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2015年02月27日(金)
小田朋美×ハラサオリ×山川冬樹『d / a / d』

新世界 Presents Special Live Performance vol.2 小田朋美×ハラサオリ×山川冬樹『d / a / d』@音楽実験室 新世界

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d/a/d、それは鍵盤と鍵盤、声帯と声帯とが、完全協和音程として響きあう至上の物理現象。
d/a/d、それは血の記憶がデコードされ、遺伝子情報がコード化された”私”の原点。
d/a/d、それは重力にまかせて未来へと墜落し、今という瞬間を求めては離陸する、命の鼓動のオノマトペ。
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『ASYMMETRIA』に続いての、『Special Live Performance vol.2』とのこと。思い返せば『ASYMMETRIA』を観に行ったとき、小田さんとハラさんの『Pとレ (これからかみさまのはなしを、するなら聴く?)』のフライヤーをもらったのだった。残念乍ら『Pとレ』には行けなかったのだが、今回山川さんを加えてのパフォーマンスがあると言う。音楽? ダンス? 身体表現? この三人から想像することは膨大にある。想像出来ないことも沢山ある。とにかく予想がつかない、何が起こるか判らない、(あらゆる意味での)事故が起こるかも知れない。不安と期待を胸に、初日を予約。

果たしてタイトルから想像出来るあらゆることと、タイトルからは想像もつかないあらゆることが、時間と場所を駆けて現在にふわりと着地する迄の一時間だった。

開場が遅れ、入場順が混乱している。開演前にスタッフからお詫びの挨拶。入場者数が多い+会場全体をパフォーマンスエリアにするので客席エリアに使えない場所があるようで、様子を見乍ら少しずつ客を入れていたようだ。初日以降はここらへん改善されたのかな。選んだ席は視界が遮られてしまう箇所が少なくなかった。うっかり座ってしまうより、後方で立ち見すればよかったと後悔。まあそれは仕方がない。見えないところは想像で補おう!(泣笑)

ステージ下手側にブラウンのアップライトピアノ。その上にはグレーの人形(これにも見えた)、フォトフレームに入った小さいモノクロ写真、そして本。モノクロ写真には男性の姿、本のカヴァーには『山川千秋の「キャスター自画像」』とある。一月下旬、山川さんがtwitterに転載していたものだ。隣のひとが「あの本、なんだろう? キャスターって?」と話している。余談だが同じく開演前、後ろのひとが上田現の話を始めて(何故!)いろいろと心が掻き乱される(笑)。

d/a/d、デー、アー、デー。で? ああ、で? 登場した三人が口々に発声する。フライヤーにも書かれていた冒頭の言葉を山川さんが述べ、あとのふたりがで? ああ、で? と応える。ときには追及するように、ときには上の空で。リズムが生まれていく。 aはラ、dはレ。音階の話。そしてdad、父親。ここ迄は開幕前に想像が出来た。言葉の受け答えとしての、で? ああ、で? aとdで構成された楽曲。そして出演者たちのパーソナルなルーツに腕を突っ込むであろう、父親の話。

ピアノの上に置かれていた人形は小田さんが作った父親の顔、ハラさんの父親の写真、山川さんの父親の著書だと言及される。小田さんがピアノの歴史を語り始める。ピアノそのものの歴史、ステージ上にあるこのピアノの歴史。ピアノのメーカーはショパンが愛したと言われるプレイエル(PLEYEL)。そしてバッハを父と慕ったショパンの話。バッハの数学的作曲法。それら楽曲に隠されたトラップ。プリペアドピアノの歴史と、試験でプリペアド奏法を披露したら、以降この奏法が大学で禁止になったと言う自分の話(笑・楽器が傷みますからねえ)も。ピアノを奏でたり「ちょっとすみませんね」とシャツをパンツにぐいぐい入れ始めたり(…?)し乍ら話し続ける。その間山川さんは「で? で? ああ〜」と相の手を入れ、小田さんは「で、で、」と話を繋ぐ。ハラさんはピアノの上に座ったり、足指で鍵盤を弾いたりしている。脚のラインが美しく映える。

小田さんの話は学術的な面も含め、極めてロジカルだ。そして極めて冷静だ。山川さんに足を繋がれ(?!)、それに繋いだロープで吊り上げられ(!?!)ても「お? おお?」と言いつつ話を淡々と続ける。そのうち完全に逆さ吊りにされてしまった。さっきシャツをパンツに入れていたのはこのためだったのか(めくれあがっちゃうからね)と笑いつつも、これから何が起こるのか混乱したまま観続ける。続いて山川さんも自ら逆さ吊りに。ピーター・マーフィー(後述)かよ! あ、そういえばハラさんってバウハウスに留学していたんだよね、なんてことも連想。まるで凌辱されるようにピアノが解体されていく様子にはスガダイロー×飴屋法水の『瞬か』を思い出していた。逆さ吊りのまま小田さんが、奏でるピアノはゴルトベルグ変奏曲のアリア。どよめきと笑い声が起こる。

ロープを解いたふたりは再び自分の足でステージに立つ。暗闇と光が激しく移り変わる。地明かりもないので、照明が消えると本当に真っ暗になる。懐中電灯を手に踊るハラさんの身体。肌を光が透過する。山川さんの心臓の鼓動とシンクロして明滅する白熱灯。メトロノームが刻むリズムに、ハラさんが眼球の動きを合わせていく。瞬くことなく、左右へ反復を繰り返す眼球。音声が流れてくる。どうやらハラさんとお父さまの会話のようだ。お父さまはかなり高齢の様子。60年代にNYに行った話などをしている。当時の様子をいきいきとした声が話している。それに応え、労わるように声をかけるハラさん(らしき)声。「またくるね」。聴覚で辿る彼女のルーツ、視覚で辿る彼女の個人史。この身体が成り立つ迄の時間を思う。このシーンは特別な瞬間に感じられた。

