風紋

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2003年01月31日(金) 泣くことについて / 前の家の跡地を見ること / もし日記をはじめていなかったなら / 字足らず? / 宣伝

私が育ってきた環境においてのみ、そうだったのかもしれないけれど、人前で…例えば学校などで泣いてしまった時、大抵は、泣いてはいけませんとか泣きやみなさいと言われたものだった。直接言われなくても、暗にそうすることを求められているような気持ちを味わったものだった。それで私は、人前で(私が)泣くのは罪悪だと思うようになった。実際に泣いてしまった時は、とてもとても罪悪感を感じたものだった(今でもそうだ)。でも、冷静に考えてみると、泣いている人に泣くなというのは随分むちゃくちゃな話なのではないかしらと思う。

あくまで私の場合は、なのだけれど、私は感情をどうしてもコントロールできなくなった時、つまりは感情が爆発してしまった時に泣いてしまう。爆発してしまった感情を平静な状態に戻すにはそれなりに時間がかかるもので、すぐに何とかできるものではない(私が不器用なのか?)。それに、泣いてしまって一番いたたまれない思いをしているのは泣いている本人で、泣きやみたいと一番思っているのも本人なのではないかしらと思う。泣きやみたいのに泣きやめないから、ますます泣けてくる。他人に一番見られたくない面を見られているようなものなのだから。

だからと言って、「どんどん泣け」とも言われたくないし、言うのも何だか酷なような気がして言いたくないのだけれど、言われるのならばむしろそっちの方がいいような気がする。

私は、天気予報を聞いて哀しくなるような人間なので、泣いてはいけないなと思いながら、泣くべきでない場で泣いてしまうことも多い(恥ずかしい話なのだが…)。我儘な頼みであることは承知しているけれど、もしも私が泣き出したなら、どうか泣くなとは言わずに、あぁこの人は哀しいんだか何なんだかよくわかんないんだけど感情が爆発してるんだな、と暖かい目でそっと見守ってもらえたら嬉しいなと思う。何もしてもらわなくてもそれだけでいい。ハンカチを差し出してもらえたら嬉しいときもあるけれど。

そして、私は、あなたが泣いていたならば、何もできはしないのだけれど、黙って見守っていたいなと思う。多分何らかの形で困っていることであろうとは思うので、私にできることがあれば何でもしたい。でも、踏み込まれたくない部分まで踏み込むようなことはしないから。

ただ、泣く時にもいろいろな場合があって、一概に感情が爆発した時に泣くとも言えないので、あまり一般化はできないけれど。


前の家があったところを見ることができる道を通って帰って来るのが習慣化してしまったというのは昨日書いた。そして、今はここはこういう風景の場所なのだ、何にもないのだと自分に言い聞かせるために、私はこの道を通って帰ってきているのかもしれないと思っていることも昨日書いた。でも、今日改めてこの道を通って帰ってきて、少し違うような気もした。

前の家は私が生まれてから昨年秋までずっと暮らしていたところだ。今はこの場所から離れていても、私はこの場所と結びついているということ、この場所が自分にとって大切な場所であることを確認したいのではないかなと思った。うまくは言えないけれど、自分の存在の根っこになっているというか…。

それと、懐かしさ…からかもしれない。以前当たり前のように毎朝毎夕見ていた家の回りの風景を確認したくて。それも自分の根っこを確認しに行っているようなもののような気もする。

こだわりすぎだとは思う。早く忘れた方がいいのにとも思う。早く今の家に慣れるべきであるとも。わかってはいるけれど、今の家の住所表記にまだ馴染めなくて、前の家の住所表記で届く郵便物があるととても嬉しかったりする(郵便屋さんごめんなさい)。

そのうちに…とは思います。


過ぎ去ったことに対して、“もし”ということはあまり考えたくないのだが。

昨年9月に私はこの日記をはじめた。が、もし日記を書いていなかったら、あの時に日記をはじめていなかったなら、今の私はどうなっていただろうか…ということを、今日の帰りの電車の中でふと考えた。

考えて、別にどうにもなっていなかっただろうよ、と苦笑した。もしあの時日記をはじめていなかったとしても、やっぱり私は今と同じ生活をしているだろうし、こうやって普通に電車にも乗っているだろうと。そういう意味では、日記をはじめたことで別に何が変わったわけでもない。ちなみに生活にめりはりがついたわけでもない。

意識しないところでは、何らか変わっているところもあるのかもしれない。が、意識していないだけにわからない。

もし日記を書いていなかったとしても、普通に私の生活は流れているだろうというのが最初に挙げた問いへの答えだ。だから、その意味では書いても書かなくてもいいものだろうとは思う。でも、私は書きたいから書いている。書くことで何かが変わるのを期待しているのかもしれない。それはわからない。でも期待がかなえられなくても書いているだろうなとは思う。


セ氏2度の凍った空気を突き破り優しく響くあなたの声

…字足らず?


勢いで掲示板(こちら)をつけてみました(どんな勢いだよ)。


2003年01月30日(木) こんな1日だった。

昨日、あんな天気予報を聞いたけれど、私の居るところは青空が見えた。嬉しかった。けれど、青空の見えない日でもきっといいことはたくさんある、…と思いたい。

「テレプシコーレ」のメロディーが、頭の中をぐるぐると回りっぱなしの1日だった。楽団の練習の翌日は、こうなることが多い。嫌な感じではない。むしろ少し嬉しい。

来年度の週に一度の仕事先へ書類を郵送し、論文の第2稿を提出したら、夕方にはばさっと気が抜けたようになってしまい、しなくてはいけないことがあるのに、どうもする気がしなくなってしまった。こんなことをしていたら、きっと後で「何にもしなかった」と自己嫌悪に陥るんだろうなと思いながら、頭がはたらかず、ぼーっとパソコンの画面を見つめながら、マグカップにいれたコーヒーが減るばかりという時間を過ごした。

帰りしなに、センチメンタルな気持ちになってそれがずっと続いていたのは、冷え切った夜空に星がきらきらと美しく輝いていたからだ、ということにしておく。

ジャスミンティーが飲みたくなって、探している。単に高貴な気分を味わいたいだけなのかもしれない。

前の家があったところを見ることができる道を通って帰って来るのが習慣化してしまった。取り壊された直後に比べると、この場所を通る時に随分平静な気持ちでいられるようになったなと思う。ただ、前の家のイメージを具体的に思い浮かべると、まだ少し落ち着かない気分になる。昔はともかく、今はここはこういう風景の場所なのだ、何にもないのだと自分に言い聞かせるために、私はこの道を通って帰ってきているのかもしれない。もう4ヶ月も経つのに、まだ前の家の解体を自分の中で消化(昇華?)できないのか私、と思うと、少し情けなくはあるけれど。

言葉にして書こうと思っていることはいくつかあるのだけれど、今は少し眠くて、気力が切れているので、明日があるということも考え合わせると、今から書き始めるパワーがないような気がする。「いくつか書こうと思っていることがあるが、書くだけの力が少なくとも今は無い」ということだけ覚えておいて、今日はおしまいにする。


2003年01月29日(水) 青空は続かない? / 昔の人の寂しさと音楽 / 暖房器具 / 地に足のついた話

今日は随分寒かった。明日も引き続き随分寒いそうです。大丈夫ですか?

