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2016年05月21日(土)
『カルテル・ランド』『金魚養画場〜鱗の向こう側〜』

『カルテル・ランド』@シアター・イメージフォーラム シアター2

『ボーダーライン』の感想頁にも張ったこの記事にもあるように、現在アメリカでは中南米ドラッグ・カルテル映画が花盛りだそうで、その流れで気になっていた作品。製作総指揮がキャスリン・ビグローということも話題になっていた。実際観てみるとビグローがどう…ということが具体的に感じられるものではないのだが、宣伝としての効果や出資面から彼女の名前を前面に出したことは日本ではよかったのかも。とはいうものの、トランプ氏がメキシコの国境に壁を! と言っているのはもはや日本でもよく目にするものだし、『クレイジージャーニー』(後述リンク参照)でもとりあげられたしで、話題性はある。公開から二週間経っていたが、映画館は盛況だった。

今作は、カルテルから自分たちの街を守るため、家族を守るために立ち上がった自警団を追ったドキュメンタリー。メキシコ側、ミチョアカン州の自警団と、アメリカ側、アリゾナ国境自警団で活動する人物を追う。広大な土地で問題が起こっても、警察が出動してきたときにはもう手遅れだ。しかもその警察はカルテルに買収されている。頼れるのは自分たちだけだ。自警団は武装し、カルテルに支配されている地域を奪還していく。監督・撮影のマシュー・ハイネマンは、街に平穏を取り戻そうと奮闘するひとたちを取材する心づもりがあったのかもしれない。ところがそうはならない。

ミチョアカン自警団の中心人物である医師はカリスマ性あふれる人物で支持も高い。ところが彼が飛行機事故で重傷を負い、ナンバー2に指示を任せた頃から問題が表出しはじめる。窃盗、略奪、暴力。自分たちがこの地域を救ったのだと、傍若無人にふるまうメンバーが増えてくる。カルテルに怯えていた住民は、自警団に怯えるようになる。そもそも民間人の武装組織は違法であることから、メキシコ軍規に基づいた民兵組織として合法化しようという提案が政府側からなされ、メンバーの意見が割れる。

序盤にアリゾナ国境自警団の中心人物が“ここはWild Wild Westの時代だ”、と言う。それを象徴する画像が時折挿入される。見せしめや報復としてカルテルに殺されたひとたちだ。『ボーダーライン』では「ロケ地に住むひとたちに配慮して」CGで加えられたものが、実際のものとして映し出される。こんな残虐で野蛮な、原始的な殺人が起こっているのはいつの時代だと思うのだが、その画像はスマホの画面から見せられる。証拠保存の意味もあろうが、これらがスマホで撮影され保存されているという事実に一瞬現実味を失い、やがて恐怖が襲う。この時代錯誤。

それにしても皆さんいいツラ構え。役者か! 違う、順番が逆だ。ホンマモンの迫力ってあるわー。医師は実際いい男でひとたらし、そこをつかれて追いつめられる側面もある。彼が支持者の腿をなでまわし乍ら口説きにかかるシーンのあたりから、撮影していた監督の困惑が伝わるよう。カリスマを追う取材の筈が、この違和感。「あ、組織崩壊迄そう時間ないな」と思わせられる。ああ結局人間は悪い方に流れていくのね、数学でもそれは証明されてるもんね、数学で結論が出ちゃあこれはもう間違いない、と『アルカディア』を思い出し、政府にどこ迄任せたもんだかと『シヴィル・ウォー』を思い出したりもした。そして『ボーダーライン』から、壁つくっても地下道があるで……という知識を得てるので暗澹たる気持ちにもなりましたわ。

そんななかアリゾナ国境自警団の中心人物が語る「負の連鎖は断ち切れる」という言葉。父親から虐待を受けドラッグに溺れた過去を持つ、自身の経験に根差した結論であり信念だという。そんな彼の蒼い蒼い瞳が印象的だった。ちょっと、ほんのちょっと希望が残る幕切れだった。そういうのはだいじにしたい。

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・『カルテル・ランド』(CARTEL LAND)公式サイト

・丸山ゴンザレスがメキシコ麻薬戦争のヤバすぎる実態と「クレイジージャーニー」の裏話を語る|映画『カルテル・ランド』トークショー - AOLニュース
よく取材出来たなーと思う反面、渦中にいるひとたちはそういうとこ無頓着なんでしょうね。それどころじゃないってところもあるだろう

・森達也監督 過度な「自衛」意識が招く危険性を指摘|東スポWeb
自分が観る前の回に行われていたトークイヴェントの様子。なんじゃー知ってたらこの回で観たかったな

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深堀隆介 回顧展『金魚養画場〜鱗の向こう側〜』展@渋谷西武A館7階特設会場

初の大規模個展ということで、初期のものから時系列順で観られたのがよかった。未知の技術を開発していく過程を追ったドキュメンタリーにもなっている。

絵を諦めようとしていたとき、飼っていた金魚の美しい背中に啓示を受けた「金魚救い」の日、アクリルの上に彩色したらきっと絵具が溶けて滲んでしまうだろう、でもやってみよう。そして予想が覆され「これだ、いける!」となった、という手法を探る日々。これらのエピソードとともに、平面的だった金魚が立体化し、微細な表現がより繊細に、そして大胆になっていく。頭のなかのヴィジョン、目にした金魚そのものの美しさを、その手によってどこ迄表現出来るか。その流れをも見せてもらった思い。

升のなかに泳ぐ金魚の美しさと、それを描く画家の執念は表裏一体のもの。閉じ込められたものの拘束美とも言える。畏怖を感じる。和傘とケロリン桶に描かれたものが特に印象に残った。メトロン星人を思い出すなあなんて思っていたら、後半のセクションにウルトラマンがモチーフになったものや魚化した観音像の作品があり、あながち勘違いでもないかもと思ったり。

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・深堀隆介 回顧展 金魚養画場〜鱗の向こう側〜|西武渋谷店