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〜〜ぱるたの子育て日記〜〜



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■…2009年09月10日(木).......J大脳神経内科受診顛末
9月7日月曜日に脳波検査を受けたユイマだが、昨日また発作。次回の診察は9月28日(しかも小児科)となっていたが、そこまで待っていられない。今朝朝一番にJ大病院に行き、脳神経内科初診を申し込む。が、小児科の予約がはいっているのに脳神経内科の初診を受け付けることはできないと言われて、待つこと1時間。やっと小児科の許可がおりたので脳神経内科で受診できることになったが、もう午前の診察は締め切った後だった。結局午後1時半の診察となったため、私は一日会社を休み、ユイマも学校を一日休むことになってしまった。

まあそれはいいのだ。問題はJ大の医師の対応である。

昨日の発作はぷみぷみがそばにいるときだったので、一部始終を彼女からヒアリングし書き取ったものを持って行き、問診票につけて出しておいた。診察室に入ると、まずその文章について医師は「これなんですか?これ、だれが書いたんです?」と聞く。私です、と答えると、ふっと笑って、面白い文章だ、とつぶやいた。

↓これ。

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ぷみぷみの証言

ユイマが部屋から出てきてぷみぷみの部屋に入ってきた。普通に。
洗濯物でも取りに来たのかなと思ったら、畳の部屋の真ん中に座って絵を描いていたぷみぷみの斜め前に座ったので、どうしたの?と聞いたら、なんだかこわくなってきた、と一言。
どういう意味かなぁと思って見ていたら、ユイマはすわったまま顔を斜め後ろに向けて震え始めた。首が左右に小刻みに振れ始めたので、ぷみぷみはどうしたのかと思って見ていたらころんと右側に倒れて(白目むいてた。そのときすぐ電話してくれたのだが、それが6時29分)がくんがくんと震えが大きくなって、足はそこにあるおもちゃ箱をがんがんをけるように動き、両手はまっすぐ固まったままで上下に動いた。少しおさまったら、いびきのような音を立てると同時によだれが沢山出て、泡がぼわぼわしたので、ティッシュでふいてやった。そしてぼんやり気づき始めた。
この間、約10分あるかないか。

本人の弁

いつも倒れる直前のことは覚えていない、思い出せないと言っていたが、今日は、あ、思い出した。すごくこわいよ、という。

心の中に別の誰かがいるような感じ。そいつに監視されているみたいで、そいつが、ほらこわいだろ、ほれみろ、みたいなことを言う感じでそれにあらがうことはできなくて、それは言葉では言い表せないくらい怖い。
そして、そうなってしまうと自分がだれなのか、ここがどこなのか、生きているのかどうかもわからなくなる。つまり全く現実感が無くなる。そして。。。
ということらしい。

今日はこれはマズイ、また来る、と思って妹の顔を見れば直るかと思って隣の部屋に行ったけれどダメだったそうだ。


ーーーーー

確かに今読み返すと変な文章だけど、でも、こっちは必死なのだ。てんかんなのか、もしかして不安発作の可能性もあるのではと思い、わざわざ本人の弁まで書いたのに・・・。

医師はさらにぷみぷみの年齢を聞いて「あー小学生か−、11才?12才?」
12才です、と答えると、12才ねぇ・・・とつぶやく。小学生の言うことは信頼できないとでもいわんばかりに。

そのあと、カルテに書いてあった「勉強できない。成績悪い」というコメントを声に出して読み、勉強できないの?とユイマに聞くのだ。それに対してユイマが「あーできないっすねー」などと答えるものだから、まったくもー!!
どういう意味で勉強できるできないって言ってるんだよー!!

そもそもこのコメントは、最初に救急にかかったときに対応した小児科の医師から、ユイマは勉強はできるか?と聞かれ、どう答えたらいいのかわからず戸惑っていたら、成績はどうですか?と質問を変えて聞かれたので、成績はあんまり良くないです、と答えたのだ。だって1学期の成績、赤点は無かったけれど惨憺たるものだったから。
でもそれが、勉強できない、成績悪いというコメントとなってカルテに書かれているって、どうなのよ(-"-;)。

