風紋

もくじ / この前 / この後


2002年12月31日(火) 同じようで違うようで / この1年は / 1年の終わりのメッセージ

主観的には、“昨日と同じようにも思えるし、少しだけ違うようにも思えるし、という今日”という感じなのに、“今日”に“12月31日”という名前がついただけで少しだけ慌しい感じになる。昼御飯の片付けから、そのままおせち料理作りに突入、おせち料理作りから、そのまま年越し蕎麦作りに突入して、そのまま晩御飯…と。

そしてそんな日々が続いているのに、“今日”には“2002年”という名がつき、“明日”には“2003年”という名が付くだけで、何かががらっと変わるような気がするのを少し不思議なことのように思う。

ただ、こういう区切りがあることを私自身は特に否定的には捉えていない。逆に私は日々ぼーっとしているので、このような区切りがあることで、過去を振り返り未来に向けて決意を新たにするきっかけを作ってもらっているように思って、ありがたいことと思う。

普段何気なく過ごしている1日1日も、このくらいの覚悟で過ごしていければと思うのだけれど、なかなかそうできなくて、反省する。


今年はどんな1年だったっけ…と、1月からのことを振り返ってみて、赤くなったり青くなったり、思わず笑みがこぼれたり、頭を抱えたりする。良いことも悪いことも、いいことも嫌なことも、いろいろなことがあった1年だった。いろいろなことを感じたり、考えたりして、たくさん泣いて、たくさん笑った。そういうことを全部ひっくるめて、“そういう1年だったんだ”と思う。

私にとってのこの1年が、いい1年だったか、悪い1年だったかはよくわからない。今、この1年が良かったか悪かったか評価しても、その評価は将来変わっているのかもしれないし。ただ、悪い1年だったと思いたくないだけなのかもしれないけれど、こうして落ち着いて1年を振り返って新しい年を迎えられる状態であるということだけで、いい1年だったと言っていいのではないかなと思う。

自分自身にとってのこの1年を振り返ってみて、“よく頑張ったんじゃないかな”と思う部分もあるけれど、やっぱり“もう少し頑張れたんじゃないかな”と後悔するところが大きい。投稿論文が書けなかったのは激しく反省。

来年はもう少し主体的にしっかり動いていけるように頑張りたいと思う。もっと色々なこともしてみたいし、そのために精神力も体力もつけて、もう少ししっかりしたいなと思う。


今年1年、いろいろとありがとうございました。日記を書き始めたのが9月からなので、厳密には「今年1年」でない方もいらっしゃるかと思いますが(そういう方のほうが多いだろうか)。

こっそりひっそり書いている日記なので、何人くらいのどんな方がどのくらい何故読んで下さっているのか、実はほとんど存じ上げなかったりするのですが(知ってみたい気もしたり、少し怖いような気もしたり…)、今、こうして私の書いた拙い文章を読んでくださっていることに、心から、ありがとうございます、と申し上げたく思います。

数は少なくても、読んで下さっている方の存在があって、ここまで続きました。続けるのが必ずしもよいこととは言えないかもしれないし、私自身もいつやめてもかまわないくらいのスタンスでやっていますが、それでもここまで続いたことを嬉しいことと思うので、ありがとうございます、と思います。

新しい年は、幸せなことがたくさんでありますように。あなたにとっても、私にとっても。心からそう願います。

そして、今の苦しみも涙も、いつか幸せの芽になりますように。


2002年12月30日(月) お餅つきと冬休みの匂い / こんな1日

「庭先で家族全員が集って、臼と杵を使ってお餅つきをしている」という風景を3件(3軒?)見掛けた。優しくて懐かしい匂いのする風景。私も加わりたいなぁと思いながら通り過ぎた(知らない家だったのだけれど)。

夏休みの匂いはあるけれど、冬休みの匂いはあるだろうかと数日前から考えていたのだけれど、冬休みの匂いもあるなと思う。つきたてのお餅の匂いとか、お餅を焼く時の匂いとか、蜜柑の匂いとか、ストーブの匂いとか。でも暖房器具を使う時には換気に気をつけて。


大学へ行く。年内はこれで最後(自分で勝手にそう決めただけだけれど)。あまり人はいなかったけれど、人と話をしたり、少しだけ分析をしたりした。お正月の間に自宅で作業するのに困らないように、いくつかの本や資料を持ち帰ったら荷物がかなり重くなった。にもかかわらず、帰りに、紅茶屋さんに寄ったり(ダージリンの秋摘みが出回る季節なんだなぁ。飲んだことはないのだけれど一度飲んでみたい)、100円ショップに寄ったりした。

ちょっと身体が妙な具合に疲れているので、もう休む。


2002年12月29日(日) 奇妙な感じ / 大学へ行く / 音楽をいっぱい聴いた / 言葉が続かないこと

さっき、日記を更新しようとして昨日の日記を読んで、ひどく奇妙な感じがした。これ、本当に昨日書いた日記だっけ?と思って。書いた記憶はあるのだけれど、たった1日前に書いたものとは思えない。これを書いてから数日は経っているような気がする。

…ま、そういう日もあるか(あるか??)。


大学へ行く。行きしなに、年賀状を嬉しそうに投函する女の子を見掛けて、年末なのだなと思う。やっぱり置いてけぼりにされた気分。

年末で、おまけに休日の日の大学はあまりにも静かで、落ち着かなかったが、逆に少し楽に動けるような気もした。人と話をしたり、少しだけ分析をしたり、宿題を読んだりした。


年末なのに、大掃除を全くしていなくて(時間がないのと、する気が起こらないのが理由)、あまり良くないなぁと、積み上がった論文の山を前に途方にくれている。それでも、コンポを置く適切な場所が出来たので、昨日ようやっとコンポを出して、久しぶりに音楽をたくさんたくさん、狂ったように聴いていた。こんなに聴いたのは久しぶりで、久しぶりに聴いた曲もたくさんあって、あんまり久しぶりで、ただただ嬉しくて、身体の中に新しい血が流れ直すような感じがして、泣いたり笑ったりしながら聴いていた(昨夜なかなか寝付けなかった原因はこれなのかも…)。

というか、そこまで音楽を欲しているなら、なぜもっと早くコンポを置く場所をつくらなかったんだろう、という気はするけれど。大掃除も、この部屋に住んで3ヶ月しか経っていないのだから、もしかするとそんなに大したことはしなくてもいいのかもしれない。

3ヶ月、か。3ヶ月。


今日は、何を書こうとしても言葉が続かない感じがする。続かないというか、するっと出てこない。さっきから書いたり消したりしている。

…ま、そういう日もあるか(あるか?)。

自分がしてきたこと、しようとしていることが悉く間違った方向にいきそうな不安。それまでは間違いがなかったのか?と問われると決してそんなことはないのだけれど。もしかすると、このようなことには「間違い」というものはなく、それが肯定的なものであるか否定的なものであるかの評価も時間が経過すると容易にかわるものなのかもしれないけれど。それでも、何が起こっても何にも怖くないというくらいの覚悟が欲しいな、迷いを振り切りたいなとは思う。


2002年12月28日(土) 病院が混んでいたのを見た / 焦燥感その2 / 椎名林檎さんの「幸福論」を聴いた

知らない病院の前を通りかかると、待合室にかなりたくさんの人がいるのが見えた。風邪が流行っているのと、恐らく明日から休診になるのと、両方の理由からだと思うけれど、それにしても混み合っていた。

