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2018年01月29日(月)
HURTS『Desire Tour Live in Japan 2018』

HURTS『Desire Tour Live in Japan 2018』@マイナビBLITZ赤坂

いやーやっと来た、待ってた。2011年以来、日本では二度目の単独公演です。このときはアダムが体調崩して欠席したんだった。来日はしてたんだよね確か……で、出てきたセオが「アダムが出られなくなってごめんね、ショウマストゴーオン!」つったんだった(涙)。サポートメンバーがいるとはいえ、デュオでひとり欠席ってつらいものがあるよね……アットホームな雰囲気で、とてもいいライヴだったことを憶えています。

こうしたアクシデントはデビュー以来こまごまあったんだろう。それらを乗り越えて、2013年のフジに来たときはすっかりたくましくなっていた。というか大化けしていた。あかん、このままではDepeche Modeのように大物になって日本になんざ来てくれなくなるぞ……という危機感をいちリスナーが抱いてもどうにもならん、あれから五年近く経ってしまったよ。月末の月曜日という不利もあってかBLITZ規模で当日券ありですよ。ギギギなんか悔しい! フジのときみたいに、地鳴りのような歓声とシンガロングで迎えたかった! 欧州ではもはやスタジアムクラス。七人編成のバンド編成でアジアにも来てくれて有難いことです。貫禄のステージングでした。

客電が落ち、Massive Attackの「Angel」が流れる。ほぼまるまる一曲かかってる間にサポートメンバー登場、その後暗転してセオとアダムが登場というオープニング。フジのときもopは「Angel」だったよね。変わったところと変わらないところ。どんな状況にあっても流されず、腐らず、自分を貫くこと。ふたりがHURTSを始める前、仕事も収入もなく音楽制作に没頭していた頃の話を思い出した。古着のスーツ、サスペンダー、なでつけた髪という出で立ちで失業保険を受けとる列に並ぶ。自分を惨めに思うことがないように、他人に見下されないように。そんな信念と美学を持ち、確固たるスタイルを維持している彼ららしいエピソード。デビュー当時から変わらぬバンドロゴのバックドロップ、ピアノの上におかれた白いバラ。そのバラを手にして唄い踊るセオ。彼らと同じマンチェスター出身のThe Smiths……というかモリッシーを連想する場面も。

モリッシーにしろデペにしろ、Prince、Tears for Fears、そしてNINと、彼らは影響を受けた音楽やバンドを公言しており、聴いてみれば成程と思う楽曲もある。しかしライヴとなると、HURTSは唯一無二の存在だ。コンセプチュアルでアート性の高いデザインに沿って繰り広げられるのは、驚く程熱量が高く、エモーショナルで、ドラマティックなパフォーマンス。初来日サマソニで震えていた(と聞いた)あの子はもういないよ……稀代の伊達男になったセオはモニターに片足をかけ、マイクスタンドを担いだポーズでフロアを睨めまわす。ステージではナルシスティックなヴィジュアルイメージよりも、彼の快活で社交的な面が際立つ。フレンドリーかつジェントルなMC、おとなしめ(というかおくゆかしい人が多かったのか序盤おとなし気味だった)のフロアを見るや、全身使って腕を振って! とか手拍子して! とか体育会系ばりに率先して動く。じっくり聴こうと二階椅子席から観ていたのですが、その形相に反射で腕を振りました。てか隣で同じく喰いいるように観ていた男性も「は、はいーっ!」てな感じでバッと同時に腕を振りだしてウケた。高みの見物など許さないとでもいいたげに、フロアを休ませず、というか甘やかさず(笑)導く様子にブレット・アンダーソン兄の姿を垣間見ましたわ。

アダムはZZ TOPの短い版みたいなモフモフヒゲになっておりどうした……と思ったが、ピアノにギターにシンセ(ステージ後方中央に設置してある)と曲ごとに黙々と移動し寡黙に演奏しマイペースに手を振ったり謎のサイン(コアなファンにはわかる意味があるのかな)を出したりと、思想家のようなふるまいで素敵。ふたりのキャラクターの違いも魅力ですね。しかし左手にサポーターかな?  指なし手袋みたいなのしてた……どうしたんだろう、大丈夫かな。腱鞘炎とかクセにならないといいけど〜って、なんかもうすっかりアダムは身体弱いイメージがついてしまったよ。

