風紋

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2003年12月31日(水) 2003年を振り返る(試練の年と出会いの年)

今年(2003年)を振り返る。

12月31日だから…というわけではなくて、数日前から書こうとは思っていたのだけれど、何となく書けなかった。でも今日には書いておかないと、私自身が納得できないなぁというわけで。

特に読んで下さっている方のためにというよりは、もっぱら私が私自身のために書くものだ。けれど、私自身にとって、私の中でとどめておくよりは、このように「読まれる」ということを意識して書くことにも何らかの意味があるだろうと思う。同時に、私がこの場所に日記を書き続けて(毎日ではないが)、1年3ヶ月ほどになるので、ある程度続けて読んで下さっている方には、「私ではわからない私の部分」が影絵のように見えているのかもしれない、とも思うと、「影絵」と併せてこれを読んでいただくのも1つの方法かなと思う。


前置きが長くなったが。

今年を短い言葉で振り返ると、「試練の年」であって「出会いの年」であった。そして両方をまとめると、「どうしてこんな時にこんなことが起こるの!!」と叫びたい気持ちになることが、良いこと・嬉しいことでも、悪いこと・苦しいことでも多かったような気がする。悪いことでも、後で「良いこと」に転じたこともあるので、良いと悪いでまとめられないことも多かったけれど。


まず「試練の年」。

いちいち挙げればきりがないが、とにかくきつい1年だった。新しく仕事をはじめたということに加えて、新しい仕事を一気に複数引き受けてしまったことが大きな原因だと思う。新しい仕事に伴うトラブルや悩みも数え切れないくらいあったし、同時に全然違う方向からいろいろな困難が舞い込んできたりもした。気持ちとしては、「ラケットを手にして、たった1人でテニスコートで球を打ち返す体勢を整えているのだけれど、四方八方から絶えず容赦なく球が飛んでくる」という感じだった。前から後ろから左から右から上から下から。何とか打ち返したものもあるし、よけたものもあるし、よけようとしなくても勝手に通過したものもあるし、身体にぶつけて打撲を負ったものもある…という感じ。打ち返そうというだけでパワーを使っているのに、身体にぶつけて打撲傷を負っているところにさらに球が飛んでくるので余計にきつい、という感じだった。気持ちとしては全部の球をきちんと自分で受け止めたうえで、きちんと打ち返したかったのだけれど。

注:本当は私はテニスは学校の体育の授業くらいでしかしたことがない。運動は苦手。

あぁ疲れた…(今も疲れている。現在進行形で)。

しかし、その中で得たものも多かったと思う。私はこんなことも出来るんだとか、私はこんなことに弱いんだとか、逆に私はこんなことを強みに出来るんだとか、とにかく、私自身が知らなかった「私自身」を、試練(?)を通じて知っていったし、開発(?)することができたと思う。そう思うと、「きつい1年だった」ということを、私自身はマイナスのこととしては考えていない。

その中で、いろいろな人に助けを求めた。今までは、「そつなく何でもできる私」というのを見せたかった…とは意識的には思っていなかったかもしれないけれど、「私にはできないことがある」というのをおもてに出すのを避けていた。そもそも人に話し掛けるのが苦手だったし、人に相談ごとをするのもすごく苦手だった(今も苦手)。しかし、新しい仕事の初っ端から転んでしまい、その後にもばたばたと苦難(というほどのことではないのかもしれないが)に陥って、どうにもならなくなってしまった。そこで、恥も何もかなぐり捨てて、いろいろな人に相談をしたり、話をしたりした。意外と人と話してみて、わかること…というか「あぁ、そうなのね」と思うことが多かった。だから「たった1人で球を受けていた」ように思えて、実は色々な人の助けを借りていたように思う。代わりに打ち返してもらったり、打撲傷を治してくれたり、と。

私信:「助けを求める」と「頼る」が微妙に違うとは思うのだけれど、あんまりうまく説明できなかったよ…。ごめん。宿題にします。

というあたりから、「出会いの年」にも絡んでくる。


というわけで、「出会いの年」。

新しい仕事をはじめたことを通じて、そして、この日記を通じて、その他いろいろなことを通じて、様々な人と出会うことができた。初めて出会えた人もいた。「知り合い」ではあったけれど、今まであまり知らなかった人と交流して、改めて「この人と出会い直した」と言えるなぁ…という人もいた。こんなに人と出会った年はなかったのではなかろうか。

出会い方も様々だった。一瞬だったけれど忘れられない出会い方をした人もいた。名前も知らないのに心に残るような出会い方をした人もいた。「この人とは一緒にやっていくのは難しいかも…」という人とも出会った。短期間に随分こちらが苦労させられたけれど、忘れられない人もいた。今までずっと近くにいたのに、あまり話をしなかった人と話して、この人は私にとって大切なのだと確認した人もいた。私の人生にとって決定的な意味を持つだろうという人との出会いもあった。

