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JIROの独断的日記
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2006年03月30日(木) 厚労省「終末期医療に関する調査等検討会報告書」(平成16年7月)一般人、「延命望まない」7割。

◆記事:クローズアップ2006:富山・射水の呼吸器外し 殺人なのか、「尊厳死」か (毎日新聞)

(はじめに、引用者=JIRO注:全文載せると長くなりすぎるので、ここに全文のキャッシュを保存しておきますので、ご希望の方はお読み下さい)。

◇「治療中止」基準なし

今回のように、医師が患者の死期を早めるような事件が後を絶たない。

その背景について、兵庫医大救命救急センターの丸川征四郎教授は「患者にも家族にも、延命治療を望まない人がいる。ベテラン医師になると、経験からそうしたものと思い込み、本人や家族との意思疎通が不十分でも、希望に沿ったつもりの善意で治療中止をする場合がある」と説明する。

末期医療の現場では、医師が患者本人や家族から「早く楽にしてほしい」と頼まれ、医師自身も「どうせ助かる見込みがないのなら」という同情に似た気持ちが表れることもある。

日本ホスピス緩和ケア協会会長の山崎章郎医師は「それでも多くの医師はそれを乗り越え、患者の心身の痛みを和らげて命を見守る努力をする。

命を尊重しつつ、患者の苦痛を和らげるのが基本で、苦しがっているから命を止めるというのは医療ではない」と話す。



しかし、現場の医師が実際に治療を中止する場合、具体的にどんな手続きを取ったら合法となるのか、法律上の明文規定はない。横浜地裁が示した要件も定着してはいない。

厚生労働省の「終末期医療に関する調査等検討会」は「判断基準は明らかでなく医療関係者は悩む」と報告書に盛り込んだうえで、「医学会などがガイドラインを作るべきだ」と提言した。

提言を受け、「日本集中治療医学会」は昨年から、治療中止の基準作りを始めている。

基準の素案は、中止の前提として

(1)複数の医師による最高水準の治療

(2)救命不可能なことを複数の医師が繰り返し確認する

(3)家族に十分に説明し、治療中止以外にも選択肢を提示する−−

などを求めている。



◇「望む」国民7割超す

厚生労働省の「終末期医療に関する調査等検討会」は03年、末期医療について世論調査をした。

延命治療中止を望む国民は7割を超え、医療関係者では8割に達した。一方で「積極的に生命を短縮する」行為への賛成はわずかで、医療関係者ほど慎重な現状も浮かんだ。

調査では一般国民の80%、医師の92%、看護師の95%が、末期医療に「関心がある」と回答した。

自分が「痛みを伴う末期状態(余命約6カ月未満)」になった場合に「単なる延命治療はやめてほしい」などの回答は、一般で74%、医師で82%、看護師で87%に達した。

しかし、「医師が積極的に生命を短縮させる」ことを認めたのは、一般で14%、医師で3%、看護師で2%に過ぎない。

「苦痛を和らげることに重点を置く」が一般で59%を占め、医師や看護師では8割を超えた。
(引用者注:後略。くどくて済みませんが、全文はここ。毎日新聞 2006年3月26日 大阪朝刊


◆コメント:記事のとおり、2003年に、「終末期医療に関する調査等検討会」が詳細なレポートを出しているのです。

私は、3月26日の日記で、こういう終末医療の現場で何度も医師の行為が「尊厳死」若しくは「安楽死」なのか、又は殺人なのか揉め事になるのは法制化しないからだ、と書いたが、そんなことは、実は厚労省は3年も前に調べてわかっていたのです。今日、やっと見つけました。概要はご覧の通り。
原典をご覧になりたければ、厚労省による終末期医療に関する調査等検討会報告書の、特にここには、「終末期医療の在り方 」とか、「医療現場の悩み 」に関する詳細な記述があります。
特に、「医療現場の悩み

終末期において、延命のための医療行為を開始しないこと(医療の不開始)や、行っている延命のための医療行為を中止すること(医療の中止)に関してどのような手順を踏むべきか、医師をはじめ医療関係者が悩むことは多く、判断基準が明らかでない。患者の意思を踏まえた個々の医療行為の是非は医療サイドの判断ではあるが、どういう手順を踏んで医療の不開始・中止を決めることが妥当なのか、どのような行為が合法なのか、医師が悩む場面は多い。この点に関する明確な社会的コンセンサスが求められている。


ほら、4日前に云ったとおりでしょ。

4年も前に分かっていながら、「新しいことを手がけて、責任を追及されるのを何よりも恐れる人間の集団=お役人さん」が、本気で法制化に取り組まなかったのが、

問題がいつまでも繰り返される一つの原因なのではないでしょうか?


◆「尊厳死」は良いが、「安楽死」は嫌。患者、医師、共通。

「尊厳死」と「安楽死」の相違は、に書きました。

前者は「延命治療を中止すること」。

後者は積極的に薬物を注射することにより、患者を能動的に(もちろん、苦痛から解放するために)死に至らしめることです。

はっきり云えば、安楽死は患者を「殺害する」ことだから、「人の命を救いたい」、という医師の「本能」に反するわけです(大サービスで良心的な医師ばかりであるように書いておきます)。

医師が、延命治療を止めるのには賛成だが、安楽死は嫌だ、というのは理解出来ないこともない。



けれども、一般人がこれほど「安楽死」を嫌がるとは思わなかったですね。

これは、知らないんじゃないの?末期癌の患者の苦しみ方を。見てられないですよ。多分知らないんだと思うな。

私は理由は詳しく書かないけれども、そういうの知っているんです。

私が患者になったら、あんなに苦しむ以前に、さっさと薬殺(塩化カリウムでしたっけ)していただきたいですね。



そもそも、人間、頼んだ訳でもないのにこの世に生まれてきて、「とかくに住みにくい」人の世(誰の作品のの引用だか分かりますね?)で何十年も我慢して苦労してきたというのに、

