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2012年03月27日(火)
『KOTOKO』特別先行上映

『KOTOKO』特別先行上映@テアトル新宿

上映前に塚本監督の舞台挨拶(トークショウ)。Coccoと映画を撮ることになった経緯や、ヴェネチアに出品したときの反応等について、いつもの調子で腰は低く押しは強くの監督らしいトークでしたが、Coccoにインタヴューを重ねて作っていったと言う本作品についての話はとても興味深かった。本編前に監督が撮った『Cocco 歌のお散歩。』も上映されました。

監督のプライベート…と言うか生活そのものは、どの作品にもいつでも反映されているという印象がある(撮ることと生きることが繋がっているように感じる。どうしても滲み出てしまうもの)。家族が増える喜びと膨らむ不安、老いた肉親を見送る痛みと観察、戦争への恐怖感。ご自分でもその辺りは率直に各メディアでお話されている。舞台『哀しい予感』を手掛けていた頃は、病身のお母さまに叱咤され連日現場に向かっていたと当時話していたが、正直成程と思ったものだった。それが正しいとか、間違っていると言うことではない。

今回は、その長年介護していたお母さまが亡くなった後に、Coccoから「今なら」と話が来て、短い期間で集中して撮ったとのことだった。ここ数年の作品とは違う向き合い方で撮られているように感じた。そして、その作品にCoccoが出演していることは、塚本監督が塚本監督にしか撮れないものを、またひとつ違う側面から見詰めたものになっているように感じた。ふたりが関わったからこそ撮れたもの。

「それでも人生にイエスと言う」をこんな形で表現することも出来るのだ。

「どんなにつらくても苦しくても生きていかなければならない」ではなく、「肉体が生きろと言っているからそれを断ち切ると言う選択肢はない」。そして、生きていると奇跡と思えるような瞬間に出会うことがある。

しかし、ここで、そういうことがあるからこそ、生きていればそれに価値を見出せるかも知れない。と言う結論は決して出さない。人生は素晴らしいとか、そんな答えは出していない。奇跡に意味や価値はない。ただ、生きているとそういうことがある、そんな奇跡を見ることが出来る。それだけだ。

飴屋法水さんが手掛けた『4.48サイコシス』を思い出した。人間が生きていくことに関して、他人には決して手を出せない自分だけの領域について。『KOTOKO』も『4.48サイコシス』も、どうしても生きていくことが困難なひとの心について扱っており、塚本さんも飴屋さんも、何らかの教訓めいた意味合いを添えてしまうことを決してしていなかった。筆が滑らないと言えばいいのだろうか。この辛抱強さは、自分にはとても信用出来るものだ。

限りなく死に近付き、その心に寄り添い、見詰める。どうしても助けてあげられないひとはいる。助けてあげられなかった自分を責めることはない。いや、責めても意味はない。塚本さんが演じた田中と言う人物は、それを体現する役割を担う。このパートにはコミカルな要素もあり、ちょっとした揶揄もあるのだが、田中の言動は全てが本心からのものだったのだろうと思う。彼がことこの前に現れる、そして消えるタイミングは絶妙だった。

91分とは思えない濃密な世界。監督の、撮る対象への愛情が恐ろしい程に伝わる作品。奇才の映画監督が個性派アーティストとコラボ、なんてものではなかった。文字通り血みどろのガチンコでした。Coccoのファンの方はどう思われたのか知りたく思います。

手を振る、一度隠れて、木陰からまた手を振る。また来る、また会える。

公開されたらまた観に行こうと思います。



2012年03月24日(土)
『TEXAS』

『TEXAS』@PARCO劇場

初演は逃しておりまして、ドラマ版(『演技者。』)は観ております。

長塚くんはもうこういうのは書かないのかなーとは思いつつ、今これ書いたらいろいろと心配になるな…と言う(笑)若いならではの勢いがあって楽しく観られました。牧歌的なエグさ、ヘヴィーな軽やかさ。『はたらくおとこ』を思い出す描写もあったり。再演にあたっての加筆修正は殆どないそうですが、スマートフォンや向井理(さあなんと読む・笑)等今ドキのモチーフがうまいこと折り込まれていました。いやーいい作品だよ…再演する機会があってよかった。

いんやそれにしても、こういうの大好きですわ。安心すると言うか落ち着く。自分は80〜90年代小劇場(って括られるようなものではないが、他に例えを思いつかないので)で育ったんだなあ、と改めて実感。話が繋がらなくてもと言うか、あれはどうなったの?とかなんであれがああなるの?って部分があってもそれが気にならないくらいの熱とスピードについていくのはとても気持ちがいい。

そこんとこをまた河原総代がうまいことまとめている。opには持ってかれた!だいたいこのop、多分ホンにはない(て言うか指定する必要はない)部分ですよね。それをああドカーンとタイトルとしてブチ上げるセンス、もう大好き!おまつりだいすきー!みたいな。だいたいopにしか使ってない大道具や小道具が沢山ある(笑)こういうとこに金をどばっと使うセンスも大好きー!

そしてつくづく舞台上の交通整理がうまい…劇場の適正サイズにしっかり合わせる目と腕があると言うか。あのーヘンな例えですけど、もともとwebで使ってた72dpiの画像を印刷用に転用するとガビガビになってたりするでしょう、あれってガッカリするんだよ。印刷には300dpiは要るんですよ。それがちゃんと、同じものを扱っていてもwebだったら72dpi、印刷だったら300dpiになっている感じ(どんな感じだ)。駅前劇場でやっていたものをPARCO劇場に持ってきても解像度が合ってる。今回たまたま初演が駅前劇場で例えやすいんですけど、そして前述したように私は初演を観ていないんですけど、他の初演の作品を観ているときでも「舞台が余ってる…」と思うことって結構あるんですよね。劇場が先に決まってて、そっちに無理矢理サイズを合わせましたよーって気配が感じられるものがある。セットが少ないとかいうこととは別に。今回それがなかった。

これは総代の空間認識能力が高いってことなのかな…シーンを提示する際、どこに核があるかが把握出来ていて、そこに観客の目が集まるあるいは拡散するように誘導する力を感じるのです。あとおまつり好きの血?が凄惨なコメディにピッタリきたと言う感じか。とにかく多作なので、商業演劇進出(なつかしいこの言い草)後の隙のなさには感心しつつも、演出の色がどうにも掴みづらかったのですが、今回はもう恐れ入りました。

初主演の星野くんはあの不思議な存在感で、濃いーーーーー周りのキャラにあれやこれやと振り回されると言う受け身を維持しつつストーリーを引っ張っている。あとやっぱり脱がされてた。振り回されると言えば義徳くんもそうで、いちばん気の毒と言えば気の毒な役どころ。しかしそこでは終わらないぞともっと弱い立場の人物を見つけ、支配的立場を確保する狡猾さがうまいこと滲み出てました。こわいわー。

木南さんは舞台では初見で「わあ七瀬の子だー」と言う気持ちで観てしまいましたが、いやはや堂々としたもので、とても魅力的でした。声もいい。松澤さん伊達くん転球さんは悲しくなる程ののんびりぼんやりっぷりで、作品の不気味さをより醸し出す呑気トリオでした。そんな呑気トリオがひとたびひとを疑うとあんな惨事を招く訳で、ホント長塚くんて酷い(笑)。高橋さんの誠実さ、野波さんの田舎者っぷり(東京出身なのに!)、そこに寄り添う泰志さんのじっとりした存在感も素晴らしかった。存在感と言えば湯澤さんもすごかったな。ご本人仰ってた通り出番少ないのに!声の力は大きい。

