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2021年10月30日(土)
音楽堂室内オペラ・プロジェクト『シャルリー 〜茶色の朝』

音楽堂室内オペラ・プロジェクト『シャルリー 〜茶色の朝』@神奈川県立音楽堂


WW1〜2間に発表されたクルト・ヴァイル等「禁じられた音楽」のコンサート、オペラ上演、クロストークの三部構成で充実の内容。演奏家がオペラにも出演し重要な役割を果たす。アンサンブルKのチームワークが見事。字幕の文体もシンプルに恐ろしさを伝えて効果的。……それにしても、二年前に招聘プロジェクトをスタートさせたこの作品が、昨日と今日上演されるとはすごいタイミング。10/30は衆議院議員総選挙の投票日だったのだ。プロデューサーの方、シビれたのでは。

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<第吃堯筺ー柴盂撻灰鵐機璽函扮藾奸Д▲鵐汽鵐屮K)
ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル:『三文オペラ』より「メッキー・メッサ―の哀歌」(1928)
モーリス・マーグル/クルト・ヴァイル:「セーヌ哀歌」(1934)
ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル:『三文オペラ』より「大砲ソング」(1928)
ロジェ・フェルネ/クルト・ヴァイル:「ユーカリ」(1934)
アルヴィン・シュルホフ:「ヴァイオリンとチェロのための二重奏」(1925)より
パウル・デッサウ:「ゲルニカ〜ピカソに捧げる」(1937)
ブルーノ・ジネール:パウル・デッサウの“ゲルニカ”のためのパラフレーズ(チェロ、クラリネット、ピアノ、パーカッションのための)(2006/日本初演)
演奏:アンサンブルK(アデール・カルリエ/sop、エロディ・ハース/vn、グザヴィエ・フェルタン/cl、マリー・ヴィアール/vc、セバスチャン・デュブール/pf、グレゴリー・マサット/perc)

<第局堯筌屮襦璽痢Ε献諭璽觝邏福悒轡礇襯蝓次船侫薀鵐・パヴロフの小説「茶色の朝」にもとづくポケット・オペラ』日本初演(フランス語上演・字幕付)
演出:クリスチャン・レッツ
照明デザイン、技術監督:アントニー・オーベリクス

<第敬堯篋邏焚肇屮襦璽痢Ε献諭璽襦淵ンライン)を囲むクロストーク(日仏通訳付)
ゲスト・スピーカー:やなぎみわ(美術作家・舞台演出家)


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事前情報を殆ど入れないまま行ったので三部構成とは知らず、ステージに楽器が置かれているのを目にしたときは「ひょっとして本来のカンパニーが来られなくなって、オペラ楽曲のコンサートだけになった!?」とオロッとする。しかし演奏された一曲目は「Mack The Knife」。ますます「???」となり、休憩時間に慌ててプログラムを開く。演奏されていたのは『三文オペラ』の「メッキー・メッサーの哀歌」、つまり「Mack The Knife」の原曲です。クルト・ヴァイルの作品が多い、ということは? 解説を読み、演奏されたのがナチス政権下で「頽廃音楽」とされ、ドイツを追われた作曲家たちの作品を中心に構成されたものだということを知る。この時点でもう背中がヒヤリとするような気分。

さて、第局堯悒轡礇襯蝓 〜茶色の朝』。上演時間は45分とコンパクト。ちなみに「ポケットオペラ」という名称、かわいいなーと由来を調べてみたら、イタリア語の「Opera Tascabile(ポケットサイズのオペラ)」が原語のようだ。フランス語では「Opéra de Poche」というみたい。

 原作は1998年に発表されたフランク・パヴロフの短編。一部1ユーロで配布することから始まった11頁の小冊子が、全体主義/排外的に傾いていたフランスの政局を動かすことになる。邦訳は絵本の体裁をとり、2003年に出版されている

出演者は第吃瑤汎韻検屮▲鵐汽鵐屮K」の面々。もともと「禁じられた音楽」「収容所の音楽」を発掘し演奏するプロジェクトを続けていたカンパニーで、『シャルリー 〜茶色の朝』世界初演のメンバーでもある。ソプラノ、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、パーカッションの六人編成。コンサートでは正装だった彼らが、私服にも見える普段着の衣裳に着替えて登場。紗幕で仕切られたステージの前方(客席側)でソプラノが唄い、後方でミュージシャンが演奏する。ミュージシャンたちはときに演じ手とともに唄い、ときに紗幕を超えて演じ手に茶色い服を着せたりと黒衣の働きもする。その姿はまるで、主人公をじわりじわりと拘束する勢力にも見えてくる。

主人公の住居である椅子、テレビ、ゴミ箱が置かれた空間で、登場しないタイトルロールである「シャルリー」と過ごす時間を、ソプラノがほぼひとりで演じる。この「ひとり」というのが効果的。個人の妥協がやがて取り返しのつかないことになり、結託する間もなくひとりひとり拘束されていくという恐怖がありありと伝わる。噂好きの、目に見えない集団によっていつの間にか自由が奪われていく。助けてくれるひとは誰もいない。袋に入れたペットをゴミ箱に捨てる場面で、ショパンの「子犬のワルツ」が流れる。こんな親しみ深い曲に乗って、ファシズムはやってくる。

