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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年08月30日(金) --

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『人魚の島で』

短いけれど、いちど心に入り込むと ずっとそこにダイヤ型の印をつけてしまうような本。

カナダの小さな島でおじいさんと暮らすダニエル少年は、 両親を事故でなくした孤独を抱えている。 そんなダニエルが、海辺を歩きながら見つけたものは。

原題は、『ジ・アイランダー』。 広い世界を見たいと願いながら、小さな島に 根を広げてゆく過程を、不思議や偶然の導きを織り交ぜながら 淡々とえがいてゆく。 やっぱり、シンシア・ライラント。

せつなさも、よろこびも、 時間とともに生きて去るもの。

もしこれが映画化されたら、 珠玉の作品になるだろう。

魚のように泣きたいような、 鳥のように鳴きたいような、 そんなダニエルの時間。

いつか、ささめやさんの版画を買いたいな。 (※版画は細谷正之さん名義です) (マーズ)


『人魚の島で』 著者:シンシア・ライラント / 訳:竹下文子 / 絵: ささめやゆき / 出版社:徳間書店

お天気猫や

-- 2002年08月29日(木) --

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『いまなぜ青山二郎なのか』

白州正子をめぐる人物というと、文士以外に思い浮かぶのは 師匠だった青山二郎。 『韋駄天お正』という綽名をつけたのも彼である。 かといって、青山二郎が中国・朝鮮・日本の焼きものの 稀有な目利きであるということは知っていても、 それ以外のことは、額が広く目がギョロっとした写真しか 知らなかった。

白州正子も書いているように、読んだからといって 青山二郎が理解できるわけではない。 ただ彼が何を言ったのか、何をしたのかを白州の筆で読み、 そこから先は直感を伸ばすしかないのだ。 自身の本性を自分以外の誰にも明かさず、 自分にもわからない生まれつきの芸術魂を持て余したかのような ひとりの人物の何かをわかろうとするならば。

「お前さんは俺のこととなると、安心してのうのうと書きやがる」 「お前さんが物になってくれないと、俺、困るんだよ」(本文より) と青山のジィちゃんに言わしめた白州正子は、 「変人でも奇人でもない」その人物の為人(ひととなり)を ぞんぶんに記すべき運命を持っていたにちがいない。

私は、焼きものの良し悪しを見分ける知識は全くない。 何の知識もないから、ただ観たまましかわからない。 読んでいると、それで良いのだと思わされるのは 私の勝手な開き直りだろうか。 (その観たままがどう出るかが問題なのだが) 本書に何度か書かれているように、 焼きものの味わい、その魂は、決して写真に撮ることは 叶わない、というのは本当だと思う。

カリスマ青山二郎をめぐる一派は「青山学院」と称し、 青山家に出入りしていた文士のなかには、小林秀雄らに混じって かの永井龍男の名もよく見える。 彼だけは気がつくから、人に迷惑をかけないのだと、 青山は死後発見された日記に残している。 (マーズ)


『いまなぜ青山二郎なのか』 著者:白州正子 / 出版社:新潮文庫

お天気猫や

-- 2002年08月28日(水) --

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『くるくるロールケーキ』

「わぁ、かわいい」と書店で感動して、 ちょっと仕事で必要になったとたん、すぐ買ってしまった。 しかし、この本を持っているからといって、 私がこの手でロールケーキをつくるなどと、 だいそれたことを考えているわけではない。 ただ、ながめて楽しむのである。 いや、もしかしてひょっとすると、いつか道具をそろえて 挑戦するかもしれないが。

著者の津田陽子さんは、京都で「ミディ・アプレミディ」という 紅茶とお菓子のお店を経営していて、 そこの名物が、「フロール」というロールケーキなのだそうだ。 食べたことはないけれど、なんとなく名前からも 極上のふわふわしたやわらかさが想像できる。 フランスで本格的にお菓子の勉強をして身に付いた薫り のようなものが、ずらり並んだ46種類ものロールケーキの姿に きちんと反映されているのだった。

だから、私のように料理をほとんどしない者、 このレシピ集を、ロールケーキの写真集と思って買う者にも アピールするのだと思う。 無垢な丸っこさが、どこか赤ちゃんを連想させるロールたち。 だいたい、ロールケーキというものが、薄く焼いたスポンジ生地と クリームを、巻き寿司のごとく一緒に丸めて作るものだという 事実に気づいて、改めて納得するような人間だから。

スライスして1ページに収まったロールたちは、 「の」の字の巻き加減も絶妙、上品なのにインパクトがあって。 おいしさの半分は、やはり見た目だ。

子どものころ、「スイスロール」がそれなりに 豪華なおやつだった世代にとっては、 ここに登場するロールケーキは、どれをとっても 天使のはからいである。 (マーズ)


『くるくるロールケーキ』 著者:津田陽子 / 撮影:日置武晴 / スタイリング:高橋みどり / 出版社:文化出版局

お天気猫や

-- 2002年08月27日(火) --

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『異人たちとの夏』

☆大切な人・大切な人とのかけがえのない時間を思う。

『異人たちとの夏』を映画で見たのも、 もうずいぶんと前になります。 邦画を見て、あんなにも強く心を揺さぶられたのは はじめてでした。大好きだった祖母との死別を体験し、 死に別れるという、「絶対的な」別れを いつまでも消化しきれない私にとって、 死者たちとの、再会を描くこの映画は哀しくも、 つかのまとはいえ甘い夢を見せてくれた映画でした。 そしてすぐに、小説を読みました。 映画を見て、話は全部知っているのに、 それでも、深く感動しました。 ずっと、原作も映画も山田太一監督だと思っていたのですが、 映画は大林宣彦監督でした。

私の中には、祖母の死に対する悔いがあるので、 この本の主人公のように、 幽霊でもいいから、もう一度死別した祖母に会いたいと、 今でもそう思っています。 あるいは、それは、単に祖母を恋しがる気持ちだけではなく、 子ども時代の幸せな時間への憧憬だと、 言い換えることもできます。 生き生きとした冒険の毎日で、 一日の密度が濃く、充足した子どもの時間。

男は、幼い頃死に別れた父母と そっくりな二人と出逢います。 いつの間にか、両親の年齢を追い越しているけれど、 そこには、幼い頃のような満ち足りて健やかな時間と、 親のあたたかなまなざしがありました。 懐かしさに何度も足を運ぶ男。 しかし、そのうちに男に異変がおきているのでした。

