、日清戦争で戦った清は、満洲族で、その当時の公的に使われていた文字は、満洲族の文字で、決して、「漢」字ではなかった事からも分かる。これが、ついこの間、1912年まで(大正元年)使われていた。 意外に思うかもしれないが、日独伊三国同盟のイタリアは明治三年(1870年)ドイツは翌明治四年に建国した。ずーっと前からあるように錯覚するが、日本の建国(神武天皇元年として、皇紀二六六六年・紀元前660年)からすると、両国建国わずか140年くらいなんである。他で見ると一つの国として続いて来たのは、フランスぐらいで、そのフランスだって、革命を起こして、共和国となり、王はいなくなった。英国は四つの地域、イングランド (England)、ウェールズ(Wales)、スコットランド (Scotland)、 北アイルランド(Northern Ireland)からなる非独立国の集まりで連合王国 (United Kingdom UK)である。他国も似たようなものである。
日本は神話の昔から、皇室がありそれが連綿と続いて今日に至っている。その驚愕の事実に加え、男系維持の歴史は、現代の遺伝学をもってしても 驚きなのだ。世界に例がない。日本国が日本国たる体(国柄)をなしている根本は何かと言うと、「天皇」に辿り着く。それ以外に無い。昔もそしてこれからも。 もし、皇室が無くなれば,地理的な日本(country)は残るだろうが、民族と政治的結合体の伝統ある日本(nation)はその瞬間から消えてなくなる。
*中江兆民(1847〜1901)…この人から、幸徳秋水が出、大杉栄伊藤野枝 北一輝にに影響を与え、部落解放運動に影響を与えた。ルソーをその思想の根(無政府主義)とする。政府無き日本を是とする。
→2001年の今日のたん譚
→2002年の今日のたん譚
先の日曜日に大阪の天満橋の近くエル・大阪というビルで、ブルーリボンの会主催の「北朝鮮による拉致被害者救出のための集会」があり、家人と出席した。 ある意味で、有名になってしまった横田夫妻他、政府が認めた人々(拉致被害者)と違い、認められていない人々(特定失踪者という)のご家族が登壇された 。京都・徳島・大阪から来られて、ある日突然消えてしまった家族のことを切々と語られた。涙がどうしようもなく出て、悲しみというより、これは具体的に個人が何も出来ないくやしさ、怒りの涙だった。 随分前から,我が国は北朝鮮に実質宣戦布告されているのである。こうまで馬鹿にされてもなを経済制裁がじわじわ効いてきているなどと、たわけな事を言っている。
壇上席には、北朝鮮にいる拉致された人々に向けて、家族の伝言や「きっと助ける、それまでがんばって」と言った内容を流している短波放送「しおかぜ」の荒木和博さん、衆議院議員で数少ない「歴史観」・「国家観」をきちんと持った鉄の人西村眞悟さん、それから、八尾市市議の三宅博さんが登壇した。三宅市議は最後のまとめの所で、感極まり涙を流し絶句した。良いお人柄がひしと伝わって来た。会場は満席であった、終わってからのデモは、あいにくの雷雨で中止になったが、これからも取り返すまで共にやっていく。
何度でも書くが、本当の終戦は、昭和27年4月28日。 御霊まつりの日に靖国参拝したので今日は、家で黙祷。マスコミは相変わらず、同じ調子の我が国が間違いを犯したの延長上で物を言っている。いい加減に少しは近現代史を勉強したらどうなんだ。我が国に戦争犯罪人はいない。一方的に異例の多数が処刑されてもいる。天皇も、アメリカ側にしたら「戦犯」かもしれないが、我が国の立場では「功労者」であると、はっきり言っている。
今日は、特攻の遺書の朗読を聞いた。涙が止めどなく出てしかたなかった。あんなに透明で気高い文章なんて書けない。要点は一つ、この前の戦いは、国家の犯罪でもなんでもない事は、当のマッカーサ−が東条英機の言い分をそのまま、アメリカの議会で述べて、日本が防衛戦争のために戦った事を認め言っている。
朝日新聞が、靖国神社に勤める人達の宿舎の、事細かな見取り図、おまけに住所まで新聞に掲載して、靖国神社側に、立ち入り禁止をくらっている。どこまで愚かな新聞なのだろう。 かって自社の記者がテロリストに襲われた事を何の教訓ともしていない。 あすこまで掲載してくれれば、テロリストにとって下調べの手間が省ける。どうかしている。
→2002年の今日のたん譚
→2003年の今日のたん譚
| 2006年07月26日(水) |
戦犯・靖国・天皇 最初から考える |
今、天皇陛下が私的に言われた事を書き留めたと言われるメモがニュース(日本経済新聞スクープ)になっている。このメモをまずよーく観察して見る。貼付けてあり,赤線『藤尾(文相)の発言』は以下のどこまでかかるのか。
