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2016年06月28日(火)
『30th(ス)だよ! パール兄弟!』

『30th(ス)だよ! パール兄弟! 〜パール兄弟レコードデビュー30周年スペ・ライブ〜〜〜』@Shibuya CLUB QUATTRO

パール兄弟(Vo:サエキけんぞう、G:窪田晴男、B:バカボン鈴木、Drs:松永俊弥、Key:矢代恒彦)
Guest Vo:CHAKA

キエー30周年ですよ。数年前から五人が揃い、「盆暮れのパール」の通り名を再現するかのような活動を始めていたパール兄弟。SNSも駆使した準備期間をじっくり儲け、華やかなお祝いライヴです。タイトルの“th(ス)”は松永さんのthの発音が絶妙で、一時期「まthながです」と自己紹介するのがはやってたとこからきてると思われる。FC会報の座談会でやってた。ええ、FCにも入ってました。パール兄弟は、音楽リスナーとしての自分の基盤になっているところがある。それくらい影響を受けました。あらゆるルーツをガツガツ消化し、それらをスマートなポップスに昇華する。それでいて残る奇妙な後味。いろんな音楽をスポンジのように吸収する十代の頃、パール兄弟に出会えてよかったと思っています。

そんなこんなで長生きはするものだ、ここでは私も若手です(笑)。フロアには管理職、いや経営者クラスかってな風貌のひとでいっぱい。今日を楽しみに会社を定時で出てきたよってなスーツ姿のひと、悠々自適のご隠居さんみたいなひと、昔っから自由人ですってなヒッピーみたいなひと。目をキラキラさせて開演を待ってる。始まったら怒涛の歓声です。皆声が野太い、男女ともに歳とると高音出なくなるからな……。この歳になると好きなアーティストが死んじゃったり行方不明になったりするし、身近なひとにもそういうことが増えてくる。皆が元気で、演奏出来る状態で揃うってことが奇跡みたいに思えてくる。それはフロア側も。無意識に川勝さんの姿を探しちゃう。来てたらなんて書いたかななんて考えちゃう。

上手側に設置されたスクリーンにオープニングとエンディング映像が流れ、曲間にはサエキさんがメンバー全員にインタヴュー。バンドの30年を振り返りつつ、近況も話す。窪田さんとの「フー・マンチューみたいになってるよね」「最近中国系? って訊かれる機会が増えてねえ」てやりとりにウケる。バカボンが僧侶修行時代お盆の棚経で一日40軒まわった話もおかしい。「移動もあるし、一軒12分てとこだよねえ。その間挨拶したりお茶飲んだりお菓子も食べたりするわけだから」「もうバンド始めてたんで、ツェッペリンのポスター貼ってある部屋とかあるとびくびくしてた」。松永さんはもはや鉄板のまーちんネタで、まthながの話題は出なかったわ……。矢代さんも同じくサポートネタ、KANと吉川晃司と真逆のバンドにいるとこがすごいとかそういう話。皆さん腕利きですからねえ。

メンバー全員が元気に揃うことが出来て、演奏はよりキレッキレのうえ円熟味を増してる。それが聴ける。なんて幸せなことなんだ。サエキさんが「体重と肌のたるみ以外は変わらない、いや、よくなっているところもある」みたいなこと言っていたけどそのとおりですね。日々の本番が練習みたいなミュージシャンがリハきっちりやって備えたこの日の演奏の凄まじさと言ったら! このグルーヴマスターどもめが! 窪田さんのメインギターは勿論Aria Pro II / RS-850(以前張ったけどここがいちばん説明が丁寧なのでまた張る。有難うございますー)、そうそうこの音! 「ヨーコ分解」が始まったらバカボン側に乗り出す人多数。皆さんわかってらっしゃる、スティック演奏するからね。録音されてる緊張か気合い入りすぎたか段取りに気をとられてか、サエキさんの歌はちょっと不安定。でもホント喉強くなったよね、それが実感としてあるから「よくなっているところもある」と言ったのではないだろうか。そして何より誰も真似出来ない、唯一無二の歌詞世界。これこそパール兄弟。

そしてCHAKAさん! PSY・Sのナンバーを聴けるとは〜! 「この日はCHAKAに『サエキの作詞曲』を沢山歌っていただく予定です」とコメントが出ていたので何やるのかな…と思ってて。以前ご本人が「PSY・Sの歌は大人の事情で唄えないし、バンドのこともあまり話さないようにって言われてるんです」と発言されていたのを憶えていて根に持ってたんですけど(…)どうやら時効らしい(でも最後とも言っている……)。「Woman・S」のイントロでぶわーと泣いてもうたがな。当日のお楽しみ、と事前の情報入れないようにしていたのでふいうち過ぎた……。続いて「景色」「Paper Love」「Lemonの勇気」。ピッチ、唄いまわしのコントロール、完璧。キーもおそらく下げてない。鉄腕CHAKAだ〜!!! そしてパールの「TON・TON・TON」「世界はGO NEXT」のコーラス、スキャットをライヴで聴けるなんて! 演奏中に窪田さんとCHAKAさんがかわす笑顔、キラキラしてた。同じ音楽の世界で生きている者同士にしか交わせないそれ。とても素敵。

そして思い出話。パール兄弟とPSY・Sはプロデューサーが同じOTさん(しらじらしく伏せてるけど岡田徹さんですわよ)だったんですが、作詞家としてサエキさんをCHAKAさんに紹介するときOTさんやMMさん(まあ松浦雅也さんですよ)たちが「いやー、とっても面白い歌詞を書くひとなんだけど、キモいんだよ〜」と言ったってエピソード、大ウケ。「私が言ったんじゃないよ! 私はああこれが東のひとのセンスなんだ〜って思った。西に…周りにサエキくんみたいなひといなかったから。初めて見る人種だった」だって。格闘技好きで有名ですが今はご自分もボクシングをやっているそうです。ファイティングポーズ、キマってた。

終盤はリーマンズも登場、ラッキィ池田はいなかったけど手塚眞はいましたよ。そして加藤賢崇混ざっててびっくりした(飛び入りだったらしくエンディング映像のクレジットに名前がなかった)。そうそう、このクレジット、なつかしい名前をあちこちに見つけてジーンとなったな。ここ数年ではいちばん窪田さんの髪が整っているなあ(笑)と思っていたら、「ヘアメイク:YAYOI」と出てて。あ、平田弥生さん? きっとそうだ! とか。帰宅後CHAKAさんのツイート見てわーやっぱり! と嬉しくなったり。

