2003年07月30日(水)  脚本家ってもうかりますか?

就職活動をしていた頃、会社説明会の最後に質疑応答の時間になり、さっと手を上げた男子学生がいた。彼の質問は、「給料はいくらですか」。担当者が何と答えたのかは覚えていないけれど、その場の空気が「びっくり!」したことは妙に生々しく覚えている。

そんなことを思い出したのは、このところ「脚本家っていくらもらえるんですか」という質問メールが立て続けに舞い込んだから。発信者は脚本家志望の人たち。その職業を志すからには収入を知っておきたいということなのだろうけど、家族だって遠慮して聞けないギャラの話を見知らぬ人がイキナリ聞ける便利な時代になってしまった。

「おいくら」と聞いてくる人たちには共通点があって、わたしの作品には一言も触れていない。はじめてのメールで自己紹介もそこそこに本題に入るので、誰にしてもいい質問をなぜわたしにしてきたのかわからず、なんと答えたものか困ってしまう。……と、先輩脚本家に相談したら、「そんなヤツには答えなくてよろしい」と一喝した上で、「テレビドラマ1分で1万円。でも長者番付には載れない、と僕は答えている」とのお返事。30分ドラマで30万円という目安。新人の場合はその半額強、というのはわたしの感覚。ラジオはさらに単価が下がるし、映画はギャラが支払われるかどうかギャンブルみたいなところもある。

デビューほやほやの脚本家が仮に30分ドラマを1日で書き上げたら、日給15万円。でも、原稿を渡しておしまいということはまずない。本打ち合わせを元に初稿を直していくわけだけど、改訂稿が二桁に及ぶこともあるし、途中で白紙になって企画から練り直しという事態もよくある。脚本にする前にはプロットを固める作業があるし、企画段階から関わった場合は、シナリオを書き出すまでに何か月も打ち合わせを重ねることになる。

時給に換算したことはないけれど、わたしの場合、直しがほとんどない仕事でも「時給ン万円」にはならないし、「時給ン百円」という仕事もありえる。そんな風に計算すると、脚本家は割に合わない仕事だし、ネーミング100案出して数十万(これもかなりの幅があるけれど)というコピーライターのほうがずっと儲かる。漣ドラがヒットしてビデオ化されてノベライズも出て……となれば話は別だけど。写真は、ここ半年のボツ原稿。全部を書き直しているわけではないけれど、書いたもの全部をプリントアウトしたわけでもない。でも、これだけ書いた先に「作品」が生まれている。

ギャラはもちろん大事だけど、脚本家にとっていちばんのごほうびは書いたものに命が吹き込まれることだと思う。自分の頭の中だけにあったものが形になって、たくさんの人に届けられる贅沢。これは一度味わったら、やめられない。というわけで、わたしの答え。「楽して儲けることははできないけど、お金で買えない楽しいオマケがついてきます」。

でも、忘れちゃいけない。脚本家もコピーライターも、書けばギャラがもらえるわけではないのだ。書いたものが全部現金になるなら、わたしだって、とっくに御殿を建てている。「いくらもらえるか」を心配するより、「どうやったらお金になる脚本を書けるか」「どうやったら作品化への道が拓けるか」に頭を悩ませたほうが建設的だし、そういうことであれば多少はアドバイスできるのだけれど。

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2002年07月30日(火)  ペットの死〜その悲しみを超えて
2001年07月30日(月)  2001年7月のおきらくレシピ


