2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る

『ジャンヌ・ダルク』を観なくてはと思っていた。今書いている短編映画のモチーフに使う計画があって、シナリオに「ジャンヌ・ダルク」と書いたものの、歴史の教科書に出てくる「白旗持って隊を率いる絵」しか思い浮かばない。引用するからにはもう少し知っとかないと……などと考えていた矢先だったので、「ジャンヌ・ダルクのビデオを観ませんか」の電話が来たときは、びっくりした。

神の声を聞いた少女が主人公の作品だけに、ちょっぴり神がかり。

しかも、土井たか子さんと一緒にと言う。リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボビッチ主演のジャンヌ・ダルクについてコメントするという依頼が土井さんのもとに舞い込み(憲政史上初の女性衆議院議長を務めた土井さんを『政界のジャンヌ・ダルク』と呼ぶ声があるとか)、ビデオ鑑賞のおともに声がかかった。土井さんとは前に一度お会いしたことがあり、わたしが映画の世界に首を突っ込んでいるのを覚えていてくださったよう。脚本を書いていると、思いがけないところにつながる。

衆議院議員会館に着き、空港にあるような手荷物チェックを受け、金属探知機ゲートをくぐり、土井さんの事務室へ。議員さんには一人にひと部屋割り当てられているそう。はじめて来るので、何を見ても珍しくて、社会見学気分。壁は本と資料がぎっしりで、電話がひっきりなしに鳴っている。大学の研究室に似た雰囲気。

電話のないほうの応接間のテレビで観る。「そこのドアを閉めたほうがdisturbされないんじゃないですか?」と、土井さんは言葉遣いがエレガント。年齢を感じさせない若々しさと存在感を備えたこの人、「CMに使いたいキャラクター」として、アイデア出しでよく名前が挙がる。現職議員の起用はできないのだけど。

観終わった土井さんは開口一番、「ジャンヌ・ダルクは英国軍に撤兵を何度も呼びかけ、平和的解決をはかろうとしたのよね」。「結局は大義のための戦争をすることになって、勝利と引き換えの惨劇を目の当たりにして、こんなはずじゃなかったって後悔するわけですよ」と熱く語る。映画を観るときも「がんこに平和」の人なのだった。

わたしの感想は、「答えのない、救いのない映画」。かなり史実に忠実に描いたそうなので、ジャンヌの人生そのものが答えのない、救いのないものだったのかもしれない。土井さんも同感で、「答えを作品の中に求めるのではなく、考えさせられる作品でしたね」。

ジャンヌが聞く「神の声」は「内なる心の声」なのでは、とも話した。人は皆、自分の心に耳を傾け、自分を信じて前に進んでいくしかない。少女時代のジャンヌが草むらで見つけた剣を空にかざすシーンを見て、わたしは「剣と十字架は似ている」と思った。

剣も十字架も信じるよりどころになるけれど、どちらも信じすぎては災いの元。

そんなことをリュック・ベッソン監督が考えたかどうかはわからないけれど。土井さんのコメントは来週収録、1分半ほどに編集され、9月21日(火)深夜1時半からの「映画楽園シネパラ」の冒頭コーナー「THE NEXT 金曜ロードショー」で紹介されるそう。作品はその週の金曜ロードショー(9月24日 21:03〜23:24 30分拡大)で放映予定。

2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子

アテネオリンピックは一視聴者として楽しんでいるけれど、それ以上の関係はないと思っていたら、あった。せーリング女子ミストラル級に同姓同名の今井雅子さんが出場していたのだ。そのおかげで「オリンピック出てるねー」と同僚にからかわれたり、「今井雅子」で検索してサイトにやってくる人が増えたり、「がんばってください」という激励のメールが舞い込んだりしている。前回のシドニーにも出場されていて、そのときも同じようなことがあった。

「料理もするんですね」というメールをときどき受け取るが、料理研究家にも今井雅子さんがいる。わたしも料理はするけれど、失敗談を聞いた人を勇気づける腕前なので、本物の今井雅子さんには申し訳ない。画家の今井雅子さんもいるし、近所の東洋大学には今井雅子ゼミがある。京都のHISにいたとか、雑誌の当選者発表で見たとか、あちこちから同名さん情報は寄せられる。

