2004年06月19日(土)  既刊本 出会ったときが 新刊本

■11か月ぶりの大阪へ。空弁は、焼きぶり寿司。パッケージを見ていたら空腹が募り、離陸前にほおばっていたら、スチュワーデスさんがあわててお茶を持ってきた。関空に着き、河内長野の『喜一』という料理屋で父と母と幼なじみのタカ(両親がヨーロッパ旅行に出かけ、水やり留守番中)と昼食。ここでもまた寿司を食べる。■帰省ついでに「ブレーン・ストーミング・ティーン」を取り扱ってくれている地元の書店へ挨拶にうかがう。まずは、ぶっくらんどくるまや泉ヶ丘店へ。ここは先日友人が買いに来たときには在庫がなく、「もう一度入れて」とお願いすると、店員さんに難色を示されたお店。迷惑がられるかなあと恐る恐る「店長さんいますか」と訪ねると、愛想のよさそうな店長の藤田能広氏が顔を出した。「ここの棚にあったはずやけど、ないですねえ」などとしばらく書棚の前で話をしているうちに、店長さん、のってきて、「どうぞ事務室へ」と案内される。「私もライターやってましてね、昔、テレビ番組のブレーンみたいなこともやってましてん」。その番組の名は『ナイトinナイト』と聞いて、「わたし、それ出演したことありますよ」。学生の頃、「公募名人」ということで名人コーナーに呼ばれたことがあったと話すと、「それ、私が担当してた頃ですわ」とつながる。東京のこともよくご存知で、とにかく話題の守備範囲も顔も広い。「ただの本屋の店長かと思たら、すごいの出てきたでしょ」と屈託なく笑う藤田店長、ただものではない。「早速注文出しときます。あと、全国の書店の店長にもぎょうさん知り合いいますから、言うときますよ」とありがたい申し出も。川柳もたしなむという店長いわく「既刊本 出会ったときが 新刊本」とのこと。地元書店に心強い味方を得て、まだまだ売るぞ、と元気をもらう。気がついたら40分も話し込んでいて、売場でわたしを見失ったタカは「迷子になったんちゃうか」と心配していた。■続いて、泉北高速鉄道・泉が丘駅前にあるパンジョ4階の紀伊國屋書店泉北店へ。こちらは3冊入荷して売り切れたとのこと。その後バック注文をしていなかったので「また入れときます」と店長さん。「地元出身でしたら、泉北コミュニティに載ったら強いですけどね」とのこと。泉北コミュニティは地元で絶大な支持を誇る地域新聞。『パコダテ人』大阪公開のときは取り上げてくれたんだけど……コミュニティさん、載せて!

2003年06月19日(木)  真夜中のアイスクリーム


2004年06月13日(日)  映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』

渋谷のアップリンク・ファクトリーにて、ドキュメンタリー映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』を観る。アップルリンク・ファクトリーだと思っていたら、apple linkじゃなくてuplinkだった。いろんな形の椅子やソファが並んだ手作り感あふれる小屋で、カウンターで注文したドリンクを飲みながら鑑賞。

『ヒバクシャ』は、函館の映画祭で知り合い、イラン大使館で「今井雅子の知人です」と益田祐美子さんに声をかけた縁で『風の絨毯』宣伝に巻き込まれた巌本さんが、今宣伝を手伝っている作品。

「低線被曝」という耳慣れない言葉が何度も出てくる。「核爆弾が落とされた場所にいなくても、じわじわと放射能を浴びることで被曝する」ということらしい。原爆投下の後の広島、長崎に入った人、大量の劣化ウラン弾をばらまかれたイラクの子どもたち、アメリカ・ハンフォーフォのプルトニウム製造施設の川下住民などが「説明のつかない」症状に苦しんでいる様子を知る。