人見知りのきつい私なので、1人1人にきちんとお会いできたかどうか自信がない。というより、初めて会うのに失敗した場合が多かったような気もする。「明日は何が起こるかわからないのだから、この人と次はいつお会いできるかわからないのに、こんな出会い方をしたら駄目じゃない!」と自分自身に言い聞かせて落ち込むこともあった。後から思うと、それも1つの出会い方だったのかもしれないが。

様々な方との出会いを通じて、改めて私自身を見つめ直した。その意味では、他者に出会い、私自身にも出会った年だったのかもしれない。


昨年の12月31日の日記を読むと、「たくさん泣いて、たくさん笑った」と書いてあるが、それ以上に今年はよく泣いた。頻繁に泣いた。毎日泣いたこともあった。いやぁ、よく泣いた。笑う機会はあまりなかったようにも思うが、日常の些細なことに思わず微笑みたくなることもあったし、頻度として「笑う機会」は少なかったとしても、そこでは思いっきり心から笑ったので、まぁ泣いた分と同じくらい笑っただろう。

それから、昨年の12月31日の日記には「精神力も体力もつけて、もう少ししっかりしたいなと思う。」とも書いてあった。しかし実際は、精神力も体力も下がった…。いやぁ、下がった下がった。で、「しっかりすることができたかどうか」はよくわからない。わからないが、精神力とも体力とも名付け難い、何か大きな力を今年は手に入れることができつつあるように思う。それが何なのかよくわからないけれど。とりあえず、精神力や体力が下がっても何とかなると思った。

結論として、私は私でしかないというのを改めて実感した。で、こんな私としてどう進もうか。それは少しずつ考えていくことにしよう。


2004年の目標…。

正直なところ、まだ「球が容赦なく飛んできている」ので、2004年の目標と言っても考えが及ばない部分もあるのだけれど。

まず、1日1日を大切に過ごすこと。今は二度と戻らないということを心に刻むこと。

それから、怖がらずに、いろいろな人やものと出会っていくこと。

それから、整理して考えること。1つ1つを整理して考えて、それを乗り切った時はほっとして、乗り切れなかった時は、時期が来るのを待つこと。

それから、あせらずに待つことを覚えること。あせった時は、深呼吸。


新しい年は、幸せなことがたくさんでありますように。あなたにとっても、私にとっても。心からそう願います。…と、昨年と一字一句同じことを書いて、しかし込める思いはちょっとだけ違いつつ、何よりもこの言葉を発している私自身が昨年とは違う私になっているし、と、そんな気持ちで締めくくる。

風邪など引かぬよう、お気をつけ下さい(今、私自身が、喉がちょっとやばい感じになっているなと思う。気のせいでありますように)。


2003年12月30日(火) 炬燵は幸せな魔物 / 新年を迎えるための準備 / メモ

この冬、初めて炬燵に入った(炬燵自体は、随分前に出していたのだけれど、なぜか私は今日まで入ろうとしなかっただけ)。

炬燵は幸せな魔物だ…ということがよくわかった。

炬燵に入っただけで、なぜか幸せな気分に包まれると同時に、ふんわりと眠くなり、つい横になりたくなる。横になると、そのまま眠り込んでしまいそうになる。しかしそのまま眠り込んでしまうと、恐らく風邪を引く確率が高い(今は風邪は引いていないけれど)。風邪を引くととてもつらい。そもそも、変な時間に眠り込んでしまうこと自体良くないような気がする(私にとっては、だけれど)。

いやぁ。炬燵は魔物だ。幸せな魔物だけれど。

しかし、炬燵に入るとほんのりと幸せなので、できるだけ炬燵で幸せな時間を過ごすにはどうすれば良いのだろうかと悩む。←でも、あまり真剣に悩んでいるわけではない。


家中で、新年を迎える準備をしつつある。

昨年(2002年)の秋にこの家に引っ越してきたので、この家で新年を迎えるのは2度目になる。が、昨年は、新年を迎えるための準備ができなかったので、「新年を迎えるための準備」をこの家で行うのは初めてということになる。いろいろな道具をどこにしまいこんだかわからなくてあちこち探し回ったり、前の家とは間取りも全く違うので、どのように準備しようかということや、いろいろなものをどこにどのように置こうかということを皆で考えたりしていた。

ついでに私自身は、この家に来てから、祖父母のことを思い出すことが少なくなったなぁと思い返していた(前の家では祖父母と同居していたのだが、どちらもこの家に転居してくる数年前に他界した。このあたりのことは、ここでは書けないことや今は言葉にならないことも含むので、いずれまた)。