そして門人くんすごくよかったー!opのダンスではセンターとってたし(!)同時期同じ建物(PARCO)内で小沢健二展が開催されているのもタイミングがよかった、ブギーバックなラップも大いにウケてた。アホの子でかわいいね!そのアホの子の一途さって怖いね!と言う…たいこを叩くその姿は『道』のジェルソミーナを彷彿とすらしましたよ。吉本さんとのコンビ、かわいくてかわいそうでたまらなかったわ、スピンオフで観たいと思った程だ。その吉本さん、アホの子っぷりも素晴らしくそしてその一途さは恐ろしく、アコーディオン演奏は素晴らしく。今回のお芝居のためにお稽古始めたとは思えない!そうだわこれ、初演とドラマでは新井友香さんが演じた役で、新井さんアコーディオン特技だったんだよね。他のお芝居でも演奏してたの何度か観たわ…いやーんよかったよう。



2012年03月23日(金)
『一丁目ぞめき』

THE SHAMPOO HAT『一丁目ぞめき』@ザ・スズナリ

「ぞめき」は「騒き」と書き、「浮かれさわぐ。遊郭や夜店などを、ぞろぞろさわぎながら歩く。また、ひやかして歩く。」の意味だそうです。古典落語に『二階ぞめき』と言う演目があり、それも頭にあったと赤堀さん。入場すると聴こえてくるのはおまつりのような笛や太鼓の調べ、そしてロビーから劇場へと入った途端、袴田長武さんによる舞台美術にグッとくる。これは久々のワンシチュエーションだな。具象でガッチリ作り込まれた、とある家庭の食卓と台所。開演迄の数分間、眺めるだけで想像が拡がる。とても豊かな時間を持てた。

食卓には幼児用のちいさな椅子。壁にはたどたどしくもかわいらしい、クレヨンで描かれた絵が何枚も張ってある。キャラクターが描かれた小物も置かれている。ちいさなこどもがいる家なんだな、きっとひとりではないな。ふたりかな。男の子と女の子かな、どっちが上かな。冷蔵庫にはシールやちらしが貼付けてある。流しも綺麗にしてある。家事をきちんとしている家だ。使い込まれた、新しくはない家だが、荒んだ様子は見えない。ここには慎ましく暮らしている幸せそうな家族がいるのだろうと思えるが、きっとなにかがあるのだろう。どこにでもあるような、しかしその家にしかない傷や歪みが。

そして暗転、雨の音。明るくなるそれは部屋の蛍光灯。瞬時に状況そのものに闇が感じられ、あっと言う間に作品世界につれていかれる。見事。そして運良く?この日は雨だったのです。下北沢の駅から劇場迄歩く数分感が、劇中の登場人物がこの家へと向かう数分感と重なった。例えばこの雨はいつ止むのだろうか、明日は晴れるのかなといった気持ち、例えば雨がしみ込んできそうな靴の不快さ。以下ネタバレあります。

青と黄色が滲んだような、暗い灯りの部屋に入ってくるのは喪服の男たち。どうやらこの家の誰かが亡くなったらしい。不在の人間、残された者たちの右往左往は赤堀さんの作品によく出てくるシチュエーション。半分以上…いやもっとか、会話の殆どは雑談。そして雑談の内容は、宣美のコメントや劇中の台詞でも言われるように「うんことちんことまんこの話」。しかしその会話から、この家で何が起こったか、久し振りに家に帰ってきたらしい兄がこの街でかつてどういう人物だったか、家を継いだ弟の不器用さ、この街で育ちこの街で働く近所の幼なじみたちのあれこれが見えてくる。

説明的な台詞を使わず、会話の積み重ねで全体像を浮かび上がらせる赤堀さんの筆にはいつも唸らされる。稽古の反映もあるのかも知れないが、それにしてもこのイライラが少しずつ少しずつ募り、爆発寸前の緊張感を持続させる会話を書くその執拗さには恐れ入る。同時多発会話も頻発するが、観客の耳がどちらかに向くよう緻密な演出が行き渡っている。それぞれの思いを吐露する場面もあるが、それは当事者には伝わらないもどかしさ。観客は「ああ、この言葉を彼が聴いていれば、お互いの関係が少しはいい方へ向かうかもしれないのに」とやきもきしつつ、それが叶えられないことを悲しく思う。

だが、そんな第三者の余計な詮索は、最後に頭を殴られるような形で霧散する。そんなこと直接言えるかよ、家族に。幼なじみに。逃げても逃げても関係は断ち切れない。嫌で嫌で、憎らしくて、照れてしまって、恥ずかしくて、だからパンツを脱いでうんこを投げてしまう。そんなシャイの裏返し。いがみあって、憎み合って、それでもお互いにしか解らない関係がある。それを知りもしない奴が余計な口を出すな。離婚しようと言った夫婦、不倫している幼なじみ、絶縁状態の兄弟が、なんとはなしに元の鞘に収まる。問題は何も解決しないが、それでも日々前に進む。「各々で呑み込んでくれよ」と言う台詞が、ほんの少しのヒントをくれる。こんな関係でも、いや、こんな関係こそが「絆」を感じさせる。

通夜が行われている居間に集うひとたち、階上の部屋にいる娘、襖一枚隔てた向こう側で寝ている母。見せないからこその饒舌な演出は豊潤ですらありました。観る側に想像力を喚起させると言うことは、投げっぱなしにすることとは違う。それだけの場を提供すると言うことなのだ。

オリジナルメンバー+滝沢さん(彼女は最初に入った女優さんなので、劇団としてはほぼオリジナルメンバーと言ってもいいかな)+黒田さんの少数精鋭で。安心して観られるコンビネーションと、だからこその緊張感。うんこを我慢するあまり言動がおかしくなっていき、そのままの勢いで泣き出した野中さんや、謝りたくないあまりトンデモな理屈を持ち出す児玉さん。深刻さをすっとぼけた感じにすりかえて受け流そうとするときの振る舞いは笑いを呼ぶと同時に胸に刺さる。日比さんは物語の重い部分を背負い、終始カリカリしている役柄が多い分、作品に対する献身が感じられる役者さん。同様に滝沢さんも女性の不快な面を出す役が多いのですが、そこにちょっとだけ顔を出す逡巡や弱さがやはり心に残ります。年少になる黒田さんは外から来た者、第三者の役柄を担うことが多いが、今回も松田聖子の歌(ここの歌詞がグダグダになっていく流れ見事だったなー)を知らない世代と言った断絶や、仕事を通して故人を知り、それで得た情報の扱いに個人を見出すと言ったその特性を活かしています。

そして赤堀さん。飛び道具的な役柄(ブラしてうろつくおっちゃんとかな…でもそれ自分で自分にあてて書いてるんだよな……)が続いた時期もありましたが、ここ数作はガッツリ出ずっぱりで、事件のきっかけにもなる大事な役を自ら演じています。外部出演も増えているし、何かしら思うところがあるのだろうな。6月の長塚くんの舞台(『南部高速道路』)にも出演が決まっている。どうなるのか楽しみです。

ズッシリドッシリガッツリ。決して無傷では帰れない、濃密な二時間でした。



2012年03月21日(水)
『BOYCOTT RHYTHM MACHINE VERSUS LIVE 2012』

『BOYCOTT RHYTHM MACHINE VERSUS LIVE 2012』@後楽園ホール

対戦型即興ライヴ。“BOYCOTT RHYTHM MACHINE”の名付け親は菊地さんで、このタイトルでオムニバスCD(『BOYCOTT RHYTHM MACHINE』)やドキュメントCD+DVD(『BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS』)がリリースされたのは憶えているのですが、その後シリーズライヴとなっていたのは知らなかった。スーデラや国立科学博物館で行われていたようです。今回は対戦型即興ライヴと名乗るにふさわしい格闘技のメッカ、後楽園ホールでの開催と言うことで行って参りました。後楽園ホール初めて行ったー。