小田さんが『d / a / d』のテーマ曲を奏でる。山川さんが叫ぶ。「今日は3月27日で、(あれ?)」「ここは東京都港区、西麻布1-8-4で、」「これはハラさんが買ってもらった(あれれ?)ピアノで、」「ここは新世界の階段で!」「ここは新世界の入口のドアで!」。言葉のとおり山川さんは階段を駆け上がり、エントランスのドアを開け放ち叫ぶ。ステージ上方からブランコが降りてくる。ハラさんが軽やかに座り、漕ぎ始める。弧は徐々に大きくなる。戻ってきた山川さんの最後の言葉とともに暗転。眼の奥に、正面に立つ山川さん、ステージに背中を向けピアノを弾く小田さん、ブランコを漕ぎ続けるハラさんの残像が焼きつく。誰が欠けても成り立たない、この日この場所でだけの『d / a / d』。

山川さんが入口のドアをバーンと開けたとき、新世界の前歩いてたひとはビックリしただろうなあ…いきなり開いたドアから上半身裸の男が出てきて叫ぶんだもの。昼間の上演だとまた様子が変わりそう、通報とかされないといい(笑)……。現在にフィクションが入り込んだのは、山川さんのエモ故か。二月が三月になったのは、ピアノがハラさんのものになったのは意図的か勘違いか?

それにしても山川さんの身体表現にはいつもハラハラさせられる。頭を殴る、受身もとらず(そう見える)身体をフロアに打ち付ける。前述の心臓の鼓動も、自分でコントロールしているのだ(停めることもある)。昨年“故障”したのも頷けてしまう。年齢もそんなに変わらないので、回復の度合いもなんとなく想像できる。長く続けられるものではないと思うが、今しか出来ないものでもある。あの激しさはなんだろうといつも思う。そうせずにはいられない、ただただ、それだけなのだろうか? だから目が離せなくなる。

DCPRGと、ソロでの活動でしか知らなかった小田さん。彼女のルーツには、所謂肉体的な父親を感じなかった。ガードが堅いのか、本来の資質か。山川さんとハラさんの表現方法とは違うコントラスト。謎とも言えるそれに、興味を覚えた。ハラさんは初見。フライヤーでしか見たことのなかったその美しい容姿から発せられる声に惹かれ、その動きに惹かれた。四月からはドイツが拠点になるとのこと、また観られる機会はあるだろうか。待ちたい。

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・『d / a / d (デーアーデー)』 新世界 Presents Special Live Performance vol.2

予告動画

・THEATER|小田朋美、ハラサオリ、山川冬樹が紡ぎ出す世界 | Web Magazine OPENERS

・新世界 Presents Special Live Performance vol.2 『d / a / d (デーアーデー)』 - イベント告知 - webDICE

・『山川千秋の「キャスター自画像」』 - Togetterまとめ
山川さんが転載していた分のツイートをまとめました。作品中で著書の内容には触れていませんでしたが、何故この本を山川さんが舞台上に置いたのか、紹介したのか、なんらかの参考になれば

・Nine Inch Nails - Reptile w/ Peter Murphy hanging upside down -Terminal 5 8/26/09

ピーター・マーフィー逆さ吊り(笑)。こちらの記事ではlike a batて書かれてます



2015年02月21日(土)
『三人姉妹』

シス・カンパニー『三人姉妹』@シアターコクーン

チェーホフ作品を読むのは好きだ。ただ、戯曲を読んで感じ入る箇所、台詞を読んで頭に浮かぶ演者の振る舞いが、舞台に載ると掻き消されていると感じることはある。今回はそれがなかった。言葉と、表情や行動をに代表される身体の変化が、感情の動きと結びついていると感じた。

財産が喰い潰されていく家。家とともに朽ちていくような長男。その家から、土地から離れる術を断たれ、「それでも生きていく」と決意する三人の姉妹。育った環境からの悪意なき発言に高慢さはなく、むしろ口にされない言葉に慎ましさと正直さを感じる。姉妹たちが長男の妻に言えない言葉。次女が夫に言えない言葉。そして、三女が愛されている相手に言わない言葉。ときとしてそれは残酷なものだ。「語られない言葉」に、次女の夫も、三女の婚約者も傷付いていく。そして、長男の妻が「語る言葉」の力に圧倒される。彼女の発言により家を追い出された老婆は、出て行った先に安息を見い出す。長女は、自分が「語らなかった言葉」によって彼女を家に縛り付けていたことに気付かされてしまう。反面、次女が恋する中隊長の語る哲学の空虚なこと。この地に留まらないストレンジャーでもある中隊長の言葉は、語られれば語られる程力を失い宙に浮く。宙に浮くのは老医師の語る言葉も同様。彼はこの国から逃れられないエイリアンのようだ。

あらゆる言葉が、登場人物の希望と、諦念とともに響く。それが哀しい笑いを呼ぶ。的確な演出と、演者の実力によるものだと思う。

三女イリーナを演じる蒼井優さんの台詞のブレスがとても大きく(比較的後方の席だったのだが、それでもひゃあっ、とかひゅうっ、とか聴こえてしまう)、そこには戸惑った。この台詞を語り切るのはそれ程難しく、体力も要るのだろうなと思った。それと関連するのかも知れないが、長男アンドレイと恋人(のちに妻)ナターシャの睦言のシーンにマイクが使われていたところにも違和感。台詞を伝えるためには仕方がないのかなとは思った。それ程この作品は台詞が大事なのだと言う演出家の意気を感じた。

