風紋

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2003年11月30日(日) 本の話など(主に児童書) / 聴いている音楽 / 希望

11月27日(木曜)に図書館へ行って借りてきた本の一部。他にも借りてきた本はあるのだけれど、それらはまだ読めなかったり、あるいは「借りてきた」ということをここに書けない段階なので、書かない。ここに書いたのは、ほとんどの本が、昔に1度読んだことのある本。

(1)「ふたりは屋根裏部屋で」(さとうまきこ:作、牧野鈴子:絵、1985年、あかね書房)(詳細) 
(2)「ハッピーバースデー」(さとうまきこ:作、小林与志:絵、1982年、あかね書房)(詳細が見つからない…)
私はさとうまきこさんの既刊の本の全部を読んだわけではないので、「私が今まで読んだことのある本から判断すると」という限定つきでの判断になってしまうけれど、さとうまきこさんは、割り切れない微妙な気持ちに真っ向から取り組んでくれる作家だと私は思う。許される気持ちも許されない気持ちも、美しい気持ちも醜い気持ちも。だから私は好きで、小学生から中学生にかけての時期に、この2冊の本には随分支えられた。そういえば「友情のスカラベ」も良かったなー。今でもどこかで支えられている。しかしこの2冊は既に入手困難になっているらしい。

(3)「おおきなきがほしい」(佐藤さとる:文、村上勉:絵。1971年、偕成社)(詳細)(詳細
小さい子どもの頃によく読んでいた絵本なのだけれど、細かいところはすっかり忘れてしまっていた。急に思い出して借りてみた。そうそう、そんな話だったよ…と思いながら読んでいた。今では、「こんなことは現実には不可能だよ…」と一方ではわかってしまっているのだけれど、でも、本当にこんな木があってこんなことができればいいなぁ…。一番好きなのは、お話の最後に、かおる(主人公、男の子)とお父さんが本当に木を植えた、というところ。夢への第一歩を踏み出したという感じなので。

(4)「風と夏と11歳〜青奈とかほりの物語〜」(薫くみこ:作、みきゆきこ:絵、1993年、ポプラ社)(詳細
2002年12月1日の日記に詳しい感想を書いているので、今日は詳しくは書かない。かほりが青奈に強く憧れる気持ちが、一途でキラキラとしている。物語はかほりの視点から書かれているのだけれど、私が読み取った限りでは、青奈もたぶんかほりに憧れている。時々、この本がとても読みたくなって、借りに行く。本当は手に入れたいのだけれど、入手困難な状態になっているようなので…。

(5)「お星さまのレール」(小林千登勢:作、小林与志:絵:、1982年、金の星社)(詳細
今朝、ちょうどテレビで小林千登勢さんのニュースを放送していた。美しくて強い笑顔のお写真を拝見した。小林千登勢さんのこれまでを振り返る映像と説明を見て、私は、小林千登勢さんはとても美しくて強い生き方をされたのではないかと思った。憧れた。でも…生きていて欲しかった…。なぜ…。

(6)「約束」(2001年、集英社)(詳細
やっと読めた。フィクションのはずなのだけれど、特に最後のあたりは私の気持ちのそのままを代わりに書いてくれているように(勝手に)思って、胸がいっぱいになった。私も今の気持ちを、今書きたいと思った。だから今、書いている。…書けていないけれど…。


読みたいな、と思っている本のメモ。

「めざめれば魔女」(マーガレット・マーヒー:作、清水真砂子:訳、1989年、岩波書店)(詳細

「あるミミズの話。」(佐久間舞:作・絵、2003年、新風舎)(詳細


今、聴いている音楽
「ピアノ協奏曲第2番ハ短調,Op.18」(ラフマニノフ作曲)
激しい悲しみの渦の中にすぅっと引き込まれるようで、でもそれは決して不快ではなく、むしろ抑え込まざるを得なかった悲しみに出口をつくってくれるような感じで、一方でとても心が落ち着く。そして最後は限りなく優しく終わる。あくまで私の印象、なのだけれど。


時々後ろ向きになったり、時々右を見たり左を見たり、時々ぴとっと止まりながら、少しずつ前に進みたいと思う今日この頃。

未来への希望も失いそうになりながらの状態で、希望だけは捨てずにいたいと必死で願っている。


2003年11月26日(水) ぽやん、と。

今日も、何となく何か書きたい気持ちになっているのだけれど、何も書けないような気がして、パソコンの画面を前にして、ぽやん、としている。


昨日降ってきた宿題のうち、突然どかんっと来た大きな宿題の方(公用でない方)は何とかなりそうな目処がついたけれど、「小さいが重要な宿題」の方は少し落ち着いて考える必要がありそうだ。


