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2020年09月27日(日)
ケムリ研究室 no.1『ベイジルタウンの女神』

ケムリ研究室 no.1『ベイジルタウンの女神』@世田谷パブリックシアター


ケムリ研究所→ケムリ研究室。失礼しました! ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきが立ち上げた新ユニットの第一回公演です。こちらも規制緩和に伴い、前楽と楽日計3公演の追加席が発売になり行くことが出来ました。当日二日前にチケットを確保、慌てた慌てた。キューブのアナウンスによると、「総席数の約50%以下での配席」を「80%まで上限を引き上げ」たとのこと。助かった……ぜんっぜんとれなかったもので。

暗転から照明が灯った瞬間、目に飛び込んできたのは緒川さん演じる女神、とその従者(に見えた)。その立ち姿の美しいこと! 黒須はな子による衣裳も輝くよう。絶妙なオープニング。小野寺修二によるステージングが見事。廻り舞台を使うでもなく、黒子役と照明の移動で車が走る。二階席から観たのだが、運転席と後部座席はセパレートなのにも関わらず全くぶれずに旋回していたのに鳥肌。あっという間に作品のなかへ入っていけた。

都市開発のために、そこで暮らす住人を追い出す。オープンしたばかりのMIYASHITA PARKのことを連想する。大企業の社長は賭けをする。貧民街のベイジルタウンを再開発するため、そこで一ヶ月暮らしてみせる。賭けの相手はかつての小間使い。賭けは成功するのか? かつて「親友」だったふたりの関係はどうなるのか? 腹に一物ありそうな社長の夫、社長に長年仕えた心優しい執事、一癖も二癖もあるベイジルタウンの住人たち。ケラさんお得意の群像劇に、今回は優しさが溢れていた。

「こういうひとなのよ」という言葉の重さ。水道のハットンは、ベイジルタウンの住人からは「こういうひと」として了解されている。彼のふるまいに観客は笑うが、やがて「ああ、こういうひとなんだ」という了解が拡がる。終盤、街を救うことになる彼の演説を包む笑いと、最初の笑いは違うもののように感じる。アル中のドクターは何度も過ちを繰り返してしまうが、やっぱり排除されることはない。ベイジルタウンには、かつて安定した仕事をしていたひと、かつて懸命に働いていたひとやってくるし、生まれたときから住んでいるひともいる。この街は誰もを迎え入れるし、誰も追い出さない。迎える大団円はちょっと苦い。それでも観客は彼らの行く末に拍手を贈らずにはいられない。

こうあればいいのにという世界。それは決してあり得ない世界ではなく、どんな人間にも居場所があるということを譲らない世界。今観られてよかったし、何年か、何十年かあとにまた観たい作品。

浮世離れしているけれど、賢く優しく強く頑固。こんなキャラクターを演じられる役者さんは少ない。緒川さんは本当に素敵。高田聖子演じる小間使いの複雑な心情表現も素晴らしかった。山内圭哉の二役(を振ったところにKERAさんの愛を感じたなあ)も愛嬌たっぷり。特に水道のハットンはさじ加減が難しい役どころ、ウケを狙わず「ああ、知ってる、こういうひと」と観客に思わせるまっすぐな演技で好感。そして菅原永二! 憎たらしいけどヌケていて、憐れを誘う。笑える哀愁を演じさせるとホント絶品。仲村トオルと水野美紀の兄妹もいい塩梅でした。

それにしても、今のこの環境で……ということを全く感じさせない仕上がり。観客席の最前列は使われていなかったが、もともとSePTは舞台と客席の間が結構空いている。普段と全く変わらない、という印象の陰で、出演者とスタッフがどれ程節制しているのかと想像して頭が下がる。終演後の楽屋訪問も禁止だそうで、役者仲間の誰が来ているのかも判らない、感想も聴けないから不安、というひともいる様子。先が見えない現状だけど、制作側の負荷が軽減されることを願ってやまない。

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・ツイート拝借。明治通りから渋谷タワレコへと抜ける通りに、かつての宮下公園の名残があります。いろいろ考えてしまう



・PIA LIVE STREAMとWOWOWオンデマンドによるライブ配信もあったのですが、なんだかんだでこの千秋楽が初見。実は配信のチケットを購入しても結局観ずじまい、という公演やライヴが既に数本ありまして……ホントダメなんですよ、向いてない配信(私が)。アーカイヴ期間が短いからとはいえないなー、テレビも録画すると「いつでも観られるやあ」と結局観ないことがしょっちゅうあるしな。とても有難いとは思うんですけどね

