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JIROの独断的日記
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2008年08月12日(火) また、8月12日がやってきました。

◆日本航空123便の墜落事故に関して、何度か書いた。

1985年8月12日に墜落し、乗員乗客520名が死亡した事故に関しては、多くのことが書籍でまた、ネット上でも綴られているから、

私が多くを語る必要は無いと思う。

毎年、この日は、123便を記事として取りあげるかどうか悩む。

事故当時、私は25歳、社会人2年目だった。会社からの帰途、書店に立ち寄ったらNHKラジオのニュースがながれていた。

一言一句覚えている訳ではないが、アナウンサーは

「午後6時過ぎ、羽田を離陸した大阪(伊丹)行きの日本航空123便が、レーダーから消えた。この飛行機には乗員・乗客520余名が乗っている」


という意味の原稿を読んでいた。

私は、航空関係者ではないが、ことの重大さはすぐに理解できた。あの、ジャンボが墜落したら・・・・と考えるだけで、

膝が震えた。


◆予想以上の悲劇だった。

この件については、過去何度か書いたので、ご参照頂きたい。

日航123便はあの30分が全てではないのだ。ココログはこちら

「ボイス・レコーダー」(TBS)視聴後、雑感。ココログはこちら

123便にまつわること。コクピットクルーのお子さんたち。ココログはこちら

日航123便のボイスレコーダーを面白半分で聴くな。ココログはこちら

私の云いたいことは、殆どこれらの記事で書いた。

ただひとつ。「日航123便のボイスレコーダーを面白半分で聴くな。」には、若い方から、

「決して面白半分で聴いているのではない。自分は事故当時中学3年だったが、これがきっかけとなり(空の安全を守るために)航空管制官になった」


というコメントも頂戴した。

私のサイトには、1年中、「123便」で検索してくる人が多い。

かつて、日航機墜落までの航跡というサイトがあり、コクピット内の会話を全て記録したボイスレコーダーと、

日航機の航跡をシンクロさせてFlashで表示していたが、どうやら、閉鎖されてしまったようである。

私は、そのファイルを保存しているから、暫定的に公開する。

若い人。頼むから、真面目に聞いてくれ。自らの死が迫っていることを悟りながら、乗客を守るために、最後まで懸命に機を立て直そうとした、

コクピットクルーの責任感と、必死の努力を感じて、冥福を祈って欲しい。勿論、キャビン・クルーや乗客の冥福も祈って欲しい。

そして、日航123便はあの30分が全てではないのだ。で紹介した本を読んで頂きたい。

不真面目なリンクがあったら、ただちにこのファイルは、このページから削除する。


ダウンロード 123f.swf (4093.2K)


面白半分でない証拠に、感じたことがあったら、コメントを書いて下さい。また、投票ボタン、クリックして下さいね。

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(お断り、今日予定のモーツァルト」ジュピター、第三楽章は明日載せます。悪しからず)


2007年08月12日(日) 日航123便の事を書くならば、最後に「亡くなられた方々のご冥福を祈る」と一言添えるものだ。
2006年08月12日(土) 日航123便のボイスレコーダーを面白半分で聴くな。/坂本九氏の功績。
2005年08月12日(金) 日航123便はあの30分が全てではないのだ。
2004年08月12日(木) 「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママを助けて下さい」今年もやってきた。8月12日。
2003年08月12日(火) 「西部警察」ロケ中、5人重軽傷=見物人の列に俳優の車−名古屋 石原プロは解散してはどうか。

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