風邪、ひかないように、どうかお気をつけ下さい。お正月休みでも、休日診療とかやっているとは思いますが…。


お昼過ぎ、すかっと晴れた空を眺めながら、昨日の日記に書いた焦燥感は、例えば「こんなにもいいお天気なのに、私はこんなことをしていていいんだろうか」という焦りなのかもしれないと思った。しかし、「こんなこと」をしていてはいけないのなら、果たして何をすればいいんだろうかという感じではある。そして「こんなこと」をしているのも、自分が選びとったこと。

一度にたくさんのことができるわけではないから(私は特に、何をするにも遅いから…というのを言い訳にするつもりはないが…)、一つ一つのことをきっちりとしなければ、ということなんだろうとは思うけれど、自分のペースがあまりにも遅くて全然先が見えないのが、時々ひどくつらくなって、何をやっていても、こんなことをしていてはいけないのではないかなんて思うのだ。


椎名林檎さんの「幸福論」をずっと探していたのだが、今日CDを見つけたので、購入した。

聴いたことのない曲だと思い込んでいたのだけれど、「時の流れと空の色に…」の部分まできて、あぁこの曲だったのね…と思う。

「時の流れと空の色に…」の旋律(実音でFGABAF GACisAGF…か?)で、あぁ解放されて自由になった、という印象を受けた。想いを素直におもてに出せた、というか。よく聴き直してみると、出だしの部分のメロディーに半音が多用されていて(というのかな…半音階というのかな…臨時記号がたくさんついていて)、音程が取りづらく、その旋律から不安定さや迷いを感じるからなのかな、と。それが、「時の流れと空の色に…」の箇所で解放されるのかもしれない、と思った。私がそう思っただけなのだけれど(今まで椎名林檎さんの曲をほとんど聴いたことがないので、よくわからない)。

メロディーのことばかり書いたけれど、歌詞もいいなと思った。あまりに素直でストレートで少し恥ずかしいような気もするけれど、このくらい素直になれたらいいなとも思った。


2002年12月27日(金) こんな1日 / 焦燥感 / 「Climb ev'ry mountain」

集中講義が終わったら、途端に起きるのが遅い時間になってしまってた。

大学へ行く。と言っても大して仕事をしていないのだけれど。学部生から簡単に引き継ぎをしたり、少しだけ分析をしたりしていた。あとは預かった宿題を読んだり、か。

明日と明後日は私は大学に来るかどうかわからなくて(本当に気分次第なので)、でも、年内はもう大学に来ないという人や、日曜日に実家に帰る予定だという人がいたので、良いお年を、と言って研究室を後にした。良いお年を…だなんて、もうそんな時期だったんだ。知らない間に年の暮れが来ていたのだ。置いてけぼりにされた気分。

帰り、少しだけアルバイトをする。少しだけ。

帰りの電車の中は、少しだけお酒の匂いがした。降りる駅が近づいてきた時に、ふと、このまま降りずに乗り続けて何処かに行ってしまいたいなと思った。


今夜は何故だか焦燥感に駆られている。よくわからないけれど、今、何かをしなければ取り返しのつかないことになってしまうというような焦りがある。しかし、「何か」が何なのかそもそもよくわからないし、わかったとしても、一度にたくさんのことができるわけではないから、随分と気持ち悪い。

少し無謀とも思えるようなことをしてみたいと思う。しかし、無謀なことができない自分が情けないなと思う反面、無謀なことをしてしまいたいと思う自分も情けないなと思う。どっちなんだいったい。

何をそんなに焦っているんだか…。しかし、焦らなければならない場面で焦らず、焦らなくてもいい場面で焦っているような気もする。…莫迦。


突然、ある1つの曲が頭に浮かんで、その曲をどうしても聴きたくなる時がある。今日は「Climb ev'ry mountain」(すべての山に登れ)を聴きたくなった…のだけれど、今、音源が手元にないので(持っているはずなのに)、楽譜を探してみた。この曲は、以前、合唱をしていた時に歌ったことがある。

「Climb ev'ry mountain, search high and low,
 Follow ev'ry byway, ev'ry path you know.

 Climb ev'ry mountain, ford ev'ry stream,
 Follow ev'ry rainbow, till you find your dream!

 A dream that will nead all the love you can give,
 Ev'ryday of your life for as long as you live.

 Climb ev'ry mountain, ford ev'ry stream,
 Follow ev'ry rainbow, till you find your dream!」

歌うたびに、何となく勇気が出るような気持ちになっていたことを思い出した。一度倒れても、もう駄目かもしれないと思っても、少しずつ立ち上がろうという気持ちになる曲。今は立ち上がれなくても、倒れたままでも、這って進むくらいのことはできるかな…という気持ちになる曲。這って進めなくても、手をのばすことくらいはできるかな…という気持ちになる曲。私だけか?そう思うのは。


2002年12月26日(木) 集中講義最終日

少し眠いので、取り急ぎ簡単にだけ。

集中講義3日目(最終日)。正直なところ、大変だったし、3日間かなり張り詰めた気分で過ごしていたけれど、終わってみると、この講義(というより演習に近かったけれど)から得たものは大きかったと思う。自分の研究に対する姿勢を改めて考える契機になった。そして、これまで自分の研究がうまくいかなかった理由が少しだけわかったように思う。少しずつでも、頑張っていこうと思う。

ちょっとだけ、一息つける感じではあるけれど、宿題をいくつか預かっているのと1月初旬に少しばたばたするので、まだ大学には行く。とりあえず明日は棚の掃除をしたい。最近、本をたくさん買ったり借りたりしているのだけれど、持ち帰るのが重いので研究室に置きっ放しにしている。ゆっくり読みたいのだけれど。


2002年12月25日(水) 集中講義2日目

集中講義2日目。

相変わらず私は、考えるのも、考えたことを言葉で言うのも遅い。でもよく考えると、遅いのはこの2つだけではなくて、全般的に私は何をやるにも人より遅いような気がする。別にかまわないじゃない?と一度は思ってみるものの、でもこの人生には限りがあるのだなと考えると、少し怖くなるような気もするのだった。

話がそれた。2日目。雰囲気には慣れたものの、自分が至らないことを思い知って、少し自己嫌悪に陥る。自己嫌悪に陥った後、どうするか、が大事なんだと思う。

ただ、2日目となると少し疲れてきたというのも本音で、少し頭が痛いような気もする。早めに休む。

残り1日、しっかりやろうと思う。集中講義が終わったら、ちょっと一息つける…かなぁというところ。1月の初めに少しばたばたとするので、それの準備は要るものの。


2002年12月24日(火) 駄洒落 / 集中講義1日目 / 特別な日

毎年、クリスマスが近づくと、「栗がすましてクリスマス」という駄洒落を言うのだけれど、周りの人達には面白くないと言われる。自分でもあまり面白くないと思う。


朝から夕方まで集中講義。もともと、ついていくことができるかどうか不安だった上に、事前課題が出されていたり、ディスカッションを中心に展開していったりと、かなり緊張する授業だった。けれど、得たものは多かったように思う。「普段あまり考えないけれど実は重要なこと」について考えることができたし、現在自分がしていることを基本的なところから見直す契機になると思う。…まだ1日しか終わっていないけれど。

グループディスカッションの中で気が付いたことだが、私は考えるのが遅い、というか、考えたことがまとまるのが遅い。「あっ」と思ったことがきちんとした言葉になって出てくるまでに随分時間がかかっているような気がする。そのうえ人前で話すのがあまり得意でないという障壁(?)もある。自分を完全に人前に晒すのが苦手なのか(と言いながらこんなことをしているけれど)。私にはそういう欠点があると認めた上で、少しずつでも克服していければいいと思う。もちろん努力もする。