明日は12月31日なのか…。


メモ

今朝の朝日新聞の天声人語が良かった(こちら←そのうちリンクが切れるかもしれない)。

読んでみようかなと思った本(と、ここに書いておいて、結局読まなかった本も多いのだが…)
「永遠の出口」(森 絵都、2003年、集英社)(詳細)。


2003年12月28日(日) 心に残る言葉(くり返すこと) / 呟き / 追記:さっき見た夢 / また夢

何気なくテレビをつけながら家事をしていたら、とても心に残る言葉が耳に入って、思わず家事を放り出してテレビの前に駆け寄ってしまった。

全文ははっきり覚えていないし、何気なくつけていたテレビなのできちんとチェックもしていないのだけれど、「だいたいのことはくり返すことができるけれど、命だけはくり返すことができない。だから『命はくり返すことができない』ということをくり返さなければならない」「他人の死はくり返すことができるが、自分の死はくり返すことができない」という内容だった(うろ覚えなので間違いがあるかもしれない)。最後に「詩集『はるかな国からやってきた』から」と書いてあったのだけは見たので、あとで検索をかけてみたら、「はるかな国からやってきた」(谷川俊太郎、2003年、童話屋)(詳細)のことかもしれない(これも確認していないので間違いかもしれない)。

なぜか私の心にすとんと落ちてきた言葉だった。そうなんだよ、命はくり返すことができないんだよ! 人の命でも、ものの命でも…。だから「命はくり返すことができない」とくり返し思い出したいんだよ! …と。

だから私は「今」を大切にしたい。と言いながらも、大切にできていないことも多くて、それは本当に取り返しのつかないことだと身を切る思いでいる。

私は「乗り越える」や「克服する」という言葉に割合抵抗を感じてしまう方なのだけれど、むしろ「溶かす」とか「抱えながら」という言葉を使った方がしっくりくるのだけれど、なぜなのかうまく説明できない。この言葉は、そのあたりの想いを言葉にするきっかけを与えてくれたように思った。

(場合によると思うので「乗り越える」や「克服する」という言葉を否定はしないし、私も場合によっては使う。単に私が引っ掛かっているだけ)


それでも私は書き続ける。私はとても大切なことを見落としてしまっているのかもしれない。大切なことを見落として、無神経に笑って、無神経に書いてしまっているのかもしれない。今もそうなのかもしれないと思うと、取り返しがつかないと思って、きゃああっと叫んでしまいたい気持ちになる。

…私は、どうしようもない人なのかもしれない。でも、どんな時でも、私自身と周りのことをきちんと見て、眼をそらさずに全身で向き合っていたいと思う。…無理な時もあるかもしれないけれど。できないこともあるけれど。できるだけは。

私にとって大切なことがあるのと同じように、誰にとってもそれぞれの人にとっての大切なことがあるということがわかった。それぞれの人の「大切なこと」を大切にしたいと思うと、どうしたらいいのかわからなくて、いろいろ考えて、どうしようかと思って立ち止まってしまう。そう考えるうちに、私自身にとっての大切なことをより大切にできるようになってきたような…気もする。

…だから、どうなんだろう…。


こんな話の後に書くのも何だかなと思うが。

実は、テレビをつけている時に「燃焼系『アミノ式』」の新しいコマーシャルが流れているのを見て、それも思わず家事を放り出してテレビの前に駆け寄ってしまった。

本当は「新しい」のではないのかもしれない。私は12月に入ってからはあまりテレビを見ることがなかったので。逆立ちをしながら進んでいる人のバージョンを見ました。私が知っていた最新版は「ピラミッドで大縄跳び」だったので。


追記。

↑この日記を書き終わった後、すぐ寝たら(確か寝たのは0:30前後だったような)、妙に疲れる夢を見てしまった。目が覚めて、あまりにあまりな夢の内容に救いようのない気分になってしまい、何だかなぁ…というところ。とにかく、夢の内容がすごく気になる。

夢の内容は、ここに書くのも気が引けるし、ここに書いて“私自身ではわからない私の部分”について妙にあれこれ推測されるのも、ちょっと嫌だな…と思っているので、詳しくは書かない。端的に表現すると、「修学旅行か何かのシチュエーションで、“もうついていけない。死んでやる!”という気持ちになり(そう思ったのに何かきっかけがあったかどうかは、何せ夢なので覚えていない)、食事の時間もお風呂の時間も無視して、刃物か何かを持って、とにかく1人になれる場所を探していたのだけれど、狭い宿なので、部屋という部屋がすべて誰かの使っている部屋になっていて、1人になれる場所がなく、困惑しまくっている。“死んでやる!”と言い、実際にそのための行動に移しかけているのだけれど、それは“私は死にたいくらい苦しいのをわかって下さい”ということを分かって欲しかっただけで、本当はそれが一番大きくて、先生か誰かに止めてほしかったのだけれど、止めてくれる人もおらず、仕方がないので、疲れた身体を引き摺って、目立たないように死ねる場所を探している」という夢だった(…「端的に表現した」割にはやたらと長いなぁ)。