サポートはDrs、B(シンベメインの楽曲ではGを弾いてた)、Syn、そしてクラシックのオペラ歌手……ではなく女性シンガーのペア。最新作『Desire』からの楽曲を中心に、ゴスペル、ファンクにエレクトロ、インダストリアルとバラエティに富む、しかしポップな(ここポイント)楽曲をスマートに、そして熱量高く演奏。ダンストラックからメタル??? と驚くようなハードなトラック迄なんでもござれでした。たのもしー。

大バコが似合うステージングでしたし、バンド側が面喰らってたくらいの盛り上がりを見せたフジはやっぱり特別で、日本では客入りの厳しい単独よりもフェスの方が……とも思いましたが、でもBLITZのあったかい空気もとてもよかったのです、しみじみ。キャパ関係なく素晴らしいステージをみせてくれるバンド、ワンダホーライフでビューティフォーピーポーでエクセレントといってくれたセオの笑顔、それに応える観客の笑顔。その距離の近さは大バコでは味わえない。ライヴバンドの実力が確かなHURTSはいつでもどこでもきっと特別な時間と空間を残してくれる。その場にいるひとたちの心に傷を残してくれる。

アンコールの「Beautiful Ones」、白いシャツと黒のパンツといういでたちで、テキパキ笑顔で歌唱指導するセオは高校教師のよう、指導の甲斐あって最新作からのナンバーがまるで代表曲のようなシンガロングに。これからはきっと自然と大合唱になる、この曲は今後も「Wonderful Life」や「Stay」のように唄い続けられていくに違いない。感動的な光景だった。

セオの投げた白いバラ(ちゃんと葉と棘は剪定してあった)をだいじそうに抱えて帰路につく子たちの笑顔も素敵。ウィアーザビューティフォーワンズだよー、涙。

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セットリスト(setlist.fm

01. Desire
02. Ready To Go
03. Some Kind of Heaven
04. Sunday
05. People Like Us
06. Hold on to Me
07. Miracle
08. Rolling Stone
09. Better Than Love
10. Sandman
11. Lights
12. Walk Away
13. Something I Need to Know
14. Wonderful Life
15. Nothing Will Be Bigger Than Us
16. Wings
encore
17. Beautiful Ones
18. Stay

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セトリ画像お借りします。検索するといろいろ出てきたんだけど、こちらのだけ曲の横に番号振ってあったのが気になって。なんだろう?

・ハーツ: 来日公演ライヴ・レポート│SonyMusic

・【ライブレポート】ハーツ、5年ぶり来日公演で見せた不変の美学と進化の軌跡│BARKS

・BLITZにマイナビがついてから初めて行った。内装や機構は別に変わらず。過去公演したバンドのサイン入りポスターが飾ってあり、2003年のQOTSAのもあったので拝んできた。ニックがいる、うう……

・カメラクルーがついてたんだけど、そっちも美形揃いだったな(笑)日本のカメラクルーではなかったのでどこでどう使われるんだろう、観たいなあ



2018年01月27日(土)
『秘密の花園』

RooTS Vol.05『秘密の花園』@東京芸術劇場 シアターイースト

好きな要素しかなかった。唐十郎が書く熱を秘めた言葉、福原充則の膂力ある演出、肚を据えて身体を張る演者たち。この作品を舞台に載せる、この役を舞台で生きる、という情熱。こういう舞台が観たかった、だから自分は劇場へ足を運ぶのだ。

着席すると、ずいぶん高くに舞台と装置(美術:稲田美智子)が組んであることに気づく。やがて舞台上のカーブはトンネルを表し、左右に据えられた電柱と電球の位置からこの部屋がアパートの上階にあることがわかる。汽笛が響き暗転、あっという間に劇世界へ連れていかれる導入だ。唐戯曲ならではのテンポの速い、独特なリズム。暴れ馬のような台詞を柄本佑がクールに、しかし皮膚の下の熱を伝えるように声に乗せる。ピシャン! という音とともに開く引き戸、立ち現われる美しき立ち姿の女は寺島しのぶ。この時点ですっかりこの作品に魅了されてしまう。

そして思うのは、自分は唐十郎のフォロワー世代の舞台を観てきたのだということだ。状況劇場には間に合わなかった、唐組には間に合った。しかし紅テントを破るように野外から四畳半へなだれ込む群衆や、「唐!」という大向こうを体験したのは、南河内万歳一座=内藤裕敬の演出作品を観たあとだった。四畳半も、引き戸も、そして長屋に差し込む夕陽も、南河内で刷り込まれた。寺山修司の影を野田秀樹作品から、つかこうへいの姿をいのうえひでのり作品から感じとったときと同じだ。小劇場の歴史は、こうして受け継がれていくのだ。