お昼過ぎ、いつも通る道を普通に歩いていたのだけれど、今日に限って、一度通り過ぎたある場所が気になって、通り過ぎても何度も立ち止まって振り返ってその場所を見つめていた。

少しだけ言い直すと、「今日に限って」ではなくて、むしろ「今日だったからこそ」そうした。


日記を書いても書かなくても、私は1日の終わりに「また明日」という想いを込める。


日記を書き終えて、一度更新して、そしてたった今、小林千登勢さんが亡くなられたというニュースを見た。どうして…、なぜ…、という言葉しか浮かばない。

「お星さまのレール」(小林千登勢著、フォア文庫の会、1984年(初版は金の星社、1982年?))((詳細はこちらになるのだろうか)は、昔、持っていた。印象に残る本だった。きっと今でも持っているはず。引っ越しの時にしまいこんで、何処にいってしまったのだろう。探し出したい。


2003年11月25日(火) いろいろとあって、そんな今日

昨日の日記に「また明日」と書いた以上、何となく何か書かなければいけないなという気持ちになっているのだけれど、書くだけの力が今日はないようで、ぽやん、としている。

日没の前後の時間の空が印象的だった。

本屋さんに寄りたい気分だったので、本屋さんに寄った。気になる本はいくつかあったのだけれど、結局何も買わずに本屋さんを出た。手に入れようかどうか迷う。

小さいが重要な宿題が出されて、どうしようーと思っていた。

森永の「小枝」のブラックココア味が食べたいのに、見当たらない(こちらより。ちなみに、森永製菓のホームページのトップページを開くと、開いたと同時に突然「もりなが♪」と声が流れたので、かなりびっくりした。どきどきした←ご覧になられる方は「声が流れるぞ」という心の準備をしておいた方がいいかと思います。声が流れるのはトップページだけのようですが)。

何となく「へぇボタン」が欲しい(こちら)。無理をして買おうとは思わないし、別に何かの目的に使おうとも思わないのだけれど、ただ押してみたいだけ。

ご近所のお宅を訪問した際に、入り口で頭をごんっとぶつけてしまった(見られていなくて幸い)。

そんな今日があって、また明日(日記が書けなくても、また明日。書けなくてもかまわないかなぁ)。

と書いたら、今、突然大きな宿題がどかんっときた(本業で(つまり公用で)ではないけれど)。ああぁ、と途端に気が重くなる。このような状況で気が重くなっている自分が嫌でならなくて、また気が重くなる。この件については、1人で抱え込まなくてもよいのだろうか(分担して対処すれば何とかなりそうな…)。

がんばろう、っと。


2003年11月24日(月) 焼き芋とお鍋で幸せ / 未来?

焼き芋を食べた。ほっこりとした気持ちになった。

こんな時間にこんなものを食べたら食事が入らなくなってしまうのではないかしら、と一瞬躊躇したが、今の季節にしか味わえないものだから、まぁいいかと思って、ありがたく味わった。

そして、夕食はお鍋だった。

ちょっと食べ過ぎたかもしれないけれど、幸せ。


“どんっとしていてしっかりとした未来”というものがあるのではなくて、昨日があって今日があって明日があってという毎日の中で(その中で、大波小波・波瀾万丈はあるだろうけれど。それと、明日…はあるかどうかわからないけれど、あればいいなぁ、ありますように)、その繰り返しの中で少しずつ“未来”に進んでいくのではないだろうか、と私は思う(大きな転機があって、一気に未来が進むこともあると思うけれど)。

…思いたいのだが、どうにもこうにも、私は、今の時点で“どんっとしていてしっかりとした未来”を描かねばならないという圧力を感じてしまう。

私は、こうしたいとか、こうなりたいという希望は強く持っているけれど、全部をかなえる自信はないし、私を取り巻く状況が変わって、私の気持ちも変われば、それはその時だろうと思うのだけれど。

しかし。

本当は、明日という日が来てくれたらそれでいいはずなのだけれど。


今日もあまりうまく書けた気がしない。迷いながらという気がする。あぁぁぁぁ。

また明日。書けるかどうかわからないけれど。でもまた明日。


昨日の日記に少しだけ付け加えをした。


2003年11月23日(日) (タイトルがつかない…)