いや、夢は夢で、現実は現実なので、そのあたりはわかっているし、実世界での私は決して自分からは死のうとは思っていない。命が続く限りは生きようと思っている。それは私自身に対してだけでなく、他の人にも、抱えている事情は様々であっても、私などが申し上げるのはおこがましいものの、生きていてほしいと思っている。…理由はよくわからないけれど、生きたいし、生きていてほしいのだ。

しかし白状すると、実際は実世界でも「私は死んでしまいたいほど苦しいんだよ」(それを実行するかは別にして)と他者に訴えざるを得ないほど、苦しく追い詰められた気分になることもしばしばある。もちろん、私の気持ちをわかってもらうために「死ぬ」という方法しか取れないのは哀れで惨めで愚かなことだと思うし、分かってもらうためには、別のもっと最適な方法があろうとも思うのだけれど。

最近、夢のことをここに書いたり書かなかったり、「そよ風」の方にはちらりと書いたり、あるいは一切外には出さないように書いたり、とにかく何かの形で残そうとは思っているのだけれど、この内容はさすがにきつい。苦しい。それに、ずっと「何かを自分の想いを伝えようとしているのだけれど、伝えられなくて、声が思うように出なくて全然伝わらない」という夢や、今日のように「気持ちをわかってもらえないので、自ら死ぬという方法いう派手な方法を取ってわかってもらうしかない」という夢を見ることが多いので、さすがに疲れるし、なんだかなぁ…とも思うのだ。

というわけで半分くらい白状する。私は、時々“死んでしまおう”という方法でしかわかってもらえないと思うほど、苦しく悲しい気持ちになることがある。最近、そのような“苦しく悲しくつらい気持ち”になることが増えた。けれど、できるだけそれを現実にはしないし、なにがあっても生きていこうと(少なくとも自覚的には)思っている。

…眠くなってきたので、タイプミスも増えたことですし、もう1度、寝ます。早く“疲れる夢”から解放されたい…。

(2003/12/29,午前4時20分記)


どうでもいいことだが、また追記。

そしてまた夢を見た。

今度はあまり覚えていないが、「修学旅行に行っていて(また?)帰ってきて、学年集会があり、何か先生や学年代表が喋っていたのだが、何を指示されたのかさっぱりわからなかった。そして上履きのないまま教室に行ったが、よく考えると、下足箱で上履きを探してくればよかったのだった。しかし、自分の下足箱もわからないほど“学校”から離れてしまっていた。上履き無しで靴下だけで廊下を歩くと、釘などを踏んでとても痛かった」という夢。

さっきの夢ほど不快ではなかったが。

(2003/12/29,午前6時30分記)


2003年12月27日(土) 比較的元気で楽団の練習に行った / メモ:悲しい気持ち

今日は、私は比較的元気に過ごすことができた。なぜだかわからないけれど、体調が良いのは素直に嬉しい。

あまりに元気だったので、夜に少し楽団の練習に参加した。午後5時頃までは今日も欠席するつもりでいたのに、午後5時頃になって何故か“今日は行こうかな”と思ったのだ。

年末で忙しい時期にも関わらず、割と出席者が多かったのは、合奏の予定が入っていたからだろうか。私は少し遅刻して合奏に入った。今度の演奏会のプログラムのメインとなる曲を合奏していた。この曲は私は以前から知っていて、ずっと演奏したいなぁ演奏したいなぁと思っていたので、今回この曲をすることになって嬉しい。この曲を次の演奏会で演奏することが決まったというただそれだけの理由で、もう少し楽団を続けてみようかなと思い直したほどだ。そんな曲の合奏だったので、楽しかった。わくわくした。

…が、難曲だった。難しい。この曲をきちんと仕上げるのはかなり難しい。…とは、事前にある程度予測はしていたのだけれど。普段からよく聴いている曲なのだが…。譜面を前にして、おたおた(おろおろ)していた。…きちんと吹けていた箇所の方が少なかったような気がする…。…いや、練習しても完璧に吹けるかどうか…?

今までにも“これは難曲だ”と思う曲には何曲か遭遇したことがあるけれど。←ささやかに駄洒落のつもり。

しかし、譜面を見て、実際に合奏に参加して、“絶対にこの曲を最高の形で仕上げたい”とも思った。たとえて言うなら、「ずっと欲しかったプレゼントを受け取って、まさにリボンに手をかけようとしている時のような気持ち」。リボンを解いて、包装を外して、何が得られるかは私たち次第。