福原さんの、照れをかなぐり捨てた作品への愛がほとばしる。ここ迄見せてしまった。心を開いて告白してしまった。もう戻れない。まるで作品中で語られる人魚との恋のようじゃないか。人魚と恋におちると語った男は、その後どうなったか。激しい雨、上階に迫る水位、畳敷きの部屋に流れ着いた小舟。泣きやまない赤子たち、温めていた哺乳瓶から火は上がり、粉ミルクの買いものから戻った男の目に映るのは炎に包まれた長屋。失われていく風景、行方不明のこども、停まった時間。火と水の記憶が目の前の現実となる。花園は坂の上にある。青い鳥を探しにいく、流しに現れる海から旅に出る。菖蒲の葉は生き別れのきょうだいや行方知れずのこどもを呼ぶ葉笛になり、聖剣にもなる。下町、流し、菖蒲は一時期の唐作品に頻出するモチーフだ。

田口トモロヲが、抑制された声で観客の想像力を喚起する。パンツを履いているより全裸の方が健全、とでもいいたげな、恥じらいを含んだ情景描写。柄本さんに「いい遺伝子持ってんだからさ」「あなたの倍生きてるんだ」などととばすアドリブも恥じらいの裏返しか。ふざけているのか、と感じさせるギリギリの線を維持し語られる託児所の火事の光景は、すっかり当時と現在を繋いでいる。笑いと慟哭、怒りとやりきれなさ。戻らない時間を喰い潰していくことに飽き飽きしている。その姿はどこか浮世離れしているトモロヲさんに重なる。

池田鉄洋と玉置玲央のやりとりが見事。台詞のリズム、テンポが血肉化され、唐戯曲のそれだ、と感じさせる。久しぶりにイケテツさんの怪演を観られたこともうれしい。玉置さんの身体能力はアングラでこう活きるか。観客の視線と心をかっさらう独壇場のシーンもある。福原さんもポイントとなる外界から介入する人物を力業で演じる。あの水量に打たれ乍ら女性を担ぎ続ける体力、そして気力! 苛酷としかいいようのない、本水に打たれ続けるあの状況で演出家が演者とともに舞台に立つ。共犯関係といおうか、あるいは心中か。心中なんてたまったもんじゃねえという演者もいるだろうが、この座組に関しては言葉にしない部分での信頼関係が頼もしさになっているように思う。

寺島さんの伸びやかな肢体、気風の良いものいい。通る高音、ドスの効いた低音。遺伝子がどうこうなんてどこ吹く風、とにかくカブキもんだ。戯曲の指定か、演出の要求かなどといったこちらの邪推など蹴散らす見得をきり、飛び六方を披露する。長い脚が裾から覗く、ワンピースが襦袢に見えてくる。台詞のキレと説得力。いんやつくづく私、寺島さん大好きよな……。柄本さんは、この作品の初演で父親が演じた役を担う。あの柄本明がこの役を? 想像がつかない。と思わせられてしまう人物造形。飄々と、しかし繊細に。水の女と火の男の間を迷い漂う男。純な佇まいに美が宿る。綺麗なひとだなあ、掃き溜めに鶴、と思う一瞬がある。下町のさびれたボロアパートに日々通うその姿は照明(斎藤真一郎)の力もあれど、自身が光を発しているようにも見えた。

福原演出ならでは! 本水の扱いに慣れており(この使い方に許可を出した芸劇側にも拍手だわ)、それに伴う音響(高塩顕)も見事。嵐を本水による音と雨音の効果音で構成し、台詞と衝突しないような配慮がある。役者が雨音に負けまいと無理に声を張るということがなく、唐戯曲の台詞の心地よさが際立つ。焦燥と刹那、戻らない時間を針でとめようとする情熱。二度と観られないのが舞台だ。それを思い知らせてくれた。

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・まーそれにしても本水の使いっぷり半端なかった。しかもこの季節に。皆さん千秋楽迄ご無事で…特にトモロヲさん、ご自分でネタにしてたように年齢的に……最年長だよね