今日はうまく書けるかどうか自信がないけれど、それでも勇気を出して少しでも書いてみようと思いつつ、やはり少しの躊躇いも残しながら、それでも書く。


「同じ出来事に遭遇したから、同じ気持ちを抱えているだろう」として、ひとくくりにされて扱われるのは、随分とつらいことではないだろうか、と、思う。

確かに、同じ出来事に遭遇すると、同じような気持ちを持つかもしれない(持つ可能性は大きいと思う)。ただ、その出来事をどう受け止めるか、どのような状況の中でその出来事に遭遇したか、という点からして、既に「同じ」ではなく、1人1人違うものであるように思う。そこで生じる気持ちも、「同じような」ところを抱えながらも、それぞれ違うものであって、それぞれを大切にしたいものだと思う。私はそう思うので、複数の気持ちを「同じもの」として無遠慮に扱うことには、戸惑いと申し訳なさを覚える。

しかし、「同じような気持ち」があるからこそ救われる部分も大きいように思う。それは、別に「同じ出来事」に遭遇していなくてもよいのかもしれない。「同じ出来事」に遭遇していなくても、あぁ、と思うことはある。

“ただ隣に居て、心から相槌を打ってくれれば嬉しいのよ”と思うこともある。

追記:↑“ただ隣に居て、心から相槌を打ってくれれば嬉しいのよ”と書いたが、相槌を打ってくれなくてもいいということに後で気がついた。相槌を打ってくれなくても、迷っても、戸惑っても、悩んでも、居てくれればそれだけでいい、と思う(2003/11/24,23:15)。


最近、私は私自身に対して「自分が痛みを抱えていると自覚できていない人間に、他の人の痛みをわかることができるのか?」と問い掛けている。あくまで私が私自身に対して、私自身のために問い掛けているだけなのだけれど(だから、一般的にどうこうというつもりはない)。

私がこれまで生きてきた中では、いろいろなことがあった(などと書くと波瀾万丈の人生のように思われそうだが、そうでもない)。その中には、悲しいことやつらいこともあった…ような気がする。その時に、私はきちんと悲しんできただろうか?つらさを十分に味わってきただろうか?と考えると、どうだろう…と思うのだ。

「大したことはない」「悲しくもつらくもない」「大丈夫」というふうに他の人の前で振る舞おうとし、実際にそうすることによって、自分自身に「大したことはない」「悲しくもつらくもない」「大丈夫」と言い聞かせてきた。そう思うようにしてきた。結果、悲しみやつらさから随分と逃げてきたような気がする。1つ1つのことにきちんと向き合ってこなかった。

こんなことを考えるのは、最近「あの頃はこうだったのだな」と振り返ることがあるからだ。そんな今も、未来のある時に、「あの頃はこうだったのだな」と振り返られているかもしれないけれど。


ここのところ、人に会う練習をしてきているように思う。…と書くのもおかしいのだけれど。

私の話を他の人にして、他の人に聴いていただいて、自分自身を振り返って。

他の人の話を私が聴かせていただいて、ただただ聴かせていただいて、自分自身を振り返って。

もう少し、きちんと人と会えるようになれればいいのにな、とは思う。


休みを使って、身体面と精神面の調子を整えようとしています。とは言っても、これがなかなかうまくいかない。今日は少し頭痛がしたような気がしないでもない。

少し家事をしたり、少し仕事をしたり、少し掃除をしたり、少し連絡をしたり、少しテレビを見たり、少しお菓子を食べたりしながら、基本的には日当たりの良い部屋で、のんびりとしていた。こんなのでいいのかなぁとは思っていたが、少し自分が戻ってきたような気がする。


2003年11月22日(土) 楽しかったぁ、と一言だけ残す。

「あのね。あのね。今日、私、すっっっごく、楽しかったんだよー」と、大きな声で伝えたいような、そんな日でした。

こんなに楽しかったのは、恐らく3ヶ月ぶりくらい。その前は…いつだったっけ。思い出せないな。あまりなかったような気がする。

もっともっと、私はしたいことがある。それが何かはわからないが、それは私がしなければならないことでもある。…とは確認した。


「メルティーキッス」は、私の友人のとても好きなお菓子だったそうです。


2003年11月21日(金) 中華まんを買っていた女の子と昔の思い出 / こんな時だから / チョコ / メモ / 寒くなるので気をつけて

帰り道、小さいお店の前を通りかかった。コンビニエンスストアではなくて、個人商店のようなお店だった。小さい女の子が、中華まんを買っていた(どの種類かはわからなかったが)。女の子が100円玉を1枚(…だと思う)をお店のおじさんに差し出すと、お店のおじさんは、丁寧に袋に1つ、中華まんを入れて女の子に渡していた。