「診断困難」というのが低線被曝の特徴なのだそうだが、目に見えない放射能を諸症状の原因と特定するのもまた難しい。しかも、過去の日本や遠い国の出来事で片付けられる話ではなく、チェルノブイリの事故で漏れた放射能の影響は日本にも届いているし、日本国内に何十箇所もある原子力発電施設も「核廃棄物は出していないというが、空気中に排出していないとはいえない」という。

核の量を張り合わなくても世界が折り合いをつけてやっていければいいのにと思う。そう考える人は世界の大半であるはずなのに、減らないどころか増えていくのはなぜなんだろう。原子力発電所のことも、考えても答えは出ない。その前に知識もなさすぎる。

最近読んだ『東京原発』の脚本は、知らないことだらけで勉強になった。本を読むとか映画を観るとか受け身でしか放射能と向き合えないわたしは、『ヒバクシャ』を作った鎌仲ひとみ監督の使命感と行動力に圧倒されるばかりだった。一緒に行った人は、「反ブッシュの警告を発することに徹しすぎで、都合の悪いことは描いていない」と編集の偏りを指摘。「イラクでは白血病の子どもたちを救う薬が満足に入ってこない。それはアメリカが経済制裁をしているから」という事実だけを強調し、「経済制裁に遭ったのは、イラクがクウェート侵攻したから」ということを描かないとバランスを欠いてしまうと言う。なるほど。それでもイラクで助かるはずの命が死んでいっていることは確かだし、知らないよりは知って良かったと思う。

上映後、鎌仲監督と高遠菜穂子さんの対談が予定されていたのだけど、会場近くまで来た高遠さんをマスコミが待ち受けていたため引き返してしまったとのこと。サイトでもメール配信でも公表していたので、大丈夫なのかなあと心配していたら、やはり。お忍びで登場という形だったら観客だけのサプライズにできたかもしれないのに、もったいない。


2004年06月10日(木)  「きれいなコーヒー」と「クロネコメール便」

2か月ほど前、福岡に住む知り合いのコピーライターさんから「福岡でブレイクの予感です」とオアシスコーヒーの案内が送られてきた。普通のコーヒーは汚れたままの豆を使っているけど、このオアシスコーヒーはカビや汚れをジェット水流で洗浄しているから「きれいなコーヒー」なのだそう。

同封されていたのは、1杯分のパックが2袋。果たして1杯で違いがわかるのだろうか。ひと口飲んで、答えが出た。すきとおるようというか、余計な味がしなくて素直なコーヒーの味だけがする。普段は牛乳をたっぷり入れないとコーヒーを飲めないのだけど、これはブラックでも飲めた。コーヒーの苦味だと思っていたのは、別なものだったのかも……と、これまでのコーヒー観を変えてしまうほど気に入ったので、買い置きの豆がなくなったのを機会に購入してみることに。手が込んでいる分、値段が高いのではと心配したら、ちょうどお試しキャンペーンを実施中。100gずつ4種類を試せて、送料サービスの924円。これならいつも買っている豆よりちょっと高いだけ。いろんな味を楽しめるのもトクした気分。

コーヒーは、クロネコメール便で送られてきた。配達のお兄さんが「特許取得って何ですかこれ?」と興味津々。外袋を広告スペースに使っているのはお上手。クロネコメール便も最近知ったお気に入りのひとつ。「重さによっては冊子小包よりおトク」と隣の席のなくいが教えてくれた。ブレーン・ストーミング・ティーン1冊なら160円(300gサイズ)、2冊なら210円(600gサイズ)で送れる。おまけに家まで取りに来てくれるし、翌日配達。そういえば、家に届くのも郵便物よりメール便の比率が高くなってきている気がする。いいものは教えたくなる。そして広まる。

2002年06月10日(月)  軌道修正
2000年06月10日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2004年06月07日(月)  絨毯ひろげて岐阜県人会