「30過ぎたらロックなんてと言ってたキース・リチャーズも70過ぎてる。僕も歳とると新しいことは出来なくなっていって、過去の焼きなおしばかりになると思ってた、でもそうじゃなかった」というサエキさんにジーン。最後の方はちょっと感極まってる様子でした。終わってみれば22:30。三時間半もやったのか! 休憩も入れずに! ここんとこ椅子あり(フロアステージともに)だったり二部制だったりしてたのに! 気合のほどが窺えました。客も立ちっぱなしでがんばりました(笑)。今回のマスコットしばいぬすずちゃんも登場、窪田さんデレデレ。そういやこのひと、顔立ちとか色白なとこから紀州犬と呼ばれてたりもしましたよね…微笑ましい……。撮影タイムも何度かあり(こういうとこ、今って感じ)大団円〜。よい夜だった! 35th、40thもあるといいなあ、皆さん元気で。そのためには自分もなんとか生き延びねば〜。

最後にビックリしたことを。パール兄弟の大概は知ってるつもりだったが『GORO』に掲載されたというオールヌードについては知らなかった、今回未掲載分含めた数点が映像で流れて腰が抜けそうに(笑)。『色以下』で上半身ヌードは見た憶えがあったけど、全裸もあったのか。しかも全員美しくてですね…いやまじで……思わず真顔になった。ライヴ盤(後述)のブックレットに載せるつってたけどまじですか有難うございます(手をあわせる)。

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・『パール兄弟 30th』公式サイト
・twitter(@pearl_bro30th)
・Facebook

・パール兄弟30周年ライブCD発売プロジェクト|ケツジツ
クラウドファンディングによりリリースが決まっております。成立してよかった、お祝いだしと松で申し込んでますよ! リンクは松コースに張っていますが、竹、梅と各種とりそろえてあり今からでも参加出来ますので(予約〆切7/5)気になる方は是非



2016年06月24日(金)
『エスコバル 楽園の掟』

『エスコバル 楽園の掟』@新文芸坐

やっと観られた〜。ドキッ☆婚約者の叔父は麻薬王! パブロ・エスコバルの伝記ものというつもりで観ると、あまりのスリラーぶりにひいーとなります。地上の楽園・コロンビアにあこがれ、カナダから移り住んだ青年が見たものとは。

そうなんです、このカナダ人青年の視点で、コロンビアとエスコバルが描かれるんです。この青年、非常に優しい子で、ちょっとひっこみじあんでもある様子。脚をわるくしたお兄さんと、美しい自然がそばにある暮らしを求めてやってきます。そこで遭った美しい女性。たちまち彼は恋におち、なけなしの勇気をふりしぼって(そう見えるとこがまたかわいい)アタックする。次第に心を通わせるようになったふたり、そして婚約。彼女は青年を叔父の屋敷に招待します。街の有力者、街のために尽くす偉人。この叔父がエスコバルなのです。

なんかすごいひとみたいだぞこの叔父さん。なんか…なんか……と戸惑うままに流されて、気付けばもう逃げられない。あれ、あのひとどこいった? あれ、今納屋の奥に血まみれのひといなかった? ひとの噂とチラ見せで、徐々にファミリーの脅威が明かされていく展開が怖い。こうなる迄になんとかならんか…と思うものの、いや、なんとかならんわねこれは……とも思わせられる。だって環境が違いすぎるもの。彼のこれ迄の人生とあまりにも遠いものだもの。それがこんな、ちょっとしたきっかけで、想像の遥か上の出来事に巻き込まれて。即応出来る筈もない。

ファミリーの一員として任された大仕事を前にして、青年はギリギリ迄迷います。それを決意に変えたのはひとつの偶然。案内役を務める筈だった男が怪我をし、代わりにやってきたのがその息子だったから。まだあどけなさの残る十五歳、だけど妻も子供もいる。楽園だと思っていた地で、必死に生きるもうひとつのファミリー。

青年を演じたジョシュ・ハッチャーソンがまたねえ、朴訥なぽや〜とした感じの子だから尚更ね…そんな子がこりゃいかん! と勇気をふりしぼって行動を起こすそのもの悲しさよ。映画だからひょっとしたら奇跡が起こるかも、大逆転があるかも、と淡い期待を抱くも、そう甘くはなかった。原題は『Paradise Lost』、彼が最後に見た光景がせつない。婚約者の彼女、あれからどうなったのかしら……。そしてエスコバルのその後――脱獄〜逃亡〜射殺という史実を思うに、彼が収監されるにあたって神父に語った言葉がズシンときた。コカインは「神の葉」とも呼ばれる。

この春はカルテルものが花盛りで、『ボーダーライン』『カルテル・ランド』を観たあと『犬の力』を再読していた。そこからこれを観たもんで、南米麻薬戦争の複雑さにどんより。一筋縄ではいきませんね……。そしてこの三作中二作に出演している(というか残り一作はドキュメンタリーなので出てたらそれこそヤバい・笑)ベニシオ・デル・トロの無双っぷりよ。「あらゆる麻薬ものに出てる」と自分でも言ってますがホントにそうで、これ迄売る側、買う側、取り締まる側、中毒者と演じまくっている。もうこの界隈知り尽くしてると言っても過言ではなかろうが、今作では製作総指揮も務め、実在した麻薬王を怪演です。ほんとこのひとは物言わぬ顔が物語るわね〜! あんな目で見つめられたら蛇に睨まれた蛙以外何になれと言うのだ。言外が恐怖にしかならん!

とか言っといて、実はいちばん衝撃を受けたのはベニーの歌謡であった。やだうまい…美声……。リネさんに聞いてたんでいつだいつだとワクワクして待っていたけど、いざそのシーンになったら一瞬頭が真っ白に。そしてしばらく聴いていて「確かにベニーの声だけど、ほんとに唄ってるのかな……」と疑惑を抱くほどに。音の鳴りが違ったような気がしたのね。ここだけアフレコだったのかもしれない。で、帰宅後調べまわっていましたらまたリネさんに教えて頂きまして、IMDbに歌唱指導のクレジットがあるから間違いないと↓

・Escobar: Paradise Lost (2014) - Full Cast & Crew - IMDb
ここの「Marta Woodhull ... singing coach to mr. del toro」てとこね。

やーんミュージカルも夢じゃないわ〜。そしてIMDb見てて思い出したが、今作にはハビエル・バルデムのお兄さん、カルロス・バルデムが出演しててえれえ怖いです。顔がバビエルよりもチェ・ミンシクに似てまして、『オールドボーイ』さながらのおっそろしい役でございました。

リネさんには小島秀夫さんのレヴュー動画も教えて頂きました。これ観てから行ってよかった〜有難い〜。

・HideoTube(ヒデチュー)第02回:小島監督の近況報告と映画紹介


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これで終わるのもつらいんで『ボーダーライン』もまた観ましたよね…(三回目)どのみちつらい。しかし『ボーダー〜』、スクリーンで観られるうちは何度でも観ておきたい映像美です。こんな二本立て組んでくれて有難う新文芸坐!