・アーティストインタビュー 福原充則(劇作家・演出家)「現実に太刀打ちできるフィクションをつくりたい」│Performing Arts Network Japan
「お客さんに伝えたいのは役者が勝手に掘り下げた人物なんかじゃないと思っているので。観る側のどこかにある想像力のスイッチを押せればよくて」

・福原充則『秘密の花園』で“芸劇おっぱい”吸い尽くし宣言 そのままの形では返さない?│チェリー
「『演出家って戯曲変えていいんだっけ?』って思うところがちょっとあって。じゃあ、自分で書けよと思っちゃう(笑)。変えなくても演出で面白くできると信じてるんです。戯曲をいじらなくても演出でどうにかなる、役者の演じ方で面白くなるって思ってるんですよね」

・ブラームス「弦楽六重奏曲」第1番 第2楽章の思い出:映画<恋人たち>のテーマ│陸奥月旦抄
テーマ曲のように劇中何度も流れるブラームスの弦楽六重奏、第1番、第2楽章。この曲の背景、ヌーヴェルヴァーグにおける起用履歴をこのブログ記事で知り膝を打つ。唐さんもきっとこの映画を観たのだろう

・ちなみにもう一曲、テーマとして流れていたのは岩崎宏美の「すみれ色の涙」でした。これはギリギリわかる世代ですわ

・柄本兄弟、ここんとこ舞台で続けて時生くんを観ていたので、やっと佑くんが観られた〜という気分だった(笑)



2018年01月24日(水)
Tera Melos / LITE Japan Tour 2018

Tera Melos / LITE Japan Tour 2018@TSUTAYA O-WEST

ツアー前半はLITEとまわります。初日の今日はNENGUも参加。NENGUは重戦車、LITEはブルーインパルス、Tera Melosは深海をビュンビュン泳ぐ蛸のようであった。

NENGUは初見。トリオ編成、下手側にセッティングされたDrsに対し、上手側からBとGが迎え撃つかたち。よってフロアを向きません(笑)。強烈なブラストビートにBとGがガンガン乗っかっていく。Gの子が細身のアダム・ドライバーみたいな風貌で、イタコのようになって弾いてます。こーれーがー格好いい! スピードがあるのに重みもある、ブラストやるならこんぐらい叩いてほしい! と胸躍る。このときは後ろにいたのでセッティングが見えなかったんだけどサンプラーも使ってたのかな、Gが実に多彩な音を出してくる。そのうえリズムが立っており、ブレイクの抜きがあまりにも自在なので、同じBPM(だと思われる)のに車のドリフティングのようにスピードが切り替わるので真剣に聴くと酔う(笑)。音でのなぎ倒しっぷりが素晴らしく、演奏のあとはステージ焼け野原、ぺんぺん草も生えませんよってな勢いです。

MCはBの子。Tera MelosもLITEも学生の頃から聴いてたんで〜とかいいだしてヒィとなる。この界隈はフォロワー間の風通しがいいなあ。最後に誰でも知ってるあの曲をやります、と始めたがリズムの脱臼っぷりがすごくて全くわからん、やがてゲーム音楽のような脱力ピコピコ音から浮かびあがったのはなんと「威風堂々」のメロディでした。笑いとともに歓声があがる、いやーこの攻撃性溢れるユーモア! お見事でした。

二番手LITE、転換時に前に入れて以降は上手側二列目で観る。全体的にこの日は音がデカく、スピーカー前にいたもんで途中迄中音がとれず四苦八苦。Drsがあんまり聴こえなかったのね…せっかくこの日山本さんの36歳のお誕生日だったというのに残念なことであった。でも途中からは聴こえるようになってホッとした〜。というわけで突然祝われた山本さん、楠本さんにマイクを所望しアニメ声で挨拶しておりました、かわゆ〜。てか先日の『HINA-MATSURI』のときのフォローといい楠本さんはいいお兄さんだねえ。実際誰がいちばん歳上かは知らないが。

短期間でのライヴが続くのでセットリストも全部変えるとのことで(よくやってるけどなにげにすごいよね)、「Ghost Dance」「Warp」とビシビシキメる。井澤さん(下記instagram参照)曰く「ソリッドに攻めた」。シンクロし疾走するリフがあるきっかけで和声になり、そして一糸乱れぬリズムで進む。軌跡を残して音が分かれ、やがてまた同じ軌道へ戻ってくる。まさにブルーインパルス、一歩間違えば大事故だがLITEは事故は起こさない、と信じてしまいそうになる。実際トラブルが起こってもカヴァーできるスキル、度胸、そして鉄壁のアンサンブルを持っている。鉄板「Bond」では大歓声、ラスト「Phantasia」は一心不乱に高みへ昇っていく轟音カッティングと高速リフで大団円。親和性のあるメンツ揃いのこともあって観客の反応もとてもよかった。


や〜いい写真!

