外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2013年07月31日(水) 遙かなる、ウィンブルドン。

◆4年しか住んでいなかったのに「懐かしい」のが不思議です。

私はもうじき53歳になります。

今までの半生の殆どは日本、しかも東京で過ごしてきたので、

間違いなく、ここが故郷であり、今住んでいる場所は、幸い、7年前に戻ってきたのですが、自分が幼少期から長く住んでいた場所です。

ここが一番懐かしいに決まっているのですが、不思議なことに、仕事のため駐在員を命ぜられ赴任した英国で、たまたま借家が見つかり、

4年間住んだ、ウィンブルドン。あのテニスで知られる(私は、全然テニスには興味がないのですが)ウィンブルドンが懐かしい。


もう、どうしようも無く懐かしいのです。くどいようですが、4年間しかいなかったのに、ありありと昨日のことのように思い出せるのです。

しかしながら、客観的に当時の状況を考えると、さほど人生における「良い局面」ではないのです。

1993年8月中旬にロンドン赴任の「内示」が会社から出て、それを聴いて喜んでいた父は、8月の末に脳出血で倒れ、そのまま寝たきりになりました。

それでも兄貴がいたし、親父自身が、「構わんから行け」といってくれたので、ロンドンに後ろ髪を引かれる思いで赴任しました。

最後に親父が可愛がってくれた、私のせがれ(当時二歳だったので、息子は親父を覚えていません)を見るときの親父の悲しそうな顔、

それは勿論、「もう、二度と会えないかも知れない」ということで、その予感は私も同じで辛かったです。


そのような背景があるのを知っているクセに、私の会社のロンドンの上司や先輩は実に不親切で、意地悪でした。

一体、私に、何の恨みがあるのか?といいたくなるほどでした。あのようなことをしてはいけませんね。

ロンドンは懐かしいですが、ロンドン赴任直後に意地悪してくれた人々への恨みは、一生わすれないことでしょう。

そのような最悪の出だしだったし、その後もロンドンの上司は、小心者で細かい事に異常に五月蠅かった。


私生活は充実していたかというと、まあ、悪くはなかったですが、配偶者は4年間英国に住んで、よくもあれほどまったく

英語が上達しないままでいられるものだ、と感動するほど、最初から最後まで私が通訳してやらないとダメでした。

ロンドンに行って2年経った、1995年秋、既に入院して寝たきりだった父が、また脳出血を起こしました。

私は緊急帰国して1週間、病院のICUに泊まり込みましたが、変化がなく、仕方が無いので、また、気になることを残したまま

ロンドンに戻りました、その数ヶ月後、1996年の1月末に父は死にまして、要するに親父の死に目には遭えませんでした。


と、事実だけを列挙すると、ロンドンには忌まわしい記憶しか残らないはずなのに、なにが良かったのか。


あまりにも美しく、緑の豊かな環境がよかったのか。

学生時代からこれだけは好きで、かなり一所懸命勉強し、NHKラジオの「英語会話」(東後勝明先生が講師で「英会話」ではなくて、

「英語会話」でした)で、独学しただけで、話すのはヘタクソでしたが、とにかく毎日、英語を話せたのが、精神的に好影響をもたらしたのか。

日本では絶対に聴けない、ヨーロッパのオーケストラを、日本では考えられないほど、安く、容易に聴けたのが良かったのか。

年に2回の休暇(欧米に駐在する日本人は、日本の祝日も出勤しますから、夏と冬に一週間ずつ、連続休暇を取得できます)で

会社の異動でロンドン駐在にならなかったら、とにかく怠惰で何ごとも面倒くさい私は多分、一生、行くことが無かったと思われる

ヨーロッパ各地を訪れた、そのときの美しい景色や、モーツァルトの生家に、行けたことがよかったのか。

一応理屈としては、成り立つのですが、それでもできる限り冷静に、あの頃の自分の状況を振り返ると、

楽しい事よりも、遙かに辛いことの方が多かったのです。

後に、日本に帰ってからうつ病になってしまった私ですが、帰国後、職場の人々は親切でした。

ストレスのものすごさを考えると、むしろ、ロンドン駐在時に、精神に異常を来さなかったのが、不思議で仕方がないのです。

色々書きましたが、何かまとまった結論というか、主張がある訳ではありません。まことにとりとめの無い雑文で恐縮です。


毎年、テニスには関心が無いものの、あの時期、テレビから「ウィンブルドン」という言葉が発せられる度に、

説明不可能な「郷愁」を覚えます。もう「住む」ことは無理ですが、死ぬまでにもう一度行ってみたいものです。

Google Earthでみると、通りの様子も殆ど変わらない。あの国は変わらないのが良いのです。

ウィンブルドン・テニスの期間中に書こうかとおもいましたが、何となくキザかな?と思い、書きあぐね、

今頃になって、駄文を認めた次第です。

【読者の皆様にお願い】

是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。


2012年07月31日(火) 「日本代表が「金」2「銀」2…国際化学五輪」←何度も同じ事を書きますが・・・。
2011年07月31日(日) すみません。体調が悪いわけでも何でもありませんで。
2008年07月31日(木) 今週発表されている日本の経済指標、全部悪いですね。
2007年07月31日(火) 「<安倍首相>赤城氏留任させず…9月改造で示唆」←そういう小手先の手を使ってもダメなのですよ。
2006年07月31日(月) 「岐阜県庁裏金:500万円を焼却『処理に困って…』」←県民が額に汗して働いて納めた税金を「燃やし」たんだな?
2005年07月31日(日) 「世界ウルルン滞在記」において認められる、「性善説」
2004年07月31日(土) リコーダー(縦笛)というのは、皆が考えているような、幼稚な楽器ではない。
2003年07月31日(木) 「わずか数日でPTSD兆候 宮城地震被災者に強いストレス」 「数日」ではPTSDとは言えないが、早く専門家によるケアが必要だ。

JIRO |HomePage

My追加