2016年06月19日(日)
直枝政広×高橋徹也

直枝政広×高橋徹也@風知空知

弾き語りツーマン。いーやーよかった〜。夏〜。誘ってくれたのは高橋くんだし、先に唄いたくなって、ってことでまず直枝さんから。

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セットリスト(instagramから)
01. OOH! BABY
02. 市民プール
03. 幻想列車
04. I LOVE YOU
05. いつかここで会いましょう
06. 十字路
07. ANGEL
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やーもう直枝さんの声、心臓わしづかみにされますわ。カーネーションは虫喰い状態で網羅出来ておりませんで、知らなかった一曲目からもうもってかれた。帰宅後即探して、『LIVING/LOVING』はここ数日ずっと聴いてます。赤いシャツが素敵、お似合い。「高橋くんフェロモンがすごいですよね…」「かっこいいですね…」とほめごろしかってなことを何度も言っておりましたがその言葉そのまま返すわ! フェロモンすごいのはあんたじゃ! いやもうやられた。地声の強さ、裏声の塩梅、ブレスの間、骨太の色気だだもれ。生々しいわ〜、素晴らしいわ〜。そんな声であの歌詞ですからね。で、声と双子のようなギターな! 骨太で生々しく色気がある。ポワ〜ともなりますわ。

既にステージにセッティングされている高橋さんのギターを見て「弾き語りでエレキですよ、スカしてますね〜」とか、「高橋くんのフェロモンに負けないように、アイラブユー連発の歌を唄います」とか対抗意識丸出し…というよりあれは大人の余裕だな。年長さんの余裕で高橋さんをいじったろう(ニヤニヤ)ってな感じが素敵でしたわ。といいつつ、「高橋くんとのライヴは気持ちよく唄えるんですよ、三年前所沢でやったときもそうで」「だから今日も気持ちよく唄える気がして、先に唄わせてほしいって言って」とも言っていた。「いつかここで会いましょう」は来月発売の新譜から初披露、出し惜しみなし。くだけたMCも楽しかったです。いや〜フェロモン……。

さて高橋さん。

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セットリスト(暫定高橋さんのブログから)
01. The Orchestra
02. サマーピープル
03. 無口なピアノ
04. チャイナ・カフェ
05. 真っ赤な車
06. ブラックバード
07. 海流の沸点
08. 夏の出口
09. 犬と老人
10. いつだってさよなら
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「真っ赤な車」迄ご本人がブログに書かれていた(そして直枝さんにスカしてると言われた・笑)新しいギター(Epiphone/ES-295)、以降はアコギ。新しいギターはいろいろ試しているというか感触を確かめつつやってる感じもしました。

それにしても……作品のなかの情景に聴き手をひきこむ力と言ったら。畏怖を通り越して恐怖すら感じる程。アコギを持ってからの「ブラックバード」〜「海流の沸点」では会場の空気が明らかに変わった気がした。風知空知はビルの四階、曇りとはいえ開演したときはテラスから外の光が差し込んでいた。徐々に夕暮れが迫る。まさに逢魔が時だ。手首を掴まれ、曲の世界にずるりとひきずり込まれるような感触。情景のなかの人物が、自分の背後で呼吸しているような気配。

「日曜日にライヴをすることって珍しくて、今日出かける前に『新婚さんいらっしゃい!』を久しぶりに見て……桂三枝って今坊主なんですね〜」。坊主もだけど、名前ももう三枝じゃないよ……。ほんとMCと演奏のギャップが素晴らしいですよね……。

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本編終了後、ふたりでお話タイム。「いやあ…僕が先だと思うじゃないですか…キャリアとか、そういう面からも……」「いやいや(ニヤニヤ)」「先攻のつもりでセットリスト組んでたんですよ…」「ははは。こうやって聴いてると、使うコードが似てるね! あと郊外を知ってる人間って感じ。俺もエレキで弾き語りやってみようかな」なんてやりとりから、「あの……ちょっと話しませんか。こういうところの方が話しやすい…楽屋だと緊張しちゃうので」と高橋さんが言い出す。以下思い出せるところを書いときます。記憶から起こしているのでそのままではありません。

「『新婚さんいらっしゃい』を観ていることに驚いたんだけど。テレビ見るんだ?」「どんなテレビ見てるの?」「映画は?」「鍛えてたりする?」「最近聴いてるもの」「好きな食べものは」「酒は」。話しませんかと提案したのは高橋さんだったが、質問攻めにしたのは直枝さんの方であった。「テレビ見ますよ! なんだろう…バラエティが多いですね。マツコ・デラックスが出てるのとか好きです(『夜の巷を徘徊する』とか)」「走ってますねえ、朝(このとき「あ〜(やっぱね〜運動してるのね〜)」みたいな直枝さんの反応が面白かった)」「呑まないんですよ、ノンアルコールビールが好きで」と微妙に噛みあわないんですが、『海街diary』がよかったという話と、若いころは平気だったのに歳とってから気圧に体調が左右されるようになったという話で意気投合。直枝さんは邦画をよく観るそうで、最近では『リップヴァンウィンクルの花嫁』が気に入ったとのこと。気圧によって出る症状は、高橋さんは頭痛、直枝さんはくしゃみだそうです。

面白かったのは高橋さんがカーネーションを知ったきっかけ。ギリギリ十代、19くらいのときに「埼玉のミュートマジャパンみたいな番組」で紹介されていたそう。“ミュートマジャパン”、共通言語として絶妙よなー。「『EDO RIVER』のころかな?」「いや、もっと前です。帽子被ってて、こわかったんですよ」だって。そっからだったか郊外の話からだったか、「やあ、今日、ゴメンゴメンゴメンゴメン♪ を生で(聴きたかった)……」みたいなことを高橋さんがボソッと言ったら「やる? 一緒に」と今からでも全然オッケーそうな直枝さん、「いやいやいや」と恐縮する高橋さんという図が楽しかった。秋にmolnでライヴをやるという直枝さんに「僕も何度かライヴやってるとこで、いいご夫婦がやってるんですよー、いいとこなんですよー。……あっ、僕、その日行ってもいいですか」という高橋さん、「おお! いいよいいよ!」(兄貴)と応える直枝さんも微笑ましかった。直枝さんは高橋さんの反応を楽しんでいるようなところもあって、「(ライヴの)告知をさせてください」「ちゃんと断りを入れるんだね。こういうところ紳士ですよねえ」とか「先生みたいだよね。服の感じとかも」とか、いじるいじる(笑)。微笑ましい。

真面目な(?)話としてはなんでそんな声が出るのか、そんなふうに声を出したいと高橋さん。「レコーディングに行くとき、車のなかでスティーヴィー・ワンダーを聴くんです。ズドーンと声が出る。直枝さんもそんな感じ」。応える直枝さん曰く「いや、俺もライヴはじめた頃は全然出なかったよ。やってるうちに出るようになった。あと前に腰をやっちゃった状態でライヴをやったとき…黙ってやり通したんだけど……そのときすごく声が出た(笑)。腰にサポーター(コルセット的な?)巻くじゃない、あれで体幹が動かなかったのがよかったのかな」。ひい、声が出たのはいいけどおだいじにしてください!