さてTera Melos! 八年程前にマイク・ワットがらみで知ったんだけどライヴを観たのは初めて。当時はこのアー写のイメージが強く、ノイバウテンの『半分人間』のアートワークを思い出す…だいたいの本数が決まっているイメージの指とか歯をズラ〜ッと並べられたときの気持ち悪さな……などと思っていたら音は全然違っていたのだった。それこそマイク・ワットやLITEが招聘していたAdebisi Shank(大好きだった〜!)ばりの変態(敢えてこういう)マスロック。そして実際ライヴを観て、改めてその思いを強くする。twitterでどなたかが「バカかっこいい」と書いていて膝をバンバン叩いたわ。ヒーと笑い、ヒーと戦慄するの繰り返し。

目の前だったニック(G)のセッティングからもう釘づけ、カスタマイズつーか手づくり感満載だ。配線本人しか出来ないんじゃないか……実際本人がやっていたが。カラフルなかわいらしいポーチから出てくる出てくる大量のケーブル。従来のエフェクターをセットした駅弁箱くらいのボードを右に、ペダルじゃなくて2×3×2cmくらいのスイッチ(ライト仕込んであって全部光る)を8つくらい並べたボードを左に。スイッチとアンプの間にRoland SP-404かませてた、他にも2〜3個なんか介してた。それらのちいさなスイッチをフレーズごと、いや、もはや一小節ごとといってもいいくらいの頻度で踏み替えて、繋いだ一台のギターからやたらめったらな音をビュンビュンとばしてくる。そのギター本体はというと左利き用のもので、それに右利き用に弦を張って右で弾いている。なんだそれ、わけわからん。こいつぁすげえギークっぷり。ちなみにニック、結構な大柄でギターがおもちゃみたいにちっちゃく見えました(あとで調べたらこのギター、Super-Sonicというもので従来のギターより確かにちょっと小さめではあるらしい)。足も大きいわけで、ちょっと位置ズレたらあんなちいさなスイッチ2〜3個いっしょに踏んじゃいそうなとこ、身軽にピョコピョコ踏んでたなあ。

そんなこんなでエフェクターを踊るように踏み踏み、左手は素早いパッセージ、右手は細やかなリフを刻み続け、なおかつ近年は歌ありの曲も多い。弾いてないときもエアギターかエアテルミンか、手から念出して音よ出ろってな挙動がもうおかしい。顔は真顔。とにかくやることが多すぎてオーディエンスにかまってる暇などない様子なんだけど、スイッチングや演奏がバシッとキマったときにパァア…と花が咲いたように笑顔になるのでそれを観たフロアが総じてニコニコになるよい光景。

ネイサン(B)の機材も相当あったようだけど見えなかった。ジョン(Drs)の機材はコンパクトで、細身の彼はテクニカルなリズムを軽やかに、しかしブラストとなるとグラインドコアもかくやの速射砲、そして正確。とにかくふたりともニックとの阿吽の呼吸がすごい。カウントもアイコンタクトもなしでなんでこうも息が合うのか。それでいて全員が思い思いに演奏しているように見える。バンドアンサンブルもここ迄くるともう笑える。そう、バカかっこいい!

演奏では集中している分、終盤のMCでニックはべらべらしゃべる、マイク通さないでしゃべる、日本語と英語で日本愛とLITE愛とNENGU愛とマリオブラザーズ愛を語り、挙動はずっとおかしい。ジュン! コーゾー! とフロアで観ていた井澤さんと楠本さんに呼びかけ、愛溢れる言葉を連発。そしてアンコールでビシィ! とフロアを指差し、「Two more, for you!」といったのにはシビれた。ギークっぷりとのギャップがすごい。ちなみに彼、セッティングしているときは寒かったのかニット帽とフーディー着用だったのですが、それをステージ上で脱いでアンプの後ろにいそいそ置いて、PAにサムズアップで「OK!」と合図を出しておもむろに演奏をはじめたところにもニッコリした。演奏後はニット帽だけきっちり被ってフーディーは置いていって、物販エリアでファンたちに囲まれておりました。これもよい光景。