差し当たり次の演奏会までは、頑張ろう。皆と。

帰りに空を見上げると、たくさんの星が輝いていた。冷えきった空気の中で見る星たちは、とても美しく見えた。あぁ、と思った。


今日はあまりうまく言葉にすることができないので、メモ程度の曖昧なものになってしまうのだけれど。

悲しいという気持ちについて、考えていた。

「悲しい」という気持ちはどんな気持ちなのだろう? 
どういう時に「悲しく」なるのだろう? 
「悲しい」と思う時は、「悲しい」という気持ちとは少し違う気持ちも同時に持っていることが多いような気がするのだけれど、それも含めて「悲しい」というのだろうか? 
「悲しい」だけではないとしたら、どんな気持ちが一緒についてくるのだろうか? 
私の「悲しい」気持ちと、あの人の「悲しい」気持ちと、その人の「悲しい」気持ちは、同じなんだろうか、違うのだろうか? 
違うところがあるとすれば、どこまでお互いの「悲しい」という気持ちは重なり合うのだろうか? 
絶対にぴったりとは合わない気がするのだけれど(根拠はないけれど)、それは「悲しい」ことなのだろうか、それとも「悲しい」とは少し違う気持ちもあると思ってよいのだろうか?

…別に「悲しい」に限って考えなくても、「嬉しい」で考えても「楽しい」で考えても良いようにも思うのだけれど、今日は「悲しい」という気持ちについて考えざるを得なかった。


2003年12月26日(金) メモ程度に(まとまりがなくて申し訳ありません)

私自身のためのメモ程度に。

(「書き残す場所がこの場所なのかどうかということはひとまずおいておいても、1日に一言でもどこかに何か書き残すということを続ける」と、以前書いたものの、私にとっては、この場所に書けることはこの場所に書くのが最も便利であるということに最近気がついた。公開しているものなので、詳細を書き残せない(敢えて書き残していない)というデメリットはあるものの、逆に、後でくっきりと“その時の自分”が見えてきたりするからだ。どうしても詳細を書き残したい時は、日記帳に書くか、フロッピーに保存して外には出さない。)


引き続き、(…以下省略)。午前中は、起きて何かしなければと思いながら全く身体が動かなかったので、結局ずっと横になっていた。「起きなければ」と思いながら休んでいたので、かえって中途半端な休み方をしてしまったと後悔もしている。なぜか午後3時頃から、頭がしゃきっとして、…したものの…何か仕事したっけ? 

今日に限って、仕事の関係の連絡が複数個入って、おたおた(おろおろ)していた。冷静に考えると、きちんと仕事をこなせるように思うのだけれど、連絡が入った直後は、程度の差はあれ、必ずおたおた(おろおろ)してしまう。


夜、覚悟を決めて、話せる範囲で正直に事情説明と話し合いをする。

(注:こういう時に「誰に何を」説明したのかをこの場所では書かないので、読んで下さる方には不親切だし、推測に任せてしまうという意味では危険を含む記述でもあると思う。一応、特別な人に特別なことを話したわけではないが、ある程度覚悟は要ったということだけは補足しておく)

私は、ある程度正直に私自身の話をしようとする時に、泣きながら話さずにはいられない時がある。今日もそうだった。それは、私自身何とかしたいなぁと思う。しかし、泣きながらでもとにかくある程度話し合ったことで、あぁそうなんだ…と実感したこともあるし、今まで“何がずれているかわからないがとにかくずれを感じる”と思っていて避け通していたことについても、どういう点がずれているかわかったということもあった。結局、ずれがあることはわかったので、それがわかっただけでも良かったと思う。

私は、どうやら、何をするにも人よりも時間がかかるらしい。それは子どもの時からそうだったのだけれど、小さなことから大きなことまで、とにかく時間がかかるし、遅い。それを言い訳にしないで、ある程度手際よく時間をかけずに進んでいかなければならないと思う。しかし一方で、こんな進み方だからこそ見えてくるものや手に入れられるものもあるのではないかとも思っている。

今日は、話があっちこっちに飛んでしまって申し訳ありません。

ちなみに、以前「あなたが夕食の仕度をするんだったら、おやつの時間から取り掛からないと夕食の時間に間に合わないね」と言われたことがある。そんな感じです。


2003年12月25日(木) 楽器にまつわる思い出と今の私 / 年末の気分がない / 昨日眼科に行った

引き続き、とても疲れているので1日中横になっていたような気がする(いつまで「引き続く」んだろう、この記述…)。やや頭痛とだるさ。資料を開いたままでうとうとと眠っていた。

午前中、少しだけ出かけていた。ついでにいろいろと用事を済ませていると、どこかから吹奏楽の音が聴こえてきた。どこだろう?と、音の聴こえる方向に足を向けると、グラウンドで中学生(に見えた)がマーチングの練習(だと思う)をしていた。人数はやや少なめだったけれど、大きなスーザフォンやきらきら光るトランペットが見えた。