■6月5日は、脚本に関わった映画が都内で二本上映されるという幸運な日だった。『ジェニファ』がレイトショー初回を迎えた約半日前、午前中に溜池山王の国際フォーラムでは『風の絨毯』の特別上映があった。上映のトークショーがはじまった頃に到着すると、誠役の榎木孝明さんとアクバル役のレザ・キアニアンさんが撮影の思い出話を披露していた。二人が客席にいるさくら役の柳生美結ちゃんを壇上に呼んで、三人のトークがはじまったところで時間が来てしまった。美結ちゃんの言葉はあまり聞けなかったけど、家族のような仲のいい雰囲気は最後列にいるわたしにもよく伝わってきた。控え室で益田さんに紹介されたレザさんは、スクリーンの印象より小柄な人で、始終冗談を飛ばしていた。「今度の映画はミユの恋人役がいいなあ」とおどけるレザさんに「でもイラン映画はラブシーン禁止だもんねー」と益田さんがからかうと、「ちょっとぐらいならOKさ」。おちゃめな人だった。■益田さんにくっついていると、いろんな人と知り合いになれるが、この日は「お昼まだだったら一緒にどう?」と誘われ、岐阜県人会の伊藤きよみさんと今井(同じ苗字だ!)秀奈律さんと四人で『かえりやま』というフレンチへ。岐阜県人会の結束は固く、毎月定例会を開いているのだそう。『風の絨毯』制作・公開にあたってもずいぶん力になってくれたようで、今も上映があると駆けつけてくれるというのはうらやましい。「大阪なんかの大都市と違って、人数が少ないから助け合うんですよ」と今井さん。でも、「岐阜出身の社長は多いんですよ」と伊藤さん。あの会社もあの会社も、と名前を挙げてくれる。そんな伊藤さんも家具屋の女社長。益田さんと双璧を成すようなパワフルな人だった。岐阜県人会の例会には他見出身者も飛び込み(ゲスト)参加できるとのこと。益田さんよりよく喋る名物岐阜県人もいるそうで、興味は募る。

2002年06月07日(金)  ドキドキの顔合わせ


2004年06月06日(日)  レーガン元大統領、逝去。

会ったことはないけれど、人生に大きな影響を与えてくれた人がいる。レーガン元大統領もその一人。中曾根元首相とのロン・ヤス時代に「日本とアメリカの若い世代が交流を深めれば、両国の絆はもっと強まるのでは」という会話がきっかけで、日米政府による高校生交換留学プログラムが実現した。全米50州から2人ずつが日本に夏期留学し、日本の47都道府県から1人ずつが1年間の米国留学をするという制度で、5年ぐらい続いたと思う。わたしはその第3期生だった。高校の廊下の掲示板に埋もれていた募集ポスターをたまたま見つけて応募し、留学の機会を得た。

幼なじみたちによると、留学する前と後でわたしはずいぶん変わったらしい。いちばんの変化は「積極性」のようで、「昔は人の後からついてくるタイプだった」と言われる。アメリカは、待っていては何も始まらない国だった。自分から行動しなければチャンスをつかめない、存在を認めてもらえない。逆に言うと、自分次第でどんどん面白くなる国だった。英語を身につけ、広告と美術と演劇の楽しさに目覚めたこともその後の進路を定めたけれど、何よりの収穫は、「世界は自分で広げるもの」と教えられたことだった。

レーガン・ライブラリー(Ronald Reagan Presidential Library)は、わたしがホームステイしたカリフォルニア州・Simi Valley市にある。たしか1991年の設立で、その年のクリスマスに里帰りしたときにホストファミリーと訪れた。「彼のやり方にはいろいろ思うところはあるが、Masakoを寄越してくれたことは感謝している」とホストファーザーは言った。わたしにとってのレーガン氏も、冷戦終結に心血を注いだ米大統領というよりは、夢をかなえてくれた足ながおじさんのような存在だった。

あの1年間がなければ、『公募ガイド』片手にコンクールに応募することもなく、コピーライターになることも脚本家になることもなかっただろう。日米合作映画の話が舞い込むこともなかっただろう交換留学プログラムはレーガン元大統領が遺した多くの功績の小さな小さなひとつだけれど、貴重なチャンスを得た当時の高校生たちは、それぞれの形で、元大統領が蒔いた種に根を張り、彼が育てようとした「草の根親善大使」になっている。わたしも、自分の作品を通して、国境を越えた心のつながり(日本とアメリカだけじゃなくて)を作っていきたい。元大統領の訃報を聞きながら、そんなことを思う。

