KAMMYの日記

2004年02月29日(日) 日光2−4日本製紙〜JIHL閉幕〜/パイオニア3−1東レ

 毎年、最終戦は、確実に?満員の観客を集める日光霧降アイスアリーナ。
 今シーズンの最終戦も、指定券(というか座席は全席指定)売り切れ、当日券は立ち見のみ。

○第38回日本アイスホッケーリーグ日光シリーズ後期最終戦 4回戦(日本製紙4勝)2004年2月29日(日)14時 栃木県立日光霧降アイスアリーナ 観衆:2,000人

日光 2(1−1)4 日本製紙
    (1−1)
    (0−2)
<シュート数>
日光    9 13  6=28
日本製紙 12 10 14=36

 1ピリ、2ピリともに日本製紙先制、日光が追いつくという展開。3ピリに日本製紙が勝ち越し、残り1分で日光6人攻撃をしかけるも不発。で、そこから日光のゴール付近でフェイスオフになるが、そこでもGK橋本を戻さず6人攻撃、そしてエンプティゴール・・・。

 なお、ゲームベストプレイヤーは、日本製紙の#21酒井隆行。2アシスト。アジアリーグ期間中は、日光にレンタル移籍していて、ソウルでのハルラ戦で2ゴールを決めている。そのときでやったのが、そう、背番号21の酒井といえば、酒井ダンスでしょう(違)。

 試合終了後、運営会社社長・#11荒城啓介からシーズン終了の挨拶。その中で、荒城が選手としての引退を突然発表。そして、挨拶終了後、リンクには無数のオレンジの紙テープが・・・。っていうか、今年は我々の周りでは「片づけるのも大変だし、今年は健闘を称えるような試合結果ではないし、やめようか」という意見が有力だったので、特に準備していかなかったのだが、会場に入ると、ちゃんと?紙テープを売ってるんだもん・・・。片づけましたさ。
 来年は、「優勝して」紙テープを投げたい。なにせ、後期リーグ、日光は12戦全敗じゃ、ねぇ・・・。

 なお、よっちこと#74藤沢悌史が、背中のユニフォームスポンサーである「日光猿軍団」のところに、黒ガムテープを貼って登場。白のユニに黒だから、目立つことこの上ない。というか、本人にしてみれば何か思うところがあったのだろう。

 個人的には、えのきどいちろうさんに初めてお会いしたのが、ちょっとラッキー。2ピリ終了したあと、売店に並んでいたら、「00 ENOKIDO」のユニ着てた人がいたんでわかった。今度は、是非伊藤克信氏にお会いしたいものだ。

 一方、JIHLの後期優勝争いは、新横浜2連戦。両日とも、超満員2,500人の観客を集め、今日は入場できなかった客もいたとか。

28日 コクド 3−1(0−0/2−1/1−0)王子製紙
29日 コクド 6−3(2−1/3−1/1−1)王子製紙
 で、両日で王子が1勝すれば、王子の優勝だったのだが、コクドが連勝で、後期逆転優勝。これでコクドが、前後期を連覇し、完全優勝。

 それにしても、横浜FMといい、横浜のチームは空気が読めねぇ・・・。

 JIHLの今後、来年度の展望については、また日を改めて書きたい。

***

 で、昨日パイオニアのことを書いたら、こういう反響があったので、紹介しておきます。これ書いた方は、デンソーサポだが、少なくとも俺よりはパイオニアの試合とか応援とか見ているだろうから。

 試合の方は、(俺は霧降行ってたので見てないが)
パイオニア3−1(24−26,25−20,28−26,25−17)東レ
で、パイオニアの初優勝。しかし、観衆6,359人って、昨日より少ない・・・NHKで生中継だったためか、それとも昨日の3決目当ての客の分か・・・。



2004年02月28日(土) パイオニア2−3東レ/久光3−2NEC

 俺は一応東北人。というわけで、東北唯一のVリーグチーム、パイオニア・レッドウィングスの応援ということで、東京体育館へ。東京体育館か・・・何年前だろう?L1(日本女子サッカーリーグではなく、LLPW主催の女子格闘技大会)には行ったな。

 優勝トロフィーはぜってぇ「つばさ」には乗せん!などという悪評もあるにはあるが。。。

○第10回Vリーグ女子決勝ラウンド第一戦(東レ1勝)2004年2月28日(土)13時30分 東京体育館 主審:勝又正 観衆:7,800人
*公式記録(PDFファイル)

パイオニア 2(25−18)3 東レ
       (22−25)
       (25−21)
       (17−25)
       ( 7−15)

 一般客の入場列が長くてうざったかったので、パイオニアのチーム券(3,500円)で入ろうとしたが、チーム券を売ってくれなかった。FC会員入会の書類くらい持ってきておけよ。
 で、一般自由席(2,500円)を買い、3F席中央で観戦。

 立ち上がりはパイオニアの楽勝ペースだったが、2セット目は東レ。パイオニアが3セットを取ると、東レが取り返す。で、最終セットは・・・東レに突き抜けられた。ヒロインインタビューは、主将・向井と、全日本でもお馴染み、パワフル・カナこと大山加奈。しかし。今日のカナは体調不良で、3セットと4セットの、それぞれ後半から出場したのみ。でも、絶対スーパーサッカー(の中のJスポーツのコーナー)では、「カナの登場で流れが変わった」なんて言うんだろうな。

 ちなみに、この決勝ラウンドでは、2試合の試合結果を合計して優秀な方が優勝。しかし、得点上限のないサッカーならともかく、例えばこの方式だと、1試合目にどちらかが3−0(しかも3セットとも25−0)で勝てば、2試合目に1点取ればその時点で優勝が決まってしまうのである・・・。(参考:2chバレー板「決勝戦なんで2試合もやんの?」
 で、そういった意味では、フルセットまでもつれたことは、明日に向けて楽しみは残ったわけだが。ちなみに、明日3−0か3−1でパイオニアが勝てばパイオニアの優勝、東レが勝てば東レの優勝、パイオニアが3−2で勝てば2試合の得点合計で決まる。ちなみに今日の得点は、東レ104−パイオニア96.さて・・・。

***

 で、休憩を挟んで3位決定戦(こちらは一発勝負)。

○第10回Vリーグ女子3位決定戦 2004年2月28日(土)16時5分 東京体育館 主審:加冶健男 観衆:7,200人
*公式記録(PDFファイル)

NEC 2(25−21)3 久光製薬
     (25−18)
     (18−25)
     (18−25)
     (10−15)

 第一試合は、応援席はパイオニア千人、東レ500人といったところか。で、2Fの応援団席がいっぱいに。この試合では、NECは千人だが、久光が300人で、その差なのかも。でも、一般自由席にもNECの応援がたくさん。NECの旗振り(いわゆる大旗)担当は、その3F自由席まで上がって、点が入るたび、取られるたびに旗を振り回して。いやー、タフだ(というか、2Fだと屋根があるので旗が振りにくいのかもしれないが)。そして、俺の隣にいつの間にか座ったおばさん(当社比)は、何かあるたびに「(NEC)杉山さ〜ん!」と叫ぶ。おかげで、NECの背番号5=杉山ということは覚えた(爆)。

 それともう3つ特筆すべきは、まず一つはNECのビッグフラッグ。パイオニアも試合前にビッグフラッグを出していたが、その倍はある。客席が3ブロックくらい隠れる大きさ。それともう一つは、NECチアの演技。男性が一人いて、二本の腕で女性の足を支えたり(一人リフト)とか、なかなかいい味を出していた。最後は、NECの控え選手。ウォームアップエリアで出番に備えてアップするのだが、応援団のかけ声に併せて手拍子したり、ガッツポーズするのはこのチームだけ。


 で、試合であるが。1,2セットはNECペース。しかし3セット目から久光も調子を出し、3,4セットを連取。ファイナルセットではNECが有田、栗原の連続ブロックなどで先行し、5−1でリードを奪う。しかしそこから呉、先野らが活躍し10−10に追いつくと、最後は先野のスパイクで勝利!久光製薬が3位、NECが4位に。

***

 終わったのが18時すぎだったので、フェンシングの練習はパス。明日日光に行くので、東武鉄道の株主優待券を手に入れようと、新宿の金券屋に行ったがなくて、神田の金券屋に行くと、だいたい閉まってた(ちなみに、神田の金券屋は土曜は午前中で閉まるらしい)。まー、しゃーねーか。



2004年02月27日(金) 蹴球五輪男子亜州予選・プレイバック(バルセロナ/ソウル)