初めてお使いに行った時のことを思い出すなぁ…と思いながら、ほのぼのとした気持ちになった。

私が初めてお使いに行ったのはいつのことだったのか、よく覚えていない。けれど1つ、今でもよく覚えているお使いがある。「どの種類の食パンをどのくらい買って来て」とだけは聞いて、それははっきりと覚えて家を出て、それを正確にお店のお姉さんに伝えたのだけれど、突然「何枚切りですか」と聞かれたのだ。「何枚切り」って言われても意味がわからないし、何を聞かれているのかわからないし、そこまでは母からも聞かなかったので、ひたすら母の言ったことを繰り返して言うしかなかった。結局、お店のお姉さんが書いたメモを持ってもう一度家に帰った…ような気がする。

ということを思い出しながら歩いていると、さっきの女の子が中華まんの袋を持ってスキップをしながら通り過ぎていった。おいおーい、落とすなよ…と思いながら見送った。

私にとって、スキップや口笛などは、できない時は悔しくて悔しくて仕方がなかったのだけれど、いつの間にかできるようになっているものだったような気がする。今ではスキップも口笛も、何だか恥ずかしくてできないのだけれど。

「できないのが悔しくて悔しくて仕方なかった」もので、私にとって最も強烈に印象に残っているのは、ちょうちょ結びだ。小学校1年の時に、綴じ紐を結ぶのにちょうちょ結びを覚えなければならなかったのだけれど、これがなかなかできなくて、変なところで負けず嫌いの私は泣きながら練習したものだった。「『できないできない!』ってむきになるんじゃなくて、『あ、できないわぁ〜』と笑いながら練習しなさい」と母に言われたものだった。…で、どうやってできるようになったのか、今となってはよく覚えていない。

と、いろいろと思い出していた。


こんな時だからこそ、無理をしてでも挑戦してみたいことがある。こんな時だからこそ、行きたい所がある。こんな時だからこそ、会いたい人がいる。こんな時だからこそ、できることがある。何か少しでもいいことがあるに違いない。何か少しでもいい出会い(人や物との)があるかもしれない。ありそう。

ふとそんな気がした。

…しかし、無理は禁物。


「メルティーキッス」のマイルドカカオ味を買った(商品名だとは言え「メルティーキッス」と書くのは何となく照れる。これが「小枝」だったら照れないのに)。


悲しみについて考えていたのだけれど、少し時間をおいてからゆっくりと考えて書いた方がいいような気がするので、取り急ぎ今日は「悲しみについて考えた」ということだけをメモ程度に残しておく。


明日から急激に寒くなるそうです。どうぞ気をつけて。私はしばらく、ぼーっとすることにします(日記も、ぼーっと書いたり書かなかったりするかも)。


もっと他にも、書かねばならないことがあるような気はしている。けれど、少しゆっくり自分の中で暖めてから言葉にしてもいいかなぁ、と。


2003年11月20日(木) 音楽が戻ってきた / 言葉は? / 青を探す

今日、ふっと“音楽が私の中に戻ってきた”という気がした。久しぶりに。

10月頃から時々、この日記の中で、私の所属する楽団の演奏会が近づいていることや、私が演奏会のための練習に参加していることを書いてきた。だが、実は、演奏会の本番は、今日の時点ではもう終わってしまっている。終わってから随分長い時間が流れたような気もする。

いつもは、本番を終えた後は、気分が高揚して、その日の夜遅くに日記を書いたり、聴きに来てくれた友人にお礼のメールや手紙を書いたりしていた。その後の数日間も、演奏会の余韻に浸って“あぁ、良かったなぁ…”としみじみ思い返したりしていた。

しかし、今回の演奏会については、その高揚感や余韻がなかった。代わりに、何か今までとは違う「本番後の感じ」があった。それだけではなくて、その後に音楽が聴けない期間がかなり長くあった。例外で、平松愛理さんの歌など何曲かは聴いていたが、いつも聴いているクラシック系統の曲を聴くのが本気で怖くなってしまった。特に本番で演奏した曲の参考音源には全く触れなくなってしまった。

なぜそんなことになったのかは、物理的な理由と心理的な理由があるように思う。物理的な理由としては、その後しばらくの間、外せない仕事を連続して入れていたので、本番の後はとにかくすぐ休みたかったことなどがある。心理的な理由は…わからない(わかっていたら、そもそもこんな状態に陥っていないような気がする)。