次女マーシャを演じた宮沢りえさん、素晴らしい。コメディエンヌとしても、情熱を体現する身体と、それら感情をクールダウンさせ、確実に客席に届けるスキルを持った演者としても。彼女のマクベス夫人をそろそろ観たいな、と思った。ナターシャを演じた神野三鈴さんの野性は素晴らしかったな。そういえば彼女が演じた『欲望という名の電車』のステラも、生きることに貪欲な女性だった。アンドレイ言うところの“獣”、生命力の塊。鈴を転がすような声は鋭利な刃物のように、ズバリズバリと核心をつく。イリーナの婚約者トゥーゼンバフは個人的に好きな登場人物。近藤公園さんが演じたことでますます好きになった。次女マーシャの夫クルイギンとともに、片思いの権化。そして赤堀さん演じる長男アンドレイを観られたことがとても嬉しかった。余貴美子さん演じる長女オーリガには人間の美徳に満ちていた。大きな包容力。苛立ちにすら魅力を感じた。

そして照明がすごいな…と思ったら服部基さんだった。もうこのひと大好き。室内の暗さと森の冥さ。未来を暗示するかのような窓向こうの闇、冥界へ続くような木々の陰。



2015年02月14日(土)
『エッグ』

NODA・MAP『エッグ』@東京芸術劇場 プレイハウス

主要キャストがひとりも入れ替わることなく揃った貴重な再演。その点で演者にも観客にもある種の余裕があり、比較的落ち着いて観られたように思う。そのことがいい効果をもたらした。予想していた「現在の世相が反映される」部分よりも、作品が持つ普遍的な強さを感じるものになった。そして普遍的だからこそ、「この過去から逃げ切ることが出来たら」と言う台詞はますます重い。初演の感想はこちら

初演の衝撃は今でも忘れられないが、再演は展開を知っているからこそ、細やかな部分に注意を配ることが出来る。冒頭から幾度も鳴り響く列車の汽笛の意味。「実験に使えばいい」等、何気なく語られるちょっとした台詞。そしてあの背番号。誰の背番号が誰に受け継がれたか、永久欠番になった番号は? ストーリー展開とともに、入れ替わっていく役者の背中の番号を追う。三人が並び、番号が貼り付けられた背中を観客席に見せつける迄の流れがこんなにも鮮やかだったのだと気付く。初演のときは、「マルタ」と言う言葉にこれはひょっとして…と心がざわつき、その後「7」「3」「1」と目にした一瞬、頭が真っ白になってしまったのだ。

「記録に残らない」のはそこで起こった出来事だけではなく、そこにいた人々のことでもある。打ち捨てられ、消されていくものたち。記録に残せないのならば記憶に残すしかないのだが、その記憶を有している人々の口は重い。なかったことにされた国と、いなかったことにされた人々は、時間と運命をともにするしかない。語られなかった記憶は忘れ去られ、やがて「なかったこと」になる。これを「記録に残らない」演劇で描く意味。「知った気になっている過去」を、繰り返し観ることで記憶に残す、再演の意味。

列車に乗り、虚構の国をあとにしたひとたち。彼らのその後の人生を代弁するのは、虚構の国に取り残された阿倍比羅夫。この名前の由来であろう阿倍比羅夫は、飛鳥時代に蝦夷と満州の住民を征圧した人物だ。史実の人物も、この作品中でも、阿倍が彼の地に住んだ彼らの人生を知ることは決してない。しかしそれを可能にするのがフィクションであり、演劇なのだ。今回の再演でいちばん印象に残ったのはここだった。寺山修司が「劇場の梁に書きとめた」虚構の世界で、時間と空間が交錯する美しくも痛切な場面。

そして幕切れ。ありません。いません。といたずらっ子のような顔で言い放つ芸術監督。先述の初演の感想に「このフックをどう捉えるか」と書いた。今回、この演出に救われたような気持ちになった。野田さんの最後の台詞、そこからのソイル版テーマ曲。これがないと拍手をするのも席を立つのもキツい。と、思うのも、この再演がますます実感として響いたからだ。そして野田さんの「フィクションの力を信じている軽やかさ」は「フィクションを目撃させる力」をも持っている。史実の重みに打ちのめされるばかりだった初演、その史実を目撃したつもりになっているのか? と問われたかのような再演。世界には「知った気になっている現在」も「知った気になっている未来」もあるのだ。そこに希望を見出すか、絶望に留まるか。現実がいつでも辛いもので、虚構が優しいものとは限らない。逆も然り。

翌日所用(ウルトラマンスタンプラリーをやりたくて行く用事を作ったと言うのが正しい・笑)で阿佐ヶ谷に行った。河北病院の看板が目に入る。ああ、そうだった。『エッグ』終盤で描かれた寺山修司の終焉の地、河北病院は阿佐ヶ谷にあった。そして『ノック』は阿佐ヶ谷でも上演された。日常に虚構が入り込んだ街だ。ゆっくり歩いた。

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・人生の贈りもの|作家・作詞家、なかにし礼:2『引き揚げ列車の中、歌の力知った』朝日新聞デジタル
これを読んだ直後だったこともあり、引き揚げの様子がよりヴィヴィッドに画として映った。満州で生まれ育ったこどもの原風景と、「歌」の力



