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2014年04月30日(水)
『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』

『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』(3D字幕)@新宿ピカデリー シアター4

個人的にはキャップの「おいていかれた子」な佇まいが非常にキまして、いちばん泣いたのは(と言うか他のシーンでは泣いてないわ…)彼が自分の展示を観てまわるシーンでした。アメリカの歴史としてスミソニアン博物館に展示されている自分、アメリカ人の共通の記憶としての自分。変装して博物館に来場しているスティーヴに気付いたこどもとの、言葉なき交流。あこがれのキャップのTシャツを着たひ弱そうなこどもの、驚きに満ちた瞳。微笑してシーと人差し指を唇にあてるキャップの姿は、あの子にとって宝石のような記憶になるだろう。

旧友や同僚たちは死んでいるか年老いている。当時の記憶は残ったままだ。現代の文化に適応しようとメモをとり、勉強している生真面目さがけなげにすら映る。今を疎んじている訳ではないけれど、戸惑いとある種の諦めは隠せない。ナターシャが女性とつきあえつきあえ彼女つくれとことあるごとにからかうのも、彼女なりの気遣いなのだろう。

キャップの前に現れたウィンター・ソルジャーは、スティーヴがその時代とともに生きた記憶を共有する人物だ。しかし彼はその記憶を奪われている。彼がそれらを思い出そうとするシーンの痛々しさ、そして再びその芽を摘まれていくシーンのおぞましさ。「ウィンター・ソルジャー」とは愛国兵を指す言葉であり、1971年に行われた、ベトナム帰還兵が戦争の記憶を語る公聴会のタイトルでもあるそうだ。現代でキャップと出会い、よき相棒となっていくサムは戦争の記憶に苦しんでいる。

記憶はDNAの“データ”では汲み取れない、個人を個人たらしめるかけがえのないものだ。ヒドラはそのかけがえのないものを踏みにじろうとする。キャップは、人間の尊厳とも言える記憶を守ろうとする。

…と言う訳ですっごいいいホン…と言うか好みの話でビックリした。こういう記憶にまつわる話に弱い。人間が人間であることを証明するものとして、「記憶」と「痛み」を持ってきたところに非常に感じ入りました。キャップは超人だけど要はすっごい丈夫で身体能力が優れているってだけの人間で、殴られれば痛いし銃で撃たれれば出血して動けなくなる。ニック襲撃のシーンの緊迫感もすごかったな、骨折したら痛いし身体が利かなっていくでしょう。あたりまえのことだけど。そしてサムってファルコン操縦出来るけど超人でもないしロボットのなかに入ってる訳でもないから翼をもがれたシーンはほんっと怖かった。落ちたら死んじゃうじゃん。あたりまえのことだけど。『アベンジャーズ』シリーズだけど、ハルクやソーが不在だったこともあってそういうことを思い出したと言うか…またアクション演出が素晴らしくて。テンポもいい。ニックの銃撃戦シーンは『ザ・タウン』を思い出してひいーとなってたんだけど、そもそも『ザ・タウン』がインスパイアされた『ヒート』を参考にしているとのことでした。成程。

あとエレベーターアクションがあったのにはニヤニヤしました(笑)。

そしてサムを演じたのが、『ハート・ロッカー』の“キャスリンと三人のギャングたち”(画像参照)アンソニー・マッキーで!むっちゃいい役!むっちゃいい役!うわーん!予備知識全く入れて行かなかったので、これは嬉しい驚き。登場したときスティーヴと初対面だったから、本筋に入る前のちょっといいエピソードで終わるのかなあと思っていたら!キャップとサムってお互いバディと言うか友人を失くしてて、キャップの方はバッキーとああいうことになったけど、サムはバディと再会出来ることもないだろうなと思うと…もう……(涙)むっちゃいい役きた!ファルコンのデザインもよかった、ちょー絵になる!そしてサムは普通の人間なので今後…今後どうなるか……。『アベンジャーズ』のコールソンさんのことを思い出したりして、まだ起こってないことを想像してもう泣きそう。

そうそう、サムが序盤でスティーヴにおすすめするマーヴィン・ゲイの曲が終盤に登場するのが粋でした。アナログレコードではなくiPodから流れる「Trouble Man」。



2014年04月26日(土)
『ロードムービー』

『ロードムービー』(DVD)

引き続きファン・ジョンミン特集。原題は『로드 무비(ロードムービー)』、英題は『Road Movie』。2002年の作品で、日本では2004年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(The 13th TIL & GFF)で二回だけ上映されたようです。日本版のソフト化はされておらず、本国版もなかなか入手困難なようですが、運良くeBayに出品されていた新品を購入することが出来ました。別にプレミアもついてなかった、$19.99。てか届いた現品に価格シールが貼ってあったんだけど、それは$23だったので、むしろ安くなってた(笑)。

リージョン3なのでiBookで観るつもりだったところ、このタイミングでDVDドライヴが壊れ(何故増税前に壊れない…せめて……)リージョンフリーのプレイヤーを再購入。おかげでTVのおっきな画面で観ることが出来ました。怪我の功名なの…か……?