いまいまさこカフェのゲストブックにも「私も今井雅子です」と書き込みがあった。Yahoo!で「今井雅子」を検索したら、1255件ヒットした。「正子」や「昌子」もいるし……とひらがなの「いまいまさこ」にすると103件に減少。ちなみに「今井正子」は118件、「今井昌子」は35件で雅子が圧勝。わたしは祖父が正太郎、父が正義なので、順当に行けば「正子」になるはずだったけど、「画数が少なすぎる」と母が言って「雅子」となった。今井は旧姓だけど、職場では名刺も名簿もそのままだし、ペンネームにもなっているので、今井雅子と名乗ることのほうが多い。珍しい苗字ではないのに、本名で検索すると、18件しかヒットしなかった。

少し前、朝日新聞Beの「こだわり会館」(マニアックなこだわり人を荒俣宏が紹介するこのコラム、大好き)に同姓同名さんを探している田中宏和さんが出ていた。同士で集まるときのメールのあて先が田中宏和だらけ、なんて想像するだけでおかしい。今井雅子さんに遭遇する確率は、田中宏和さんよりも高そうな気がする。

2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 

会社の仲良しトリオの一人、E君の誕生日を祝って五反田のTOKYO OYSTER BARへ。「牡蠣ならココ!」とグルメな同僚が絶賛していたお店で、間口の狭い小さな2階建ての店内は満席。「牡蠣はRのつく月に食うべし」の法則はこの店にはあてはまらないようで、世界の海から食べ頃の牡蠣が集結。生牡蠣(薬味をいろいろ試したけど、やっぱりレモンがいちばん!)、チーズとサワークリームとサーモンとイクラと合わせた牡蠣(大好きなものがすべて一つの殻に!)、牡蠣フライ(大ぶりの身で食べ応え十分)、牡蠣の石焼ビビンバ……誕生日を祝うという本来の目的をほとんど忘れて、ひたすら牡蠣を堪能。メニューのバリエーションが豊富なので、牡蠣づくしでも飽きない。シャンパンと白ワインによく合って、幸せ。店員さんにすすめられたタコスもおいしかったけど、これは牡蠣ではなかったような……。店員さんの爽やかな対応も好感。

こんなにおいしい牡蠣を大学生までは食べられなかった。ニューオーリンズのオイスターバーに入ってサラダを食べてしまったのが悔やまれる。

2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展

■プレゼンから直帰したので、ずいぶん早く家に着く。さて何しよう、と思ったとき、あれはいつやるんだっけと『江戸川乱歩と大衆の20世紀展』のことを思い出す。5月から冷蔵庫に貼ったままになっていた情報誌『池袋15分』の切抜きを見ると、8/19〜24。今日行くしかない!と急いで池袋に向かう。■乱歩は昭和9年から昭和40年に71才で亡くなるまで、立教大学のすぐ近くの土蔵つき借家で暮らした。没後40年近くを経て、『幻影城』と呼ばれる土蔵ごと旧乱歩邸が立教大学の帰属に。大学創立130年を迎えるにあたり、はじめて土蔵を一般公開するとともに、土蔵の中の資料を披露する展覧会を開く運びとなった。まずは、展覧会場の東武百貨店10階催事場へ。客層は30代以上、男性多め、女性は個性的なファッションの方が多い。皆さん本好きそうな顔に見える。関東大震災前、乱歩は浅草にいくつかあった演芸場に通っていたとかで、十二階楼のあった頃の浅草や乱歩の手書き地図が展示されていた。数時間まで浅草の得意先にいたので、不思議な感じ。デビュー作『二銭銅貨』をはじめとする手書き原稿、文人たちと交わした書簡、弟たちと三人書房をやっていた頃の記録とその頃(新婚でもあった)の住まいの再現、土蔵の書棚、昭和三十年頃の貸し本屋の再現、西鶴の本や手品本などのコレクション……整理好きの乱歩は、自分の本はすべて手元に置き、さらに、自分に関する新聞記事や見に行った芝居のチラシなどをスクラップ帳に貼り付けた「貼雑年譜」というのを作っていた。将来の展覧会を見越していたような準備の良さ。以前、『世界ふしぎ発見』で「乱歩は自分の書いた手紙の控えを取っていた」ことがクイズになっていたが、カーボン紙で取った写しも展示されていた。「どうして人は他人のものを集めたがるのだ。誰よりもかわいい自分のもののほうが面白いし、自分のものを集めるのは自分がいちばん適任なのに」といったことを語っていたそうだが、その言葉が何より印象に残った。■興味が膨らんだところで、旧江戸川乱歩邸のある立教大学へ移動。立教といえば、学生時代の甲子園ボウルでチアの子たちと交流があった。ユニフォームがオレンジ同士で似ていて、みんな明るくて気持ちいい人たちだった。全員、開脚ジャンプでトータッチができて驚いたなあ……などと思い出すうちに到着。「混み合っていて、60分待ち」と言われ、大講義室に通される。3000人が訪れた昨日は80分待ちだったとか。流れているビデオを観たり、図録を読んだりしていたら、きっかり60分で順番が回ってきた。豊島区の有形文化財に指定された土蔵は建築学的にも意味のあるもの(白でも黒でもないねずみ色の漆喰を施されていたとか、震災の後で壁にスパイラル状の金網が入っているとか)なんだそう。壁は当初のねずみ色に塗られ、中は保存のためガラス張りになっていた。ガラス越しに見た書棚には『ゲーテ対話の書』『日本馬術史』『推理小説の歴史』『柿本人麿全集』などが並び、シャーロック・ホームズや児童心理学や法医学の文字も見えた。洋書も多かった。「蔵書が書庫(しかも建物)ごと保存」されるのは稀なケースで、大学は膨大な資料との格闘を続けることになりそうだが、遺す人あり、守る人あり、おかげでいいものを見せてもらえた。住居の書斎も公開されていて、壁には棟方志功や村山塊多の絵が飾られ、高島屋や三越で買い求めた絨毯や調度品が並び、乱歩がフィルムで撮った家族の映像が流れていた。■乱歩の人間くささを知り、ぐんと親しみが沸いた。ゆかりの地がお散歩コースの池袋にあるのも何かの縁。講演会に落語会にと関連イベントはまだまだ続くようで、新文芸座では9/4〜17まで江戸川乱歩映画祭が開催される。