2003年07月25日(金)  日本雑誌広告賞

■昨日と今日、「日本雑誌広告賞」の審査に参加した。主催者である日本雑誌広告協会のホームページによると、「経済産業省後援のもと、雑誌広告に関する作品の表彰を行うことにより、雑誌広告の 質的向上を図るとともに、社会生活情報としての機能を高め、もって我が国の産業、経済、社会、文化の発展に寄与すること」を目的に昭和33年に設立された賞で、今回で46回目になる。わたしが参加したのは、最終審査に残す作品を選ぶ段階の審査。審査員は雑誌社や広告代理店から派遣された人たちで、わたしも上司に送りこまれた。雑誌社が自社の雑誌に掲載された広告をエントリーする形式のコンクールなので、同じ原稿が複数の雑誌社から寄せられたりする。当初7000点余りあったエントリー作品は、重複を除いて4000点余りに。それを部門(業種別に12部門、その他にシリーズ広告部門、マルチ広告部門、小スペース広告部門の計15部門に部門)別に分類したものが、わたしたちの審査対象となった。細長い会議室にぎっしり並べられた長机には、約200誌分の見開き広告を並べることができ、審査員はその間を迷路をたどるようにぐるぐる回りながら、手元の紙に自分が選んだ作品のエントリーナンバーを書き入れていく。雑誌というのは、普通は手に持って、目から30〜40センチほどの距離で読むものだけど、その2倍ほどの距離から見下ろすので、実際に雑誌広告を目にするときとは少し環境が違う。投票と同時並行で集計が進められ、1つのラウンドが終わると、すばやく長机の上の広告は次のラウンドのものと入れ替えられていく。これを1日半の間に20回近く繰り返した。これだけ雑誌広告ばかり見ることはめったにないし、最近は雑誌そのものから遠ざかった生活をしているので、色の洪水に目がチカチカしたり、「こんなコスメがあるのか!」「この子ども服かわいい!」と一消費者になってときめいてしまったり。いきなり自分の手がけた広告に遭遇して、ドギマギしたり。ひさしぶりの運動で筋肉痛になったことも含めて、なかなか刺激に富んだ経験をさせてもらえた。

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2000年07月25日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2003年07月23日(水)  チョコッと幸せ

新聞整理をしていたら、「幸せとは」という言葉がやたらと目についた。柳生博さんの「Happiness is……」に影響されて、敏感になっているせいかもしれない。「幸せとは幸せをさがすことである」「幸せとは目的ではなく結果である」「不幸だと嘆く人は、自分が思い描く幸せと現実とのギャップを嘆いている」などなど。発信している人はすべて違うけれど、どれも、「幸せとは、幸せ探しの道に落ちているもの」というようなことを言っている気がする。

理想と同じ姿かたちをした幸せを求めると、探し疲れてしまうけれど、思いがけないところにひょっこり顔を出した驚きや発見は、たとえささやかでも、プレゼントになる。オマケのようについてくる幸せに気づけることが「幸せ」なのかもしれない。こんな風に思えるようになったのはここ数年のことで、20代の頃は記念日を祝ってもらえないとふてくされ、映画「プリティウーマン」を見て、うらやましさのあまり泣いたりした。映画のヒロインと自分を比べて「わたしは不幸だ……」とメソメソ。今思うと、アホちゃうかとあきれる。幸せ渇望病のようなものだったのだろうか。

切抜きの中に「人は幸せを握りしめて生まれてくるが、生まれた途端、手を開くと幸せを逃してしまう。それを追いかけるのが人生だ」という内容の台詞を見つけた。教師が教え子に贈った言葉なので、「幸せは自分の手でつかまえろ」という激励だったのではと思うが、わたしは別な意味も想像した。幸せとは、手でつかめるぐらいの大きさのもので、それは、手をのばせば届くところにあるということ。

「これ、今日の今井さんみたいだったので」と会社で背中合わせの席に座っている新卒の女の子が、チョコレートを一箱くれた。この席には研修のローテーションで4週間おきに新卒の女の子がやってくる。彼女で4人目。最初はお互いドキドキだけど、チョコレートが溶けるみたいにちょっとずつ打ち解けていく。「わあ、アポロ大好き! ピンクのとこだけ離して食べたりしたよね」「これは大きくって、中にクッキーが入ってるんです」「ほんとだ。このタイプのお菓子おいしいよね。たけのこの里とか……」なんて他愛もない会話が楽しい。ピンクのワンピースを着ていてよかった。小さな幸せを口の中で転がしながら、思いをめぐらす。赤ちゃんが握りしめる幸せって、チョコレート一粒ぐらいの大きさなのかもしれない。アポロより大きくて、クッキー入りアポロより小さくて。アポロだと手の中で溶けちゃうけれど。