ただ、本番直前の練習と本番のステージでかなり無理をしてしまったという自覚はある。本番には、私自身が持っている全ての力を傾けたとも思う。それは楽団全体から見れば小さいものだったかもしれないけれど。

というわけで、しばらく音楽が聴けない期間が続いていたのだけれど、今日、ある瞬間に、ふといくつかの曲のメロディーが自分の中に浮かんできて(それは今回の演奏会で演奏した曲とは全く関係なく)、“あぁ良かった嬉しいな”と素直に思った。これからこれがどうなっていくのかわからないけれど。

で、その時に浮かんできたメロディーであり、今、聴いている曲のリスト。

・ガランタ舞曲(コダーイ作曲)(Dances of Galanta / Kodaly)

・フェスティバル・バリエーション(クロード・T・スミス作曲)(Festival Variations / Claude T. Smith)

・アルメニアン・ダンス,パートI(A.リード作曲)(Armenian Dances Part I / Alfred Reed)

で、最終的には
・風紋(保科洋作曲)
に戻ってくる。


それと同時に、少しだけ言葉も戻ってきたような気がして、今、こうして日記を書いている。ここ数日は、書けないという気持ちと、書いてはいけないという気持ちがあった。無理やりに、書けない状態に私自身を追い込んでいかなければならないと思う気持ちがあった。今もある。


パソコンの壁紙の色を青一色にしようと思って、いろいろと調整をしていた。しかし、青にしようとすればするほど、私の思っている“青”からは遠ざかるような気がした。これじゃ紫に近いよ…とか、これじゃ緑に近いよ…とか、これじゃ青すぎて青じゃないよ…と呟きながら、色を探していた。

…いや、色事典の類を見れば、“青”を定義することはそれほど難しくないだろうとも思うのだけれど。

『色の名前』(監修:近江源太郎/構成・文:ネイチャー・プロ編集室, 2000年,角川書店)(詳細)の巻末に掲載されている、系統色相法の考え方に沿っている色見本の配列を見た。色相名(赤、黄、青など)で色を表現したうえで、さらに明度・彩度の特徴を示す修飾語をつけて、より細かく色の違いを説明する(p.194より要約)らしい(美術のことについては私はあまり詳しくないので誤った表現をしているかもしれないけれど)。

「青」に関係したところでは、「青緑」「緑みの青」「青」「紫みの青」「青紫」があり、修飾語としては「薄い」「浅い」「明るい」「さえた」「強い」「濃い」「にぶい」「暗い」「灰みの」「明るい灰みの」があった。もっと細かい分類もできるのかもしれないし、実際には同じ程度の色に複数の名がついていたり、この分類に当てはまらない色もあるように思うけれど。

私が探している“青”は、どこにあるのだろう…。


2003年11月15日(土) 調子悪化中 / というわけで / 知らぬ間に秋 / 「思い出のマーニー」とありがとう / 追記など

書いてよいことなのかどうかよくわからないけれど。

季節のせいか、締め切りの明示された仕事が積み重なっているからか、休養が十分に取れていないからか、どの理由かよくわからないが、微妙に調子を崩している。困るのは、休養を取ろうとしても、何だか終始緊張が解けないような感じで、十分に休養が取れないでいることだ。

私は、基本的には後ろ向きな姿勢でありながらも、「こんな私でも、何とかなるさ」「こんな私でも、何かできることがあるさ」と思っているのだけれど(←それは「基本的には後ろ向きな姿勢」なのだろうか…)、ここまでになってくると、さすがにどうすればいいのかわからず、途方に暮れている。

どうも私は「頑張らなくては」と思いすぎると、かえって力が入りすぎてよくないようだ。1つ1つのことを、それほど困難なものだと考えずに、楽な姿勢で、すいっと取り組むことができればいいのに。

今夜も、「訴えたいことがあるから必死で相手に叫んでいるのだけれど、声がかすれて思うように大きな声が出せず、相手に全く届かない」という夢を見て、起きた時に何とも言えず後味の悪さが残った。

途方に暮れる。どうすればいいのだろう…。


というわけで、日記も時々しか書けずにいる。ここの存在を忘れたり軽視したりということはないのだけれど、なかなか思うように書けない。言葉にできないという面と、物理的にも精神的にも余裕がないという面と、日常を必死で過ごしているので日記を書こうとしても何も残すことが思いつかないという面がある(ん? そこまで「必死」なのだろうか…)。あぁ、それから、あまりにも暗い内容の日記になりそうなので、こんなものをお読みいただくのも申し訳ないなという思いもある(という意味では今日の日記なども申し訳ない)。