 バルセロナ五輪から、男子サッカーが23歳以下の競技になった。とはいえ、俺が本格的にサッカーを見るようになったのは、Jリーグ開幕以降なわけで、実はほとんど、いや全く記憶にない。
 河北新報記事検索サービスで引っかけてみると・・・。

<最終予選>6ヶ国によるセントラル(中立地、マレーシア)でのリーグ戦。上位3チームが五輪本大会出場。

92.1.19 日本 1−2(1−1)中国    原田(早大)
92.1.22 日本 1−1(0−0)クウェート 小村
92.1.25 日本 6−1(3−0)バーレーン 三浦3、名良橋他
92.1.27 日本 0−1(0−0)韓国   *決勝点の金炳秀は元四日市。
92.1.30 日本 0−1(0−0)カタール
 このときの日本代表:主将が澤登。上記に挙げた選手の他、GK下川、FWに藤吉がいた(平っていたんだっけ?)。

 河北新報記事検索サービスは、確か1991年8月?からのサービスなので、一次予選のことは入ってないのだが、コニカ杯に五輪代表が強化の一環として参加していた。

 で、ソウル大会の予選になると、ますますわからないのだが、出場権を賭けた最終予選で、国立で中国と対戦し、「勝てば五輪出場」という状況で敗れたこと、そしてその試合がNHK総合で生中継されたことが印象に残ってる。って思ったら、その当時の五輪予選は国際Aマッチだったので、JFAの代表試合記録に残っている。

87.4.8 国立   3−0 インドネシア 手塚、原博実、武田
87.4.12 国立   1−0 シンガポール 松山吉之
87.6.14 シンガ  1−0 シンガポール 水沼
87.6.26 ジャカルタ2−1 インドネシア 松山吉之、原博実

87.9.2 バンコク 0−0 タイ
87.9.15 国立   5−0 ネパール 加藤久、奥寺、松山吉之、松浦、手塚
87.9.18 国立   9−0 ネパール 加藤久、金子、越後、松浦3,原3
87.9.26 国立   1−0 タイ   水沼
87.10.4 広州   1−0 中国   原博実
87.10.26国立   0−2 中国




2004年02月26日(木) 蹴球五輪男子亜州予選・プレイバック(アトランタ)

 仕事の方で、今日が一つのピークだったのだが・・・業者がチョンボったせいで大騒ぎ・・・。こんな弱い会社見たことねーよ!(って総裁かよ!)

***

 アトランタ五輪予選を語る前に、掲示板への書き込みから

五輪予選 投稿者:奈良の岡ちゃん
投稿日:2月26日(木)20時37分18秒

断片的にしか覚えていないのですが...

アトランタの時の扱いってほとんどユースの大会のような扱いな感じでした。
万博での親善試合と瑞穂陸での一次予選は薄い(というか折っただけの4ページ物)プログラムが入場時に無料で配布されたぐらいですから。
万博ではあまりの寒い内容に子どもは芝生ゴール裏を走り回るわ(ガラガラだから何の問題も発生しなかった)、応援を仕切っていた集団から「西野さん〜、小倉と城もうダメだよ〜」なんて声があがっておりました。自分はあの試合は前園しか印象に残っておりませんが。

瑞穂は...なんかこれという印象がないなぁ。

シドニーの予選は出場を決めた土曜の国立に行ったのですが、楽勝ムードのせいか場内の雰囲気はゆるかったですなぁ。あの頃から代表戦の「オールスター戦化」は始まっていたように思います。その前後に行った金曜の等々力の「川崎vs鳥栖」や日曜の横浜国際の「横浜vsデンソー」の方が記憶が少し残っています、我ながら困ったもんですが。

***

 というわけで、プレイバック。
 一次予選は、「初戦のタイ戦で小倉が負傷した」ことしか覚えてないのだが、調べてみたら、日本ラウンドは瑞穂でやってたのね。全然印象にないわけだ(当時は東京都民)。瑞穂での代表戦といえば、(俺は行ってないが)94年のアメリカW杯の「裏番組」、瑞穂、神戸ユニバでのガーナ2連戦(3−2,2−1で連勝)をやったことは覚えているのだが・・・。

 岡ちゃんの書いている、「万博での親善試合」という記憶がない。親善試合で覚えているのは、95年の2月に、雪の降る国立で、ロサリオ・セントラル(アルゼンチン)と対戦。観衆1万1千くらい?ロスタイムに森岡(G大阪)のゴールで1−0で勝利。

1996年アトランタ五輪予選

<一次予選>日本・タイ・中国台北の、3ヶ国によるダブルセントラル2回戦総当たりリーグ戦で、1位のみが二次予選へ。

95.5.26スパンブリ日本 5−0(3−0)タイ 森岡、小倉、城、松原2
*小倉隆史、相手に削られ右ひざ内側側副じん帯損傷で全治3週間。
95.5.28スパンブリ日本 4−1(1−0)台湾 前園3,松原
95.6.12 瑞穂陸 日本 6−0(1−0)台湾 松原2,安永、城、前園2
*退場:安永
95.6.14 瑞穂陸 日本 1−0(1−0)タイ 城

 緒戦のタイ戦がヤマだと思われていたが、意外にあっさり?勝利。

<二次予選>二次予選進出の8チームを4チーム×2に分けてのリーグ戦。上位2チーム、合計4チームが最終予選に進出。最終予選ともに、マレーシア(中立地)で開催。

96.3.16 日本 1−1(1−0)イラク  城
96.3.18 日本 4−1(2−1)オマーン 前園2、城、中田英
96.3.20 日本 1−0(1−0)UAE  上村
(日本は2勝1分、グループ1位で最終予選へ)

<最終予選>4チームによるトーナメント。上位3チームが本大会へ。
準決勝 96.3.24 日本 2−1(1−0)サウジ 前園2
決勝  96.3.27 日本 1−2(0−0)韓国  城
*試合終了直後、崔龍洙が日本ベンチにボールを蹴りこむ。って、それは92年アジアユース決勝の話か。

 95年の11月に、転勤(出向)で実家に戻った。
 で、俺がいない間に・・・実家のテレビがBS対応になっていた。で、準決勝・決勝ともに23時JST試合開始で、両親が寝静まった居間のテレビでBSで中継を見た記憶がある。特に、決勝の翌日は休みを取ったし(年休消化の一環で)。

 で、この五輪代表チーム。前評判では、小倉のチームだったのが、いつの間にか(一次予選で負傷)前園のチームになったという印象。
 小倉は、一次予選で負傷したものの、夏には復帰。名古屋の95年後期準優勝、そして天皇杯初優勝に貢献。しかし、マレーシアで96年2月に行われた、五輪代表紅白戦でまたしても右膝靱帯損傷・・・。
 その代わりに台頭してきたのが前園である。しかし、前園の黄金期も長くは続かず、そして中田英の時代へ・・・。



2004年02月25日(水) 蹴球五輪男子亜州予選・プレイバック(アテネ/シドニー)

 というわけで、気づいてみれば3月になるとすぐ、蹴球五輪男子亜州最終予選が開幕する。俺も、本日3試合(埼スタ・国立・国立)チケットをゲット。というか、即日完売になるかと思ったらまだ残っているようで。

 ここ数大会の五輪予選を振り返ってみる。

<2004・アテネ五輪>
・二次予選 日本−ミャンマーのH&A2回戦だが、ミャンマーが辞退したため日本で2試合開催。

2003.5.1 木 国立 23580 日本3−0(0-0)ミャンマー 松井、大久保、中山悟志
 この試合は、というか、この日は13時からのJFL、そして女子代表強化試合と、この試合のトリプルヘッダーだったっけ。
2003.5.3 祝 味の素35052 日本5−0(1-0)ミャンマー 茂庭、田中、阿部、松井、石川
 この試合で印象深いのは、「ULTRA'MIYAGI」の、全国デビューだった。

・最終予選 日本・UAE・レバノン・バーレーンの、4ヶ国によるダブルセントラル(UAE・日本)2回戦総当たりで、1位のみ本大会進出。

<2000・シドニー五輪>公式記録はこちら(JFA).
・一次予選 日本・ネパール・マレーシア・香港・フィリピンの5ヶ国による、ダブルセントラル(香港・日本)2回戦総当たりで、1位のみ最終予選進出。

(香港ラウンド)
1999.6.12 土 日本13−0(6−0)フィリピン
 平瀬4,小野伸二2,明神、中村俊輔、吉原3,本山、OG
1999.6.14 月 日本 5−0(3−0)ネパール
 広山、小野伸二、平瀬、吉原2
1999.6.16 水 日本 4−0(1−0)マレーシア
 稲本、本山、小野伸二、吉原
1999.6.18 金 日本 4−1(3−0)香港
 中村俊輔、小野伸二、吉原、山下