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2003年07月12日(土)  15年目の同窓会

高校を卒業して、今年で15年目になるらしい。ということを同窓会の案内で知った。卒業以来はじめて、しかも学年全体の同窓会とあって、楽しみな反面こわさもあった。わたしは入学時と卒業時に在籍した学年が違う。高校2年の1学期を終えて留学し、帰国してから一年下の学年に編入した。今回の同窓会は後のほうの学年のもの。1年と2学期しか過ごしていないので、知ってる人はいるだろうか、覚えていてくれているだろうか、とそわそわした。でも、当日が近づき、懐かしい友人たちから「わたしも行くよ!」とメールが来るようになると、がぜん楽しみになり、今朝伊丹行の飛行機に乗り込むときは駆け出す勢いだった(空港カウンターは長蛇の列で、プチ暴動が起きていたけれど)。

会場に直結した難波駅の改札出たとこで、食べ歩き仲間だったてるちゃん、ゆみちゃんと再会。高校時代、わたしを含めた女子3人と男子4人で「グルメの会」なるものを結成し、小遣いを奮発しておいしいものめぐりをしていた。1リットルパフェなんてものをペロリと食べた若い食欲が懐かしい。会場の宴会場前のロビーでは、「ひさしぶり!」「わたし、わかる?」「キャー!」の声が飛び交い、同窓会のシズル満点。結婚して改姓した女の子たちは「旧姓で呼ばれるだけでタイムトリップやわあ」と嬉しそう。わたしもひさしぶりに「まいまい」と高校時代のあだ名を連発され、気持ちがあの頃に戻ってしまった。

乾杯が終わると、3年生のときのクラス別に順に壇上に出て、近況報告と記念撮影。わたしは3年6組、文化祭で『オズの魔法使い』のミュージカルをやったクラス。この劇の台本・演出をやったわたしの印象はけっこう残っているらしく、ブリキ役だったS君は 「ジャングルジムの上で歌わされた」ことを強烈に覚えていた。そんなS君は、ライバル広告代理店でヒットCMを手がけるアカウント・ディレクターになっていた。

先生方は5人参加。2年のときの担任だった永山先生は、当時と印象がほとんど変わっていなくて驚いた。さすが体育教師。あいかわらず陸上部の指導に燃えていて、黒目がちな目がキラキラしていた。2年の3学期、成績が急降下したわたしを呼び出して、「お前はもう少しいけると思たけどな」とポツリ。その一言が効いてサボリぐせを改善できたので感謝しています、と伝えたら、「そんなことあったかいな」と笑っていた。70代の先生が二人。当時すでに定年近かったことになる。この春、高校教師の定年を迎えた父イマセンの十数年後を想像した。

クラスメート、体操部の同期、体育祭のときだけ結成される応援団の仲間もたくさん来ていた。アメリカ留学から帰ったばかりの「チビの巨体」だったわたしと身長順でペアを組まされたH君は、どうしているのかな。わたしを持ち上げるたび、「ウッ」と気張っていたのが気の毒だった。今日はじめて口をきいた同級生との出会いも嬉しかった。集合写真のカメラマンを買って出たN君は、「はいチーズ」のかわりに「ここ見て!」と股間を指差すおもろい人だった。みんなドッと笑顔。いい写真が撮れたと思う。

よく笑い、しゃべりっぱなしのうちにお開きの時間。料理がたくさん余った。食べることに口を使っている暇がなかった。二次会に流れても話は尽きず、「またやろな!」を連発。同窓会ってこんなに面白いものだったのか。幹事のK君に感謝。難波駅に着いたら無性におなかがすいて、蓬莱の豚まんを買って実家に帰る。