私にとっては、今年の夏は割とわかりやすい形で訪れたし、夏の夏らしさを私なりに十分に味わった気がする(暑かったり寒かったり大変だったけれど)。しかし、私にとって、今年の秋は知らない間に訪れていて、秋の秋らしさを味わうことがないままの状態でいる。木々の葉の色が変わっているということに気がついたのもごく最近であるし、どんぐりが転がっているのに気がついたのもごく最近だ。

夜が長くなったというのが、私にとって1つの困った点ではある。夕方の17時くらいで暗くなり始めると、何だかあせってしまう。朝も、最近は5時や6時に目が覚めることが多いのだけれど、その時間にカーテンを開けるとまだ暗いのは少し悲しい。“お願いだから早く夜が明けてください”と思う。

秋の夜長を楽しむ心のゆとりが持てたらいいのにと思う。夜は夜で素敵なところがたくさんあるのに。


ちなみに、「思い出のマーニー」についての感想(感想になっていない感想…)を書いた日記は2003年8月19日の日記です。こちらの方が、私が表現することができなかったこの物語の魅力を、私に割と近い形で記して下さっていました。本当にありがとうございます。よろしければ他の方も、一度読んでみてください。素敵な物語です。どのように素敵なのかを語り始めると、読まれるときの楽しみが減ってしまうだろうので、あまり語りませんが、そのくらい素敵な物語です。

(2003年11月15日、5:50記…時間が時間なので、この後続けるかどうかは謎。)


追記

たとえ、姿や形がなくなってしまったとしても、何かは残ると思う。とても大切なものが残ると思う。…思いたい。私はそう思います。…頭ではわかっていても、なかなかそう思えないこともあるから、そういう時はとても苦しいのだけれど。すとんと納得できる時もある。

今は、こうとしか言えないけれど。ごめんね。

(2003年11月15日、12:00記…追記がさらにこの先続くかどうかは、やっぱり謎)


追記2

言葉にできない状態からはじまって、少しずつ話すようになって、また言葉にできなくなって黙り込んでしまう。しかし話したくないというわけではなく、話せないもどかしさや悔しさがあって、唇を噛む(文字通り、本当に唇を噛んでしまう)。

そんなことを、いつも繰り返している…のかな。

(2003年11月15日、23:50記…今日のところは「追記」としては続けないが、この先この日記がどうなるかは、やっぱり謎。いつも謎。と言いながら、素知らぬ顔をして書き続けているかもしれない。一応、ぎりぎり元気です)


2003年11月11日(火) リズム打ちの練習のような日記の書き方のペース / BGM:「蛍の光もう一度」

日記を書く日と書かない日(「書ける日と書けない日」とも言えるが)が、まるで音楽のリズム打ちの練習のようなペースになっている。「書く、休む、休む / 書く、休む、休む 」みたいな。もちろん微妙に変動はあるし、ある一定のペースでとも考えていない。そのうち「書く、書く、休む、休む」とか「書く、書く、書く、休む」とか「書く、休む、休む、休む」くらいのペースになるかもしれない。


BGM:「蛍の光もう一度(Schoolyards version)」(作詞・作曲・歌:平松愛理/編曲:清水信之)

この曲は、ずっと前から知っていたのだけれど、歌詞カードを紛失してしまったし、最近は改めて聴き直すこともなかった。先日、平松愛理さんの「Eri's "B" Good」というアルバムを手に入れ、その中にこの曲が入っていた。改めて歌詞を読んでみると、何となく「南町から」の雰囲気に似ているような気がして、気になって聴いてみた。しかし、両方の詞を改めて読み比べると、全く違うような雰囲気を持っているような気がする。「違う」と捉えねばならないような気もする。とすると、最初に「似ている」と思ったのは何なのだろう。


…………。


2003年11月07日(金) ずりずり這いながら / 今日の出来事(お寺に行ったとか、詩とか) / 楽団の話 / 悔しいな

比喩的な表現をするならば。

今は、ずりずり、のろのろと腹這いになって進んでいる感じの日々。「匍匐前進」と言えばいいのかもしれないけれど、頻繁にぴとっと止まったりもしているので「前進」とは言えないか。ちなみに、後退する気力はないので、進むか止まるかしかないのだけれど、地面が坂になってしまったら、すーっと下に滑り降りていくと思う(踏みとどまる力がないので)。ただただ、地面が坂にならないことを祈るしかない。