2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)

■「水」のサンプルをいただいた。H2O(水)+H2(水素)=H4O(水素結合水)というのだそう。ウィダーインゼリーのような180ml入りのアルミパッケージは、すっきりと研ぎ澄まされたデザインで、この手の健康系にありがちなゴテゴテ感もファンシーさも薀蓄もない。自信の表れなのだろうか。サンプル5パックと一緒に入っていたパンフによると、H4Oには「酸化」を「還元」する効果があるのだとか。体のサビをきれいにしてくれるということだろうか。アトピーなどに効く模様で、パンフには「使用前」「使用後」写真が紹介されている。化粧品のコピーを担当していた頃は、「水が肌をつくる」なんて化粧水のコピーを書いていた。細胞を支える水は、体の基本。大事、大事。■早速1日1パックで5日間続けてみた。最近はビフィズス菌のおかげでアトピーも出ていないので、とくに変化は見られない。若返ったとかキレイになったという声もなし。たった5パックで劇的な変化があるのもかえって怖いかもしれない。でも、体にいいものを取り入れているというプラシーボ感覚は味わえた。「水素で還元」って科学的な響きは、何だかありがたみがある。気になるお値段は16パックで8400円。1パックあたり500円強の計算。1日1パック飲まないと効果なしだと、ちょっとお高い買い物になる。たまに飲むだけでもいいのだろうか。10月には「水素浴」できるフェイシャルスプレーやスポーツ飲料やペットウォーターが発売されるとのこと。価格などはまだ発表されてないけど、こちらはもう少しお手軽かも。

2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2004年08月19日(木)  色数はあるけど色気がない

『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんと食事をしていたら、突然、「今井さんって、色気感じないねえ」と言い出した。

今さら大発見でもないので、「そうですねえ」と相槌を打つ。普通の人はそれ以上踏み込まないのだが、益田さんは「なんでかねえ」と考え続け、話題が途切れるたびに「黒とか着ればいいんじゃない?」とか「仕草が女らしくない」とか勝手にアドバイスし、「胸がないからかな。でも、ジェニファの試写会のとき、上げ底してたけど、やっぱり色気なかったわねえ」とヘンなことまで思い出す。

もう、ほっときなさい!

益田さんは、あるとき「女の魅力で映画の出資を取りつけたんですか」と聞かれて、唖然としたらしい。「そんな風に見ている人がいるって、びっくりしちゃって」と言うが、「それ、褒め言葉とも受け取れるよ」とわたし。「魅力がある」って認めてくれてるんだから。正確には「魔力」なんだけど。

わたしはと言えば、色数が多いとは何度も言われたことがあるけど、色気があると言われたことは一度もない。あるとき「今井は色仕掛けで脚本の仕事を取っている」という噂が流れかけたが、すぐに「色気ではなく色数で惑わせている」と修正情報が定着してしまった。やれやれ。