その後一通り診察。体操みたいなことさせたり歩いたり、かっけのテストみたいなことしたり。

そして、結論。脳波の結果はまだ出ていないので断定はできないけれど、これだけ頻回に痙攣がでているので、きっとそういう体質なのでしょう。(どういう体質ですか?てんかんということですか?と尋ねると、まあそうです、という答え。)
MRIの検査を入れておくから、まずは薬を飲んで発作を抑えた方がいい、というので、薬を処方してもらった。そして、血液検査を受けていって下さい、というので、それも受けた。(ユイマに聞いたら、6本も採られたよ、とのこと。検査代だけで17990円だった。実際は3割負担だから6000円くらいだけど。)

MRIの日取りは10月16日。10月14日に国立精神・神経センター病院に予約を入れていることは言いそびれてしまった。

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noripと相談した結果、初心に返って(?)我々が一番信頼しているA村先生が示して下さった道筋通りに進もうと決めた。

つまり、

A村先生が国立精神・神経センターに紹介状を書く→J大で脳波を取る→J大で先に薬を出してもらう→脳波の検査結果をJ大から借りる→国立精神・神経センターに検査結果を持って行く→診断をしてもらう→治療をする

脳波検査の結果が出るのは来週らしいので、来週になったらJ大に結果を貸してくれと頼もう。そして、MRIの日程がもっと早まらないかもう一回頼んでみよう。

さて、ユイマの様子だが、彼は不安傾向があるところは私と似ているけれど、私と違って予期不安に惑わされるようなことは今のところ無いようだ。倒れるのはやだなー、とは言っているけれど、意外とけろりとしている。
俺、すごく健康なのに、変だよねーなどと言って笑っているのだ。
悲観的になっているのは私だけなのかもしれない(反省)。

noripもいつもながら冷静だ。今日の医師はてんかんの専門ではないことと、ぷみぷみメモへの対応を聞いて、その医師には相談する気がしない、とばっさり。

とにかく、正しい診断と正しい治療を受けられるよう、親としてできることを淡々とやろう。




■…2009年09月04日(金).......備忘録
9月2日朝一番で、萩山の病院に電話。
初診であること、紹介状はかかりつけの先生に出してもらえること(たぶん)、脳波のデータは持って行けること(たぶん)、の3点をもってしても、一番早いタイミングで10月14日。一ヶ月半先だが、仕方がない。その日の一番ということで予約を入れた。

9月2日10時すぎ A村こどもクリニックへ。
A村先生に顛末を話し、これからどうしたらいいか相談。J大学では脳波検査の予約は取れているが、最終的な診断は萩山で希望していること、そして、その萩山の予約はとりあえず取れていることをお伝えすると、早速、萩山への紹介状を書いてくださった。これで、ルートはできたと思いますよ、と言っていただけて勇気百倍。そして、10月14日までのことをどうするか、薬を先にのんでいてもいいかもしれない。J大学で出してもらっても良い、というアドバイス。とりあえず脳波検査までは薬無しでいくことに決まった。

9月4日 ユイマ学校担任へ手紙を書いて持たせる。

O先生、
いつもお世話になっております。ユイマの母です。
新学期早々欠席してしまい申しわけありません。実は、始業式の日の夜、ユイマがひきつけのようは発作を起こしまして救急車で運ばれるということがありました。
幸い近所のJ大学附属病院に受け入れてもらうことができ、血液検査とCTを撮りました。が、この2つの結果からは特に異常はみとめられなかったそうです。しかし症状からてんかんの疑いがあるため、脳波の検査も受けることになりました。
検査日は、来週月曜日9月7日月曜日の午前中です。終わり次第登校させますが、場合によってはお休みとなってしまうかもしれません。
同様に、10月14日には、萩山の病院に予約を入れました。この日も検査や診察が終わり次第登校いたしますが、欠席となってしまう可能性もあることをあらかじめお伝えしておきます。
以上、よろしくお願い申し上げます。
ユイマ母

学校でも発作がおきるかもしれないとか、今までにも何度か同じようなことがあったとか、そういった込み入ったことは一切書かずにシンプルに書いてみた。
経験豊富なO先生ならこれで充分意図は伝わるだろう。

とりあえず、以上備忘録。





■…2009年09月01日(火).......ユイマ救急車に乗る
昨年の8月(記録はこちら)と今年の1月(記録はこちら)に倒れたユイマ君だったが、高校に入ってからは部活のことで悩み始めた6月頃だったか一度倒れている。でも、このときも目撃者はおらず、ふらふらになって起き出したユイマの話を聞いて、また倒れたのだろうかと推測するに過ぎなかった。

