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2020年10月24日(土)
東京バレエ団『M』

東京バレエ団『M』@東京文化会館 大ホール



初めて観たのは2010年、十年前。再びの逢瀬を切望していました。次回があるとしたら何か節目の年だろうと思っていたので、三島由紀夫没後五十年にあわせ上演が発表されたときは本当にうれしかった。中止にも延期にもならなかったのは幸運でした。チケットが発売されたのは6月。席数を減らすというアナウンスはなかったので、全席売りに出していたと思います。秋には状況が変わっていると、制作は賭けたのかもしれません。払い戻しになるかも、席を減らして再発売になるかも、と気を揉んでいましたが、無事そのままの席で当日を迎えられました。よかった。楽日も、神奈川公演も無事終えられますように。

しかもその席、端っことはいえ最前だったのです。間にオーケストラピットがあるとはいえめちゃくちゃ近い。台詞や歌、踏み切り、着地の音もハッキリ聴ける。ダンサーの表情も、飛び散る汗も、息遣いも、その息とともに上下する肌の動きも微細に見える。身体が少しずつ擦り減っていくのが見て取れるよう。ひとは生まれた瞬間から死に向かっている、この瞬間にも死が近づいている。それがひしと感じられる貴重な体験でした。

キャストも一新され、前回と同じ役を踊ったプリンシパルは上野水香のみ。ダンサーたちのポテンシャルに圧倒される。キレッキレです。一度舞台に登場したらほんと休む間がないハードな踊り。特に印象に残ったのは、IV(死)=池本祥真。思えば数字で名付けられた四人の衣裳はI=黒からIV=白とグラデーションになっている。死が真っ白、というのはなかなか象徴的で、池本さんはその衣裳と、白塗りにした顔がとてもよく似合っていた。死は三島に大きな影響を与えた祖母の役も演じ、少年三島をマジックによって消すことも出来る。そんな彼が、少年の死に際して慈愛に満ちた仕草と表情をする……これは新しい解釈にも感じました。

そして聖セバスチャン=樋口祐輝。輝きに満ちた魂の誕生から、迫害を受け朽ちていくその様子。圧巻でした。少年=大野麻州、ピアニスト=菊池洋子の存在感も大きいものでした。

初見時は情報量の多さに圧倒されるばかりでしたが、今回はもう少しおちついて観ることが出来、新たに気付いたことも多々ありました。「午後の曳航」の船乗りは美輪(丸山)明宏(彼も「M」だ)の投影か、とか。メイクの効果もあると思いますが、演じたブラウリオ・アルバレスの顔立ちが美輪さんにそっくりだったのです。それで気付いた(笑・遅い)。ムカデのようにつらなるアンサンブルのダンスは、改めて見ると相撲の四股やすり足がモチーフになっているのかなと感じました。あと終盤ダンベルが出てくるところ、前回はあまりにも具体的でギョッとしたに留まったのですが、今回は「ああ、いよいよ身体を鍛え始めた。三島の死が近い」と胸が締め付けられるような思いになりました。冒頭と幕切れに響く能楽の「呂の声」が、海をわたる船の汽笛にも聴こえたのには鳥肌。海からここ迄演出のイメージを拡げるベジャールの感性に感服。

そして十年前には気付かなかったといえばこれが大きかった、「禁色」のパート。男性同士、女性同士、そして男女のカップルの間を縫うように少年が駆けまわる。少年の手には一輪の薔薇。歩く、手を繋いだ聖セバスチャンと少年。全てのカップルに祝福の花が贈られたよう。こんな解釈も可能だったのだ。反面「楯の会」のパートでは、先日行われた中曽根康弘氏合同葬での自衛隊員による「と列」を思い出しハッとする。三島もベジャールも、これは予想していなかっただろう。今のこの状況、ふたりが生きていたらどう思うかな?
(20201124追記:神奈川公演で見直したところ、このとき薔薇を手にしていたのは少年ではなく聖セバスチャン。寝そべるセバスチャンに駆け寄った少年が薔薇を手渡し、ふたりは手を繋いで登場人物たちの間を縫うように歩く。そして聖セバスチャンが少年に薔薇を返す、という構図でした。失礼しました)