繁華街を歩いていると、華やかで賑やかで嬉しそうな雰囲気で、やはり今日は特別な日なのだなと思った。それと同時に、なぜ今日が特別な日なのだろうとも思った。いつも特別な日でもいいのではないかと思った。何でもない日が特別な日でもいいのではないかと思った。12月24日だけが特別な日なのではなくて、23日が特別な日でも、13日が特別な日でもいいのではないかと思った。けれど、毎日が特別な日でもかまわないとすると、もはやもうそれは特別とは言わないのかもしれないとも思った。

ケーキを食べるのも、贈り物をするのも、誰かに優しくするのも、誰かに優しくされるのも、多分今日でなくてもいい。今日それができれば幸いなことだけれど、今日それができなくてもいい。どんな日にでもしていい。たぶん。私はそう思う。


昨日に引き続きお知らせ。「そよ風」はじめました(何だか「かき氷はじめました」とか「冷麺はじめました」みたいだな)。


2002年12月23日(月) 明日から集中講義だということとか、賑やかな街を想像することとか / 「そよ風」をつくる

明日からの集中講義のことが、どうしても気にかかってしまって他の仕事をする気になれず、しかし集中講義の事前課題に取り組む気も起こらず、結局ぼーっとしていた(って駄目じゃないか)。

大学に行こうかと考えてはいたものの、連休と冬休みで街は賑やかで華やかで楽しそうに違いない、と考えると、何となく出かけたくなくなった。…というのはひねくれているなと自分でも思うのだけれど。

クリスマス前とか、春先とか、ゴールデンウィークとか、世間が華やかで賑やかになる季節が、実はほんの少しだけ苦手だったりする。…というのも、ひねくれているなと自分でも思うのだけれど。

集中講義。何も怖がらなくてもいいのに…と自分でも思うけれど。なんだか不必要なほどに緊張しているような気はするけれど、どうにもこうにもならないような気はする。

このお休みの間、本当は休むべきではなかったにもかかわらず、かなりのんびりとしてしまったので、明日からまた頑張らないといけない。戦うぞ、っと。


急に思い立って、思ったことをメモ程度に書き留めておくことのできる場所をつくった。と言ってもどのくらいの頻度で書くかわからないというか、完全に放ったらかしにするだろうという気もなきにしもあらず、だけれど。

場所はこちら(「そよ風」)

まだまともなことは書いていません、というか、まともなことを書くかどうかもわかりませんが…(という前に、こちらの日記がまともなことを書いているかどうかもあやしい…)。


2002年12月22日(日) 「風邪に気をつけねばならない」ということを忘れていたこと / そんな午後

ぼーっとしているうちに12月も20日を過ぎていた。例によって例のごとく、やろうと思ったことの半分もできていない状態で、ぼーっとしているうちにこんな日付になっているという感じ。

寒いなと実感することは増えたが、冬だなと自覚することがないままのような気がする。で、今日ふっと「そういえば私は今、風邪に気をつけねばならないと思っていない」ということに気が付いた。例えば外から帰ってきたら嗽をするだとか、夜は冷えないうちに早めに寝るだとか、そういうことを全くしようとしていない自分に気がついた。

風邪、ひかないように注意して下さいね。風邪をひくととても辛いと思います。既に風邪をひいている方はご無理なさらぬように。私もひかないように注意します。


何にもする気の起こらない日(いつもか??)。日当たりのよい部屋で、半分寝ながら集中講義の事前課題として出されている論文を読む。とはいえ、私の専門としている領域と違う領域の論文なので、読むのに難儀する…というか細かいところまで理解しきれていない。とりあえず明日続きを読む。

英語の辞書をひきながら読んでいると、関係のない単語ばかりに目が留まってしまうのは集中していないからだろうか。「アイスクリーム製造機」とか「びっくりハウス」とか。

ぼーっと考え事をしたり、論文に目を落としてみたり、Web日記を読んだり、お茶を淹れに行ったり、そんな午後だった。少しのんびりしすぎたかもしれない(これもいつもか?)。あんまり何にもしてない。


最近、お漬け物が好き。


2002年12月21日(土) 椎名林檎の「勝訴ストリップ」を聴いた / 取り壊しと悲しみ

さすがに疲れていたのか、起きたら昼近く。研究会を休んでしまった。ごめんなさい。

心が渇いているのか(という言い回しを使うのは少し恥ずかしいのだけれど、感覚としてはそんな感じ)、詩歌や音楽にふれたい気分になっている。そんなことをしている場合ではないような気もするけれど。

家族に、椎名林檎の「勝訴ストリップ」を借りて聴いてみた。「依存症」を聴いてみたくて。きちんと聴いたのは初めて。歌詞のところどころに、言葉では説明できないところで、でも、どきっとするほど、わかる、と思う部分があるように思う。

「幸福論」も聴いてみたい。


滋賀県豊郷町立豊郷小学校の校舎建て替えをめぐって、町長と住民が対立して騒ぎになっているということを新聞で知った(詳しくはこちら)。どちらが正しいのか正しくないのか、文化財的な価値の面から考えるとどうなのか、安全性の面から考えるとどうなのか、はわからない(今、書くことはできない)のだけれど、ただ、校舎が壊されるかもしれない、壊されるのは許せないという住民の方々の気持ちは少しだけわかるかもしれないと思った。安易に“わかる”というのは失礼かと思うし、同じ立場にない以上はわかり切れない部分もあると思うから、全部わかるとは思わないし言わないけれど、少しだけなら、わかるかもしれない、と。ガラスが割られた校舎の写真をネット上で見て、胸が痛んだ。

思い出はものに在るのではなく、心にあるのだから、もの=校舎がなくなってもかまわないという考え方もあるのかもしれない。この世界に存在するものは永遠に存在するのではなく、いつかはなくなっていくのだから、なくなるのを素直に受け容れた方がよいという考え方もあるのかもしれない。ただ、約3ヶ月前に、自宅の解体を経験した私は、確かに思い出はものではなく心にあるとわかっていても、永遠などないとわかっていても、それでもなくなるのは寂しいし哀しいんだよ、と思う。

理屈で説明できなくても、間違っていると言われても、おかしいんじゃないかと言われても、悲しむべきではないと言われても、悲しいものは悲しいのであって、他の何物でもない、と思った。そう感じること自体は否定したくないなと。理屈で説明できなくても、そう感じることがあるということは。

ガラスが割られた校舎の写真を見て、ふと、前の家の解体の場面を思い出した。見届けなければならないと思ったのだけれど、結局、重機が入っているのを見ただけで耐えられなくなったのだった。それでも頑張って見届けるべきだったのかもしれないけれど。

今でも時々、前の家のことを思い出す。あのドアを開けるときの力の入れ具合とか(建てつけが悪かったから)、廊下を歩いた時の足の裏の感触とか。覚えているつもりだったのに、忘れないつもりだったのに、日が経つにつれて記憶は確実に薄くなっていて、悔しくなる。忘れても生きてはいけるのだけれど、忘れたくないのだ。


2002年12月20日(金) 泊まり込みの夜、その後

研究室で夜を過ごした。と言っても、テンションを下げないために帰らなかっただけなので、実は午前3時頃には作業に見切りをつけていて、Webに載せない日記を書いたり、書類を書いたりしていた。6時頃から1時間ほどの間、椅子を並べて横になった。眠った気はしなかったけれど。夜明けの頃の寒さはきつかった。8時過ぎにコンビニエンスストアに朝食を買いに行って、おにぎり4個(→友人の分と私の分)とお茶を買った。おにぎりと、研究室の冷蔵庫に置きっぱなしにしていたドリンク剤を食べた(飲んだ)。8時40分頃からプロジェクタの準備などをし、9時から発表、といった感じ。