テレビの天気予報を横目で見ていると、週間予報のコーナーになった時に「青空は続かないでしょう」という言葉が耳に入ってきた。何だか、とても悲しくなった。いや、これは単なる天気予報であって、それ以上でもそれ以下でもないとは思うのだけれど、「青空が続かない」って、何だか悲しい。

雲の上には、きっと青空が広がっていると自分に言い聞かせるものの、それでも何だか悲しくて。その前に、単なる天気予報で悲しんでいるのはどうなんだろうとは思うが…。

青空じゃなくても、きっといいことはいっぱいあるさ。あってほしい。

でも夜空を見上げると、星がいっぱいで少し嬉しい(って、子どもみたい)。


昔の人も…今から100年前、200年前、300年前…もっと昔に生きていた人も、悲しいと感じることはあったのだろうか。言葉にならないような切ない思いを抱くことはあったのだろうか。

多分あっただろうと思う。その思いを抱くきっかけは、現在とは違ったものであるとしても。

昔の人にも、悲しいと感じたり、切ない思いを抱くことがあったのだとしたら、そういう時、音楽を聴いて、心が慰められるようなことはあったのだろうか。あるいは、言葉にならず行き場を失った感情を、音楽を通しておもてに出すというようなことは、昔の人にもあったのだろうか。

…ということを、「テレプシコーレ」(Terpsichore)(Praetorius/Margolis)を合奏している時にずっと考えていた。楽団の練習で。

いや、この曲が作られた当時にこの曲を聴いた人は、この曲を聴いてどう感じたのかな、私が感じているのと似たような感じを抱いたのかな、ということが、ふと気になったので。

ちなみにこの曲、随分難しいと思う。しみじみとしたいい曲なのだけれど。個人的にも、指が回らないとか音が出ないとかいう箇所がたくさんあるし、全体で合わせるのも随分難しい。今の私にとっては、練習しようという動機づけが、思いっきり下がるきっかけになるか、思いっきり上がるきっかけになるか、どちらかになりそうな曲だ。できれば思いっきり上がるきっかけになってほしいのだけれど。


この家で迎える初めての冬だ。例年より寒く寂しく感じるのは、引っ越した時に暖房器具を替えたからに過ぎないのだと自分に言い聞かせる。

石油ストーブの匂いが好きだった。石油ストーブの上にやかんをのせてお湯を沸かしたり、するめを焼いたりするのが好きだった。ちなみに、石油ストーブで誤ってリカちゃん人形の髪を焼いてしまったこともあり、それはとてもとても悲しかった。


今日の日記は、地に足がついていない話題というか、地面から3cmほど浮いているような話題ばかりだなと自分で思った(「3cm」に明確な根拠は無い)。地に足のついた話も少しだけすると、今日は学会の申し込みを済ませた。明日は来年度の週に一度のお仕事先に書類を送る。その他。


2003年01月28日(火) 明日は寒いらしい / 「イパネマの娘」 / シャンパンの香りのする紅茶 / 手紙?

今日は、とても寒かった。明日は、さらに寒くなるそうだ。雪が降るところもあるかもしれないという知らせを聞いた。空を見上げて、明日は晴れですか曇りですか?雪が降っているところはあるのですか?と問い掛けてみるものの、返事があるわけもなく。

私が見ている空が、私のいるところから遠く離れた所にいる人が見ている空とつながっているというのは、何だか信じられないけれど、少し元気が出ることだと思う。

明日は寒いらしいので、自宅で仕事をしようと思い、そのための本や資料をたくさん持って帰ろうとしたら、とても荷物が重くなってしまい、腕がだるくなってしまった。明日は自宅で今月末提出の書類を何点か仕上げて、論文の続きを書く予定。それと学会の申し込みを済ませること。

最近、本当に緊張感の無い生活をしていて、駄目だなと思う。緊張ばかりの生活も、それはそれでどうだろうと思わないでもない。

私の知り合いの方がこの冬2度目のインフルエンザにかかったそうですので、一度風邪を引いた方も、もう一度引かないように、どうぞお気をつけ下さい。


「イパネマの娘」を聴いて、思わず力が抜けて笑顔になったという話は昨年9月22日の日記に書いたのだが、泣き出しそうな気分の時に聴くと、すごくほっとして力があまりにも抜けすぎて、嬉しいのか悲しいのか情けないのかよくわからなくなって、ますます泣き出しそうになるということが今日わかった。と言っても、それは決して否定的な意味を持つ涙ではなくて…でも肯定的な気分とも言えず。

最初の「ソ ミミーレソミ ミ ミレ」(実音で「G E E D G E E E D」)で始まるメロディーは明るく楽しげなのだけれど、その直後の「ファーーソファミファミレーミー」(半音が混じっているので偽りあり。実音で「F Ges F Es F Es Des Es」)のメロディーで、少し、影というか憂いが窺える(それは、「娘」の憂いなのか娘を見ている側の憂いなのかよくわからないが)のが、この曲のメロディーの魅力かなと思う。ほんの少しの影を見た故に心を虜にされたというか、どうしようもなく惹き付けられてしまったような。しかし、明るい部分と憂いの部分のどちらかに引き摺られることなく、両方が共存しているのが好き。

あまり原曲についての知識がないので、イメージだけで書いているのだけれど。


早めにアルバイトに行った方がいいのはわかっていたのに(そして実際行ってみると「もう少し早く来た方が良かった」という事態ではあったのに)、乗るつもりだった電車を1本遅らせて、ふらふらと歩き回っていると、以前にシャンパンの香りのする紅茶を買ったお店に行き着いた(昨年12月08日の日記)。シャンパンの香りのする紅茶が、1つだけ残っていた。あの後に数回飲んで、甘くて幸せな香りがするのが気に入っていたので、その最後の1つを買った。

紅茶を買った話を頻繁に書いているのに、飲んだ話があまり出てこないのは、感想をうまく記述できないという理由もあるけれど、最大の理由が「飲んでいない」からで、それは何となく勿体無いのと、まともなティーポットを持っていないのと、葉っぱからお茶を入れるゆとりが持てずにいる(そもそもあまり家に居ついていない)のが理由だと思う。ごめんなさい。


こうして毎日毎晩、他でもないこの場所に日記を書くのは、自分のことばかり書いているようで、しかし読んで下さっている方々を思い浮かべながら書いているので、何だか手紙を書いているようだと思う。もっとも、私は、昔に「あなたにこの前もらった手紙は何だか日記のようだった」と言われたことのある人間なので、もともと、日記のような手紙、手紙のような日記を書いてしまうのかもしれない。

こんにちは。
いかがお過ごしですか。
私は元気です。
ではまた明日。ごきげんよう。


あした天気になあれ。


2003年01月27日(月) 自分のためのメモ / 音楽にかき乱される / かき乱されること

何だか悩ましい週末だった。昨日はほとんど何もしていないのに何だかとても疲れてしまい、早めにベッドに入ったものの、いろいろと考えてしまってなかなか寝付けなかった。寝たり起きたりをどのくらい繰り返していただろう。しかし今日は早く起きなければならなかった(と言っても世間一般の基準に照らし合わせると全然早くないが…)ので、かなり無理やり起きた。1日中調子が悪くて、頭痛もするような気がしたので、今日は少し早めに帰った。

って、ほとんど自分のためのメモですが…。



江國香織さんが、音楽について次のように書いてあるのを読んだ。

「音楽はある種のDRUGだと思う。神経をたかぶらせたり鎮めたりする。言葉では届かない場所に触られた気がし、心がかき乱される。
 音楽を聴きたい、と欲することは、多かれ少なかれ、かき乱されたいと欲することだ。
 なんのためにかといえば、おそらく、自分の振幅に耳を傾けるために。誰かに、あるいは何かに、かき乱してもらえない限り、どんな楽器も鳴ることはないのだ。
 何かを表現しようとすることは、つまり自ら楽器になることだし、それが安物だろうと玩具だろうと、音が悪かろうと壊れていようと、楽器である以上音を出す以外にすることがない。」
(江國香織「音楽について」/「泣く大人」,世界文化社,2001年より(pp.31〜32))

途中の部分だけの引用なのだけれど、このエッセイ全体を読んで、ああそうか、そうなんだなと思った。自分が言葉にできなかったことを言葉にしてくれたと思った。特に、「言葉では届かない場所に触られた気がし、心がかき乱される」という部分は、本当にそうだと思った。

だから私は、このごろ、音楽をとてもとても聴きたくて、反面、徹底的に音楽を避けていたのかもしれないと思った。何ものかに、かき乱されたい気持ちはある。とても。それは何かを表現したいという気持ちと同じものかもしれない。でも、一度かき乱されると、私はどうなってしまうかわからないという怖さにも似た気持ち。それが自分の心をかき乱してしまうと、もしかすると日常生活が営めなくなるのではないかというくらいになってしまうのではないかという感じ(←大袈裟か?)。