てか後楽園ホールってもうなくなって、JCBホール→東京ドームシティホールになったと思ってた……ひいいすみません。

OAの千住宗臣 VS 服部正嗣って開場と同時に始まるのかしら、それとも開演時間から?と思いつつ19時に入場し、額装展示されている歴代格闘技チャンピオンの写真を見てわあーとなりつつロビーをうろうろしていたらドラムの炸裂音が聴こえてきた!慌ててホールへ向かう。そしたらあなた、自分の席から5mもないような場所で千住くんと服部さんがバトルってるではないですか。今回買ったのはグランドフロア席でリング(ステージ)に近いと言うことだったのですが、OAのふたりはリングどころかフロアに直接ドラムキットを設置して演奏している。む、むちゃ近い。しかも千住くんの斜め後ろから観ると言う……これは滅多にない機会だわー。音を聞きつけて続々入場してくるひとたちの間から歓声が飛ぶ。

15分くらいの持ち時間だったので、それならもう最初から最後迄ゴリゴリに押しまくろうと決めていたのか、アクセルベタ踏みのまま両者とも叩きまくる。服部さんはグロッケンやヘッドレスタンバリン、カウベル等も駆使して音に彩りを添えつつもハードな音を飛ばし、千住くんは基本的なドラムキット以外はあれなんだろー、直径15cmくらいの金属製のパーカッション…雅楽の鉦鼓みたいな音がする……のみ、トーンはシンバルを叩く位置で変化させ、やはりヘヴィーヒットの連続です。

どちらも笑顔のままガッツリ目線を外さず、ピースな殴り合いをしているよう。みるみるうちに両者汗だく、顎からぽたぽたと雫が落ちる。あまりに強く叩くので千住くんのスティックが二度飛んだ。うち一度は折れて飛び散り、どよめきが起こる。目にも止まらぬ速さでスペアのスティックに持ち替えていく臨機応変ぷりも見事です。そうこうするうち前述のパーカッションを固定していたネジが緩んだのか、楽器がだんだんずり落ちてきてタムの上に載っかってた。DCPRGではどちらかと言うとテクニカルしかしハードなドラムを涼しい顔して叩いている印象だったので、うわあ今日は熱い!とこちらもアガる。

千住くんが空中高くスティックを放り投げ、絶妙としか言いようのない幕切れ。どこで終わるタイミングを決めていたんだろう?立ち上がったふたりはガッシと熱い抱擁、そして大歓声。ドラムと言う楽器の特性もあり、今回いちばん格闘技セッションらしい取組でした。相撲か。

嵐が去ったあとのざわめきのなか、やっとちょっと落ち着き会場を眺める。中央にリング、四隅にコーナーポスト、ロープは張っていない。この日の出演者全員分の楽器が既にセッティングされている。教授が使うのであろうグランドピアノは大きいからか、ポストの外にありました。つまりステージは、実際のリングより大きくとってあります。自分の席からだとピアノに遮られて全く向こう側が見えない。あああ、大友さん座奏だろうし、これは全然見えないかな……。二階席には立ち見のひとたちが鈴なり。うわー、まさに屋内スポーツ競技を観戦する雰囲気、楽しい。

開演時間の19:30になると、出演がアナウンスされたとき、すわラウンドガールか?と思われたゲストやくしまるえつこさんが登場。かわいらしいふわりとしたスカートで開会と閉会の辞、リングアナウンスをとりおこなう担当でした。「僕たちのこの闘いもまた、夢の中の夢でしかないのか」とポエトリーリーディング。さて目の前で始まるのは果たして夢か、それとも?青コーナーからOpen Reel Ensemble、赤コーナーからDJ KENTAROが入場、第一試合です。KENTAROくんがスクラッチでビートをガンガン作り、それをOREが追う形に。席の位置によるのかも知れないけど、KENTAROくんの音が強くて思わずOREがんばれ!と握り拳。OREの後ろでヒラヒラしてるあのすだれは何だ…と思っていたらこれテープでして、演奏中に取り替えて音に変化を付けていた。そこでちょっと間が出来てしまってたかな。しかしこちらはチームでオープンリールも複数台あり、連携プレーでお互いをカバー。

第二試合は青コーナーいとうせいこう、赤コーナーShing02。タッグマッチよろしくトラックメイカーとして、青コーナーに宮崎“DMX”泉、赤コーナーにDJ A-1が控える。Shing02はお面(なんだろどうぶつっぽいの)、DJ A-1はタイガーマスク着用で登場、わあプロレスぽい。先攻はせいこうさん、韻を考え作り込んだテキストでアジる。エレガントであり乍ら攻撃的な言葉の数々!思わず聴き入る。後攻Shing02はまず「イヴェントの主旨に従って完全即興でいきます」と宣言、ここでもうスタイルが真逆。しかし決してdisり合いにならないところにお互いへの敬意を感じたし、お互いの主義主張を尊重した上で対峙する姿勢が見られて感動。2ラウンド以降、せいこうさんは座ってテキスト紙片や自分の著書かな、書籍を見乍らアジる。終盤「せいこう立てよ!」とヤジが飛び一瞬ヒヤリとしたが、「僕が立つと面白くないでしょ…」とうまく返したせいこうさん粋だった。その後ゆっくり立ち上がると大歓声、うまいこと持っていきました。スリリングで緊張感溢れるやりとりを3ラウンド、タイムアップかと思われたところ「あと3分(?だったかな?)だけやらせて!」と叫んだせいこうさんがShing02に礼を尽くし、Shing02もそれに応えて終了。

ポストが取り払われ、やくしまるさん再び登場、「大友良英さん、入場!」とアナウンス、赤コーナーから大友さん登場、ニコニコしてます。「師匠ー!」の声に「師匠て。落語じゃないんだから」と応え、場内が笑いに包まれる。「坂本龍一さん、入場!」、青コーナーから教授登場。山にでも行くんですかと言う赤いウインドブレーカー、ああ還暦だから…いやそうじゃなくて……でももう教授も還暦なんだよねー!シェー!

教授はグランドピアノをプリペアドとしても使い、Macからも出音していました。繊細な繊細な微弱音でスタート。しかしここで写メのシャッター音がいくつも響き渡り呆れる。この音のやりとりを聴いててよくシャッター切れるな、神経を疑うよ……。写楽祭よろしく教授が「うるせえこの野郎なんだおめー出てこい」って罵ればいいのに、女装して(笑)。で、大友さんがユキヒロさんみたいに止めに入ればいいじゃない…いやでも大友さんだと止めないで参加しちゃいそう、ええがなえええがな乱闘でもなんでもすればよい。まあそんなことはなく教授も大友さんも演奏に没入、やがて雑音も消え、場がようやくしんと静まり返る。耳を澄まして聴き入る。

やはり座奏の大友さんはセットどころか姿も見えず(頭頂部の数cmが見えたくらい)。残念…ときどき弓が見えたので、ギターを弓で弾いているのは判ったのですが、他の不思議な音たちを何で出してるのか判断つかない。終演後見に行ってええっこんなもの迄使っていたのかと驚いた次第。TTやアナログは勿論、小物のパーカッション等がステージに直接置いてあり、足を使って演奏したものもあった様子でした。両者とも小さな音のひとつひとつに神経を張り巡らせ、ノイズを起こしてもそれを決して爆発させず、徹頭徹尾抑制した音のやりとりで緊張感を持続させる40分。しかしこれが大変雄弁。教授がプリペアドから鍵盤に移り、静かに響かせたいくつかの和音の饒舌な美しさと言ったら!ここに大友さんのギターが載ったときは、古い例えで恐縮ですが『BEAUTY』の教授とアート・リンゼイのやりとりを思い出しました。まさにビューティフル。大友さんとリンゼイのギターが似ていると言う意味ではありませんよ。

そうっと教授が鍵盤から手を離し終演。拍手と歓声のなか両者が握手。いやあ、すごかったです。

外に出ると、キラキラした東京ドームやラクーアと言った都会の風景が目に飛び込んできてしばしぼんやり。別世界から出てきた気分だった…後楽園ホールはクローズドな空気をビシビシと感じさせる場で、そのときその場一度きり、あっと言う間に消えていく音が交わされるのにとても似合っていました。まさに夢のあとのようでした。