2015年02月10日(火)
『NICK CAVE/20,000 DAYS ON EARTH』

『NICK CAVE/20,000 DAYS ON EARTH』@シネマカリテ スクリーン2

休日前とは言え平日レイトが盛況。根強いファンはまだまだいる…わたくしもそのひとりです。

「ニック・ケイヴの生誕20,000日目」を描くメタ・ドキュメンタリーと言えばいいのだろうか。朝目覚め、タイプを打つ。「起きて書いて食べて書いてテレビを見る」。精神科のセッションを受け、レコーディング(『Push The Sky Away』時のもの)に励み、自身の“記録保管所”を訪れる。各所を車で移動する間、助手席や後部座席にかつて交流があった人物が乗り込んでくる。彼らはニックの深層心理に答えるかのように語り出す。

ニックが対話をするのは精神科医のダリアン・リーダー、記録保管所の面々、長年のバンドメイトであるウォーレン・エリス。そして車に乗り込んでくるのは、『プロポジション 血の誓約』に出演したレイ・ウィンストン、“魂のあざみ”ブリクサ・バーゲルド、そしてカイリー・ミノーグ。ウォーレンの自宅は実際の彼の家ではなく、記録保管所も架空の場所。しかしダリアンとの対話はニックが率直に語るインタヴューでもあるし、メルボルンには“ニック・ケイヴ・コレクション”なるものが実在しているそうなのだ。冒頭と終盤に現れるニックの家族は実際の妻と息子たち。そして車中の対話は、脚本のない一発撮り。台詞ではない言葉に本音が紛れ込み、カメラの前にいる人物たちは何かを演じてもいる。パンクの出自を持つ者が地元の偉人としてコレクションされる皮肉。その状況を苦笑し乍らも楽しんでいるような客観、それらコレクションに宿る主観。

ニックが脚本を書いた『プロポジション』に出演したレイだけは、外部の色が濃い。虚構と現実の境界へ最初に乗り込んでくる人物として、役者でもある彼は適任だった。ブリクサの極めて現実的な脱退理由、ニックをカイリーと結びつけたマイケル・ハッチェンスのエピソードが心に残った。カイリーは「あのライヴで彼は私を見ていた、そう思った。それは観客皆が思うこと」と言い、ニックは「私はライヴ中、意図的にひとりの人物を選んで見つめる、そして唄う」と言う。マイケルは1997年に亡くなった。

ステージに立つニーナ・シモンが変貌するさまを少年のような表情で語るニック、妻よりおまえと食事している回数の方が多いとぼやくウォーレンに苦笑するニック、バンド脱退の理由を語るブリクサの言葉を拗ねた子供のような顔で聴くニック、華やかな時間を共にしたカイリーとの思い出を、懐かしむように聴くニック。セッションでは語る側、車中では聴く側。ステージであれだけ凶暴な姿を見せる彼が、母親へ「Mum! Our Single has been Reviewed!!!」と書いた無邪気な手紙(ちなみにレヴューを掲載したのはNMEだったそう)。この手紙は実際母親に送られたのだろうか? と思うのも束の間、映し出される幼少の写真(これがまたかわいらしく今とのギャップがすごい)に客席から笑い声が漏れる。虚構が現実を侵食していく。或いは現実が虚構へと歩み寄る。そうして積み重ねられたシーン群が、クライマックスのライヴシーンへと集約される。あの熱狂の、創造的な世界へ。

終映後しばらく呆然とし、席を立てなかった。そしてすぐに、またこの体験がしたいと思う。この映画をまた観たいと言う思いと、ニックのライヴをまた観たいと言う思いと。ニックが最後に日本でライヴをしてから(あのフジね……)十七年(!)経つ。今回この映画が日本で公開されたことは、どんな意味を持つのだろうなどと考える。正直、DVDスルーだと思っていたのだ。非常にチャーミングな映画ではあるが、近年の映画脚本/音楽家としてのニックを知りたくて来たひとには不親切なつくりだ。一方、アーティストとしての彼を長年愛してきたひとには感涙ものの内容だ。今、日本で彼の認知度はどうなっているのだろう? しかし映画は公開された。入りもいい。再び彼が日本にやってくることを祈り、彼の作品を愛し続けよう。

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その他。

・ライヴシーンは勿論、レコーディング風景がよかったわー。普段見られない光景だもの。邸宅でピアノを弾き乍らメンバーに指示を出すニック、慣れないこどもたちの指導(?)をウォーレンに任せるニック。格好いいやらかわいいやら
・こどもと言えば、双子とテレビを見乍らピザを食べるニック…何故かぎこちなく見えてしまいこれまたかわいいやらなんやら。そしてルークのことを思い出すやら
・あのー強烈に憶えてることがありまして、幼少のルークがおしりを犬に噛まれたときのニックの様子がロキノンのインタヴュー頁に書かれてたことがあってね……

・ポスターやらフライヤーやら散々見て楽しみにしてたのに、本編始まってから初めてニックの車が右ハンドルだと気付いた
・「80年代のことはよく憶えてない」って言ってたのが然もありなん。おくすr(略)

・ミック・ハーヴェイとのことも突っ込んでほしかったけど、まだ時間が必要なのかな。でもスペシャルサンクス欄にしっかり名前入ってて(そりゃチェックしますわよ!)嬉しかった。と言えばPJハーヴェイのこともな…ふたりのハーヴェイ
・車、カイリーとくると映画としてはやはり『ホーリー・モーターズ』を思い出しちゃったり。しかしカイリーとの共演ってやっぱりエポックだったんだなあ…しみじみ