「地に足がつけばいいんだけれどねぇ」と言ってくれた方がいるが、足の裏だけだと接地面積が小さすぎて不安なので、接地面積を大きくするために腹這いになって進むしかないんです…という日々。


今日の出来事を列挙してみる。

大学に行き、ゼミに出席した。昼食にパンを1つ食べながら、小さい用事を片付けたり、諸方面に連絡をとったり、ファイルの整理をしたりした。今日は何だか妙に元気で、いろいろな人と話したり、冗談を言って笑ったりした。「師とも姉とも慕う人」に会って話をしてきた。文房具を買い込んだ(赤いボールペンの替え芯やファイル類など)。大学を出て、オレンジ色のガーベラとなでしこを持って友人に会いに行った(その頃には真っ暗になっていた)。お寺に伺い、ご住職とお話ができた。その後、ふらっと喫茶店に寄って、グレープフルーツジュースとケーキを食べた。来年度の手帳を購入した。綺麗なお月様を眺めながら自転車を走らせて帰ってきた。帰りに、少しだけ、前の家の跡地を眺めてきた。

ご住職とは、今日は、「いろいろな方がいるのですね」というお話をして、しみじみとしてきた。

坂村真民さんという方の詩を街角で見かけ、心惹かれた。この方の他の詩も読んでみたいと思った。


これは今日の話ではなく、数日前の話。

所属している楽団を、8月から10月まで休団していたのだが、先日正式に復団手続きを済ませた。最後に係の女の子たちに書類を渡した時に、「お帰りなさい!」と拍手してくれたのが、素直に嬉しかった。

間もなくパートリーダー会議があって、早速出席してきたのだけれど、そこで行われた話で、私にしては珍しく逆上したというか、ぶち切れたというか、けっこうな勢いで意見を言ってしまった(いや、自分ではこんな感じで逆上するのは珍しいと思うのだが、どうなんだろう…)。少し私情をまじえすぎたかなというのと、けんか腰になっていたかもしれないと思って、帰ってからもずっと後味の悪い思いが残った。そもそもの議題については、パートリーダー会議のレベル以上の議題ということで、時間をおいて考えることになったのだけれど。

こういうことがあると、“もう1回休団してやる!”とか“もう辞めてやる!”と思わないでもないけれど、そういう部分も含めて私はここを愛しているから、結局は戻ってくる。音楽がそれをつないでくれているのかもしれない。

私とほぼ同時期に入団し、同じ年齢で、ずっと心の支えにしている友人が、今回の演奏会で退団すると知った。本人から「あなたにいつ言おうかと思っていたんだけれど。自分でも今回を最後にしたくはなかったんだけれど」と聞いた。細かい事情はよくわからないし、詮索しようとも思わないけれど、ずっと一緒にやってきて、そんな日がこれからもずっと続くと無意識のうちに思っていたから、寂しいとか悲しいというところを通り越して、一気に茫然としてしまった。

とりあえず、手紙を書いて、ありがとうと伝えた。


なかなかうまく言葉にできなくて、書けなくて、悔しいな。

私には何もできないんだな、と思って。こんなにきちんと言葉にして伝えておられる方々がおられるのに、いったい私は何をしているのだろうと思って。何も話せなくて。悔しい。

それでも何とか、少しでも。言葉にできるものがあるなら、それに賭けたい。


BGM:「南町から」(作詞・作曲・歌:平松愛理)

振り返りながら。


2003年11月04日(火) (タイトルのつけられない日)

すこーん、と抜けるような青空の日。

落ち葉が舞い散る季節になったことに、今日はじめて気がついた。

帰りがけ、所用で、とある場所に寄った。そこに行ってみて初めて、その付近の場所が自分にとって大切な思い出を含む場所であることに気がついた。実際に行くまでは、そんなこと思い出しもしなかった。

寄り道をして、とある施設の前に立ってみた。白いブラウス・黒いロングスカートのステージ衣装を身につけた彼女が、この階段を笑顔で降りてきたときのことを思い出した。

そのままそのあたりをふらふらと、迷いながら(迷うことを半ば楽しみながら)歩いた。


公用で、不安材料がぽつぽつと降りかかりつつある。ざわざわとした不安の感じ。よく考えるといつも不安だらけのような気もする。いつまでも逃げていられないのだけれど。


BGM:「地上の星」(作詞・作曲・歌:中島みゆき/編曲:瀬尾一三)