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2002年07月12日(金)  『真夜中のアンデルセン』小原孝さんのピアノ収録
2000年07月12日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2003年07月10日(木)  三宅麻衣「猫に表具」展

     
元同僚(会社にいたときはトランスレーターだった)のイラストレーター三宅麻衣の個展へ。毎回違った切り口でミヤケマイワールドを展開してくれる彼女、前回は「Love」をテーマに「Jazz」との組合せ(絵の前でそれぞれの世界に合ったジャズナンバーを聴ける)で楽しませてくれたけど、今回は「夏」をテーマに「表具」ときた。場所は猫の個展で知られる銀座のギャラリーボザール・ミュー(銀座7-5-15 銀座蒲田ビル4階 03-3571-0946)。三宅麻衣の描く猫たちは各々にキャラクターが感じられ、絵の中で何かをしでかしてくれるのが面白い。蜂に止まられて困っている猫、船を漕ぐけなげな猫、シャボン玉とじゃれる猫……。一枚の絵の中にちゃんと時間が流れているので、しばらく絵の前に立ち止まり、そこにある物語を味わってしまう。テーマの「夏」にちなんで西瓜やら風鈴やら船やら金魚鉢やら涼しげなモチーフが猫と絡んでいるのだが、「猫といえばコタツ」の連想を改めさせられるほど、夏と猫はよくお似合いで、愛らしいのだった。

一枚ごとに絵に合わせて施された表装も見事。「布は自分で選んだのよ」と麻衣さん。わたしがいちばん気に入った「スーパーボール」(上段右から2つめ)には透明プラスティックの中にスーパーボールを詰めたもの(上段右端)があしらわれていた。「招福招財」(上段右から3つめ)もお気に入り。「みんな自分に似た雰囲気の絵を選ぶのよ」と麻衣さん。毎回売り切れ続出の彼女の個展、今回もすでに半数以上に「里親」が決まっていた。個展は12日まで開催。11日は19時、12日は17時まで。一見の価値あり。ほぼ全日会場にいる三宅麻衣も、大画伯になる前に会っておく価値あり。

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2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)
2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2003年07月09日(水)  LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)

■新聞記事の切抜きをしていたら、「色!」が目に飛び込んできた。「お花畑のようにきれいな色のニット」という記事の形容がぴったりな、色いっぱいの服。「ララージララージ」というはじめて聞くファッションブランドの紹介だった。アトリエは南青山にあるというので、のぞいてみたくなり、早速サイト検索。電話番号が載っているページを見つけて電話すると、「お店ではないんですけど、よろしければどうぞ」と言ってもらい、押しかけた。応対してくれたのは、新聞に写真入りで紹介されていたデザイナーの宮下恵子さん。記事の写真よりずっと可愛らしい方だった。春夏ものはほとんどなく、秋冬もの中心。しかも量産体制ではないということで数は少なく、ほとんどが一点もの。「このスカートは折り紙をイメージしたんです」「これはイタリアの毛糸です。日本にはない色ですね」「(輪っかがいっぱい連なった秋冬もののスカートを指して)手作業で切ったので大変でした」「このニットは見た目よりずっと手が込んでいるんです」……と一着ごとのストーリーを語ってくれ、手づくりのファッションショーの写真も丁寧な解説つきで見せてくれる。デザイナー独り占め、なんという贅沢。夏はこれからというのに気が早いけれど、毛糸の玉を絡めたチェーンのアクセサリーに一目惚れし、「これください」。首に巻いたり、腕に巻いたり、腰に巻くのもいいかも。冬の楽しみがひとつできた。■「ララージララージ」という店名は宮下さんの好きなミュージシャンの名にちなむらしい(記事の受け売り)が、宮下さんいわく「わかりにくい名前だって言われます」とのこと。「一度聞いたら忘れられない印象的な名前ですよ。それに、ラ行の入った名前はヒットするんです」と幼なじみの太郎君の説(ヒット作品にはラ行あり)を伝えておいた。アトリエは骨董通りの小原流会館とVERSUSの間を東に入って1本目の小道を右に入った左手3軒目のビルの1階。お邪魔したい方は事前にお電話(03-5485-2626)を。■お店からの帰り道、ふと気づいた。これまでに関わった映画「パコダテ人」「風の絨毯」「ジェニファ」どれもに「色とりどりの糸」が関わっていることに。ジェニファに登場する女の子、郁代はミシンが得意という設定で、母親の着ていた古着をリメイクするシーンが出てくる。もうひとつ気づいたのは、わたしがとくに好きなこと、「服屋さんめぐり」「カフェめぐり」「ガーデニング」「人間ウォッチング」に共通するのは、「色」だということ。服もデザートも花も野菜も色とりどり。人も色とりどり。いろんな色があるから人生は楽しいんだ、とあらためて思う。