ポストロックの範疇は広いもので、そのなかでもインスト、マスロックの可能性はいくらでもあるなあと思わされる。アイディアとスキル、そしてDIY。バイタリティに満ちたバンドを一夜でこれだけ観られて幸せです。Tera Melosはこれから結構細かくツアーまわっていくので、あなたの住む街に来たら是非。

そういえばTera Melos、LITEのアンプ(構造さんと武田さんの。井澤さんのもだったか?)そのまま使ってたけどツアー後半はどうするんだろ。



2018年01月12日(金)
灰野敬二 × BO NINGEN

灰野敬二 × BO NINGEN@青山 月見ル君想フ

このあと高熱出して寝込みまして未だ本調子じゃないんですが(カオティックスピードキングとLITEのライヴとばしちゃったよ(泣))、それ程強烈だったというか生気を吸いとられたかのような凄まじいライヴであった。年明け早々とんでもないものを観た、まだ一月なのに今年のベストになるかもしれない。

熱で記憶もとんでったので、まずはこちらのふたつのブログ記事をご紹介。もうはあはあはあと膝を打ちまくり乍ら読みました、素晴らしいレポートです。

・A Challenge To Fate『灰野敬二×BO NINGEN@青山 月見ル君想フ 2018.1.12(fri)』

・ゾウィの音響徒然日記『月見ル君想フpresents BO NINGEN×灰野敬二@青山月見ル君想フ 1.12(fri)』

セットリストも載っていて有難い…BOさんの曲だな〜と判ったの、当方アンコール含めて三曲くらいだった……。二曲目が「Kizetsu no Uta」だったってこの記事読んで初めて気づいたよ! この日のライヴは全編完全コラボということで、インプロ部分も多かったのだけど、既存の楽曲がここ迄換骨奪胎されるとは。そして驚かされたのは、灰野さんと組むことによってBO NINGENのロックバンドらしさが剥き出しになったこと。

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灰野敬二:vo、harp、perc
Yuki:g
Taigen:b、vo
Monchan:drs
Kohhei:g
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灰野さんは歌と詩、ブルースハープを何種かとチャルメラ、フレームドラム(鈴のついていない大型のタンバリンのような太鼓)を担当。冒頭ぼそりといった「心で嗤う嘘つきが大前提」(これ他の方も“嗤う”と書かれてたけど、音声だけを聴いててもこの表記がイメージされたなあ)を筆頭に、刃物のような言葉を投げてくる。曲中何度もクリアファイルをめくっていったりきたりしていたので、展開に合わせてそこにしっくりくるフレーズをその都度探していた様子。ポエトリーリーディングのように長く文章を続けるのではなく、リズムとともに短いフレーズを連呼したり、メロディをつけて唄ったり、シャウトしたりと色とりどりの声を聴かせる。これ迄灰野さんというとギターを使ったノイズ演奏のイメージが強かったため(以前観た山川冬樹とのコラボレーションでもギターを演奏していた)、クリアな声で唄うとこんなに綺麗な声なのだ、と驚かされたりもした。伊藤ヨタロウのような綺麗な高音が出る。タイゲンくんはハスキーでやはり綺麗な声をしており、ふたりがハモるとなんとも美しい情景が拡がる。

圧巻だったのは、前述したように自分は何の曲かも判らなかった二曲目。モンちゃんがキックでテンポをつくり、ユウキくんとコウヘイくんがそれぞれ全く毛色の違うエフェクトをかけたミニマルなピッキングを重ねていく。灰野さんがフレームドラムを叩き、テンポやリズムパターンを牽引していく(モンちゃんちょう真顔でついていく)。ベースが重なり最初の声が入る迄6〜7分はあったのではないだろうか。楽器はそれぞれ全く違う音色でリズムを刻んでいるが、やがてそれらの隙間がなくなっていき、しまいには音がひとつのかたまりとして聴こえてくる。PINK FLOYDの『The Wall』のようじゃないか! 耳栓を取りだすタイミングをすっかり失い、爆音直撃。いや、しかしこれは目も耳も逸らしている場合じゃなかろう。ただただ叩き出される音を浴びるのみ。