「牡丹灯籠」じゃないけれど、 私なら、死者と時間を共にすることで たとえ、自分の命を削ることになったとしても、 死別した大切な人に会えるのなら、 それでもいいんじゃないかと、そんなことを考えます。

映画に出来については、 『映画のラストはB級ホラーになってしまっていて、 原作小説の方がずっといい』という感想をいくつか見かけましたが、 私の中では、どちらも不可分で、渾然一体となっています。 映画には、映画ならではの、印象深いシーンがたくさんあったし、 小説の方では、映画の印象が強かったので、 そのイメージのままで、読んでしまったのですが、 それでも何一つ違和感を感じることはありませんでした。

映画はそれほどよくなかった、という批評に対して、 そんなに映画と小説の間に、描き方の違いではなく、 優劣の差があったのだろうかと、不思議に感じています。

さて、この物語が、いつまでも私の中であせないのには、 大きな理由があります。 それは、映画にだけできることです。 音楽と絵。 両者が非常にうまく使われていました。 プッチーニの「私のお父さん」が 効果的に使われていて、今でもこの曲を耳にすると、 『異人たちとの夏』を思い出し、せつない気持ちが瞬時に甦ります。

また、絵については、前田青邨の「腑分け」が 映画の中の、重要なモチーフとなっています。 やはり、「腑分け」を見ると、 条件反射のように(笑)、凄惨な悲しみに胸を締め付けられます。 だから、この音楽と絵のおかげで、 これらに触れるたびに、 この『異人たちとの夏』を思い出してしまい、 初めて映画を見、そして小説を読んだ時のままの、 せつなくもこの上もないあたたかな気持ちと、 あきらめるしかない喪失感を同時に感じるのです。

『異人たちとの夏』は、 大切な人・大切な人とのかけがえのない時間を 慈しむ物語です。 大切な人を失ってしまった−喪失感を知ってしまった人ほど、 深く、強く心を揺さぶられるでしょう。 大人のためのやさしく、そして悲しいおとぎ話だと思います。

やさしいまなざしと、 胸をかきむしられるほどのせつなさ。 長い歳月を経ているのに、 いつまでも褪せずに、心に残っています。 これからも、きっと、ずっと。 (シィアル)


『異人たちとの夏』 著者:山田太一 / 出版社:新潮文庫 ※ 映画『異人たちとの夏』(1988年制作)   監督:大林宣彦 / 原作:山田太一 / 脚本:市川森一 /   出演:風間杜夫・片岡鶴太郎・秋吉久美子 ※ プッチーニ歌劇「ジャンニ・スキッキ」−私のお父さん ジョークと音楽の部屋 ♪ 「私のお父さん」を聴く     http://www.interq.or.jp/sun/solaris/ プッチーニ「私のお父さん」をDLさてていただきました。 ※ 前田青邨「腑分け」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~fisheye/artist/nihonga/seison.html 【近・現代絵画】 魚眼レンズ 前田青邨「腑分け」の切手が紹介されています。

お天気猫や

-- 2002年08月26日(月) --

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☆アートと本の切れない関係。

20世紀から21世紀へ。 『本と美術─20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックまで』という 展覧会を観てきた。 会場の美術館には、時を経て収束されてゆく 「メッセージ」の亡霊が、ゆらゆらと立ち現れていた。 舞台は紙であり、ときに金属であり、大地であり。

革命活動のスローガンとなった詩の本。 左右のページで、ちがう言葉(人格)が誘う本。 現代美術と遺跡が融合したような聖書のオブジェ。 マエストロたちの版画や筆跡を生々しく伝える豪華本。 空間という丸い芯の通った本。 小さな版画と言葉を突き詰めた、豆本。 詩人の言葉を閉じ込めて澄ましている、からくりめいた機構。 無数のゴミと化した印刷物からのぞく国民性。

いかにも強さを感じさせるものから、繊細なゆらぎに満ちたものまで、 たくさんの「本」という名のものたち。 生まれた瞬間から、世界中で、時代に沿ってその意義を変えつつ、 現在は「かくある」本たちが、こうしてつどっているのだった。 読んでくれ、触れてくれと乞い願う本の「気」が、 ガラスケースを通じて五感を刺激する。

展覧会の最後に、ソファに置いてあった 大竹伸郎の絵本、『ジャリおじさん』福音館書店)を読んだ。 なぜだかハッピーエンドだった。 (マーズ)


『本と美術』(展覧会カタログ) / 発行元:徳島県立近代美術館

2001年08月26日(日) ★夢の図書館ナツヤスミのお知らせ。

お天気猫や

-- 2002年08月23日(金) --

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『たったひとつの冴えたやりかた』

☆少女の勇気への涙。

ふっと。 『たったひとつの冴えたやりかた』のことが頭に浮かびました。 読んだのは、一年近く前でしょうか。 初めて読んだ、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの本でしたが、 無防備なまま、川原由美子さんの描いた可愛い女の子の表紙の本を 手に取り、そういう本だと思い、読み始めたのでした。 たとえば、『星の海のミッキー』とか。 (よく見返してみると、表紙の女の子は悲しそうな顔でした。)

※「星の海のミッキー」の紹介 →(1) (2)

私はそもそも、SF、特にシリアスなものは苦手で、 もし、ティプトリーがどんなタイプの作家か知っていたら、 手には取らなかったと思います。 ただ、時に勘違いが、思いも寄らぬ新しい扉を開け、 思いもよらず、自分自身の選択肢が広がっていくこともあります。 今でも、ティプトリーの重たさは苦手だけれど、 読んでよかったという、充足感がありました。

『たったひとつの冴えたやりかた』のことを思い出したのは、 今日の乾いたお天気、今感じている、このからりとした空虚が、 あの時感じた、乾いた悲しみを呼び起こしたからです。 悲しみにはいろいろあるのですが、 納得し諦めたあとの悲しみは、せつないけれどからりと乾いていました。

16歳の誕生日にプレゼントされたスペースクーペで、 宇宙に飛び立った少女コーティー。 冷凍睡眠から目覚めると、頭の中にイーアというエイリアンが住みついている。 やがてすぐに意気投合した二人は、さらなる宇宙探検に乗り出すのだが。