(日本ラウンド)*会場はすべて国立霞ヶ丘
1999.6.26 土 日本 9−0(6−0)ネパール
 吉原2,小野伸二、中村俊輔2,柳沢2,平瀬、明神
1999.6.28 月 日本 4−0(4−0)マレーシア
 中村俊輔(PK),平瀬、本山、山下芳輝
*この日の午前中に、柳沢敦と梨花の密会が発覚、チームから追放される。
1999.7.2 金 日本 2−0(1−0)香港 中村俊輔、平瀬
1999.7.4 日 日本11−0(7−0)フィリピン
 平瀬3,中田浩二、小野伸二、中村俊輔2,市川、本山、明神、戸田
*この試合で、小野伸二が相手選手に後ろから削られ、左ひざ内側側副(そくふく)靭帯(じんたい)断裂で全治3カ月の重傷。

 1位日本、2位香港、3位マレーシア、4位ネパール、5位フィリピン。

・・・この頃(1999年上半期)は、仕事がえらい忙しくて。システムのリリースの開発メンバーの事務局になっていたので、あーだこーだと。泊まり勤務とかもあって、確か香港戦の日は泊まり勤務なので行けずじまい。泊まりの明けで、南米選手権で日本が負けたのを見たような。
 ただ、ほかの3試合は見た。最終日は、仙スタ日帰り(V仙台0−3新潟)で、その足で国立。フィリピンのGK、アダモちゃんことパランパンがいろんな意味で印象深い。試合中の仕草、途中交代させられての涙、そして@niftyのFSNIPPONが大荒れだったこと。

・最終予選
 最終予選進出の9ヶ国を3グループに分けての試合。
 日本は、カザフスタン・タイと同組。日本ラウンドは2試合とも国立。
1999.10.9 土 A 日本 2−0(1−0)カザフ 中田英、稲本
1999.10.17 日 H 日本 3−1(0−0)タイ  平瀬2,高原
1999.11.6 土 H 日本 3−1(0−1)カザフ 平瀬2,中村俊輔 55,147
*この試合の勝利で、五輪本大会出場が決定。
1999.11.13 土 A 日本 6−0(3−0)タイ
 平瀬2,小島、明神、市川、藤本

 俺が観戦したのは、ホームでの2試合。前述のプロジェクトのリリースが延期になり、俺も異動になって現在の部署(というか仕事)になったのが99年10月15日。17日には情報処理試験を、どこだっけ?成城学園前のどこかの大学で受験している(上級シスアド)。この日の昼は、ベガルタがサガンにアウェイで0−0の泥。で、試合終了後は一杯やったっけ。
 で、この年夏休みが取れなかったので、11月の頭にちょっと連休を取る。金曜日には、等々力で川崎FのJ1昇格決定を見届け(川崎F1V0鳥栖)。翌日は昼くらいから国立に並ぶ。そこで聞いた情報として、V仙台1−1山形。瀬川のロスタイムゴールで同点に追いつき、やっぱり泥。

 ・・・正直、今回の最終予選については、楽勝ムードでいたら、やっぱり楽勝だった、というのが結論。

 ちなみに、ベガルタの関係者では、山下が一次予選に、石井俊也が二次予選に出場。ついでに、日本−カザフ戦のTV解説を、”ブランメル仙台監督”(フジテレビでの紹介)清水秀彦がつとめた(仙台放送のスタジオから出演)。

 明日はアトランタ、そしてバルセロナ予選?



2004年02月24日(火) ガチンコ!帰宅道2(後編)

(とりあえづ、21,22,23日の日記は補完しました)



 ここで、掲示板への書き込みを紹介しながら進めよう。



>何を閃いたのだか 投稿者:izumi795

>投稿日:2月23日(月)18時58分44秒

>オアシス(新千歳空港社員食堂)でメシを食うことか?

>八戸行きフェリーに乗ることか?

>だったら、オレ様が電話とメールで入れ知恵したネタじゃねえか。


 というわけで、掲示板で先に答えを言われたが・・・



2/23(月)


1625 バスで苫小牧へ出発。


   通常、千歳−苫小牧のバスは所要40分なのだが、道路が完全に凍結。


1755 苫小牧到着。ダイエーで夕食&食料補充。


   その後、BOOK OFFで立ち読みして時間を潰す(というか、マンガ喫茶の一軒くらいないのかよ!


2009 苫小牧バスターミナルより、苫小牧市営バスでフェリーターミナルへ。


2025 フェリーターミナル着。乗船手続き。


2115 八戸行きフェリー、出航。で、船内でUHB「プライド」を見るのだが、出航してすぐに画像が乱れだし、クライマックスのところ(ヒロイン・アキ(=竹内結子)の元カレ(ナツ)と、今カレ(里中ハル=キムタク)が鉢合わせ)で完全に映らなくなって・・・。


で、風呂入ってzzz。



 2/24(火)
0415 八戸着。
   すぐにタクシーで移動してもよかったが、5時まではタクシー深夜料金がかかるので、待合室で時間を潰す。待合室では無線LAN使用可能のようだが、設定の手順書で、パスワードとかがほとんど書かれていないので使用できず。
0520 ぼちぼち、タクシーで八戸駅へ向けて出発。2,350円。
0535 八戸駅着。
 実は、八戸は小学校3年夏−5年になるときまで住んでいたので、八戸の(駅以外の)大地を踏むのは25年ぶりになる。まだ夜も明けていないので、駅までの景色はほとんど見えないのだが。。。しかし八戸駅前は立派になった。さすがは新幹線駅?!でも、キヨスクで日刊スポーツを買ったが、H面がないのは正直・・・(北海道でもなかったし)
0655 はやて2号でいざ東京へ。これは全席指定なのだが、指定券が仙台までしか取れず。仙台からデッキかな・・・と思ったら、空いてる席があったのでやっと座れてラッキー。

 本日(2/24)午前9時50分、帰京。10時20分、会社に出社。

 というわけで、ガチンコ!帰宅道2,終了。



2004年02月23日(月) ガチンコ!帰宅道2(前編)

(ちなみに、ガチンコ!帰宅道の前回は、2002年10月7日の日記参照。この時は、徳島から戻れなかったのだが。今回のストーリーは、昨日千歳から帰京するつもりが、雪のため東京から来る飛行機が着陸出来ずに欠航、帰京をさっさと諦めて今日月曜にしたことから始まる。ちなみに、俺以外の日光のサポーター、そして選手はほとんど無事昨日のうちに帰京した模様)

>わしの日記を見ろ。 投稿者:izumi795

>投稿日: 2月23日(月)01時23分30秒

>貴様とは大違いだな!某スレの93よw

>ちゃんと名前欄に「マーク(・コフマン)」とか書かないから

>こうなるのだ!

>明日も大荒れの天気だからな、今からスーパー北斗+スーパー

>白鳥+はやてでの帰宅を考えた方がいい。

>もしくは、スーパー北斗+函館からの飛行機だな。

 ちなみに、この方(わしの日記といっても、鷲=王子サポの日記ではない)は、JALで20分遅れただけで、帰ってこれたそうだ。

 朝五時過ぎに目が覚める。ANAの電話窓口は五時半受付開始。電話をすると、呼出状態が暫く続くが、40分頃繋がる。1230発の便を、0750発(始発)が空いていたので変えてもらう。よし、これなら午後から会社に出れる。

 念のため、早めに行こう。ホテルの送迎バスが七時発なので、それだと危ないので、千歳駅0635発の路線バス。ごたごたはあったが、何とか乗れた。

 0750発50便は、二十分遅れで駐機場を出て離陸。。。のはずが、「誘導路凍結」でしばらくストップ。その間にも雪は激しさを増す。誘導車が迎えに来て、元に戻って、

「欠航」

 九時半に飛行機を降り、航空券の返却を受けたのが十時半。それから予約変更の列に並び、(本来、包括運賃のため返金はないはづだが)9700円を受け取ったのが12時20分(今日は恐らく終日空港閉鎖、仮に動いても予約でいっぱい。明日火曜日の便もすでに満席なので)。

 しかたない。北斗で帰るか。そう思って地下のJR駅に行くと・・・やっぱり動いてなかった。とりあえづみどりの窓口列に並ぶが。。。

・順番が回ってくる直前、あるアイディアが閃いた!すかさず?列を抜け、昼飯。あとはラウンジで時間を潰し、苫小牧行きバスに乗ったのが16時30分。

 いったい、どうしようというのか?!