五曲目(だったか?)ではLed Zeppelinの『Physical Graffiti』を喚起するような骨太のギターリフが繰り出され、ベースとともに強力なグルーヴをひねり出してきた。これ迄サイケ? ドゥーム? ノイズと爆音に日本歌謡の美しい音階? とどう説明していいものか迷う(それが魅力でもあるのだが、サイケと呼ばれることにメンバーは戸惑いを覚えているようでもある)BO NINGENのサウンドメイキングの根幹が見えた気もしました。献身的ともいえる、そして極めてクリエイティヴィティ溢れるリフを駆使して音を構築する、これはまさに王道のロックバンドじゃないか。こんな形で気づかされるとは。

灰野さんの采配により、BO NINGENの聴き方のコツのようなものも教わった気もする。そして灰野さんの歌い手としての魅力も知った夜だった。そうそう、ダンサーとしても素敵でした灰野さん。全ての仕草が絵になる。

なんて貴重なものを観られたんだろう。またの邂逅を楽しみにするとともに、この夜この場にいられたことに感謝します。これぞコラボの醍醐味! 熱が下がったらきっと憑きものが落ちたように元気になることでしょう。なりたい。



2018年01月07日(日)
『HINA-MATSURI』

『HINA-MATSURI』@豊洲PIT

ライヴ始めはこちら、ひなっちこと日向秀和ベーシスト活動25周年おめでとうの会。実のところお名前は存じあげていたものの、彼のことをきちんと認識したのはLITEきっかけのFULLARMORから。ライヴを観たのも昨年の『秋の井澤祭り』一度きり。の筈…というのも初期のART-SCHOOLとか、イヴェントで何度か観てるんだよな確か……メンバーだったって昨日知ったんだよ。ZAZEN BOYSもベースが吉田一郎になる前観たことはある筈……。自分の記憶力のなさに唖然とする。

長丁場ということもありFULLARMORの途中から観ました。そっからHINATA’S SESSION、LITE、ストレイテナー。ホストのひなっちは勿論、彼を慕う腕利きのロックベーシストが一堂に会するとあってステージ上が華やかなこと、響く低音はゴリゴリなこと。セッションでは初めてkenkenの演奏を生で観たわ。愛されるキャラクターですね、かわいい。完全インプロだったようなんですが、「昨日(確か)出るでしょ? っていわれて30分前に会場入りした」というSOIL&"PIMP"SESSIONSの社長がキュー出し+仕切りで大活躍。もともとゲスト出演していたタブゾンビとのコンビネーションも抜群でした。てかタブくんと社長、だんだん風貌迄似てきてるよね……。そして楽曲ありきではないフリースタイルの演奏で聴くと、ひなっちもkenkenもFLEAのこと好きなんだろうなあというのがよくわかる。というか、フリーが90年代以降のベーシストたちに与えた影響というものをひしひしと感じました(って、違ったらどうしよう)。誰始まりのフレーズとか、リズムの展開を本人たちの呼吸と社長の采配でいくらでも展開していけるんだなあというのをリアルタイムで聴けてスリリング。本人たちも相当楽しかったようで「これいくらでも、いつ迄でもやってられるわー」「またやろう、すぐやろう」といってました。

転換中のMCは響のおふたり。わーこちらも生で初めて観たー。序盤に皆どこから来た? というのを訊いたらしく、どうやらボリビアからLITEを観にきたひとがいるらしい。マジで…すごいな……と思いつつのLITE待ち、これがえらいセッティングに時間かかりましてん。何があったかわからんがリハでサウンドチェックだけでなく楽曲演奏を結構長くやったりしてたので「えーとこれはいつのまにか本番はじまってるやつ?」と聴き入ってしまったりしてました。で、シンセのパターン出しもかなりやったので「Image Game」や「100 Million Rainbows」をやるんだなということがわかった(笑)。てか「100 Million〜」やるんだーとここはアガッたわー。

始まってからもちょっと不安定なところがあり、中盤迄ハラハラしつつ聴く。考えてみればこれだけデカいハコでLITEを聴くことも珍しく、アタックやブレイクにちょっとタイムラグがあるようにも感じました。そりゃそうだ、コンマ何秒の精度が必要とされる楽曲も多いからねえ。感覚的にも物理的にも緊密な距離感で演奏することが多いであろうプレイヤー側も、様子を確かめながらやっている印象がありました。反して井澤さんのベースプレイがアグレッシヴこのうえない。広いフロアに演奏を届ける意図もあったと思いますが、所謂「(会場に合わせた)大きなリボンをかける」行為は流石百戦錬磨、常連さんも一見さんも振り向かせ耳を傾けさせるに充分。イントロで即歓声のあがった「Bond」では導入のギターループが合わなくてやりなおしになってしまったんだけど、そのときの構造さんの「これは…やりなおしって感じぃ? もいっかい最初からいっとくぅ?」というひとことも和むフォローでよかったな。バンドの底力を見ました。