前日には本当に気分が沈んでいたので、“とりあえず出席できればいい。後は黙り込んでも泣き出してもどうなってもいい”と思っていたけれど、割と落ち着いて話せたような気がする。10月からしている週に一度の仕事のおかげだろうか。内容の出来不出来はともかく、人前で話すことに少し慣れてきたような気がする。

今日から新しいプロジェクタを使うことになっていたので、使った。しかし、どうも色の出方がおかしいみたいで、「ここの赤い太枠で囲んだところが…」と言いかけてスクリーンを見ると、赤色がどう見ても茶色にしか見えない状態で、少し可笑しかった。

私の進みはのろいけれど(ここまで来るまでにも普通の人より時間がかかっているし)、少しずつでも成長していくことができればいいな、と思う。課題は山積みで、今後考えていかねばならないことがたくさんあるけれど。

とはいえ、あまり眠っていなかったので身体的にはやはりきつく、本当は夜にアルバイトに行くはずだったのだが、休んで帰ってきて眠った。

(12月22日、0時20分記)


2002年12月19日(木) 泊まり込みの夜

結局、家に帰らずに作業することにした。

というわけで、泊まり込み。帰っても良かったのかもしれないと思うけれど、一度帰ってしまうともう来られないような気がして、このままの方がテンションを上げたままでいられるだろうよ、と。何だか、一度下がると際限なく下がりそうな気がしているもので。

今になってから、ここ数日のことを振り返って、もっともっと頑張れたかもしれないのに、何故あれだけのことしかできなかったのかなと思ったりする(ほんとに何も進んでいないのだ)。もう少し頑張ったら、いろいろ生産的なことができたかもしれないのにと。発表の準備だけの話でなく。結局論文も書いてないしな。ただ、その時その時はいっぱいいっぱいだったのも事実。その間で、いつもふらふらと揺れている。

気分が振れても、コンスタントにやるべきことをやっていけたらいいのにと思う。ただ、いつでもどこでも頑張っていなければならないという信念が随分自分を縛り付けているのもまた事実で、もう少し自分が楽なように(怠惰という意味ではなく、肩の力を抜いて動けるように)いろいろやっていってもいいのかもしれないとも思うのだった(状況がそれを許さない場合も多々あるのだけれど)。

なにはともあれ、とりあえずは空元気でもテンション上げっぱなしでいく。


少し落ち着いたら、いろいろな音楽を探しに行きたい。


2002年12月18日(水) 近況報告

とある授業での発表を控えている。発表の準備が全然できていない、というか、どうにもこうにもやる気が起きないのだけれど、やる気にならないと本当に何にも出来ないので、どうにかこうにか気合を入れて、半泣きの状態でパソコンに向かっている。なぜこれほどまでにテンションが下がっているのかなぁとは思うけれど。

…とにかく頑張ろう。頑張るしかないだろう。


2002年12月16日(月) 雨の日 / ネガティブなオーラ / 忘れ物とブルーな気分

そして寝坊した朝。

“今日は雨になりそうだ”ということは、一昨日くらいははっきり覚えていたのに、今朝は寝坊して慌てていたのですっかり忘れていた。ゆえに傘を持たずに出てきて、夕方から降り出した雨を見ながら茫然としていた。

研究室に置きっぱなしにしていた傘を差して帰る。向日葵の絵のついた、何とも季節はずれな。

傘を差して自転車に乗っていたら、地面の小さい段差に引っ掛かって転倒しそうになった。思わず9月6日に自転車で転倒したこと(こちらの日記)を思い出して、自転車が引っくり返って荷物がばらばらになる様子まで思い浮かべてしまったけれど、今日は何とか無事だった。

雨の日に傘を差して自転車に乗らざるを得ない場合は、どうか転倒しないように気をつけて下さい。転ぶと痛いです。


何となく気分が沈みがちな1日。夜、研究室を出てくる時も、あぁもう何もかも嫌だよぉ…とぐだぐだ言っていた。同僚からは「ネガティブなオーラが出てる…」と言われてしまった。

電車に乗る前にどうしようもなく気分が落ち込んでいることが多いけれど、電車の中で眠ると、目的地に着いて目覚めた時は大抵けろっとしているので、あんまり大したことはない。

晴れの日・雨の日両方あることはわかっている。いい日もあれば悪い日もあることもわかっている。けれど、悪い日を過ごすのはやはり少しつらい。せめて笑っていられればと思うけれど、うまく笑えない。

日記でもネガティブなオーラが出ていたら、本当にごめんなさい。


昼過ぎに研究室に姿を見せた後輩が、あっ手帳忘れたぁ…と呟いた。で、しばらく忘れ物の話をしていた。

彼女は手帳に割とまめに予定を書き込むので、手帳を忘れるとけっこう辛いらしいのだけれど、私はあまり手帳を使わないので、手帳は忘れてもあまり困らない。が、忘れると困るものは他にもたくさんあって、例えば財布とか定期券とか携帯電話とか鍵とか。そういう大切なものを忘れると、けっこうブルーになって、何もやる気がなくなりますよね…と後輩が言うのを聞いて、うんうんそうだねぇ…と激しく同意する。

私は、この前携帯電話を忘れて出てきてしまったことがあったのだけれど、定期入れ(その中には定期券だけでなく学生証やコピーカードなども入っているので財布より大切かもしれない)を家に忘れることも時々ある。しかも駅に着いて改札を通る直前に気が付くことが多い。その時はもう本当に落ち込んでしまって、その場に座り込んでしまいたくなる。自己嫌悪に陥ってしまって、もう私など生きていく資格がないのではないかしらとさえ思ったこともある(←大袈裟)。

そういう、大切なものを忘れて気分が落ち込むのは、それがないと支障をきたす場面が多々あるので、そういう局面を今日1日乗り切っていけるのかしら…という不安と、大切なものなのに忘れてきてしまうなんて私は莫迦だな…という自己嫌悪が入りまじっているような気がする。

大切なもので、ないと不便であるとはいえ、忘れても何とかなるはずなのだけれどね。それよりも、財布よりも携帯電話よりも定期券よりも忘れてはいけないことがあるのだとしたら、せめてそれだけは覚えていられればいいとも思うのだった。


最近、日記のタイトルがやたらと長い、と自分で思う。


2002年12月15日(日) 家で仕事 / 来年度の仕事 / 音楽を聴く / マニキュア剥がれた / 明日は / 詩と夜中のひとりごと

昨日の日記に「明日は外で作業しよう」とか書いたにもかかわらず、結局今日も外出せず、家でちょこちょこと作業していた。

今まで使ったことがなかったけれど、そのうち使ってみようと思っていた分析を試してみる。初っ端からエラーが出てばかりでソフトがうまく動かず、難儀した。結局、それなりの結果は出た…のだろうか。見落としていることがたくさんありそうだ。自分が結局何を主張したかったのかを、もう少し色々考えないといけないように思う。並行して発表資料を作らないといけないな。


夕方、思いもかけないところから来年度の仕事の紹介がくる。今年度している仕事を自分で振り返っても、自信があるとは言い難いけれど、少しでも勉強できればよいと思い、引き受ける方向でお返事をし、取り急ぎ略式の履歴書をFAXしたりしていた(まだ引き受けて頂けるかわからないのだけれど)。