『M』の初演は1993年、昭和天皇が崩御から数年しか経っていない頃。当時はそのインパクトの強さに、レパートリーとして残ることはないだろうというひともいたようです。しかし、この作品はこれからも愛されていく、不朽の名作だと感じました。作者の手を離れ、初演を知らないダンサーたちがつくりあげた『M』は、次世代にも受け継がれ、上演されていくことでしょう。観られる限り観ていきたい。キーワードは連なり、作品は演じられ、ひとびとの記憶に残ることで永遠になる。

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・東京バレエ団が三島由紀夫×ベジャールの大傑作『M』を10年ぶりに上演、新キャストを得て清新な舞台に┃SPICE

・前にもいったけどこれ、ほんとマニックスのジェイムズに観てほしいんだよね……

・小林十市 連載エッセイ「南仏の街で、僕はバレエのことを考えた。」【第10回】「M」について。┃バレエチャンネル
作品指導のため、この夏日本に滞在していた十市さん。せっかく帰国したのに二週間の自粛待機や稽古以外の外出を控える等たいへんなことも多かったようです。無事幕が開いてほっとしただろうな。
初演当時の話も興味深い。「三島が亡くなったのは11月なのになぜ最後は桜なのか?」と思うひともいるか、そうか。あれは桜と人間の命の美しさ、儚さの顕れだと解釈しています

・美輪明宏さんに聞く三島由紀夫とベジャールの『M』┃NBS News Web Magazine
・美輪明宏×柄本弾 対談 いま舞台芸術にできること┃婦人画報
「そうしたら三島さん、スッと椅子を立たれましてね、小学生みたいに真っ直ぐに、私に向かってお辞儀をされたんです。どうしたのかと思ったら、『そんなに僕のことを買いかぶってくれて、どうもありがとう』とおっしゃったんです。びっくりしました。そして、なんて純粋な人だろうと思ったんです。」

・【めぐろバレエ祭りON-LINE】東京バレエ団『M』上演記念 小林十市×高岸直樹×吉岡美佳 スペシャル・トーク┃下降の旋律
8月に行われたオンラインイヴェントのレポートを書かれている方がいらっしゃいました(有難うございます!)。初めて知ることも多く膝を打ちまくる。ベジャールさんの思い出話も楽しい。日本語で「くそばばあ、くそじじい、赤鬼」って罵るベジャールさん見てみたかった(笑)

・感染症対策の一環で、初日二日前に来場日時、席番と連絡先の登録フォームが届きました。当日会場でも用紙記入出来たけど、事前に入力しておけると気持ち的にも楽


おまけ。本当は今年『バレエ・フォー・ライフ』観られる筈だったんだよう。ところでこのマーキュリーさんの脇に置いてある黒板が気になりますね。従業員の方がお店の宣伝をしてるのかな? と帰宅後調べてしまったよ、「鳩のグリル」なんて本格的じゃんとか思って。実在しなかった(笑)、この方でした→・フレディーノ/チクリーノ┃twitter

・ちなみにモーリス・ベジャール・バレエ団の払い戻しは、チケットを返金口座の連絡とともに簡易書留で送るというもので、制作側の手間はかなりのものだったと思われます。返送料も加算して返金してくれたし……。中止は本当に残念ですが、ギリギリ迄公演の実現を模索してくださった日本舞台芸術振興会(NBS)には感謝しきり。微々たる額ですがチケット代の一部から寄付しました、踏ん張ってくれ〜

・バレエやオペラの来日公演もいくつ中止/延期になったことか……早く終息してくれ〜



2020年10月17日(土)
ねずみの三銃士『獣道一直線!!!』

ねずみの三銃士『獣道一直線!!!』@PARCO劇場


好きな演出家は沢山いるけど、信頼している演出家というと断然河原雅彦と鈴木裕美なのです。ホンのキモを的確に掴む膂力、空間の大小を見極め、全方位に注意を払える鳥の目。そして品のよさ。いやマジで。河原さんには品がある。いい方を変えれば、自分のつくるものに対してブレないという矜持がある。自分がこれ迄観たミュージカル/音楽劇で不動の一位は『いやおうなしに』です。