それにしてもこの「なあなあ」感、序盤から危うい。「茶色がもっとも都市生活に適していて、子どもを産みすぎず、えさもはるかに少なくてすむ」と「選別テストで証明」されているという尤もらしいお達しに「問題を解決しなきゃ」「仕方がない」と尤もらしい言い訳で、「自警団」が無料配布している毒入り団子で今飼っているいぬやねこを殺処分してしまう“一般市民”のやべー感。しかし、モヤモヤしつつもその違和感を心の隅に押しやってしまう様子には、こちらも身に覚えがあり過ぎる。新聞が廃刊しても、出版物が撤去されても、排除される側に問題があったのだと思い込もうとする。自分が声をあげなくても、誰かが反対してくれるだろう……。主人公と自分との間に違いなどあるのだろうか?「なあなあ」が「あるある」になる恐ろしさ。

主人公の最後の台詞は「今行くから」。強制連行とは名ばかりで、自らの足で進んでその一員になるという意味にもとれる。長いものに巻かれるって楽よねえ。吉本隆明が何かで「人気のあるもの、売れているものにはそれだけの理由がある」みたいなことをいっていたが、多くの支持を得るものは、同時に警戒すべきものなのだ。ソプラノが唄いあげた「笑いの型」に背筋が寒くなったのは、自分がまだ集団の熱狂に巻き込まれていないということなのだろうか。しかし、持ち堪えられるのはいつ迄だろう?

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ジネール(オンライン参加)とやなぎみわさんとのクロストークも刺激的だった。やなぎさんは『シャルリー〜』を「亡命のオペラ」と表現した。そして、台湾での初演を控えている自身のプロジェクト(『アフロディーテ 〜阿婆蘭』)のことを話した。オブラートに包んだいい方をしていたが、この作品は台湾で再演出来るだろうかとも危惧していた。中国は、今後6年以内に台湾へ侵攻する可能性があるともいわれている。香港で起こったことを目にしていれば、不安になるのも無理はない。

『アフロディーテ 〜阿婆蘭』は、舞台を装備したデコトラであるステージトレーラーで上演される。やなぎさんは冗談めかして「さっと上演して、さっと去ることが出来る」と話した。ゲリラ的な上演が出来るということだ。そんな状況がいずれ訪れるのだろうか? 逆にいえば、『シャルリー〜』のような作品が招聘出来ている今の日本には、まだ希望があるともいえる。

やなぎさんの2000年代の作品に『フェアリー・テール:エレンディラ』がある。自由を手にするために、あるいは自由が目の前にある瞬間、自分はエレンディラのようにひとりで駆け出すことが出来るだろうか? ジネールは「芸術はレジスタンスだと思っている」「芸術家が抵抗しなくなったらおしまいだ」と話した。「皆さんの朝が茶色一色ではなく、赤や黄色や青や緑であることを願っています」。

ポケットオペラとトレーラーはその機動力を活かし街から街へ。亡命のオペラである『シャルリー〜』、移動劇場の『アフロディーテ〜』。レジスタンスのキャラバンとなるか、どこからも追われ放浪することになるか。今はまだ判らない。

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先日観た『A JOURNEY 記憶の中の記憶』でも、搾取、断絶、革命についてスピーチするベジャールのヴォイスコラージュを聴いた。こういうのって続くものだな。呼ぶというか。会場の神奈川県立音楽堂、図書館、青少年センターと、前川國男の名建築群も拝見し充実した休日でした。

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・ブルーノ・ジネール作曲「シャルリー〜茶色の朝」日本初演(フランス語上演・日本語字幕付)┃音楽堂室内オペラ・プロジェクト

・「ノン」の勇気、なければ「茶色の朝」訪れる ベストセラー作者フランク・パヴロフ語る┃朝日新聞デジタル

・曖昧な時代の今こそ聴くべきポケット・オペラ『シャルリー 〜茶色の朝』日本初演〜作曲のブルーノ・ジネールに聞く┃SPICE
「ワイマール共和国の時代、1927年にバーデンバーデンでポケット・オペラ――いわゆる室内で気軽に楽しめる、小型オペラのフェスティバルがありました。この時代、小規模なオペラがたくさん作られており、今回『シャルリー』をポケット・オペラとしたのには、そうした理由も一つにありました。」
小規模のカンパニーになったのにはこういう理由もあったのか。たまたまではあるが、移動が困難な今の状況にも最適な編成だった。グランドオペラだったら今回の来日も無理だったかも
「私は今回この『シャルリー』の日本上演の話を聞いたとき、非常に心地よく驚き、光栄だと思いました。この物語が、日本でも受け入れられているとは思わなかったのです。(略)日本に『茶色の朝』が来ることがないよう、願っています。」
いやいやいやめっちゃ受け入れるわ。ホント「茶色の朝」は来てほしくないね!