2002年06月06日(木)  同窓会の縁


2004年06月05日(土)  『ジェニファ 涙石の恋』初日

ジェニファ 涙石の恋』テアトル新宿レイトショー初日。9:20からなので9時前に劇場に着くと、まだ入場前で、階段の上まで列ができていた。初日にどれだけ集まるかは関係者にとってはとても気になるものなので、まずはほっとする。舞台挨拶は、三枝健起監督、音楽の倉本裕基さん、Jennifer Holmes 、浅見れいなさん、x-gun西尾季隆さんという披露試写の顔ぶれに、安田暁さん、湯江健幸さん、坂本真さん、高橋ひとみさんが加わって、にぎやか華やか。『ウォーターボーイズ』で山田孝之さんの母親役だった高橋さん、『ウォーターボーイズ』はじめ山田さんと共演の多い安田さんが登場すると、会場の拍手とざわめきが大きくなる。肝心の山田さんは、ロケで愛を叫んでいるとのこと。公開中に一度は舞台挨拶に立ちたいと言ってくれているそうなので、そのときまでロングランになるといいな。

映画は「誰と見るか」によっても印象が大きく変わる。立ち見も出るほどの満員のお客さんは反応が良く、よく笑い、とてもいい雰囲気だったので、わたしも今まででいちばん楽しめた。謎を投げかけている作品なので、何度も見るほど理解できるようになっているのかもしれない。脚本を書いた本人が言うのは変だけど。

観終わった後、ストレイドッグの役者の古川康大君が「やっぱり今井さんでしたか」と声をかけてきた。今日、『ぴあ』の上映案内で名前を見つけて「もしかしたら、あの今井さんの新作かな」と思って駆けつけてくれたそう。他にも来てくれた知り合いの方がいたら、ありがとうございます。

ポストカードブックのような劇場用パンフには、1ページを割いて脚本家紹介があり、さらにもう1ページにコメントを寄せている。監督が読んでいるのを見て、「わたしも欲しいです」と言うと、「あちらで販売していますよ」と教えてくださったのが、宣伝担当の女性。「こちらは関係者ですよ」と監督がわたしを紹介してくれ、パンフをいただけた。一本の映画は何人もが関わっているので、公開になってはじめて会う人、最後まで会えない人もいる。宣伝担当の女性に「わたしのサイトでも宣伝していますよ」と言うと、「見ています」とのこと。ロングランめざして盛り上げていきましょう、と話す。

2002年06月05日(水)  シンクロ週間


2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』

職場の隣の席で誕生日もお隣(2/10生まれ)の名久井直子嬢は、アートディレクターでありながら読書家で、本の装丁も次々と手がけていて、朗読会をやったりもしていて、歌人のお友だちも多い。

文学少女がそのまま大人になったような彼女が、本のページからふと顔を上げ、「今井さん、『猫又』って知ってる?」と聞く。知らない、と答えると、「そっか。じゃあこれは今井さんじゃないんだ」とページに目をもどす。気になってのぞきこむと、「ここにね、今井雅子さんって人の書いた短歌が出ているの。今井さんかなあと思ったんだけど」と見せてくれた。

クリスマス流星たちが引き寄せるロマンティックな祈りの時間

なんか、わたしが書きそうな歌だなあ。というより、こんな歌を作った気がする。でもなぜそれが活字になっているんだろう……と考えていると、同じページの端のほうにある『くりひろい』の五文字が飛び込んできて、「あ、わかった!」。あれはもう3年前のこと、『パコダテ人』の撮影で仲良くなった小山理子さん(宮崎あおいちゃんのマネージャー)に「知り合いの人がやっている言葉遊びの同人誌があるんですけど、今井さんも出してみません?」と誘われ、メールで送ったうちの一首(俳句は一句、和歌は一首と数えるそう)だ。