(明日の日記につづく)



2004年02月22日(日) 王子 3−2 日光/ガチンコ!帰宅道2・プロローグ

○第38回日本アイスホッケーリーグ後期リーグ 2004年2月22日(日)14時 苫小牧市白鳥アリーナ 4回戦(王子4勝)主審:長尾慎一 観衆:1,636人

王子製紙 3(1−1)2 日光
      (0−1)
      (2−0)

*シュート数
王子 15 22  9=46
日光  5  7  4=16

 試合自体は、いい試合だったよ。少なくとも土曜よりは。でも、ヘンダーソンに立て続けにやられて・・・。
 でも、ホーム最終戦だというのに、ファンの皆様への挨拶も何もない王子ってどうよ?(SkyA1st Starのヘンダーソンへのインタビューはあったが)某氏曰く、「後期リーグで優勝して、プレーオフでここ(苫小牧)に戻ってくるという意思表示」だそうだが、だったらなおのこと、「残り3つ(福岡、新横浜2連戦)勝って戻ってきますので応援してください」くらいのこと言ってもよかったのでは、と。それとも、極東優秀杯があるからか?

***
 で、試合前から雪が降り続き、帰りの飛行機の心配をしつつ試合を見ていたが、試合終了時点でチェックすると、俺が帰りに乗る予定だった飛行機が(東京からの便が千歳に着陸できずに)欠航!!
 しかも、つぎ空いてる便が明日1230発だったので、とりあえづその便に予約変更したのだが。
 またしてもガチンコ帰宅道か!?

おまけに、今回はPHS用のケーブル持ってこなかった。千歳のホテルに泊まったのだが、通信はできずじまい。



2004年02月21日(土) 王子 6−1 日光

○第38回日本アイスホッケーリーグ後期リーグ 2004年2月21日(土)14時 苫小牧市白鳥アリーナ 主審:川村一彦 観衆:1,301人

王子製紙 6(1−0)1 日光
      (2−0)
      (3−1)

*シュート数
王子 14 10 11=35
日光  3  4  7=11

・・・勝てないねぇ。。。これで後期リーグ、開幕から8連敗・・・。

 終了後、マジスパの札幌本店へ。割と普通の店だった、というのが正直な印象。あとは日光サポ連中ともう一軒飲みに(といっても中ジョッキ一杯だけだったが)行った。ホテルはドーミーイン札幌。

***

 というわけで、苫小牧いろいろ(2/24追記)。

・「プライド」で使用している、「ブルースコルピオンズ」のユニフォーム(1st&2nd)展示あり、着用OK。ちなみに13TANABUのロゴが入ってました。
・さすがは氷都、全席にヒーター暖房が入っている。座ると暖かい。(そのせいなのか?客席には飲食物持ち込み禁止なのだが)
 それとは逆に?コンセントがあるのだが、コンセントには「コンセントの使用は有料です」と張り紙が貼ってある。しっかりしてますね。
・土曜はHBC,日曜はHTBのカメラ・実況が入っていたが、TV番組表
を見ても中継らしきものはなし。HTBはスカイAの中継なのだろうが、いったいいつ放送してたんだ?
・王子の応援。リーダーとか、ユニ着た方々は社員。チャンスのメガホン攻撃は、・・・ちょっと不気味(なんとなく、本田FCを思い出した)。ただ、同じ社員応援でも、全然やる気の感じられない某チームよりは数倍まし。

<試合以外編>
・羽田から千歳空港に着き、苫小牧行きのバスに並んでいると、どこかで見たことのある男性が。・・・まさか、ねぇ。実況するなら、こんな時間(14時開始のところ、12時15分発)にバスに乗っているわけないし(もっと早く入っているはずだし)、そもそも北海道の試合だから北海道のアナウンサーが実況するはずだし。
 で、試合開始直前、日光応援席に姿を見せたのは、やはりそのお方だった。
 「氷上の語り部」加藤じろうさん。・・・プライベートかい・・・熱心だ。
・白鳥アリーナ。そこには、道南地区?中体連新人戦の組み合わせが貼ってあったのだが、試合会場を見ると、「沼ノ端」「ハイランド」「ときわ」とかいろいろと。・・・そんなにリンクがあるんだ??さすがは「氷都」苫小牧。
・で、白鳥アリーナの向かいには、自民党北海道第9選挙区の事務所。「橋本聖子」の看板が・・・。
・白鳥アリーナから、王子総合病院を挟んであるのが、王子製紙スケートセンター。王子製紙の練習リンク。試合開始前に覗いてみた。・・・椅子がロングシート。しかも木製。2千人くらい収容できるのかな?そして圧倒されるのが、正面入り口に置かれた、トロフィーの山、山、山・・・。古河のペナントが30枚くらいあったりとか、さすがに伝統のあるチームだ・・・。



2004年02月20日(金) 盛岡の新チームは「グルージャ盛岡」

 記事はこちらから。

 「盛岡にもJリーグチームを」と活動する特定非営利活動法人(NPO法人)「Jリーグチームを盛岡に作る会」は20日、今年5月からサッカーの東北社会人リーグに参加するチームの名称を「グルージャ盛岡」とし、選手兼監督に元大分トリニータのMF武藤真一氏(30)が就任すると発表した。
 チーム名は公募により募集され、盛岡市内の女性会社員の案が選定された。スペイン語で「鶴」を意味する「グルージャ」と南部藩の家紋「向かい鶴」のイメージ、驚いたときに使う盛岡の方言「じゃ」の響きとも合うことから、事務局が選定した。
 武藤氏は1992年にジェフ市原に入団し、昨年大分に移籍。リーグ戦通算204試合に出場し13得点を記録した。仙台市出身の武藤氏は「サッカーを通じての街づくり、という理念にひかれた。同じ東北人として盛岡の役に立ちたい」と述べ、ゼロからのチームづくりに意欲をみせた。
 グルージャ盛岡は盛岡市内のクラブチームを母体に3月に結成予定。ベガルタ仙台、モンテディオ山形に次ぐ東北3番目のJチーム誕生と、2008年のJ昇格を目標としている。


***

 っていうかさ、「盛岡市内のクラブチーム」ってどこよ?それをどこのメディアも報じていないのだが。可能性があるのは、
・盛岡ゼブラ   (東北1部)
・ヴィラノーバ盛岡(東北2部南)
 *岩手県リーグ優勝の一関FCと入替戦実施予定

 大穴で、新日鉄釜石?母体チームが発表できないのは、新日鉄釜石の東北リーグ入替戦(第1戦は2/15、釜石1−1仙台中田。第二戦は2/22)終了を待っているからか?!

リンク:NPO法人盛岡にJリーグを作る会



2004年02月19日(木) さいスタ・諸々

 試合結果は昨日の日記を。

 会社を16時50分に出て、北越谷17時50分着。Y野家で豚キムチ丼食べて、バス乗ってさいスタには18時40分着。バスが北側に着いて、南側に歩いていったら、先発の友人が「ホーム側(北側)に移動した」って・・・。結局コーヒー持ったままスタジアム一周したよ。

 で、最初から全開で応援。W杯以降の日本代表の試合は、ややもすると、ピッチ上、スタンドともに緊迫感に欠けた試合が多く、個人的に今日の試合のテーマは「殺伐と」いうことだったのだが。確かに、少なくとも先週のイラク戦よりは、ピッチ上、客席ともに、いい意味で緊張感があった。

 ただ、今日のブレーキは、誰がなんと言おうと中村俊輔。前半30分にゲットしたPK、向かって右隅に蹴った・・・オマーンGKアルハブリ、読んでいた!見事にクリア!正直、ツキのない俊輔を最後まで使うということで、ジーコはどうよ、と。

 前半を0−0で終了。客席からブーイング。川渕キャプテン、そして中田ヒデもこのブーイングには「Why?」だったらしいが。。。
 で、俺のいた少し隣で、UBのステッカー貼ったトラメガで煽ってた奴がいたが、そいつがハーフタイムに俺に話し掛けてきて。(というか、正直知らない奴なのだが。。。向こうが俺を知ってて、俺が知らないだけなのか?それとも単に俺が忘れてる??)割と若い男だったな。
 ハーフタイムにゴール裏でうだうだやってると、「TERU10」の代表ユニ(しかも、2002日韓W杯Ver.)が・・・なんて奇特な方が。

 後半。柳沢を下げて久保。正直、「柳沢−隆行のラインが一番の切り札だろ」という考えから見ると、?だったが・・・。だが、さすがに久保は高い。けど、それがフィニッシュにつながらず。後半になり、オマーンの時間稼ぎとしか思えない負傷の回数が増える。ますますブーイング。さらに遠藤を下げて小笠原。中田ヒデがボランチに下がる。最後の交代は、俊輔→藤田かな、と思ってたら、高原→隆行。さぁ、これで俊輔が90分戦わざるを得なくなったわけで。

 残り時間もわずか。南スタンドからは大脱走マーチ。をいをい、まさかこのまま同点でいいというんじゃないだろうな?まぁ、昔浦和がV仙台との試合で、1−1の同点で後半から延長試合終了まで、75分ノンストップ大脱走というのもあったが(2000.8.5)。一方、北スタンドからはアイーダ(凱旋行進曲)。をいおい、同点で凱旋行進曲かよ!おめでてぇな。
 それでも、点が入るときには入るもの。後半ロスタイム3分、小笠原が放り込んだボールをオマーンDFがクリア、そのクリアが俊輔に当たり久保の前へ。ちょうど久保はDF最終ラインと並んでいるのでオンサイド、しかもGKは横。久保は落ち着いて流し込んでゴール!!!日本、日本先制!!!