1週間ほど前に、CD屋さんの視聴コーナーで、中島みゆきさんの「地上の星」を聴いた。その時に、そういう感じ(「それが自分の心をかき乱してしまうと、もしかすると日常生活が営めなくなるのではないかというくらいになってしまうのではないかという感じ」)があった。私は今、この音楽を、頭ででも耳ででもなくて、みぞおちのあたりで聴いていると思った。みぞおちのあたりに意識が集中して、それ以外のところの力が抜けていくような気がし、そのうち足から力が抜けてがくっと座り込んでしまうんじゃないかと思った。

言葉にできないところを揺さぶられたと思った。これ以上この曲を聴くと、どんどん落ち着かない気分になるように思うのに、心はこの曲を求めていた。この曲について、それ以上の私の感想は、少なくとも今は書けないような気がする。もっともこうなったのは、その時の私の状態がかなり影響していたようにも思うけれど。その日その時に、その日その時の私が、この曲を聴いたから。

今日、この曲のCDを購入して聴いてみた。その日ほどの状態にはならなかったけれど、自分がとても強くなれるような気分と、自分がとても弱くなってしまうような気分の両方を感じて、落ち着かなくなった。なのに繰り返して聴いていた。

いろいろな意味で話題になった曲なので、人により、立場により、この曲への評価は違うと思うけれど、今、こういう私がこの曲を聴いた限りにおいての正直な気持ちが、これだ(あんまりきちんと書けていないけれど)。


かき乱されることを、今の私はとても望んでいて、反面とても恐れている。だから音楽も聴けたり聴けなかったりするし、日記も書けたり書けなかったりする。他の方の日記が読めたり読めなかったり…は、あまりないけれど。

私をかき乱してみてください…と、言いたいような、言いかけてやめたいような気持ち。

あんまりにも激しくかき乱されると、もしかすると何も書けないのではないかと思ったり、それを望んでいたり、望まなかったり。

…よくわからないな。


2003年01月25日(土) 私はここに居ます / 自己嫌悪 / 屋根の色 / ほんとうにごめんなさい

今から書くことは、あまり上手に書ける気がしない。でも思い切って。

多少長くなるのだけれど、以下、引用。

「グラウンドにならぶ六百人の生徒。
全員そろいの白いシャツを着て、紺色のスカートとズボンをはいて、黒い髪の毛。そういう人間が六百人も整列して、だまって立っている。
一瞬、六百人がみんな、同じ人間のように思えた。男と女のちがいがあるだけで、クローン人間のように、みんなそっくりなのだ。
でも、ほんとうはちがう。
わたしがこうやって頭のなかでゴタゴタ考えているように、あの六百人もそれぞれべつべつのことを頭のなかで考えているはず。
だれがどんな悩みや気持ちをいだいているのか、ぜんぜん、わからない。でも、たしかにあそこには、六百通りの考えや気持ちや悩みがあるのだ。
まためまいがおきそうだった。
前をむくと、増村みずえは机につっぷしていた。よく見ると、肩が震えていた。
また泣いているのかもしれない。
あそこにもひとつ、わたしの知らない悩みがある」
(魚住直子著「非・バランス」,講談社,1996年刊。第36回講談社児童文学新人賞受賞作だそうだ)

引用したのは、主人公の「わたし」(中学2年)が、朝礼中に気分が悪くなって教室に戻ってきて、教室の窓から朝礼の風景を見ている部分なのだけれど、これと似た気持ちを、私は、満員電車の中で、あるいは満員電車を抜けて大勢の人と一緒に改札を出る時に感じることがある。同じ方向へ行く同じ電車の同じ車両に乗っていたとしても、皆が同じことを考えているわけではない。新聞を読んでいるあの男性にはあの男性の事情(?)があって、携帯電話でメールの文面を打ち込んでいるその女の子にもその女の子の事情(?)がある。

大勢の中に居ると、自分がなんだかどうでもいい存在のように思えてきて、大勢の中に自分が埋もれて消えてしまいそうな気がして、不思議な気分になることも多い。私がすごくすごく悩んでいる時でも、世の中の大多数の人はそれを知らないし、そもそもそれは大多数の人にとってはどうでもいいことだろうし。逆に、私はあそこに座っているあの人がもし苦しんでいたとしても、その苦しみの内容はわからないし、そもそも苦しんでいることさえ知らない(ことが多いだろう)。

それでも、自分の存在がどうでもいいものであることを知っていながら、なお、何となく、「こんなことを考えているこんな私がここに居ます」と言いたくて(それにどんな意味があるのかわからないけれど)、それで私は日記を書いているのかもしれない。フロッピーの中ではなくて、わざわざこの場所に。

そして、私以外の他の人が、どんな考えや気持ちや悩みを抱いているのかは、「わたし」と同じく私にもぜんぜんわからないのだけれど、確かに、他の人にもその人その人の考えや気持ちや悩みがあるということを感じたくて、それで私は他の人の日記を読むのかもしれない。なぜ感じたいのかはわからないのだけれど、あえて言うなら、独りでないことを実感したいからなのかもしれない。私とは違う考えや気持ちや悩みを持っていても、何らかの考えや気持ちや悩みを持っている人がそこにいるということを。

ごめんなさい。なんだかまとまらないわ。


あまりこの場所で嘘をついても仕方がないので正直に書くと、「こんな状態を調子の悪い状態だとは客観的には言ってはいけないと思うけれど、主観的には調子が悪いような気がする」という感じ。不適切な行動や発言が増えている。

本来しなければならないことや頑張らなければならないことに対して、どうしてもやる気が起きなかったり、本来は愛想よくにこにこと笑っていた方がいい場面で、どうしても笑えない時は、どうすればいいのでしょうと途方に暮れる。

いや、今日そういうことがあって、自己嫌悪にはまってしまったので。ほんと駄目だわ私、と思った。


前の家の屋根の色と同じ色の屋根の家を見た。色としてはそれほど突飛な色ではないものの、屋根の色としてはあまり見かけない色で、私も「あ、あの屋根は前の家の屋根と同じ色だ」と自覚したのは初めてだった(本当は他にもあるのに、私が見落としていただけかもしれないが)。前の家を思い出す手がかりになるものを見ると駄目だなーと思う。気持ちが、うわーっとなる。

毎日のように、前の家の跡地を通って帰ってきている。昨日、ふっと振り返ってそこを眺めて、“恨みなんて別にないよ”と一旦は思ったけれど、“恨みなんてない”と言っている時点で自分の中に恨みがある程度は存在する(もしくは存在したことがあった)って言ってるようなものじゃないかと、苦笑する。

いや、誰も何者も恨んでないし、仕方のなかったことではあるのだけれど。ほんとに。


やたらめったら言い訳が多い。ごめんなさい。ついでに今日の日記は下向きで(という自覚はある程度はあるので)ほんとうにごめんなさい。もう少ししっかりします。


2003年01月24日(金) 帰宅したら / 書けないこと / 近況報告 / いつもありがとう / 脈絡なし / 金曜の夜

帰宅したのは、「千と千尋の神隠し」が終わる30分ほど前の時間だった。家族がテレビの前に張り付いていた。最後のシーンを少し見ただけなのだけれど(ちなみに今までも一度も見たことはない)、前後のいきさつも全くわからないのに涙ぐんでしまったのは、どうなんだろうと自分でも思うけれど。

テーマ曲の「いつも何度でも」が好き。「悲しみの数を言い尽くすより 同じ唇でそっと歌おう」という歌詞が印象に残っている。悲しみの数を言い尽くすしかないような気持ちの日もある(私などはむしろそんな日の方が多いかもしれない)。それでも、そんな時でも、歌えたらいいなぁと思う。私は歌うことも好き。


日記が書けない日が続いていた(続いている)。時間的には今週に入ってからのほうが余裕があるのだけれど、むしろ余裕ができてからの方が書けなくなった。

日記を書く作業というのが、1日の自分(むしろ「自分の1日」?どっちかな?)を振り返ることだとしたら、ここのところの私は、あんまり1日の自分(「自分の1日」?)を振り返りたくないのかもしれないと思う。それはそれでそういう時もあるのかもしれないと思う。