いまいまさこカフェ fashion gallery

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2002年07月09日(火)  マジェスティック


2003年07月06日(日)  池袋西武7階子ども服売場

■夕方、携帯が鳴る。「もしもし、今日いっしょにおかいもの行ける?」とかわいい声は、「パコダテ人」の名子役、前原星良ちゃん。去年の多摩シネマ(映画祭)のときに星良ちゃんが着ていたハートつきピンクワンピがとてもわたし好みだったので「カワイイ」を連発していたら、「じゃあ今井さん、こんど一緒にお店行きます?」と星良ママが言ってくれ、今日のお買い物が実現。JJよりもニコラにときめくわたしだけど、小学一年生と服選びをすることになるとは、行くとこまで行ってしまった感じ。■池袋西武7階に着くと、クラクラするような色の洪水。そうか、わたしが来るべき階はここだったのか!と血が騒ぎだす。星良ちゃん&ママと合流し、まずは星良ちゃんのお気に入りの店「ラメール」へ。ここは、いろんな国の子ども服を集めたセレクトショップ。すそに真っ赤なハートがいっぱいついたスペインのジーンズはキツすぎて断念。「この店でいちばん大きな服を!」をリクエストすると、「12歳用150センチ」のワンピースを出してきてくれた。ハートがついていて色もきれい。星良ちゃんは「エプロンみたいだよー」を連発。バーゲンで30%引きになっていたのでお買い上げ。ハートジーンズもハートワンピもスペインのAgatha Ruiz de la Prada(アガタルイス・デ・ラ・プラダ)の服。サイトもハートいっぱいでとってもラブリー。■続いて前々からすごーく気になっていたナルミヤの服を攻める。「エンジェルブルーもかわいいけど、メゾピアノの色攻撃もステキ!」とはしゃいでいると、「メゾピアノはエンジェルブルーよりもさらに年下向けよ」と星良ママ。はたから見るとわが子の服を選ぶママ同士なのだけど、ジーンズをにぎりしめて試着室に入っていくわたしを見るママたちの目は「!?」になっていた。クッキーの刺繍がずらっと並んだカーキ色パンツはパツパツで見苦しい感じ。「他のもはいてみます?」とやんわりダメ出しする店員のお姉さん。代わりにはいてみた星いっぱいジーンズが思いのほかピッタリ。足も心なしか長く見えて、「これにします!」。子ども服なのに160センチ用。今どきの子どもって……。一人じゃひるんでしまう子ども服売場だけど、星良ちゃんを盾に堂々と突き進むことができて、たのしいお買い物となった。■「子ども服買ってくる!」と出かける妻をウンザリした顔で見送っていたダンナは、買ってきた2着を見て、「なんだ、いつもよりマトモじゃないか」。

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2002年07月06日(土)  とんかつ茶漬け
2000年07月06日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......