 結局、この1点で勝負あり。正直、負ける(点を取られる)気がしなかったが、・・・苦しかった。で、友人につきあって、試合終了後の選手の場内一周まで見ていたものだから、帰りの浦和美園駅までの道が大混雑(普段は、試合終わったらさっさと帰るから)。21時10分頃に試合が終わり、25分頃に席を立って、埼玉高速鉄道に乗ったのが22時19分。東川口→武蔵野線で西船橋→本八幡・・・。

 ふー、疲れた。



2004年02月18日(水) 日本  1−0 オマーン

何はともあれ、勝ててよかった。詳しくは明日の日記を。

***
記録のみ。

◎W杯アジア一次予選 2004年2月18日(水)19時23分 埼玉スタジアム2002 晴 芝:全面良芝 表面:乾燥 主審:ハリム 副審:ナサルディン、ロザリー(3人ともマレーシア) 観衆:60,207人

日本 1(0−0)0 オマーン
    (1−0)
【得点】後半48分(日本)久保 竜彦

【日本】GK1楢崎 DF2山田暢久、3坪井、5宮本、14三都主[1] MF6稲本、7中田英寿[1]、10中村俊輔[3]、19遠藤保仁[2](→64分MF8小笠原[3])FW13柳沢[1](→HTFW9久保[4])、20高原[2](→82分FW11鈴木隆行)SUB:GK21土肥他

【警告】(日本)稲本(オマーン)アルナウファリ、アルヌービ

【シュート数】日本17(PK1)オマーン6



2004年02月17日(火) 〜決戦前夜〜/五輪最終予選UAEラウンド代表発表

 今これ書いてるのは、2/17(火)午前7時。
 昨日の、97年一次予選の話が、意外に掲示板で反響を得ているので、そのうち落ち着いたらコメントしますし、どこかで最終予選の思い出も書きたいと思いますが。

〜決戦前夜〜
 帰って気が向いたら書きます。
 何がいいたいかというと、「今の代表戦の”温い”空気が、W杯予選ということで一気にシフトチェンジすることはありうるのか?」ということ。

 朝日の日記(2004.2.13付)では「ドーハの後、フランスの後に比べたら全然まし」「最終予選までには」とのコメントがあるが・・・そう願いたいが・・・。

 来年の最終予選は、4チーム×2→各組2位上がりは決定、3位同士が対戦→別大陸とのプレーオフなのに対し、今回の一次予選では4チーム×8で各組1位のみが最終予選に進出。そういう意味では、一次予選の方がシビアだが、結局オマーンとのマッチレース、でしょ?

 とりあえづ、殺伐といきたい。

***

 シドニー五輪男子蹴球アジア最終予選・UAEラウンドに望む日本代表が発表された。
 いや、偽大久保(C大阪)、川島(大宮→名古屋)が代表から漏れたのもある意味驚きだが、根本裕一(V仙台→大分)が落ちるとは・・・。確かに、テストマッチ2連戦では精彩を欠いてはいたが・・・あのポジション(左WB)は森崎(広島)がやるのか??



2004年02月16日(月) 〜決戦前々夜〜7年前の一次予選

 といっても、これ書いてるのは2月16日(月)朝なのだが。
 昨夜寝ているとき、ふと「7年前のW杯一次予選はどんなんだったのか」というのが、細かい中身まで思い出せなかったので、調べて書いておく。


***
◎フランスワールドカップアジア一次予選4組
(日本、オマーン、ネパール、マカオの4チームによる2回戦、ダブルセントラル方式)

○オマーンラウンド
・1997/3/24
ネパール 1(1−1)1 マカオ
      (0−0)

オマーン 0(0−1)1 日本
      (0−0)
【得点】10分(日本)小村
【日本】川口、柳本、相馬、井原、小村、山口、名波、本田、森島、カズ、城
*共同通信報道
 せっかくの勝利にも、イレブンに笑顔はなかった。ホイッスルが鳴った後、うつむきながら、サポーターの陣取るスタンドの方へ歩く。照明を浴びる背中には、なぜか落胆の色がまじった。
 W杯予選で第1の難関だったアウエーでのオマーン戦。その壁を越え、ひとまずほっとしたはずの加茂監督から本音が漏れた。1−0のスコアに「2−0にしたかった。もう1点取ってたら、1次予選は終わってた」と言うのだ。
 確かに、ライバルのオマーンに2点差で勝っておけば、6月のホームでの2回戦を優位に進めることができる。だが、ベンチのいすから立ち上がり、大声で指示を飛ばしても、追加の1点を手にすることはできなかった。
 最悪でもこの初戦に負けることを避けたかった日本は、先制してから失点を防ぐための安全策で、攻撃面がいまひとつおろそかになったようだ。
 アタックを仕掛けるメンバー交代もゼロ。加茂監督は「守りのリズムが崩れていなかったから。1−0の試合は難しい」とその理由を説明した。
 決定的なシュートを打てなかったFWの三浦知は「ぼくと城はマークされるので、後ろが早く来てくれないと…。チャンスがなかった」と守備重視のいらだちを言葉に込めた。
 組織的な防御のよさが好材料となった半面、前に出ていこうとする意識が最後まで続かなかった第1戦。格下のマカオ、ネパールを相手にした今後の戦いでは、守備プラス攻撃力が望まれる。
 冷や汗の終了間際
 終了間際のロスタイム中に、日本は2度も冷や汗をかかされた。もし失点しても望みが消えるわけではなかったが、4年前のドーハの悪夢を思い起こさせた。
 まずは右ロングスローを途中出場のザービが頭でシュートを狙うと、ボールはGK川口の頭を越えてバーへ。直後には、川口が相手の低いロングパスを前に出て処理しようとしたところ「(ペナルティーエリアの)ラインから出てしまって、手を使えなかったので」と後ずさりしてファンブル。突っ込んだ相手FWにボールを引っかけられ、あわやの場面になった。

・1997/3/26
マカオ 0(0−3)10 日本
     (0−7)
【得点】(日本)高木3(広島)相馬(鹿島)三浦知2(川崎)=PK1、名波(磐田)森島3(C大阪)
【日本】川口、柳本、相馬、井原、小村、山口(→北澤)、名波、本田、森島、高木(→岡野)、カズ

オマーン 1−0 ネパール

・1997/3/28
ネパール 0(0−1)6 日本
      (0−5)
【得点】(日本)城(横浜M)高木3(広島)小村(横浜M)本田(鹿島)
【日本】川口、柳本(→中村忠)、相馬、井原、小村、山口(→北澤)、本田、名波、森島、高木、城

オマーン 4(2−0)0 マカオ
      (2−0)

○日本ラウンド(国立)

・1997/6/22(日)
ネパール 0(0−3)6 オマーン
      (0−3)

日本  10(6−0)0 マカオ
      (4−0)
【得点】(日)17分、61分中田、20分西沢、23分、29分、44分(PK),57分(FK),62分、79分三浦知、42分名波
【日本】川口、井原、秋田、相馬(→名良橋)、中村忠、山口、名波、中田英、本田(→森島)、三浦カズ、西澤(→平野)
<カズ自己記録更新>三浦知の1試合6得点は、W杯予選では1993年4月11日のアメリカ大会予選バングラデシュ戦(国立)で三浦自身が記録した4得点を抜く最高記録。国際Aマッチを含めても67年9月27日のメキシコ五輪予選フィリピン戦(国立)の釜本邦茂、83年9月7日のロサンゼルス五輪予選フィリピン戦(国立)の木村和司の6得点に並ぶ最多タイ記録。

・1997/6/25(水)
マカオ  0(0−1)4 オマーン
      (0−1)

日本   3(1−0)0 ネパール
      (4−0)
【得点】(日本)44分西沢、72分、87分三浦知
【日本】川口、井原、秋田、相馬、名良橋、山口、名波(→北澤)、中田英(→森島)、本田(→望月)、三浦カズ、西澤
*井原正巳がAマッチ通算100試合出場達成