そのときのお題が「折句(おりく)」で、「くりひろいの五文字を各句の頭に折り込んだ和歌を作る」というものだった。忘れた頃に本に登場するとは、びっくり拾い。それをたまたま会社の隣の席の人が発見したというのも面白い。聞けば、著者の一人が友人とのこと。小山さんに電話したら、「ええーっ、知りませんでした。でも、すごいですね、面白いですね」と喜んでくれた。本の名前は、『短歌があるじゃないか。一億人の短歌入門』(穂村弘・東直子・沢田康彦 角川書店)。もちろん早速購入。なんたって記念すべき「歌人デビュー」本なので。

古い郵便物の山から小山さんに送ってもらった同人誌を発掘すると、ちゃんと『猫又』と書いてあった。ちなみにそのとき出した今井雅子の全7首はこちら。

クリスマス
流星たちが
引き寄せる
ロマンティックな
祈りの時間

くるくると
りんごの皮むき
ひとつなぎ
ろくろのリズムで
いい感じ

くじびきは
理不尽だよと
ひとりごつ
廊下掃除は
いつだって俺

空想と
理想の間の
非現実
ロマンティストは
いつも孤独

薬指
リング待ってる
人はみな
ろくでなしだと
言う彼からの

暗がりの
理科実験室が
秘密基地
ろ過機かこんで
息のむ僕ら

空爆の
理由も知らぬ
ひとびとが
路肩に散らす
いのち悲しき


最後の歌を見て思い出した。2001年秋、アフガニスタンの空爆のニュースが毎日流れていた頃だった。

2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ

■大学時代の体育会仲間・shooter君の結婚式→披露宴→2次会へ。式は目黒のカトリック教会にて。天井が高く、とても厳かな雰囲気。ただ一人、マイクをつけている神父さん、賛美歌は持ち歌のはずなんだけど……これはご愛嬌。はじめてお目にかかる新婦は長身の美人。でも、誓いの返事の声はハキハキ。新郎を引っ張っていくタイプかなあという第一印象は次第に確信となっていく。

■披露宴は恵比寿近くの羽澤ガーデンにて。満鉄総裁の邸宅だったとかで、ロケーションは最高。庭園を見渡せるオープンテラスのテーブル席を自由に移動できるビュッフェスタイル。食事の評判は噂に聞いていたけど、お刺身も寿司も新鮮で期待以上。名物のバーベキューにも大満足。とくにジューシーなホタテは涙もの。圧巻はデザートビュッフェ。ざっと見ても10種類は超えていたはず。全種類は制覇できなかったけど、生クリーム系も焼菓子系もおいしい。ウェディングケーキはハート型。新婦はハート好きとのこと。■テレビ局同士のカップルなので、司会はアナウンサー。「新郎とは仕方なくおつきあいしております」「シャンパンポンチ、ほんのり(みなさんが飛ばした)シャボン玉の味がします」などと適度に毒をまぶしたトークが絶妙で、口だけじゃなくて頭の回転もなめらか。と、「ここで、たった今届いた電報をご紹介します」と司会が読み上げた電報は、ある男性が新婦にあてたもの。「今日君は世界一の花嫁になっているだろう」というとろけそうな内容なのだが、この「僕って誰?」の疑問がふくらみきったところで、差出人は新郎だとわかる。まさに新郎新婦が世界の中心になったところで新郎の「愛を叫ぶ」挨拶があり、披露宴はめでたくお開き。■恵比寿ZESTを借り切った2次会で、さらに酒に酔い、自分に酔う新郎。「派手に飲む」コツを覚えた体育会での4年間はちゃんと今に生きている。というかあの頃から飲み方は成長していない。集まった体育会の仲間たちも昔のままの飲みっぷりで、楽しい酔っぱらいになっていた。■新郎shooter君とわたしは誕生日が一日違い(正確には、わたしが生まれた364日後生まれ)。社会人になった最初の誕生日に「おめでとう」と電話をしたら、翌日、わたしの誕生日に「おめでとう」の電報が届いた。人のうれしいことを自分のことのように喜べるいいヤツで、きっとあったかい家庭で育ったんだろうなと想像し、幸せな結婚をしてほしいなあと願っていたら、本当にその通りだった。ご両親と妹さんは、よくしゃべりよく笑う人たちで、新婦のご両親も上品なのにユーモアのセンスも抜群。新郎を指して「こんな男ですけどね」とおどける花嫁のパパの余裕は、ただものではないと思った。「share」という言葉が好きなので、人の幸せをおすそ分けしてもらえる結婚イベントも好きだけど、今日は、ほんとにごちそうさまでした。