・「“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」 哲学者・高橋哲哉さん┃KOKOCARA
10/31のトークゲストは、邦訳にメッセージを寄稿していた高橋さん。こちらのお話も聞いてみたかったな

・各地を演劇化する巡礼の旅 やなぎみわ×上田洋子「なぜ私は巨大トレーラーを所有しているのか」イベントレポ―ト(関西弁)┃ゲンロンα
うう、次はいつ近くの街に来てくれるやら……2014年の横浜公演を逃したのが悔やまれる

・FESTIVAL de FRUE 2021 の近況をお知らせします
余談。先日、11月に開催されるFESTIVAL de FRUEで、来日を予定していたアーティストのキャンセルが数件発表された。「二週間の隔離」がやはりネックで、スケジュールの調整がつかなかったため、とのこと。「入国するためのVISAは取得できましたが、隔離期間の短縮免除ががどうしてもおり」ない。「高い公益性」がないものは隔離短縮を認められない。
隔離短縮が認められた今回の『シャルリー〜』カンパニーと先月のベジャールバレエ団、認められなかったFRUEのアーティスト。違いは何だろうと考え込んでしまう。「経産省の望む高い公益性」でふるいにかけられるなんてのもモヤモヤしますね。ほら、ここにもモヤモヤ
(20211104追記)
11月に入り、全面的に隔離期間が短縮されたようです。でもFRUEにはもう間に合わない。ほ〜れモヤモヤ



2021年10月17日(日)
フランソワ・シェニョー × 麿赤兒『ゴールドシャワー』

フランソワ・シェニョー × 麿赤兒『ゴールドシャワー』@世田谷パブリックシアター


いんやしかしさ、ときどき麿さんの年齢忘れるけどおじいちゃんじゃん…それをあんなにぶん回して……笑って観てたけど途中からだ、大丈夫!? と我に返ったりしたよね……。

「ぶん回して」というのは、シェニョーが麿さんを抱えてぐるぐる回るシーンがあったのです。その回数といいスピードといい、遊園地のアトラクション並みじゃねえのという激しさで。脱臼したらどうすんの、と不安になった程でした。ていうか麿さん一時期より(まあご病気もあったし)若返った感じがする。というのも、シェニョーと張り合ってファッションショーしてるシーンで、むっちゃ脚あげるところがあったんだけど、その脚の伸びが素晴らしかったんですよ。一瞬とはいえ『殺し屋1』のかかと落としばりにまっすぐだったわよ。ちなみそのとき下駄履きだったんだけど、ぐらつくこともなかった。ゆっくり膝を折る場面でも、身体は揺らぎもしなかった。

……いきなり話題が逸れていますが、フワンソワ・シェニョーと麿さんの作品『ゴールドシャワー』です。2013年にシェニョーと出会い、「貴公子然とした美貌の中に傲慢、儚さ、頽廃、高貴、破壊欲求が渾然と渦巻き、漸く立っているという姿に胸がキュン、一目惚れだ」(日本経済新聞 麿赤兒『老人と青年』より)とメロメロになった麿さん。年齢差40歳のふたりが意気投合、7年かけて創作し、昨年パリで初演した今作がようやく日本にやってきた。シェニョーは昨年もコロナ禍のなか早くから来日公演を敢行していたし、麿さんもガラガラの飛行機に乗りパリへ飛んでいた。さて、いったいどんな作品? 麿さん自身が認めるように『ベニスに死す』みたいな関係性を描いたものかしらと思っていたが、見えてきたのはお互いを屈服させようという支配欲ではなく、イチャイチャした張り合い(微笑)と共犯関係。ともに生き、タイトルよろしく連れションもしちゃうふたりを分かつものは死しかないのだ! いや、死者の世界でもバーレスクショウは続くのだ!

ふたりのをどりはエロティックなスリルに満ちていた。無音のパートも多いなか、聴こえてくるのはふたりの息遣い。ときには穏やかな、ときには荒れた、艶めかしく苦しげな喘ぎは、観る者の心拍をあげてくる。

麿さんのソロから開幕。くわえが両面についている、女の神楽面を手にする麿さん。舌になっているおもて面のくわえを噛み、まぐわいのをどりが始まる。まあ生々しい、こうして大森立嗣と大森南朋が生まれたのね〜などと邪念がつきまとうが(…)それもまた一興。やがて聴こえてくるは水の音、麿さんの股ぐらからシェニョーの登場です。初対面はつやつやの、光り輝くおしりから。逆子かい! 生まれた瞬間から死の危機ですよ。

しかしこの児はすくすく育つ、コルセットが必要なお年頃に。シェニョーのコルセットを締め上げ、その紐を手綱よろしくしならせて、シェニョーの尻をスパンキングする麿さん。喘ぐシェニョー。しばし手綱ひきの戯れ、電車ごっこへ。思わず生唾ゴクリ、あー隣のひとに聴こえちゃったよな(苦笑)下手するとホール全体に響いちゃったんじゃないかな、というくらいの静寂。皆見入っている。角度によって男性器にも女性器にも見えるオブジェの割れ目から顔を出し、突起に手を伸ばして引き倒し、嘆きの声を発する。

掌を拡げて激しく踊るシェニョー。カラフルなネイルが照明に反射し、ネオンのように見える。天上から降りてきた、ベビー服にも人喰い花にも見えるビニールの衣裳(ボンネットもビブも、小さなハンドバッグもついている)に着替えて得意げなふたり、ポーズをとる。私が前よ、いや私が、とポジション争いをし、麿さんが脚をあげ、シェニョーはおしりの張りを見せつける。いやホントつやつや。綺麗だわあ。そうしておいて、シェニョーのソロでは観客に手拍子を求め煽る麿さんの包容力ににっこり。