・1997/6/28(土)
マカオ 2(0−1)1 ネパール
     (2−0)

日本  1(1−0)1 オマーン
     (0−1)
【得点】(日)4分中田(オ)18分サミル
【日本】川口、井原(→秋田)、相馬、斉藤俊秀、中村、鈴木秀人、山口、名波、平野(→岡野)、中田英、三浦カズ

***
 記録が長くなったが、俺自身の記憶が・・・あまりない。

 オマーンラウンドのときは、ちょうど仙台から東京への異動(今の会社への復帰)の直前で、結構ばたばたしていた記憶はある。で、日本の試合が3試合とも23時JST開始で、「とりあえづ最初のオマーン戦がヤマ」とは思いつつ、寝て、朝起きたら勝っていた。こんな感じ。

 で、そんなこんなで日本ラウンドは余裕で迎えて、初日は2試合、中日は日本戦は見ているはずだが、記憶がない・・・。で、千秋楽。この日はえらい雨で、とりあえづ第一試合(16時半開始)のマカオ−ネパール戦はBSで見る。で、戦前はネパール優勢の報道だったのだが、マカオが健闘して逆転勝ちで、場内大盛り上がり。で、国立行こうかと思ったが、
・この時点で、日本は9点差以内での敗戦でも一次予選は通過できていた
・この大会では、JFA後援会会員は当日会場に行けばチケットが「無料」で貰えたので、金的にはあまり痛くない
・風雨が激しかった
ので、結局欠場。食事買いに行って、帰ってきたら前半15分くらいだったので、ヒデの先制ゴールは見ていない。気づいたら同点で試合終了。

 やっぱ、最終予選の印象が強くて、一次予選はほとんど記憶にない、というのが正直なところ。

 ちなみに、ブランメル仙台(当時)は、オマーンラウンドの頃はナビスコ杯予選リーグ。清水、市原、そしてロペス・中田英を擁する平塚相手に1分(清水)5敗・・・。日本ラウンドの時は、エルスナーが辞任し、ルス体制でスタートしたデンソー戦(刈谷)。松永奮闘空しく、小林Vゴールで0V1で敗戦したのが、開幕前日の6/21(土)で、これで7連敗。で、日本の最終予選進出が決まった翌日の6/28(日)には、甲府相手にボンバー大倉の二発で2−0で勝利している。
 ついでに、U18クラブユース北海道・東北予選では、塩釜FC、C札幌に敗れて全国大会出場ならず・・・。

***

 さらに遡ること、1993年アメリカW杯の一次予選になると、確か日本・UAE・タイ・バングラデッシュ・スリランカの5チーム中1チーム進出で、日本・UAEのダブルセントラル。日本ラウンドの、最初の日本−タイ戦が神戸ユニバで、他が国立だったかな。

○日本ラウンド
日本 1−0(1−0)タイ    カズ
日本 8−0(3−0)バングラ  カズ4、高木2、福田正2
日本 5−0(3−0)スリランカ 高木2、柱谷哲、カズ2
日本 2−0(1−0)UAE   柱谷哲、高木

○UAEラウンド(1993/4/28−5/7)
日本 1−0(0−0)タイ    堀池
日本 4−1(3−1)バングラ  福田、カズ、吉田(磐田)、高木
日本 6−0(2−0)スリランカ ラモス、井原2、高木、カズ、中山
日本 1−1(0−0)UAE   澤登

 このときはJリーグ開幕直前。俺は名古屋在住。試合は・・・「お、やってるね」程度の関心だった。



2004年02月15日(日) 急募/結局/KDDI、固定を子会社化へ

<急募>
 俺のHPのサッカーのページを、2月12日以前のデータで保存(IEの履歴に残っている)方、どなたか私までメールで送ってください。なぜか、リンク集以下の部分が飛んで(日本語コメントが消えて)いるんで・・・。

***

 で、今日はどこ行くかな、と考えたあげく(というか、何も考えずに)自宅(および食事)で過ごす。そういや、松屋の牛めし。昨日夕方時点では、浅草では売り切れだが、本八幡では売っていた。で、今日の昼に行ったら売り切れていた。
駒場アゴラ劇場に行って、「エンヤ・ドット」(という名の、体育座りによる席詰め)やってもよかったが・・・って、劇団I.Q150の新作「浮人形」東京公演。

 まー、来週からは週末があーだこーだで忙しくなりそうだから・・・。
 以下は、あくまで「予定」ね。
2/21,22 苫小牧(JIHL 王子−日光)
2/28,29 Vリーグ女子決勝ラウンド1R/日光 (JIHL 日光−日本製紙)*リーグ最終戦。
3/6,7   大阪/名古屋(NPBオープン戦 大阪/中日−千葉)
3/13,14 Jリーグ開幕(三ツ沢)/五輪予選(埼玉スタジアム)
3/20.21 V仙台ホーム開幕戦(21日は今のところ未定。何もなければマリン)
3/27、28 NPB開幕戦(積水ドーム、西武−千葉)28はJFL開幕戦?
4/3,4   今のところ、4日はカシマ(鹿島−名古屋)。3日はマリン?
4/10,11 今のところ、佐賀競馬/鳥栖(鳥栖−V仙台?)
4/17,18 大宮(大宮−V仙台)/五輪蹴球女子予選(日本−ベトナム)?船橋市民フェンシング大会?
4/24.25 五輪蹴球女子代表決定戦(日本−北朝鮮)/25は未定

 ってまずい、明日からの研修のために、事前に本を一冊読まないといけない。がんばって読もう。

***

 夕食を食べに入った店で、産経新聞を見ると、こんな記事が一面に。
 KDDI,固定通信を子会社化へ
 KDDIは、元々KDD(国際)+DDI(国内/データ)+IDO(携帯)の3社が合併してできた会社で、結局儲からない部分を子会社化→最終的には売却、ということになるのだろう。となると、売却される国際・国内・データをどこが買うのか?まさか、リップルウッド??



2004年02月14日(土) 女帝/今年の初突き

 バレンタインデー。結局、10日に貰った1個のみ。

 昼にマンガ喫茶で飯食ったのだが、「女帝」24巻、4時間かけて一気に読んだ。
 このマンガは、熊本から上京した彩香が、「女帝」になるべく銀座のスナックで奮闘するもの。現在、週刊漫画ゴラクで、その続編ともいうべき「女帝・花舞」(彩香の娘・明日香が京都・祇園で舞妓として奮闘する)はずっと読んでいるので、その前編である「女帝」はまだ読んでなかったので、前前から読もう読もうとは思っていたが、やっと読んだ。
 ・・・失敗したなぁ。マンガ喫茶の料金、3時間セットコースで頼んでおけばよかった(爆)。

***

 夜は、やっとこさ今年初のフェンシングの練習へ。去年というか昨年度も、9月末の千葉県民大会以来、なんだかんだで(土曜日夜が埋まってて)ずっとフェンシングやってなくて、初突きが2月8日だったから、まー、あんまり変わらないか。で、アップで体が硬くなっていることに愕然。フットワークやって、ファント10本打ったら、左足(俺はフェンシングは左利き)太腿裏がぴりっときた・・・。あとは、ファイティング(フルーレ)3試合。結果は・・・省略。

 さて、明日は・・・もともとの予定では、アルビレックスチアリーダーを見に、代々木第二(東芝−新潟)行こうかと思ってたが、アウェイ戦にはチアは出ないらしいのでパス。Vリーグ最終戦は草加で、パイオニア−茂原という、俺的には(どっちも贔屓してるので)微妙なカードだが、今日の試合の結果で、茂原アルカスのV1リーグ入替戦出場が決定したので、(パイオニアも決勝ラウンド進出決めてるので)消化試合になるのでやっぱりパス・・・。



2004年02月13日(金) 明日はバレンタインデー

 去年は、4名から1個のみ・・・。今年は、既に10日(火)の段階で1個貰った。但し4名から。さて、・・・ま、これで打ち止め、かな。



2004年02月12日(木) 日本2−0イラク

 さすがに2月にA代表&五輪代表5試合あって、しかもイラク相手では、キリンも懲りたか?今回は「キリンチャレンジ」の冠はつかない、ただの「国際親善試合」。でも、キリンの環境キャラ「えこじろう」は登場。