・「におい」「くさい」は『バッコスの信女』でもキーワードになっていたなー。『パラサイト』もそうだった

・昨日のKAATもそうだったけど、上演前の「携帯を電源から切ってください」という注意が「機内モードに設定し、Wi-Fiをオフにし、Bluetoothをオンにして、アラームを切るのを忘れずに」になっていた。成程なあ、通信機能をオフにすると接触確認アプリで位置測定が出来なくなっちゃうものなあ

・9月中旬を過ぎた辺りから「収容率緩和に伴うチケット追加販売」ってメールがじゃんじゃん届き始めた。現場は混乱しているだろうな。おかげでとれた公演がいくつかある



2020年09月26日(土)
Q『バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌』

Q『バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌』@KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ


即完で真っ青になっていたのですが(チケット発売当初は全席の半分ほどしか開放されてなかった)、その後感染症対策の規制緩和に伴う追加販売が決まりなんとか滑り込みました。

自宅で夕食の支度をしている主婦の自己紹介。食事について、食糧について、繁殖と生産のしくみ。独身時代の自分の生活、職業について。そこへある女性が訪ねてくる。宗教の勧誘かと訝る主婦に、その生物は語りかける……。

種の存続に必要なものは? 肉体の健康とは、その幸福とは? 人間という種に対する嫌悪と、男性性による抑圧が視覚/言語化されていく。その言葉は鋭く容赦なく真実を指摘し、対峙するのは相当キツい。ところが、それらをギリシャ悲劇のフォーマットに則り、台詞と歌唱により音響化し、そこへ身体表現を加えると祝祭にも似たカタルシスが生まれる。だから演劇は古代から絶えることなく続き、ひとは演劇により治癒されてきたのだと納得させられた思いだ。

そもそもギリシャ悲劇というものも相当エグいモンで。近親相姦から獣姦、理不尽な殺戮と人々のくらしをいともたやすく破壊する神の御業=自然現象。それは現代でも絶えず起こっていることだが、社会生活においては不都合なのであまり目につかないように隠されている、あるいは見なかったふりをしている。食用動物の繁殖については勿論、劇中でも指摘されたレオポンも「かけあわせたらどうなるかな〜」「遠い種ってわけでもないしやってみちゃおっかな〜」「おいしくなるんじゃない?」「かわいくなるんじゃない?」という人間の好奇心/探究心から生まれたもの。ペットショップにおけるブリーディングも、一定の規制はあれど同様だ。殺人の現場を語る伝令の役割を、去勢された愛玩犬(パピヨン)が担うという構図に胸を衝かれる。

楽曲と歌唱により浄化された気になっている観客が最後に与えられるのは、「焼肉」のにおい。劇中それが何の肉か明かされているのに、そのにおいはとてもおいしそうで食欲を刺激する。暗転直前、目に焼き付けられる光景は、ホットプレートで肉を焼く主婦と、それを見つめるイヌという幸福な画だ。五感全てをフルに使った。そうだった、演劇は体験だった。

わかるわ〜私もそう思うわ〜ユナイトしましょう! なんて声かけたらうっせえってぶん殴られそうな市原佐都子の作品。いや、実際の市原さんはとてもたおやかな方かもしれませんが……SNSとかで感想書くと丁寧に反応してきてくれたりするし(恐縮です……)。それが「危険な領域を」「飼い慣らす」ということなのだろう。飼い慣らせなければ身を滅ぼす。だからひとは演劇を共有する。

それにしてもよくぞここ迄、というプロダクション。言葉をしかと聴かせるコロスの合唱とキックが腹にくるクラブミュージック両方の音響(音楽:額田大志(ヌトミック/東京塩麹)、音楽ミックス:染野拓、音響:稲荷森健、中原楽)、観客の視線を自在に誘導する照明(魚森理恵(kehaiworks)、則武鶴代)と映像(浦島啓、大屋芙由子/フォトストックから構成された「メイドバイジャパニーズナショナル精子」の画像とフォント、最高!)、対してミニマムな美術(中村友美/コーンフレークのパッケージ、最の高!)。抱腹絶倒ですわ。演出家としての市原さんにも今回瞠目。前回Qを観たのは新宿眼科画廊だったが、劇場(キャパ)に応じてその場にぴったりなリボンをかけられる演出家だというのが今回分かった。