近況報告。

今週はずっと眠かった。中途半端な睡眠の取り方をするので、頭痛にもなるし。電車の中でも眠っていて、火曜日には頭を何かに引っ掛けて髪の毛がばらばらになるし、今日は寝違えて首が痛くなり改札まで首を回しながら歩いた。眠気をとばそうとしてインスタントコーヒーを飲み倒しているのがよくないようにも思う。

学会の年会費や大会関係費を払ったり、定期券を買ったりする必要があって、なんだか消費の多い週だった。そんな時に限って、お金を使いたいものやことが多い。ちなみに、今年度発表をした2つの学会で来年度も発表する予定です。とりあえず2つは。

あれ。もっとあったような気がするのにこれだけしかない。


この人が、もし、もしも、いなくなってしまったとしたら(と考えることすら怖いことで、あまり考えたくないことなのだけれど)、確かに身体的には私は死なないだろうけれど、でも、泣いて泣いて泣いて泣いてめちゃめちゃになって、精神的には私は死んでしまうだろう。 …という人が私にはたくさんいる。

いつもありがとう。


剣道か弓道をやってみたかった、と、脈絡もなく、そう思った。


1週間のおしまいは気が抜けるのか、金曜日の夜は妙な夢を見ることが多いような気がする(きっちり数えているわけではないので、「金曜日の夜は妙な夢を見ることが多い」という私の思い込みが誇張されているのかもしれないけれど)。せめて静かに眠れたらと思ってホットミルクを飲んでいるのだけれど、昼間にコーヒーを飲んでいるのと、もう既にこんな時間である段階で、焼け石に水という気がしないでもない。


2003年01月21日(火) 雑誌の占い / 寒くて眠くて / 帰り道 / 忘れ物

本屋さんにふらっと立ち寄って、雑誌をぱらっとめくって、今週の(今月の、だったかも)占いのコーナーをちらっと読んでみると、私に当てはまるところに、「自分の中に閉じこもりがちになる時期なので、外と交流を持とう」という意味のことが書かれていた(正確にどのような言葉で書かれていたかは忘れてしまった)。あぁ今の自分にぴったりの指示だと思うと同時に、今日は日記を書くことができるかなと思った。


寒くて眠くてどうしようもない日だった。研究室でも暫くの間ガスストーブの前に張り付いていたのだけれど、それでも寒くて仕方がなかった。結局あまり何もしないまま学校を出てきてしまった。帰りの電車の中では例によって例のごとく眠ってしまい、しかも眠っている間に頭を何かに引っ掛けたようで、下車すると髪の毛がばさばさになっていた。アルバイト先で直した。


先週の後半くらいから、何を思ったか、毎日前の家のあったところを通るようにして帰っている。曲がり角を曲がると、この先にもしかしてまだ前の家があるのではないかと思うけれど、曲がりきったところにはやはり何もない。何考えてんだか、莫迦なんだから…と自分で自分を笑い飛ばす。


忘れ物はないかしらと確認することは、日常でよくあるけれど、その時には忘れているものは忘れたままであって、忘れていることそのものに気が付いていないことが多いような気がする(私に関しては)。そして、後になって、うわぁ、と叫んだり。

忘れ物を忘れていることを忘れていないかしらということが、私はいつも少しだけ心配で、でも本当に忘れてはいけないことさえ忘れなければ、大抵のことは何とかなるのかもしれないと思うこともある。


2003年01月17日(金) 忘れないで / 気持ち / 少しだけ日記らしいことも

今日はこれだけは書き残しておきたいと思って。

阪神・淡路大震災が発生してから、今日で丸8年になる。数日前から意識はしていたのだけれど、昼にYahoo!のニュースを見た時にトピックスにあがっているのを見て、何とも言えない思いになった。心の中で手を合わせた。何のためにかはよくわからないけれど、そういう気持ちだった(でも、実際に手を合わせてもよかったのかもしれないと思った)。

私自身が、阪神・淡路大震災で受けた被害は、物理的にも精神的にもそう大きいものではないのだけれど(ほとんどなかったと言ってもいいくらいだった)。

思うこと、考えることはいろいろあるのだけれど、うまく書けないのだけれど。

それでも、言えるとしたら。

忘れないで下さい。忘れてはいけない。忘れることはできない。忘れない。

…いや、忘れないのがベストかというと、そうも言い切れないのだけれど。

震災で、6433人の方が亡くなられた。数にすると6433人という数字なのだけれど、それぞれの方に、それぞれの生があり、そのお1人お1人の生がとてもとても大切なものであったのだと私は思う。その人は確かにその時までそこに居た。

なのに。

6433よりももっと多くの数の悲しみがあると思う。大切な人がいなくなってしまった、そして二度と会えないという悲しみが。

その悲しみは私には完全にはわからなくて、わかりたいと思うのだけれど、どうしても想像するしかないところはある。その悲しみを想像するたびに、胸がつぶれそうな気持ちになる。

ただ、忘れない、と思う。その方が生きておられたということ。生き続けていたいと思われていただろうこと。その方が震災で命を落とされたということ。その方の周りの方が、「悲しい」という言葉では言い尽くせないほどの思いをされた(そして今もされているであろう)こと。

今日だけではなくて、いつも忘れない。でも、今日は改めて思い直す日ではあると思う。

もう一つ、忘れないこと。

明日は何が起こるかわからないということ。

だから、今日を、今を大切にしたいということ。今、私の周りにいる人を。そして自分自身を。だって、いついなくなってしまうかわからないのだもの。

そう言っていて、私自身はそうできていなくて、それがそこにあること・居ることを当然のことと思ってしまう傲慢なところがあるのだけれど。

だから、この日に改めて思い出す。あなたがそこに居てくれることがどれだけ私にとって幸せなことか。あなたがそこに居るという、ただそれだけのことにどれだけ私が支えられているか。とてもとてもありがたくて。

いつ死んでも後悔しない、何を失ってもかまわないとはとても言えない。でも、いつ死んでしまうか、いつ何かを失ってしまうかわからないという現実があって、それは不安で悲しいことではあるけれども、その時までにできるだけのことはしたいと思うのだった。

だから、私は今日これを書いた。

亡くなられた方お1人お1人のご冥福を心からお祈りするとともに、今もその地で(あるいは遠く離れた地で)、さまざまな方がさまざまな思いで震災と向き合われていることを忘れずにいたいと思います。


気持ち、などというのは一瞬のもので、書いておかないとすぐ忘れてしまう(私は)。だから書いておかなきゃと思う。けれど、どうしても物理的・精神的に書けない時もある。だから、あの時何があって何をどう思ったか、書かなかったときは自分でも忘れてしまったりする。少し悔しく思うのだけれど、もしかすると、それは忘れた方がいい気持ちだったのかなと思ったりもする。

1月前半は、私はどうも無性に書きたい時期で、書ける時期だったようで、随分たくさん書いているけれど、さっき自分で読み直して無性に恥ずかしかった。


少しだけ日記らしいことも。

一昨日に自分自身の山を越え、昨日に後輩たちが大きな山を越えるのを手伝っていたりして、今は少し楽な気分でいる。これまでのことや、これからのことをゆっくり考えたいと思う。あと、論文…。


2003年01月14日(火) 頭痛なのでおやすみなさい

睡眠不足がたたっているのか、1日中、壊滅的な頭痛に耐えながら過ごしていた。電車の中でも眠りきれないような感じ。「まだ大丈夫だ」と、半分意地で思い続けている。睡眠不足だというのも、間際になってから一気に仕事を片付けようとするから結果的に睡眠不足なのであるのだから、自業自得であるのだけれど。反省。

他にも自業自得であるところの悩ましいところがあるようなないような。

というわけで、少し眠ります。

明日は週に1度の仕事の最終回(まだ採点が残っているのだけれど)。まだ少し喉が苦しいのだけれど、きちんと喋ることができればと思う。そうしたいと決意する。

明日はコンタクトレンズの道具を忘れていかないようにします。


明日は少し寒いそうです。風邪などひかないように、既にひいておられる方はこれ以上悪くならないように、お大事になさって下さい。


2003年01月13日(月) 成人式 / 笑うこと

成人式に行ってきた。私が新成人になったのではない。所属している楽団の一員として式典に出席して、曲を何曲か演奏してきたというだけの話。20歳でなくても成人式に出続けているのは妙な気分ではある。