そしてイギー・ポップの新譜がよかったって話。な! な! QOTSAも宜しくな(何様)! そこからイギーとデヴィッド・ボウイの話に。「ブリティッシュロックが好きな感じわかる、イギーは違う(アメリカだ)けど……高橋くんはボウイが好きなんだよね」「ええ」「ボウイに似てるよね」「ええ、ええ(スルーしかけた)……え、えええ? いやいやいや!」てやりとりにはウケた。イギリスとアメリカはお互いの国の音楽を「洋楽」として聴いてるって話は興味深かったな。という訳でアンコールはイギー・ポップヴァージョンの「China Girl」でした。ハモりも素敵。

今回ふたりの演奏と歌を聴いたことで、曲調の展開(直枝さんの「コードが似てる」って言葉で合点がいく)や地声と裏声の切り替え等、魅力の共通項に気付いたのは収穫だったなー。声質は全然違うんだけど、歌詞=言葉がない箇所の唄いまわし…こぶしとかうなりの部分にはっとしたり。

いやーいい時間だった。夏は苦手だけど、ふたりの歌から夏の魅力を教えてもらった感じもした。

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前夜、twitterのTLに維新派・松本雄吉の訃報が流れてくる。公式に発表される迄拡散しない方がよいだろう(信じたくなかったということもある)と思い、ひとまず眠る。翌朝の朝刊には記事が出ていた。あの時間迄情報が漏れてこなかったのに朝刊に載っていたということは、報道機関にはきちんと伝えられていたわけだ。劇団にそうしたい事情があったのだと思う。維新派のSNSやサイトは全く更新されていない(6/21に更新)。経緯を知っていたらしい関係者の方たちも沈黙していた。

あの世代のひとが亡くなっていくのは自然の流れで、いつかは必ず、とは思っていても、今じゃなくてもいいじゃないか。なんで今なんだ、という思いが、怒りに変わりそうだった。やりきれない気分で風知空知に向かい、そこで高橋さんの「犬と老人」を聴いた。

僕はどうしても その列に 加わる事が出来ない
それでも良いんだ 最後まで しっかりと見届けよう
手を振って見送るんだ この目に灼き付けるんだ
恥ずべき事は何も無い 胸を張って見届けよう

いつも胸に迫る歌詞だが今回は殊更きた。見送る側である限り、そうありたいと強く思った。

ワルいおっちゃん、松本さん。彼が日本のあちこちに出現させた街、そこに幾度か迷い込めたこと。蜃気楼のような旅団に遭遇させてもらえたこと。維新派の観客になれたことはなにものにも代え難い経験だった。感謝の念に堪えないが、それでも途方にくれている。



2016年06月18日(土)
『四谷怪談』

『四谷怪談』@シアターコクーン

モダンホラーな演出になってたなー! 大詰の大立ち回りもなし、提灯抜けも仏壇返しもなし。戸板返しは映像で。群像劇にもなっている。歌舞伎に限らずさまざまな形態で上演されている作品だからこそ、のものになっているように感じた。反面、とても歌舞伎らしいとも言える。場がそれぞれ独立して観られるものになっている。『四谷怪談』がどういうストーリーで、この場がどういう場面か、了解しているひとが幕見で観るのに適している、と言えばよいだろうか。

ひとつひとつの場の情報量がとても多い。それは視覚的なものにおいて。台詞…というか、登場人物の心情すら字幕で表現されるところもある。お岩が薬とそれを与えてくれた伊藤家へ感謝の念を示す場面は前半の見どころでもあるのだが、それを字幕で表すとは。田宮伊右衛門がお岩から質草を奪いとる場面でもその手法は採用される。字幕が出た途端、伊右衛門はこどものような癇癪を起こし暴れ出す。情報量とそのスピードに驚き、演出(というか仕掛け)に役者が引っ張られてしまっているようにも見えてしまうのがちょっとひっかかる。しかし三時間弱の早い展開で見せる今回の上演に際して、はっとさせられたのも事実。これらの場面での、静まり返った劇場の空気とともに強く印象に残った。「夢の場」は文字通り夢心地、同時に悪夢のようでもある画ヅラが強烈。今作品最も印象に残る場面だった。

とはいうものの、頭と身体が直結するのにちょっと時間差を感じる。舞台には時折、スーツ姿で整然と歩くサラリーマンの一群が現れる。終盤、病が癒え四十七士に加わることの出来た小塩田又之丞がスーツ姿で現れ、伊右衛門とすれ違う。スーツは「所属する者」の象徴なのだ。と、その解釈を考えるのは楽しい。しかし舞台上にサラリーマンが現れたときの「?」が、「!」に変わるその時間が惜しい。物語に没入出来ない。転換も早い。前述の「夢の場」も、もう少し長い時間観ていたかった。

ダイレクトに心が動かされた場面は役者の力によるところが多かった。扇雀丈演じるお岩の、鬼気迫る髪梳き。直助権兵衛の残忍さを示す、勘九郎丈の身体の説得力。国生丈演じる小仏小平の懸命なさま。首藤康之演じる又之丞のキリリとした姿の美しさ。そして七之助丈演じるお袖がお岩の櫛を受けとり思わず「は、」と漏らす声、そのちいさな声が二階席迄刺すように届いたとき。

そして思い出す、勘三郎丈演じるお岩が、ていねいにゆっくりと薬包を開く仕草を。静けさのなか響く、「ありがとうございます、ありがとうございます……」という声を。

個人的には何度もいろんな演出で観てこその楽しみがあると思っている『四谷怪談』。「小仏小平住居の場」≈「小塩田隠れ家の場」があることで小平の存在に焦点が合うところ、伊右衛門と又之丞の対比が描かれるところは今作ならでは。木ノ下歌舞伎の通しを観ていたおかげで場の了解がスムーズに出来、助かった。うっすらしたあらすじだけ知っているひとが初めてこの演出で観たら戸惑うかもしれない。幕切れも唐突と言えば唐突で、カーテンコールが始まったとき後ろの席のひとは「えっ、これで終わり?!」と驚いていた。インパクトがあるのは確か。

それにしてもなんというか…てんこもり演出だったなあ。宮本亜門の『金閣寺』(初演再演)をちょっと思い出した。ホーメイが使われていたし。人海戦術的な場面にも連想。振付のクレジットがなかったのだが誰が手掛けたのだろう?