 (ネット上から勝手に拝借)
その前に、大半の人々が何でこの事をマスコミが鬼の首を取ったように取り上げるのか、分からないのではないだろうか。 「戦犯」を合祀したために、天皇は以後参拝を見送った、だから分祀せよと言いたげである。 天皇が例へ言われたとしても、政争の具にすることは出来ない。そう決まっている。 過去、日経は北朝鮮に社員を拉致されて、どうしたか取り返している。それ以来、変な事を時々する。今回は当然、中国に絡む経済団体と媚中派政治家とこの新聞社の操作だろう。
その前に「戦犯」とは何だろうか。 いわゆる、日本を無謀な戦争に引きずり込んだあげく負け、ひどい状態にした悪党達が裁判でA級戦犯と有罪を受けた人達の事なのだろうか? 「騙されて、心ならずも徴兵され、死んで行った兵士達を祭ってある靖国神社」に、A級戦犯の人達が一緒に祭られた事を、このメモではけしからんといっている。だから以後行ってないと。しかし、これには論理の矛盾がある。 「戦犯」と言われている一人、時の首相東条英機は、戦後、天皇がアメリカによって、「戦犯」にされないよう最後まで尽力し、その事は、天皇自身も良く知っていた。天皇自身も前に書いたように、全責任は私にありとマッカーサーに語って驚かせている事をおもいだしてくれ。信頼関係の厚かった両者の関係からしても、このメモはおかしい。
もっと先に戻る。日本が始めたと言われている大東亜戦争(米側呼称は太平洋戦争)は、1941年12月8日にはじまった。この時、日本の石油備蓄は半年、俗に言うABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網による圧力で輸入が止まり、どうしようもなくなった。米国との再三にわたる交渉も、幾重にも重なった画策で、成立するわけがなかった。
一つは、当時の英首相チャーチル、米大統領のルーズベルトが、ひどい人種差別主義者であった事、また一つは、米国の政治中枢深く入り込んだソ連のスパイ、ハリー・ホワイトが書いた日本への最後通牒「ハル・ノート」で、これで日米両者を戦わせ疲弊した後に,共産革命を画策しようとした事など。
今の日本と違って、気概があった当時の日本はあんまりな理不尽を言うアメリカに見切りをつけ、ついに開戦に踏み切るのである。ここで言う事を聞いていれば、晴れて植民地となっていただろう。
宣戦布告がお粗末な手違いから暗号解読が遅れ、米国に手渡した時にはすでに攻撃していた。これを機に卑怯者大キャンペーンが始まり、米世論が怒りルーズベルトの思惑通り戦争となった。 しかし、こういう事実がある。 1940年、戦争の始まる前年、米海軍情報部とFBI が協力し、ニューヨークの日本総領事館から、暗号解読表を盗み出し、それ以降の日本外交文書は全て即座に解読されていた事が、1982年に解禁された米安全保障局(NSA) の文書で明らかにされている。
アメリカは、すべて知っていた。 ルーズベルトは、選挙公約で「戦争はしない」と言って当選したから口が裂けても、するとは自分から言えない。ただし、相手が仕掛けた場合は別である。こういう事をチャーチルと画策していた。だから、日本がいくら、アメリカと会議を開いても、端から、裏で戦争して東洋の猿を叩き潰すと決めていたのだから、戦争を外交で止められるわけがなかった。
こうして始まった、マッカーサーも認める、止むに止まれぬ防衛戦争であった大東亜戦争の事を思えば、「戦犯」の言葉がいかに無意味かがわかるだろう。 東条英機がやらなくても、当時だれが首相になろうが、確実に戦争になるようになっていた。
これでも猶、我が国内で同胞同士が争い、戦で亡くなられた英霊に対して、戦犯だの分祀だのというのか。こういう輩を亡国の徒と言う。
戦争直前、英国領自治ビルマ(ミャンマー)の首相、ウ・ソゥは、兵を戦争に参加させる事の見返りにチャーチルに戦後独立したいと直訴したが断られ、その足で、アメリカに行きルーズベルトに頼もうとするが待たされたあげく断られる。帰途途中、ウ・ソゥはハワイで日本人の真珠湾攻撃を目撃、日本人と組む事を決心する。そのルーズベルトは戦後チャーチルにこう書き送っている。 ルーズベルトがいかに人種差別的であったかがわかる。
*「私はビルマ人が大嫌いでしたが、あなた方も一ビルマを植民地化して以来一この五十年間、彼らには随分、手を焼かれたことでしょう。幸い、日本と手を結ぼうとしたウ・ソゥとかいう彼らの首相はあなた方の厳重な監禁下に置かれています。どうか一味を一人残らず捕らえて処刑台に送り、自らの蒔いた種を自分で刈り取らせるよう、願っています」