・GrindermanのギタリストWarren Ellisの嫁はDelphine Ciampi (岸恵子の娘)なんだって。ヤマ
当時は驚いたものだった。しかもその情報をヤマジのツイートで知るとは(笑)

・ウォーレン・エリスは(中略)パリジェンヌの嫁とパリ住まいですw
と言うわけで作中出てくるウォーレンの家は、シーフォードの沿岸警備隊員のおうちだそうです(笑)このロケーションよかったねえ



2015年02月08日(日)
シネマ歌舞伎『二人藤娘』『日本振袖始』

シネマ歌舞伎『二人藤娘』『日本振袖始』@東劇

噂のエアウィーヴシアター。エアウィーヴクッションが座席に敷いてあると言うやつで、効果の程はよく分からず。これが枕で首〜頭にあてるのだったら寝てしまったかも知れませんが(笑)。しかしまー玉三郎丈と七之助丈は美しく勘九郎丈は格好よく寝る暇もありませんでしたね…むしろ目がつぶれると言うか瞳孔が開く勢いでしたね……。

玉三郎さんの作品解説から始まり、舞台裏や楽屋風景も観られます。左利き(両利き)を活かして? 両手に持った筆で一気に隈取を引く玉三郎さん、お素敵。そういえば十市さんも両利きだったか単に器用だったか、左は左手、右は右手でアイライン引くって言ってたなあ。四人がかりで着付けをし、七之助くんとスタンバイ。目が…つぶれる……!『二人藤娘』は冒頭解説でも指摘されていましたが、女性同士でからみあったりお酌をしあったりする妖艶さ、それを演じているのは女方、と言う表現について考えさせられました。目がつぶr(略)

両作品ともにおどりの美をどっぷり堪能出来るものでしたが、それにしても今回初見の『日本振袖始』が面白かった。やまたのおろちのアレですが、大蛇を玉三郎さん+七人の役者で演じます。この群舞がまーなんて言うかモダンで。エグザイルのぐるぐるまわるあれみたいな陣形があったりするんですね。そして岩長姫が大蛇へと変貌する間に義太夫と三味線の独壇場があるのですが、これがシビれる。ふたりが下手袖に出てきて演奏するのですが、立奏なので三味線方は足台に左足を置くんです。しかも早弾きのところもある。当然客席は湧く。ロックスターみたい! 以前、三味線は当時の流行最先端の楽器だったんだよねえって話してたときに、タさんが「不良がやるものよね」と言って大ウケしたんですが。「ロックなんか、ギターなんかやっちゃいけません!」と同じ文脈で「三味線なんかやって!」と言われていたかと思いを馳せるとオモロい。後述のブログで知りましたがこの立奏、大薩摩のスタイルのひとつなんだそうです。

しかし『黒塚』観たときにも思ったが、もののけを退治するときの勘九郎さんの顔貌が…勇ましくもあり悲哀を秘めているようでもあり、非常に複雑な表情をするんですよね。アップが観られる映像だとより顕著にそれを感じた。

そうそう顔と言えば、大蛇の隈取ちょうこわい。特に玉三郎さんのが、強面とか通り越してエグい。最初アップで映ったときドンびきするくらいエグかった。そんなんで目を剥かれた日にゃあ…それがどアップになった日にゃあ……こどもが見たらトラウマになりそうです。なんと言うか非常にプリミティヴ。メイク以前の、儀式やしきたりに際して描かれたものが起源なのかなと思いました。

藤娘が岩長姫になり、そして大蛇に。藤娘の衣装替えの回数もたっぷり。玉三郎さんの七変化が観られて楽しゅうございました。最後の方で、舞台を終えた玉三郎さんと七之助さんが袖から帰っていく後姿が随分長い時間映ります。光の世界から暗闇の世界へと消えていくふたりの娘。舞台上とともに余韻の残る映像でした。

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・片岡千次郎 憚りながら…『シネマ歌舞伎♪』
タさんに教えて頂きました。有難うございます! 大蛇のひとり、片岡千次郎さんのブログ。そうそうこの、皆で海老反りするところめっちゃ滾った!

・tori*tori日記『シネマ歌舞伎「二人藤娘/日本振袖始」』
大薩摩についての話等、勉強にもなりました。ご感想も素敵。そしてそうそう、私も『二人藤娘』の踊る場面、『暗殺の森』を思い出してた!

・大薩摩節(オオザツマブシ)とは - コトバンク
おおざつま‐ぶし〔おほざつま‐〕【大×薩摩節】
江戸の古浄瑠璃の一。享保年間(1716〜1738)に初世大薩摩主膳太夫(しゅぜんだゆう)が創始。勇壮豪快な曲調で、歌舞伎荒事(あらごと)の伴奏音楽として用いられた。文政年間(1818〜1829)以後は長唄に吸収された

・シネマ歌舞伎「二人藤娘/日本振袖始」予告編



2015年02月07日(土)
『いやおうなしに』

歌謡ファンク喜劇『いやおうなしに』@PARCO劇場

やー、やー、素晴らしい。福原さんの構成力、河原さんの演出圧の高さ、抜けのよい演者。自分にとっての『マンマ・ミーア!』ですわ。面影ラッキーホール(とやはり言ってしまう)の数多の楽曲をこう構成したかと言うのがもう…「ゴムまり」と「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」がああ繋がるか! 「俺のせいで甲子園に行けなかった」がああ展開するか! フィリピンパブからの〜アイリーンが実体を伴って目の前に現れたこの衝撃と嬉しさ! そのアイリーンが実は…と言うスリルとサスペンス! てんこもりか!