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・お岩が薬をのむ場面、普段は「あ〜のんじゃうよ〜」「のんじゃった……」と悲しく見送るんだけど、扇雀さんのお岩には「のむな!」「のんじゃだめ!」て切実に思った…つらい……
・笹野さんがいろいろ卑怯(笑)「第三者の〜」とか言い出したところは大ウケ。しかも波状で「……今スルーしようとしたけど第三者って言った?」「聞き流しかけたけど第三者って言った!」てな感じで笑いがじわじわ拡がっていったところが面白かった

・美術協力に山口晃! それにしても贅沢に使うことよ……。江戸の風景に東京が、と言ったような全体的な影響もありそうだが、具体的なラフ案は地獄宿と三角屋敷で使われていたと判断。違ったら失礼
・協力と言わず一度ガッツリ組んでほしいですな! たいへんだろうけど!
・人海戦術ならぬ鼠海戦術も。お岩の赤ん坊を連れ去れるところ、ねずみのあまりの多さに鳥肌が……一匹いた大きいのはみけねこ喰ってました、ゾワ〜

・字幕、『動物のお医者さん』のどうぶつたちの台詞がああいう出し方だったよなあと思い出してしまいひとりでニヤニヤしていた。「なぜだろう こんな花曇りの日は ゆううつになる事があるのよ」



2016年06月17日(金)
1996〜1999年の蜷川幸雄

※画像はクリックすると拡大します。元画像はtumblrにおいてあります。大きな画面でまとめて見たい方はこちらでどうぞ。

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■1995
一本も観ていない。

■1996

0118『身毒丸』@シアターコクーン
オブジェとしての役者、“特権的肉体”を持つ役者。そこへ真っ向からぶつかる装置としての美術。寺山修司と唐十郎を結びつけると? という蜷川さんのひとつの解釈にも感じた。バツの悪さとともに、ニヤニヤできる楽しさも。グラインダーの火花が瞼に焼きつく。当時フェミ男なんて呼ばれていた武田真治の危うさもよかった。

1024(プレヴュー)、1027『零れる果実』@シアターコクーン
鈴江俊郎の戯曲を佐藤信と演出合戦。「俺のは意味のない拡大って言われるな」。出演者は比べられるプレッシャーがあり大変だろうが、観客としては面白い企画。不在の人物のために集まる、不在の人物について語りあう、というストーリーに惹きつけられる。客席をも侵食するような舞台空間、ステージを埋め尽くす家財道具。当人はいないのに、物質に溢れる部屋の愛しさ、寂しさ。
作者は違うがその後のTHE SHAMPOO HAT『アメリカ』にもそれを感じ、不在というと条件反射的にハァハァいうようになる。

1122『1996・待つ』@ベニサン・ピット
笑いの要素がグッと減る。地下鉄サリン事件を思わせるスケッチもあり、「現在」を色濃く映し出していた。何を材料にしても現在を見せる、今を生きるしかない演劇。刹那的なことかもしれないけど悲しくはない。









■1997
一本も観ていない。

■1998

0613『1998・待つ』@ベニサン・ピット
結構メンバーの入れ替えがあった後だったが、集団としての力が落ちない。役者みんなが個性的、集団から光を放つ。毎回違う、新しい魅力を発見出来る。
盒桐里鯣見したという記憶が強烈に残っている。「長距離走者の孤独」と「罪と罰」のパートに出ていた。今でも憶えている、「あの役者は誰だ?」と終演後あわてて配役表を見た。え、この役も、この役も同じひとだったの? と驚く。それ程振り幅の大きい役を演じていた。東京オレンジにいた高橋洋と同一人物だったとも気付かなかった。東京オレンジ、観ていたのに!
鈴木豊、新川將人も全編で大暴れ。大石さんは受けにまわったベテランという風情だったが、要所要所をおさえていて流石という感じ。鈴木真理のブランチも素敵な狂気。







メモ書き:ブリキ箱〜は『真情あふるる軽薄さ』、劇場客席〜は『タンゴ・冬の終わりに』、食堂の厨房は『KITCHEN』からのモチーフ。『長距離走者の孤独』『罪と罰』『欲望という名の電車』。

■1999

0620『血の婚礼』@ベニサン・ピット
トランシーバー少年を演じる洋さんが観られたこと、初演が上演されたベニサン・ピットで観られたこと。いちばん好きな清水邦夫×蜷川作品。うーん、やっぱり死ぬときに思い出したい。







1120『パンドラの鐘』@シアターコクーン
ポイントとなるオズ役を洋さんが演じた。陰を持つ繊細な考古学助手。見比べる楽しさと、抜擢され成長していく役者を目の当たりに出来る嬉しさと。野田秀樹演出版で入江雅人が演じたオズも魅力的だった。抽象の野田、具象の蜷川と、演出バトルも満喫。どういうストーリーか、としっかり事実を見据えたのが蜷川版だとすると、夢のような世界のなかにも現実は存在すると示されたのが野田版と言おうか……演出のみを手掛ける者と、作・演出を兼ねる者の、プロセスの相違――読み込んで作る視覚と、書き乍ら頭に浮かんでいるであろう視覚、について思うことも多かった。書き手ではないからこそ、徹底的に戯曲を読み込む。その執念。再演されないことが惜しい気もする。そして蜷川版を再び観ることは出来なくなってしまった。



2016年06月16日(木)
1988、1992〜1994年の蜷川幸雄

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―ご自分の境地を、後の人に継いでほしいというか、どのくらい継げるだろう、でもどのくらい取りこぼすだろう、みたいなことって考えておられますか?
蜷川:継いでほしいとは思っていないです。ただ、こういう時代をこういうふうに生きた奴らがいたっていうことを分かってくれるといいなあとは思います。死に物狂いでものを作って、年老いていったジジイたちがいた、その空気だけは伝わらないかなあと思ってるんですけれど。
『蜷川幸雄の仕事』より)

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webで日記を書き始めてから15年程になる。その間蜷川さんの作品の感想も随分書いた。ほぼ欠かさず書いていたのではないだろうか。それ以前のものも当日パンフレットやメモが残っている。すっかり忘れていたと思っていたことも、それらを見ると、途端に舞台の光景、台詞のトーンが甦る。

再演も多かった。そのおかげで「間に合った」ものも多い。劇場があれば、蜷川さんの作品が観られる。劇場が変われば、姿を変えたものが観られる。そう思えた。心残りは『近松心中物語』を観られなかったこと。何度も再演されていたのに、自分のスケジュールや懐事情とタイミングが合わずここ迄きていた。来年頭にようやく、と思っていた。