下駄履きで踊っても揺らがないのはシェニョーの身体も同様。ふたりはその存在感に加え、しっかりと身につけたバレエの技巧、年月を重ね切り拓いてきた舞踏のスペクタクルという、物語る身体を持っている。雅楽、バロック、トライバル、シャンソン、わらべ歌と音楽も雑種で素敵、ご両人の歌声も聴けました。てか麿さんがあんなに唄うの初めて聴いた。上手い(今更)。音響(オペレーター:ニコラ・アド、コーディネーター:油本望)もよく、最初はライヴ演奏なのかと思った程でした。

引用は『8 1/2』くらいしか判らなかったけれど、ギリシャ神話の“ゴールドシャワー=黄金の雨”はシェニョーのブロンドと麿さんの黄色い髪(どちらもウィッグ)に、そして爆笑が起こった連れションシーンで“尿”へと昇華。シェニョーから麿さんへ、キスで贈られるルージュ。麿さんの腕のなかで眠りにつくシェニョー。猥雑で美しい、夢のような70分間。

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・“7年に及ぶ秘密の関係”を経て立ち上がる、シェニョー×麿「ゴールドシャワー」┃ステージナタリー

・フランソワ・シェニョー×麿 赤兒 「ゴールドシャワー」┃滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール
「プロジェクトの総称を『妙(MYO, TAE)』と名付けたい。(略)『妙』(MYO:不思議なほど優れている、TAE:言葉では言い表せないほどの素晴らしさ)の一言で片が付くのだ。言い方を変えれば、ロートレアモンが言う『解剖台の上での、ミシンとこうもり傘』の様とも言える。」
SePTの作品紹介頁には掲載されていなかった麿さんのメッセージが興味深い


ハァ〜いい画像



2021年10月16日(土)
Noism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』

Noism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール


[第一部]
Opening I
追憶のギリシャ
BOLERO 2020
[第二部]
The 80’s Ghosts
Opening II
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振付・演出:金森穣
音楽:マノス・ハジダキス、レーラ・アウエルバッハ、モーリス・ラヴェル、ユーグ・ル・バール
衣裳:堂本教子


Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021、フィナーレを飾るのはDDD2021ディレクター・小林十市とNoism芸術監督・金森穣のコラボレーション。モーリス・ベジャール・バレエ団(BBL)で踊ってきた十市さんのために、ルードラ・ベジャール・ローザンヌで学んだ穣さんが振り付けた作品です。Noism副芸術監督(Noism 0)の井関佐和子、Noism 1のメンバーであるジョフォア・ポプラヴスキーもルードラ出身だそう。偶然とはいえ、今年に入ってから東京バレエ団、BBLとベジャール作品を続けて観た記憶も新しい。BBLに至ってはリスケのおかげで(?)今作とスケジュールが丸被り。十市さんもその辺気にしてらしたようで、当日パンフレットに「何といってもBéjart Ballet Lausanneの来日公演に丸かぶりのこの週末ですから(笑)」なんて書かれていたけど、会場では「BBLからハシゴしてきた! カーテンコールの途中で出てきて間に合った」という声も聞こえましたよ。

ベジャールとの追憶の日々、そこから踏み出す一歩。ダンサーとして再出発する十市さんへのファンファーレのようにも感じられる作品でした。青春の終わり、身体の衰え、しかしなくならない(より募る)ダンスへの情熱。孤独と痛みを抱えてまた歩き出す。ひとりじゃない。ひとの繋がりは拡がっていく。それらが70分に凝縮されていた。

トランクを持ち現れる十市さん。舞台中央の椅子に座り、トランクのなかから写真を一枚ずつとりだし眺める。後方スクリーンに映像が映し出される。ベジャールの指示を受ける姿、BBLで踊った日々……。過ぎた日々を懐かしむ彼の元へ、穣さんが現れる。肩に手を置き、笑顔を交わす。「追憶のギリシャ」が始まる。だいたいこのふたりが一緒に踊るのが観られただけでもひいいい(嬉)というもの、しかもそれがベジャール「ギリシャの踊り」への返歌ともいえるダンスだったのでもう涙ぐみますよね。穣さんの表情がすごくいい。「兄貴」と踊れる喜びでいっぱい。近年はNoism芸術監督、集団を率いる「長」としての顔しか見ていなかったので(今年は紫綬褒章も受賞しましたし)、この屈託無いともいえる表情にはやられました。

そこへ佐和子さんが現れ、Noismのメンバーが現れる。十市さんを交え、祝祭的なダンス。上手に椅子が用意され、そこへ促され座る十市さん。何度聴いたかわからない、あのリズムが聴こえてくる……コロナ禍のなか映像作品として発表された「BOLERO 2020」をステージで観られるうれしさと、視点を自分で決められる舞台鑑賞ならではの贅沢な悩み「どこ見りゃいいんだ!」が同時に発動。しかも今回は隅っこで見ている十市さんも観たいわけです。困るがな(笑顔で)! しかし迷っている暇はない、何せ「ボレロ」は15分程の曲なのだ。開きなおって気の向くままにキョロキョロする。そうなるとやはり佐和子さんに目がいく。笹の葉のように揺れ、ナイフのように切れ味鋭く踊る。彼らを見つめる十市さんの姿勢の美しいこと。座っている姿そのものにも物語があるよう……と思っていると、十市さんが立ち上がり、ステージ中央へと歩いていく。輪になったNoismメンバーの中心に加わる。これって、これって……十市さんのメロディだ!!! クライマックスの瞬間、メロディがリズムに呑み込まれると当時に暗転。