面影ラッキーホール改O.L.H.(Only Love Hurts)の楽曲群は、徹底的なリサーチのもとに磨き込まれた詞世界を、手練のどファンク演奏にのせてブリブリに繰り広げる歌謡の悲哀が魅力。それだけに言葉と演奏だけでお腹いっぱいになるんですよね。あまりにも徹底した描写なので、aCKyが唄えばもう目の前に男女のあれこれが拡がるので充分と言うか隙がないと言うか。それにどうやってストーリーを付加し、新たにヴィジュアルを起こすのかと言うところが今回個人的な見どころではありました。それがまー、福原さんすごいな! この手があったかと。数々の歌の世界の住人は、別々の世界の住人だと捉えていた自分の目から鱗がぽろりぽろりと落ちました。自分のなかでは別々の場所で別々に暮らし、別々の夜に別々にひとり涙を流す登場人物たちが、目の前に地続きで現れた訳です。だって、あの暮らしを、あの事件を、ひとりやひとくみひとつの家族、ひとつの町で抱え込むにはあまりにもヘヴィーですやん……そのあれこれをひとつのストーリーに結びつけ、そのブリッジにはしっかり福原節を入れてきているこの構成の妙!

歌の情景描写を歌謡ショウとして見せたのは流石の河原さん。ただでさえ職人的とも言える手腕を持ち、適所に適材を持ってくるこれまたこの方も手練の演出家ですが、そこに面影愛が加わるとこうなるか。回想と現在、妄想と現実、そこに現れる複数の人物を出演者が掛け持ちで演じると言う、一座が旅公演でやって参りました的な外枠も効果的。登場人物が唄い出す唐突さも歌謡ショウなら違和感なし、と言うかこれしかないとも言えるものになっている。ライヴでもやる振付がちゃんとショウに織り込まれているところにも面影好きは震えましたね。このコミット! そして後になって気付いたが、「北関東の訛りも消えて」辺りでさりげなく山中さんがやってた振付、あれは牛久の大仏ではないか。ニクい。

そして早替え衣装替え。旦那上等金上等性上等の衣装を着てハンドマイクを握りガッツガツに本気と書いてマジな顔で唄い踊るキョンキョン! 聖子さん! 充希ちゃん! いやまじで顔がマジでな…舞台上と裏でやること多過ぎで、テンションと体力の限界に挑むマジさでな……裏では酸素ボンベ吸ってんじゃないかと思ってしまう鬼の形相でな………。大人の本気と書いてマジを思い知りました。ショウビズなめんじゃねえと言う小泉パイセンの心の声が聴こえるようでした。

それにしても常日頃から、河原さんの「劇場のサイズに解像度を合わせてくる」腕には唸るばかりなのですが、それって「場が余っていると見せない空間認識能力の高さ」と「用意された空間に詰めるだけ詰める圧の高さ」があって、今回は後者が際立ちまくっていた。ハイレゾかよと言う…それでいて死角がないの。端から端までひとがいていろんなことをやってるんだけどちゃんと視界に入るし、そのカオスのなかでどこがキモかってのはちゃんと照明なり音なりでガイドがあるの。ちゃんと情報が届く。今回ツアーあったから他会場だとどうだったのかなあ。PARCO劇場ではそこらへんが的確も的確だった。

さて抜けのよいキャストですが、このキャストでこのスタッフと発表された時点であまり心配もしていなかったのですが、古田さんはあのスーツを着こなしている宣美を見た時点でもう安泰、というくらいだった。あのスーツが似合うのなんてこの世にaCKyしかいないと思ってた…これぞ役者・古田力。ゴムまり再現の幼児を古田さんにしたキャスティングも素晴らしかったな……。トモロヲさんも面影の世界のひとなので無問題。大人になりました(笑)。魑魅魍魎が跋扈する芸能界を泳ぎ続ける小泉さん、それこそ子供の頃からこの世界で生きてきている高畑さんの矜恃すら感じる仕事っぷりも見事でした。山中さんには静謐で透明感がある人物、という印象があるので、この興行ではどうなるの? と不安半分期待半分でしたら、いちばん身体張ってた(笑)脱ぎっぷりもよくてね…あれですね、童顔とのギャップが大きい綺麗な身体付きですね。見せるための筋肉も自意識も、具体的にも抽象的にも贅肉が一切ついていない身体。肌も綺麗、プロポーションも綺麗。眼福でございました。タカシですの捨て身っぷりも素晴らしかったですネ!

アイリーンを演じた高山さんは木ノ下歌舞伎の『東海道四谷怪談』で宅税女房お色と小塩田又之丞の男女両役演じたひと。あの声、あの顔、あの身体。当て書きか! と言いたくなるようなハマりっぷり。世界の住人来た! と感動。世界の住人と言えば高田さん、彼女こそザ・女優だと思いました。ここにも矜恃。政岡さん駒木根さん三浦さんのガヤっぷりもザ・仕事人。面影歴代コーラス陣も参加、なんて豪華。

三宅さんは確かに面影のライヴ会場でよくお見掛けしておりましたので今回出演出来てよかったねえと思った…ちなみに三宅さんはDCPRGのライヴ会場でも一時期よく見掛けてた。関島さん(Tu)のこと「立奏ってすごいね!」と言ってた(笑)。

面影ありきで行った客なもので、彼らの楽曲に初めて触れる方がどう思ったかは判りませんが、非常に優れたエンタテイメントになっていたと思います。個人的には幸せしかない舞台だった。段取りめちゃ多いんで皆さん千秋楽迄ご無事で!