舞台の記憶を引き出すためのツールとして置いていく。あくまでもツールなので、当日パンフレットはスキャンではなくスナップをアップする。本音を言えば、どなたかこういった当パン含めたものをまとめてくれればいいなあと思っている。河出書房新社が1969〜1988、1969〜2001の『Note』を出しているが、全てまとめたものがいずれ出るのではないかと期待している。

「記憶はなくならないの、引き出せないだけさ」。蜷川作品からの台詞ではないが、今、強い実感として響く。

※画像はクリックすると拡大します。元画像はtumblrにおいてあります。大きな画面でまとめて見たい方はこちらでどうぞ。

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■1988

1231『ハムレット』@スパイラルホール(映像)
NHK教育テレビでオンエアされたもの。記憶が間違っていなければ、生まれて初めて観た蜷川作品。家族が紅白歌合戦を観ているなかひとり別部屋で観ていた。何がきっかけでこれを観ようと思ったかは思い出せないが、「蜷川幸雄」が舞台作品等滅多に観ることが出来ない九州の片田舎に迄名が知れ渡っている、数少ない演出家だったことは確かだ。和装の役者が雛壇で演じるシェイクスピア。強烈だった。今思うとホレイシオを演じた松重豊をこのとき観ていたのだ。

■1992

0126『1992・待つ』@ベニサン・ピット
面白いやつ程出番が多い(?)短編オムニバス。転換を迅速に行うためか、小道具類が天井から吊るされている。大石継太が大車輪の活躍。「あっ、また(あいつだ)…!」という声が客席から漏れる程。松田かほりの可憐さと達者な演技も印象に残る。
初めて劇場へ足を運んで観た蜷川作品は、彼の代名詞でもあった大劇場のスペクタクルではなく、ニナガワカンパニー(当時はザ・ニナガワ・カンパニー)のホームでの公演。代名詞と言ってもそれは自分がそう思っていただけで、小劇場も蜷川さんの一面だった…いや、これこそが原点だったわけだ。意欲的で実験的、蜷川さんのパンクな気質をこの最初の観劇で浴びたことは、その後の自分の演劇嗜好を決定付けたと言っていい。所謂舞台がない、というかフリースペースでの演劇。敷地のあちこちに置かれたテレビモニターの画面、それらに一斉に光が灯ったときのインパクト。









ベニサン・ピットもこれが初体験。染色工場跡(もとはボイラー室だった)という異空間、暗転がまるっきりの暗闇になるところも魅力。すっかりこの劇場の虜になる。
『待つ』のときではないけど、1992年当時の写真が出てきたので張っておく。







1128『三人姉妹』@銀座セゾン劇場
トゥーゼンバフを演じる大石さん、ピアノ演奏も披露し「コーヒーを淹れて待っててほしい」という台詞も素敵でたいへん。袖でスタンバってるところも観られて格好いい素敵とうわ言のように言う。開場と同時に始まる、現実と地続きの演出の醍醐味を知る。高い天井、大きな窓、そこへ差し込む光。上へと向かう空間を美として示す手法、演出家の美的感覚を知る。
戸川純さんが追悼文でこのときのことを書かれている。素晴らしいテキスト。
・追悼・蜷川幸雄(後編)| ele-king

■1993

0120、0124、0130『1993・待つ』@ベニサン・ピット
入場料から200円を返すという開幕パフォーマンスにしてやられる。宇野イサムの書き下ろし短編の他、戯曲や小説等、さまざまなテキストから芝居を作り上げる。『メロンを買いに』を観られるなんて!「お広いですから〜」を岡田正の声で聴けるなんて!『ねじまき鳥クロニクル』で大川浩樹がモノローグとともに作った牛肉とピーマンの炒めもの、音も匂いも思い出せる。敷きつめられ、あるいは降り注ぐ白い砂の美しさ。






『メロンを買いに』について、松田かほりさんがブログに書かれている。今でも忘れられない、とても好きな作品だった。
・『手書きの台本』| kahorimのブログ

0304、0310、0314『春』@東京芸術劇場 小ホール1
『待つ』シリーズでも印象的だった宇野イサム作品を全集のようにして観る楽しさ。日常に潜む不思議な現象、生活に根差した心の機微。魅力的な作家。今はどうしてらっしゃるだろう。ニナカンだけでなく、オーディションで選ばれた多彩な出演者も魅力だった。今キャスト表見るとひいーとなります。桜の花びらの量にも驚いた記憶。







0523『魔女の宅急便』@青山劇場
チケットとってたのに行けなかった。

0812『I-KA-ZU-CHI 蜷川紅三太鼓』@スペース・ゼロ
蜷川さんは監修。宇崎竜童らが手掛けた楽曲を和太鼓で披露。ニナカンのメンバーが総出、さまざまな扮装で観客も巻き込み祝祭空間を創出。大石さんのダリひげ、松田さんのスリットドレスと、個人のアイディアが盛り込まれたと思われる衣裳やメイクも眼福。







0916『テンペスト』@リリアホール
大川浩樹のキャリバンがキュート、お茶目、とても愛すべき造形。キャリバンはかつて松重豊がやった役で、鯉のぼりを応用した衣装も松重さん本人のアイディアだと蜷川さんが言っていた。こうやって継承されていくのだなと思う。
蜷川さんの出身地である川口市のホールで観られたことも嬉しかった。リリアホールの舞台後ろの扉がラストで開く。蜷川さんが暮らした街が見える。夜だったので、舞台上で燃える篝火の向こうにマンションの灯が重なる。ふたつの世界が繋がったような美しさ。昼はマンション内の住人迄見えたそうだ。

1031『王女メディア』@新宿文化センター 大ホール
ウィーンとクレーンで去るメディアに衝撃を受ける。舞台写真で観てはいたものの、実際目にするとひゃーっとなる。客で来ていた大石さん大川さんがヒューヒューブラボーと騒いでいたとのこと(笑)、こういうところ、カンパニーだなと思う。

1218『血の婚礼』@銀座セゾン劇場
蜷川さんの美意識に身体が震える程感じ入ったのはこれが最初だった記憶。坂本龍一の「Parolibre」が井上正弘の音響により劇空間を満たし、暗転から浮かび上がる街の風景が後を追う。そして降り続く雨。死ぬ前の走馬灯に加えたい光景。今でもそう思っている。トランシーバー少年を演じた寺島しのぶ、白い衣装と白い肌、そして雨のなかでも通る声。今でも強く印象に残っている。