懐かしいなと思い、穏やかな気持ちになった。同時に今の自分の状態を思い、唇を噛んだ。

私は、中学・高校とも、それほど指導の厳しくないクラブに属していた(と、他の人の話を聞くとそのように思う)。初めて楽器を手にした時は、とても嬉しかった。1年生はなかなか楽器を吹かせてもらえず、夏までは楽器を手にすることができなかった。だからとにかく最初は楽器を持っているだけで嬉しかった。夜になると、昼に触れた楽器の感触を思い出して、翌日の練習が待ち遠しくてならなかったものだ。そうそう、定期試験前はクラブ活動が停止になるのがもどかしかった。試験の最終日に誰かが楽器を吹いているのを耳にすると、“あぁ、私、帰ってきたんだ”と思ったものだった(どうして「帰ってきた」という想いになったのかは不明だが)。

“あの頃は純粋だったなぁ”とは言わない。あの頃もあの頃なりに、どろどろとしたこともあったし、もめたりもしたし、悩み抜いたりもしたし…。ただ、ただ…何だろう。

同時に、こうして街中でふと楽器の音を耳にしただけで、穏やかな気持ちになる私が今ここにいるということも事実であって。


今日は12月25日というわけで、今年もあと6日なのだけれど、何となく「年末」という気がしない。クリスマスも、それほどクリスマス気分のないまま過ぎていった。特別な理由は全然ない。

12月の間にあちこちで見られた電飾、夜は綺麗だったけれど、昼に見ると、電線を巻かれた木が痛そうに見えたのは、私がセンチメンタルになり過ぎなのだろうか。


私自身のための覚え書きも兼ねて。

昨日、左眼が痛み、しかも「これは眼科に行った方がいいだろう」と思う痛み方だったので、眼科に行った。結果はそれほど大したことはなく、傷もなかったらしく、目薬が2種類処方されただけ。

私は、小さい時から近眼で、小学校2年の時に眼鏡をかけ始めたくらいなので、眼科の診察を受けるのには慣れている(という言い方も変だが)。ちなみに耳鼻科や外科にはあまり慣れていない。いくら行っても慣れないのは歯科。

視力検査、子どもの頃は「絶対に全部見えなければならないものだ!」と思っていたので、かなり頑張って見ようとしていて、よく注意されたものだ(その頃から既に視力は1.0以下だったので、見えないところの方が多かった。今は0.1以下である)。今は、視力検査の目的を理解しているので、昨日の診察でも「右か上」「たぶん左」「左かもしれない、いや下かな」という答え方をしていた。

しかし、眼科に限らず、病院にかかるのは難しいなと思う。話し下手の私は、自分の状態をうまく伝えられているかどうか自信がなく、そもそも「私、お医者さんに行っていい状態なのか?」という時点で悩んでしまうので(その意味では、昨日受診しようとした判断は、いつになく素早かったな)。


2003年12月23日(火) 近況報告(他のどんな日でもない今日)

他のどんな日でもない「今日」という日を、何らかの形で残しておきたいという気持ちはある。その気持ちを実現するためのひとつの方法として、この場所で日記を書くということがある。しかし最近は、書こうとする余裕がないというか、…何と表現すればよいのだろうか? 他のことでいっぱいいっぱいになっているので、この場所にまで気持ちが回らない。この日記は「書かなければならない」という姿勢で書きたくはないので、素直にその気持ちに従っている。それもそれでひとつのあり方であろうと思うから。

…しかし、今日も書かないでおこうと思っていたのだけれど、書いてみると意外にするすると書けるものだ。

というわけで、書く日がどっと続いたり、書かない日がどっと続いたり、文章の長さも日によってばらばらかもしれませんが、時々でかまいませんので、ふっと読んでいただければ幸いに思います。更新したのに「何のおもしろみもない文章がたった1行しか書かれていない」というのは、読んで下さっている方々に申し訳ないかなと思ったりもしています。


引き続き、とても疲れているので1日中横になっていたような気がする。

と思ったが、よく思い出してみると、少し家事や仕事もした。紙の数を数えて、表にチェックを入れて、日付ごとに輪ゴムで止める。あとはパソコンに入力すればひとまず終わり、という事務作業を1つ(まだ入力はしていない…)。

休みたい時は素直にひとまず休もうと思ってはいるものの、一方で焦燥感があるのも事実。いてもたってもいられないというか、そんな感じでいる。いろいろ先のことを考えてしまう。今、しなければならないことを必死で探して、必死でしようとして、できなくて、失望する。休みたい時に休んでいていいのかなぁ?とか。どうせそんなに休んでいられないのだったら、このまま突っ走った方がいいのではないのかしら?とか。

大掃除も一気にしようとして、結局あまりにも膨大な作業量になることに気がつき、やる気がしぼむ。

…駄目だ。焦りすぎ。待つことも覚えよう。「それにはそれにふさわしい時がある」とは、ここのところ何となく、ぽやんと考えていること。

今、できることを一生懸命に一途にする。できないことにはできるだけ手を伸ばしてみて、疲れたら休む。思いっきり休んじゃう。枕を抱えて、大好きな絵本を持って、眠ってしまおう。