2015年02月02日(月)
『自作自演』飴屋法水×江本純子

芸劇+トーク 異世代リーディング『自作自演』第12回 飴屋法水×江本純子@東京芸術劇場 シアターウエスト

リーディングはふたりで一時間(ひとり30分)、休憩をはさんでトークと言うタイムテーブルでしたが、休憩時に時計を見てみれば20:30過ぎ。このふたりがただ朗読して終わる、と言うことはないだろうなあと思ってはいましたが……。トークは駆け足となりました。

最初にふたりと司会進行の徳永京子が登場、挨拶。皆にこやか。飴屋さんと江本さんは小学生の男の子と女の子のようにもじもじしている。徳永さんに「劇作家…と言うことでよろしいですか?」と言われた飴屋さん、ニコニコし乍ら激しく首を振る。「では、演出家…」再び拒否。結局何って言ったときにちいさく頷いたんだっけなあ、パフォーマー? 演じるひと? 音響家だったかな…忘れてしまった(悔)。劇作家、演出家、と呼ばれた江本さんは「はいっ、全く問題ないです!」とキッパリ(笑)。

舞台上にはCDJとミキサーの卓。まずは江本純子による短編「むきだされた天使」。「これは飴屋さんの機材なんですけど、私も一枚CDを持ってきましたので、使わせてもらいます。初めてCDJってものを触ります。壊さないようにしないと……」「私毎日ジョギングしてるんですけど、そのコースがだいたい30分なんですね。なので自分のなかでの30分と言う時間は確かなものです」。リニューアルオープンした道玄坂のストリップ劇場、召集された30人のダンサーたち。出番の多さによって15名ずつ二部屋の楽屋に分けられる、そこで起こった窃盗事件。キャラクターをめまぐるしく演じ分ける。登場人物がせわしなくLINEをやっているさまを、実際に携帯バイブの音を鳴らして表現する。スピードがどんどんあがり、途中登場人物たちが混濁するところはライヴの醍醐味。抜き身の迫力。

続いて飴屋法水、骨壷を持って登場。サイドテーブルにそれを置き、サインペンで字を書いていく。“おばけ もののけ ひと”。『武満徹トリビュート』にも登場したものだ。「自作自演ってあまりいい言葉では使われないですよね、ヤラセ、そうヤラセだ……」と言う呟きからスタート。「この場で考え乍ら、いろいろ読んでいきます」。卓前に座って音を出す。思えば飴屋さんが音響オペするのを「見る」ことは普段叶わない訳で(ライヴは別として)、そういう意味でも非常に貴重。表情が厳しい。さっきはにかむように笑っていたひとの、違う顔。心臓の鼓動音。スピードを変えて、ゆっくりめに設定する。それをキープしたまま、話し始める。自己紹介的なものから、娘の話。人間が生殖して、1たす1が3になった。生まれて一年経ったある日、突然彼女は二本足で立った。飴屋さんもハンドマイクを持ち立ち上がる。誰も教えてないよ、誰も教えてないよ。なのに立った。右足、左足、右、左、交互に足を出して歩いた。誰も教えてないよ、誰も教えてないよ。右、左、右、左。このとき右と言うと左足を、左と言うと右足を出していた。たまたまなのか、意図的なのか、本当に右と左を間違えているのか…冒頭の「ヤラセ」と言う言葉を思い出す。誰も教えてないよ、誰も教えてない……リズムが生まれる。やがてガクン、と崩折れる。脱線したリズムが繰り返される。

サンプリングした虫の羽音だったり、音楽だったり。音は続く。「ブルーシート」の点呼のシーン、灰色のねこのシーン。動物と人間の違い、人間しかしない行動。「教室」、くるみちゃん来てる? ここでゲストの登場です、ケンタッキーフライドチキンさんでーす。バケツ型のパッケージからチキンを取り出し、食べる。骨が残る、これはどうしますか? くるみちゃんどうする? 客席後方から声がする、「捨てる」。どこに捨てる?「ゴミ箱」。作品のなかの登場人物が実体を持って現れる。さてこちらは骨壷です。僕のお父さんの骨が入っています。これは捨てられない。何故? とか言ってこれはメレンゲで作ったクッキーなんですよ、きっと食べたら甘いんだ…サクサクサク、と言う音が響く。あんな乾いた音がするのだなあと思う。この辺りから、虚と実の境目がどんどんなくなっていく。蛇には瞼がない? 黒いパンツ、死んだら森に埋めて、虫は幸せか? さまざまな作品のさまざまなフレーズがポツリポツリと、しかしリズムを持って放たれる。「ブルーシート」の生徒たちがわいわいと話すシーンは圧巻。

「じ め ん」、この作品は夢の島で上演しました。舞台後方のスクリーンに映し出された衛星写真には日本がない。2011年、僕は10歳。2021年、僕は20歳。2050年……昔ここに日本と言うちいさな島がありました。今はもうありません。だってそれは夢だったから。夢の島だから。両親の話、僕のお父さんとお母さんはお見合い結婚で…お見合い、今のひと分かるかな? これは僕が生まれたときの写真、これはお姉ちゃんとの七五三の写真…これはお父さんの会社の保養所かな、電力会社だったからほらパラソルに電って書いてある。MARKとのコラボライヴで使用したテキストと、インプロは続く。もはや新作だ。テキストは既存のものだし、飴屋さんが話す内容も一貫している。しかし、このひとが提示するものは、毎回「今、ここではこれしかない」ものになる。