以下ネタバレあります。

PARCO劇場の顔のひとつとして、オープニングシリーズに彼らがラインナップされているというのが痛快でもあり納得でもあり。ねずみの三銃士=生瀬勝久、池田成志、古田新太に宮藤官九郎が書き下ろすホンは、ヒドい話でゾッとする話。「どうしてそうなった?」を追う話。『万獣こわい』では北九州監禁殺人事件がモチーフになっていましたが、今回は首都圏連続不審死事件がとりあげられています。「魔性の女!」動画のところでは松山ホステス殺害事件の福田和子元受刑者かな、と思ったのですが、思えば福田元受刑者は結構何度も映画/ドラマ化されてますよね。木嶋佳苗被告の事件は昨年刑が確定したばかり。数々のゴシップ記事はあれど、こうした作品はまだ少ないように思います(柚木麻子『BUTTER』がそうらしいけど未読)。

その木嶋佳苗被告がモデルとなっている人物を池谷のぶえが演じる。男たちは「被害者は何故この女に惹かれ、(おそらく)騙されていると気付いていたのに金を差し出し、(おそらく)殺されると気付いていたのに彼女から離れなかったのか?」を追う。クドカン演じるドキュメンタリー作家は、その謎を知りたくて撮影に着手する。ところが取材先に現れたのは、コロナ禍で暇になった病気(生瀬=パニック、池田=心配性、古田=アル中。愛あるあて書きですなあ)の役者三人。彼らは事件を再現するというテイで、「ドキュメンタリー」作品に強引に参加していく。役者たちは登場時から「ありゃ私服じゃん!」(特に古田さんな・笑)という衣裳だが、当然そこには「演技」がある。

「なんでこんな女に?」。自分のことを保守的だというドキュメンタリー作家にはそれはわからない。しかしその妻と役者たちは、どんどん「こんな女」にのめり込んでいく。当然だ、「こんな女」の魅力的なことといったらないのだ。その説得力は、池谷さんの存在あってこそ。前述したように池谷さんの色気が大好きなのだが、過去その魅力に正面から迫ったのが赤堀雅秋の『葡萄』だった。河原さんは、そこに渾身のコントをぶつけてきた。コントには悲哀がつきまとう。そのギリギリを、その表裏一体を、池谷さんは演じることが出来る。妖しく、寂しく、人生を謳歌する「こんな女」。

『氷の微笑』のストーンよろしく超ミニのタイトスカートで脚(勿論生脚です)を組み、蜷川幸雄のように角型灰皿をぶん投げ(「蜷川さんが投げたのはその灰皿じゃない!」、爆笑)、角刈りで寿司を握り(いや、握ってないな。握らせてたな・笑)、『七年目の浮気』のモンローのようにスカートを吹きあがらせる。なんて格好いい、なんて生命力溢れる姿。輝いて見える。

「こんな女」の魅力に気付かないドキュメンタリー作家の末路に、溜飲を下げる。同時にハッとする。ものごとを一面からしか見ることが出来ず、己の見識に疑いを持たない。自分はそうではないといえるか? 私は違うといえるか? いえるわけがない。役者たちは演じることで、常に疑いをつきつける。舞台に掲げられた三人の役者の肖像写真は遺影にも見えた。何があっても演じると腹を決めた役者の顔。を、演じる役者の顔。彼らに「好きなひとは相変わらず好きで観にくるみたいだしさ、」という台詞(観客への愛情表現にも感じた)を投げるクドカンの、そして板の上の役者を最高に無様に、最高に神々しくブチ上げる河原さんの、芝居への意気。その粋! 芝居で生きていく者たちが舞台に載せたものを、こちらも存分に楽しみました。あー面白かった!