今日は連絡ミスや不手際ばかりしてしまって、最初から最後まで周りの人にたくさん迷惑をかけた。ごめんなさいと言ったけれど、そんな言葉では足りないくらい申し訳ない気分だった。そう言葉にするのも申し訳ないくらい、申し訳ない気分だった。これからは気をつけようと思う。

昔の自分のこと、今の自分のこと、これから自分がどうなっていくのか、昔の自分が抱いていた未来へのイメージ、それと比較しての現在の自分…などについて、何だかしみじみと考えてしまった。綺麗な着物を着た、可愛い女の子を見ながら。


私は、いつもいつも笑っていられるほど強くはなくて、時には落ち込んだり、怒ったり、泣いたりもするけれど(落ち込みすぎだという説もある)、嬉しい時や幸せな時、美しいものを見た時は素直に笑おう。

…と、何の脈絡もなく、そう思った。


2003年01月12日(日) 風邪について / 夢を見た / 風紋を見たい / 明日は

…けほけほ。 

…という程度にはなった。風邪。

昨夜、かなり夜遅くまで起きていて、論文を読んだり日記を読んだり書いたりしていたのだけれど、そうこうするうちに、体調は限りなく普通の状態に戻ってきたなという気はしていた。朝、目が覚めた時も、あまりふらふらした感じがなかったので、治ったなと思った。しかし声を出そうとすると、ひどいかすれ声になっていた(喋ろうとして思ったような声が出ないことに私自身が一番驚いた)。今は少し良くなっているのだろうか。喋ると風邪をうつしてしまうと思っているから、今日は家族ともあまり顔を合わせなかったし、喋らなかったのだけれど。

そういうわけで、喉がまだ本調子ではない。ガラスのコップを噛み砕いて飲み込んだ時のような痛み。…そこまでひどくないか。だいたいガラスのコップを噛み砕いたことがないので、その時にどれほど痛いか知らないのだけれど。

風邪をひいたときは、夜眠るのがほんの少しだけ怖くなる。朝、目が覚めた時に、風邪がもっとひどい状態になっていることが多いから。喉ががらがらになってしまっていたり、鼻が全然通らなくなってしまっていたり。翌朝、どれだけひどくなっているのだろうと思うと、眠らない方がいいかなと思わないでもない。


まだ私は風邪だから無理してはいけないんだという勝手な言い訳をつけて(本当のところはそれほどひどくなかったので、単にゆっくりしたかっただけなのだけれど)、夕方までは、昨日と同じように眠ったり起きたりしていた。

いくつか夢を見た。1つは夏の夢で、もう1つは秋の夢で、他にもいくつかの種類の夢を見ていたような気がする。起きた時に、忘れていたことを思い出したような、やっぱり忘れたような、忘れたままでいたかったような、思い出してはいけなかったような、でもやっぱり思い出したかったような、反対に思い出したいことを忘れたような、懐かしいような、悲しいような、それらが全部混じった妙な気持ちになった。

1年に何度か、そういう感じの夢を見ることがある。夢を見て、そういう気持ちになることがある。そういう時は、たいてい、日常生活での緊張が少し緩んだ時…であるように思う。詳細に記録を取っているわけではないから、本当のところはよくわからないけれど(あぁ、単に眠りすぎという説もあるか…)。

そんなに緊張の多い日常を送っているという自覚もないし、日常でそんなに多くのことを我慢しているわけでもないのだけれど。

別にどんな夢を見たっていいじゃないの…と思ってはみるものの、無意識のうちに忘れようとしていたことをふっと思い出させるような夢を見た後は、少し心穏やかでなくなるような気もする。


風紋を見に行きたいと思う。こんなタイトルの日記を書き、こんなハンドルネームを名乗っているくせに、実際には風紋も浜梨も見たことがない。どこで見られるのかよく知らないのだけれど、見に行きたい、と思う。

しかし、初夏の頃に紫陽花を見に行きたいと言っていて挫折し、秋にはコスモスを見に行きたいと言っていて挫折した私なので、どうなることかわからない。でも行きたい。


明日は依頼演奏。そろそろ眠らないと、遅刻することはわかっているのだけれど、あんまり眠る気になれない。研究会で文献紹介の順番が当たっているのに、その準備が全然できていないので、実は少し気が重い(こんなことを思っては駄目だな…とは思うものの)。空き時間が少しあるので、その合間にでも読むか、と思っている。

2ヶ月ほど楽器をまともに触っていないので、きちんと演奏できるんだろうか、という懸念も多少ある。


2003年01月11日(土) 体温計を眺めて

げほごほごほ。

…と言っても風邪はそれほどひどいわけではなく、今日が平日だったら、普段通り大学に行っていただろうなという程度ではある。が、溜め息が出てばかりなので(比喩ではなく)、1日中ベッドの中と机の前を往復していた感じがする。時には机の前に座って、ホームページを見たり、論文を読んだり、プリンを食べたり。疲れたらベッドに潜って、寝転がりながら論文を読んだり本を読んだり…していたのだけれど、いつの間にか眠ってしまったらしい。

熱はそれほど高くない。測ってみると37度より少し低い程度だった。こうして目で体調がわかるのって、安心できるような、でもこればかりに頼ると少し怖いような気もする。主観的にぼろぼろでも、体温が37度以下であれば“もう少し頑張らなければならないなぁ”と思うし、何だか休ませてもらえないような気がする。反対に、まだ何とか頑張れると思っていても、体温が37度以上だと“休んだ方がいいのかな”と思うし、休むための正当な理由ができたような気がする。体温計の示す体温が正確かどうかわからないし、本当はちゃんと体温計が挟まっていなかったのかもしれないのに。体温計で体温がわかると、それで自分の体調の全てがわかったような気がして。

37度の少し手前で水銀が止まっているのをじっと眺めて、ほっとしたような、がっかりしたような、妙な気分になっていた。確かに今、ぶっ倒れると困ることは困る(というか、すっごく困る)。その意味では、この程度でよかったと思ったのは事実なのだけれど、もう少し高かったら、心おきなく休めたのかもしれないなとか、あんまり思ってはいけないことを思ったりしていた。

あんまり体温計の示す体温に振り回されないで、きついなと思ったら無理せずに遠慮せずに堂々と休んでしまうのがきっといいのだろう。体温計の示す体温と主観的な体調は確かに対応はしているものの、熱がなくても、体調が悪かったら、疲れたなと思ったら、休んでもいいよね…なんて。なぜ休むのにこんなに罪悪感を感じているんだか…。

ちなみに久しぶりに水銀体温計を使った。体温計は何処?と家族に聞いてみて出してきてくれたのがなぜかこれだった。懐かしかった。私、水銀体温計の水銀を下げるのが下手で、振っても振っても下がってくれない。振り方が悪いのだろうか。振り過ぎて頭痛がしてきたりもして。

楽団の練習もあったのだけれど休んでしまった。13日の依頼演奏の合奏が今日しかないので気がとがめたのだけれど、今日無理をして練習に出て、当日行けなかったら洒落にならないのでやめておいた。しかし、当日出るのはきついなと思っているのも本当のこと(朝から昼過ぎまでかかりそうなので)。


昨日の日付の日記に少しだけ書き足しをしました。気が向いたら読んで頂ければ幸いに思います。

ちなみにこうやって日記を書いていると、体調は限りなく普通の状態に戻ってきたような気がします。


2003年01月10日(金) 風邪ひいた? / ぐるぐる / 「WAKE UP!」 / 踏む

山を1つ越えた(←比喩)。来週にもう1つ山。

少し風邪をひいたかなという気がする。今日と昨日と2日続けて、帰りはバスに乗ってしまったし、2日続けてドリンク剤のお世話になってしまった。何となくだるくて、溜め息が出る(←比喩ではない。息があがっている感じ)。帰りの電車の中でも思いっきり眠っていた。