誰が見ても評価はあまり変わらないようで、先日、会社の飲み会で「助手席に乗せたい女」の話題になり、社内のいいオンナの名前が次々と挙がったとき、誰かが「今井はどう?」とジョーカーを投げこんだ。すると、すかさず「それは誘拐だろっ」と反応があり、一同大爆笑。若いとは言われたいけど、子どもまで若返りたくはない。

同僚と三人で東京ディズニーランドのレストランに入ったとき、あとの二人には熱いお茶が出て、わたしにだけ水が出たという事件もあった。わたしもショックだったけど、「今井先輩の母」にされた後輩の女の子も傷ついていた。わたしが着ていた赤地に白い水玉のシャツが、ミニーちゃんのコスプレに見えたらしい。やれやれ。

2002年08月19日(月)  大阪は外国!?


2004年08月18日(水)  スチームボーイと津嘉山正種さん

■まわりで何かと話題の『スチームボーイ』を観る。製作費24億円とかで、とにかく絵の作りこみがすごかった。機関車や飛行船や潜水艦や戦車、出てくる乗り物はどれも眩暈がするほどディテールが描きこまれていて、とんでもないもの作ったなあと圧倒される。■わたしの目当てはスチームの力に魅入られたエンジニア、エドワード役の津嘉山正種さんの声。津嘉山さんとは先日、CMのナレーションのお仕事ではじめてご一緒し、その人柄とプロ魂にすっかり魅了されてしまった。こちらがOKを出しても「本当に今のでいいでしょうか。こういうのはどうでしょう」と別な引き出しを開けては、違った表現を見せてくれる。「読むだけじゃなくて魂込めないと、役者に(ナレーションを)発注した意味がありませんから」などと渋い声で言いながら。収録中も右手にはタバコをはさんだまま。その姿がさまになる。すべてが渋い人だった。最近は会う人ごとに「津嘉山さんってすごい役者さんですよね」と話しているのだが、「20年前にあの人の舞台の劇場中継の仕事やって以来、注目しています」とか「ケビン・コスナーの吹き替えの人ですよね」とか、ファンが多いことに気づく。宮崎あおいちゃんのマネージャーの小山さんに「CMの現場でタレントはどこまで踏み込んで発言できるんでしょう?」と相談されたとき、「タレントのわがままじゃなくて、作品のための提案だったら歓迎されると思う」と津嘉山さんの例を話したら、「つーさん大好きです!」という反応。ドラマ『ちょっと待って神様』であおいちゃんと体が入れ替わった泉ピン子さんのダンナさん役だったそう。あちらこちらでいろんな人の心をつかんでいる津嘉山さん、エドワード役にも聞き惚れた。

2002年08月18日(日)  24時間テレビ


2004年08月17日(火)  サービスって?

アンダティバリゾート2日目。チェックアウトしてから、読みかけの本の続きを読むためにライブラリーへ。滞在中に長編小説2冊と絵本を一冊。6時間は藤椅子に座っていたと思う。普段は通勤の合間にちょこちょこ読むばかりで、じっくり腰を落ち着けて本を開く機会はなかなかないので、貴重な時間だった。期待が大きすぎると落胆が大きくなることもあるけれど、ここのホテルは期待に十分応えてくれた。一言で言うと、居心地がいい。バリのお香、さりげなく流れている音楽、目に優しい明かり、部屋着の作務衣、どれも心地よかった。とくに言葉を交わさなくても他のゲストの人たちの楽しんでいる空気も伝わってきて、ビリヤードの弾ける音や、オセロに興じるカップルの笑いも、幸せな空気を作っていた。スタッフの方の爽やかな受け答えも、リゾートらしくて好感。ゲストを楽しませることを楽しもうというエンターテイメント精神が伝わってきて、東京ディズニーリゾートのキャストのノリに近いものを感じた。■自分がこうされたらうれしい、という想像力と創造力を働かせてやってみる。サービスって、そうでなくちゃ。なんて思いながら岐路についた途中で対極のサービスに遭ってしまう。お昼を食べようとお店に入ると、「座敷に上げるしかないか」「仕方ないね」と、客に聞こえる声で相談する店員。普段使っていない座敷なのかと思ったら、すでに他の客は席についている。四人がけの卓を二人で使われるのが「しょうがない」のだろうか。隣の卓の家族連れが食事を終えて出て行くと、その卓の上で空いた食器を重ねはじめた。ザバザバーッと派手な音を立てて残り物の汁が空けられていくのを見ていると気分が悪くなり、運ばれた料理の味がよくわからなかった。一度限りの観光客だけ相手にしていればいいというスタンスだと、ああなるのだろうか。座席のことも後片付けのことも効率優先の表れだろうけれど、食事を出す店が、まずい気分を味わわせちゃいけないんじゃないの。せっかくの旅行の後味が悪くなってしまって残念。