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「自分が死ぬとき」とツイートしたが、同時に「この三人が死んだとき」とも思った。「このひとの芝居を観られる時代に生きててよかった」。縁起でもないがいつかは来ることだ。彼らが先か、自分が先か、それはまだ判らない。

・古田さんの「バイパス手術の跡が〜」という台詞に笑いつつもドキッとした。ご本人もインタヴューで話しているので隠している訳でもないだろう、2011年(しかも3月11日)に手術をしている。そのすぐあとの『たいこどんどん』はとても愛すべき仕上がりだったが、古田さんの体調が万全だったら? と思わずにはいられない部分があった。蜷川さんはあっちに行ってしまったけれど、再演をあっちで、というのはまだ待ってほしい

・ちなみに渋さ知らズ「Naadam」はねずみの三銃士では恒例の客出しです。反射で泣くわ。特に今年はフェスがなかったし

・そうそう、今でもああいう形でネタにされてる蜷川さんって愛されてるなあと思いました。あのタイプの灰皿(あれを皿といっていいのか)は蜷川さんでも投げませんて。てか蜷川さん細いからきっと持てないし投げられない(笑)。泣き笑い

・この濃いメンツのなかで山本美月、好演。角刈り最高



2020年10月10日(土)
『ダークマスター VR』

庭劇団ペニノ『ダークマスター VR』@東京芸術劇場 シアターイースト


いやあ、近頃のVRは匂いも再現出来るんですね。どのくらい視界を動かせるのかと序盤はあちこち向いてみたのですが、ある一定のところ迄いくと景色が止まってしまい、それ以上奥にはいけないこともわかってなかなか興味深かったです。
(20201019追記:……と書きましたが、実はその匂いは……後述)

少し前にtwitterで「#舞台上で調理を行う演劇作品」というハッシュタグがまわっていました。それを見て真っ先に思い浮かべたのがこの作品。三年前にこまばアゴラ劇場で観たときは、年季の入った洋食店でつくされる料理の数々に生唾を呑み込んだものでした。

それを今回VRで上演するというのです。迷うことなくチケットを確保しました。VR自体も初体験、乗り物酔いのような症状があらわれる場合もあるとのことで、ガイドラインに従って事前に酔い止めを服用。当方豊洲のぐるぐる劇場で酔うくらいの三半規管ですが、操縦の上手い飛行機とかは全然大丈夫なんですよね……。ちょっと迷ったのですが、具合が悪くなってからでは遅いし、当日は台風接近のため気圧も不安定だったので準備万端で臨みました。

1公演につき観客は20名。この日は5ステ、そのうちの3ステージ目に参加しました。ロビーでまずはゴーグルとヘッドフォンの装着方法と、何かあったときの対応についての説明を受ける。案内されて劇場内に入る。だだっ広いフロアに机と椅子が20席分、二列に並んでいる。青いネオンライトの動線に従って着席。席間はマジックミラーで仕切られている。なんかイメクラの個室っぽい……ストーリーを知っているのでこれも演出の一環として楽しめました。セッティングを終え開幕です。ヘッドフォンから女声のナレーション。自分と他人の身体の区別は? この体験は本当に自分が体験したことか自信が持てますか? 催眠術にかけられる前の呪文のよう。やがて目の前に「キッチン長嶋」の扉が浮かび上がります。

ストーリーはよりシンプルに、より原作に近づいた(戻ってきたというべきか?)。都市再開発とか外国人の地上げ屋とかは今回はおいといて。だいたい今、外国からひと来ませんからね。「このご時世外食するやつが減っちまった、テイクアウトばっかりで」というマスターの言葉どおり、この上演は2020年の秋現在を映し出したものになっている。VRを使うからには、という「お店でプロのつくったごはんを食べる」「厨房に入って料理をつくる」という醍醐味にウエイトを置いたものになっていました。これがまー楽しい。観客として作品を鑑賞していたこれ迄の上演とは違い、登場人物に自分がなるのです。自分の意思では動けない。首を動かして周囲を見回すことは出来るが、こちらの意思とはおかまいなしにマスターはコロッケ定食をつくるし、出された定食を食べる。店で働くことになり、イヤフォンから聴こえてくるマスターの指示どおりに料理をつくり、出す。客がどんどん来る。売り上げの札束を眺め、酒を呑み、デリヘルを呼ぶ。