2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式

森岡利行さんから「『路地裏の優しい猫』が日本映画エンジェル大賞取りました」の知らせを聞いて、一か月。大手町の銀行倶楽部にて授賞式とパーティーがあった。これからの映画界を担う可能性を秘めたプロデューサーに贈られる賞の第3回で、今回は大賞が2人。森岡さんは「劇団主宰ということはプロデューサー能力がある」と評価されたよう。もう一人は、榎本憲男さん(企画名『愛と笑いの夜(仮)』。元テアトル新宿支配人で、テアトル池袋を拠点とした映画レーベル『ガリンペイロ』を提唱、『1980』はじめプロデュース作品も多く、劇場でお客さんを見て培われたプロデューサー眼も見込まれての受賞。

佳作2名は、亀田裕子さん(企画名『BLINDED BY THE LIGHT〜まぶしくて見えない〜』)と望月徹さん(企画名『アカペラ』)。亀田さんは演出助手、制作担当を経てラインプロデューサーという経歴。「(現場で終わるのではなく)作った後まで作品を見届けたかった」のが応募のきっかけ。望月さんは農林中央金庫を経て現在はビジネスプロデュースのお仕事。異色ならではの未知数の部分に期待が寄せられた。いずれの企画も「実現性が高そう」なことも評価につながったよう。

過去2回の受賞企画は形になったんだろうかと知りたくなったら、これまでの受賞者本人から進行状況の報告があった。シナハンの様子やプロデューサーインタビューをビデオにまとめた『ミッドナイトイーグル』(企画者:河原一久さん、鈴木勉さん)は海外の制作会社も企画に関心を寄せているとか、『カーテンコール』(企画者:臼井正明さん)は佐々部清監督でこれから撮影とか、塩田明彦監督が脚本も手がけた『カナリア』(企画者:松田広子さん)はもう撮ったとか、どれも企画倒れにならず着々と動いている。企画の確かさはもちろん、面接で情熱や思い入れを見て、「本当に映画を作りたい人が、本当に作りたい企画」をちゃんと選んでいるんだなあと感心。『路地猫』も、実現へ向けて進んでいくのみ。

会場で知り合いのCM制作会社プロデューサー・山下さんに声をかけられる。佳作の望月さんが農林中金にいた頃、一緒に『ちょきんぎょ』のCMを作っていたそう。そのときの担当営業だった博報堂の植木さんを紹介され、広告の話や映画の話で盛り上がる。もう一人の佳作の亀田さんは、最新プロデュース作品が前田哲監督の『パローレ』ということで、つながった。「はじめまして」と名乗ると、「あっ、アフロ(のヅラ)ありがとうございます」と言われる。「ヘンテコな今井さん」の噂は前田さんからよく聞かされていたそうで、幼なじみがインド人ということまで知っていた。つながったといえは、初対面の佐々部清監督に『チルソクの夏』の感想を伝えたところ、前田さんと組んだことがあったそうで、『パコダテ人』を知っていてくれたのがうれしかった。『路地猫』の写真集のキャプションを書いてから1年半、黒川芽以ちゃんともやっと会えた。大きな黒目がとても印象的。