幕間、客電がついてもしばらくドキドキしていた(救心)。ちょちょちょ、十市さんのメロディ……むか〜しご本人がジョークでブログに載せてた「卓袱台ボレロ」(ご実家の卓袱台の上で踊ってた)でしか観たことなかったメロディを今こうして観られるとは。勿論これはベジャールではなく、穣さんの振付。しかししかし穣さん有難う〜! と手を合わせる思いでした。天井に鏡を設置し(これは『M』オマージュかな?)、フォーメーションの側面と鳥瞰を同時に見られるようにした演出にも胸が熱くなりました。

二部は一部と地続き。フロアにひとり倒れている十市さんに80年代の亡霊が襲いかかる「The 80’s Ghosts」から始まります。まーこれのフォーメーションの格好いいこと! 衣裳が80年代でニヤニヤすること! 佐和子さんのスーツの形とか、姉の喪服のこと思い出して違うところで笑ってしまいましたわ。

それはともかく、ベジャールへの、十市さんへのという作品でありつつ、穣さんの振付って格好いいなあ、Noismのダンサーって素敵だなあ……と惚れ惚れ観る。これ迄映像でしかNoismを観たことがなかったのだ。ユニゾンの型はバレエのスキルとストリートカルチャーがドッキングしているかのようで、クラシカルなのにモダン。前方の席だったので生き生きとしたダンサーの表情もよく見えた。

享楽的な、しかし暗い影をまとう80年代は、ベジャールの「革命とは!」という言葉がコラージュされた音楽により世界の悲劇を炙り出す。スクリーンには争いの映像……世界は終わりに近づいている? 現在へ近づくにつけ、やはり色々考えてしまう。ダンサーの人生、ひとりの人間の人生。今年になってオランジュのスタジオをクローズしたこと。つい最近柳家小三治師匠が亡くなったこと。苦悩の表情で頭を抱える十市さんに、また穣さんが、佐和子さんが、Noismの面々が歩み寄る。立ち上がる、そして再び踊り出す……。

これは穣さんが描いた『バレエ・フォー・ライフ』じゃないか。記憶の芸術でもある舞台。今作にも二度と会えない、かも知れない。しかしそれは彼らが次のステージに向かったためだ。ダンサーとしては休んでいたかも知れない十市さんは日々踊り続けていたし、役者としての日々も人生のレイヤーに加わった。観客は新しい、歳を重ねた今しか出来ない表現を新たに身につけたダンサー・小林十市を観ることが出来る。人生はまだ途中だ。

千秋楽の翌日、十市さんは病院へ行っていた。稽古中から膝の痛みがあるというのは、ご本人もSNSかで明らかにしていた。診断名のひとつは、疲労だけでなく年齢的なものからくるものだ。プロのダンサーからすれば厄介なハンデかも知れない。船出は初っ端からきっと不安でいっぱい。でも、穣さんがいうとおり、道化師を踊り、噺家の孫というルーツをもって、十市さんは寂しさ、悲しみを笑い飛ばして前に進んでいくのだと思います。50代の身体を乗りこなしていく十市さんの今後を見ていきたい、そして見習いたい(笑)。

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衣裳・堂本教子さんのサイト。何度か載せてるが大駱駝艦(麿赤兒)の衣裳もやっている方です。翌日の『ゴールドシャワー』でも麿さんの衣裳は堂本さんが担当されていたので、二日続けてお仕事拝見。素敵よねえ

・ベジャールの“DNA”受け継ぐ2人が共演、金森穣×小林十市「A JOURNEY」開幕┃ステージナタリー
ステージ画像がよい〜。ポージングやフォーメーション、綺麗な照明、そしてダンサーの表情!

・日本の踊り「高い水準見て」 ダンサー・振付家の小林十市が意欲作┃朝日新聞デジタル
「僕らは踊る場所がないと生きていけない。国から補助金や生活の支援をしてもらい、食べつないだ」
「ぜひ劇場に来てと胸張って言えないもどかしさはずっとある」

・【特集:DDD2021】小林十市×金森穣クロストーク〈前編〉〜十市さんの身体は、自分が思うよりも踊っているし、語っている┃バレエチャンネル
・【特集:DDD2021】小林十市×金森穣クロストーク〈後編〉〜舞台の幕が下りた時、「終わり」ではなく「始まり」になる作品に┃バレエチャンネル
「ハンデをつけるなんて失礼なことはできないし、そんな十市さんは見たくない!」
「ベジャールって誰ですか?! でもとにかく海外に出たいので行きます!」
こういう話する穣さんなかなか見られないので楽しいわ……

・会場で偶然タさんと会う。ちょっと話せてよかった。歌舞伎やバレエに誘い合って行く仲だが、コロナ禍ではそうもいかないので別にしめしあわせもせず各々出かけている。それでもこうして会場で遭う(笑)

(20211027追記)
・小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第26回】Noism × 小林十市「A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ」を終えて。┃バレエチャンネル
「穣くんが『何言ってるの!? ここまでできたんだから!』」」
穣さああん(泣)
「もしも『再演』の話があれば……鍛えてもう一度チャレンジしたい気持ちは、あります!」
待ってる!