食べたのはコロッケ定食、つくったのはヘレステーキとナポリタン。オムライスはつくる過程はなく、場面が変わったらもう出来あがって手に持っていた(笑)。コロッケの揚がる匂い、牛肉を焼く匂い、この辺り迄は「なんかいい匂いする……いやでも視覚と聴覚を刺激されたことでそう感じるのかも……」と思っていたけれど、決定的だったのはナポリタンをつくったとき。ケチャップのにおいがハッキリしたのです。それを炒めることによってますますあの酸味と甘味が際立って……キエー! 劇場内で匂いを撒いてんのかなと思ってゴーグルの隙間から様子を見たりしてたんですが(笑)そんな様子もなく、ここは結構狼狽しました。帰宅後調べたところによると、ゴーグルに匂いのカートリッジを仕込めるものがあるらしい。

おちついてくると、自分の意思や身体と、VRとの差異を面白がれるようになってくる。当方左利きの女性ですが、右にお箸を持たれる違和感がいちばん強かった。で、その手がなんかかわいらしかったんですよ。映像はFOペレイラ宏一朗さんのものなんだけど、ちっちゃくて華奢で。実感よりちょっと遠くにある(ように見える)こともあり、なんだかこどもの手のようでした。デリヘルといたすところはそんなに……(笑)この辺はVRに触感があればまた変わるかな。でも息遣いや唾液が垂れる様子、相手の毛穴をめちゃくちゃ至近距離で感じるところにはやはりドキドキしました。いや、自分は見られていないという安心からか、むしろまじまじと相手を見てしまったな。オチはご愛嬌でした。ふと思う、これレイティングあったっけ? 終演後調べてみたら、R12だったようです。ははは。

マスターから店を引き継ぎ、いつのまにか料理の腕だけでなく、その感覚迄共有することになるという『ダークマスター』のストーリーは、VRという手法にぴったりでした。指令用のイヤフォンを耳に入れられるときのノイズ(これは鳥肌立った!)、呑めない酒を口にするとマスターが酔い、デリヘルとやってるときにマスターがうめく。その声がイヤフォン(実際にはヘッドフォンだが)を通して直接耳に届く。さて、自分もやがて「階上のマスター」になるのだろうか? 次の「マスター」はいつ来店するのだろう? 再び女性の声でアナウンス、ゴーグルを外すと隣の席がうっすら見えるようになっておりギョッとする。自分と他人の違いをまじまじと眺めて終演です。




すっかりあてられてふらふらと退場。雨のなかオムライス(と、実はコロッケも買った・笑)を手に帰宅しました。いやー面白かった、VRを体験しに劇場へ足を運ぶという過程からして、サイトスペシフィック演劇な側面もあり非常に楽しめました。

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・「ダークマスター VR」タニノクロウ インタビュー / FOペレイラ宏一朗が語る稽古場┃ステージナタリー
「今回、配信はせず、少人数でもある種の緊張感がある劇場で観てもらいたい、劇場でやる必要があると思っています」。当初は通常の舞台として上演する予定だったそうです。案があったとはいえそこからよく思い切ってこの上演形態にしたな、これだけの品質のものをつくったなと感嘆。コロナのおかげとは絶対いいたくないが、この「転んでもただでは起きない」スピリット、見習いたい。
「なるべく中性的というか、主人公の性別が特定されないような感じで作ることは心がけました」。いわれてみれば、劇中で性別は明かされないんですよね。過去観た記憶からの男性だと思い込んでいた

・「ダークマスター VR」開幕、タニノクロウ「新しいライブの感覚を作りにきてください」┃ステージナタリー
劇場内の様子はこちらの画像で。動線のデザインからして美しい、流石ペニノです

・最新のVRで“香り”と“味”の体験が可能に。仮想空間に「食」の可能性は広がるか┃BAE
2019年の記事。カートリッジが仕込んであるのね。やがて味も体験出来るようになるらしい