○国際親善サッカー 2004年2月12日(木)19時23分 国立霞ヶ丘競技場 晴 主審:權鐘哲(KOR) 副審:金大英、アブドゥラー 観衆:38,622人

日本 2(0−0)0 イラク
    (2−0)
【得点】46分(日本)柳沢敦
    84分(日本)三都主アレサンドロ

 ・・・まぁ、負けなくてよかったとは思うが・・・
 ○っても柳沢か。あとは、楢崎の6試合連続完封(欧州遠征2+カメルーン戦+東アジア3試合+この試合)=代表新記録にふさわしいナイスセーブの数々。でも、そのナイスセーブを生んだのはDFラインの乱れだったりするのだが。

 個人的には、1−0でロスタイム突入→イラク、右CKゲット!→ショートコーナーから・・・という展開を見たかったが・・・ロスタイムにはイラクCKも取れずじまいだった。

 で、試合終了後、W盃予選オマーン戦・代表合宿のメンバーが発表。こちら。っていうか、まさか試合直後に発表されるとは・・・。
 偽大久保、石川ナオ、奥様、ヤマタクらが外れた。



2004年02月11日(水) 日立佐和1−3シーガルス/茂原1−3久光/東北クラブユース新人戦最終日

 年に一回の?Vリーグ女子観戦ということで、今年は船橋アリーナへ。
 去年の4月に自分の試合で行ったときはバイクで行ったのだが、寒いんで今回は電車で。本八幡から西船橋、東葉高速で船橋日大前下車したら、640円・・・。しかも東葉高速は15分に1本しか来ない・・・。

***

○第10回バレーボールVリーグ女子 2004年2月11日(祝)13時 船橋アリーナ 主審:大塚達也 観衆:2,601人

日立佐和  1(19−25)3 シーガルズ
リヴァーレ  (26−28)
       (25−22)
       (19−22)

 いやー、「日立佐和の応援が面白い」という噂は聞いていたが、本当に面白い!リーダーがパンチパーマにグラサンかけて、まるで横山やっさんみたいな風貌で、その風貌でソーラン節は踊るわ、ピンクレディーメドレー(UFO,サウスポー、ペッパー警部)を原曲の振りそのままで踊るわ・・・。女子中学生がいっしょになってソーラン節を踊るわのノリのよさ、でも試合は・・・。


○第10回バレーボールVリーグ女子 2004年2月11日(祝)15時27分 船橋アリーナ 主審:小柴滋 観衆:2,601人

茂原   1(19−25)3 久光製薬
アルカス  (11−25)  スプリングス
      (25−14)
      (23−25)

 茂原アルカスについては、去年も試合を見ている(観戦メモこちら)。で、結局茂原は去年のV1リーグで準優勝、Vリーグ拡大に伴って自動昇格を果たすものの、ここまでリーグ戦10チーム中最下位。しかし、今日は「ホーム」千葉県での試合。客席も半分以上が茂原の応援。おまけにチアリーダー18名までいて、セットの合間にはアリーナで踊る!(久光のチアは4名のみ、アリーナでの踊りはなし)。
 試合は、・・・しかし、すでに決勝ラウンド進出を決めている久光との実力差は明らか。3セット目こそ、久光がメンバーを落としたおかげで取れたが、4セット目もリードを奪い、あわよくばとは思ったが・・・。

 結局、この時点での順位は
1位 パイオニア 13勝3敗
2位 久光製薬  12勝5敗
3位 東レ    12勝4敗
4位 NEC   11勝6敗*ここまで決勝ラウンド進出決定
5位 シーガルス 10勝8敗
6位 デンソー  6勝11敗
7位 JT    5勝12敗
8位 武富士   5勝12敗
9位 日立佐和  5勝11敗
10位 茂原    4勝11敗 で、茂原は残り試合が3試合と多いとはいえ、JT,日立佐和、パイオニアと難敵が続く・・・。(9,10位チームがV1リーグの優勝、準優勝チームと入替戦)

***

 東北クラブユースサッカー(U17)新人大会は、J村で本日最終日。
FCみやぎ 8−0 モンテディオ山形
塩釜FC  4−3 ベガルタ仙台
・・・FCみやぎが初優勝、塩釜FCが準優勝で、プリンスリーグ東北に出場。
 V仙台は3位で、プリンス東北出場ならず・・・はーっ。

 



2004年02月10日(火) いつのまにやら

 今のアパートに住み着いて、2年になるのね。
 そういや、まだ契約書が(大家の判子押されて)戻ってきてないのだが・・・大丈夫なのか?確かに、俺は住民票入れるの忘れたけどさぁ・・・。

***

 歯医者5回目。C2の虫歯で、仮歯を作って詰めたのだが、ショックだったのは、麻酔をしたこと。麻酔をするほどでかい虫歯が2年間の間にできていたのか・・・。待てよ、虫歯全部で6本だったから、6回も麻酔をする、ということか??


P.S.みちのくぼちぼちスポーツから来られた方へ:
 リカルドの話は昨日(2/9)でした。こちら。



2004年02月09日(月) そういえば/HP旗揚げ7年目にして

 昨日の日記で、BANFF TOHOKU主将のリカルド比嘉の経歴を「沖縄かりゆし−FC琉球」と紹介したが、よく考えてみたら、例の「なぎらキック」事件のきっかけとなるハンドをしたのが、このリカルドだったということに、2chを見て思い出した。

*なぎらキック:1999.10.24 J2 V仙台0−1(0−0)新潟。
 この試合で、後半ロスタイムに仙台GK石川が蹴ったボールを、新潟の誰か(外人という話だが、この試合で新潟の外人はリカルドしか出てないのでリカルド?俺はこの試合見てないし)が堂々とハンド、主審大西弘幸はそれを見て「プレーオン」のジャッジ。結局その流れからリカルドが決勝ゴール。
 試合終了後、バックスタンドから観客が飛び降り、主審・大西にジャンピングニーパットをかます。この観客の風貌が、なぎら健壱に似ていることから、この事件が「なぎらキック」事件と呼ばれて、後世に語り継がれている。この騒動で、ベガルタには罰金300万円。
 その試合についての記述:松崎さんとこ もひとつ見つけた。
 なお、そのなぎらオヤジは、現在は仙台スタジアムのボランティアとして活躍している。新聞記事:こちら。

***

 HP旗揚げ7年目にして、初めてJava scriptを使ってみた。
 意外に?うまく動いたのでほっとした。



2004年02月08日(日) 日本1−1イラン/全日本足猿/東北クラブユース新人戦中日

 昨日はWWE見て、帰ってきて風呂入って、スーパーサッカーにモンキーターンまで見て、寝たのが2時前。全日本フットサル決勝(12時、駒沢)を見に行くつもりだったが、起きたら10時だったのでパス。結果は・・・

BANFF東北(宮城) 3−1(2−1) FIRE FOX(東京)
*BANFF東北は初優勝!
「全日本」の冠ついた蹴球大会で東北勢が優勝するのは男子では初めてでは?
 記録はこちら。でも、リカルド比嘉(沖縄かりゆしFC−FC琉球)がBANFFの主将を務めていることからみてもわかるとおり、いわば「全日本に出るために宮城県で登録した寄せ集め集団」らしい。明日の、宮城県・東北マスコミの扱いがある意味楽しみである。

***

 というわけで、予定通りさいスタへ。屋台村でクラムチャウダー500円を食べて、出店でじゃがいも一個丸かじり400円を買って。あー、寒い。

○麒麟チャレンジカップサッカー 2004年2月8日(日)19時23分 晴 埼玉スタジアム2002 主審:サレー(マレーシア)副審:アブドゥラー(マレーシア)、金大英(韓国) 観衆:21,414人

U−23 1(1−0)1 U−23
日本代表  (0−1)  イラン代表
【得点】19分(日)平山
    61分(イ)モバリ(FK)

 メンバーは気が向いたら。

 とにかく、平山はやはり「時の人」である、ということで。

 帰りに、いつものように出店で焼き串を買って、食べながら浦和美園駅まで歩くのだが、去年までは牛串だったのが、今年見たら鳥串だった。ここにもBSEか。

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 Jヴィレッジで、現在東北高校新人戦と、東北クラブユース(U−17)新人戦が並行して行われている。クラブユースの方は、V仙台、FCみやぎ、塩釜FC、M山形の4チームによる総当りリーグ戦で、上位2チームが東北プリンスリーグへの出場権を得るのだが。
 V仙台 1−2(1−2)FCみやぎ。観戦記はこばさんとこ。
 この結果、FCみやぎは2勝で2位以内が確定。V仙台は、プリンス出場権を賭けて、塩釜FCと2月11日にJヴィレッジで対戦する。引き分けではだめというのも、よく考えたら去年と同じシチュエーションなんだな(去年はV仙台が勝利したが)。というか、何が一番ショックかって、

