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2002年08月15日(木) 敗戦の日



今日のこの日が敗戦の日で、終戦の日ではない事は、淡譚2002年04月28日(日)「今日は本当の終戦記念日-覚え-」で書いた。

 * ポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月十五日に敗戦を迎えた。なぜ、敗戦で終戦ではないのかというと、昭和二十七年の今日まで日本は戦争状態にあった。

*サンフランシスコ講話条約(第一条a)
「日本国と各連合国との間の戦争状態は(中略)この条約が日本国と当該連合 国との間に効力を生ずる日(昭和二十七年四月二十八日)に終了する」

 以上の理由から終戦記念日は四月二十八日となり、今日は戦が負けと決まった日。

 ここ二三日、町行く人々の感想をテレビでインタビューしている。何にも変わっていない。「戦争を二度と起こしてはならない。」とか、「戦争はいけない。」とか、「平和の願い」のような意見。意図的にカットされたのかどうか、意見が単色なのだ。人々は美食や買い物には興味があっても、この日の意味をほとんど学ぼうとしないし、興味を持とうともしないように見える。今日栄耀栄華を極めている中で、はっきりしている事がある。

戦って負けた事は、残念だった。それとそのことに対する善悪は別である。
もし、勝ち戦(いくさ)をしていれば、上のインタビューされた同じその人の口から「戦争はいけない」とか、「二度と戦争を起こしてはならない」という言葉は出てこないだろう。歴史を振り返ってみても、日清戦争の後、日露戦争の後の人々の言葉を当時の新聞で拾ってみれば、簡単に分かることである。

 今日、かっての高度経済成長、全くの武器を持たない平和主義(というと必ず自衛隊があるじゃないかというが、戦闘機にしても、先制攻撃出来ないように、朝鮮半島まで飛べないように燃料タンクは細工されている。また、ミサイルを積めないようにして骨抜きになっている。)は、アメリカとの同盟の下での言い換えれば、アメリカの核の下での平和享受なのである。この平和の下で、戦争の善悪を言ってみてもはじまらない。

 昔、日本人は、自国は自国で守ろうとした。台湾人が最近の日本人を見て、腑甲斐ないと嘆いている。かって、台湾も朝鮮も日本だった。台湾人は日本精神という言葉を一級の言葉として使っている。「武」なしの平和は今のところありえない。無抵抗主義と誤解されているガンジーでさえ認めている。
自国(自分)の事は自国で守るのは当たり前のことである。永世中立国スイスを、何か平和主義の象徴のようにいう人があるが、綺麗なスイスアルプスの土手っ腹には、四方に向いてミサイル格納基地があるのを知らないのは、多分日本人だけだろう。
スイスは優れた地域共同体を持ち、各個人の家に一家に一冊「民間防衛」という本を配っている。内容は、戦時国際法に基づく戦い方、他国軍隊がスイスを通過していく時には、どのように振る舞ったらよいかなどが、書かれている。これ等を踏まえて初めて「平和」の尊さを発言できる。

 隣国が善人だと頭から信じて、我が国の人々が誠実に成してきたことを信じず、隣国の言った事の方を信じる日本人は多い。人は平気でうそをつく存在なのだ。
 日本人にとって、A級戦犯もB級戦犯もないのだ。靖国神社の事もそうだ。誰に気兼ねしているのか。言っている当事国は死者にむち打つ国であることを知っておいた方がよい。墓を掘り起こしてその死体をばらばらにしてしまう国柄なのだ。兵馬俑が頭を残しているのは、地中に埋めてあるのが発見されていなかった事が幸いしている。彼の国の、地上にある歴史的な石像などは全部首がない。そういう国柄だからこそ、日本のために戦った英霊に文句を言う。死んだら仏や神になる我が国のことなど認めないのだ。

 かって戦争で日本人に虐待されたと、日本にそれを訴えに来た英国人が靖国神社を訪れ、靖国に奉られているのは日本人だけではない事を知り、訴訟を止めたという事があった。

 「武」を持ち「武」を知り、それに「知(智)」をともなって初めて、「平和」を語る事が出来ると考える。












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