そのうち治ると思う。さしあたり龍角散ののど飴を買った。


今日は(も)いろいろなことがあって(いや、例によって例のごとく嘘かも。あんまりなかったかも)、いろいろなことを考えた(これは本当)だけれど、取り急ぎ今日は休む。

自分の中で、いろいろなことがぐるぐると回っていたり、ふわふわと漂っているような感じ。それらを、言葉にしておもてに出してやりたい気持ちがすごくある。この場で出せることは少ないかもしれないけれど。どこにどのように出すかは関係なく、とりあえずおもてに出してやりたい、と。

そうして、自分の中にあるものを1つずつ言葉にして、言葉にすることによって、確認して、安心したいのかもしれない。

ただ、曖昧なものに言葉を与えるのは、私にとっては、ある意味怖い作業ではある。なぜだかよくわからないのだけれど。言葉にすることでそれがはっきりした形で現れるのが怖いのかな。

いつも、その中間くらいのところで書いている気がする。

この感じを、あまりうまく言葉にすることができないのだけれど。


BaBeの「WAKE UP!」という曲を、不意に思い出して聴いてみる。かなり昔(1988年)の曲なのだけれど(御存知の方はいらっしゃるだろうか。BaBe自体が既に解散してしまっているようだし)。こういうノリの歌は好きだ。ちょっと元気が出る。

「涙を止められない黄昏が来ても 明日の僕に恋していたい」という歌詞が妙に印象に残る。


帰りに、前の家の跡地を通った。端の方の一部はもう舗装されていて、歩行者と自転車くらいは通れるようになっていた。私もそこを通った。妙な気分になった。ここ、多分かつては台所だったあたり。ごはんを食べたりごはんを作ったり、お茶を淹れたりしていたところ。そこを今はこうやって自転車で踏んでいる。

最終的には、この土地のほとんどは道路の一部になることになっている。私だけではなくて、私の知らない大勢の人が、此処を通ることになるのだろう。かつて私が日常を生きていた場所を、ごはんを食べたり歯を磨いたりピアノを弾いたり勉強をしたりしていた場所を、そうと知らずに通るのだろう。踏んでいくのだろう。私という人間がここで生活して、ここで育ったことを知らずに。そして私自身も、それを徐々に忘れていくのかもしれない。

引っ越したことや、前の家が解体になったことについては、今さらどうにもこうにもできることでもないし、そうなったことを受け容れていくしかないのだろうと思うし、そうしようと思う。ただ、此処を通る人のほとんどは、かつて此処が私の生きていた土地で、私にとってとてもとても大切な場所であったことを知らないのだなと思うと、寂しいような気がするのだった。知って欲しいとも思わないけれど…いや、ちょっと思っているかも、でもそれは無茶なことだとも思っていて…、でも大多数の人にとっては、此処は“ただの道路”なんだというのが、少し悔しい。

もっとも、それを言い出すと、この世の中に“ただの道路”“ただの土地”というのはないわけで、大多数の人にとっては何の変哲もない場所が、ある人にとってはとてもとても思い入れの詰まった大切な場所だというのはよくある話だと思う。で、「大多数の人」に対して、「ある人にとって此処はとても大切な場所なんだよ」と言うのも無茶といえば無茶な話なのだろうと思うし、大多数の人にとってはそれはどうでもいいことなのだろう。そう思うと、私自身が、ここが私の生活していた場所であることを忘れた方がいいんだろうと思ったりもする。それでも日記にこうやって書いてしまうのは、忘れたくないからで、それが間違っていると言われても、忘れられないからで。それでもいつか忘れるのかもしれないけれど。

ちょっとよくわからなくなってきたから、おしまい。


2003年01月09日(木) 1年前の風景 / 風邪に注意

今、少し切羽詰まった状況なので簡単にしか書けないのだけれど(しかも変なことをわかりにくく書いてしまうかもしれないのだけれど)。作業が煮詰まってきたので気分転換。

大学へ行く。今日の風景を見ていると、1年前のことを思い出さずにはいられなかった。

今、1年前のことを振り返ってみて(まだあんまり冷静に振り返れないのだけれど)、よく頑張ったなと思う反面、もう少し頑張れたんじゃないかと思うべきなのではないかとも思う。結局、1年余分にやったくせに、それでも他人には恥ずかしくて言えないくらいぎりぎりのスケジュールで仕上げたし、出来もどうなんだかというところはある(今年の後輩たちの進度や出来を見ていて、過去の自分と比較して本気で恥ずかしかった)。ただ、あの時はあれでいっぱいいっぱいだったなとも思う。

あれから1年経って、ようやっと次に何がしたいか、どう進むかが見えてきかけたようなところはある。相変わらず私には至らぬところはたくさんあるのだけれど、それでも、少しずつでも動いてみようかと。

後悔のないようにとはよく言われることだけれど、私は今までが後悔ばかりなので、後悔のないようにというのは(私に関しては)無理であるような気がする。だったら、生じてくるであろう後悔も全て自分で背負っていくくらいの覚悟で、思ったことを思い切って怖がらずに行動に移す勇気を持ちたいと思う。今まで怖がったり萎縮したり横着したりすることが多かったから。いつまで生きられるかわからないんだし(いや、病弱なわけではないんだけれど)、だったら、思い切って今、飛び込む勇気をもちたいなと思うのだ。という希望。

2年前のことはほとんど思い出さなかった。まだあんまり思い出したくない。


風邪をひいたかもしれないという感じで、夕方くらいから溜め息をつきながら発表資料を作っていた。本当は今日日記を書くと泣き言ばかりになりそうだから書かないでおこうかとも思ったのだけれど、泣き言でないことも書けそうだったので、書いた。これから少しだけ作業をして、休む。

ピンポンダッシュをしたい気分(でも、しません)。


ちょっと追記。

明日の準備は一応終わった。朝になって見てみたらミスだらけかも(というかもう朝かも)。

喉がやや痛いというか引っ掛かる感じがする。もしこれが風邪なら、心当りが全然無いのに風邪をひいてしまった。

風邪、ひかないようにお気をつけください。ひくと喉が痛いです。鼻が詰まると苦しいかもしれません。声が出しにくいのは不便です。何より、全身がだるいのはつらいです。この日記を読んでいらっしゃる方がつらいのは何だかちょっと私もつらいような気がします。既にひいてしまった方はこれ以上ひどくなりませんように。私も気をつけます。

…ビタミンCが効くのかな。そのへんのことはあまり詳しくないのですが。それより休養か。

(1月10日,4時30分)


2003年01月08日(水) メモ程度に

朝から、何故か、誰のせいでもなく憂鬱な気分で、どうしようもなかった。「そよ風」(メモ程度のものを書くところ)で、随分たくさん愚痴めいたことも書いてしまった。今、読み返すと、かなり見苦しいなと思う。けれども、これも私の人生の中の1日であるので、敢えて消さずに置いておく。そして、自分の未熟さを露呈するようで恥ずかしいのだけれど、こういう私も私である。ごめんなさい。

結局、家に帰り着いたのは日付が変わる直前だった。正直なところ相当疲れた。けれど、たくさんの人とたくさん話ができたのは幸い。少し元気が出た。もう少しいろいろなことをやっていこうと。

少し頭が痛い。加えて、今日の夕方あたりから、何だか、胸焼けというのかしら、胸のあたりで消化不良が起こっているような、喉の少し下あたりが詰まったような状態で(比喩じゃなくて)少し気分が悪い。でも大したことはない。大丈夫。

今からしなければならない仕事を少しだけして、あとは明日は大学に早めに行って仕事を片付けるようにしようと思う。

あと2日、ぼろぼろになっても何とか乗り切ることができればいい。あと2日だと思うと多少無茶をしてもいいような気がする。

頑張ろう、っと。


2003年01月07日(火) 消化不良?(←比喩) / 毎日「おめでとう」なのかも / 今、聴いている音楽

いろいろなことがあって(いや、これは嘘かも。そんなにもいろいろなことはなかったかも)、いろいろなことを考えて、いろいろなことを書き残しておきたい気持ちでいる。しかし、明日は週に一度のお仕事の日なので、早く眠らないと起きられないなというのと、明日のお仕事、2週とんでしまったのだけれどきちんと喋ることができるかしらというのと、明日は諸々の事情でそれ以外の仕事ができそうにないのに、しなくてはいけないことが沢山あるというのとで、あまり書けそうにない気がする。いや、そんなに忙しくもないんだけれど。たぶん。単に私の処理能力が無いだけ。合間には「そよ風」を書いたりもしているし。切羽詰まっていなければならないのに、どこか何だかぼーっとしている。