ティプトリーを全く読んだことがなかったので、 表紙のイメージや、何ページか読んだだけでは、これがシリアスな物語だとは 思いもしませんでした。 まさか、コーティーが直面するトラブルが 「たったひとつの冴えたやりかた」でしか解決できないほどに、 少女の選んだ結論、その勇気が深刻なものだとは。 きっと何か、トラブル解決の手段があるはずだと、 気楽に読んでいたのでしたが…。

本書(原題:The Starry Rift)は、ストーリーが続いているわけではありませんが、表題作を含む、宇宙を舞台にした三連作です。(※<リフト>が3つの物語をつなぐ。)  「たったひとつの冴えたやりかた(The Only Neat Thing to Do)」  「グッドナイト、スイートハーツ(Good Night,Sweethearts)」  「衝突(Collision)」 面白かったと本を閉じてしまう前に、 どうしてそういう決断になるのだろう、 どうしてそうなってしまうのだろう、 それでいいのだろうか、 そんな風に、しばし、考えてしまいました。

でも、たとえばそれがどんなに悲しみをともなう結論であっても、 それが「たったひとつの冴えたやりかた」だったのです。

今ふっと。 壮絶で悲劇的な最期を遂げたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアについても、 彼女の選び取った死は、「たったひとつの冴えたやりかた」だったのだと、 やっと、気づきました。 (シィアル)


『たったひとつの冴えたやりかた』 著者:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア / 訳:浅倉久志 / 出版社:ハヤカワ文庫

2001年08月23日(木) 『偽のデュー警部』

お天気猫や

-- 2002年08月22日(木) --

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『幻の女』

 

夜は若く、彼も若かった。  
夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。(引用)

都会の憂愁に満ちたサスペンスの巨匠、 ウィリアム・アイリッシュの代表作品『幻の女』、 コーネル・ウールリッチ名義の『黒衣の花嫁』『黒衣のランデブー』等 現代のサスペンス・ミステリの原点となる古典を、 何を思ってか私は、小学生の時に読みました。 これは他のミステリのように父の蔵書を読んだわけではなくて、 正々堂々と小学校の図書館で、棚に揃えてあったのを読んだのです。

「え?アイリッシュの児童向け?うそだ〜」 本当にあったんですってば。 私がクイーンにはまった「あかね書房 少年少女世界推理文学全集」に アイリッシュの『黒いカーテン』と『消えた花嫁』が載っていて、 それをきっかけに、別に揃っていたアイリッシュの児童向けシリーズ (春陽堂少年少女文庫?)も読んだのでしょう。 同時期に読んだダシール・ハメットの『マルタの鷹』児童向け(爆)は ほとんど大人の意図が理解出来ずに意味不明でしたが、 アイリッシュのサスペンスは子供でもドキドキハラハラしながら 人工の光と影の交錯する都会の夜を彷徨う事ができました。

ストーリーも犯人も分かっているミステリを、それが本当の形とはいえ 再び読んで面白いものかどうか疑問ではありましたが、 大型古本屋さんの普及のおかげで少なくとも出費は少なくて済みます。 『幻の女』と言ったらあのオレンジ色の帽子のひとですよね。 ショウのスターと帽子をめぐって無言の張り合いをする場面とか (ペン画の挿し絵も憶えている) 証人探しをする主人公の協力者が、オレンジ色の電気スタンドのシェードを かぶって見せるシーンとか、あの帽子が関わる場面は鮮明に覚えています。

40年代のニューヨーク、不機嫌な主人公はある夜風変わりなデートをします。 バーで一杯、タクシーに乗って気のきいたレストランでディナー、 評判のショウを見て、最期にまた最初のバーで一杯飲んで、さようなら。 デートコースは何も変哲もないのですが、風変わりなのは デートの相手が見ず知らずの名前も知らない女性。 もう一度会おうと思っても、顔も髪も思い出せない、 手掛かり一つないPHANTOM LADY。 都会の雑踏の中で、彼女の事を憶えている者は誰一人いない。 でも彼女を探し出さなければ、主人公は無実の罪で処刑される。 各章の題は死刑が執行されるまでの残り日数です。

あらゆる手を尽してたどり着いた証人達は、ことごとく 捜索者達の手をすり抜けて物言わぬ証人と化してゆく。 印象的なモノクロフィルムのような都会に、 鮮やかなオレンジ色の帽子だけがくっきりと浮かび上がる。 重要な証人である女性の特徴を、主人公は 「オレンジ色の帽子」でしか覚えていませんでした。 それじゃあ、何十年も前に読んだっきりの私と同じじゃないですか。

逆に言えば、一晩で忘れられた女性は何十年たっても忘れられない印象を 小学生の私にも与えていた訳ですね。 ムードは大人っぽいですが、骨格のはっきりしたサスペンスなので、 たとえ骨だけにしても面白い、と子供向けシリーズを出した 企画者の愛着がよく分ります。

とはいえ、犯人とストーリーが分かっていても、 都会の華やぎや主人公の絶望、真相を追う者達の遭遇する危機、犯行の動機などは 当然な事ながら大人になって読むほうがはるかに鮮明に身に迫ります。 そして当時のニューヨークのイメージも意外に若々しく清潔で、 現代程危険で退廃的な印象ではありません。 そういえば、六十代のアメリカ人女性が、彼女が十代のころのニューヨークは 治安も良くて綺麗な街だった、と言っていたっけ。

街は若く、彼女も若かった。(ナルシア)


『幻の女』 著者:ウイリアム・アイリッシュ / 訳:稲葉明雄 / 出版社:早川書房

2001年08月22日(水) 『黒と茶の幻想』

お天気猫や

-- 2002年08月21日(水) --

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『危険な駆け引き』

☆マッケンジー・リーディング(その5)

原題は、『チャンスのゲーム』。 マッケンジーの家長ウルフとメアリーに路上で保護され、 養子となった14歳の少年、チャンスのロマンス。 その名のとおり、手にしたチャンスを活かし、 マッケンジーの男として"強く賢く美しく"成長した。

路上で育つという最悪の生い立ちから 有無をいわせず家庭のぬくもりへ引きずり込んだのは、 元教師だったウルフの妻メアリー。 チャンスもまた、ウルフと同じ血を─インディアンの部族の血統を 受け継いでいたのだった。 大人になったチャンスは、家族のなかで 最も信頼しあっているすぐ上の兄ゼインと同じく、 公的機関の裏側で、危険きわまりない任務を好んで遂行している。