思いがけないこととはいえ、これも1つの大切な出会いだと思う。もし受けられるなら、自分にできることを精一杯やろうと思う。


夜、思い出したように、最近ほとんど聴いていなかった音楽を聴いていた。平松愛理さんの曲と、Coccoさんの曲を何曲か。どちらの方の歌も、一時期よく聴いていて、でも最近はほとんど聴かなくなっていた(普段はクラシックを聴くことが多いから)。何だか不思議な感じがした。身体が自然に音楽に反応したという感じ。あるいは、普段自分が忘れていたことを思い出したような感じ。平松愛理さんの曲を聴くと、勝手に肩の力が抜けて笑顔になっていたし、Coccoさんの曲を聴くと、胸の奥深いところが抉られて、自分が普段隠していた想いをおもてに出せるような気がし、でもそれは不快ではなくて懐かしいような気がして、涙が出そうになっていた。

ジャンルによっても違うのかもしれないけれど、音楽を聴いたり、自ら音楽を演奏したりすると、私は“自分に還ることができる”と思う。忘れていた自分を取り戻せるというか。普段は、本業が忙しいし、頭の先から足の先まで仕事に専念しなければならない、そういう自分でなければならないと思っているけれど、音楽に触れると、ふっと忘れていた自己、忘れていた想いを自然に取り戻せる気がする。あぁ、これも私だったと思う。

ただ、時々、忘れたかった部分、おもてに出したくなかった部分まで一緒に引き出されてしまうような時もあるけれど。だからナーバスな時には音楽が全然聴けなかったりするし、絶対に聴けない曲もある。フォーレのレクイエムは、私は今でも、聴くと自分自身が崩れてしまうような気がして聴けない。ごめんなさい。

ちなみに今日聴いていたのは、平松愛理さんの「一夜一代に夢見頃」「世界語のLove Song」(CD「一夜一代に夢見頃」より)、Coccoさんの「星に願いを」「焼け野が原」(CD「サングローズ」より)。あと「オペラ座の怪人」(アンドリュー・ロイド・ウェッバー作曲)を少し聴いていた。


人指し指に塗ったマニキュアが半分近く剥がれているのを見て、哀しくなった。剥がれてしまったというその事実が、あれから時間が経ってしまったことを物語っているようで。時間が止まってくれればいいと思ったけれど、そういうわけにもいかなくて。

…いや、剥がれないのもそれはそれで困ることだし、半分剥がれているのはみっともないので何とかするけれど。


明日からまた戦わねばならない。

どうか明日は良い日でありますように。あなたにとっても、私にとっても。こうやって願うことしかできないけれど、本当にそうであればいいと思う。きっと明日はいい日になると信じていたい。楽観主義なのかもしれないけれど、そう信じていたい。信じていられるだけの強さがほしい。でも、いい日でなかったとしても死なない。生きていられる。命までは取られない。取られてなるものか。

元気でいてね、と、誰に言うわけでもなく呟く夜。


と、終わると見せかけてまた書く(いや、本当は↑ここで終わるつもりだったのだけれど)

「さびしくなかったわたし
 さびしいあなたに

 サヤのすぢ
 とらせてあげた
 ジャガイモ
 むかせてあげた

 ざふきん
 ぬはせてあげた

 ぎうにう
 はこばせてあげた

 それぐらゐのことしか
 できなかった

 いまは
 サヤのすぢとり
 あのこにさせる

 ジャガイモ
 わたしがむく

 まどガラス
 “をばさん”がふく

 ふつかよひのぎうにう
 じぶんでのみにおりる

 ざふきん
 だれもぬはない

 わたしも
 さびしくなっていく」
 (混声合唱組曲「How old am I?」より2.「The Order」(順番)/吉原幸子作詩)

…何だか、今、この詩を思い出して、どうしてもここに書きたい気分だったもので。

「さびしい」という言葉は3回しか出ていないのに、なんて寂しい風景なのだろうと思う。このさびしい風景が、その後どうなったのだろうかと思ったりする。

もうこんな時間。眠らないといけない。明日はそれなりに早いのに。分析の続きをしていたらこんな時間。気のせいか少しだるいような。でも何だか眠りたくない。眠ったら何か大事なものを失いそうな気がする。何か大事なものから手を離してしまいそうな気がする。今、手を離してしまうともう二度と掴めないような気がする。そんなことが以前あったようななかったような。それが寂しい。それでも、寂しくても、私は死なない。死ねない。そんな夜。

よくわからないことを書いてるな。でも、今書かなければ、明日はもう書けないような気がして。いつもそんな焦りがある。反面、今書くのが怖いという気持ちもあったりする。

追記:で、今朝、見事に寝過ごしたというのが、なんだかなという感じ。起きようと思っていた時間よりも30分も遅く起きて、思わず「わ」と言ってしまった。乗ろうと思っていた電車には間に合ったものの、電車の中でも寝ていて、終着駅で知らない女の方に「着きましたよ」と起こして頂いた。ありがとう…。(12/16,20:45)


2002年12月14日(土) 外に出なかった日 / 冷え / シャンパンの香りのする紅茶 / 大根のお漬け物

今日はほとんど外に出なかった。こんな日は久しぶりなので調子が狂った。結局何もしなかった。明日もこのままだとまずいので、外で作業しようかと思ったり。

休みたい一方で、休むのが怖い感じ。


冷え症なのか、この季節になると、足の先や手の先が冷たくなって、きつい。私の場合は、どちらかというと足の先の冷えの方がきついような気がする。


12月8日に買った(その日の日記はこちら)、シャンパンの香りのする紅茶を淹れてみた。封を開けた時にふわっとした香りがしたのだけれど、これがシャンパンの香りなんだっけ? よくわからない。シャンパンを飲んだことがないわけではない(と思う)けれど…。でもこの香り、私は好きだなと思った。

私は大抵の食べ物や飲み物を美味しいと思うという、損なのか得なのかよくわからない性質を持っているので、当てにならない紹介になっているかと思うけれど、美味しかったと思った。どちらかというと香りと雰囲気を楽しむ感じかなと思う。


大根のお漬け物を呆れるほどたくさん食べた。いただきものの千枚漬と、自家製のものと。


2002年12月13日(金) 逃亡しようかなと思った朝 / 本を買う / 冬 / 音楽を聴けない / 変わったり変わらなかったり

最近、どうしても電車に間に合って乗ることが出来ない。目当ての電車よりも1本遅い電車になってしまう。

今日は、出掛けから何となく下向きの気分。電車に乗っている時に、ふと、“今日はこのまま逃亡してしまって、気の向くままあちこち行ってみたい”などと思ってしまった。だって、あまりにも空が青くて綺麗だったから。

…結局は逃亡しなかったのだけれど。する勇気もなかったというか。よくよく考えてみると、自分が休みたい時は素直に休めばいいのにね、などとも思うのだけれど。

気分の浮き沈みがややきつい。何でも出来そうな気分になったり、全然駄目かもしれないと思ったり。コンスタントにやっていければいいのに。


今日も何もしていないような感じ。どうするんだよ私。学部生を集めて今後の段取りを詰めたことくらい。あとは気乗りしないままアルバイト。気乗りしないはずなのに、仕事をし始めるとそれなりに気合を入れてしまう。

文庫本をまとめて買うと少し安く買える催しがあったので、本を何冊か買った。何だか、私には珍しい買い方をした、というか、これだけの本を一度に買うことは滅多にない。衝動買いっぽい。一気に読んでしまいたいのだけれど、今はそれどころではないので、研究室に全部置いてきた。

昨日寄り道した時に、本屋さんにも寄ったのだけれど、その時にいいなと思った本が今日は見当たらなかったり、逆に今日見つけて買ってしまった本もあったりした。昨日寄り道した時に惹かれたのは、俵万智さんの「101個目のレモン」(文藝春秋、2001年)というエッセイ集。と言っても、ぱらぱらとめくっただけなのだけれど。