2012年03月20日(火)
『英雄の証明』

『英雄の証明』@シアターN渋谷 シアター1

シェイクスピア『コリオレイナス』の翻案もの、と言う理解で観に行ったのですが、そもそも原題がもう『CORIOLANUS』だったんですね。時代設定を現代に置き換えた以外は、台詞もほぼそのままです。舞台の『コリオレイナス』を観たとき、現代に場を移しても通じる普遍性があると思ったのですが、ここ迄そのままだとは…!なんとも不思議な味わいな作品になっています。以下ネタバレあります。

と言うのもその台詞、言いまわしもそのままなのですよ。時代は現代、戦士は銃を持ち爆薬を用いて闘い、称号授与式はTVで中継される。しかし登場人物たちは、シェイクスピアならではの文飾を駆使した大仰な台詞でやりとりをするのです。お、おもしろい…けどなんかむずむずする……。ひとつひとつの台詞が長く(舞台で鳴らした出演者が多いからか、これがまた流麗で美しい!)シーン毎の見応えはありますが、その分登場人物の心理描写や、そこに到る迄の状況について端折られているなー、と感じてしまうのです。シーンを成り立たせるためのパーツがところどころ欠けていると言ったらいいか。

マーシアス(コリオレイナス)は愛国心に溢れた人物で、数々の傷を負ってでも国を守る。だからこそ国への愛情が感じられない民衆に媚を売ることはしない。この辺りの描写がちょっと弱いかな。戦場で生きてきたので言葉での駆け引きが出来ない、と言うのは繰り返し説明されるのですが、彼のローマを愛する心が伝わりづらいのでただの戦争中毒に見えてしまう。血まみれスキンヘッドで鬼神のごとく咆哮するマーシアスは狂気すら孕んだすんごい迫力でしたが、わたくし彼の部下同様どんびきしましたおほほほほ。あかん!あかんでこんな狂気の将軍を執政官に選んでは!ある意味民衆は正しい……あれ?

そうそうこのシーン、レイフの碧眼と赤い血の対比が美しかったわー。

マーシアスとその母ヴォルムニアのやりとりに「俺も心を動かされた」と言ったオーフィディアスが、その舌の根も乾かぬうちに「おまえは裏切り者だ」と言い出すシーンも、ヴォルサイ軍に迎えられた後のマーシアスの振る舞いが不明瞭(台詞で簡潔に語られているだけ)なので、唐突に感じてしまいます。

そんなこんなで、翻案なら台詞を現代口語にしてもよかったのではないか(何せ現代に通じる要素はストーリー中に満載ですから)、言い回しを重視するのであれば本来の舞台(時代)設定でやった方がよかったのではないか、とは思いました。複雑と言うか一筋縄ではいかないマーシアス像は、ちょっとのバランスの違いでトンデモ将軍になってしまうので難しいですね。そんなマーシアスに惹かれ、舞台で演じただけでなく自らメガホンをとって映画にしてしまったファインズさんも相当複雑な人物に思えます。素敵☆(えっ)

でも面白いところも沢山あったよー!携帯ですぐ写メろうとする民衆の無礼な行為(これは蜷川さんのやつにもあったな・笑)は現代ならではだし、レイフの美声であの台詞の数々を聴けたのはもう眼福ならぬ耳福だったし、ってそうそう、オーフィディアスはマーシアスのこと「新婚の妻を初めて家に迎えたときよりも胸が躍る♡」(マジでこんな台詞なんです原作もまんまです。♡は妄想です)って言うくらいなんだから、声ですぐ誰かわかんなさいよ!あんなに近付かないとわかんないのかよーもうー☆いや戦場での姿を想像出来ない程マーシアスが変わり果ててたってことでしょうが、ここはレイフ好きとしてアピールしたい!私にはすぐわかった!(問題がすりかわっている)そうそう、『テルマエ・ロマエ』を彷彿とさせる(順番が間違ってます)ジェラルド・バトラーのルックスはよかったですねー。あんた古代ローマにいただろ!と無礼な民衆のように背中をバンバン叩きたくなる。

それはともかく、戦場シーンの臨場感は凄まじく(撮影監督は『ハート・ロッカー』を撮った方だそうです。リネさんに教えて頂きましたー)、戦士たちの激しい闘いとそれを眺める庶民の静けさの対比を、緩急つけたリズムで次々と打ち出す演出は素晴らしかったです。

そして何がすごいってヴァネッサ・レッドグレイヴの孟母ならぬ猛母っぷりですよ!か、格好いい!おっかない!背高いし姿勢美しいし凛々しいし軍服似合うし!ヴォルムニアのキャラクターはホント強烈なので、余程の女優さんじゃないと出来ないですよね。そりゃレイフも彼女の前では跪いて赤子のように泣きますよ。……あっそうか、オーフィディアスはこれでヴォルムニアに嫉妬してああ言う行動に出たんだな!(違います)

そういえば制作がLonely Dragonと言う名称でしたが、『コリオレイナス』のために作られたカンパニーなのかしら。劇中マーシアスは龍に例えられ、首にドラゴンのタトゥーを入れていました…ってキャー!私ファインズさんを好きになったきっかけって『レッド・ドラゴン』なの!(誰も聞いてません)



2012年03月18日(日)
『パーマ屋スミレ』

『パーマ屋スミレ』@新国立劇場 小劇場

ズッシリよい舞台でした。鄭義信さんが新国立劇場に書き下ろした、在日コリアン三部作と言っていいかな。それの三作目。一作目『たとえば野に咲く花のように』、二作目『焼肉ドラゴン』を逃したのが悔やまれます。『焼肉ドラゴン』は再演迄しているので、再々演は当分ないかしら……。

時系列では一作目と二作目の間にあたる今作『パーマ屋スミレ』。1960年代半ば、九州有明海を一望出来る、「アリラン峠」と呼ばれる炭鉱の街のお話です。故郷を出て行った、現代の大吉(役名表記は大人になった大吉と言う意味でしょう、「大大吉」となっています)が語り部となり当時を振り返る。大大吉は思い出の風景のなかに入り込み、屋根の上から、車の陰から、窓の傍から、街のできごとを眺めます。ときには懐かしむ笑顔で、ときには苦しく悲しい顔で。そこには若き日の自分(大吉)や、大吉の家族、親戚、街のひとびとが当時の姿のまま暮らしています。

大吉は、大大吉が説明するように「太めの、ちょっとオカマっぽいところがある、ファッションデザイナーを夢見る青年」として現れます。大大吉の風貌から、大吉がデザイナーの夢を諦めたことは容易に想像がつきます。彼に何が起こったのだろう、彼はどういうふうに故郷をあとにしたのだろう。故郷では何が起こった?軸となるのは大吉の母親と妹たち、そしてその家族。大吉の叔母となる須美が営む理容店が舞台です。その時代と炭鉱住宅でのくらしを反映させた装置、小道具のひとつひとつが素晴らしい。ときどきうざったくすら感じられる玉暖簾、理容院の道具類、マッコリを仕込んだ甕、魚を焼く七輪、水を汲む井戸、餅つきの道具。具象で細部迄作り込まれています。そういえばあの三輪トラック(かわいい)どうやって動かしてたんだろう?エンジン音は効果音だったので中にペダルとかついてたのかな。