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ソウルの地下街でホームレス生活を送るデシクは、ある日酔いつぶれて路上に寝ている男のジャケットを盗む。地下街に居着いたその男ソクォンは自殺未遂を繰り返し、デシクはソクォンの面倒を見るようになる。デシクはかつて名を馳せた登山家、ソクォンは大きな取引に失敗し全てを失ったファンドマネジャー。過去を語ろうとしないデシク、過去に執着するソクォン。実業家ミンソクに拾われ仕事を請け負うことになったふたりは、ソウルを出ることにする。途中“喫茶店”の出前で出会った娼婦イルチュがその旅に加わる。デシクはソクォンに好意を抱くようになるがそれを言い出せない。デシクに好意を寄せていたイルチュは困惑する。

“ロードムービー”を物語る拘りのロケハン、駅や地下街等規制も多かったであろう場所での撮影。新人であり乍らこれらをやりきったキム・インシク監督の熱意にまず圧倒される。前半は撮影方法やエフェクトに凝った映像に加え唐突なエピソードが続き、意欲は伝わるもののふと我に返る場面が決して少なくない。しかし物語が進むにつれ、登場人物たちの心情を映す鏡のように映像がシンプルになってくる。澄んでくる、と言ってもいい。過酷な現実に足をとられ、ひとりではいられない寂しさを抱える登場人物たちの一瞬の快楽、ひとときの安息が、移動の昂揚感と風景の美しさにより寓話性を孕む。旅の終わりが予感される頃になると、デシクとソクォンの魂は、世界の暗闇にたったふたり取り残された蛍のように仄かな光を放つ。

デシクは「愛に興味がない」と言い、行きずりの男を抱いては突き放す。反面彼は弱者を放っておけない。しかしホームレス仲間だった初老の男も、様子を案じていた妊婦の女も結局は助けられない。そこにソクォンが現れた。彼によってデシクは、愛しさが執着に繋がり、愛情が恐れを生むことに気付いていく。ソクォンを失うのが怖くて彼の携帯を隠し、同性愛者だと言うことを知られたソクォンに「これだけ世話になったんだから十回はケツを貸してやらないとダメか?」と言われても、決して自分からは手を出さない。行き詰まった果てに訪ねたコテージの主人はデシクの過去を知る女性で、「出来ることならついていってあげて、彼はひとりぼっち」とソクォンに告げる。隠されていた携帯から活路を見出したソクォンは選択を迫られる。孤高に凡庸が応えるとき、塩の貯蔵庫はデシクがかつて目差した雪山へと姿を変える。

デシクを演じたファン・ジョンミンは撮影前にホームレス生活を送り、薬物に溺れるソクォンを演じたチョン・チャンは大麻に手を出し検挙された。犯罪に手を染めたことは決して評価出来ないが、ギリギリ迄自分を追い込んだ役者たちの真摯な演技は説得力がある。山男の風貌だが仕草や表情の移ろいが繊細なファン・ジョンミンと、卑屈な人物が徐々に心を開いていく過程を痛切に演じたチョン・チャン。塩倉庫での彼らは、『1900年』の、納屋でデニーロとドミニク・サンダが抱き合うシーンのように神々しい。イルチュ役のソ・リンは目まぐるしい感情の起伏を強烈に演じ、ミンソク役のチョン・ヒョンギは滋味ある演技に孤独を滲ませ心に残る人物になった。コテージの主人ジョンインとその息子スホを演じたパン・ウンジンとイ・ジェウンは、少ない出番乍らも確かな印象を残した。デシクとスホのひとときの交流は、この作品中数少ない“救われる”シーンだった。

眠りにつくとき、無意識に傍の温もりに擦り寄ってしまう。そうせずにはいられない、寂しく痛みに満ちた人物を演じきった彼らは、時間が経った今も胸の奥に棲みついている。

置いて(捨てて)いくと言う形のロードムービー。イルチュが、ミンソクが、そしてデシクが? あるいはソクォンが? 置いて(捨てて)いかれた人物には死の色が濃いが、物語のなかでその行く末は明らかにされない。彼らは生まれ変わることが出来るのだろうか? 救済はどこかにあるのだろうか。最後に残った者は前に進む。かつて触れ合った、受け入れたひとの帰還を願う、無事を祈る。頂上を目差すひとを麓で待つひとのように。

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メモ。

・ロードムービー(2002、韓国):明日には明日の風が吹くのか?
・「ロードムービー」 (2002) 로드 무비 -「韓国映画」雑記帳 - Yahoo!ブログ
公開前後の様子を知ることが出来、とても参考になったレヴュー

・輝国山人の韓国映画 キム・インシク ロードムービー
キャスト、スタッフのクレジット詳細

・ROAD MOVIE
日本語のファンサイトがありました!充実の内容。有難い……

・황정민, “사랑해서 보내준다는 말, 저는 믿어요”(인터뷰) | 텐아시아
・エキサイト翻訳
ファン・ジョンミンのインタヴュー。今年のものですが、『ロードムービー』撮影当時の話をしています。異性愛者である自分が同性愛者を演じることにかなり悩んだそうで(ハードなセックスシーンもあるし)、ストレスで蕁麻疹や高熱が出て大変だったそう。もともと肌が弱いみたいですね、本人もことあるごとにネタにしてる。気にするなよ…と言いたくなる!
今は「男女を離れて、ひとがひとを愛すると思えばいいのだと判った」とのこと。円熟した演技と人間性が加味された現在の兄さんが演じるゲイ、是非また観たいです

・ [이 남자의 변신] 대마초 파문으로 곤욕 치른 탤런트 정찬“그 사건이 있고 나서 작은 오해도 받기 싫어 담배까지 끊었어요” | 생각하는 여자가 읽는 잡지 ::여성동아::
(・エキサイト翻訳:12
チョン・チャンのインタヴュー。検挙後のもので、大麻使用についても正直かつ誠実に話しているいい記事です。弟さんのこととか、いろいろあった様子。大変だったね……。
ダイバーのライセンスを持っていることから、海のシーン(イルチュが溺れるとこね)で裏方をしていたとのエピソードも

・ジョンミン兄さんの萌えメモとしては
 -ちいさきものを愛でるときの懐の深さなー
 -相手の頬に触れるのは癖?お国柄?
 -子役と一緒のときのかわいさよ。子役もかわいいが兄さんもかわいいわ