「こんなにたくさんのひとの前でやると疲れますねー…まだ四曲とかなのにもうぐったり。それをもう四バンド分もやってるひなっちさんはやっぱりすごい。LITEも15周年なんですけど、ひなっちさんはベーシスト活動25周年、どうやっても追いつけない」と武田さん。ちなみにボリビアからきたお客さんは、LITEのとき周囲のひとに場所を譲ってもらって最前列で観られたそうです。よかったね、いい話。

オーラスはストレイテナー、ホームらしくひなっちものびのび演奏していた様子。ロビーにはひなっちモデルのベース(これがまーたくさんある)や使用機材の展示、コラボグッズ販売等、ファンやリスナーだけでなく、バンドマン、ベーシストからの信頼が厚いのだなあと思わされる。プレイヤーズプレイヤーの頼りになる兄貴、という感じなのかな。格好よかったです、25周年おめでとうございます!



2018年01月06日(土)
年末年始

昨年大晦日に父が亡くなりましたので新年のご挨拶は控えさせていただきます。年賀状送ってくれた方や住所わかってるひとには寒中見舞い送りますね。

何せ大晦日だったもんだから飛行機がもうなく、結局元日始発で帰ったんだがおかげで? 初日の出と初富士を機内から見るという(またいい天気でなー)めでたいのかなんなのかわからん新年だったがまあ父が見せてくれたんでしょう。そういうサプライズ仕掛けるの好きなひとだったからなあ。通夜も葬儀も賑やかで、時期が時期だったんでなんだかんだで四日間斎場にいたんだがまー終始笑いがたえなかった。四きょうだいのうち末弟(叔父)がいちばん最初に亡くなって、次が父で、男兄弟が先にいなくなり残った叔母たちはそれはまーパワフルなのだった。通夜もずっと話しどおしで翌朝もケロッとしてたもんなあ。見習いたい。ニューイヤー駅伝(地元の旭化成が優勝したもんで盛りあがる)も箱根駅伝(優勝した青山学院大学の合宿地が宮崎なもんで盛りあがる)も斎場で観ましたよ……。といえば空港に着いたら宮崎出身とろサーモンM1優勝おめでとう垂れ幕がかかってましたが、宮崎ではM1オンエアしてなかったそうです。ローカルあるある。昔は箱根駅伝も片道しかオンエアしてなかったらしい。

ツイッタランドのある種のひとたちから男尊女卑でーとか揶揄されることも多い九州で、しかも父は長男で、ブランクあったんで忘れてたがウチはゴリゴリの地域性高い神道なのだった。四十九日じゃなくて五十日祭、一周忌じゃなくて一年祭なのです。で、風習もこまごまあるんですが、地元に残っている男衆が率先していろいろやってくれて随分助けられました。時と場合にもよるのだろうが役割分担というものはあるのだった。久しぶりにいとこたちとも会って、たくさん話せて楽しかった。楽しいなんて変だけどな。まあ父は楽しいのが好きだったんで(となんでもそれで片付ける)。

しかし常日頃考えていることで、個人的には葬式とかいらんわーと思っているけど、やはり葬式はのこされたひとたちのためにやるのだわ。弔問客には初めて会う父の友人や元同僚も結構いて、初めて知る話を聞かせてくれたりもした。自分がちいさかったときの話も聞かされて恥もかいた(笑・場的には盛りあがったのでまあいい……)。正月休みにも関わらず(いや、休みだったからか?)、定年退職して随分経つのに、結構ひとが来てくれて、連絡があってよかったといっていた。亡母側の親戚も来てくれたしなー(ウチ再婚してるんでそこらへんややこしいの)。うん、葬式はのこされたひとが納得出来るかたちで好きにやるといいのではないかなと思いました。

そんなこんなでようやくひと息という感じです。まあのんびりやっていきましょ。初盆になるのでサマソニには目当てのアーティストがこないと…いいな……。しかし昨年のライヴ納めのあとから翌年のライヴ始めの間に一段落つけられるようにしてくれた父、ある意味娘のことようわかってる。有難うございました。