まとまらないまま消化不良のまま我を忘れて一気に書いてしまいたい気持ちがないことはない。何のために誰のために書きたいのかはよくわからない。たぶんわからなくてもいい。いや、わかっていた方がいいのだろうか。


「あけましておめでとう」というのは何故かしらと思った。

もし、新しい1年を無事に迎えられたことに対して「おめでとう」と言っているのならば、毎日、毎朝「おめでとう」と言ってもいいかもしれないと思った。新しい1日を無事に迎えられたことに対して。


今年はこんな風になればいいなと思うことは、また後ほど。


今、聴いている音楽

「歌劇“サムソンとデリラ”より“バッカナール”」(サン=サーンス作曲)
(Bacchanale from "Samson & Delilah" / Charles Camille Saint-Saens)

この曲の雰囲気がとても好き。中学生の時に何かの機会に聴いて、「ひと聴き惚れ」した。数年前に一度演奏する機会を持つことができて、すごく嬉しかったのを覚えている。全然関係ないはずなのに、なぜか、メロディーからは「吹雪の中を孤独にひたすらに走っている」というイメージを思い描いてしまう。


結局、この時間か…。


2003年01月06日(月) 幸せな朝 / で、夜 / 捨て身 / 今、聴いている音楽 / 追伸

何だか、あまりにもよい気分の朝だったので、珍しい時間に更新。もう時間的には昼なのだが。

昨日も大学に行っていたものの、気分的には今日が仕事始め(昨日も仕事をしていたのだけれど)。8時頃に家を出る。寒いけれど、よく晴れたとてもいい天気。明るくて。眩しくて。空気が澄んでいるような気がして。それがとてもとても嬉しくて。

この1年をいい1年にしたいと思った。その前に、この1ヶ月をいい1ヶ月にしたいと思った。その前に、まず今日1日をいい1日にしたいと思った。切実にそう思った。転んでも蹴躓いても、そんな「今日」を少しずつ積み重ねていければ、と思う。

生きる場所は違っても、それぞれの場所で、今日も生きていきましょうね、と、誰に向けるわけでもなくただ呟きたくなった、そんな朝。

いいことがありそうだなと思っていたのはその通りになって、朝に偶然駅で仲良しの友達に会ったり(私の怠慢で3ヶ月くらい連絡を取っていなかった。ごめんね)、大学の近くで雪がうっすらと積もっているのを見ることができたり、と、ささやかな幸せに遭遇することができた。

ざわざわとした不安がないわけではないけれど。それでも、申し訳ないくらい幸せな朝。

…また夜に書くかもしれません。


で、夜(深夜?)。

年末年始にぼけっとしすぎていたので、今になってから大変なことになっている。半分くらいはこうなるだろうなと予想はしていたものの。一人でパニックに陥っているならまだしも学部生まで巻き込んでいる。ごめんなさいほんと。結局星を見ながら帰って来た。地上の灯りが眩しくてなかなか星が綺麗に見えない。でも地上の灯りが眩しいくらいでないと夜道は危ないというジレンマ。

その(この↑)後にあったささやかな幸せ。

帰り道で猫に遭遇することができたこと。2匹で追いかけっこしていた。猫、割と好きなのだけれど、日常であまり見かける機会がないので。

もう1つは、ちょっとだけ内緒。

でも、こうして無事に1日を終えることができただけで、何より幸せなことなのかもしれないと思う。そして、今、「あなた」がこの日記を読んで下さっているとしたら、それも何より幸せなことなのかもしれないと。

良かった。


捨て身、という言葉が、帰る途中の電車の中でふっと頭に浮かぶ。

「捨て身」の意味は「(1)身を捨てるような気持ちで、全力を出して事にあたること。 「―の覚悟でぶつかる」 (2)身を捨てること。なげやり。やけっぱち。「―になる」」だということだった(インフォシークの国語辞典より)。

そっか、捨て身でいけば何も怖くないんだ、何も恐れる必要もないんだ、とは思った。

しかし、捨て身になるのも、私にとっては度胸が要ることだと思った。

“何を失っても私は後悔しないわ”と言えたら潔くてさぞかし恰好いいことだろうと思うけれど、そんな在り方に実はちょっとだけ憧れていたりもするのだけれど、現実には私にはそれなりに失いたくないものも絶対に守り通したいものもあるし、いつもいつも後悔ばっかり。で、絶叫したり逆上したり頭を抱えたり。それもそれでいいのかもしれないと、思ったり思わなかったり。

なんだかうまく書けた気がしないけれど、そんなようなことを考えているうちに電車の中で眠っていた。


今、聴いている音楽:バレエ音楽「三角帽子」(ファリャ作曲)
(最初変換したら「参画防止」と出てきた)


追伸:ほんとに、ごめんなさいね。


2003年01月05日(日) (タイトルつけにくい…)

明日から本格的に始動という方も多いのではないかと思います。私は、そうです。いきなり走り始めるのが不安だったので、今日ちょこちょこっと動いてきましたが。

なかなか動きにくいですが、ちょっとずつやっていけたらいいな、と思います。

という私は、年末年始の休みの間にやっておくべきことが何一つ片付いていないことに今さら気が付いて、何からすればいいのか、何をすればいいのかさえわからず茫然としている。落ち着いて1つのことに取り組めない状態。

焦ると逆上するのは私の悪い癖。焦らないように少しずつ準備をしていれば少しは逆上せずに済むのかもしれないけれど、にしても理由もなく焦っていることが多いような気がする。しかし、焦るべきところで焦らず、焦らなくてもいいところで焦っているような気がして、ポイント外してるよ…とは思う。いつもそう。心配しなくてもいいところで心配して、心配するべきところで心配していなかったり。

ま、体力が持たなくなってきたらドリンク剤でも飲んでごまかすさ、と思う。


2003年01月04日(土) 書けない書きたい伝えたい / 忘れんぼ / 「雪ひらひら」 / 音楽で過去への旅

昨日は、日記を書こうかなと思って一度日記エディタを開いたものの、何となく書けないような気がして書かなかった。言葉が出てこないような気がして。

今日はそれが解消されているのか?と問われると、そうでもないような気がする。でも、書けそうな気がする間に書いておきたい、伝えられそうな気がする間に伝えたい、と思って書いている。そこまでして書く価値のあることなのかどうか、伝える価値のあることなのかどうかは、とりあえず横に置いておくとして。書きたいこと、伝えたいことを。

今、書いておかないと、明日にはもう書けないかもしれない、伝わらないかもしれないという思いがどこかにある。自分の知らないところで、大変なことが起こっていたら、今伝えたかったことを二度と伝えられないかもしれないという思い。大変なことは起こって欲しくないと切実に願っているのだけれど。ここに書いただけで伝わるかどうかはわからないけれど(少なくともアクセスしてもらえなければ伝わらないし)。

今を書き残しておきたいという思いと、今を伝えたいという思いの両方で書いているように思う。少なくとも今は。


所用で駅前に出る。帰り際に、「何か買い物ない?」と家に電話をかけると、食パンとお豆腐と蜜柑ということだった。しかしその後電器屋さんに寄っている間に電話の内容を忘れ、スーパーから「食パンとお豆腐と、他に何かまだあったっけ?」と電話しなおす。


雪が降っているところがあるそうだ。

雪、というと思い出す歌がある。「女声合唱とピアノのための“ファンタジア”」(木島始訳詩/木下牧子作曲)の1曲目の「雪ひらひら」という曲。

「溶けるまえに
 おいで,ごらん わたしを!
 きれいな 氷の このすかし細工を!
 大きな 森から
 ひと晩で
 わたしは 白の
 荒野を つくりだす
 結晶した
 天の 寒さのそば
 ほんとに そっと
 あなたの指に おかれ
 わたしは 動かない
 わたしの 美しさを 見てもらうため,
 息をしてごらん わたしは 消える
 すぐさま。」
 (ウォルター・デ・ラ・メア/木島始訳詩)