ウ・ソゥは日本との関係を作ろうとしたが、例の暗号解読で全て見通され、早い時期に英国に捕捉され、戦後釈放されるも、ビルマ(ミャンマー)に帰って見れば英雄はアウンサンと言う男になっていた。 釈放時にウ・ソゥは、英国から銃と車を与えられる。それで英国の傀儡とみたアウンサンを銃撃してしまう。英国の手を汚さずに、上の手紙のように晴れて、両者自滅させた。 娘のスーチーは英国が引き取り、向こう流の教育を施し育てた。スーチーの夫は英国人である。それが祖国に帰って来て、独立した筈のビルマ(ミャンマー)に英国の影響を受けたスーチーと旦那がなんやかや口出しする。それでは独立の甲斐が無い、そこで自宅軟禁とされているのである。
参考文献 *クリストファー・ソーン「英米にとっての太平洋戦争」草思社 上・下巻 世界は腹黒い 異見自在 高山正之 高木書房
先週の土曜日、東京に行って来た。めぐみさんを初めとする拉致された人々を返せというデモ行進に参加した。総勢700名くらいになったようだ。しかしこの大きなデモを報道したのは民放ではフジテレビだけであったらしい。スカイパーフェクTVのチャンネル桜(767ch)は一部始終を報道していた。
もう、二十数年前になるのではっきりとは覚えていないが、京都の丸善の前や、南禅寺の山門の横で、小さなイラストや、プレートなどを地べたに並べて売っていたことがあった。 その頃、京都大学の西部講堂を中心として活動していた、自主上映グルーブ「織蕗屁の袋工事(おるへ?のふくろこうじ 仮名)」のメンバーだった友人から、「こういう奴見た事が無いか」と、写真を見せられた。その友人の友に見覚えは無かった。
その後、営業の終わった丸善の前、日中、修学旅行生でにぎわう寺の山門の前などで、上のいなくなった友の友を探す母親に何度となく会った。あわただしくタクシーから降りて来て、この写真の人見ませんでしたかと聞く。そのころ、「蒸発」と言う言葉が結構使われていて、何でも蒸発だろうで済ませていた所があって、まさか、北朝鮮が拉致して連れてったなんて、誰も思いもよらない事だった。
聞かれても知らない物は知らないので、「いえ知りません、見た事ありません」としかいえなかった。時は流れて、ほとんどその事は忘れていた。 そして数年前、新聞に、特定失踪者の顔写真が何十名だったか載った。 そこに、先の母上が血眼になって探しまわっていた京都の大学生の顔があった。 これとは別に、1992年に出版された関川夏央の「 退屈な迷宮」をきっかけに北朝鮮関連の本をかなり読んで、最初あまりなことが北朝鮮の人々におこっていることが信じられなかった。しかし、脱北者その他いろいろな人の証言で、現代にもこんな国があるのかと、あきれていたその国が、今度は「拉致」である。人ごとと思えなかった。国会でこの事を最初に言ったのが西村眞悟代議士であった。 その時の中継を見た事がある。どこぞの馬鹿議員が、ひどい野次を飛ばしていたのを覚えている。 デモは、砂防会館別館 を出発して 平河町 ー 溜池山王 ー三河台公園で終わった。途中首相官邸前、在日が多く住む地区を通った。三つの梯団に別れて行進した。 4時半から始まり、6時半に及んだ。終わってから大急ぎでホテルに帰り、昇殿参拝をするために、服を着替えて靖国神社に向かった。みたま祭りで靖国神社は大混雑で、到着した時には、ちょうど昇殿参拝がおわったところだった。 仕方ないので、中に通してもらって口と手を清めて、下の廊下から二人して、本殿に向かって参拝した。
拉致された人達が全員帰ってくる可能性は、北朝鮮が崩壊する(させる)以外にないと思っている。行き帰りに使ったタクシーの運転手に拉致の事を聞いたら、ほとんど無関心であった。これは、東京京都のタクシー運転手に聞いた。少しがっくりきた。が、昔は全人口の7%にみたなかった武士達によって維新が達成されたし、ほとんどの人々はそれについて行った。 だから、無関心な人をせめずに、その人達のぶんも背負って、のつもりで今回行進した。善かれ悪しかれ、今も昔も世を動かす人々は一握りであると言う事には変わりない。
天皇陛下がある年から、靖国参拝取りやめた理由が書かれてあるメモが、今の時期突然出て来た。 天皇が個人的にどう思われようが、戦後、国会で全員罪なしとしている。 どうもA級と言う言葉から来る誤解がある事は、通信簿のABCから、 Aだと一番すごいから一番悪いと友人の娘さんなんかは思っていて、じゃぁ、オリンピックのウルトラCは?と聞いたら初めて気がついた。 この区分けはむしろ、A項、B項、C項と思えば良く,罪状の重い軽いで分けてはいない。 どういう前後の話で昭和天皇がそういったのか、まだ真相はわからない。民放のニュースでは分からないので、今夜のチャンネル桜の特別番組を見る事にする。
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