・そういえば今回の上演では「携帯の電源を切ってください」だった(KAAT、SePTでは「機内モードに設定し、Wi-Fiをオフにし、Bluetoothをオンにして、アラームを切るのを忘れずに」だった=参照)。機器に影響あるとかかな

・料理といえば。緊急事態宣言期間中、ペニノから「タニノクロウよりみなさまへ」というメールが届いてたんだけど、そのなかに餃子のつくり方レクチャーがあったんですよね。「餃子の餡は豚バラスライスを3ミリピッチくらいで細かく切ったのを挽肉とミックスさせて、お湯じゃなくて鶏がらスープで焼くと激変しますよ!」このこだわりも見習いたい。ちなみにお肉の切り方とかはすっ飛ばして鶏がらスープで焼くってのだけをやってみたけど、確かにすげーうまかった!

(20201019追記)
・観客は実態のない支配者にリモートで“操作”される タニノクロウ演出『ダークマスター VR』(末井昭)┃QJWeb
「スタッフが玉ねぎを炒めて、ウチワで扇いでブースを回っていたらしい」……ちょっと待てそっちかい、「ブースの外から匂い送ってる? いやいやまさかね、VRだもん」なんて最初に思ったけど、正解だったんかい! VRも進化したなあと思っていたのに…いや、調べた通りそういう機器も既に開発されてるそうだけど……。個人的には断然こっちのが「演劇」として好き!



2020年10月08日(木)
『デソレーション・センター』

『デソレーション・センター』@シネマート新宿


アンダーグラウンドシーンのドキュメンタリーフェス『UNDERDOCS』。観たいの沢山あったんだけどなんやかんやで最終日のみの参加になってしまった……これだけは外せんとねじ込みました。シアターNなき今、ここらへんの作品を一手に引き受けてる感のシネマートさん有難い。


警察の差別的な取り締まりが厳しく、活動の場が狭められていた80年代半ばのLAハードコアシーン。スチュワート・スウィージーは、警察の目が届かない場所でイヴェント“デソレーション・センター”(以下DC)を開催することを思いつく。詳細など書かれていないちいさな広告に賛同し、約160人がチケット代を振り込んでくる。行き先を明かされぬまま活版印刷のチケットを手にし、遠足よろしくスクールバスに分乗した彼らが着いたのは、カリフォルニアのだだっぴろい砂漠。

道中SAで「奇天烈な連中がやってきた!」と締め出しを喰らったり(ゴリゴリのパンクファッションの子らが片田舎に集団でやってきたら驚かれますわな)、機材が故障したり。さまざまなハプニングは見舞われつつも、“伝説”に立ち会った人々は楽しげに、そして誇らしげに当時を振り返る。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのライヴは圧倒的。映像でこれなんだもの、現地にいたひとたちはさぞや……参加者が証言するように、宗教的なカタルシスに満ちた儀式のようでした。この体験を手紙に書き、疎遠だった母親と和解したってひとがいたというのが象徴的です。

で、そのノイバウテンのブリクサ・バーゲルトがマーク・ポーリン(Survival Research Laboratories=SRL)のパフォーマンスを観て「欧州は火薬とかの制約厳しいんだ。アメリカはいいねえ」といってたけど、いや、あれはアメリカの規制も破ってたと思うぞ……(笑)。そもそも火薬どころか場所使用の届出もしてないし。土地が広大なアメリカならではという感じもします。ほんっとに周囲に何もなかったもの、騒音がーとか通報もされなかったのでしょう。爆破、粉砕、廃材使用のメタルパーカッション。手加減せずに音が鳴らせる! 演奏者は生傷だらけ! 大きな事故がなくて本当によかったですね(微笑)。

しかしやっぱりどこからか情報は漏れる。来場者が捨てていった大量の酒瓶が証拠になった、というのもあーいかにも、という感じですね。証言にもあるようにドラッグ問題もあった。最終的にはスチュワートに罰金の知らせが届き、ミニットメンのフロントマン、D・ブーンの事故死が追い打ちをかける。それきりDCが開催されることはありませんでした。場がないなら自分でつくる、理不尽な弾圧には抵抗する。商業的になる前に身をひく。パンクスピリットに根差したDCは、そうして伝説になったのでした。