NHK-FMシアターで先月放送された「夢の波間」は初老の夫婦の話だったが、番外編として、もうひとつの夫婦の物語があった。主演の柳生博さんと奥様の、ちょっといい話。八ヶ岳にお住まいの柳生さん、FMの受信情況がよくないので、家から少し下ったところまでカーステレオをつけながら車を走らせてみると、ある地点で急にきれいに入るようになった。携帯電話で自宅にいる奥様を呼び出すと、暗い夜道を一人で心細く下ってきた奥様は「なんでつきあわせるの」という顔。だが、放送がはじまるといつしか作品の世界に引き込まれ、柳生さんとともに涙されたのだという。「妻の前で泣くなんてね。暗がりでよかったよ」と照れる柳生さんだが、この話を聞いて、わたしまで泣きそうになってしまった。

「ぜひ作曲家と作家に直接感想を伝えたい」と東京まで足を運ばれた柳生さんを囲んで、今夜、渋谷で打ち上げが行われた。メンバーは作曲家の大河内元規さん、柳生さん、わたし、主人公の祖父役でいい味を出していた田村元治さん、そして演出の保科義久さん。この日のテーマは「お互いをほめあおう」ということで、「今から今井さんをほめますからね」と前置きされてからほめ口上がはじまるのだが、柳生さんいわく「本読みの前の作者からの一言がつたなくってねえ、いきなり自分の母親の話なんて、普通しないからねえ。でも、かえって思いが伝わったよ」「書いてる話の割に妙に若いし、変わったカッコしてるし、それでいて、変に美人じゃないし。よし、この子のために頑張ろうって燃えたんだよな」。ほめられているのか同情を買っただけなのかわからないのだが、柳生さんの役者魂に火をつけたことだけは確かなようだ。柳生さんは何度か「今井雅子の本はそそる」と言ってくれた。「本が穴だらけだから、役者が埋める余地がある。役者にこうしろと決めつけず、自分ならこうしようと想像させる本だから、読めば読むほど面白くなるんだ」。この言葉は素直にうれしかった。

柳生さんは大河内さんの音楽を「僕の世代が親しんだ感覚の音が見事に表現されていた」と絶賛し、野口雨情の連続テレビ小説で共演して以来の知り合いという田村さんを「役者の良心」とベタ誉めし、保科さんの演出を「的確で、あれこそが演出だ」とほめちぎった。作曲家が本読みや収録に立ちあうのは珍しいことらしく、「できるだけ早く物語のイメージをつかみたかった」という大河内さんに「えらい!」と賛辞の嵐。大河内さんは30を過ぎるまで広告代理店で営業をやっていたそうで、「え、あなたも代理店?」と互いにびっくりした。コピーライターから脚本家というのはよく聞くけど、代理店の営業から作曲家というのは初耳。

商船大学を出た柳生さんが役者になったいきさつ(視力検査でひっかかって船長になれず、「エデンの東」のジェームス・ディーンに憧れて俳優座の試験を受け、高倍率を突破して合格)、柳生さんが進めている「噴火で一瞬にして埋まった3500年前の森を掘り起こすプロジェクト」、柳生さんと柳生一族の関係(関係はあるらしく、柳生さんのおじいさんは気合で電柱の雀を落とすことができたとか。歴史に疎いわたしは柳生十兵衛を知らず、映画俳優のルイ・ジューべと柳生十兵衛がごっちゃになるお粗末さで、一同から鋭い突っ込みが入った)、柳生さんと田村さんがこれまで共演したスターたちの思い出話、ラジオドラマの奥深さ、などなど話は尽きず、7時間に及ぶ宴となった。

愚痴や悪口とは対極にある温かい言葉のやりとりが、お酒でぽわーっとなった頭にはとりわけ心地よく、夢の波間を漂っているような幸せな夜だった。この夜、柳生さんが何度も口にしたのは、「僕はいま、『Happiness is......』の世界にいる」という台詞。ホテル横浜開洋亭に同名のバーがあるらしい。幸せとは、作品を通して好きな人が増えることだったり、自分たちがつくった作品について語り明かせることだったり、また一緒に何かやりたいねと未来を語れることだったり。やっぱり、ビジネスよりハピネス。

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2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」