そんなことをしていて、1日があっという間に過ぎていく。


随分と寒くなってきて、今頃は雪を見ている人もいるのかしらなどとも思う。建物の中は暖房をしているので暖かいのだけれど、外はとても寒い。しかし、暖かいところから出て冷たい空気に触れた時に、何となく懐かしさを感じる…のは私だけか。冷たい空気を何となく優しく感じるというか、懐かしく感じる。今年も無事に冬が来たのだとありがたく思う。いや、私が理由もなくそう感じるだけなので、説明しづらいのだけれど。

理由もなく感じることのついでに、葉を落とした木の枝は何となく色気がある…ような気がする。私は。特に枝の先端は。


最近、余裕がなくて全然楽団の練習に参加できていないのが自分でも気が咎めているので、音楽を聴くこともできない…というか、もう少し頑張れば参加できるのに、そうしない自分が情けないなぁと思うから。


帰り道に、知らない間に立派な建物が建っていた。というか、ずっと工事中だったのだけれど、それは何となく認識していたのだけれど、何が建つのかあまり気にしていなかったし、知らなかった。だから今日、看板を見て、何だか突然にその建物が現れたように思って、驚いた。

私が気にとめていなくても、私の知らない間に、周りはどんどん変わっていくのかもしれない。私ひとりが取り残されたような気がして、不安になるのだけれど、でも実は私自身も変わっているのかもしれない。自分では変わったと意識はしていないけれど、今も昔もこんな感じで全然成長はしていないけれど、でも変わっているのかもしれない。

何が変わって何が変わらないのかよくわからないけれど、変わらないことを嬉しく思ったり哀しく思ったりするし、変わることを嬉しく思ったり哀しく思ったりする。ま、何がどう変わっても基本的に私は私だし、などとも思う。


昨日今日と、言葉にしにくいことをしにくいまま書いている感じ。


2002年12月12日(木) 螺子がとんだ感じ / 大切なもの / クリスマスの雰囲気は / 前の家の跡地を見る / メモ:目にした短歌

かなり、ふわふわと過ごしていて、生産的なことを何ひとつしていない。レポートの採点をしたくらいだ。

今日は螺子が数本とんだような調子で過ごしていて、いつもよりかなり早めに帰途についたのだが、かなり寄り道をしたので、帰り着いた時間はいつもと同じ。


世間一般の人から見ると、なぜこんなもの・こんなことが大切なんだろうと軽蔑されたり莫迦にされるようなことであっても、本人にとってはとても大切なこと・ものがあるのだろうと思う。私は、他の人の大切なもの・ことを、それがどんなものであっても大切にしたい、そして、私にとって大切なこと・ものも大切にしたいと思った。別に誰のためでもない。私のために。

で、今、私が大切にしたいと思うことって、何だろう。それはちょっとだけ秘密。


街はすっかりクリスマスの雰囲気で、駅前の木に電飾が付いていたり、店に入ってもクリスマスの音楽が流れていたり、クリスマスに関連したものを売っていたりする。少しだけ寂しくなるのはなぜだろう。

なぜクリスマスの前に、世の中は“クリスマスだぁ”という雰囲気になるんだろう、と思った。クリスマスの時は、誰かに優しくしたい気持ち、誰かに優しくされたい気持ちを素直におもてに出すことを許される時で、クリスマスの雰囲気を盛り上げることは、そういう気持ちを素直におもてに出すことを後押ししてくれているのではないか…なんて思ったのは、過剰な意味づけだろうか。私が誰かに優しくしたい、優しくされたいだけなんだろうか。

なんて考えながら家に帰り着くと、クリスマスツリーが出されていた。しかし、ツリーはあるものの、電飾は壊れているし(電源を入れても光らない)、モールやその他の飾りの多くが引っ越しの混乱で行方知れずになっていたりしていて、ほんの少しの飾りと、綿(脱脂綿で代用)だけが乗っているという、何とも貧相なクリスマスツリーだった。明日、余力があれば、何か飾りを買って来よう、っと。


引っ越しの話が出たついでに。

帰りの電車の中で、ふと、今日は前の家の跡地を見て帰ってみようと思った。あの道で左に曲がるのではなくて真っ直ぐ行って、で、あそこで左に曲がって…と考えただけで、懐かしくて何だか涙が零れそうになっていた。

実際に、今日はその道を左に曲がらずに真っ直ぐ進んで、その後左に曲がって…という経路で帰ってきた。数ヶ月前はこの道をいつも帰っていた。この道を帰るのが当たり前だったのにな。この道を通るの自体が久しぶりのことだったのだけれど、知らない間に少し変わっていたところもあった。

でも、数ヶ月前と同じ道を帰ってきたのに、やっぱり前の家があったところは、残酷なまでに何もなかった。ただの空き地だった。何も無いという現実を思い知らされた。

いつまでも前の家にこだわって、こうして日記にも書いてしまうのは、自分の適応能力の無さを示しているようで情けなくもあるし、「いつまでも無くなったものにこだわらずに前を向いたらどうなの?」と言われると反論のしようがなくて、私が悪いのですごめんなさいと言うしかないような気がする。ただ、前の家が壊された時に、私自身の一部も一緒に壊されたような気はしている(気のせいかもしれない)。私自身の壊れた部分はどうしたら埋まるのか、あるいは、壊れたままでどう生きていけばいいのか、今の私には答えが見つからないでいる。ただ、答えは見つからなくても、私自身の生命活動は止まってはいなくて、生きてはいて、朝は起きて朝食を食べ、昼には昼食を食べ、時にはおやつも食べ、夜には夕食を食べ、眠っている。だからどうだというわけではないけれど、答えがなくても死んではいない…ということ。


メモ:新聞で目にして、心惹かれた短歌。

「悲しみの底より上りゆく階の一段一段となれよわが歌」

小島ゆかりさんの短歌で「水陽炎」(昭和61年)の所収だということだった。


思いつくままにつらつらと書いてしまった。皆様風邪にお気を付けて。


2002年12月11日(水) ちょっと、ぼーっと / 論文 / ノートは何処へ? / キャンディという名前の紅茶

朝、電車に乗り込んだ直後に、携帯電話を家に置き忘れてきたことに気が付いた。引き返せないので携帯電話なしの1日を過ごした。とても自由になったような気がする反面、どうしようもない不安を感じた。もし私に緊急に連絡を取りたい人がいたら、あるいは、もし私に緊急に連絡を取らねばならない事態が私の知らないところで起こっていたら、今の状態では私には何もできない、という不安。そういうことになっていても、それを知らずに、私は普段通りの生活をしてしまう、という不安。だいたいの場合は大丈夫だと思うのだけれど、それでも、そういうことがないとは言い切れない。どうか何も起こらないでいて、と思いながら1日を過ごしていた。

帰りは帰りで、自転車置き場のどのへんに自分が自転車を置いたかをすっかり忘れていて、自転車置き場をうろうろと探し回っていた。

ちょっと、ぼーっとしている。昨日も帰宅してから体調があまり良くなかった。もっと早い時間に帰った方がいいのかもしれないと思う。身体と心がばらばらに動いているような感じがする。そんな自分の弱さが情けなくて。

頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、と3回唱えて気合いを入れる。


何だか、しなければならないことがいろいろとある。今日は集中講義の事前課題が出た。今月中に論文を書きたいと思ったのに、無理かもしれないなぁと弱気になったりする。でも9月も、いろいろあってもう無理だと思ったのに論文を書き上げたから大丈夫かな…ということを思い出した矢先に、その論文の初校刷が今日あがってきた。何だか、嬉しい反面、ものすごく恥ずかしい。他の人の書いた文章みたい。でも私が書いたんだというのが変な気分。