それにしてもライヴシーンはどれも現実ばなれしてて格好よかった。2ndつくった直後のソニックユースが圧巻(キムのコメントも聴きたかった!)。ミートパペッツとレッドクロスは、音源に接してはいたものの映像で観るのは初めて。これがまあ最高だった。わーライヴだとこんなに凄まじいのかよ! ミニットメンが地元サンペドロで行った港湾ライヴは美しい夜景、幻想的でもあった。実情は船酔いしたひとも多かったようですが(笑)。

ジェーンズ・アディクション以前のペリー・ファレルを観られたのも貴重だった(今も昔も麗しいことで)。そもそもはスチュワートのルームメイトだった彼、DCの立ち上がりを傍で見ていたんですね。これがあったからロラパルーザも生まれた。コーチェラも、バーニングマンも。規模拡大とともにチケット代も上がり続けているコーチェラは、コロナ禍によりこの春から延期を繰り返している。巨大フェスはこれからどうなっていくのだろう。いや、そもそもスタンディングのライヴやモッシュが出来る日が来るのだろうか? そんなことを思いつつも、自己責任と個人主義の違いについて考える。

それにしても、この時代くらいになると結構映像が残っているものですね。35年を経て日の目を見た、とはいうものの80年代って意外と近いなと思ってしまった(笑)。やー観られてよかったな、日本公開されてよかったなあ。

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・ソニック・ユース、ノイバウテン……巨大フェスの原型『デソレーション・センター』┃BARKS
痒いところに手が届くBARKSの作品紹介。出演者とかその時代のシーンとか、しっかり把握した上で書かれている印象

・インタヴューを受けているマイク・ワットの車にちっちゃなマスコットがいっぱいぶら下がってて、そのなかにやっぱりリラックマがいたのでニッコリしました

・【世紀末マシーン・サーカス!! Vol.1】SRL日本公演「まさか」の実現┃ASCII.jp
・【世紀末マシーン・サーカス!! Vol.2】ロボットたちの殺戮と果てしない性交┃ASCII.jp
・【世紀末マシーン・サーカス!! Vol.3】暴力の静かな幕切れ┃ASCII.jp
・【世紀末マシーン・サーカス!! Vol.4】135Mbpsの高速回線で映像を配信。ロボットの遠隔制御も┃ASCII.jp
SRL何で知ったんだっけなー、テッチーかなー、確か来日もしたよなーと探してみたらレポートがあった(アスキーの記事ってとこがまた!)。画像がちいさい、「135Mbpsの高速回線」、時代を感じる。ていうか記事残してくれてて有難うアスキー!
しかしこの公演、まさに『デソレーション・センター』のよう。「野外の特設会場で行なわれること」、「観覧は無料だがメーン会場の入場制限は3000人で事前予約は一切とらないこと」、それらがファンの連絡網でみるみる拡がっていくこと、「他に誰が観にくるんだ?」なんて現地に行ったらすげーひとだったこと(笑)……。いやはや、アンダーグラウンドシーンが可視化され、「こんなに仲間(数奇者ともいう)がいたんだ!」と嬉しくなると同時に怖くもなる瞬間って楽しいですねえ。
しかしこれ1999年か、比較的最近(?)だな。テッチーって90年代にはもう廃刊になってたよなあ。webなんて影も形もない時代、宮崎の片田舎に住んでて三上晴子や東京グランギニョルを知ることが出来たのはテッチーのおかげです


・ツイート拝借。『UNDERDOCS』最終日ってことでビールのサービスや抽選会もありました。「ビール呑み放題です、呑めない方はさゆあります」って聴こえてきて「さゆ」? 聴き間違いかな、と寄ってったらホントに白湯でウケた。
『アングスト』のディスプレイ(123)といい、コロナで客足が遠のいている時期も工夫に満ちた楽しい企画や場づくりを続けているシネマートさんには頭が下がります。韓国映画ともどもこれからもお世話になります!