登場人物の口調は怒鳴りがデフォルト。声が割れているひとも多い。炭鉱に関する専門用語が多く、朝鮮語が混じるところもあり、しかも北九州辺りの方言がマシンガンのように繰り出されるので、序盤はうへえ何言ってっかわかんねー!とあわあわ。いやーわたくし九州出身者ですけども、それでも聴き取るのに難儀しました。そんな彼らの出自を大大吉がちょー早口で説明。炭坑作業のため祖国から労働者として強制的に連れて来られた朝鮮人、自ら志願してやって来た朝鮮人、炭坑労働者の日本人、彼らと家族を持った朝鮮人や日本人たちです。しかもなんかひとによって違う名前で呼んでるような…特に男性の登場人物……誰がなんて名前だー!とまたあわあわ。休憩時パンフを開くと、須美の夫である成勲はキャスト表には「ソンフン」とルビが振ってある。成勲の弟は英勲で「ヨンフン」。成勲は「なるさん」と呼ばれてなかったっけか…日本語と朝鮮語の発音が混在していたんですね。これは混乱するわー。このあたり、土地柄と人柄を強調する狙いだと思います。観客をストーリーに引きずり込むパワーはすごいものがありました、あっと言う間に術中にはまった。

故郷を捨てたとも言える語り部が登場する構成は『ガラスの動物園』を、三姉妹が見知らぬ祖国への思いを胸に今の土地で生きていく姿は『三人姉妹』を想起させますが、舞台に濃厚に存在するのは、あの時代の炭鉱の街――筑豊・三池――の空気です。

須美には「ポマードの匂いがしない、理容院ではない」美容院、パーマ屋を開くと言う夢があります。店名も「パーマ屋スミレ」と決めている。成勲はアロハとパナマ帽が似合う遊び人な風貌で、先山(炭坑でのリーダー的存在の熟練者)として誇りを持っている。須美の妹晴美と夫昌平は、炭坑仕事で8時間会えないのすら寂しがるラブラブっぷり(ここの描写『祝女』の「ドラマチックカップル」を思い出した・笑)。須美の姉初美は大吉の父親と別れ、炭鉱の組合を取り仕切る恋人と暮らしている。苦労は多いけれど明るく暮らす彼らを、ひとつの炭坑事故が徐々に押しつぶしていきます。

炭塵爆発によりCO(一酸化炭素)中毒患者となった成勲と昌平。発症時期や種類が個人によって違ったり、長い時間をかけてじわじわと悪化する一方のこの後遺症は、全貌が把握されていなかったためその後の補償に大きな問題を残します。障害等級を決定しても、一見して判るような症状ではない患者が「ニセ患者が金をもらって呑気に暮らしている」と陰口を叩かれたりする。実際は激しいめまいや頭痛が続き、とても労働出来る身体ではないのです。そのうちエネルギー産業が石炭から石油へ移行、炭鉱自体が閉鎖され、患者とその家族は企業から、いや国から見捨てられた状態になる。この辺り、意識せずとも現在を照らし出しているようにも感じました。事態は何も変わっておらず、繰り返されているのです。

七場から成る舞台は暗転するごとに時間が進む。照明が明るくなる度、現れる成勲と昌平が少しずつ変わっていく姿に胸が締め付けられるようでした。普通に歩いていたひとが、笑っていたひとが、脚をひきずりはじめ、喋れなくなり、リヤカーに乗せられ、車椅子になる。発作が出ると大暴れして周りのひとを傷付ける。苦しみ抜く昌平に請われた晴美は彼を絞め殺してしまう。脚が不自由な英勲は、社会主義に理想を見出す「北」へ戻ることにする。

ひとりまたひとりと街から離れていくなか、成勲は「炭鉱を離れたくない」と願い、須美はそれに寄り添います。後遺症が悪化し、炭坑夫としての仕事も誇りももぎとられた成勲は、何度も離婚を提案し、須美につらくあたります。プライドが高く、素直な感情を出すのが得意ではない成勲は、事故に遭う前から須美へかなり酷い言葉や仕打ちを投げ続けるのですが、須美はそんな成勲の味方でい続けることを選びます。成勲のプロポースの言葉「どんなことがあっても俺はおまえの味方だ」を、須美は夫に返し続けるのです。

須美を思い続けていた英勲に成勲が「須美はおまえにくれてやるから北へ帰るな」と言って殴り合いになるシーンが素晴らしかったです。不自由な身体同士での取っ組み合いなので、アクション含め演者は大変だっただろうと思いますが、長身なふたりの動作の流れがはっとする程の美しさでした。成勲は須美のこと実際どう思ってるの?と迷い乍ら観ていたのですが、この殴り合いは、視覚的にも一筋縄ではいかない成勲の思いを的確に表現していたように感じました。成勲は不器用なんだ、一連の言動は須美を思ってのこと、英勲を案じてのことなんだ。須美はきっとそんな成勲の傍を離れはしないだろうと確信したシーンでした。栗原直樹さんの擬闘によるこの殴り合いは白眉でした。

皆が街を出て行き、あれだけ騒がしかった街がしんと静まり返る。理容院にいるのは成勲と須美のふたりきり。すっかり身体が動かなくなった大柄な成勲(顔にも麻痺の症状が現れ始めている)を、華奢な須美が抱えて理容椅子へ移動させ、髭をあたる。「さびしくなったね」「さびしくないよ」。静かなふたりのやりとりは、それ迄の苛烈な季節を思い出として呑み込んだような、揺らぎのない穏やかさでした。数年後成勲は合併症で亡くなり、須美は今もこの街でくらしている。開店することのなかった「パーマ屋スミレ」、生活のためにデザイナーの夢を諦めた大大吉。客席にお尻を向け両脚をガッシと開いて立ち、日々の労働をこなしていく彼女は逞しく、そしてとても美しかった。そんな彼女の生きる姿が、大大吉の心の支えにもなっていることが最後に語られます。

いい脚本をいい役者がいい演出で演じる。このバランスは難しいものです。いい脚本を演出や演者が台無しにすることもあるし、勿論その逆もある。技巧が鼻につく場合もある。しかしこの舞台では、巧い役者の巧さをここぞと言うところで使うしっかりとした演出家の判断があり、演じる方もそれに存分に応えている。開場と同時に朴勝哲さんと長本枇呂士さんによる生演奏と歌が始まり、二幕に入る前には、そのふたりが水が飛び散るシーン用に客席前列に配布されたビニールシートの扱いを軽妙にレクチャー。たったひとことで屈強な労働者を泣き崩れさせる青山達三さん、全ての思いを断ち切り、未知の祖国へ夢を託す暗さと明るさを静かに発光させた石橋徹郎さん。根岸季衣さんと久保酎吉さん、星野園美さんと森下能幸さんの絶妙なコンビネーション。

酒向芳さん、美しい姿勢と深い声から悲しみと喜びを感じさせる素敵な大大吉でした。RGを思い出すいいキャラクター(笑)大吉を演じたのは森田甘路さん、ナイロンの若手くんだった!面白かったわー。松重豊さんは人生の年輪を色気に熟成させる役者さん。ラブシーン上手くなったよね…『カラマーゾフの兄弟』のときのあの堅さは今でもよく憶えており、いい思い出です(笑・としよりがふりかえる)。舞台で観るのは久々だった南果歩さんはそう、このひと舞台ではすごい骨太な役者さんですよね!格好よかった!

