2004年07月28日(水)  日本料理 白金 箒庵(そうあん)

■白金のプラチナ通を歩くたびに、「こんなところに風流な趣の日本家屋が……」と気になっていた建物は、箒庵という名の日本料理屋だった。願いが聞き届けられたのか、今宵、このお店でご馳走になることに。店構えからも店員さんの物腰からも、しっとりした空気が漂う。食事は「お肉のコース」と「お寿司のコース」を半々頼んで、和気あいあいと分け合う。味付けは上品で、どれも「もう少し食べたい」量が供される。デザートの水まんじゅうまで、おいしゅうございました。お店を出てから、昼食にちょくちょく通っている乃木坂の和食屋『志門』の姉妹店だとわかって納得。ランチは5000円前後の様子。夜は自腹で行くにはかなり背伸びが必要なので、またご馳走の機会に恵まれますように。


2004年07月27日(火)  コメディエンヌ前原星良

■『パコダテ人』の名子役・前原星良(せら)ちゃんのママから「オーディションで青山に来てまーす」とメール。表参道で遅めのお昼を食べているところをキャッチして、ひさびさに前原母娘と再会。小学2年生になった星良ちゃん、印象は、はじめて会った幼稚園児の頃とそんなに変わってない。あいかわらずマイペースで甘えてきて、子猫がじゃれてくる感じに似ている。顔は犬(たぬき?)系だけど。所属事務所のピノキオプロモーションのブックでは3番手につけていて、オーディションにも引っ張りだこ。お座敷の数では負けないのだけど、「いつも最終のいいところまで行って落ちちゃうのよー」とママは悔しそう。でも星良ちゃん本人は「えへへ」とへらへらしていて、大物の予感。「写真撮ってあげるぅ」とママの携帯をこっちに向けてきたので、「かわいく撮ってね」と言うと、すかさず「かわいくなってね」とにこやかに返してきた星良ちゃん。バラエティも行けるんじゃないかなー。

2002年07月27日(土)  上野アトレ
2000年07月27日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月26日(月)  ヱスビー食品「カレー五人衆、名人達のカレー」

去年の5月、突然レトルトカレーの面白さに目覚めた(>>>2003年5月25日 レトルトカレーの底なし沼)。紙の箱の中にレトルトパウチの袋、その中にカレーというルールの中でそれぞれが個性とワザを競わせていて、それを見比べ、食べ比べるのは、なかなか味わい深い。グラム数や原材料のスペックを読み比べるのも、けっこうはまる。以来、新種や珍種を見つけては、手にとって楽しんでいる。最初はいまいまさこカフェの中に「レトルトカレー食べ比べ」のページを作ろうかと考えたのだけど、サイトで検索すると、何百種類も制覇しているツワモノが続々出てきて、恐れ入って退散。スパイスの微妙で絶妙な掛け合わせから生まれるカレーは、極めたくなる要素を秘めているのかもしれない。

カレー界の「通」と一目置かれる東京カリー番長のみずのじんすけさんは、会社の後輩の友人で、以前から噂を聞いていた。そのみずのさんが開発に携わったという「カレー五人衆、名人達のカレー」が7月12日に発売され、早速いただく。箱の中には欧風カレーとインドカリーがひと袋ずつ。別々に食べてもいいし、混ぜてもいいとのことで、両側から攻めて行き、最後は渾然一体となったところを味わう。混ぜたときに味の底力を感じる一品。「パク森カレー」をはじめ、ヱスビー食品のカレーは裏切らない。冷蔵庫の掃除がてら山芋、みょうが、大葉、オクラをたっぷりかけたら、これがよく合った。ちょっと、じねんじょカレー風。

みずのさんは『俺カレー』『東京カリー番長の神様カレーguide150』『東京カリ〜番長のザ★カレー』という本も出されていて、いずれも『ブレーン・ストーミング・ティーン』より売れている。ちなみに『東京カリー番長』は「5年前に結成された4人組の出張料理ユニットでリーダー、炊飯主任、調理主任、DJ主任がいまして、水野は去年までリーダー。現在は料理研究家としての活動に重きを置いているので調理主任になりました」と、こないだの七夕の日にめでたく彼の妻となった会社の後輩ミユキちゃん。彼女は出張スイーツユニットをやっているので、辛いものと甘いものの最強カップル誕生!となった。

他に最近食べたのは、「ナイルさんの野菜カレー」と「華麗なる食卓 バターチキン味」。ナイル〜は銀座の老舗、ナイルレストランで食べた味を思い出したので、再現度は高いと思う。華麗なる〜は同名の漫画とのタイアップ商品で、「華麗」と「カレー」のダジャレが楽しい。フルーツカレーに近い印象。