そういえば、マッケンジー家って、みんな、 職場恋愛結婚!? ウルフの場合も、最初は仕事がらみだった。 ジョーも、ゼインも、末娘のメアリスも。 しかも、兄弟たちの選んだ相手は、タイプは微妙にちがっても、 母親のメアリーにそっくり!? それでは、血のつながらないチャンスの場合は? おそらくこのシリーズを読んでいる誰もが思うだろう。 あのチャンスがどんな女性と出会って、どう変わるか。 チャンスは自分が結婚などと生涯無縁だと思っている。 そういうことは日の当たるところで育った人々の特権だから。

さすがに、一筋縄ではいかない相手であった。 いや、ある意味では強すぎる一筋縄だったというべきか。 サニーはその名のとおり、太陽のようにチャンスを照らす。 笑顔とユーモアのダブルパワーで、チャンスが 二度とふたたび、雲にかくれることのないように。 (マーズ)


『危険な駆け引き』 著者:リンダ・ハワード / 訳:黒瀬みな / 出版社:ハーレクイン

2001年08月21日(火) ☆やってみたらできたこと。

お天気猫や

-- 2002年08月20日(火) --

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『燃えよ剣』(その2)

徳川幕府が政権を手放した時点で、政治家達の戦いは終っていました。 名人によって鍛えられた優れた道具、新選組は無用となりました。 有用な人材は所属に関わらず、後に新政府でも重用される事となるのですが、 銘刀だけは鍋釜に鋳潰す事は不可能です。

持主である徳川家は危険きわまりない道具を放り出して逃げました。 新選組に感情移入しているとかなり許せない行為なのでしょうが、 私は「最後の将軍」も読んだし水戸にも行ってみたので、 徳川方の事情も納得できます。 というか私自身はやはり穏健倒幕派の系なのでしょう、 「徳川様はよく引いてくださった」というスタンス。

新選組はいわば幕府の崩れかかった時期に乗じて生まれたバブルの一つです。 消える事はわかりきっているのですが、悲憤慷慨して嘆くよりも 道具自身は道具として最後まで働く事に己の存在価値を見い出しました。 司馬先生描く「喧嘩屋」土方は、仲間を失い、追い詰められて 北へ北へと転戦しながら、それでも日々楽しそうです。 もともと身一つ、それさえ使い切ればよしといった突き抜けたシンプルさ。

さて、本編にはその姿を現さないのに『燃えよ剣』の物語の 半身になっている(と私が勝手に解釈している)竜馬は、 一足先に自分の用事を済ませて世界から退場しています。 『竜馬がゆく』で、戦争の指揮官としては天才だけれど 政治家向きではない、といった感じでコメントされていた乾退助、 後の政治家としてしか知らなかったので「へえー」っと思った憶えがありますが、 竜馬にも司馬先生にも割合可愛がられていたのに急にいなくなったなと思ったら、 こちら『燃えよ剣』に途中から敵将として登場していました。

「乾」の名を「板垣」に改めた由来がこちらの戦場で語られて、 キャラクターが作品を移動してきたような雰囲気です。 しかも当時、竜馬を暗殺したのは新選組だと思われていたから、 鳥羽・伏見の戦いはある意味竜馬の弔い合戦でもあります。

正反対といえば、竜馬は自慢の恋人を嬉しそうにあちこち連れ回って 有名なエピソードをいろいろ残していますが、司馬先生はあまり おりょうさん自身には好意的ではないような印象がありました。 一方、『燃えよ剣』では明るい天使のように場を和ませていた 総司君が病で出番が少なくなると、話に華がなくなると思ったのか、 土方の身辺があんまり淋しすぎるためか、司馬先生 幻のように密やかな恋人を土方にプレゼントしています。

意識が大きな外側に向いていて、自分の身体が血を流して 倒れる物だという事をころっと忘れていたように、 突然の死に見舞われた竜馬と、 人斬りプロフェッショナルだけあって、 自分の身体の血をどこで流そうかとずっと考えて、 わざわざ自ら求めて死に赴いた土方、 どちらも「非業の死」と言われますが、やっぱり最期も正反対。 同じところを探すとすれば、二人とも晴々と 「ああ、面白かった」と思っていたかもしれません。

ああ、それから。 和服の懐にピストルを忍ばせた竜馬と、 洋式軍装に日本刀をたばさんだ土方、 可笑しくなるくらい正反対の姿ですが、 二人とも格好良く写真に残っています。(ナルシア)


『燃えよ剣』上・下 著者:司馬遼太郎 / 出版社:新潮文庫 『竜馬がゆく』1〜8 著者:司馬遼太郎 / 出版社:文春文庫 『最後の将軍』著者:司馬遼太郎 / 出版社:文春文庫

2001年08月20日(月) 『さいはての島へ─ゲド戦記(3)』

お天気猫や

-- 2002年08月19日(月) --

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『イングランド─ティーハウスをめぐる旅』

旅先のカフェに置いてあって気に入ったので、 帰ってから取り寄せた本。

イギリスのあちこちに残る、ほとんどは家族経営の ティーハウスを訪ね歩き、名物ケーキのレシピや 穏やかであたたかい雰囲気をそのまま写真にしている。

足を運び、自分たちのお金で食事をしてみて、 それで「良し」と思ったお店だけにその場で取材をお願いするという スタイルらしく、アポを取って行くのとはまたちがった ハプニングもあり、店内の写真は自然な雰囲気をかもし出している。 最初に行ったときは休みだったとか、 また行ってもまた休みだったとか、 ケーキが残り少なくて口に入らなかったとか、 思わぬおまけがあったりとか、 通りがかりに見つけて飛び込んだとか、 そういうのが旅っぽくていい。

「ティーハウス」という言葉を改めて意識して、 ああ、と納得がいった。 ティールームとかティーショップとも呼ばれるそうだが、 ティーハウスというのがいかにもイギリスだ。

二度目のロンドン旅行で、郊外を訪ねる日帰りツアーに参加した。 日本人の現地ガイドがついていて、お客はほんの3人くらいの少人数。 モーニングティーとお昼ごはんは、途中の田舎町にある カフェを各自利用するというスタイルだった。 そのときは、呼び名がわからなくて、喫茶店とかカフェとか 読んでいたけれど、あれがティーハウスだったのだ。 自家製のお菓子や、軽食を楽しむお店。 近所の人たちが集まってくるお店。