とにかく書かなければ。行き詰まっても。


昨日、後輩にとある質問を受けて、それは私が学部生の時に講義で聞いたことがあることのような気がして、たぶんこういうことだったと思うけれどちょっと自信がないから家に帰って昔のノートを探してみるね、と言ったのだが、部屋を探してみてもそのノートがない。たぶん引っ越しの混乱でどこかにいってしまった。荷造りをするときはあったのだけれど。その講義の性質と今私がしていることを考え合わせると、そのノートを納戸にしまい込むようなことはしていないはずなのに、部屋の中にないのはなぜだろう。ごめんね(→私信)。捨ててはいないはずだから、どこかにはあるだろう…。

私自身は引っ越しの片付けが完全に終わったわけではなくて(って、引っ越してから何ヶ月経ってるんだという感じだが)、とりあえず必要なものだけ手許においているという感じでいる。そんなわけで、コンポを置く場所がまだ決まっていないので、ここ3ヶ月くらいほとんど音楽を聴いていない。


昨日、紅茶の葉を30g買ったのだけれど、何の紅茶を買ったかは書いていなかった。キャンディという名前の紅茶を買った。私はすっかり、飴(candy)に由来する名前だと思い込んでいたのだけれど、全然違っていて、スリランカにキャンディという街があって、その周辺で栽培されている紅茶らしい。つづりもcandyではなくてkandyだそうだ。知らなかった。←莫迦。

まだ飲んではいない。先日のシャンパンの香りがする紅茶も。飲んだらここに書くかもしれないし、書かないかもしれない。その前に美味しく淹れられるのか甚だ自信がないのだけれど。

今日は伊藤園の花茶を飲んでいた。少し高貴な気分になった。


寒いので、風邪をひいたり体調を崩したりすることがないように、どうかお気をつけ下さい。もしももう風邪をひいてしまったのなら、どうかあまりひどくならないように、楽な気持ちでいらっしゃいますように、と願います。


2002年12月10日(火) 書く恐怖 / ついきのふまで / 買い物 / メモ:読みたい本

昨日は、日記を書きたいと思いながら、どうしても書くことができなかった。その理由は、書く時間が取れなかったわけではない。うまく言えないのだけれど、書くのが怖かったから。それは、このような公開の場所(一応…)に書くからということではない。誰にも公開せず自分のフロッピーに残すということでも書けなかったと思う。自分の思っていることを言葉にすることそのものが意味もなく怖いような感じだった。なのに書きたい気持ちがどこかに残っていて、昨夜は随分気持ちが悪かった。


「現代の詩人12 吉原幸子」(中央公論社,1983年)を図書館で借りた。

「あのひとは 生きてゐました
 あのひとは そこにゐました
 ついきのふ ついきのふまで
 そこにゐて 笑ってゐました

 あのひとは 生きてゐました
 さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ
 おいしいね おいしいねと言って
 そこにゐて 食べてゐました」

「あのひと」の一部。私はこれを合唱曲にしたものを聴いて、ぼろぼろ泣いた。

「ついきのふまで そこにゐて 笑ってゐた」人が、今日はどうなっているかわからない、という恐怖に似た感覚が私には常にある。だから余計に、今日出会えたことをありがたく思うし、我儘なのかもしれないけれど、伝えたいことは迷わずに伝えたいと思うのだった。それでも伝えきれないような気がして、何かを忘れているような気がして、人と別れる間際には、一度言ったことをもう一度繰り返して言ってしまったり、さようならと言ってから、もう一度呼び止めたりすることがよくある。


行きしなに、100円ショップと百貨店の地下に寄って、いろんな買い物をしてきた。100円ショップで買ったのは、収納ケースとチョコレートとスプーンとフォーク。百貨店の地下で買ったのは、昼食のパンと、昼食のごぼうのサラダと、おやつのスコーンと(←食べ過ぎ)、紅茶の葉を30g。

「ティースプーン」というのがどんなものを指すのかが気になる今日この頃。「コーヒースプーン」とは違うのだろう。


メモ:読みたい本
・「子どもが出会った転機」(清水弘司,新曜社…からもう出版されているのだろうか)
・「命日」(小池真理子,集英社,2002年)


2002年12月08日(日) シャンパンの香りのする紅茶 / 雪が見たくて / 近況(?)

休日出勤(?)中。もう帰るけれど。

来る途中に、いろいろと買い物をしてきた。シャンパンの香りのついた紅茶の葉を買った。渋味が少ないのでストレートでもいけますよとのこと。帰ったら淹れてみようと思う。

今日はとても寒いです。風邪をひかないように気をつけてくださいね。


帰ってきたけれど、シャンパンの香りの紅茶は淹れていない。

地域によっては、今、雪が降っているとのことだ。私も雪を見たいと思った。見ることができないなら見ることのできるところまで行って雪を見てみたいと思った。雪を見ることができないでいることで取り残されたような気持ちになっているのが自分でも妙だと思った。

霙のことを「雪にはなれず 雨にも戻れない」と歌った歌があったように思う。詳しいことは忘れてしまったけれど。


休んだ方がいいかなと思いつつ、一度休んでしまうと立ち上がれないような気がして、意図的に慌しくしているような気がする。けれど、基本的にはぼーっとしている。しかしそろそろぼーっとしている場合じゃない時期であるような気はする。詳細はここには書けないけれど、何かが根本的に間違っているような気もする。しかしこれ以上起きていると明日起きられないので、眠る。

あんまりまともなことを書けなくてごめんなさいと思うけれど、まともでなくてもこれも私のあり方の1つだというのは開き直りすぎか。


2002年12月06日(金) 深呼吸 / 詩集を借りた

なんだか、しなければならないことがいろいろとあって、常に追われている感じがする。レポートの採点や、発表の準備や、あといろいろ。そう言えば年内に論文を書こうとも決めたんだったっけ。

…深呼吸でもしよう。すぅ(←深呼吸って「ふぅ」だろうか?)。

ただ、基本的にはぼーっとしている感じがする。肝心なところをすっ飛ばしているような気がする。もう少ししっかりしなければ、頑張らなければ、と自分に言い聞かせる。



図書館で、「吉原幸子詩集」(現代詩文庫56、1973年、思潮社)、「大岡信詩集」(現代詩文庫24、1969年、思潮社)を借りた。ゆっくり読もうと思う。

そろそろアルバイトに行かないとまずい時間かもしれない。また後で書けたら書く。

*追記:結局書けなかったです。ごめんなさい(12月8日)。


2002年12月04日(水)

今日は、それほど寒くなかった。

朝、出かける前と、夜、帰ってきた後に、体調に思いがけないアクシデントが起こってびっくりした。…いえ、至って健康なのですが。

“自分は何でもやれる。あれもこれもやりたい”と、妙にやる気が高揚してハイテンションになったり、かと思えばその直後に“もう私なんて何をやっても駄目に違いない”と、その場にぺたんと座り込みたいほど気落ちしたり…と浮き沈みの激しい日々。


他に書こうと思っていたことがないわけではなくて、少し書きかけてはいたのだけれど、急に少し調子が悪くなって、書けない気分になったので今日はひとまずここで止めさせて下さい。でも心配しないで下さい。大丈夫ですので。