・濡れ場はハードで生々しいのですが、撮影や構図がビシッとキマッているので非常に絵になっており、鑑賞に堪えうる美しさ。ジョンミン兄さんはしっかり作ってきたのかほれぼれするような身体でしたわ(て言うかスタイルいいわやっぱり。脚長!細!下半身の筋肉のつきかたが綺麗なんだこれが)。しかしチョン・チャンも相当いい身体でなんなのと…ファンドマネジャー役なのに(笑)兵役ある国だからなの

『ユア・マイ・サンシャイン』に続いて外国の文化を知る
 -コーヒーの出前って……
 -カラオケルームって……

英語字幕で観たので細かいニュアンスは逃しまくっていると思います。日本版出してほしいわ…スクリーニングの実績があって字幕データもあるのだからリリース出来なくはないんだよね。てかリリースするなら今このタイミングじゃないか?日本公開十周年てことで!



2014年04月12日(土)
『生き残るための3つの取引』

『生き残るための3つの取引』@キネカ大森 シアター2

ファン・ジョンミン特集継続中。原題は『로드 무비(不当取引)』、英題は『The Unjust』。2010年の作品で、日本公開は2011年。DVDは出ていますが、このタイミングに映画館でかかるなら!と行ってきたよ〜!キネカ大森いいとこ!パンフレット販売もあってラッキー。そして特典映像観たさにきっとDVDも買う。

いんやそれにしても可哀相でたいへんだった…後味悪い…つらしま……。以下ネタバレあります。

警察庁広域捜査隊のキレ者エースである主人公は、その実力を認められてはいるものの学歴がないため不遇な目に遭っている。そんな彼に、上司がある取引を持ちかける。捜査が難航し、社会的にも問題になっている連続女児殺害事件。大統領が介入する程ことは大きくなっている上、有力容疑者を誤って死亡させてしまった。警察の威信がかかっているこの事件を解決するために犯人をでっちあげろ、昇進を保証する……。自分と同じ憂き目を見ている部下たちや、浪費三昧の夫に悩まされている妹にいい思いをさせてやりたい…主人公はこの取引に応じることにする。

3つの取引とは「犯人捏造」「証拠隠蔽」「検事買収」。しーかーしーそれに付随するさまざまな駆け引きからしてもう3つじゃ済みません。捏造を隠すため新たな証拠をでっちあげる。買収を脅迫で覆す。警察、検察、建設会社に属する者たちの生き残りをかけたマウンティング合戦が繰り広げられます。これぞ泥沼。で、なんだかんだ主人公が正直者なんですよ…脇が甘々、駆け引きに向いてない。実直に捜査を進めることで成果をあげてきた彼は、ひとに取り入ることに慣れていない。翻弄されたあげく後輩刑事を殺してしまい、身も心もぼろぼろになった状態で彼は昇進に漕ぎ着ける。

しかしそこには皮肉の極みが待っている。でっちあげた筈の犯人が、その後のDNA鑑定で真犯人だったと判明する。捏造も買収も意味がないことだった…そして彼は、真相(と言ってもその経緯は知らない)を知ったチームの部下たちに抹殺されることになる。いやもう酷い!後味悪い!小市民のつらしま極まるわ……。

観てる作品がたまたまそうなのかも知れんが、韓国映画におけるエレベーター芸とキレ芸がたまらん。もう韓国のエレベーター、怖くて乗れないね!この事故、偶然か仕組まれたものなのか曖昧にしているところはパク・フンジョンテイストだなー。そして皆さんよくキレる、声の大きいもんが勝つの法則。主人公が大声出したのって後輩を殺しちゃったときくらいだもんね…そりゃ生き残れない……。検事役のリュ・スンボム(監督リュ・スンワンの実弟)のキレ芸がちょう面白い、『アウトレイジ ビヨンド』での加瀬亮みたいなキレっぷりでもはや笑えます。で、演出もまた笑えるようにしてある。世渡り上手な検事と、世渡り下手の主人公の対比が際立ちます。

スンワン監督はアクション演出が得意なひとだそうで、今作のアクションシーンも少ない乍ら見応えありました。寡黙で弁の立たない主人公は、行動が雄弁。黙ってキック!黙って一本背負い!黙々と何度も!画角もスタイリッシュ!ジョンミン兄さんの美脚がこんな形で堪能出来るとは(笑)。ほんと脚ほっそいな!なっがいな!ここはカタルシスあったわー。主人公の感情が露になる場面、ほんと少なかったから。それでも仏頂面なんですけどね…彼の抑えに抑えた感情が爆発するのは後輩を殺しちゃったときだけ。で、その後輩の遺族にダウン症かなって女の子がいたり、犯人の家族にも精神障害者がいたりと、独特な目配せがあります。社会的弱者は葬り去られる。主人公はだいじにしてきた部下に殺される。わびさびすら感じさせるニクい演出をする監督だなと思いました。

そしてこの作品、ジョンミン兄さんが出演しているってことと『新しき世界』脚本・監督のパク・フンジョンが脚本ってところに惹かれて観た訳ですが、余韻を残しグッときた主人公の末路がホンになかったものだったと鑑賞後パンフで知る。フンジョンさんのコメントによると、「書かなかった」のはチョルギ(主人公)と部下との関係と、それゆえに迎える死。「まず脚本にはチョルギが連れている部下が出てこない。そしてチョルギも死なず、他の不当取引を続けていくという設定だった。“ニセモノ”だったはずの犯人が“真犯人”だと判明すること自体が彼にとって死よりもつらい恥辱だと考えた」。