そういえば、あのとき、今では名前もわからなくなった町の モーニングティーを飲んだティーハウスの前で、 近所に住むおばあさんと、ほんのひとこと言葉を交わした。 「もうここに50年も住んでるのよ!50年ですってさ!」 とばかりにケラケラ笑ったおばあさんは、なかなかチャーミングだった。

cozy(英語のサブタイトルにも使われている言葉: 居心地がよくてこじんまりした感じ)な ティーハウスを本のなかでめぐっていると、 そういう住民たちが通うお店のたたずまいと地域色豊かな個性に、 しばしうっとりとさせられる。

四度めのイギリスに行くことがあったら、 ぜひ、念願の、田舎町のB&Bとティーハウスめぐりを。 ─食事全部それでもいいから。 (マーズ)


『イングランド─ティーハウスをめぐる旅』 著者:小関由美 / 写真:小関由美・福原ゆり / 絵:松成真理子 / 出版社:文化出版局

お天気猫や

-- 2002年08月16日(金) --

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『燃えよ剣』(その1)

暑いので北海道に行きたいな。 そういえば私は函館に行った事がまだありません。 函館といえば五稜郭。幕軍残党最後の抵抗の地。 私は幕末史には割と興味があるほうですが 土地柄視点が倒幕派で、佐幕派にはあまり馴染みがありません。

うちの曾曾祖父は藩吏でありながら藩命に背いて 何喰わぬ顔でいわゆる勤王の志士に資金援助をしていたそうです。 女子供が追い払われた座敷を祖母の大伯母がこっそり覗き見すると、 旅支度の若者達が談じ込んでおり、彼らはその足で脱藩したといいます。 彼女が襖の間から見た脱藩浪士の何人かは京で斬られたかもしれません。

新選組に。

『燃えよ剣』は新選組副長・土方歳三の生涯の物語です。 私は登場人物に感情移入して流れに乗る小説の読み方が苦手なので、 時代に逆らう人生にどうやって入りこめばいいかまず思案しました。 解説を見ると、『燃えよ剣』は司馬遼太郎の初期代表作 『竜馬がゆく』と同時期に連載されたとあります。

あ、これだ。 同じ時代の同世代を同時に描くとしたら、 作家は必ず二人を正反対の位置に置くに違いない。 随分昔の事ですが、『竜馬がゆく』の方は学生時代に読みました。 その時、司馬先生が書き残した部分があるような気がして、 たぶん、他の本に書いたんだろうなと思った憶えがあります。 きっと、ここにあるんだ。 実際には30センチと離れていないところに居ながら、 空をゆくカモメからは見えない、波の下の鮫の見る世界が。

冒頭をめくってみると、土方が竜馬と同じような行動をする場面が出て来ます。 竜馬が友人達とわいわいやってた事を、土方は誰にも押し隠してこっそりやる。 美男ではないけれどなんとも言えぬ愛嬌で人に親しまれる「陽」の竜馬と、 美男だけれど無愛想で怖くて取っ付きが悪い「陰」の土方。 それぞれが持つ余人にはない天賦の才は、 方や外の世界に向けて拡がるネットワーク作りで時代を動かし、 方や閉ざされ研ぎ澄まされた最強集団を生み出し時代に逆らって突出する。 この二編はある意味、セットなのでしょう。

新選組といえば組長・近藤勇。 『燃えよ剣』の土方視点では英雄・近藤は実に好人物だけれど、 分りもしない政治なんかに首突っ込まなきゃいいのに、と惜しむ感じ、 一般的には血を吐く悲運の美剣士のイメージの強い沖田総司は 『燃えよ剣』では「神仏のつかわす童子」、つまりまあ、「天使」、 透明感のある可愛い青年の姿で描かれています。 この二人の人柄で、峻厳な新選組も一見ほのぼのとしたファミリーのようです。 もっとも、離れようとしたら例外なく斬られる鉄の掟のファミリーですが。

副長・土方歳三は。

前述の、脱藩浪士を覗き見た大伯母の話をしてくれた 祖母の実家には銘刀があったそうです。 重くて古臭くて飾り気のないその刀が祖母は嫌いでした。 異様な暗さを漂わせた、人を斬るためだけの道具。 目のある者達はその銘刀の気迫を美しいと賞賛しました。

土方はそんな刀のような。(ナルシア)


『燃えよ剣』上・下 著者:司馬遼太郎 / 出版社:新潮文庫 『竜馬がゆく』1〜8 著者:司馬遼太郎 / 出版社:文春文庫

2001年08月16日(木) 『こわれた腕環─ゲド戦記(2)』

お天気猫や

-- 2002年08月15日(木) --

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『マッケンジーの山』

☆マッケンジー・リーディング(その4)

ウルフを家長とするマッケンジーの始まりは、 『マケンジーの山』と呼ばれる山頂の馬牧場を営む ウルフ・マッケンジーと息子のジョーが 転任してきた教師のメアリーと出会う物語。

インディアンの血が濃いウルフと、白人である メアリーの出会いは、息子や娘の場合とはまたちがった 障害がたちはだかっていた。

これまでの話でも強調されてきたが、もし、メアリーが そこにあらわれなかったら、ジョーの戦闘機乗りの 将来はありえなかったのである。 ジョーが義母のメアリーに対して、完璧な信頼を寄せる 理由もここでわかる。

小柄な身体をしていながら、マッケンジーの大きな男 (自分で産んだ4人も含めて)たちの上に女王のごとく君臨する メアリーの若き日の姿は、 その力にめざめてゆく快感をともなって微笑ましい。

小さな田舎町の人たちにとって、タブーでもある ウルフの存在。かつて無実の罪で刑務所に入っていたこと、 自分たちとあまりにもちがう彼のワイルドな香り。 そんななかで、町じゅうを向こうに回して、 マッケンジーの男二人を味方するのが 南部からやってきた一人の女性、 メアリー・エリザベス・ポッターであった。

ウルフの血のなかにも流れるハイランドの勇猛さを、 メアリーもまた宿していた。 マッケンジーに限らず、リンダのヒロインたちは 「負けていない」のだが、 メアリーの勇気は、コミュニティのなかで偏見と闘うという、 勇気のなかの勇気でもあるといえる。 (マーズ)