久しぶりに聴いた。

「名立たるもの」や「輝くもの」ばかりが素晴らしいとは必ずしも言えないのかもしれない、と、思った。「名立たるもの」でないものにも輝きはあるのではないか、とも。


2003年11月01日(土) 昨夜こんな夢を見た / 追記と「小さいガラスの瓶に入れて、心の中にそっとしまっておきたいような時間」

昨夜眠っている間に、もどかしい夢を見た。

夢の内容は、「私の所属している楽団の全体の会議の中(だったと思う)で、ちょっとした揉め事があった。皆が次々と自分の意見を言っていて収拾がつかなくなっていた。私は途中で私の思うことを言わずにはいられない気持ちになって、思い切って言葉に出してみた。でも、届かない。途中から叫ぶような感じになって、思いっきり大声を出してみた。でも、私はもっと大きな声を出すことができるはずなのに、声がかすれたのか、力がなかったのか、思うように大声が出せない。恐らく、誰にも私の声は届いていない。もどかしさを感じながら、それでも今の私に出せるだけの大声で何かを言い続けているのだけれど、もっと大きな声が出せるはずなのに、思うように声が出ない」というもの。

夜中に目が覚めて、嫌だった…とは思わなかったけれど、後味の悪さは残った。あと、どうしようもない疲労感(夢の中では叫んでいたのだから)。

ちなみに、現実の世界では、私の所属する楽団では全体会議は年に1〜2度開かれていて、その中で揉め事が起こることはあることはあるが、そんなにどうしようもない事態になることは(少なくとも表面上は)稀であるし、全体会議の中で私が意見を述べることはほとんどない。いや、数年前に1度発言したことがあったか? 何せ私は、パートリーダー会議で意見を言う時も、足もとも声も震えるほど緊張するので…。

夢の内容を解釈するようなことは、私自身もしたくないし、ましてや他の人には絶対されたくない。夢は夢だから。それでも、敢えてこの場所に書いておこうと思ったのは…なぜなんだろうな。

最近、現実の世界でも、私は以前はできたことが思うようにできないとか、自分の思うことを伝えられないと思うことが増えた。それは、もどかしい。それでも、できることを少しずつしていって、疲れたら無理をせずにひとまず休もうということしか、今はできないのだけれど。そもそも、何を伝えたいと思っているのかすら、私自身によくわかっていない。

日記に書いていることも、伝えたくて書いていることなのかどうか、今はわからない(それでも、この場所の持つ性質上、“書いたことは届いてほしい!”と思うことは思う)。ただ、書きたいことを書いている。だから、書けないときは書けない。無理に書こうとも思わない。反面、どうしようもなく疲れている時でも、敢えて無理をしてでも書きたくて書くこともあるし(無理をしているなと思いつつ、そのことによって私がどうなってもかまわないから今はこの気持ちに従いたい、と思って)。

(2003年11月1日 お昼過ぎ 記)


↑些細なことではあるが、後で気になったので、追記。

私の所属する楽団は、確かに揉め事が起きることはあるが、決して居心地の悪いところではない。少なくとも私は、楽団で揉め事が起きるのは、何かを生み出そうとか何かを進めようとする中で起きるものだと捉えている。揉め事が起きるようなところも含めて、私は私の所属する楽団をそのまま愛しているし、ここの楽団に所属していることは私の中で大きな支えになっている。

夢の内容は、別に楽団の話でなくてもよかったのかもしれない。そのあたりは詮索するまい。

練習に出てきた。そろそろ本番が近いという空気が漂っている。足りなかったパートも徐々に揃いはじめる。帰りも少し遅くなる。気持ちも高揚してくる。ステージの上ではこんな感じかなと想像して、わくわくする。

合奏に参加しながら、この時間がいつまでも続けばいいのにと思った。本番までの時間がゆっくりゆっくりと過ぎればいいのにと思った。一瞬一瞬がとても大切で愛しくて、そんな一瞬一瞬が過ぎるのがとても悲しくて寂しくて、でも、悲しいとか寂しいだけで終わらないように思った。この時間を過ごすことは、この先、私が生きていくための大きな力になるような気がした。この時間のことを思い出せば、何があっても生きていけるような気がした。

小さいガラスの瓶に入れて、心の中にそっとしまっておきたいような時間(センチメンタルな表現かな。秋だからいいか…)。

そう感じることは、別に音楽をしている時でなくても、時々ある。幸せだと思う。幸せだという言葉では言い尽くせない。

復団の手続きを済ませかけてきました。実質的にはもう手続きは済んだようなものです。ようやくここまで決意できました。この先この決意がどうなるかわかりませんが、とりあえず無理をせずに私のしたいことをできる範囲でしていきます。

(2003年11月1日 夜 記)


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)