客人をもてなすため、テーブルの脚が折れる程の料理を出すと言われるコリアンのサービス精神を体現するかのような、懐の深い座組。雑多な街並にくらすひとびとの光景は、とても美しいものでした。

あと松尾スズキさんこれご覧になるかなー、大人計画の公演中だから無理かな…松尾さんの原風景が舞台だったので。ご覧になってどんな感想を持つのか知りたかったりもします。



2012年03月17日(土)
『7DOORS〜青ひげ公の城〜』

『7DOORS〜青ひげ公の城〜』@東京グローブ座

バルトークのオペラと七つの大罪をモチーフに構成された舞台です。

七つの扉を開けたいと思うユディットにはまず好奇心と言う欲がある。そしてその扉の住人は、ユディット自身が犯した罪を鏡のように映し出す。しかし欲望というものを持たない人間はいない、ではどうするか。ユディットの選択は観客にも投げかけられるものです。

七つの扉を順ぐりに開けていくと言う構成を単調に感じる部分はありました。思わず「えーと今4つめだから、あと3つあるんだなー。上演時間が120分で、今○分くらいだろうから、あとはひとつの部屋をおよそ○分で巡り、残りの○分で収束する訳か」と考える隙がこちらにも出来てしまった。この辺りは七つの大罪を扱う、と決めた時点で自明であり、セット転換なしで全ての部屋を巡るので、能動的に想像力を働かせる必要があります。非常にシステマティックでシンプルな舞台。

勿論それぞれの場所にはそれぞれの魅力を持った役者がおり、持ち味を発揮していきます。城の外にいる、城に侵入する陰山さんと菅原さん、水さんとヨタロウさんのインプロ的なやりとりやSUGIZOさんのヴァイオリン演奏、Spiさんの台詞が英語、と言ったノイズ(この場合アクセントやゆらぎと言った方がよいだろうか)は楽しく観られるパートでした。

ストーリー的にはユディットの兄さんにいちばん心が寄ったなー。ユディットに対して特別な感情を持っているのは間違いないだろうが、その思いを彼は決して表には出さない。個人の心のなかはいくらでも自由で、誰にも譲れないものだ。神はその心をも掌握しているので、思うことすら罪になる訳です。この辺りは『90ミニッツ』でも考えた、信仰に対する恐れと畏れの違いでもある。信仰を持つ人間は、自分の思いをも神が見ている、と日々悔い改めて過ごそうとする。思いそのものを罪として罰するか、その思いを秘めるところに尊厳を見出すか。妹としてのユディットを案じることを選んでいたあの兄に安息の場があればいいのにと思いました。しょんぼり。あー、あのあと父さんと兄さんどうなったんだろ。

そうそう、そんで父さんを演じた陰山さんが七つの大罪では強欲にあたる役を、兄さんを演じた菅原さんが憤怒にあたる役だった構成にもいろいろ考えたな。話の流れからしても、わーい娘を売ってウチも裕福だーいと喜ぶ父さんが強欲ってのはすごく解りやすかったんだけど、兄さんが憤怒、と言うのにはひとひねりある感じでいくらでも深読みが出来る。

個人的には、自らを職業演出家と名乗るスズカツさんが、作品によってどこ迄俺俺を表出させるか、あるいは俺俺を背景に潜ませるかのひとつの基準として、ジョン・レノンの『ROCK'N'ROLL』が客入れに流れているかで判断するところがあるのですが、今回はピンクフロイドの『MEDDLE(おせっかい)』が流れていました(余談だが開演前に三階席のトイレに行ったら誰もおらず、シーンとした個室でこれを聴くのは非常に怖かったです・笑)。そして開幕直前に流れたのは同じくピンクフロイドの「Wish You Were Here」。そう、『MYTH』の重要なシーンで使われていた曲です。青ひげ公の台詞に『欲望という名の電車』のブランチの要素を感じたり、『LYNX』『MYTH』『HYMNS』『ウェアハウス』を連想する登場人物の関係性もあり、興味深く観ました。思えばあの役割を女優さんが担ったのは初めてではないか。

共通認識をイメージの共有として捉えると、やはりデザインに惹かれます。十字架のポーズ、それを象った照明、登場人物がまとう衣裳。そして色彩。

あとおぼえがき。

・前日DCPRG新譜全曲自主試聴とかやってて、日本語のラップやリーディングのリズム感と声のよさについて考えてたので、ヨタロウさんと水さんのやりとりはドンズバだったなー
・陰山さんの日替わり台詞(おそらく)が老眼萌えだった(笑)



2012年03月04日(日)
平成中村座 三月大歌舞伎『中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露』

平成中村座 三月大歌舞伎『中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露』夜の部@平成中村座

お初の平成中村座、なんかもう遠足気分でしたよ…た、楽しかった。演目は『傾城反魂香 土佐将監閑居の場』、口上、『曽我綉侠御所染』、『元禄花見踊』。勘九郎さん(ああもうくん付けで呼び難い)の襲名披露公演です。

予算の都合上(…)襲名披露は二月の新橋演舞場か平成中村座か片方しか行けず、迷いに迷ってこちらを選びました。と言うのも『傾城反魂香』が観たかったのです(って、この演目には勘九郎さん出てないんですが)。しかし演舞場の『土蜘』も観たかった…これお能で『土蜘蛛』観たときすごく面白かった+怖かった+地謡が鳥肌立つくらい格好よかったので。『鏡獅子』も観たかった……。だいたい勘九郎さんの襲名披露で、おどりの演目観られてないってところ、自分を戒めたい。

『傾城反魂香』は山の手事情社の最近の代表作で、興味がありました。原作は近松門左衛門。絵の虎が現実に動き出したり、手水鉢に描いた絵が裏迄抜け出たりと、作品に命が吹き込まれる。芸術への、ひとの思いの強さに感じ入る作品。悲劇と喜劇の繰り返し、ひとの暮らしも同じ。今回の上演は片岡十二集の型とのことで、仁左衛門さんの又平、勘三郎さんの女房おとくの仲睦まじさが微笑ましく、気持ちが明るくなる幕切れでした。修理之助を演じた新悟くんがえらい格好よくなってた…なってたよね!ひいき目じゃないよね!イケメン立役もどんどんやるといいよー!

口上は「縁もゆかりもない笹野さん」(爆笑・勘三郎さん談)も列席して終始笑いに溢れたものでしたが、幕が開いての割れんばかりの拍手、バンバン沸き起こる大向こう、ビシリと頭を下げ続ける勘三郎勘九郎七之助のお三方にはグッときました。特別な立場にいる者としての思いがその表情、姿に表れていました。で、皆揃いも揃って勘九郎さんが如何に真面目か、芸に打ち込んでいるかってことを話す訳ですよ…もうほめ殺しの勢いで真面目だ真面目だ言いますねん。海老蔵さんが「わたくしもみならって」って言ったとこは大ウケでしたわ。これもある意味芸ごととして素晴らしい(笑)。

で、そんな海老蔵さんが勘九郎さんをたしなめると言う『曽我綉侠御所染』、珍しいものが観られた(笑)。いやこのやりとりはいろんな意味でニヤニヤするね……。勘九郎さん演じる御所五郎蔵は、プライドの高い伊達男な役柄ですねん。これを真面目だ真面目だといじり倒される勘九郎さんがどう演じるのかと言うと、人物の違う面に光をあてた感じでよかったです。皐月を思う気持ちはあれど、どうにもこうにもこうなっちゃう。に、憎めねえ……。

衣裳がちょー格好よかった。白地の五郎蔵、黒地の土右衛門。モノトーンなのに派手、鮮やかに映る柄。両花道に立ってのリズミカルな台詞のやりとりも心地よい。そして勘九郎さんと海老蔵さんで見得の大盤振る舞い!そうそう、口上で指摘されていた美脚も拝めました(笑)。さまざまな場で、さまざまな踊りを踏んで来た脚、とてつもない負担がかかっている脚。ケアと芸ごとのせめぎ合いが表れている脚。これは財産ですよね…だいじに。

七之助くんの傾城逢州も粋で素敵でした、姐さん!座敷をあとにするときの後ろ姿、ちょーキマッてました。

悲劇的な幕切れ。短い休憩を挟んで『元禄花見踊』で終幕、と言う流れにはほっとさせられました。

さて平成中村座ですが、なんつうかホスピタリティが素晴らしかったです。名物?お茶子さんたちの立ち居振る舞いと仕事人ぷりにはほれぼれ。トイレの列さばき、並んでいるひとが時間を感じさせない(だいたいそんなに待つ程並ばないのだ)気配りとユーモアもすごかったなあ。トイレ待ちの行列からどっと笑いが起こることもしばしば。建物や座席にしても、江戸の芝居小屋を再現とのことだったので、多少の不便は覚悟して行ったのだけどとても快適でした。すごいな……。今度行ったときは小山三さんストラップ買いたい。