2003年12月22日(月) 再訪

以前訪れ、そしていつか再び訪れようと思っていた場所を訪れた。今日は、ひとりで。

ひとりでここを歩くのは初めて。

歩いたり、止まったり、迷ったり、座れる場所を見つけて座ったり…と、かなり長い時間、その場所を彷徨っていたように思う。急に思い立って行ったので、地図も何も持っていなかったのだが、意外と、身体が道を覚えているものだなぁとも思った。この坂。この曲がり角。そう、この道。

しかし、微妙に距離の感覚がずれていたりもした。遠いと思っていた場所が意外に近かったり、その逆も。

以前訪れた時とは、季節も時間も違う。私自身も、同じ「私」でありながらも、その時とは違う私であるとも言える。あの時から、随分いろいろなことがあった。思い通りになったことも、思いがけず嬉しかったことも、思いがけず困難なこともあった。

夕焼けの空が見えた。あぁ、ということは、あの方向が西? 夕方の、少しずつ少しずつ暗くなる街。冬にしては穏やかな気温の日。風もそれほど強くない。けれど、時間のせいか、ひとりでいるせいか、妙にさびしい…気のせい?

近くの公園では、中学生らしい女の子3人がキャッチボールをしていた。ソフトボール部かな?…にしては、制服姿…。

見えないものは見えない。見えなかったものはわからない。でも、欠片ほどのものでいいから、近づきたい。「わからない」と言い切りたくはない。でも。

私はこの場所をどう見ることができるのか? 私はこの場所をどう聴くことができるのか? 私はこの場所からどのような匂いをかぐことができるのか? 私はこの場所をどう味わうことができるのか?(いや、「場所」を「食べる」わけにはいかないか…) 私はこの場所にどう触れることができるのか? 私はこの場所にどう向き合うことができるのか? 私はこの場所を大切な場所で好きだと思っているけれど、本当に私はそう思っていいのか? そもそも私はここに来ていいのか? 今日、私はここに来て良かったのか? 私がここに今日来たことは許されることではなかったのではないか?

答えのないまま、その場所を後にした。駅に戻って、電車で帰った。恐らく、ここにはまた来るだろう。来たい。でも、行ってよいのか? その答えを誰に求めればよい? 答えはあるのか?

私は私でしかない…。私以外の誰でもない…。


夜、「歌劇『サムソンとデリラ』より“バッカナール”』」(サン・サーンス)(Bacchanale from "Samson and Delilah" / Camille Saint-Saens)を聴いて、泣きそうになった。今日に限って、なぜだろう。何となく私の中では“冬の曲”というイメージがあるのだ(根拠はない)。

(2003/12/23,23:45記)


2003年12月20日(土) 疲れ−落ち着き / 月 / 楽団…。

引き続き、何だかとても疲れてしまっている。

「私は私自身の力で立ち上がって生き続けるから、そのために必要な力をほんの少しだけ貸してください」と伝える気力さえ萎えそうになりながら、せめてこの場所だけは意地でも守り通そうと思っている。書きたいことや伝えたいことはまだまだあるのだし。

意味のある言葉にならないままに、何かに、あるいは誰かに向かおうとする想いだけが、ひたすらに渦を巻いている。ぐるぐるぐるぐる。

音楽を聴いて、気持ちを落ち着けようとする。不思議と落ち着いたような気がする。

疲れる毎日の中でも、幸せなこと、嬉しいこと、生きていて良かったと思うことは時々ある。それらのことをじっくりと味わいながら、疲れを疲れとして素直に感じることも忘れずに、毎日を過ごしていきたいと私は思っている。

…書いているうちに、不思議と気持ちが落ち着いてきた。


朝、まだ薄暗いときに新聞を取るために外に出ると、細い月が見えた。勇気付けられる思いがした。


音楽で思い出したのだけれど。

私は、所属している楽団を今年の夏から秋にかけて休団していた(実質的には春から休団状態だった)。その後、演奏会に出たい一心で復団したものの、今は再び音楽活動を続けるのが困難な状態になっている。主に物理的要因と心理的要因、あるいはそれらの複合した要因のために。

再休団しようかと考える。一方で、3〜4ヶ月単位での短期での休団を繰り返すのなら、1年ほど長期で休団した方がよいような気もする。ただそうすると、復団期限が来た時にもう復団できないような気がして、怖くなる。