「ベガルタ仙台ユースが、東北クラブユース連盟所属チームに公式戦で敗れた」こと。2CHでは、我々(ベガサポ)の必死さを批判するコメントもあるが、サポーターたる以上、必死になるのも当然、だと言いたい。
 俺の調べだと、最後に東北クラブユース連盟所属チームに負けたのは、99年6月の全日本クラブユース予選リーグ、水沢FC2−1V仙台。(この年は3位決定戦で勝利し、全日本クラブユースに出場したが)




2004年02月07日(土) WWE RAW さいたまス−パーアリーナ大会

 全日本フットサル選手権で、宮城県のチームが決勝に進出したそうだ。
 明日、気が向いたら行ってみようと思う(駒沢にて12時)。

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○WWE RAW”ROAD TO WRETSLEMANIA”
2004年2月7日(土)18時 さいたまスーパーアリーナ 観衆:19,971人

 詳しいレポートはここ。

 いや、何が凄かったって、さいたまスーパーアリーナ。5Fの2千円の席、ヤフオクで3千円で落としたのだが、バックスタンドの感じが神戸ウイングに似ている。5Fの席は、なんかとってつけた感じで、正直怖かった。けど、見晴らしはばっちり。

 で、試合前には偽ロック様が会場アリーナを歩き、会場を盛り上げる。

・第一試合 1/無制限
○ザ・ハリケーン(13分24秒 片エビ固め)クリスチャン×
*シャイニングウイザード

・第二試合 インターコンチネンタル選手権 1/無制限
○[王者]ランディー・オートン(14分38秒 片エビ固め)[挑戦者]マット・ハーディー×
*RKO(オートンが防衛に成功)

・第三試合 WWE女子選手権 1/無制限
○[王者]モーリー・ホーリー(17分24秒 体固め)[挑戦者]リタ×
*モーリーゴーランド(モーリーが防衛成功)
 試合途中、モーリーが負傷?!レフェリーがみんな集まって、モーリーが運ばれてリングを出る・・・ところで実はうそだよーん!って、あーた。。。

・第四試合 RAW世界タッグ選手権 1/無制限
○[王者組]リック・フレアー、バティスタ(バティスタ 24分57秒 片エビ固め ディーボン)[挑戦者組]ババレイ・ダッドリー、ディーボン・ダッドリー×
*スパインバスター(フレアー組が防衛成功)
 いやー、やっぱり一番の見せ場はフレアーの足四の字固めでしょう。

・第五試合 1/無制限
○ペガサス・キッド−ライオン道×
・・・いや違った。
○クリス・ベノワ(21分46秒 クリップラー・フェースロック)クリス・ジェリコ×

 で、ここでストーンコールドとビショフが登場。掛け合い漫才を始めて、乾杯で握手したと思ったらスタナー!その後はダッドリーズ、ステイシー、リタ、ハリケーンの6人がリング上で大暴れ?100本もの缶ビールがリング上に舞う、さらにはリングサイドのKONISHIKI、武蔵丸とも乾杯!

 リングがビールまみれになったところで休憩。この時点で20時55分。

・第六試合 1/無制限
○ケイン(10分45秒 体固め)ロブ・ヴァン・ダム×
*チョークスラム

・セミファイナル 1/無制限
○リコ(8分27秒 片エビ固め)テスト×
*ジャッキーがエプロンから自らの胸をはだけ、テストが思わず手を放して近付いたところにラウンドハウスキック

・メイン RAW世界ヘビー級選手権 1/無制限
○[王者]HHH(26分15秒 体固め)[挑戦者]“HBK”ショーン・マイケルズ×
*ペディグリー(HHHが防衛成功)

 ・・・終了22時15分頃。で、さらに(客席が7割方はけたところで)またストーンコールドが登場し、ビール飲んでたらしい。
 どうやらあのビールはアサヒらしい。



2004年02月06日(金) さぁ、代表ウィークだ

 アイスホッケーは、今週末が国際試合ウィークらしくて、ご多分に漏れず、現在長野カップが開催中。

 一方、蹴球男子は、A代表が7日(土)マレーシア戦(カシマ)に12日(木)イラク戦(国立)。五輪代表は8日(日)イラン戦(埼玉)、11日(祝)ロシアA代表戦(エコパ)。しかし、チケット余りまくり・・・。俺はなぜか?明日のWWEのチケット、一番安い2千円の席を3千円で落とした(謎)ので、マレーシア戦は欠場。しかし、マレーシア戦のチケットが手元にあるんですけど・・・。
 まぁ、この2月にナイターでやる方が間違っている、と俺的には思う(木曜のイラク戦は仕方ないとしても)。

 で、今日、来週末に行われるU−19代表中国遠征のメンバーが発表され、リアル大久保は落選・・・。



2004年02月05日(木) PCをリストラ

 じゃなく、リストア。

 メインのPC(東芝DynaBook SS3490。B5)は、会社で自宅で持ち歩いて使ってるのだが、今日会社で印刷しようとしたら、なぜか印刷エラーが発生して印刷できず。パーティションを、CとDの2つに分けて使ってるので、Dドライブにデータ関連を全部移動させて、Cドライブだけリストア実施し、快適に?現在使用中。

 普段使ってる各種ソフト(秀TermとかNextFTPとか)は、この機会を利用して最新版をインストール。失敗したのは、ATOK(Win2K対応)が手元にないため、辞書ファイルがぶっとんだ(現在はMS-IME使用中)のと、IEのお気に入りが・・・。



2004年02月04日(水) 最近…

 ODNのHPの方で取れるアクセスログは、アクセス時間&アクセス元IPである。どこから飛んできたかはわからん。
 一方、この日記(enpitu)のアクセスログは、アクセス日&リンク元が分かる(但し、本日&前日分しか参照できない)。で、時々この日記のアクセスログを見てみると、意外?なところからリンクが貼られていて、正直面食らう。例えば、FC東京のバレーのこと書いたら、ここに紹介されたりとか、アジア女子バスケのこと書いたら、ここに紹介されたりとか。

 まぁ、有名税みたいなものなのかな…。ベガルタ仙台粗塩のBBSに、俺のHPの日記が張られて、一日で600ヒットくらいいったし。でも、「顔が見えない」というのは正直怖いよね…。

ちなみに、上記の(俺のHP引っ張ってた)サイトは、二つともはてな系なのだが、俺もはてなアンテナは使ってる。但し、サイトを登録するのが面倒なので、フェンシング関連のみ。しかも、フェンシングで定期的に更新してるのって(BBSは別にして)、日本協会と、高円宮杯実行委員会くらいだから、この2つしかアンテナに登録してません(爆)。



2004年02月03日(火) さらば、牛丼…

 BSEだなんだで、米国産の牛肉の輸入が禁止されて1ヶ月少々。
 その供給を殆ど米国に頼っていた各牛丼チェーンは、続々と牛丼の販売を打ち切りだした。なか卯、すき屋。そして松屋、吉野家もそのうち打ち切るだろう。
 神戸らんぷ亭というから、てっきり神戸牛を使っているので、今回の騒動に影響はない…と思ったら、ここもやっぱ米国産牛肉使用らしい。というか、「神戸」らんぷ亭という割に、神戸に店舗がないのはなぜなんだスティーヴ!

 牛丼と並んで、影響が深刻なのが仙台牛タン。てっきり仙台牛だと思ったら、これもやっぱり米国産牛を使用してるらしく、これも(在庫という点で)危ないらしい…。



2004年02月02日(月) プライド第4ピリオド

 …仕事にはまって見逃した(自爆)



2004年02月01日(日) 今日から2月

 やっとまともなのが出た(謎)。

***

 何も用事のない休みの日は、だいたい昼か夜のどちらかにはマンガ喫茶に行ってる。で、昨日と今日で、モンキーターンのデビュー以降最新刊まで読破。
 今日は結局、本八幡から出ずじまい。今後の週末の予定を考えると、

2/7 (土)WWE 1800さいたまスーパーアリーナ
2/8 (日)麒麟杯 日本−イラン(1920埼玉スタジアム)
2/11(祝)Vリーグ シーガルス−日立佐和、久光製薬−茂原(1300?船橋アリーナ)
2/14(土)今のところフリー。今年初練習?
2/15(日)JBL 東芝−新潟(1600代々木第二)?一回アルビレックスチアリーダーは見ておきたい(爆)
2/21,22 王子−日光(苫小牧)
2/28(土)Vリーグ女子決勝戦第一ラウンド(1300、東京体育館)?
2/29(日)JIHL 日光−日本製紙(1400、霧降)
3/6 (土)練習?大阪−千葉?
3/7 (日)中日−千葉(1300、ナゴヤドーム)


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