■1994

0423『ペール・ギュント』@銀座セゾン劇場
プロセニアムの最上部に“Trinitron”のロゴ。ゲームセンターに並ぶモニターのなかの世界でおこる冒険の物語が、観ている側の日常を侵食していく。振付にマシュー・ボーン、蜷川さん慧眼。

0610『夏の夜の夢』@ベニサン・ピット
ため息が出るような高い美意識は、同時に恐怖も生むのだと思い知らされる。蜷川さんの新しい定番になる予感(これが初演だった)。大石さんの寝姿が変(手を股に挟んで寝る)。蜷川作品初参加、白石加代子のすごみ。暗闇からバイクで登場、中華鍋を振り作った焼きそばをアテに酒盛りが始まる。漂う芳ばしさに、思わず生唾を飲み込む。五感を刺激する村人たちのインパクトたるや。京劇役者によるパックの浮世離れした美しさ。ベニサン・ピットの持つ空間の力。漆黒の暗闇は森の夜のようで、怖いと同時に落ち着く。『1993・待つ』で登場した砂が再び登場、枯山水にも、魔法をかける草の露にも姿を変える。
制作が定まらず、自主公演として行われた。観客も寄付という形で参加出来た。

1022(マチネ)『ゴドーを待ちながら 男ver.』@銀座セゾン劇場
1022(ソワレ)『ゴドーを待ちながら 女ver.』@銀座セゾン劇場
眠くならないゴドー待ち。設定も台詞も変えていないのに! 上演に際しての肝を掴む、演出家の読み解きの力。蜷川さんにしては音楽も少なかった。西村晃と江守徹の、軽妙なのにスリリングやりとりが刺激的。緑魔子のかわいらしさ、市原悦子の声は少年のようで少女のようで。無垢とチャームは憎めなさでもあるなと思う。



2016年06月11日(土)
『コペンハーゲン』

シス・カンパニー『コペンハーゲン』@シアタートラム

『アルカディア』から、シスの公演が数学づいている。数学を通して歴史を見る。今回は史実にも残る、とある一日を追う。その後の歴史に大きく影響した、三人しか知らない、そしてその三人さえ、どう受けとめれば良いのか理解しかねている一日を。マイケル・フレイン作、小田島恒志訳、小川絵梨子演出。

1941年秋、ナチス占領下のデンマーク・コペンハーゲン。ドイツ人物理学者ハイゼンベルグはかつての師、ボーアの家を訪ねる。ボーアはユダヤ系で、今となっては思うままに研究が出来ない。生活も、命すら危ぶまれている。彼の論文を口述筆記する等、研究に深く関わってきた妻マルグレーテとともにひっそりと暮らしている。盗聴や尾行もありうる危険を顧みず、ハイゼンベルグがボーアを訪ねたのは何故なのか。

面白いのは、彼らはその一日を未来から見つめていること。その未来は観客側からすると現代になる。この作品がいつの上演されようと。数十年先だろうと、数百年先だろうと。三人は死後の世界から、この一日を検証しているのだ。核開発が戦争に、いや、その後の人類の歴史に及ぼす影響は? 原子爆弾を先に開発出来たのがドイツだったら? 広島の空の下にいたひとびとは何に巻き込まれたのか? ハイゼンベルグが計算を間違えたのは故意か、恐怖に駆られたためか、ではその恐怖とは?

物理学を通したゴドー待ちのような作品だった。エストラゴンの「どうにもならん」という台詞が思い出される。何度検証しても、数学的には答えは同じ。それでも不確定要素に可能性を託し、三人は諦めない。それがせつない。『アルカディア』でもそうだった、世界は必ず終わる。間違いない。しかしこの世界には、数学で解明出来ない不確定要素がある。それには現時点では、という但し書きがつく。いつの日かその不確定要素に規則性が発見される、つまり数学的に証明される未来がくるかもしれない。その日がくる迄、三人は検証し続ける。命が尽きてなお、検証は続く。未来には絶望しかないが、未来を信じてもいる。

まーそれにしても台詞が難しい、滑舌的にも。演者が相当苦戦してる。段田安則、浅野和之、宮沢りえ…このメンツが! 出演者が三人のみ、その全員が全編通して出ずっぱりなので、一度リズムが崩れると修復が難しい。これだけの役者が揃っていてこれだけ芝居がつんのめるのは初めて観たよ……と、とまる? ってくらいヒヤヒヤした場面も。台詞を血肉化するのは本当に難しいことだなと思う。ストーリー自体は、物理学や量子力学についてさほど理解していなくても大丈夫な流れです。むしろ歴史を知っていた方がよい。専門用語についての補足説明は台詞に含まれている。実際その意味合いはちゃんと伝わる。そしてこれは、役者の力量に依るところが大きい。

小川さんは、演者を交え徹底したテキレジをすることで知られている。テキストの背後に横たわるサブテキストに気付き、物語の歴史的背景を知り、作品への理解を深めることはとてもだいじなことだと思う。しかし今回に関しては、テキストが理解とともに演者の身体をどう通るのか、観客へどう伝わるのか、というところ迄追求してこその芝居づくりではないのかなと感じたのも事実。個人的な感想だが、自分がよくもわるくも小川さんの演出作品を信じきることが出来ないことの原因がわかったような気もした。ときどき物語の解説を読まされているような気持ちになることがあるのだ。

深い感動を覚えた作品でしたが、芝居のコンディションが整うであろう後半に観ればよかったかな……と思ってしまうくらいには発展途上の上演でした。惜しい気もする。が、がんばれ! と思わず手に汗握ってしまわない状態で観たかった……。それにしても段田、浅野両氏は言わずもがなだが、宮沢さんは本当に堂々とした舞台俳優になったなとしみじみ感じ入った。声の強さ、身のこなし、どこから見ても隙がない。

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・「シュレーディンガーの猫」実験を再現したら衝撃の結末が!ショートフィルム「シュレーディンガーの箱」 : カラパイア
対話のなかにシュレディンガーの名前が何度も出てきて、これを思い出したので。「ああ、ねこの……」「あのねこの……」て吹き出しが客席に浮かんでるようにも見えます(笑)私もシュレディンガーつったらねこしか浮かばないよ……



2016年06月04日(土)
『尺には尺を』

『尺には尺を』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

シェイクスピア作品のなかでも「問題劇」と分類されているものだそうで、それが何故なのか非常によくわかるというか……まー差別表現がすごい。それが差別と思われていないのがすごい(笑)。そういう時代だったと言われればそうですが、当時はそうしなければ命が危ないとか、おおっぴらにしておかなければ生きていけない等の切迫した根拠もあったわけです。それらが時代の経過とともに…例えば商業、工業の発展、医療の進歩に伴い、新しい道徳観や倫理観が生まれる。そうするとまた新たな問題が生まれ、ある種の抜け道として秘めごとが増える。ひとの営みはいたちごっこでもあります。

書かれている台詞を変えずに、台詞にない部分に現代性=普遍性を見出す。400年前の戯曲を、演出家、出演者、スタッフが総力を挙げ、分析し、表現する。2016年現在はこんな解釈で上演された。これも過程だ。また400年後、この作品はどんなふうに上演されるだろう? 自分がそれを目にすることは出来ないけれど、そんな未来が楽しみにすらなるような仕上がりでした。シェイクスピア作品は、そんなふうに上演され続けていく。これってすごいことじゃないか?