何故、一生の終わりに、激痛にのたうち回らなくてはいけないのか?と思います。最期ぐらいはあらゆる苦痛から解放される自由を持つべきと思うのです。


◆「安楽死」を装った「殺人」が増えるとは思わない。

安楽死や尊厳死を法制化すると、終末期医療はコストが高いので、患者の家族には負担となる。

そこで、患者に対して「早く死ねよ」という心理的圧力がかかる恐れがあるから、反対、という意見が、あります。

確かに可能性が「ゼロ」ではないですが、私はその可能性はかなり低いと思います。



なぜ、そう思うか。

それはですね。

1989年11月、島根医大で日本で初めての生体肝移植が行われたときに、世論の反対意見でこういうのが有りました。

「生体肝移植が普及すると、胆道閉鎖症などで苦しむ患者の家族で生体肝移植をしない人に、『お前は我が子(親でも何でもいいですが)に自分の肝臓の一部を提供しないで、恥ずかしくないのか?』という無言の圧力が生ずるのではないか?」


という意見でした。

実際にそういうことが、有ったか、無かったか分かりませんが、少なくとも私は聞いたことがありません。

そして現実に、島根医大の英断のおかげで、以後夥しい数の生体肝移植が行われ、それまでなら、死ぬしかなかった人が助かっているわけです。

「無言の圧力」を考慮して生体肝移植を止めていたら、皆死んでいたわけです。



重い病に苦しむ患者が特に家族がいる場合、人間、何とかしてやりたいという気持ちの方が強くなるという傾向が存在するのではないかと思います。

つまり、安楽死が法制化されたからと言って、患者に対して「早く死ねよ」という人が増えて、助かるかも知れない患者が殺されるという心配は、多分杞憂に終わると思います。


◆苦痛を緩和するためのモルヒネを打ちすぎたと訴えられた医師もいる。

書き忘れることでしたが、末期癌患者に対しては苦痛を取り除くため麻薬の一種、モルヒネが投与されますが、それで訴えられた医師がいるのです。

◆医療過誤訴訟:モルヒネの多量投与死、医師らに賠償命令−−横浜地裁 (毎日新聞 2006.01.27 東京朝刊) 

横浜栄共済病院(横浜市栄区)でがん再発後、モルヒネの不適切な投与が原因で死亡したとして、患者の遺族らが同病院を運営する国家公務員共済組合連合会と担当医師らを相手取り、

約1億2800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、横浜地裁であった。

小林正裁判長は「十分な説明もなく、多量のモルヒネを投与した」と病院側の過失を認め、共済組合と担当医師に計約1800万円の支払いを命じた。

原告は、死亡した神奈川県鎌倉市の会社員、藤井義雄さん(当時48歳)の妻あや子さん(55)ら。判決によると、藤井さんはぼうこうがんで98年7月、同病院でぼうこうを摘出した。

99年11月に再入院してがんの再発が分かり、12月4日午後から鎮痛剤の塩酸モルヒネの入った点滴を受けて意識障害などを起こし、約9時間後の5日未明に死亡した。

小林裁判長は「モルヒネ投与自体が不適切とは言えないが、初期の静脈持続投与で1日10〜20ミリグラムが勧められている。担当医師は1日あたり100ミリグラムを投与しており、適量を大きく超えていた」と過失を認定。「過失がなければ、99年12月5日の時点では生存していた可能性が高い」とした。一方、原告が求めていた逸失利益は認めなかった。共済組合は「判決を見ていないのでコメントを控えたい」としている。

これ、どうですかね。規定量より多く投与したと。それで、患者は早く死んだ。

しかし、いずれにせよ末期だったわけです。

医師はこれから、患者がどんなに痛がっても、モルヒネの投与量を厳格に守るようになることでしょう。

患者は激痛に耐えながら、どうせ死ぬのに、数日余計に生きる。これが、意味のあることでしょうか?



だから、やはり私は、医療現場が求めているように、安楽死・尊厳死の法的根拠を明文化するべきだと考えるのです。


【追加】◆記事:<尊厳死疑惑>患者は生前、延命治療の中止希望 家族証言

富山県射水(いみず)市の射水市民病院(麻野井英次院長)であった人工呼吸器外し問題で、同病院で人工呼吸器を外されて死亡した男性患者の家族が30日、毎日新聞の取材に応じた。

生前、延命治療の中止を希望していたことから、家族で話し合って医師に呼吸器を外すよう依頼し、主治医は「それだけ言われるなら」と了承したという。

外す際は気が動転していたため、「6人の呼吸器外しに立ち会った」と認めた外科部長(50)=3月31日で退職=がいたかは覚えていないが、県警は近く、この家族から任意で聴取する方針。

この患者は県西部に居住し、がんなどを患って、03年に60代で死亡した。意識がなく、人工呼吸器を装着。別の担当の医師が回復が難しいと話すのを聞いたことから、親族で呼吸器取り外しを話し合った。

患者は生前、植物状態の人を扱ったテレビ番組をみている時、「こうなったら長いこと置いてくれるな」と話していたといい、最終的に延命治療の中止を決め、取り外しを担当医師に依頼した。

取り外した時は、家族や親族のほか、医師1人と看護師が立ち会った。

家族の一人は、呼吸器を装着され点滴を続ける様子が「気の毒で、見ていられなかった。いつまで続くのかと思うとつらかった」と語り、

「(呼吸器外しが表面化した)他の家族も同じように頼んだのではないか」と話している。
(毎日新聞) - 3月31日3時10分更新


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