『マッケンジーの山』 著者:リンダ・ハワード / 訳:高木晶子 / 出版社:ハーレクイン

2001年08月15日(水) 『鼻のこびと』

お天気猫や

-- 2002年08月14日(水) --

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『マッケンジーの娘』

☆マッケンジー・リーディング(その3)

まだまだ続く『誇り高きマッケンジー家』の第三話は 末娘のメアリスが主人公。 なので、私が読んでいるこのボックスセットでは 第三話となっているが、時系列ではかなり後のほうの話になる。 (次の『マッケンジーの山』が両親のロマンスで、 時間的には最初となる) 原題は『マッケンジーのマジック』。

そろいもそろって猛者ぞろいの 五人の兄を持つ娘、メアリス。 その母と同じく、小柄できゃしゃな身体に、 鉄の意志を秘めているマッケンジー家の宝。

そのメアリスの恋の相手は、 マックこと、アレックス・マクニール。 他の兄弟たちと同じく、早い段階でマックが 人生のパートナーとなることを知るメアリスだが、 そういう勘に対する男女の違いという意味でも、 兄弟たちより本能的に悟ってしまうのが面白い。

ディック・フランシスのジョッキーシリーズを 髣髴とさせる、競走馬の世界が舞台である。 メアリスは、これまでにもよく馬好きであると強調されていた だけに、リンダがどんな舞台を用意するのか期待していたが、 本格的な舞台立てはやはり、女王リンダならでは。 陰謀はメアリスの生命を危機に陥れ、 彼女にとって何より大切な馬も狙われる。 ちゃんと、馬の気持ちも描かれているのが、 馬とフランシスとリンダファンにはうれしい。

今回のロマンス、恒例の家族との引き合わせまで緊張する。 男ばかりの一族に生まれた大事な娘だけあって、 コミカルなスパイスを効かせてあった。

さて、次はいよいよ、ウルフとメアリー、 この野性味あふれる一族の基礎を築いた二人の物語である。 (マーズ)


『マッケンジーの娘』 著者:リンダ・ハワード / 訳:扇田モナ / 出版社:ハーレクイン

2001年08月14日(火) 『ピグルウィグルおばさん』

お天気猫や

-- 2002年08月13日(火) --

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『熱い闇』

☆マッケンジー・リーディング(その2)

『誇り高きマッケンジー家』の第二話、 原題は『マッケンジーのミッション』。 マッケンジーの長男で、 米空軍大佐(後に大将)ジョーのロマンス。 何をとっても抜きん出ているマッケンジーの男たちの なかでも、社会的に最も地位の高い人物である。 他人に心のうちを見せないジョーは、 アイスブルーの瞳を持つ、生まれながらの戦闘機乗り。 「夜の翼」と呼ばれる新型ステルス機のプロジェクト・リーダー でもある。 (典型的な戦闘機パイロットは明るいブルーアイだそうだ)

ロマンスの相手は、キャロライン・エヴァンス。 空軍基地に派遣されてきた彼女は、レーザーの専門家で 物理学の博士号を持っている。 幼いころから知能が高かったおかげで、まわりの同級生たちと 普通のつきあいができなかったキャロライン。 ジョーの義母メアリーに似て小柄ながら、 すべてにおいて負けていない28歳のキャロラインは、 35歳のジョーと対等に渡り合い、レーザーさながらに 氷を射溶かしてゆく。

おたがいに、見知らぬ自分にうろたえながら。

しかし、順調に進むかに見えた二人の関係を試すかのように、 国家機密プロジェクトを脅かそうと、 陰謀と裏切りの嵐が突然襲いかかる。 二人は立場を超えて愛を信じ切れるのか?

これを読んでわかったのだが、このシリーズでは、 一族の誰かが終生のパートナーを得て、結婚して 新しい家族が一族に加わるまでを描くというパターンなのだ。

そして、リンダの描く物語は、ゆるがない信念を 持っていることに改めて気づかされた。 出会うべくして出会った者たちは、きちんと結婚するのであり、 当然そうなるべきとき、恋の邪魔者などいないのである。 そんな話が面白いのか?と思うだろう。 ためしに、読んでみてください。 (マーズ)


『熱い闇』 著者:リンダ・ハワード / 訳:上村悦子 / 出版社:ハーレクイン

2001年08月13日(月) 『妖女サイベルの呼び声』

お天気猫や

-- 2002年08月12日(月) --

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☆コールデコットの絵本展

行きつけの小さな街の図書館で、コールデコット賞 (村上春樹風にいうとカルデコット賞?)を受賞した絵本の 展覧会をしていました。

私も初めて知ったのですが、コールデコット賞というのは、 毎年、前の年にアメリカで出版された絵本からすぐれた画家を選ぶ賞です。 14歳までの子ども向けの作品が対象となっています。

19世紀のロンドンに生まれ、子ども向けの、楽しく手頃な値段の絵本をたくさん書いていた絵本画家コールデコットの名前に由来しているとか。 コールデコットは、アメリカに渡って活動しましたが、39歳の若さで亡くなっています。

この展覧会は、個人のコレクターの厚意で、各地を巡回するのだそうです。大切に集められた本のなかには、クリスマスプレゼントであったことを示す書込みもあったり。たくさんの絵本が、多くは原書と日本語訳のセットで 並べられています。あの本も、この本も! 知らなかったすてきな本も、たくさん。 ずっと時代をさかのぼったのがすぐにわかる、 古びた空気をまとった本も。

会場には、コールデコットの書いた絵本「トイ・ブックス」の シリーズも何点か展示されています。 今でいえば、もしかすると100円ショップで手頃に買えるような 本に、最高の技術と子どもへのメッセージを込めたのでした。

すべてを手にとることはできませんでしたが、 あれこれと本を開くのがうれしかったひととき。

そして、つくづく思いました。 アメリカの子どもたちって、絵本に恵まれているんだなぁ。 こういう絵本を読みながら、大人になったんだなぁ。 私たちも、ときには同じ本を読みながら、 大人になったんだなぁ。(マーズ)

お天気猫や

-- 2002年08月09日(金) --

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『クリストファーの魔法の旅』

原題は『クリストファー・チャントの命』、 クリストファーとは大魔法使いクレストマンシーの本名だから、 当然この「命」は複数形のLivesとなっている。

そう、クリストファーには、猫のように9つの命がある。 少年時代の大魔法使いがどんな暮らしぶりだったのか、 どんなとんでもないことを考えていたのか、 情報に飢えていたファンへの贈りもののような内容。