台詞にないシーン。自分に災いをもたらしたとされる命に、愛おしさ溢れる表情で頬を寄せる男。財産に、地位に左右されない女たち。罰として与えられた結婚を、幸せいっぱいの笑顔で受け入れる恋人たち。観客は2016年のシェイクスピアを認識していく。過去に生きた人物たちと今に生きている自分は、地球という同じ船に乗っているのだと気付く。

開演前から役者たちは舞台上にいる。各自リハーサルをやっている。開演のアナウンスが流れ、彼らは一列に並び、深い礼をする。観客は拍手を返す。礼は「幕が上がる」という合図、現実から劇世界へと入っていくという合図。蜷川演出でよくある手法だが、これにひとつ意味が加わったように思ったのは『たいこどんどん』からだ。

ひとりの娘が現れ、掌に包んでいた白い小鳥を放つ。娘が去るときも、同じ仕草が繰り返される。『冬物語』の紙飛行機を、『聖地』のラジコンのヘリコプターを思い出す。放たれた小鳥はどこへ行くのだろう? そして彼女はどこへ行くのだろう? 自由への飛翔? 神への帰依? 象徴的な場面でもあった。扉が開き、娘は彼方から駆けてくる。そして彼方へと消えていく。さい芸の奥行きのあるステージはこうやって使われる。ひとはこの世界にやってきて、この世界から去っていく。

ショウ・マスト・ゴー・オンをこんな形で観たくはなかった。しかしこちらの思い込みもあろうが、カンパニーの懸命さにうたれた。もともとのプランから加えられたであろうスローモーション、それに対するツッコミ。大石継太、石井愃一が笑いで舞台をひっぱる。清家栄一のオマージュ溢れる扮装、松田慎也の鷹揚。複数の役を与えられた内田健司の、演じる対象への真摯な対峙(渾身の白目!笑)。枚挙にいとまがない。「蜷川育ち」(大石)の役者たちが、安心してくれと演出家を送り出すかのように、いきいきと舞台に立っている。お互いを力づけるかのように、藤木直人が、多部未華子が、辻萬長が人間賛歌を見せてくれる。

喜劇だったからこそ救われることもある。演出家がいる、いないけどいる。カーテンコールで掲げられた遺影。いるけどいない。F列中央、ステージに並ぶ役者たちの視線とほぼ同じ高さ。誰かが自分を見ているわけがない、それでも顔があげられなくなった。こらえてもこらえても涙が溢れる。

彩の国シェイクスピア・シリーズ、残るは五作品。

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脚本:ウィリアム・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
翻訳:松岡和子
演出補:井上尊晶
美術:中越司
照明:勝柴次朗
衣裳:小峰リリー
音響:友部秋一
ヘアメイク:佐藤裕子
音楽:阿部海太郎
舞台監督:濱野貴彦
制作:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/ホリプロ
企画:彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア企画委員会
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藤木直人:アンジェロ
多部未華子:イザベラ
原康義:エスカラス
大石継太:ルーチオ
廣田高志:監獄長/貴族
間宮啓行:エルボー/貴族/客/修道士
妹尾正文:アブホーソン/貴族/客/修道士
岡田正:ピーター/貴族/娼婦/修道士/囚人
清家栄一:バーナディン/貴族/娼婦/修道士
飯田邦博:トマス/貴族/客/囚人
新川將人:紳士1/修道女/囚人/役人
野辺富三:ヴァリアス/貴族/娼婦/修道士/囚人
周本絵梨香:マリアナ/娼婦/修道女
鈴木彰紀:使者/貴族/娼婦/修道女/役人/囚人
竪山隼太:紳士2/貴族/修道女/役人/囚人
手打隆盛:裁判官/貴族/役人/修道女/囚人
堀源起:召使い/貴族/役人/修道女/囚人
松田慎也:クローディオ
内田健司:フロス/貴族/娼婦/修道士/囚人
浅野望:ジュリエット/修道女
小島幸士:少年(ダブルキャスト)
藤巻勇威:少年(ダブルキャスト)
立石涼子:フランチェスカ/オーヴァダン
石井愃一:ポンペイ
辻萬長:ヴィンセンショー

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おまけ。

・それにしても公爵よう……。水戸黄門か暴れん坊将軍か、八方美人で傲慢、お調子者。驚かせて喜びを倍増させるために内緒にしとこうとか嘘ついとこうって、倍増させんでいいわ! その嘘でどんだけおまえ……思えば『ロミオとジュリエット』もそんなでしたやん、おかげでふたり死んだじゃん! シェイクスピアよう……としみじみ思うほど公爵がヒドい。苦笑を通り越してときどき憎らしくなりました(笑)
・歌舞伎の首実検みたいよねあれ。描かれた時代もそう変わらんな……

・衣裳が素晴らしかったわー。いつも素晴らしいが。質感といい動きが加わった際の美しさといい
・美術は七つの大罪かな。さい芸シェイクスピアシリーズでおなじみの、絵画を背景に芝居がすすむ

・個人的にネクストメンバーのひたむきさがもうね
-鈴木彰紀の女装はペネロペ・クルスばりのラテンな迫力がある。美しい〜
-薄幸(病気してそう)娼婦、アホのコ貴族、ボクサー囚人、ヘの字口修道士。他もろもろ演じ分け、内田健司はこれからも楽しみ
-松田ー! 俺だー! ヤーマン! 松田慎也はホント美丈夫。アホの子の役、地かと思うほどうまい(ほめてる)
-浅野望、娘の不安も、母の包容力も、未来の家族を案じる心の揺れも。このひとが演じる人物には幸せになってくれ! と祈らずにはいられない魅力が宿る
-知性あふれる黒衣の花嫁。周本絵梨香の口跡と身のこなしには毎回心を奪われる
・これからも彼らの出演作が、ネクストの新作が観られるよう祈ってる。待ってる

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早めに出かけていく。記帳し、献花と添えられたメッセージを見て、写真展を観て、カフェペペロネで昼食をとる。劇場内外を散歩する。光の入る長いガレリア。高い天井。いないけどいる、いるけどいない。繰り返し思い乍ら、これからもこの劇場へ足を運ぶのだろう。