口上のときヘリがやたら飛んでて、言葉が聴き取れないところもあったのは残念でしたー。近くの野球場のカキーンて音が聴こえたりするのは味と言うことで(微笑)。



2012年03月03日(土)
LÄ-PPISCH『25周年のその1』

LÄ-PPISCH『25周年のその1』@CLUB CITTA'

終演後呑みの席でマグミのツイッターのアカウントが名前(magumi)+生年(1963)ってところから、1963年てことは、もう現ちゃんの歳を追い越したんだねって話になった。昨年の『GEN Chang Night Vol.3 Lä-ppisch+』からのこの流れ。上田現より歳上になった彼らは、前進するんだと言う意志をはっきりとライヴで示した。

レピッシュを長年追い続け、綿密な取材を重ね記事を書かれて来た佐々木美夏さん(@sasamika815)の言葉を借りる。『そういうことをやりながら、MCではいっさいそれに触れないところがレピッシュ。楽曲や演奏のクオリティはもちろんだけど、レピッシュというのは「気持ち」と「意志」のバンドなんだなぁ、と改めて思った。だからそこが揃わないと一気にぐずぐずになる。25周年のスタートにこの日を選び、メンバー紹介でもステージ上の6人+上田現の名を呼んで新たな一歩を踏み出したのは、とてもよかったと思う。』

ライヴ当日は3月3日。サポートKeyにSOUL FLOWER UNIONの奥野さん。CLUB CITTA'に集まったひとの多くは、これは何かある、彼らは絶対に特別な何かを見せてくれる、と言う予感があったのではないだろうか。3月3日に、ずっと空席になっていたあのポジションに奥野さんを迎える。恭一は「わかったかなあ」と心配していたそうだけど、気付いたひとは多かったと思う。あとこれはぼそっと書くけれど、数ヶ月前、恭一が「一曲だけ参加」に頷かなかったのは、これをやりきるためだったんだ。勘違いかも知れないけど、ああ、こういうことだったんだ、と思った。前に進むために、ここは譲れなかったんだ。

それにしても…セットリストを眺めているとなんとも言えない気持ちになる。あのときあの場でじわじわと感じたことを追体験するかのようだ。「東京ドッカーン」はじまりとは!かなり混乱して、どこをどう聴けば、観ればいいかおろおろした。SEぽいKeyの音が聴こえる。ああ、あの音だ!見慣れたひとより身体の大きなひとがKeyを弾いている。でも猫のように手を丸くして、鍵盤を引っ掻くように弾く姿にドキリとさせられる。続いてきた、「CONTROL」!あの間奏を一心不乱に弾き始めた奥野さんの姿が目に飛び込んで来た途端、自分でもアホかと思う程に泣いた。何でこんなに楽しい曲で泣くんだ、泣いてる時間も惜しいんだ、音はどんどん過ぎてしまう。それでも涙が止まらなかった。次が「無敵のサラリーマン」だったので我に返る。そうだ、楽しまなければ。

おおっ「プライベートビーチ」、続けて「バッタ」、これもレア!……あれ?これもだ。これも…これも……これはひょっとして………。「-6m」をやったところで思った。今日は上田現の曲ばかりをやるのか?

「緊張が伝わってると思うけど」「この歳になって一日8時間以上リハやってた、まだ3曲くらいしかやってない?と思って時計見たら……」「奥野くんは大変だと思う、レピッシュの曲は構成が難しいからね」。ぽつぽつマグミが漏らしていた。上田現の楽曲を、本来のバンド編成で演奏する。これには相当の準備が必要だった筈だ。

「おやすみ」でメンバーが退場し、どよめきと悲鳴が起こる。まさかこれで終わる筈がない…しかし何故ここで?実質二部構成だった理由は後述の記事でマグミが話しているが、勿論そんな説明をステージ上でする訳もない。慌てたようにアンコールの声があがる。そういえば二部の終わりどころをマグミは間違えたようだった。恭一の曲も入ってるもんね。そうは見えなかったけど、相当テンパッていたようだ。やりきる男だよ……。

それにしても「おやすみ」は圧巻でした。歌詞を物語として伝えるマグミの真骨頂、この世界は正にレピッシュの真骨頂。しばし呆然。それで思い出したが、以前レピッシュってアンコールの声がないならアンコールいらんってことやろ、ならやらんもんねーってそのまま終わっちゃうことってぽつぽつあったよな。あれってあまりにもライヴが凄まじくて呆然として拍手出来なかったってとこあると思うのよね。思いを上手く伝えられないこういうとこ、バンドもファンも似た者同士だと思っていた…いやまあ、そんなバンドだからそんなファンが集まってくる訳で(笑)。

ところが、です。

こんなふうにライヴを進めつつ、上田現とその楽曲へ敬愛の念を示しつつ、しかしこの日は確実に今迄と違った。それはここ数年で、ではなく、25年のなかで、と言う意味でだ。あんなにアクションを表に出して演奏するtatsuは初めて見たし、ジャム展開のときtatsuに歩み寄り、確認しあい乍ら演奏する恭一も初めて見た。「LOVE SONGS」でフロアに飛び込み戻ってくるマグミを出迎えるようにステージ中央からギターを弾き続けた恭一も、恭一とひとつマイクで唄うマグミの表情も。なんだこんな光景見たことないぞ……あのひねくれ者たちが、こんなにストレートに愛情を表に出しよって!逆に照れるわ!

また呑みの席での話になるが、「もう家族みたいなもんで、嫌いになったり好きになったり、そばにいるのもイヤって時期からまた一周したんだろうね〜」ってことか。あれか、もう照れてる歳でもないか。とは言ってもこのまま続くとは思っていない。それはこのバンドがそーゆーバンドだからー!まあね、意地張ってる時間はないと感じているんだろうな…身近なひとを失ったひとには覚えがあるだろう。「点滴打ってでもやる」と言ったマグミを、恭一はなんとも複雑な表情で見詰めていた。「太っただの痩せただの言うけどな、この身体が使えるかどうかなんだ」と言ったマグミにはジーンときたな…って君体型そんな変わっとらんやん。見習いたい!とりあえずマグミを担げるくらいには身体鍛えようと思いました!クラウドサーフが途中で落ちたのは担ぐ側が体力ない+四十五十肩で腕があがらないからだと思うんだよね……。と言えば、落ちたとき「おちたー!」、あがったとき「あがったー!」と実況していた恭一にウケた。

そんな気難しいバンドにしっくり馴染んでいた奥野さん。おそろしい子……!いやでもすごく大変だっただろうなと思う。このややこしいバンド、このややこしい楽曲をよくもまああれ程…彼の弾く鍵盤は現ちゃんのフレーズだけど決してコピーではなかった。Saxの音色使ったフレーズも弾いていて、これにはドキッとさせられたし唸らされた。第一声が「グッドモーニング」だったり、関西弁だったり、「LOVE SONGS」が終わって「怪我してるひといない?大丈夫?」とフロアを気遣ったマグミに対して「僕ここ怪我しましたわー」と胸をさすっていたりしたのはあれか、洒落たことを言うてるのか滑っているのか。他にもいろいろ挙動が面白く…すごく忙しい方なんで無理は言えないけど、現ちゃんのフレーズを身体にたたっこんだ上で自分の色を出せる貴重な鍵盤弾き+キャラクター、しばらくレピッシュにいてほしいです頼みますマジで。現ちゃんのポジションを奥野さんが担ってくれたこと、驚く程それがしっくりきていたこと。本当に嬉しかった。