ニセモノがホンモノになる。主人公には信頼する仲間がいる。その後『新しき世界』でフンジョン監督がああいうラストを書いたことを思うと、スンワン監督とフンジョンさんがお互いに与えた影響は大きかったのかもしれないなと思いました。

はーそれにしてもジョンミン兄さんかわいそうだった。一市民が社会に踏みにじられていく役柄、ハマるよねえ(泣)。そういう役柄、ストーリーの作品を選んでいるところもあるのかな。幸せなジョンミンさんも観たいよ……。後輩刑事役のマ・ドンソクさんも印象に残るいい役でした。そしてあのひと出てた、あのひと!新世界のチャン・スギの手下のひと!ウエノくんとアベくん足して二で割ったような顔のひと!ペク・スンイクってひとなのね。新世界組ではジャソンの奥さん役、キム・インソも出てました。

余談ですが『チャーミング・ガール』にはファミリーマート、今作にはミニストップが出て来た。一瞬ここどこだっけ?てなる(笑)。



2014年04月08日(火)
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』@世田谷パブリックシアター

いやーよかった。主人公が書いた物語を芝居にすると言う入れ子方式で、彼が自分の心理を自ら語っていく「説明」部分が多いにも関わらず、その語り口が「説明」に聴こえない。これは役者の力がデカい。主人公を演じた森田さんに感服。張らずとも通る声の持ち主ですよね。静かに淡々と語る。自然と彼の言葉に耳を傾ける。そのうえあのリズム感と身の軽さ。システマティックであり、言葉のリフレインと身体の躍動で舞台上のリズムを組み立てていく演出は視覚的にも聴覚的にも楽しめるものになっていますが、それらがストーリーから逸脱せず、シーンに寄り添って映るのは演者の力によるところが大きいと思います。

以下ネタバレあります。

アスペルガー症候群(と言っても、本編にこの単語は出てこない。彼がそうだと言う台詞はない)の主人公。「決して嘘はつかない、つけない」彼のまっすぐな言葉は周囲のひとびとを翻弄し、ときには傷付ける。しかし主人公本人も傷付いている。家族はそれぞれ違う人間だ。心優しきご近所さんも、状況によって表情を変える。メタファーが判らない、「メタファー」と言う言葉もメタファーだ。何故「嘘」と言わないんだろう、メタファーは嘘なのに。と言う主人公の言葉にはっとさせられる。

おかあさんが死んで、おとうさんとふたりぐらし。よくしてくれた近所のおばさんの飼いいぬが殺された。主人公は自分にも他人にも嘘をつかない。彼はいぬ殺しの犯人を捜す。一幕終盤、はやくもいぬ殺しの犯人は明らかになる。物語がギアチェンジする。

実はおかあさんは生きていて、近所のおばさんの夫とセックスしていた。ふたりは街を出て行った。おとうさんはおかあさんを死んだことにした。近所のおばさんとおとうさんは諍いを起こし、腹いせにおとうさんは彼女のいぬを殺した。主人公が理解するのはこれら具体的な事実。おかあさんは主人公と向き合うことに疲れ果てていた、近所のおばさんとおとうさんには情が通っていた、そしておとうさんもストレスを溜め込んでいた。これらのレイヤーを彼は織り込まない。

両親はさまざまな側面を見せる。こどものことは愛している。才能あるこどもの未来を開いてあげたいと思っている。しかし彼とどう接していけばいいのか、大人になっていく彼をどう扱えばいいのか判らない。社会、経済状態の格差と言う現実も厳しい。特別なこどもの親は完全無欠でならなければならない?皆が皆そう出来る訳ではない。でも家族からは逃れられない。理解ある教師とは他人なので、一緒に暮らすことは出来ない。

ラストシーンが重く残る。自分の才能を信じている。その才能は本物だ。試験にも合格。主人公には明るい未来しか見えていない。才能がある人間はその才能を活かし、好きな仕事につける。夢は叶う、なんでも出来る。彼はその気持ちをまっすぐ教師に伝える。教師はそうだ、そのとおりだと応えられない。黙っている。教師がそのときどんな表情をしていたか、自分のいた席からは見えなかった。いろんな受け取り方が出来る。微笑んでいれば肯定?悲しそうな表情なら否定?幕が降り、楽しいカーテンコール(これ見ものですよ!)が終わる。帰路、ずっと教師の表情を想像する。そのとおりだ、と応えられなかった教師のことを思う。主人公の未来を思う。

舞台をイギリスから日本に置き換えた上演台本、かなり辛抱強く粘り強く書いたんだろうな。蓬莱さん大変だったろうな。そしてその案を出した裕美さんの作品の翻訳(解釈)力もすごい。非常に実感が伴うものになっていました。静岡から東京の距離感、JR東京駅から東西線に乗り換える行程の複雑さ、そして駅の混雑。東京駅の描写、すごかった…あの音と表示板の洪水。あの情報の洪水を、選択する術なく全て喰らった主人公の気持ちを思うと苦しくなる。その恐怖はどれ程のものだったか……。あのなかから自分に必要な情報だけを選択し他を遮断する、自分たちはこれを普段無意識にやっているんだと気付き、なんだかゾッとした。遮断出来ることは果たして優れていることなんだろうか?無関心なだけではないだろうか。加えてひとの多さ。干渉するひと、避けるひと、無関心なひと。15歳の少年が五時間うずくまっていても放っておかれる状況。音響、映像と少数精鋭の演者で表現される都会の縮図、白眉のシーンでした。音楽、美術、照明もよかったなー。音楽とピアノ演奏が、イキウメでおなじみのかみむら周平さんでした。