初恋のひとの話をします。名前は江本さん。……ん? ふたりで映画館に行って『ジョーズ』を観て…スピルバーグのね。最後ジョーズにアクアラングを突っ込んで爆発させるの。嘘です、『ジョーズ』なんて映画はありません、スピルバーグなんて監督もいません。だって、爆発する訳ないじゃんジョーズが。嘘、嘘、ヤラセ。ねえ江本さん、純子さん、僕たちはこのまま一緒に暮らしていく? それとも別れる? 別れたら僕たちは教えてしまうよね、娘に。人間はいとも簡単に離れられると言うことを。ずっと一緒にいたら、人間はそう簡単に離れられないと言うことを教えてしまうよね。客席のある位置を睨んで喋る。とても鋭い目。猛禽のような目。見ている先は江本さんがいる席だろうか、それとも、彼のパートナーであるコロスケさんがいる席? 自作自演、ヤラセ。嘘と本当。

音楽は流れる。言葉はリズムに乗る。強い言葉。強い音。「人間の数え方は1ではない」、礼。終演。

卓上には鈴も用意されていたが使用せず。転換のときスタッフが落とし、リン、と澄んだ音をたてた。

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さてトーク。ダウンを着てもう帰るんかと言う出で立ちの飴屋さんが出てきてうろうろ、どこに座ろうか迷っている。水が用意されているのに自分でお茶のペットボトルを持ってきている。上手側の椅子に座りぽつんと待つ。江本さんも徳永さんも現れない。どうしよう、と言った困惑顔のままニコニコする飴屋さん。客席がなごむ。やがてふたりが出てきて「飴屋さんが真ん中に座るんですよ」「もう座っちゃったから…」「ダメです、決まってるんですよ」「まだ休憩時間あるんですけどもう始めちゃいます?」。一気に場が賑やかになる。飴屋さんが時間より早く出てきてしまったらしい(笑)以下おぼえがき。

と●今回は江本さんのリクエストで飴屋さんを
え●そうです、『ライチ・光クラブ』を演出したのでそこで接点が出来て、これは是非と。失礼な話ですが今日初めて舞台を拝見しました
と●それを受けて飴屋さんは……
あ●うん、ともだちになろうと思って。僕も江本さんの作品初めて観ました。『ライチ〜』は観たんですけど、江本さんの書いたもの、舞台に立つのを観たのは初めて
と●異世代リーディングと言うことで、歳の離れたひとを、と言う企画なんですが、おふたりは二世代くらい離れていますね
あ●えっ、そんなに離れてるの!? 僕50過ぎだけど……
え●そうですね、20年弱は離れてます

と●今回はこの企画で初めて、出演者が客席で観たんです。これ迄はお互いの作品を、舞台袖や楽屋で観ていたんですけど、江本さんが客席で観たい! と。最前列でと言われたんですが、配券の方が「そこはお客様の席です」「お客様にもう売っています」と
え●ええ! もう今回私は前座で、飴屋さんの前に盛り上げようと言うつもりで。これ(飴屋さんの作品を客席から観られたこと)はもう私にとってギフトでした
あ●でも、共通点あったよね
え●そうですねえ…あの、古屋兎丸さんから飴屋さんがライチに出たときの話を聞いてて。腰に巨大なドリルペニスを付けて〜
あ●うん、そう。江本さんの短編、観る前に読んだんだけど、
え●えっ読んだんですか!?
あ●うん、読んだ。で、あの、ブルブルするやつが……
と●そうですね、物体としての肉体と、ヒトガタとしてのローターが
あ●あっあれローターだったの? ヴァイブかと思ってた
え●やっ、今は一体型のもあるんです。だから大丈夫です、問題ありません!
と●(笑)そういった人工的なものと肉体的なもの、いきもの、と言ったところに共通点があったと思います
え●そうですねえ、共通点は「性器」でしたね

あ●そうそう、いきもの、動物…毛皮族。毛皮族って格好いい。なんで毛皮?
え●今だったら(そんな名前は)付けないですね。なんだろう、ゴワっとしてて、重たいものって言うか……
あ●財団、江本純子。財団って何?
え●今だったら付けないですね(再)! 劇団、本谷有希子があったので最初劇団、江本純子にしたいって言ったら制作からダメって言われて。じゃあ財団にしようって。財、財産ですからね! 財産がないと芝居出来ないし、演劇も財産ですよ。でもなんでつけちゃったんだろう……
と●江本さんは、揺れますよね……
え●そうですね、揺れっぱなしですね!

と●飴屋さんの作中、江本さんが登場しましたが、これは最初から考えて?
あ●いや、その場その場で考えていって
と●使用する音とかは決めていたんですか? 小道具も使っていましたが
あ●使おうって音や小道具は決めて持って行ったけど、どこでどう使うかはその場で考えました
と●映像も使われましたが
え●今朝劇場に来たら「飴屋さん映像使うそうですよ」って言われてえっ!? って慌てたんですけど
と●リーディングなのに。それにしても飴屋さんの使う言葉は強い…短い言葉で。タイトル等も格好いいですが、あのタイトルってのは降ってくると言うか、降りてくるんですか? 公演を打つとタイトル先行の場合もありますが
あ●降ってはこない。よく判らなくて…内側から出てくる訳でもなくて……見えてくる
と●……漢字で?(全員笑)
あ●うーん、よく判らない

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江本さんは前座と謙遜していたが、先攻で生々しい作品を選択して提示し、後攻の飴屋さんがそれを受けた上で準備してきたテキスト群からセンテンスを選択し、そこに虚実を織り交ぜていったのだと思う。感覚的であり乍ら、やはりこのふたりでしか成し得ない、この日ここだけのコラボレーション。

・『自作自演』<第12回> 東京芸術劇場