2002年07月26日(金)  映画『月のひつじ』とアポロ11号やらせ事件
2000年07月26日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月23日(金)  ザ・ハリウッド大作『スパイダーマン2』

■昔はハリウッドの大作しか観なかったのに、98年の函館の映画祭で、これまで見向きもしなかった低予算邦画の面白さに目覚めてからは、ミニシアター系ばかり観ている気がする。話題沸騰の『スパイダーマン2』も最近のストライクゾーンからは外れているのだけど、仕事で手がけたCMのシネアドが今日まで上映ということで、同僚T嬢とともに駆け込む。美大で映画を専攻したT嬢は大の映画好きで、「スクリーンで観るからには、観た!って満足させてくれなきゃイヤ」と言う。そんな彼女はもちろん『1』も観ていて、『2』はこの夏の本命なのだった。■製作費は220億円とかで、オープニングタイトルからして凝っている、金がかかっている。そして、スパイダーマン登場。ビルの谷間を蜘蛛ターザン状態でびゅんびゅん抜けていく映像の気持ちいいこと。画面がしなっている感じ。スパイダーマンの動きもすごいけど、ドクター・オクトパス(自分の手足+人工頭脳アーム4本=8本足)の迫力もすごい。さらにスパイダーマンとドク・オクがビルの壁で、走行中の電車の上で繰り広げる対決シーンになると、口が開きっぱなし。何がCGで何が特撮だかわからないけど、こんな映像を作ってしまうことにただただ驚く。それでいてスリルだけかというと、ストーリーもしっかり作りこまれている。『1』を観ていないわたしにも、キャラクターの設定や相関関係はすごくわかりやすかったし、それぞれの人物に共感できるように丁寧に描かれていた。ヒロインのメリー・ジェーンはもう少し華があるほうがいい気もしたけど、彼女とピーターの会話は書き留めたくなる台詞がいっぱいあった。いい台詞は日本語に訳しても、光っている。脚本家チームが練りに練った言葉なのだろう。ひさびさにハリウッド映画を観た!という気分を味わって大満足。でも、何百億もかけた作品と同じ1800円で張り合わなきゃいけないと考えると、映画製作に関わる一人としてはフクザツ。予算のスケール=感動のスケールとならないためには、アイデアで勝負するしかないわけで……。■劇場は『風の絨毯』も上映していたAMCイクスピアリ16。シネコンに入るのもひさしぶり。座席はゆったり、しかも空いていて観やすい。向かいにセガフレードがあるのも魅力。会社の近くにあったら通いたいほど。次は明日から燃焼系ロードショーの世界初!ムエタイ・アクション超大作『マッハ!!!!!!!!』(!8つが正式名称のよう)が気になる作品。

2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ


2004年07月21日(水)  明珠唯在吾方寸(良寛)

■準備中のシナリオの取材のため、余語先生と会食。わたしが親しくおつきあいしている友人の最年長者で、つい先日まで昭和四年生まれと勘違いしていたのだが、一年早い昭和三年生まれとのこと。「慶応幼稚舎に入り直したときに落第しましてね」。小学一年生を二回やっているので同級生より一才年上なのだそう。知り合ったのは四年前だが、いつ会っても年の差を感じるどころか、「負けそう」と思うほどお元気で、食欲も知的好奇心もモリモリ、よくもまあと感心するほど何にでもアンテナを張り、新しいものや面白いものをつかまえては教えてくださる。■今日もA4サイズの手提げから「四次元ポケットか!?」というほど次々と本やチラシが飛び出し、「こういうのご存知ですか?」攻撃に遭う。数多い趣味のひとつとして「篆刻」をたしなまれる先生は、わたしのリクエストに応えて「雅」という手彫りの判子を制作中。当然、篆刻にもアンテナを張っていて、先日、銀座で通りがかった篆刻展が気に入って二度足を運び、作家の垣内光(かきうち・ひかり)さん(篆香会主宰のチャーミングな女性とのこと)ともお話ししてきたそう。作品集を買い求めてきたというので見せてもらうと、一文字一文字が絵画のようで、漢字が象形文字からはじまったことを思い出させてくれる。言葉の持つ意味と広がりを文字の顔つきで表現する技術に驚き、「篆刻って面白い!」と興奮。篆刻の出来栄えもすばらしいけれど、彫られている言葉がまたすばらしく、垣内さんがつけたと思われる訳とあいまって、「見る詩集」のような作品集になっていた。いやはや、まずいものをお見せしましたねえ。私の彫るものは、こんな風にはまいりませんから」と余語先生は苦笑しながら作品集を手提げにしまった。■作品集の中でわたしがいちばん気に入ったページが個展の案内状にもなっていた。「明珠唯在吾方寸」という良寛さん(1758〜1831)の言葉に、「明るく輝く珠は はじめから 私の心の中に あったのだ」と解釈が添えられている。「方寸」とは、調べてみると、一寸四方の空間を指し、転じて「心」を意味するのだそう。わたしが『ブレーン・ストーミング・ティーン』で伝えたいこと、「宝物は私の中にある」と同じだ。明珠唯在吾方寸。余語先生もその一人。