冒頭書いたようにとにかく森田さんがすごいし、他の役者さんもそれぞれの特性を存分に発揮しています。落ち着いた言動の裏に激情を秘めている入江さん、奔放で愛情とエゴが拮抗する高岡さん、常に優しく主人公を見守り、彼の生きづらさを心苦しく思う小島さん。西尾さんの声の強さはとても刺さる。石橋さんはいやな役回りを疲れた男として見せてくれる。柴さんと安田さんはさまざまな身体表現で舞台に緊張感をもたらす。宮さんの声もいいな、恐ろしい世界に生きる主人公をちょっとだけリラックスさせてあげていたように見えた。久保さん演じる牧師の困惑は、信仰の定義を持たない主人公にどう映ったのだろう。そして木野さん。認知症だと言う設定はプログラムを読む迄気付かなかったけど、そういうものかも知れない。普通に話しているけれど、どこかが噛み合わない。主人公との会話はとても自然でかわいらしかった。個人的に心がいちばん寄ったのはおとうさんでした。トシか。

アンサンブルとなったときのチーム力がまた素晴らしい。いい座組でした。



2014年04月05日(土)
『星から来た男』

『星から来た男』劇場公開版(DVD)

引き続きファン・ジョンミン特集。原題は『슈퍼맨이었던 사나이(スーパーマンだった男)』、英題は『A Man Who Was A Superman』。2008年の作品。「劇場公開版」とあるので、ディレクターズカット等のヴァージョンが他にも出回っているのかな。そちらも発見出来れば観てみたいです。
(追記:調べてみたところ日本では『韓流シネマ・フェスティバル 2008』で上映された後、一般公開はなかったようです)

歪なところも多いけどハマるひとにはすごくハマる、すっごく愛される作品だと思う。観てから数日経った今も、ちょっと油断するとこの作品のことを思い出し、考え込んでぼーっとしちゃう繰り返しです。

原題は『スーパーマンだった男』。ドキュメンタリー番組の制作会社に勤める主人公。ちょっとした捏造は日常茶飯事、視聴率を重視し感動を煽る番組作りに辟易している彼女は、ある日老人の荷物を持ってあげたり、露出狂を撃退したりと街でちいさな善行を繰り返す自称“スーパーマン”と出会う。面白半分で「完全にイカれてる」スーパーマンのドキュメンタリーを撮ることにした彼女は、彼の頭の中に何かが埋まっていることを知る……。

スーパーマンの過去とそれにまつわるエピソードがとても多く、連続ドラマ用に書いたものを100分程の劇場用にしたのでは?と思ってしまうような詰め込み具合。構成も混乱している。しかしストーリーのテーマの大きさ、役者の説得力ある演技がそれら歪な点を補って余りある。過去は変えられない。未来は変えられる。ひとが地球を救うことは出来ない。しかし、人ひとりひとりを変えることは出来る。

年寄りくさいことを言いますが、自分がこどもの頃に観た、80年代によくあったタイプの邦画って今ないなあ、ああいうのもう観られないのかなあと思っていたものが、2008年の韓国にあった!って言う。ここにいたのか(「ごん、おまえだったのか」の体で)…!もう!!愛せる!!!90年代には90年代の、00年代には00年代の良さがあると思いますが、この作品に漂う優しい空気は80年代だなあ。CGによる画作りが第一ではない、あるいは画面の粗探しをしようと言う意地悪な気持ちが起こらない、ヒューマンドラマとしてのSF。映画『スーパーマン』の登場をリアルタイムで知っている、共通の記憶を持つ世代の思い入れも感じられます。調べてみたら監督・(共同)脚本のチョン・ユンチョルは同い歳だった。

twitterのフォロワーさんが一色伸幸が書きそうな話だと仰っていたのですが、これ、80年代に彼の作品を観ていたひとにはピンと来るのではないでしょうか。個人的にはそれに加え、鴻上尚史作品を連想しました。狂った方が楽だと言うけれど、それは当人にしか判らない。狂気の世界でそのひとは正気だったときより苦しんでいるかも知れない……。心を閉ざした人々への優しい視線。スーパーマンのハイテンション演技にふと筧さんを連想したことや、“空飛ぶクジラ”が出てきたことも、そう感じた要因だと思います。この場面の祝祭感溢れる演出にも第三舞台を思い出した。

イ・ヒョンソクの過去が明かされるシーンで、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』の「ハミング・コーラス」が流れる。蝶々夫人が帰らぬピンカートンを寝ずに待つ場面の曲だ。ヒョンソクは夢=狂気のなかではなく、目醒めた状態でスーパーマンになろうとしていたのだ。彼は人助けを繰り返す。何度繰り返しても、何度他人を助けても、家族は戻ってこない。あのとき発作が起こらなければ?クリプトナイトを取り出すことは出来ていれば、スーパーマンに変身出来ていれば?傍観者のなかに幾人か、祈るように手を組んでいるひとがいる。彼らはクリスチャンだろうか。祈るだけではひとは助けられない。

主人公は悩む。彼を追った番組の幕をどうやってひこう?あなたのせいじゃない、もう十分がんばった、自分を許してあげて。彼は、過去は変えられないけれど未来は変えられると言う。そして僕は誰だった?と言う。主人公は、私の友達、スーパーマンと応える。女の子に問う、僕は誰だ?女の子は応える、スーパーマン。オッケーーーーー!!!!!100数えるんだ!「スーパーマンだった男」は空を飛ぶ。主人公はその姿を確かに見る。幻でも現実でも構わない、その真実の姿を。