「雪が降っている」というニュースを聞くと、この曲の「結晶した 天の 寒さのそば」からのメロディが頭の中で流れ出すような気がする。この箇所で主旋律を歌っているのはメゾソプラノだけなので、アルトだった私はこの旋律を歌っていない(ハミングだった)にも関わらず、である。冷え切った空気が一番感じられる箇所だからかもしれない。


年末年始は、ほとんど家に居たということもあって、ここ数日は音楽をかなりたくさん聴いている。「以前よく聴いていたけれど最近はあまり聴いていなかった」という曲を聴いているばかりだけれど(だから「聴いたことのない曲に手をつける」ということをほとんどしていない。でも、新しい音楽を探そうという意欲が欠けているわけではないので、何か良い音楽があれば教えて下さい)。

「以前よく聴いていたけれど最近はあまり聴いていなかった」という曲を聴いていると、その曲をよく聴いていた時の思い出まで一緒に甦ってくるように思う。よく聴いていたという理由が、その曲を演奏する機会があったから少しでも慣れようと思って参考演奏を聴いていたという理由か、その曲が当時の自分にとって重要な意味を持っていたからという理由のどちらかであるから。特に、自分が演奏したことのある曲であると、練習していた時の風景も浮かんでくる。一緒に演奏していた人の表情とか、指揮者の指示や、練習していた時の気温とか、ステージ上の照明の具合とか、自分以外の演奏者の動きとか。あるいは、当時の自分の心理状態を思い出す。あの時は、自分はあんな感じで、ああいうことで悩んでいて、こういうことを考えていたんだな、とか。自分が実際に演奏したことのない曲を聴く時も、“その曲を好んで聴いていた頃の自分”を思い出すかな。

自分にとって音楽の意味の一つに、過去と今をつなぐものであるというか、過去を思い出す手がかりになってくれるということがあると思う。もちろん、「あなたにとって音楽とは?」と聞かれた場合、これが答えの全てではなくて、他にもいろいろ答えはあるけれど、これは答えの1つではあると思う。

そうやって思い出された過去は、懐かしくて、甘くて、切なくて、でもきらきら輝いていて、愛しい。思い出したくない過去が甦ってきた時は確かにつらいけれど。それも含めて、これが私の人生だ、と思う。私が生きてきた道だ、と。そう思うことは、今の私をほんの少しだけ強くしてくれるように思う。あの日の私が居たから、今の私も居るのだと。

この年末年始、思いっきり音楽を聴いて、涙ぐんだり笑ったりして、過去への旅をしていたように思う。それは、これからの私の人生を生きるためでもあったと思う。

というわけで、明日あたりからそろそろ動きます。


2003年01月02日(木) 眠れない夜と時間と怖さ / 今、聴いている音楽 / 明日の朝食はお善哉

今夜も眠れないのかな。その分は翌日の午前中に寝ているから大して困ってはいないのだけれど(不眠症ではなくて単にリズムがずれているだけだろう)。

私は、大抵のことに対して取り掛かりが遅くて、切羽詰まってからでないとやろうとしない。1日の中でも、昼間はぼーっとしていて、夜になってから、本当はあれもこれもしておくべきだったのにということに思い至る。今からだと間に合わないかもしれないという焦りと、ぼーっとしていた時間私はいったい何をしていたんだろうという後悔と(「ぼーっとしていた」以外の何でもないのだが…)、何故いつも同じことを繰り返すのだろうという自己嫌悪で、ぐわーっとなる。ここ2〜3日もそう。夜になってから資料を広げたりするものの、“今まで私は何をしていたの?”という後悔で手がつかなかったりする。

もう少しだけ、その時その時を大切にしたいなと思うのだ。今という時間が二度と戻らないのであるならば、時間というものがすぐに過ぎ去ってしまうものであるのならば、余計に後悔しないように過ごしたいと思うのだ。そうできない自分が悔しいのだけれど。いつもいつも何かしら後悔してばっかり。

関係があるようなないような話だけれど、年末に100円ショップで砂時計を買った。別に目的があったわけではなく、単に惹かれただけなのだけれど。で、引っ繰り返して遊んで(?)いたのだけれど、眺めていて、時間の流れが目に見えるのはある意味怖いことだなと思った。それはアナログ式の時計(の秒針が動くのを見たり、秒針の音を聞いたりすること)でも同じなのだけれど。砂時計の場合は、砂が一定の速さでさらさらと落ちていくのがすごく非情に見えて、余計に怖い。何の情け容赦もなく時が過ぎていくようで。

しかし、「怖い」と思う私のあり方が実は問題なのかもしれない。私が普段、時間が流れているということに無自覚であるから、時間の流れを目に見える形で突きつけられた時に怖いと思うのだろう。無自覚でもいいのかもしれないけれど…。

それは、この時間は二度と戻ってこないという怖さなのかもしれない。本当にこの一瞬を本気で過ごしているだろうか、失っても後悔しないような生き方をしているだろうかと。

…余計に眠れなくなる話題に持ち込んでしまったような気がする。


そういうわけで、今日は、呆れるほど音楽を聴きながら、部屋の窓から青空をぼーっと見つめていたらいつの間にか暗くなってきた…という感じ。

昨年は1月3日から大学に行っていた(昨年は…そうせざるを得なかったのだけれど)。今年は6日から動くつもりであったのだけれど、土曜日曜からもう大学に行ってしまおうかなと思ったりもする。でも予定は未定。


ピーター・パークス(Peter Parkes)指揮のグライムソープ・コリアリー・バンド(Grimethorpe Colliery Band)の演奏を聴いている。以前にラジオ番組か何かから録音したもの。「リバーダンス」(Riverdance/Bill Whelan作曲,Ray Farr編曲)がすごく好き。体中の血が躍るようで。あと、「死か栄光か」(Death or Glory/R.B.Hall作曲)ってこの曲だったのか、と思う。今まで曲名を知らずに聴いていた。映画「ブラス」のオープニング曲だったと思う。…映画も見たのだけれど。


というわけで夜通しちょこちょこと作業して、首をひねったり頭を抱えたりしているのだけれど、お腹が減ってきた。しかし今何かを食べるわけにはいかないだろう。

明日の朝食はお善哉。

地域の風習なのか我が家だけの風習なのか、よくわからないのだけれど、私の家では、お正月の3が日の朝食は、白味噌仕立てのお雑煮、すまし雑煮、お善哉を1日ずつ、ということになっている。もしかすると順番も決まっているのかもしれない。大抵は元日が白味噌。すまし雑煮とお善哉の順番は…忘れた。ただし、家族の中に白味噌のお雑煮をとてもとても好きな者がいるので、今年は1日が白味噌、2日も白味噌、3日がお善哉、ということになっている。で、明日の朝はお善哉。

お雑煮もお善哉も好きなのでとても嬉しいのだけれど、難点は年末に買った食パンがいつまで経ってもなくならないこと。


2003年01月01日(水) 本年も宜しくお願いします / こんな1日

なんだかんだとありながらも、こうして過ぎ行く年を静かに振り返り、新しい年を迎えることができることを、とても幸せなことだと思う。少しの期待と、少しの不安をもって新しい年を迎える。どんな1年になるかわからないけれど、先ずは1日1日を精一杯生きていきたいと思う。

本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

優しい風の吹く1年でありますように。


1日自宅でのんびりしていた。掃除などしてみる。今さら?という感じではあるが。積み上がった論文をやっと整理する。読もう読もうと思って読んでいない論文の多いこと。あと、机の抽斗の中から思いがけず5000円札が出てきて小躍りしたり、同じく抽斗の中からカッターナイフが3本も出てきて首をひねったりしていた。

来年度の学会の日程のチェックをして手帳に書き込む。来年度は近くで開催される学会が多そうだ。が、秋に1週間ほど遠出をする羽目になるかもしれない。遠出と言っても、私にしてみれば学割を取るような距離は悉く「遠出」になってしまうのだけれど。でも遠出は大好き。

あとは分析など。というか、曜日感覚をきちんと持っておかないと来週からきっとばたばたする…。

…全然1月1日の日記らしくないな…。白味噌のお雑煮を食べたり、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを少しだけ見たりはしたけれど。


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