そして演者ですよ……表現することにおいて、ひとりで立つことについてのパワーが全員すげえ。。あの長ーーーくグロテスクーーーなモノローグをするする聴かせてあっという間に観客の懐に入ってくる主婦、兵藤公美(青年団)の声と表情。そしてやべーと思ってももう逃げられない求心力。安全な客席にいる筈なのに身の危険を感じた。こええよ! あまりにもイヌで、もう、イヌで、ワン! ワン! ガルル〜、キャイン! というバックトラックとともにこれラップじゃねえの、最高じゃねえのってな伝令を語りきった永山由里恵(青年団)のテンション。やべー過呼吸になるんじゃねえのがんばれーと途中から握り拳でエキサイトしました。いやあ、それにしてもイヌだった。イヌって興奮するとああなるもんなー。ウレションとかしちゃうしなー。ハプバーの女子、中川絢音(水中めがね∞)の毒づきも嗜虐性を刺激する愛くるしさでした。12人編成のコロス(中川さんは兼任)も素晴らしかった。「モー、モー♪」(ホルスタインの雌の霊魂なのでな)「メイドバイジャパニーズナショナル精子〜♪」「私はアイロン台〜♪」……その合唱の美しさと言ったら。当日パンフレット通り出演者の所属も表記しましたが、こうやって眺めるとほんと、長年にわたる青年団の功績を感じる。

獣人、川村美紀子の貢献は筆舌に尽くし難い。あの声、あの身体。命の誕生と成長を舞い、赤ん坊、育児放棄された部屋の光景、セックスワーカーのスターとなり、仕事以上の労働を強いられた帰りに焼肉を食べる光景を語り唄う声が全て違う。同じ肉体から発せられたのかと思う程。衝撃的、圧倒的なそのふるまい。一挙一動目が離せなかった。素晴らしかった…ほれぼれ……。

今後も再演を重ねたいという言葉を信じて、また観られる機会を待ちたいと思う。

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・開幕当初は休憩込みで2時間50分の上演時間だったそうだが、途中から「換気機能が検証されたので」元々の休憩なし2時間30分になったとのこと。個人的には休憩なしでドップリ集中出来てよかった。一息ついてたまるかという感じ。しっかしこれ演じる方も相当疲れるだろうな

・ところでバターマッサージ、私も受けてみたい(笑)

・「え(ろ)ほん」のキラーワードっぷり素晴らしかった。他にも主婦からところどころ散見される無邪気な差別意識にしっかり注意がいくようになっている。これを「人類皆共犯者」に落とし込めるか、というのをこちらは考えていかなければならない

・楽曲が最高だったんで配信でもいいのでサントラ出してほしい! 戯曲にスコアは掲載されているとのこと。これから読む

・それにしても、あいトリで今作とサエボーグの『House of L』をキュレートした相馬千秋さんの慧眼よ。『House Of L』はこの秋に高知県立美術館での再演が決まっている。関東圏でもぜひ上演してほしい

・バッコスの信女たち@あいちトリエンナーレ┃Εὕρηκα!
めるさんによる初演時のレヴュー。エウリピデスの『バッカイ(バッコスの信女)』との対比も詳しく書かれており膝を打ちまくりました。「本当に、正統派ギリシャ悲劇でした。私の心にはカタルシスも到来しました。何だろう、当時のギリシャ人はこんなにすごい体験ができたの??しかも日当貰って??って気持ち」……頷きすぎて首がもげそう。『バッカイ』も読もう

・第64回岸田國士戯曲賞授賞式がKAATで開催(イベントレポート)┃ステージナタリー
先日行われた(コロナの影響で延期になっていた)授賞式で、市原さんのスピーチが素晴らしかったというツイート沢山見かけたのでレポート読めてよかった。
「受賞者しか選考委員になれない」って慣例があったのは知らなかった。なかなか女性が増えないわけだ。芥川賞とか、最多落選記録を持つ(そして結局受賞してない)島田雅彦が選考委員になってたりするけどな



2020年09月12日(土)
『九月大歌舞伎 第四部』

『九月大歌舞伎 第四部』@歌舞伎座


ニューキャッスルもやっててよかったよかったウマイウマイ。

「映像×舞踊 特別公演」として、坂東玉三郎による口上と『鷺娘』。玉三郎丈は『鷺娘』を「高度な技術に加え、数10kgにも及ぶ衣装・鬘をつけ踊り続ける体力を要するため」2009年に踊り納めているのですが(参照:坂東玉三郎伝説のシネマ歌舞伎『鷺娘』。┃madame FIGARO.jp)、残された映像とのコラボ作品を披露しています。歌舞伎座での上演は初。