2002年12月03日(火) 吉原幸子さんの詩

朝、新聞を開くと、「吉原幸子さん死去」という見出しが見え、一瞬目を疑った。よく見直してもやはりそう書いてあった。嘘っ、と呟いてしまった。

吉原幸子さんは、最近私が好きになった詩人だ。と言っても、私は吉原幸子さんについてそんなに多くのことを知っているわけではないし、全部の詩を読んだわけでもないし、詩論を語ることもできない。でも、ただ、その詩に惹かれていた。

私が吉原幸子さんの詩を知ったのは、女声合唱組曲「遠い秋」(吉原幸子作詩/国枝春恵作曲)を歌ったのがきっかけだった。この中の「疎開の秋」という曲が、私はとても好きで、詩もメロディもとてもいいなと思っていた。その後、自分自身は吉原幸子さんの作詩した曲を歌うことはなかったけれど、「失われた時への挽歌 女声合唱とピアノのために」(吉原幸子作詩/新実徳英作曲)や、混声合唱組曲「How old am I?」(吉原幸子作詩/荻久保和明作曲)を聴く機会があり、なんて心に響く詩なのだろう、と思い、それから図書館にある詩集を時々借りて読んだりしていた。ちなみに「How old am I?」の5曲目「The Woman(あのひと)」を聴いた時に、私は数年前に亡くした友人のことを思い出して、ぼろぼろ泣いてしまった(ちなみに、この組曲自体のテーマが死であり、「あのひと」の死に至る姿を描いている作品であると思うのだけれど)。

私の友人には、「失われた時への挽歌」は苦手だという人がいる。吉原さんの作品自体も、受け容れられる人とそうでない人がいると思う。ただ、私自身は吉原さんの詩にとても惹かれていて、…何と言ったらいいのかな…、読むたびに、自分自身の存在のぎりぎりのところを問われるような気がしていた。でも不思議に不快ではなくて。生きていく上での様々な矛盾に耐えながら、それでも生きる、という姿勢が見えるような気がした。それに、書かれていることのいくつかは自分にもよくわかるような気がして。直面してしまうとエネルギーが要るから、自分は敢えて見ないようにしていたこと…それは生きていく上での「暗い部分」なのかもしれない…に、言葉を与えてくれているように思い、私が言えなかったことを代わりに言葉にしてくれているような気さえした。

ご冥福をお祈りします、というのも苦しいのだけれど、ご冥福をお祈りします。


私の好きな詩(好き、というのも語弊があるのだが…特に印象に残っている詩)2つ。

「泣いてくれるひとがゐる といふのは
うれしい くるしい不自由だ
失ひたくないひとがゐる のも−−

ある場合には
<死ぬのをみる>ことのはうが
<死ぬ>ことよりもおそろしい
だが<死ぬ>ことが
<死ぬのをみる>のを<みる>ことなら
ある場合には
深いかなしみをみる ことが
深くかなしむ よりおそろしいなら

唇かんで つらいはうを引きうけようと思っても
どれを引きうけていいのか ほんたうにわからない
だから もし
わたしが間違って選んでしまっても
どうか泣かないで
いいえ やっぱり泣いて」
(「死に方について」第三章 …「夢 あるひは…」より)


「なにか とてもだいじなことばを
憶ひだしかけてゐたのに

視界の左すみで
白い芍薬の花が
急に 耐へきれないやうに
無惨な 散りかたをしたので

ふり向いて
花びらといっしょに
そのまま ことばは 行ってしまった

いつも こんなふうに
だいじなものは 去ってゆく
愛だとか
うつくしい瞬間だとか
何の秘密も 明かさぬままに

さうして そこらぢゅうに
スパイがゐるので
わたしはまた 暗号をつくりはじめる
ことばたちの なきがらをかくして」
(「ふと」 …「夏の墓」より)


2002年12月01日(日) 本「風と夏と11歳」

気が付いたら12月になっていた。


11月24日に、公立図書館から児童書を2冊借りてきた。1冊は11月24日の日記に書いた「優等生−いつか本当に泣ける日まで−」なのだけれど、今日はもう1冊の話。

そのもう1冊とは「風と夏と11歳 〜青奈とかほりの物語」(薫くみこ作/みきゆきこ絵。ポプラ社。1993年)。ちなみに「青奈」は「せいな」と読むらしい。ストーリーは、…説明しづらいのだけれど、思いっきり簡単に言うと、主人公の「かほり」が「青奈」に出会う、という話(簡単にし過ぎか…)。

この物語の中で、私の印象に残っている場面の1つが、かほりが青奈に会いに行こうかどうしようかと迷う場面だ。

「会いにいこう。
 青奈のことを思い出すと、胸のなかに明るい日ざしがさしこむ気がする。青奈のはなつ色あいはけして明るくないものなのに、なぜか青奈とすごしたあの一日には、どの夏の日よりじりじりと肌をこがす太陽がいる。だれとも似ていない青奈。どの日ともとりかえられないあの一日。
 会いにいこう。西崎青奈にもう一度会いたい。」(p.106)

と思うかほりだが、会いに行こうか、行くべきでないのか、そもそも自分は青奈に会いたいのか会いたくないのか、わからなくなってしまう。

「会ったところで、べつに話すことがあるわけでもない。それに青奈のほうだって、なにをしにきたのかとおどろくだろう。
 わたしのことなどわすれているかもしれないし、かんがえてみればうちですごしたひと晩のことは、青奈にとって楽しい思い出であるはずもない。
 そして、あんな会いかたをしたものだから青奈は孤独ときめつけてきたけれど、よくかんがえてみればそうとも言えない。たった一回会っただけで、よくもわるくもこんなに深く心に焼きつく人物だ。きっと本音でひきつけあい、むすびついている親友を持っているにちがいない。のこのこ出かけていったところで、さみしい思いをするだけだ。
 けれど、そうやって理由をならべ納得したはずなのに、ふと気づくと地図をひろげ、青奈の住所を指でさがしていたりする。こんなことならいっそのこと、なにがどうであろうと明日になったらいってみよう−−そう決心してベッドに入ったこともあった。
 なのに目がさめると、なぜか気持ちが萎縮して、会ったところでべつに−−と、同じ考えをまたくりかえし、窓べによりかかってしまう」(p.126〜127)

こんなかほりの背中を押したのが、かほりの父親がかほりに向けて言った言葉だった。

「『四十年生きてきてぼくは思うけれど、会わなくてはならないから会う人間は山ほどいるが、会いたくて会う人間はほんのひとにぎりだよ。そして、会おうか会うまいかと真剣にまよう相手というのはさらに少ない。めったにいない。
 まようっていうのはね、会いたいからまようんだ。会いたくなかったらまよいはしない。だったら会いにいけばいいんだ。会いたいなら会えばいい。』」(p.129〜130)

この言葉は、かほりだけでなく、私をも勇気付けてくれる言葉であるような気がする。私の好きな言葉で、ノートに書きとめて、迷った時には時々ノートを出してきて眺めている。そうだよね、会いたいなら会えばいいんだよね、と自分に言い聞かせている。

「会う」に限った話ではなくて、一般的に何かをすることにも当てはまるような気はするけれど。私がここで日記を書き始めるのも、最初は随分悩んだけれど、最終的に書きたいなら書けばいいんだと思って始めた。ただ、「会う」というのは自分だけでなく相手が居ることだけに、余計に迷うのかもしれないけれど、それでも、「会うのを迷っている」という事実と「会おうかどうしようか迷うほど会いたい」という気持ちを大切にしようと思う。以前会った人ともう一度会えるというのは、何気ないことのように思うけれど、実はとてもありがたいことだと思うから。


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浜梨 |MAIL“そよ風”(メモ程度のものを書くところ)“風向計”(はてなダイアリー。趣味、生活、その他)