■得意先のピザハットが配る毎日新聞号外に漫才を書く。前々から大阪弁のコピーを書きたいと思っていたので、今回の仕事が来たとき、「商品説明をだらだら書くより漫才にしたほうが読んでもらえます。大阪人のわたしが言うんですから間違いありません」と漫才案を売り込んだ。号外は大阪地区のみだけど、デザートとのセットキャンペーンは全国で実施中。あなたの近くのピザハット、ケータイサイトwww.pizzahut.jp/kで見つかります。

ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
ピザ「どうもー。ピザでーす」
ハット「ハットでーす」
ピザ「二人合わせてピザハットでーす」
ハット「なんやピザハットの回しモンみたいやなあ」
ピザ「回しモンのにおいプンプンやで」
ハット「におうといえば、あれ食べた?ピザハットから新発売の、におう生地」
ピザ「それ言うなら、香る生地やろ」
ハット「そうそう。この夏だけの香る生地、ハーブリッチや。食べたことある?」
ピザ「今食べてるがな」
ハット「ああ、これか。お前知ってるか、バジルとオレガノとガーリックを練りこんでるんやで」
ピザ「えらそーに。バジルって何か知ってんのか?」
ハット「ハーブリッチに入ってるハーブのことや」
ピザ「じゃあ、どれがバジルか指さしてみい」
ハット「この辺」
ピザ「オレガノは?」
ハット「この辺」
ピザ「ええ加減やなあ」
ハット「細かいこと言わんと、ハーモニーを楽しめばええんや」
ピザ「お、うまく逃げおったな。ところでこのトッピングの名前知ってるか」
ハット「三種のトマトや」
ピザ「やるやん」
ハット「トマトは縁起がええねんで。フランスでは愛のりんご、イタリアでは黄金のりんご、
 ドイツでは天国のりんごいうあだ名があるんや。それで三種のトマトや」

ピザ「ちゃうやろ。サンドライトマト、イタリアントマト、フレッシュトマトで三種のトマトや」
ハット「じゃあどれがサンドライトマトか指差してみい」
ピザ「そう来るか」
ハット「おい、何すんねん!」
ピザ「全部食べてしもた」
ハット「……証拠隠滅かよ」
ピザ「おい、どこに電話するねん!」
ハット「ピザハットにもう一枚頼むんや」
ピザ「うわ、今ならデザートとセットでおトク!そっちが一枚うわてやったか」


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2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ

■通勤電車に乗り込もうとしたら、後ろから声をかけられた。「ステキなパンツね。どこで買ったの?」。ニコニコと話し掛けてこられたのは、虹色のニットの女性。50代ぐらいかなとお見受けしたけど、「37才の娘がいる」とのこと。とても若々しいその女性は「誰も着てないような一点ものの服が好き」なのだそうで、「後ろから見ていて、あんまりきれいな色で、つい声かけちゃったの。靴も鞄もステキ」と手放しでほめてくれた。わたしが乗り換えで降りるまで、ひたすら服の話で盛り上がる。お互い名乗りそびれてしまったけど、「楽しかった。またひょっこりお会いしましょう」と言いあってお別れする。■思いがけない出会いを呼んだパンツはNYのブランド、Tod Oldhamのもの。今はなくなってしまった表参道ビブレ1階に店が入っていた。(NYにあるお店にも行ったけど、ビブレのほうが品揃えが良くて、肩透かしを食らった覚えがある)。色指定用のカラーチップに似ているので、会社に出入りしている印刷屋さんに「色校正のときにはいていると便利ですね」とからかわれたりする。会社の英会話の先生(アメリカ人)いわく「You are visually stimulating(シカク的にシゲキ的)!」。面白い服を着ていると面白いことが起こる。そんなわたしと並んで歩きたがらないダンナは「君は遠くからでもすぐわかるんだよ」と心からイヤそうな様子。いいじゃないか、赤鼻のトナカイみたいで、『パコダテ人』のみちる姉ちゃんみたいで。

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1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの



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