2002年07月21日(日)  関西土産
2000年07月21日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』

会社に転がっていた『VOW王国 ニッポンの誤植』がおかしくておかしくて、最近は息抜きにページを開いてはニヤニヤして同僚から気色悪がられている。『言いまつがい』も面白かったけど、誤植は職業柄身につまされるので、「あらーやっちゃったー!」という同情が加わって、切なくおかしい。ライヴ情報の「1ドリンク付」が「1ドングリ付」になっているのを見ると、なんで見落としちゃったんだろ、でもまさかDRINKが団栗に化けてるとは思わないよなー、と戒めとともに笑ってしまう。「1ドリンク付」には編集部からの「リスの饗宴?」という突込みが入っていたけど、同じくリスネタで選挙投票結果の「XX票」が「XX栗」になっていたのも笑った。写植は似た漢字同士が近くに並んでいるので、間違えやすい。わたしも「野村證券」が「野桃證券」になって世に出るところを、デザイナーが校正で見つけてくれて命拾いしたことがある。広告の世界がデータ入稿時代になり、豪快な写植間違いは減ってしまった。

今読んでいる『メディアの興亡』(杉山隆男著 文春文庫)は、「新聞社から活字が消え、コンピュータで新聞を作るようになるまで」のドキュメンタリー。メールはもちろんFAXもなかった昭和初期に新聞がどうやって作られていたか、その不自由や不便を解消するために新聞社とメーカーがどう動いたか、新聞社内部の諸事情や当時の政財界の裏事情とあわせて活写されていて興味は尽きない。事実は小説より奇なり。

ワープロやパソコンが普及した最近は、誤変換による誤植が多くなった。「森林地帯」と打ったら「新リンチ体」、「あの町この町 あの道この道」と打ったら「あの町子の町 あの道子の道」と変換されて、「やっぱり機械なんだなあ」と思ったりする。『ニッポンの誤植』にも「届ける」が「トド蹴る」、「ここ数年」が「ここ吸うねん」という誤変換が紹介されているが、人間が必死でボケて思いつくような変換候補を真っ先に出してくるのは、機械らしい。誤変換ボケには多少の和ませ効果もあるけれど、勝負をかける場面には持ち込まないよう注意したい。

コンクールに応募する人にアドバイスを求められると、「読んでから出す」ことをすすめている。たまにコンクール応募作品の下読みを頼まれるが、書きっぱなしで出したのが見え見えの作品が目立つ。誤字脱字が多すぎるのだ。「以上なし」、いや異常あるよ。「名詞交換」、名前は確かに名詞だけど。「金魚救い」、漢字にしなきゃいいのに。「コーヒーをすすぐ」、タイプミスなのか間違って覚えているのか。「おむつが自慢」、知的キャラが別人に! 登場人物の名前が途中から変わったり、「俺」が「僕」になったり、というミスも見落としがち。なるべく想像で補って修正しながら読んではみるものの、「理恵」と「真理子」が登場するサスペンスドラマで、真犯人の名前が「理恵子」となっては、フォローしようがない。ミスはブレーキになり、たびたび踏まれると、作品に入り込めない。とても損しているし、もったいないと思う。応募した人に教えたい衝動に駆られるけれど、連絡先は伏せてあるので、もどかしい。これからコンクールに応募する人、ケアレスミスで受賞のチャンスを遠ざけることのないよう、原稿を読み返すことをおすすめします。「声に出して読む」「他の人にも読んでもらう」と、誤字脱字発見率がアップ。わたしもこの日記でちょくちょく間違っているけど、自分で気づいたり、人に教えてもらったりして、ちょこちょこ直している。