2021年10月14日(木)
BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2021『バレエ・フォー・ライフ ─司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま』

BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2021『バレエ・フォー・ライフ ─司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま』@東京文化会館 大ホール


振付・演出:モーリス・ベジャール
音楽:クィーン / W.A.モーツァルト
衣裳:ジャンニ・ヴェルサーチ


前回観た2006年の公演(ゆうぽうとホールももうないねえ)では、ドクターストップがかかり渡航を断念したベジャールに代わり、フィナーレ「ショウ・マスト・ゴー・オン」のセンターをジル・ロマンが務めたのだった。ベジャールは翌年亡くなり、最後の来日は2004年となった。今回ジルが姿を現したとき、彼を待っていた、というようなどよめきと拍手が起こった。ジルのもとへひとりずつ駆け寄ってくるダンサーたち。キスし、ハグし、握手する。拍手は幕が降りる迄、幕が降りたあともずっと続いた。

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2019年の頭だったか、映画『ボヘミアン・ラプソディ』がロングヒットしていたタイミングで『バレエ・フォー・ライフ』の来日公演が発表された。それから延期に次ぐ延期、長かった……待ちに待った。その間、多くのひとが亡くなった。フレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドン、そしてウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。若くして亡くなったアーティストたちを悼むこの作品も、普遍と現在を持ち合わせている。白いシーツは人々の身体に休息を与え、翌朝の活力をもたらす。あるいは死後、その身体を包む。果たしてダンサーはシーツのなかで目覚め、それを投げて駆け出し、再びシーツをひろげて永い眠りにつく。美しい日、素晴らしい日、でも、ときどき絶望的な気分になる。フレディが唄う。ショウをとめるな、幕を降ろすな。

所謂クイーンのヒットパレードではない。ライヴテイクも多く、ブライアン・メイのギターソロ(マジックのようなその演奏に改めて惚れ惚れする)だけで構成されているパートもあり、ユニークな選曲でもある。最後の「ショウ・マスト・ゴー・オン」はライヴテイクではなく、一瞬考えて「そうか、フレディはライヴでこの曲を唄うことはなかったんだ」と気づく。間に入るモーツァルトも効果的。

「ブライトン・ロック」「コジ・ファン・トゥッテ」の大橋真理にシビれ、「カインド・オブ・マジック」でのリロイ・モクハトレのウォーキングに、「ゲット・ダウン・メイク・ラブ」の大橋真理とガブリエル・アレナス・ルイズのパ・ド・ドゥにため息が漏れる。「ウインターズ・テイル」で舞う羽毛が客席に届く。ヴィト・パンシーニのまとう雰囲気に目を奪われる。

そしてジュリアン・ファヴローのフレディ、めちゃめちゃよかったな……花束みたいなかわいらしさ。フレディの言葉をなぞり、英語と仏語でメッセージを送る。フレディならではの奇天烈な衣裳もなんなく着こなし、バナナも被っちゃう。しかもそれがかわいい。キラキラした瞳で「ワ〜オ!」なんていう姿も愛嬌たっぷり。ヴェルサーチの衣裳も堪能。男性ダンサーが履くヒール、厚底のラバーソール、極彩色のドレスとモノトーンのユニフォーム、背中側が牛柄のようになっているウェディングドレス。キュート、セクシュアル、ビューティフル。彼も悲劇の死を迎えたひとりだ。

S:沈黙、孤独、スペクタクル。I:不確実性、孤立、理想。D:嘲弄、苦悩、距離。A:分析、苦悶、愛。AIDSは仏語だとSIDAになる。不思議と使われるイニシャルは同じだ。フレディとジョルジュの命を奪った病名を分解し再構成する。馴染みのダンサーも、今回初めて知った若いダンサーも(既にフレディやジョルジュの死後に生まれたダンサーもいる)、その身体を通して新しい『バレエ・フォー・ライフ』を見せてくれる。ベジャールのダンスとフレディの音楽は、こうして受け継がれていくのだ。

初日の緊張もあったか、「ミリオネア・ワルツ」のセットをスタッフが倒してしまったり(摩擦で床にぴったり張り付いてしまったようでなかなか起こせず、めちゃめちゃ焦っていた)、クライマックスでひろげるシーツが絡まってほどけなくなってしまうといったヒッとなるアクシデントもありましたが、それが作品の良し悪しを決める基準には全くならない。ミスをしてしまったのはエリザベット・ロスだったし、そんなのロベルト・バッジョがPK外しても誰も責めないのと同じですよ。この例えにもう世代を感じますね(…)。とはいえ、事故なく無事千秋楽を迎えてほしい。

ジョルジュ・ドンのことを「ドンちゃん」と呼ぶ先輩方が帰り道近くにいたのだが、「ブレイク・フリー」のところを「知らないひとが観たら何かと思うわよね、ちょっと長いわよね、怖いわよね」といっていて、密かに笑ってしまった。まあワタシも生身のジョルジュ・ドンには間に合わなかったし、知らない世代も増えただろう。今回の公演にはこども招待枠があり、お子さんの観客も多かった。彼らはあの獣のようなドンを見てどう思っただろう。帰ってから検索して、映像を見て、魅力にとりつかれて……ふふ、将来が楽しみですね。

数多の問題を乗り越え公演を実現させたバレエ団とNBSに、心からの感謝を贈ります。有難うございました。

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・『バレエ・フォー・ライフ』の「ショウ・マスト・ゴー・オン」と大駱駝艦のフィナーレは私的二大カーテンコールです。何度観ても心が大きく揺さぶられる、平静ではいられなくなる