「何卒、皆様ご寛容の御見物の程、お願い申し上げます。」

まず口上。このような状況のなか来場してくださり……と観客への謝辞(観る側としてはとんでもない、お礼をいうのはこちらの方ですよおと恐縮)から、歌舞伎座の思い出語りへ。七年前この五期歌舞伎座が開き……というところでえええなななななねんまえ!? もうそんなに経つ!? と狼狽しましたが、そういえば勘三郎丈の七回忌が一昨年だったものね、と我に返る。この状況、勘三郎丈が生きていたらどんなことをしただろうな。どうやって劇場にひとがきてくれるか、どうやって観客を楽しませようか、さぞかし思案したに違いない。などと数秒のうちに思いを巡らせる。

こういう機会ですから歌舞伎座の舞台裏へご招待します、という言葉とともに、舞台いっぱいに映像が映し出される。それぞれ松竹梅と名付けられたセリ、優雅にまわる(といいつつ実際のスピードは相当なもの)盆、その半面に設えられた大ゼリ。舞台上のセリに乗って消えた玉三郎丈が、映像の舞台下に現れる。紹介された揚幕があがると、花道に現れる。んん? 映像パートはリアルタイム? それとも収録したものでタイミング合わせてる? どちらにしてもよく出来ていて楽しめる。虚構と現実の境目が曖昧になっていく。

そうして舞台機構を玉三郎丈が案内してくれるのですが、まあ普段は見えていない裏方の世界の壮大なこと。物理的にも広い広い、奈落深い深い。目がくらむ。以前は階段だったんですけど今はエレベーターになりましただなんて、当時は早替えのときどんだけ走ったんだっていう……運動会ひらけそうだ(笑)。心身ともに強靭でなければ歌舞伎役者は務まりませんね。「だいぶ事故が少なくなりました」という言葉に、そうだ、あそこで猿之助さんが……と血の気が引く一瞬もありました。事故は0になるとよい、と切に願う。

楽しいヴァーチャル遠足ですが、玉三郎丈の「この歌舞伎座を愛してほしい、かわいがってほしい」という思いが伝わってくるようでジーンときた。いつか歌舞伎座は六期を迎えるだろう、でもそのときには自分はいない。それでも歌舞伎座は、歌舞伎は続くのだから、という、伝統芸能に携わる者の矜持を見た思いでした。

やがて舞台は『鷺娘』へ。大まかに分けると鷺の精が恋に躍動する場面は主に映像、恋を振り返りやがて死を迎える場面を実演。ひとりの演者がふたつの時間を行き来するような錯覚にとらわれる。虚構と、虚構を演じる現実の肉体がシームレスに、美しくはかない命の灯を燃やす。失われていく体力をこんなふうに見せることが出来るのだな……と感嘆。四期歌舞伎座のさよなら公演で踊り納められた『鷺娘』は、こうして五期に引き継がれたのだ。

足元がよく見える席だった。ぱたり、ぱたりと跳ねる白い足袋。まさしく鷺、鷺だった。鳥肌が立った、いや、駄洒落ではなく。

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・坂東玉三郎が「口上」で歌舞伎座の舞台機構を紹介「九月大歌舞伎」コメント映像┃ステージナタリー



2020年09月10日(木)
『mid90s ミッドナインティーズ』

『mid90s ミッドナインティーズ』@新宿ピカデリー スクリーン3


二度と戻りたくないグローリーデイズ。

90年代のLAストリート/スケートカルチャーを中心に描かれる、迷える十代。大人の世界に足を踏み込もうとする少年の瞳には輝かしい未来が見えるか? そのときその場所でしかシェア出来ない、痛みと喜びに満ちた季節。

部屋のポスターを張り替える。キャラクターもののTシャツを脱ぐ。タバコ(ハッパ?)の臭いを消すためにめっちゃスプレーかける(笑)、何度も練習した技が初めてキマる。憧れのコミュニティに加わりたいという思いに虚勢が加わると、取り返しのつかないことになる。そうして人生をだいなしにする子は沢山いる、という苦さもしっかり描いている。それを「クール」だと自分にいいきかせる虚しさも直視してる。