昔の日記にほぼ同じことを書いてた。2年経っても、言うことってあんまり変わらないんだなあ。
2002年3月7日 誤植自慢大会

2000年07月18日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』

■仲良し同僚のE君、T嬢とともに東京ディズニーシーへ。今夜初演の『ブラヴィッシーモ!』を観る。お芝居と同じく、初日には特別な熱気がある。その場に立ち会いたくて駆けつけた人たちの期待が渦巻き、高揚感になる。上演一時間前にはすっかり人垣ができ、今から並んでも意味なし、とワイン一杯飲んでから上演ぎりぎりに列の最後尾に。しかし、身長150センチのわたしに見えるのは、頭、頭、頭。すきまをするっと抜けて三人分ほど前へ行くと、かろうじて垣間見える位置につけた。水、火、光の使い方がダイナミックで、まわりからは「おおっ」「ほうーっ」「きれいー」とため息がこぼれる。火の玉がぶわっと燃え上がっては海を染めていく場面では、「すげー」「燃えてるよー」と興奮の声。わたしの場所からは火の海は切り取ったようにしか見えなかったけど、天高く吹き上がる噴水や夜空に交差するレーザー光線は、よく見えた。火の精プロメテオと水の精ベリッシーは、見上げる大きさ。デジカメを持った手を精一杯伸ばすと、身長2メートルの目線になれることを発見。竹馬機能もあったとは!


(左)手ブレ写真だけど光の筋がきれい (右)ゆらゆら幻想的な青い噴水

ベリッシー
史上最大のカップル!? (左)水の精ベリッシー (右)火の精プロメテオ


海は赤くなったり青くなったり (左)火の玉が飛んで火の海に (右)水飛沫が飛んで涼しげ

クライマックスでは火花や水柱や音のたたみかけに圧倒され、終わった瞬間に拍手が沸き起こった。「ブラヴィッシーモ!」とは、オペラなどで感極まった観客が叫ぶ「ブラヴィッシモ!(Bravissimo)」(ブラボーの最上級)に東京ディズニーシーのSEAを重ねた造語。日本語にすると「最高!」。

2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月16日(金)  島袋千栄展 ゴキゲンヨウ!

■友人や知人の舞台や個展を観に行くのが好きなのは、彼らの発信しているものに触れて、刺激や元気をもらえるから。今日は、スペースユイにて、イラストレーター島袋千栄(写真の美しい人)さんの個展。わたしが脚本を書いた日本冷凍食品協会のビデオ『冷凍の国の不思議』のイラストレーターとして知り合ったのだが、器用な人で、「これが同じ人の作品?」というぐらい作風はバラエティに富んでいる。お話作りも得意で、前回の個展では「絵じゃなくて文章のお仕事が来ちゃったんです」と言う。今回は、「友達を探しに行くのが仕事の王様」が主人公のお話を絵本仕立てで展示。「赤い砂漠だと思ったら、そこは亀の背中」で、「亀は地球を蹴って回すのが仕事」なんて発想が楽しい。「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直に言える王様のキャラクターも愛せる。こういうお話を考える島袋さんは、淋しがりやで、繊細で、その分やさしい人なんだろうなと思う。「絵本出さないんですか」と聞くと、「なかなか声がかからなくて」と島袋さん。絵本コンクールで入賞すれば出版の道が拓けるのでは? だったらもう少し文章は短くして、絵を増やして……と一緒に観に行った藤本さんをまじえてアイデア出し。藤本さんは冷凍食品協会の仕事で組んでいたデザイナーで、イラストレーターにはいつもアンテナを張っている。藤本さんとわたしで「もっと島袋さんを売り込もう」と盛り上がっていたら、「ほめられるの、慣れてなくて」と島袋さんは照れっぱなし。イラストが不採用になると、「才能がないのかな」と落ち込んで、描く気がなくなるんですと言う。その気持ち、わかるわかる。わたしもです。でも島袋さんの作品はほんとにステキですよ、とお世辞でなくて心から。いつかまたお仕事しましょう。その前に何か一緒に作品作ります? じゃあわたしの書いた童話送るので、絵をつけてもらえます? などと計画。今日も刺激と元気をもらった。