映画の世界はどんどん狭くなるけれど、日本映画の未来はどんどん拓けている様子。国会のセンセイたちも関係省庁も日本映画を元気にしようと頑張っているそうで、主演男優賞受賞に沸いたカンヌへは文化庁から視察に行っていたとか、秋の東京国際映画祭では日本映画を海外に売り込むブースを政府が支援するとか。今日はコンテンツ事業を支援するための法案が通過したらしい。映画脚本家の未来も明るい!? 「映画監督を45年間やってきて、わかったことがあります。どうやったら作品がヒットするか、誰にもわからないということです」という篠田正浩監督のスピーチが和やかな笑いを誘っていた。次こそはきっと、だったり、次はもっと、だったり。思いを託し、命を吹き込み、形にする。作品に誰よりも夢を見てしまうのは作り手自身なのかもしれない。そんな夢を後押ししてくれる賞があることがうれしく、その賞が実を結びつつあることを実感できた夜だった。

1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』

■数週間前、同僚に借りて帰りの電車の中で一気に読んでしまった『言いまつがい』(ほぼ日ブックス)。「決して人前では読まないように」の忠告を守らなかったがために、ニヤついたり吹き出したり、まわりの乗客の方は気味悪い思いをされたかもしれない。糸井重里さんが主宰するほぼ日刊イトイ新聞の人気コーナーに寄せられた投稿をまとめたもので、身の回りに転がっている言い間違い、聞き間違い、思い違いの数々がこれでもか、これでもか、と笑わせにかかってくる。読んでいると連想ゲームみたいに「そういや、わたしも似たようなことが……」と昔の笑い話が蘇り、また笑ってしまう。せっかくなので、思い出しついでに書き留めてみた。間違った本人を知っていないと面白さは半減するものだけど、友人たちに披露したところ、本人を知らなくてもなかなか笑えるようなので、いくつかご紹介。
CMのアイデアを出し合っていたとき、
上司「目立つにはやっぱり大物タレントだな。G7とか」
部下たち「大物すぎないですか」
上司「まあ、ジャニーズだしなあ」
部下たち「それを言うならV6です!」
「アルファベットと数字の組み合わせ」ってことしか合ってない。
これは聞きまつがいですが……入社した頃、
「コピーごそっと取ってきました」とコピーした紙束を差し出すと、
「俺は5セットと言ったんだ!」と上司に叱られた。
高校生の頃、わが家にアメリカからホームステイの留学生がやってきた。
ドライブしながら町を案内していた父は、
仁徳天皇稜を指差し、「世界一大きなお墓」と言うつもりが、
「ディズ イズ ザ ビッゲスト ボム(世界一大きな爆弾)」。
留学生に片言の日本語で「オトウサン ニゲマショ!」と言われた。
TOMBとBOMBって、並べて覚えさせられたよね。
銀行のATMで預金を下ろそうとすると、
「コノ ノウキヨウデハ トリアツカイ デキマセン」
と印字された紙が出てきた。
行員さんに「納期用じゃないATMはどこですか?」と聞くと、
「ここ、農協です」と思いがけない答え。
なんと、隣接する銀行と建物をまつがっていた。
大阪から上京した者同士で女友達と待ち合わせたときのこと。
「新宿南口の『るみねろ』で」と言われたが、
道行く人に聞いても首を傾げられるばかり。
途方に暮れていたところ、目の前に「ルミネ口」と友人を発見。
「やっとあったわ、るみねろ」と言うと、知ったかぶりの友人に
「大きい声出さんとき。ルミネぐちやで」と田舎者扱いされた。
そそっかしい友人は、いそいで「吉田」と書くと、土の下に田を書いてしまう。
微笑ましい『まつがい』を思い返しながら、まつがった人の顔を思い起こしている。大阪にいる家族や会社をやめてしまった人、しばらく会っていない人もいる。『言いまつがい』の記憶は懐かしい人につながっていて、笑った後に、ほんのりあったかい。

1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり

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