スーパーマン/イ・ヒョンソクを演じたのがファン・ジョンミン。エキセントリックな救世主、父親に愛され、妻と娘を愛した記憶を持つ男。彼らを失い心に大きな傷を受けた男。薬物により訪れた凪に抗う男。それぞれ情報量が多く複雑な人物像を見事に繋げ、役柄に実感を与えています。“スーパーマン”のハイテンション演技は舞台での彼を想像出来る楽しさです。対して瞳の演技は、クローズアップで対象を捉えられる映像でしか観ることの出来ない繊細なもの。色素の薄い瞳の美しさを堪能出来るだけでなく、その目に代表される表情の演技が素晴らしい。観客は「完全にイカれてる」彼の笑顔に惹き付けられ、時折見せる陰が気になり、その波瀾万丈な人生を知り涙することになる。すごく強い光を持った役者さんだ……本当にすごかった。名演です。今のところいちばん好きかも、この役。

主人公を演じたのはチョン・ヒジョン。ヘビースモーカーで飲んだくれ、徹夜続きのノーメイクで髪の毛はボサボサ。イカれた男を見下していた彼女は、最後に彼を「私のともだち、スーパーマン」だと断言します。そして彼の思いを尊重し、「最後の任務」を受け継ぎます。ノーメイクでボサボサの髪のままだけど、その顔は前半と後半では全く違うものになっていた。愛すべき「地球の友人」の姿でした。

番組はオンエアされたのだろうか?彼に関わったひとたちは少し変わる。アロハを着た高校生たち。拍手を送る傍観者たち。階段で老婆の荷物を持つ主人公。彼らを変えた人物は消えるが、その思いは地上に残る。優しくせつない、愛に満ちた物語。

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メモ。

・イ・ヒョンソクと言う人物は実在したそうだ。頭に銃弾を受け、27歳で亡くなる迄てんかんの発作に苦しんだ
・原作はユ・イラン『ある日突然に』。1990年代末、web上で話題になった都市伝説ホラー短編集

・韓国でもこどもの日は5月5日なんだね
・ヒョンソクが銃撃を受けたのは1980年5月27日。調べてみたら光州民主化運動最後の日だった。死者207名、負傷者2,392名、その他の被害者987名(市民団体の調査では、後遺症等による死亡を含めると死者は606名)。『ダンシング・クィーン』にも出てきた事件だ。本国のひとは年月日でピンとくるのだろう
・最後のテロップで訳されていなかった「M-16」は、当時韓国の特殊部隊が使用していた自動小銃の種類だそうです
・つまり、あの子は軍に撃たれたのだ。やりきれない
・そう昔のこととは思えない80年代、この国では市街戦があったのだ
・そして考えてみれば休戦中の国でもある
・兄貴の映画を観ることは韓国の歴史の勉強にもなる……

(追記:と言う訳でクリプトナイト=M-16の銃弾だったのだが、その後いろいろ調べていて、当時の大統領全斗煥の画像を見たら「ハゲ男」だった。クリプトナイトを埋め込んだ「ハゲ男」とは彼のことだったんだ。そして「ホワイトマン」は無関心な民衆、傍観者。この話、実はかなり仕込みがあったんだな……)

・「ハミング・コーラス」を知ったのはNODA・MAP『THE BEE』から。復讐の連鎖が日常となる、穏やかな戦慄に満ちたシーンで流れる曲です。これかかるともはや恐怖と悲しみしか浮かばなくなったわ……ああ今でも思い出すと涙出そう

・日本で初めて脳死判定からの臓器提供が行われたのは1999年2月28日。臓器移植法が施行されたのは1997年



2014年04月02日(水)
『チャーミング・ガール』

『チャーミング・ガール』(DVD)

引き続きファン・ジョンミン特集。原題は『여자,정혜(女、ジョンヘ)』、英題は『The Charming Girl』。2005年の作品(日本公開は2006年)。パッケージに書かれているコピーが抽象的で、これは説明しにくいストーリーなのかなと思ったらそのとおりだった。こういうの、おーもりくんや水橋くんがインディー映画に出てたとき沢山観た!って感じで懐かしい気分。美しい映像と少ない台詞。ある傷を持った登場人物の日常、その傷を辿る旅と再生への足掛かり。

主人公の女性はちょっと雑な生活をしている。ソファで夜通し過ごす、食生活はジャンク。生活を変えるには?気分を変えるには?と言った情報番組をよく見ているが、単にBGV替わりに流しているだけのようでもある。荒れたと言うより、どこか寂しい暮らし。彼女はそれをうまく隠している。郵便局に勤め、日々の仕事をこなす。同僚たちと仲が悪い訳ではないが、ちょっと変わったひとと思われている。住んでいる部屋はそれなりに年期が入っている。こまめに掃除をする。通勤途中の茂みで見掛けたねこが気になり、飼うことにする。

この淡々とした描写が巧い。ベランダの植物の世話をしていて植木鉢の下に敷かれた古本を見付ける場面で、この本は主人公のものではないのだと判る。そうしたさりげない日常の積み重ねを見せることで、その人物の周辺を徐々に明らかにして行く。時折入るフラッシュバックが効果的。主人公が過ごす現在の時間に、過去の自分の後ろ姿がするりと駆けてゆく。今はいつだ?一瞬錯覚が起こる。現実と地続きで起こるそれは、過去から抜け出せない彼女の苦しみが日常的なもので、決して忘れられるようなものではないことを気付かせる。至近距離から撮られた黙する瞳。彼女の見ていること、思っていることを知りたくなる。

傷の原因が明らかになるにつれ、自分を変えよう、前を向こうとしている彼女を見守っているような気持ちになる。ねこが馴れていくことにほっとし、母親の思い出を慈しみ、青年がやってこないことにやきもきし、酔客とホテルに入る危なっかしさにハラハラする。叔父の家を訪ねる様子に、取り返しのつかないことになりませんようにと祈り、いや、彼女は既に取り返しのつかないことをされてしまったのだと気付く。そして彼女に寄り添う存在を探す。