2004年07月15日(木)  見守る映画『少女ヘジャル』

■『少女ヘジャル』という映画のことを聞いたのは、去年の秋だった。国境なき主婦プロデューサー、益田祐美子さんが「東京国際映画祭で知り合ったトルコ人の女性監督と意気投合したから、一緒に高山に行ってくるわー」と言って故郷まで連れて行ってしまったのが、ハンダン・イベクチ監督だった。益田さんのブログ『脳細胞のストリップ』によると、(1)主婦(2)映画のお金集めを自分でした(3)女だから撮影現場で男性スタッフになめられた という共通点が二人を近づけたのだとか。■噂を聞いてから半年以上経って、ようやく作品を観ることができた。恵比寿の東京都写真美術館のホールは、大きさといい雰囲気といい、落ち着いて観られる劇場。客層も年代的に落ち着いていて、岩波ホールに近い印象。作品は想像していたものよりずっと良かった。トルコにおけるクルド人問題という深刻なテーマを取り上げつつも、少女と老人の交流を軸に描いているので、悲惨さはオブラートに包まれている。そこが甘いと見る人もいるかもしれないけれど、この作品全体に流れるまなざしの優しさに、監督の母性を感じた。民族の対立という憎むべきものがすでにあるから、登場人物に悪い人は必要ないのだけど、それぞれを描く目線が、なんともあたたかい。家族を皆殺しにされ、九死に一生を得たヘジャル。妻と死別し、息子と離れて暮らしている孤独な元判事ルファト。ルファトに思いを寄せる未亡人。クルド人であることを隠し続けてルファトに仕えてきた家政婦。へジャルの幸せを願う同郷のクルド人、アブドゥ。どの人物もとても人間味豊かに描かれていて、最初は下膨れの愛想のない子にしか見えなかったヘジャルがだんだんかわいく見えてくるように、物語が進むにつれて登場人物たちに親しみを覚えていく。そして、いつの間にか彼らに寄り添い、彼らを見守るように作品を観ていることに気づく。ラストの別れのシーンでは、客席のあちこちからはなをすする音が聞こえ、わたしの前に座っている人は皆、あわててバッグからハンカチを取り出していた。ハンカチを持ち歩かないわたしは、ティッシュがびしょびしょになった。途中、大きな笑いもなかったが、涙も静かに流れているという感じだった。悲しみの涙というより、みんな幸せになってねという祈りのような涙だと思った。トルコ映画は初めてだったけど、とても心に残る作品になった。■監督と益田さんは雑談の中で「日本とイランの合作映画を作るなら」とアイデア出しをし、「アラビアンナイトみたいなのをやりたいわね」と話したそう。それを聞いたわたしが、友人のトルコ人・キャーミルのひょうきんさを思い出し、「トルコ人一家が日本に来て騒動を起こすコメディーは? タイトルは『トルコ行進曲』」と言うと、「コメディーもいけるかも、あの監督」と益田さん。冗談が本気になって日本トルコ合作映画が実現したら楽しい。そんな益田さんは、次回日本イラン合作映画『パルナシウス』のロケハンでイランを訪問中。

2002年07月15日(月)  パコダテ語
2000年07月15日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年07月11日(日)  ヤニィーズ第7回公演『ニホンノミチ』

■下北沢OFFOFFシアターにて、ヤニーズあらためヤニィーズ(改名の理由は、こっちのほうが字画がいいらしい)第7回公演「ニホンノミチ」を観る。大蔵省君が毎回案内をくれるので、ヤニ(ィ)ーズ公演はかなりの確率で見ている、今回も前田哲監督とたーじん(田嶋啓次)のパコダテ組で鑑賞。前にこの三人で観に行ったフルーチョの長谷川達之さん、石原宣秀さんを迎えた第7回公演は、イラクに派遣された自衛隊をめぐるお話。最初「タイではそういう決まりだ」「タイから脱出」といったやりとりを聞いて、舞台はタイだと思いこみ、「タイとは自衛隊のこと」だと理解するまでに時間がかかった。前田監督に話したら、「そんな勘違いするのは、今井さんぐらいでしょう」と言われたけど、たーじんも同じ勘違いをしていた。イラクと日本、過去と現在を劇中劇の手法でつないだ木村卓矢さん(演出・出演も)の脚本に感心。うまい台詞が多くて、とても観やすい。でも、場面転換の暗転が多いのがもったいなかった。もう少しスピーディーにつないでいけたら、上演時間もコンパクトになって、理想的なテンポとテンションで客席を惹きつけ続けられたように思う。ヤニィーズは、お芝居が大好きな人たちがひたむきに演劇に取り組んでいる姿勢が感じられて、また観に来たいと思わせる。余談だけど、劇中劇で作られた映画は、「テアトル新宿で単館レイトショー」という設定になっていた。まるでジェニファ!?

2002年07月11日(木)  映画『桃源郷の人々』
2000年07月11日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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