でも、3回も倒れた(らしい)のだから、A先生のおっしゃった通り、やはり検査をしておくべきだったのだ。

今日の夕方。すでに帰宅しているユイマに、これから歯医者までぷみぷみを迎えにいくという電話をしたのが6時19分。ぷみぷみを連れて帰宅したのはおそらく6時45分頃だったと思う。先に家に入ったぷみぷみが叫ぶ「なんかなんかユイマくんがおかしくなっちゃってるよー!」

驚いて家にかけこむと、ダイニングテーブル横の板敷きの床の上で体をくの字にまげて痙攣発作を起こしているユイマ発見。
大声で名前を呼ぶが返事はない。痙攣して意識は無い様子だ。小学校1年生か2年生のころ級友のタカギ君がてんかんの発作を起こしたときの姿が頭をよぎる。震える手で北見のnoripに電話をして救急を呼ぶ旨伝え電話を切ると、すぐ119にダイヤルする。なかなかつながらない。やっとつながったと思って状況を伝えると、「お子さんの周りに薬のようなものがころがったりしていませんか?」などと聞きやがる。そんなものありません!!早く来て!

10分ほど待たされたのか20分ほど待たされたのか、ユイマの発作は徐々に治まりはじめ、今度は大いびきのような音を立て始める。ユイマ君、ユイマ君と呼んでも目を半ば閉じたまま答えない。そのうちいびきもおさまって体の動きもほとんど止まった頃、時刻にして7時過ぎに、救急車ではなく消防車に乗った救急隊員が到着した。それから10分ほどあとに救急車も到着。消防から来た救急隊員に聞かれた質問と同じような質問にまた答えてやっと救急車に乗り込む。そのころにはユイマはもう言葉をしゃべれるほどに意識が回復している。

車に乗った後がまた長い。こんどは受け入れ病院探しだ。高校生だけれどまだ15才ということで、微妙な年頃、小児科と神経科がある病院にいくつもあたってくれ、結局家から一番近いJ大学病院へ行くことになった。救急車内のベッドにくくりつけられるようにして寝ているユイマは自由に体が動かせないものだから、首だけきょろきょろ動かして、救急車おもしれー!なんて笑ったりしてる。ったくもー。

病院では、血液検査やCT検査を行う。




結局、今日の検査結果からは特に悪いところは見つからなかったそうだ。
しかし、救急外来では脳波の検査まで行うことは出来ない。この際だから精密検査を希望すると救急医に伝えると、頼んでもいないのに若い男性のその医師は、検査と診察の予約を取ってくれた。
ありがとう、気が利くお医者さん。

ユイマは待っている間も検査室に行くときもずっと車いすだった。すべてが終わり、とりあえず帰宅許可が出たのだが、だんだん気持ちが落ち着いてくると、忘れていた吐き気がぶり返し、帰りのタクシーで少し戻す。

今日ユイマは学校は始業式だけで、お昼前には帰宅。ご多分に漏れず今年も夏休みの宿題が終わっておらず昨夜は睡眠時間3時間ほど、今日も昼ご飯を食べずに宿題をだらだらやっていたそうだ。
食べない、寝ていない、という悪条件が今日の発作に影響していないわけはない。
やっぱり生活の基本が乱れるのが一番いけないことだ。

帰宅後、少しでもごはんを食べさせたかったのだが、食欲がないというので、そのままふとんをしいて寝かせると爆睡している。今、爆睡ユイマの顔を見ながら私はこれを書いている。

noripは、せっかくJ病院の予約を取ってもらったけれど、萩山にある専門の病院に行った方がいいのではないかという意見だ。もしもてんかんだとして、薬物治療を行うとしたら、なるべく症例が豊富な病院の方が良いのでは、というのがその理由だ。J病院にもてんかん外来があるにはあるようなのだが、とりあえず、明日萩山の方に予約を入れてみようと思う。
それとも脳波だけとにかく予約を取ったのだから測ってもらい、そのデータをもらって萩山に行ってみるか。noripは最初から萩山で検査もしてもらえという意見だが。
うーむ。悩む。



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ぱるた