極力説明が少ないのがいい。お母さんの若さ、傍若無人に見えるお兄ちゃん、嘘をつくともだち。あんなに殴って殴られても、兄弟は一緒にゲームをする。憧れの兄貴分には悲しい思い出がある。皆が現状から抜け出そうともがいている。と同時に、自分以外の誰かに光がさすことを許せない自分もいて、そんな自分がまた許せない。振り向いてほしくて無茶をする。変わっていくともだちをどうすることも出来ない。戸惑いが疑心暗鬼へと膨らんで、ある出来事で爆発する。

どの登場人物にも自分がいるというか(あ、レイはいないかも知れないな…いい子だよね……)、主人公にもお兄ちゃんにもお母さんにもこんな自分いたよなあと。お母さん、あのシーンであの言葉が出た(よくいえたなあと胸が熱くなった)のは彼らにかつての自分の姿を見たからかもしれない。いちばんノロマだと思われていたフォースグレードの才能が迸るラストシーンが苦くて甘い。彼は黙っているが、誰よりもともだちの姿をしっかり見ていた。そしてその大切なともだちが輝く瞬間を、逃さず捉えていたのだ。あのなかには笑顔しかない。観客が最後に目にするのが、あんな幸福な時間だなんて。戻りたくはないけど、かけがえのない日々。

90年代の悪ガキが大人になるというストーリーは、先日『Beastie Boys Story』で目にしたばかり。彼らはビースティのようになれるかな。よりにもよって、そのビースティの曲がとある理由(後述)で使えなかったというエピソードに苦笑。

さて、冒頭のツイートにあるように、この映画を観に行ったのは「90年代を描いた映画の音楽をトレント・レズナーとアッティカス・ロスが手がける」というニュースがきっかけでした。果たしてその仕上がりは、トレント&アッティカスの劇伴に加え、90年代のアメリカ──とは限らないな、なんたってMorrissey「We'll Let You Know」が入ってますからね!──のヒットナンバーからあんな曲こんな曲がつめこまれているものでした。もうエモくもなるっちゅうねん。序盤のお兄ちゃんのお誕生会、レストランのBGMとして流れてきたのがSEALの「Kiss from a Rose」でしたからね……ちょ、いきなり! どれだけ聴いたか! もうこの時点でエモが全開になってしまいましたよね……このシーンがまたせつなくてさあ。お兄ちゃんもっと弟に優しくして! なかよくして! と胸がかきむしられる思いでした。で、ここがあるから終盤のシーンでまた胸をかきむしられるんですよね……ジョナ・ヒル監督、ニクいことする……。そして劇伴は苦くて甘くて不穏で温かい。トレントはピアノの子やねえとしみじみしました。

ちなみに今作のサウンドトラックというのがイマドキで、劇伴の4曲はデジタル配信、その他の楽曲はSpotifyのプレイリストとして公開されています。はあ、聴くとあのシーンこのシーンを思い出して涙目。かつて聴いていた曲がこんなふうに新しい感覚を呼び覚ましてくれるなんてうれしいな。音楽はやっぱりいきものだ。

・mid90s┃Spotify


・Mid90s (2018) Soundtrack - Complete List of Songs┃WhatSong
どのシーンでどの曲が使われていたかはこちらを。全曲試聴出来ます。

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・MID90S Official Trailer (2018)


・『mid90s ミッドナインティーズ』日本版予告


・ジョナ・ヒル、初監督作『mid90s ミッドナインティーズ』を語る ──「思春期の彼らのセリフに隠されているのは、“苦しい”という副音声」┃VOGUE JAPAN
「皮肉なことに使えなかった1曲はビースティ・ボーイズの「Time for Livin’」なんだけどね。」
「あの曲はスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンのカバーだったから、ビースティ・ボーイズにはどうにもできなかった。それよりも僕はモリッシーから承諾を得るのが一番大変なんじゃないかと思っていたから、彼が快諾してくれたのは嬉しかったよ。」
ア゛ーーースライよーーー(泣)

・『Mid90s』ジョナ・ヒル interview:脆い男性性とスケートカルチャー┃i-D
「僕が育った時代の歪んだ男性性を見つめ直したかった」
「幼い頃の自分、常に誰かに値踏みされていたあの頃を思い出そうとする作業はつらかった」

・ハーモニー・コリンどこに出てたっけ? と帰宅後調べてみたら……あーーーアイツかーーー!!!

・それにしても、シネコンのそこそこ大きいスクリーンで1日7回とかまわしてたのに驚いたんだけど、幅広い年齢の客層でちゃんと埋まってて驚いた。宣伝がうまかったといってたひとがいたけどそうなの?