ティム・ロスの「彼らの手はどこまでも伸びてくる」と言う言葉が思い出される。彼女はチャーミング・ガールになれるのかな。いや、彼女はずっとそうなのだ。どんなにおぞましい目に遭ったとしても、ひとがひとの価値を貶めることは出来ない。誰も彼女自身が持つ美しさを貶めることは出来ない。

主人公を演じたキム・ジスは冥い美貌の持ち主。本編中一度たりとも笑顔を見せない。ソファの下に隠れていたねこが初めて自分に寄り添ってきたときも、新しい靴を買いに行くときも、高揚感は皆無だ。淡々とした100分のなか幾度も彼女の無表情がアップで映し出されるが、その“画”が保つ。自分から青年に声を掛けたにも関わらず、その踏み出した一歩に不安を覚えているような表情、その青年の言葉を聞くラストシーンの表情。心のうちを知りたいと、惹き付けられる美しさでした。

青年を迎えるため食材を買いに行き、食事の準備をするシーンが印象的。彼の戸惑いも解るし、結構無茶な提案でもあると自分でも気付いている。浮ついた様子が全く見られず、最初から諦めているようでもある。それでも声を掛けられずにはいられなかった彼女の切実さを思い、なんであいつ来ないんだよとこっちが腹を立てたわよ!(笑)映画の登場人物なのに、私に悩みを打ち明けてくれないだろうか、本音を喋ってくれないだろうかと思ってしまうような魅力があった。

パッケージのコピーや画像は若干偽りありな気もする。青年は小説家志望と書かれているけど、その辺本編では明らかにされていない。何かを書いているひとで、日々分厚い紙束をどこかに発送し続けていて、徹夜続き。決してよいセンスの服装ではなく、髪はいつも寝癖のままのようになっている。郵便局で並ぼうとしてるのにこどもに邪魔されたり、コンビニの冷蔵庫を開けっ放しにして店員に注意されたりしている。物静かで誠実そうではあるが、どこかぼんやりとした、主人公と同じ冥さを抱えている印象の人物です。

主人公がどうして惹かれたのか?と思ってしまうような青年の佇まいですが、その明らかにされていない「小説家志望」は、彼女が彼に抱いたイメージでもあるのだろうと思いました。郵便局員である彼女は紙束の発送先を見て知っている。近所で見掛ける彼の、日常の一部を知っている。ふたりが近付き、お互いの話をする。少しずつ彼のやっていることや思っていることを知っていく。彼も彼女のことを知っていく。そうなればいいな、ゆっくりでいいから。心に沁み入る佳作でした。

さてその青年役を演じたのがジョンミン兄さん。郵便局に出掛けたりファミリーマートでおかいものしたりいぬにおやつあげたりしてます。出番は少ないけど、主人公が一歩踏み出すきっかけになるだいじな役。いーやーもっさりしてた、冴えない(笑)。ほんっとこのひと自分が格好よく見えなくてもいいのな、役であることが第一なのなと思わせられて唸るばかりです。

そうそう、特典映像を観て知りましたが、映画公開時のポスターはキム・ジスひとりの写真なのが、DVDでは同じ写真にジョンミン兄さんが合成されてるの。ソフトリリースの際恋愛ものとして押したかったのかな。



2014年04月01日(火)
『ユア・マイ・サンシャイン』

『ユア・マイ・サンシャイン』(DVD)

絶賛ファン・ジョンミン特集中。原題は『너는 내운명(君は僕の運命)』、英題は『You Are My Sunshine』。セルDVDにはメイキング等の特典がつくので、こつこつ集めていこうかな、と最初に購入したのがこちらです。そしたらまー、この作品ノベライズコミカライズも出ていることが判明。Amazon検索の芋づる効果ですね…。遅れてきた韓流状態で、この映画が当時(2005年、日本公開は2006年)どうやって日本で紹介されていたか全く知らなかったので驚いた。純愛ラブストーリーとしてマダム向け展開をされていたとのこと。せっかくなので網羅してみました(笑)。映画を中心に、関連書籍の感想も書いてみることにします。

と言うのもこの作品、単なる泣けるラブストーリーとは一線を画す内容で、かなり考えさせられたのです。

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フィリピンでの嫁探しツアーに失敗した畜産農家のソクチュン。自分の牧場を経営するのが夢の彼は、こつこつ働き、お金を貯めています。同居している母親に嫁はまだかと嫌みを言われても気にする様子はなし。話し相手はだいじに飼っている牧場と言う名の牛。気の優しい真面目な男です。

ある日、ソクチュンはスクーターですれ違ったウナと言う女性にひとめ惚れ。ウナは最近“喫茶店”に新しく入った娘らしい。ソウルから来たと言う彼女の洗練された美しさに、ソクチュンはすっかり参ってしまいます。出前と称して売春業務も行っている喫茶店で働くウナをソクチュンはあれこれ心配しますが、女性に対して奥手なのでうまく好意を表現出来ない。ウナはある事情から男性も愛情も信じられない状態になっており、ソクチュンの不器用な好意を素直に受け取ることが出来ません。

衝突の日々が続きますが、ソクチュンがそれはまあ粘り強い(笑)。台詞にもありますが、ストーカーと紙一重です。しかしそんな彼のあまりにもまっすぐなふるまいは、ウナの心を徐々に開いていきます。とある事件をきっかけに、ふたりはお互いの正直な気持ちを受け入れる。結婚して幸せいっぱいの日々を過ごすふたりでしたが……。