二度の延期もあったし偶然だと思う。それでもこの日、『バレエ・フォー・ライフ』の初日が開けたことには特別な意味を感じてしまうな

・モーリス・ベジャール・バレエ団 ジル・ロマン インタビュー┃NBS News ウェブマガジン
「もう私は踊りませんが、最後の『ショー・マスト・ゴー・オン』には出演します。生前にベジャールが出ていたシーンです。私が演じていた役はガブリエル・アレナス・ルイスが演じます。他にも、馴染みのダンサーとともに若手ダンサーがダブルでキャスティングされ、日本のお客様の前でソロを踊ることになるでしょう」

・【小林十市、特別インタビュー】初演キャストが語る、ベジャール作品の魅力┃NBS日本舞台芸術振興会
「初演メンバーの中ではエリザベット・ロスがまだ同じ役を踊っています。20年同じ役を踊り続けられるってのは本当にすごいことです」
(クイーンの生演奏で踊った話)「パリの初演のとき、クイーンもきてくれましたがその1回だけですね。そりゃあ、エルトン・ジョンが歌うわけですからいつもと違いますよ(笑)。ベジャールさん自身が一番興奮していたんじゃないかな」

(20211019追記)

引用のテキストは昔どこかで読んだ憶えがあるけど、映像初めて観られた。感謝。知の巨人でもあったベジャールの作品をより深く知る道は険しい



2021年10月09日(土)
BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2021『人はいつでも夢想する』『ブレルとバルバラ』『ボレロ』

BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2021『人はいつでも夢想する』『ブレルとバルバラ』『ボレロ』@東京文化会館 大ホール


前々日、大きな地震があった。東京は震度5強の揺れ。311のとき、大勢の外国人が帰国していったことを思い出す。興業は中止、外国人の料理人がいる飲食店も軒並み閉店し、その後再開することがなかった。あのときは原発事故があったからということもあるが、それにしたって、あれだけ揺れればこの土地にいたくもなくなるだろう。コロナ禍で二度の延期を経てやっと来日公演が実現したのに、まだこんな妨害(といいたくなる)があるかと歯ぎしりする思いだったが、彼らはステージに立っていた。

■『人はいつでも夢想する』
振付・演出:ジル・ロマン
音楽:ジョン・ゾーン
シナリオ、映像協力:マルク・オローニュ
衣裳デザイン:アンリ・ダヴィラ
照明デザイン:ドミニク・ロマン

ジル・ロマンの新作、日本初演。ジョン・ゾーンが音楽という時点で自分の嗜好に合うだろうと期待が膨らんでいましたが、やはりとても好きな作品でした。体感も短かかった。早くもまた観たい。
「彼」が旅をする。それは夢か現実か……中東を連想させる衣裳の「族」たちが笑顔で溌剌と踊り、「天使たち」が大きなビーチボールを投げ合って戯れる。そこへ投下される殺戮の風景。笑顔が消える。映像のなかで生きる「彼女」と、「彼」の目の前に現れる「彼女」。楽園に憧れ、楽園を追われる旅。
当然連想するのは、今中東で起こっていること。最後の曲が「Alab and Jew」というのも意味深長だ。願うべくは、今後この作品が「今」として未来へ続くのではなく、繰り返してはならない過去だと振り返ることが出来、尚且つ素晴らしい作品として残ること。
「彼女」ジャスミン・カマロタは、映像内での悲しげな瞳と、実体の伸びやかな肢体が印象的。シャープであり静謐。「彼」の苦闘が汗として現れる、ヴィト・パンシーニの肉体に生命力、同時に死の匂い。
天使を演じた大貫真幹、岸本秀雄の重力も時間も感じさせないような(まさに天使)、伸びやかな踊りが印象的。そして後述のインタヴューで十市さんが「今ベジャールバレエにはポワントを履いて踊る男の子がいる」といっていて、へええと思いつつ調べることもなく劇場へ行ったのだが、登場した途端「あ、きっとこのひとだ」と惹きつけられたダンサーがいた。リロイ・モクハトレ。軽やかで神秘的、性別も年齢も判らない(これまた天使)。今回ポワントで踊る作品はなかったが、それでも目を奪う魅力がある。『バレエ・フォー・ライフ』ではどのパートを踊るのかな、楽しみ。
ジョン・ゾーンって多作+インプロ要素も多いのでどれがどの曲だっけ? てのも多いんだけど、よりにもよってNaked Cityの「Blunt Instrument」が使われていたのには笑いが出てしまった。マイク・パットンと山塚アイちゃんがVoですよ…あれは忘れようにも忘れられんで……。いや、笑いがってのはインパクトがすごかったということで(シーンとしては笑うどころか戦慄するところです)ステージングにぴったりの楽曲でした。というか、この曲からジルがあのシーンを想起したということですね。ちなみにベースはフレッド・フリス。大好き。