いずれにしても、音楽が好きなはずなのに、逆に音楽に押し潰されそうな状態である私が悔しい。


何だか今日はとてもとても寒かった。みなさま、風邪などひかないよう、どうかお気をつけくださいね。


2003年12月19日(金) 少しだけ書く。

昨日は、仕事先で、なかなか骨のある女の子に出会いました。良い出会いでした。

それから、駅のホームで、ふてぶてしい鳩に出会いました。「ふてぶてしい」という形容もどうだろうと思うのですが、この言葉が一番ぴったりくるような気がしました。


今夜は、なぜだかとても疲れてしまっています。

何が、なぜ、どのように疲れてしまっているのかわからないほど疲れてしまっています。気分も少し落ち込んでいます。

何か言葉をかけてほしいような、何も言葉をかけてほしくないような、そんな心持ちでいます。

それでも、今日に限って、この場所に何かを書こうと思ったのはなぜなのでしょう。自分でもよくわからずにいます。少し不思議な気持ちです。

今日と明日は、少しゆっくりとした時間を過ごそうと思います。


2003年12月17日(水) 偶然の一瞬の出会いの話、など

帰りに、名前も知らない人との偶然の素敵な出会いがあった。詳しく事情を説明しているだけの余裕は今はないので、差し当たり省略する(余力があれば後で追加するかもしれない)。要点だけ説明すると、その人(女子大学生だった)が道に迷っている様子だったのを見かねて、私がつい声をかけてしまい、たまたま行き先が同じ方向らしいとわかったので、同じバスに乗り込んで、数分間バスの中でいろいろと話し込んだということだ。本当に楽しかった。

名前も聞かなかったし、私も名乗らなかったし、もう会うこともないだろう。けれど、もしかしたらまた会えることがあるかもしれない。もう二度と会わないとは言い切れない。

とにかく、嬉しい出会いだった。

帰りに、小さい水晶の球を2つ買った。いいことがありますように。

注文していた詩集が届いた。

体力は限界に近い。でももう少し。あともう少し頑張る。


先日、「そよ風」の方に少し吐き出した言葉だが(「ヤプース!」のサーバーがダウンしていることがしばしばあるので、見られないことも多いが)。

言葉にできない想いというものもあるけれど、想いを言葉にすることができそうなのに、その想いを言葉にして誰かに伝えることが許されないとしたら、その想いの行き場をどこに見出せばいいのだろうかと思い、悲しくなる。私自身の中に封じ込めておくしかないのだろうか。いずれにしても苦しいものだ。


2003年12月13日(土) とにかく、と、メモ

とにかく、1日に一言でも何か書き残すということを続けよう、と思った。

書き残す場所がこの場所なのかどうかということはひとまずおいておく。どこかに何か残す。

ということだけ記して、今日はおしまい。

というのも愛想がない…というか、“今日何かをここに書こうと思わせた何か”があったからこそ、久しぶりにこの場所に日記を書こうとしているわけなので、その“何か”について書かないわけにはいかないのだけれど、今はきちんとした形で書く時間と余裕と能力と自信がないので(←能力と自信はいつもないけれど)、断片のみ。

・imagination
・言葉にすることの難しさ。と、書くことの難しさと話すことの難しさが違う。どっちもそれなりに難しい。
・余白

ちなみにここ数日は、日々の生活に追われて、この場所の存在を自分の中でひとまず横においておかないと日々の生活を回せない感じだった。もうしばらくはそんな感じ。「エンピツ」にも新しい機能がついたようだけれど、使ってみたいけれど、今は少し対応できない。


2003年12月04日(木) 電車の車内アナウンスが良かった / 体調悪化? / 花の種を蒔きたい / BGM「魔女の宅急便」サントラ音楽集

今日、帰りに乗った電車の車内アナウンスが、とても良かった。気持ちが穏やかになった。

何がどのように良かったかはうまく言えないのだけれど、「このアナウンスをしている方(車掌さんだろうけれど)は、乗客の1人1人のことを思って、乗客の1人1人にこのことを伝えたいと強く思いながら話しているのだろうな」ということが、とてもよく伝わってきたので。乗り換え案内についても、車内マナーについても。

それだけで、あぁいい日だったなぁと思う今日。

あっ、でも、それ以外にもいいことはたくさんあったけれど。人と話すことができたり、とか。


疲れやすくなっているのか、1日24時間のうちの約10〜12時間くらいは休養を取りたい感じである。そうしないと身体が持たないというか…。外出先でも時々頭痛がする。しなければならないことやしたいことも、ある程度あきらめながらでないと、身体が持たない感じがして、それがとても悔しい。でも、私にとって大切なことは、決して見失わずにいたいと思う。


今、種を蒔ける花としては、何があるだろうか。花が咲けばよいので、何でもかまわないのだけれど(木に咲く花は少し困るかもしれない)。


不意に思い出して、「魔女の宅急便」のサントラ音楽集を聴いている。映画のあらすじはほとんど忘れてしまっているのだけれど、音楽はよく覚えている。

この映画のキャッチコピーは「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」であった。私も今はそんな気分で、「おちこんだりもしているけれど、私はげんきです」と伝えたい気持ち。…いや、実は時々は元気でないのも本当だけれど。それも含めて「げんきです」と。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)