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いやー重い。HIVへの認識の低さ、偏見、差別。韓国における家族の繋がり、家長=長男の権威の強さ。罪に問われるのはウナひとりってとこもつらいし、ウナの元旦那をはじめ、風俗来て暴力ふるう男、避妊拒否する男と言った表沙汰にならない悪人がいるのもすごくいや。ウナに大怪我させた男だってきっと捕まらないもんね……。胸糞悪いわー。

しかし弱い立場の人間が晒されるのは、こういった直接的な暴力だけではありません。この作品には、力なきひとたちの残酷な姿が描かれている。

「お金持ってるんでしょ」と言われるソクチュンですが、それはつましく暮らしている結果で、有事となるとだいじにしていた牛を売らなければならない程度の蓄え。伝染病で豚を大量に処分しなければならなくなったりと不安定な職業でもあります。ちいさな村では悪い噂がすぐに広まる。生業を営む土地を離れることも出来ず、その狭い世界で生き続けていくのは容易なことではありません。ちくちくと排除の檻に閉じ込められて行く、その様子には背筋が寒くなる。それは当事者だけでなく家族にも及び、ふたりは最も近しい共同体からも切り捨てられることになります。

ソクチュンのお母さんがまたすごくいいひとだったんだよね。喫茶店に勤めている嫁なんてと最初は反対するけれど、息子が選んだ女性ならと結婚を許してくれる。ウナが優しくよく働くいい娘だと言うことをちゃんと自分の目で確かめると、彼女の出自に拘らず仲良くなる。彼女の身体のことを知っても掌を返すようなことはしません。ソクチュンに「母さんなんて要らない」と迄言い放たれても、彼女は息子とその妻を案じ、最終的には彼らの気持ちを尊重します。ソクチュンの兄(家長)と訪れた拘置所でのやりとりに、お母さんの人柄がにじみ出ていて胸が痛くなった。状況的にお兄さんのことも責められないだけにね……。

実話をもとにした作品です。監督のパク・チンピョはドキュメンタリー出身とのこと。まるで大映ドラマのように次々とふりかかる不幸はともすれば滑稽なものになりがちですが、役者の的確な演技を得て、登場人物たちをリアルに立ち上がらせています。監督のインタヴューによると、モデルとなったふたりに取材したとき「なんとか映画のなかだけでも、ふたりを祝福してあげることが出来ないだろうかと思った」そうです。

その言葉のとおり、作品には監督の優しい視線が透徹しています。ウナと寝る前、バスルームでブリーフランニング姿のまま踊ったりうろうろするソクチュンのシーンが相当面白いんですが、こういう「他人が見ていない、当事者しか知らない」場面を覗き見せる視線もひたすら優しい。ふたりの幸せな日々はその風景とともに美しく、丁寧に描かれています。ふたりしか知り得ず、誰にも邪魔されない世界。幻ではなく確固とした現実であるその思い出は、困難に直面したふたりの心のよりどころになる。その幸せな日々を取り戻すため、ふたりは日々を生き延びるのです。

あの土地でこれからも暮らしていけるのか。発症したらどうなるのか。問題が山積みのまま物語は終わりますが、再会したふたりの笑顔には、ただただ祝福と明るい未来を祈らずにはいられません。

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それにしてもジョンミン兄さんまじですげえ…撮影中体重を15kg前後増減したデニーロアプローチだけでもすごいんですが(無理な減量で毛が抜けたってよ……)、あのかわいらしさはそういった所謂“役作り”だけで出せるものではないわ。演じているのに当人の本質がにじみ出る、これぞ役者の魅力ではなかろうか。ウナを出前に呼び出して「ただ休んでほしいんです」と言ってるのに結局寝ちゃったり、もらったハンカチでマスターベーションしちゃったりと、身体は立派な大人の男性だわねえってな描写がしっかりあるのにギリギリかわいいんですよ(笑)。夢物語ではない映画を成立させる重要なファクターになっている。その流れを通過して、初めて商売ではなくふたりが寝るシーンのかわいらしいことといったら!なまなましーのにかわいい!

ウナを演じたチョン・ドヨンさんがまたすごくて。過酷な境遇で暮らしひとを信じられなくなっている女性。思いとは裏腹な言葉を吐き、語らず尖らせた唇に心を滲ませる。初めて牛乳を飲むシーン、逮捕後ソクチュンと初めて面会するとき、鏡の前で笑顔を作るシーン。言葉よりも雄弁な表情が心に残りました。

ここでノベライズとコミカライズの話になるんですが、マンガ版ではソクチュンは童貞と明記されている。小説では純愛を強調するためか、その辺りの描写はスルーされていました。そしていちばん生々しいのに映画本編のラブシーンがいちばんかわいかったと言う…ドヨンとジョンミンマジックだわ。役者さんの表情や行動で表現される部分を、マンガは主人公の女性の心情を語らせることで表現し、小説はふたりの心情を丁寧に言語化していました。

ノベライズには、ソクチュンの声が二度と戻らないだろう等の映画で明かされなかった情報もあった(字幕になっていないだけかも知れないけど)。元旦那にいなくなったウナを先に見付けたのは俺だ、お前はウナを愛していると言っておき乍ら何故見付け出せなかったんだ?と言われて悔しく思うソクチュンの描写が詳しく、愛情と執着の違いって…なんて真面目に考え込んでしまいましたヨ!

マンガは映画公開前に連載されたものだそうで、話の構成が変わっていたり登場人物が少なくなっていたりしました。ソクチュンはぷっぷくぷーなジョンミン兄さんとは違い、これ普通に格好よくないか…って青年になっていた(笑)。マンガを描かれた杉浦圭さんとドヨンさんの対談ではソクチュンとウナの人物造形について、撮影裏話等が読めて面白かったです。