前述のジャムでのマグミのスキャットはガッツリ11PM(シャバダバシャバダバ〜♪)だったし、奥野さんはすっころんだそうだし(見逃した!ギャーみどころききどころが多過ぎるんだもん!)、ライヴ後メンバーが次々インフルエンザ発症してたり(感染していないか今自分戦々兢々です)、上田現の呪いか!と言う地雷が各所にあったところも流石期待を裏切らない。これがレピッシュと言うバンド。だいすき。

セットリストはこちらの記事(・リアルライブ『レピッシュが25周年ライブ! 4月「ARABAKI ROCK FEST.12」にも出演決定』)から。文中のマグミのコメントは、ライヴのMCではありません。MCでは一切このセットリストの意味については触れなかった。結果だけを見せる、これもレピッシュと言うバンド。だいすき(だいじなことなので二回言う)。もうひとつ、現ちゃんが亡くなってからのバンドの動きについて、諸々のヒントになるかもしれない記事(・ナタリー『[Power Push]杉本恭一』(昨年秋、『Macka Rocka』リリース時のインタヴュー))。こういうの読むと、恭一はレピッシュのリーダーだなあと思う。

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セットリスト

01. 東京ドッカーン
02. CONTROL
03. 無敵のサラリーマン
04. プライベートビーチ
05. バッタ
06. サイクリング
07. ガンジー
08. MAD GIRL
09. Good dog
10. -6m
11. パーティ
12. 歌姫
13. OUR LIFE
14. アニマルビート
15. おやすみ

encore
16. 美代ちゃんの×××
17. LOVE SONGS
18. さくらさくら
19. ワダツミの木
20. HARD LIFE
21. 旭タクシー
22. MATSURI・365

encore02
23. プレゼント
24. Magic Blue Case

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マグミがこうツイートしていたけど書いちゃった。ごめんね。でもこの日どれだけ楽しくて、どれだけ心を動かされたかは書いても書いても書ききれない。だから本当の意味では秘密なのだ。



2012年03月01日(木)
『東京ザヴィヌルバッハ 人力Special』

坪口昌恭 2DAYS『東京ザヴィヌルバッハ 人力Special』@新宿PIT INN

坪口昌恭ピットイン2DAYS、初日ー。本人的には前日の類家くんとのデュオ@関内JAZZ ISから3DAYSの心意気とのことです。

TZB久々でした、てかほぼ一期につき一回ずつしか行けてない。行く度編成が変わっている。前回は第何期だったんだっけか……。最近ではライヴの度にリユニオンと言っているような気もしますが(苦笑)春以降に出るTZB名義の新作は実質坪口さんのソロだそうで、ご本人いろいろ感慨深そうなご様子でした。

と言う訳でこの日は人力Special。文字通りMで走らせるところを実際にプレイヤーが演奏。坪口さんとザヴィヌル(ウェザーリポート)のナンバーオンリー。メンバーは以下。

Key、Pf、Effect:坪口昌恭
Ts、CD-J:菊地成孔
Tp:五十嵐一生
Fretless B:織原良次
Drs:石若駿

石若くんはなーんと弱冠19歳!織原さんも31歳と若い。彼らとのセッションでの出会いが今回のアイディアを具現化したようです。この若いふたり、演奏は確実かつ渋く、しかしじわりと発生していくグルーヴを見事に手中に収めていた印象でした。おそろしか!織原さんのフレットレスベース気持ちよかったー。「フレットレスベースでウェザーリポートって言ったらジャコパスを連想してなんかいやらしい感じになりそうだけど、彼はそうならない。そこがよくて」と紹介されていました。そして石若くんの出自?が知りたいわ…どこから出てきてますのん。坪口さんのエフェクトからのキュー出しで滑り出し、みるみるうちにリズムが噛み合っていく。菊地さんもグルーヴ抽出に起爆剤としてCD-Jをいいとこで入れてました。

そして五十嵐さんのTp、菊地さんのSx(テナーオンリー)を一緒に聴けたのは昨年のロスト・クインテット+1以来。こんなに短いスパンでまた聴けるとは……嬉しかった!坪口さんとこで、この三人がまた揃うなんてねー。いろいろあったからね…この日のお三方、もぎゅもぎゅしてて面白かったよ。仲裁に入るのはやはり菊地さん。こういうとこ、菊地さんのひとのわるいよさ(ややこしい)が出るよね(笑)。「Pastel Yogurt」ってタイトルは五十嵐一生がつけたんですよ。違うよ。えっそうだよ。いやそれは俺が仮でCMの曲っぽいタイトルつけてたらイガちゃんがこれいいねえって言って決まったんだよ。そうだったっけ?あーそういえばこの言葉のセンスって菊地さんぽいね。人工着色料がいっぱい入ってる感じのね。いやー憶えてないわ、そうだったっけ。五十嵐一生はいろいろあったからね……(皆俯きつつニヤニヤ)。こんな感じの、長いこと一緒にやってきたひとたちの間にだけ流れる空気、気がおけないトークもせつな面白かったな。

その「Pastel Yogurt」、『VOGUE AFRICA』セッションからの曲、「僕は12月生まれなので」と「Sagittarius(射手座)」などなど。そうそう、今年で坪口さんもAKB48歳に仲間入りよねー。アンコールは「ピットインは8時開演だけど、バードランドは8時半開演だったんだよね」と言うことでウェザーリポートの「8:30」。終演は23時前。いい夜になった。

以下書いてもいいかなと思うくらいのMC内容。まあいろいろ、書けないことはある(笑)。

坪:このプロジェクトの名前、最初に考えたのは「うにうにいぬいぬ(uni uni inu inu)」だった。uniを逆回転させるとinuって聴こえるから。コンセプトを表してるかなと。そしたら菊地さんに全力でやめろと言われた。で、坪口=tzboguchiだし、TZがつくのがいいんじゃない?って言われてTZB=東京ザヴィヌルバッハに

菊:(DCPRGの新譜内容をいろいろ説明した後)インパルスと契約して最初のスタジオ盤で、世界中のマーケットで売られて、わあインパルスから新しいの出たんだ〜って買って帰ってプレイボタン押したら一曲目がボカロのラップなの。インパルスなめんなってアメリカ人に撃ち殺される

坪:タワレコのno music, no lifeに今度DCPRGが出るんだけど、こないだそのポスター用の集合写真を撮って、どれがいいですかって候補のメールがきたのね。で、ダメなのに×つけて返事したんだけど、×つけたのが採用された
菊:かっこいいよ!あの坪口すごくかっこいいって!多数決だからああいうのは。人数多いから。皆から返事もらっていちばん○が多いのを選んだの。そしたらそれに坪口が×つけてたんだよ!
坪:俺、権限ないんだな〜って…
菊:かっこいいって!!!ああいうのはさ、写りよくないな〜なんて思ってるのは本人だけだって、自意識過剰だよ!あの坪口かっこよかったって!

坪:告知ある?
五:ん〜、ない
菊:俳優デビューとかはないの?映画出演とか。ジョン・ベルーシ役でさ
五:ないよ〜
坪;CD出すとかは?
五:CDはねえ、もう出さないの。ライヴをやるの
菊:へえ〜プリンスみたい。…あっ、ジョン・ベルーシ+プリンスで、べ、ベルンス!(爆笑)
坪:五十嵐一生ってさ、ナポレオンに似てるよね〜
菊:ほおんと、五十嵐一生のマスクは一級品ですよ
五:なに言ってんの(ニヤニヤ)

いやーもうベルンスが発音ともども笑いのツボに入って、次の演奏が始まってもしばらくブルブルしてしまったよ……。

あとまた世界逸産ってネーミングについて揉めてた(笑)。いやでも五十嵐さん、元気になってほんとよかった。あのエッヂィな音をまだまだ聴かせてくださいね。そしてこの、いろんな意味で危なっかしい花形ホーンのふたりがまた揃ったのも坪口さんの成せる業です。有難うございますううう。