2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉


2004年08月16日(月)  伊豆高原のアンダティバリゾート

■13日から17日まで5連休取っていたので、後半は伊豆へ行くことに。こないだ美容院で読んだオズマガジンのリゾートホテル特集で目をつけたホテルのサイトを比べてみて、いちばんよさげだったアンダティバリゾートに14日夜電話すると、最後の1室。空いててよかった。ここが気に入った理由は、「宿泊料にフリードリンク、卓球、ビリヤード、カラオケ、貸し自転車などなどが含まれております」という料金システム。サイトのBBSを読むと、泊まった人の満足度も高そうなのが決め手になった。
■新幹線と踊り子を乗り継ぐと、東京駅から1時間40分で伊豆高原着。踊り子一本で行くよりずっと早い。荷物を預けて、かんかん照りの坂道を登り、グルメ厨房 生田で昼食。看板に「蕎麦とキャベツロール(ロールキャベツとは言わない)」とある。蕎麦が食べられないわたしは、野菜たっぷりのプロヴァンス風味キャベツロールを注文。これが期待以上においしく、驚く。豆腐半丁ぐらいの大きさのどっしりした塊にトマト味がしっかり染み込んで、至福。シェフの料理はフランス仕込みで、練馬でロールキャベツ専門店をやっていた時代もあるらしい。
■地図を見ると、さらに坂を上がったところにリフト乗り場がある。店のおかみさんに聞くと「車で10分ちょっとだから、歩くと40分はかかるかしら」。結局1時間以上かかって大室山登山リフトに到着。噴き出した汗に、売店のおばちゃんもびっくり。リフトで山頂に着いて、盆地のようになっているくぼみのまわりをぐるっと歩く。くぼみの底はアーチェリー場。帰りはタクシーでと思ったらそんなものはなくて、同じ距離をひた歩く。車道の脇で、景色はあんまり面白くない。約4時間歩いて、足はクタクタ。■ホテルに戻り、バリ風和室(なかなかいい感じ)の冷蔵庫を開けると、「この中のドリンクはフリーです」とビールとお茶とコーヒーとゼリーがお待ちかね。ひと風呂浴びて、さあ夕食。ダイニングバーとカラオケの会社がやっているホテルと聞いて、飲み放題コースの料理みたいなのが出てきちゃったら……という不安がよぎったけれど、焼きたてパンと一緒に出されるコース料理は、びっくりするメニューはないけれど、見た目にも楽しく満足。ディナーの飲み物はフリードリンク。さらに22時から1時間のバータイムはフリードリンクと夜食(今夜は冷麺)が出る。

■食事の後、もう一度お風呂に入り、ライブラリーに立ち寄ると、読みたかった本をいくつか発見。オレンジ色の光の下に高さを調節できるリクライニングの藤チェアと足を投げ出せる台が並び、さあ本を読みなさいという環境。結局、ビリヤードにも卓球にもカラオケにも目もくれず、ライブラリーに居座ることに。

2003年08月16日(土)  6人で400才
2002年08月16日(金)  持ち込み企画


2004年08月15日(日)  ハリケーン・チャーリーさん

■BSニュースを見ていたら、フロリダのハリケーン情報が流れていて、「ハリケーン・チャーリー」という名前が出てきた。「台風・雅子」みたいな感じで妙にフレンドリーだなと思っていたら、「ハリケーン・ダニエラ」「ハリケーン・アール」というのまで出てきた。これはどういうことかと探ってみれば、アメリカの太平洋の気候の研究機関のハリケーン研究部署に答えを発見。これによると、太平洋、メキシコ湾、カリブ海にやってくるハリケーンにはアルファベットのA,B,Cではじまる名前がつけられることになっていて、わたしがニュースで聞いたのは、Charlie、Daniella、Earlだったとわかる。名前は何年も先まであらかじめ決まっていて、男女平等の精神なのか男、女が交互になっている。ページをスクロールすると、他の地域のハリケーンにもそれぞれ名前がついている。日本で言う「台風1号2号3号……」が「ハリケーンA男、B子、C郎……」となっていたとは知らなかった。少なくとも1945年からは続いていて、78年までは女性の名前だけだったとのこと。へえー。

2002年08月15日(木)  川喜多記念映画文化財団

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