だから、やっぱり、時系列では最初でも、書かれた順に、 つまり、大人になったクレストマンシーがどういう人物か、 先に知ったうえで読むほうが楽しいだろう。

彼がどうしてぼうっとしたうわの空の目つきをする クセがあるのか、なぜ銀に弱いのか、 今も回りにいる大事な人にどうやって出会ったのか、 そもそも、クレストマンシーの称号を継ぐことに 怖れや抵抗はなかったのか? そんな疑問がつぎつぎと明かされる。

クリストファーは、夢のなかで「あいだんとこ」と呼ぶ谷間を抜け、 他の世界へ─「どこかな世界」と彼が呼ぶ、12の系列世界へ、 無自覚に魔法の旅をしていたのだった。

この第四話はクリストファーの成長を追うストーリーだが、 なかでも大きな柱は、 魔法使いであるクリストファー少年が異世界を訪ね、 生ける女神アシェスとしてあがめられる少女と出会うという設定。 これは、かの古典ファンタジーの名作、 アーシュラ・K・ル・グウィンの『ゲド戦争記』の第二作 『こわれた腕輪』を連想させるが、 ゲドの魔法世界へのオマージュと取って良いのだろう。 実際、いくつも存在するという世界のなかには、 ゲドの世界、アースシーのように、 たくさんの島だけで成り立つ世界もある、と書かれているし。

本書はクレストマンシーシリーズのなかでも、異世界の描写や 魔法についての詳細さなど、ファンタジーとしての完成度が 最も高い、異色作といって良い。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、あとがきで、自分の書く物語の 特徴は、そこに書かれたことが実際に起こってしまうことだと 告白している。彼女や家族にだったり、訳者にだったり。

そういえば、私も白い仔猫を飼っている。 しかも、親を亡くした乳飲み子だったときに拾って。 これもダイアナのいうシンクロなのだろうか。 「何か」は、読者にも起こりうるのだろうか。

ともかくも、クリストファーと同じく、 私も、サーモンサンドイッチは当分食べたくない(苦) でも、クリストファーが「どこかな世界」で 何度か住民たちにもらってうれしそうに飲んでいた、 疲れの取れるあったかいお茶には、とても惹かれている。 (マーズ)


『クリストファーの魔法の旅』 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 訳:田中薫子 / 出版社:徳間書店

2001年08月09日(木) 『影との戦い─ゲド戦記(1)』

お天気猫や

-- 2002年08月07日(水) --

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『亡国のイージス』(その2)

出版界で大きな市場を占めていながら対象がほとんど女性という 特異な分野に「ラブロマンス小説」がありますね。 その反対で対象がほとんど男性の大市場ってなんだろうと考えたら 「戦記もの」がそれにあたるのではないでしょうか。 どちらも非日常的空間でわくわくと精神を高揚させ、 胸を熱くさせ涙を流させ、大きなカタルシスを与えて読者の心を解放する。 私は感情移入をするのが下手な質なのでどちらも読みませんが、 非日常空間でのカタルシスを得る読書なら、 難事件のトリックを解明して犯人を当てるミステリでやってるかな。

ハリウッドアクションばりの軍事小説『亡国のイージス』が 映画やゲームと違う点といえば、小説として 「情報」と共に素朴な「感情」を力一杯書き込んだ点でしょう。 客観的に見てどうしてそんな無意味な事を、と思うような場面でも、 その場に立ったら人間としてはそれはあるかも、と思わせてしまう、 映画の一瞬のカットやゲームの設定では手に入らない泥臭い説得力が強みです。

バブルの頃に否定され冷笑された「勇気」「熱血」「根性」という 昔懐かしい価値観は、沈滞した時代に華々しく復活しました。 人気の軍事アクションの舞台に、日本的な戦記ものの心が合体、 巨大な艦で自分の身を危険に晒しながら走る主人公達に、 頑張れオヤジ、馬鹿、死んじゃうぞ、と何千人の読者が叫び、 上部組織の愚かさを悔しがり、たおれ行く男達に涙した事でしょう。

主要人物のほとんどが感情過多の40〜50歳台、 唯一の若者は人を寄せつけない謎の美青年21歳、 オヤジ達から見れば理解できないけれど気になる息子のようなもの。 皆、経験のあるリーダーである必要があるので 自動的に年齢が上がってしまったとも言えますが、 著者の福井晴敏さんは当時30歳、 「濃い」人間関係を現実に持つ機会の少ない世代は 心の熱い頑固オヤジがやっぱり憧れなのですね。

物語の舞台が自衛隊なので国家論的に見えますが、 軍事フィクションの巨匠トム・クランシーが 自国を愛するあまり妙な方向にいっちゃったのと違って、 この人、本当はあんまり国の心配はしていないようです。 それこそ「亡国」の作家? いいんですよ、「自分」さえ亡くさなければ。 そして我らは亡国の読者。 面白ければ自国、他国の作品問いません。(ナルシア)


『亡国のイージス』(上・下)  著者:福井晴敏 / 出版社:講談社文庫

2001年08月07日(火) 『ヴァン・ゴッホ・カフェ』

お天気猫や

-- 2002年08月06日(火) --

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『亡国のイージス』(その1)

商店街の夜店で、自衛官に声をかけられました。 「自衛隊に入りませんか」(嘘)。 展示してあった海上自衛隊の艦船のパネルを眺めていたら、 「こちらと同型艦が入港しますので、是非見に来て下さい」 と日時と場所を教えてくれたのでした。 その港はうちから一番近い海です。

と、いう訳で、かんかん照りの真夏の日曜日、 出来たばかりでまだ閑散とした印象の近くの港に行きました。 あ、いたいた、護衛艦「はたかぜ」。 すらりとした護衛艦も、近くに立つと大きいですね。

デッキに立って、対空ミサイル単装発射装置の土台などを ぺたぺたと触っていると、案内係の自衛官さんに 質問しているおじさんがいました。 「今、自衛隊の持っている中で一番ハイテクで 一番強力な船はなんですか?」