■『ブレルとバルバラ』
振付・演出:モーリス・ベジャール
音楽:ジャック・ブレル、バルバラ
衣裳デザイン:ジャン=ポール・ノット
照明デザイン:ドミニク・ロマン


フルver.は本邦初だそうです。ジャック・ブレルとバルバラが唄うシャンソンとインタヴュー音声を通じて、男と女、愛、人生の謳歌が描かれる。当日配布のリーフレットに上記のひとことを添え、普遍の作品は変わり続ける。そして不朽の名作であり続ける。
籐椅子に留まり、自転車で風を切る。歩み寄り、ハグし、手に手をとって駆ける、ジャンプする。踊ることの喜びが伝わってくる。エリザベット・ロスとガブリエル・アレナス・ルイズを筆頭に、ダンサーたちは生きることがなんて楽しい、なんて美しい、なんて幸せな時間なのだということを見せてくれる。肉体が滅んでも、その思いは残る。
「愛しかない時」のウィンテン・ギリアムズと大橋真理のパ・ド・ドゥがとても素敵だった。ツイートにも書いたが、ベジャールのダンサーは画一的ではない。ショートヘアの女性ダンサーも、肉感的な、痩身のダンサーもいる。勿論肌の色もさまざま。ひとは皆違う身体を持っていて、それぞれの身体で踊ることこそが“Joy”なのだということを彼らは見せてくれる。

■『ボレロ』
振付・演出:モーリス・ベジャール
音楽:モーリス・ラヴェル
装置デザイン、衣裳:モーリス・ベジャール
照明:ドミニク・ロマン

ジュリアン・ファヴローのメロディを観るのはかなり久しぶり(ジュリアンのメロディ日本初披露以来)で、当時とは違って随分柔らかな踊りになったなあなんて思っていた。しかしやはり、終盤に向かうにつれ情熱的なメロディが現れた。まさに化身。リズムに合わせて「ハッ!」と声を出す。自分を鼓舞するかのようにも、リズムを、観客を励ますかのようにも聴こえる。クライマックスであれ程声を出すメロディは初めて観た……なんて思っていたが、上記の日記を読んだら、2013年の公演でも声を出していた。書き残しておくもんだ、自分の記憶は信用出来ない。このとき「とにかく必死なので、今際の際の叫び声のようなものです(笑)」と答えていたジュリアンだけど、この日の声は確実に観客を力づけてくれるものだった。こんなメロディに率いられたらリズムも呼応するというもの。熱く、鋭く、輝くようなメロディとリズム。
暗転の瞬間、思わず出てしまった、という感じの声が客席から漏れる。これは仕方がない。コロナ禍のバレエ公演で何度注意のアナウンスがあっても絶滅しなかった、無礼なブラボーの声は飛ばなかった。カーテンコールにはジル・ロマンも登場、大きな拍手が続いた。
ていうかジュリアン、全作品に出ていてすごい……明日メロディを踊る予定のエリザベットも他の二作品に出ているし(しかも『ブレルとバルバラ』はリーディングロール)、ハードな公演です。無事終えてほしい。

観客が退場し始めた頃、幕の向こうのステージから拍手が起こった。無事公演を終えた出演者たちがステージに集まり、互いを労って歓声をあげたり拍手をするのはよくあることだ。観客たちは振り返り、見えないステージに向かって再び拍手を贈る。カーテンコールを望んでいるのではない、純粋な、自然発生した感謝と敬意の拍手だった。

あっという間の三時間。そもそも外来公演観たのっていつ以来だ? と確認したら、2019年11月のBATTLES以来だった。いやあ、やっぱりうれしいな。来てくれて本当に有難う〜! この流れが停まりませんように、次は『バレエ・フォー・ライフ』だよ!

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・モーリス・ベジャール・バレエ団 ジル・ロマン インタビュー┃NBS News ウェブマガジン
「(『人はいつでも夢想する』について)原点は私が尊敬しているジョン・ゾーンの音楽でした。彼はたくさんの素晴らしいクオリティの音楽を作っている作曲家で、彼の音楽がこのバレエの霊感の源でした。私の他の作品もそうですが、テーマは『旅』で、自分自身を内観する旅が描かれています」
「ダンサーたちのことは大好きです。でなければ一緒に活動は出来ませんし、家族のような存在です。ベテランには彼らの価値に寄り添うような役を与えたいと思っています。若いダンサーにもチャンスを与えていますし、つねにカンパニーは進化を遂げているのです」

・【小林十市、特別インタビュー】初演キャストが語る、ベジャール作品の魅力┃NBS日本舞台芸術振興会
「色々なダンサーがいるんですよ。異分野とのコラボレーションにも積極的な子、ポワントを履いて踊る男の子、身体能力の高い子……エリザベット・ロスは僕と同い年なんですけど、身体の状態は良いし、踊りながら作品の指導もしている。改めてすごいなーって思いますね。そうそう、東京バレエ団から移籍した岸本秀雄くんも4シーズン目をむかえてだいぶ馴染んできました」
「『時代が違えばダンサーが違う、ダンサーが違えば身体が違うから同じ踊りにはならない』という彼(ジル)の言葉に妙に納得しました。かつてのベジャール・バレエ団と同じような方向性の追求でもないと思うし、今の踊りで、今のダンサーたちが踊るというのは、そういうことなんだろうな、と改めて思いましたね」

・モーリス・ベジャール・バレエ団 ダンサー直前インタビュー 岸本秀雄┃NBS日本舞台芸術振興会
「(『ブレルとバルバラ』は)心に染み入るようなシャンソンの調べと、音楽と絶妙に調和する踊り──思わず泣けてくる作品です」


おまけ。この時期だけ上野駅のecuteに出店している信州 里の菓工房の栗きんとんも買えて満足。うまいんだなこれが