それは、イージス艦。 ギリシャ神話の闘いの女神アテネの持つ 決して破られぬ楯「イージス」の名を冠した艦。 護衛艦乗りにイージス艦の優れている点を尋ねるのも 気の毒なので、連れが私にこそこそ話しかけます。 「イージスって、レーダーがものすごく良いんだよね?」 そうですね、それに対空ミサイルは垂直発射装置で29基同時装填。 よく映画で見るでしょ、甲板から真上にだだだっとミサイルが出る奴。 「それじゃこの艦は?」 ぺたぺた。 「こいつです。ターターで一発ずつ」 「うわー、、、、」 「でも、普通の護衛艦の中じゃ最強ですよ」

いくら優秀な楯であっても、イージス艦は全国にたった4隻。 それだけじゃ全然国土のカバーは出来ないので、 ばか高価いイージス艦なんてあっても意味ないじゃん、と言われる。 そこで、1999年に出版されて大人気となった軍事アクション小説、 『亡国のイージス』では既存の護衛艦を大改修してミニ・イージス・システムを 搭載、全国をカバーするシステムを構想しました。 その物語に登場する護衛艦「いそかぜ」は 今私がぺたぺた触っている「はたかぜ」の同型艦です。 「護衛艦ってのは?」 「駆逐艦の事です」 「あー、自衛隊だからdestroyerだとヤバい訳ね」 「多分」

舞台はミニ・イージス・システムを搭載した最初の自衛隊護衛艦、 そして小説のタイトルを見ればだいたい内容は想像できますね。 これは海を舞台にした『ダイ・ハード』。 スティーブン・セガールの『沈黙の戦艦』と舞台も設定も似ていますが、 セガールの役は滅茶苦茶強い元シールズなので全然危なげなし。

一方こっちの主役は退役も近い伍長さん、 ベテランの技と人情の厚さで押しまくる庶民派オヤジヒーローです。 ただ、国防をめぐる背景が深刻ですし、人物設定も徹底的なので 重苦しい出だしに辟易して放り出されるかもしれませんが、 実際にはこの小説は「国家」を論じている訳ではなくて、 敵も味方も外野も家族も、突き詰めれば「個人」として動いています。

さあ、人気沸騰した『亡国のイージス』、文庫版が出ました。 暑い真夏に熱い艦に乗りにいこう。(ナルシア)


『亡国のイージス』(上・下) 著者:福井晴敏 / 出版社:講談社文庫

2001年08月06日(月) 『グリーン・ノウの煙突』

お天気猫や

-- 2002年08月05日(月) --

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『魔法使いはだれだ』

☆パラレルワールドの七不思議。

大魔法使いクレストマンシーのシリーズ。 シリーズといっても、出来事に時間の関連はほとんど ないので、好きな順番に読むといいのかも。 ちなみに私は『魔女と暮らせば』に続いて2作目。

私たちのいる世界とはまた少しちがって、魔法使いや魔女だと わかったら、すぐ火あぶりにされてしまう世界。 そんな世界で、魔法使いはびくびくして暮らさねばならない。 英国の寄宿学校を舞台に、2年Y組の誰が魔法使いなのかを 解いていくストーリー。

糸が絡みすぎてあわや!というところに 別の世界から謎の大魔法使い、クレストマンシーがやってくる。 いつもの伊達男ぶりを嫌味なほど崩さずに、 うわのそら症候群にも見えかねない、 ぼうっとした目をした救い主が。

クラスの子どもたちが何人も主人公になっているので、 誰が誰か、最初は少し混乱してしまう。 いじめっ子もいれば、いじめられる子もいるし、 女の子たちのドロドロだってある。

そういう、どこにでもありそうな子どもたちのいる世界の、 どこがどうおかしいのかを説明するのに、 虹の七色が使われているのはユニークだった。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、トールキンの 教え子なのだそうだ。これぞ、大魔法使いの弟子。

私の先月からの謎もついに解けた。 7月のある朝、アタマで回っていた言葉、 「ティンブクトゥ」は、この本のなかにあったのだ。 おそらくパラパラと開いてみたときに、視野に 入っていたのだろう。 言葉自体に意味はなかったし、 本のノドという見えにくい場所にはあったけれど、 太字になっていたものだから(笑) (マーズ)


『魔法使いはだれだ』 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 訳:野口絵美 / 出版社:徳間書店

お天気猫や

-- 2002年08月02日(金) --

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『愛は命がけ』

☆マッケンジー・リーディング(その1)

ボックスセットで2002年の春に予約販売で刊行されたものを シィアルから借り受けて読んでいる。 リンダの代表作とも言えるシリーズの主役たち、 マッケンジーとはどんな一家だろうと思っていた。 『誇り高きマッケンジー家』とサブタイトルがついている。

このシリーズ最初の数ページを読むうちに、 鳥肌が立った。 マッケンジー家は、インディアンの血をひく一族だったのだ。 そう、リンダ・ハワードと同じように。 これがおもしろくならずして、どうなるというのか。

第一作は、シールの戦闘員であるゼイン・マッケンジーと リビアで人質となったギリシャ在住の米大使の娘、 ベアリー・ラブジョイとの衝撃の出会いから ハッピーエンドとその後までを描く。 ゼインはマッケンジー家の息子のひとり。 家長であるウルフの子どもたちのなかで、 一番頼もしいが、一番危険な仕事についているゼイン。

出版元はハーレクインではあるが、単発の作品と同じく、 リンダらしい細部のこだわりは、ロマンスファンならずとも 楽しめるはず。 ロマンスファンなら、例によって濃厚なラブシーンはともかく、 完璧ともいえるゼインのベアリーへの思いやりに 感動してしまうにちがいない。

そしてリンダの作品の特徴でもある、過去に傷ついた者もいる。 本書では、捨てられて路上で育った、 インディアンの血をひく少年チャンスが マッケンジー家の養子となり、心を開いてゆく様子、 ゼインとの確執と和解もストーリーのひとつの柱となっている。

続編以降のマッケンジーシリーズでは、 この多才な経歴を持つ精力的な一族の伝説が余すところなく 語られるのだろうと期待している。

個人的には、かつて入れ込んでいたリビアの街が 出会いの舞台という設定がなつかしくもあった。 (現実に行ったことはもちろんないし、行くこともないだろう) (マーズ)


『愛は命がけ』 著者:リンダ・ハワード / 訳:霜月桂 / 出版社:ハーレクイン

2001年08月02日(木) ☆O・メリングの新作『夏の王』と、『ジャッキー、巨人を退治する!』

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