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2026年01月17日(土)
total stage produce『サド侯爵夫人』

total stage produce『サド侯爵夫人』@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

あの美文がこうもするする理解とともに耳に入ってくるか。演者の力量がないと成り立たない見事な舞台でした。三島由紀夫が観たらどういうかな。あのシーンにヴィジュアルを与えたことについての感想も聞いてみたいなあ……『サド侯爵夫人』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Jan 17, 2026 at 21:29

感想を読んでまわっていたら、初日はかなり台詞が不安定だったらしい。人間だもの、プロといえどもいくら稽古を積んでも観客が入った初日というものはやはり感覚が変わりますよね……という訳でちいさい声でいうと、仕上がった時期に観られてよかったかも。ここ迄台詞がスパスパ頭に入ってくる三島戯曲は滅多にない。

そもそも三島戯曲は文学としての戯曲だという印象が強く、三島自身が実際の上演に納得することなどあるのだろうかとすら思ってしまうことが多い。どんな上演があっても「ふふん、やはり私の書いた文章を超えるものにはならないな」と思っていそうな……。全ての情景を文章で表現出来るという作家の自負を感じる。そこが魅力でもある。

それでも演劇人たちは三島戯曲に挑む。あの美しい言葉を自身の肉体を器として響かせたい、あの情景を舞台で表現したい。宮本亞門は、三島に挑み続ける演出家だ。今回の上演は、「天の時・地の利・人の和」が揃ったといっていいものではないだろうか。宮本さんの元に集った、三島の「美」を舞台に載せられる演者とスタッフは、「今」しか出来ない作品をつくりあげた。

配役は成宮寛貴(ルネ=サド侯爵夫人)、東出昌大(サン・フォン伯爵夫人)、三浦涼介(アンヌ=ルネの妹)、大鶴佐助(シミアーヌ男爵夫人)、首藤康之(シャルロット=モントルイユ家の家政婦)、加藤雅也(モントルイユ夫人=ルネの母親)。ホンはアレンジされており、通常なら3時間を超える上演時間を2時間に凝縮。

入場すると、既に音が鳴っている(音響:鹿野英之)。地響きのようなノイズ。これから始まる舞台が不穏と緊張に満ちたものであることを暗示するような音だ。舞台奥には8本の円柱が半円状に配置され、天井と舞台中央には穴が空いている(美術:久保田悠人)。宣伝美術(加藤賢策)でも「円=穴」は強調されていた。「円」は三島いうところの惑星の運行を示すものだろうが、その円を穴で表しているのは何故だろう。実際に舞台を観ると合点がいく。サド侯爵の不在を表す「穴」、夫の帰りを待ち続けるルネの心の「穴」、そしてサン・フォン伯爵夫人の語りとルネの語りから浮かび上がる、女性器としての「穴」(ルネが母にいい放つ「鍵穴」が決定打でもある)だ。モノトーンの美術は光によって色を変える(照明:佐藤啓)。

それぞれの人物像を象徴するヴィジュアル(衣裳:ツグエダユキエ、ヘアメイク:山本絵里子)も見事。漆黒が基調。サン・フォン伯爵夫人のBDSM(B=Bondage、D=Discipline、SM=Sadism & Masochism)、モントルイユ夫人の威厳と老いを包む喪服のようなドレス、アンヌのアクティヴなゴシックファッション(山田さんの容姿を際立たせるもので、THE 矢沢あい作画だった!)、襟も袖も詰まったシミアーヌ男爵夫人の修道服、使用人シャルロットの寝巻きのようなワンピース。ルネ以外の人物は、幕間にスーツへと着替え舞台を歩きまわる。そんな迫力に満ちた黒に囲まれ、ルネだけは一見質素にすら見える純白のドレスで通す。しかし彼女は最後に“脱皮”する。そこには黒も白もなく、肉体の色だけがある。

この、三島台詞に対抗するかのようなヴィジュアルをもってあの美文を語るのだから、役者に強度がないと務まらない。サン・フォン伯爵夫人に東出さんをキャスティングしたのが大当たりだった。あの身体にボンデージ、姿勢のよさ、声の強さ。超然とした佇まいに息を呑む。悪徳の栄えだ。後半、自身に悦びをもたらした饗宴について語るサン・フォン伯爵夫人が纏う真紅のマントは、その後彼女が流す血の色を予見しているようでもあった。それは翻って、狩猟で生きる糧を得る東出さん自身をも映し出したように思えた。個人的に唸ったのは加藤さん。過度なメイクもなく、ウィッグもなく、しなを作ることもない。しかし彼女の身体は“母親”であり“家長”だった。第1幕(1772年)、第2幕(1778年)、第3幕は(1790年=フランス革命勃発後9ヶ月)と、経年の変化を表現する技量にも脱帽。身体はひとまわりちいさくなったように見え、声のトーンもしわがれたように聴こえた。それでも言葉はしっかりと耳に届く。

聖職者でありつつ最も俗で、美徳の不幸そのものを感じさせたシミアーヌ男爵夫人を演じた大鶴さん、無邪気であると同時に生きる術を知っていて、姉への慈しみを持ち続けるアンヌを演じた山田さんも、心に焼き付くような演技を見せてくれた。首藤さんは民衆を代表するシャルロット。ナレーターとして舞台と観客を繋いだ。作品の時代背景や、この戯曲が三島自決の5年前に書かれたことを解説する。後ろ盾を失いつつあるモントルイユ家を軽蔑するかのような「はい」の繰り返しには迫力があった。

時代も社会情勢も劇的に変化していくなか、強烈なキャラクターに囲まれ、様々な因習を突きつけられるルネ。妻とは、貴族とは、女性とは……。それでも彼女は自分で自分の生き方を選択する。「アルフォンスは、私だったのです」と宣言し、その後老醜を晒したアルフォンスの肉体に別れを告げる。夫の目指す「永遠」の果てに何があるのか、神に尋ねるためだ。

蛹が蝶になるかのように、異形が翼を得て翔び立つように光に向かって歩いていくルネ。肉体を鍛え上げた末に自決へと至った三島に、幕切れの成宮さんの肉体を重ねて見る。同時に彼は、俗世のガワを脱ぎ捨て生まれ変わったルネをも見せてくれた。

前述の「ヴィジュアルを与えたシーン」は人間テーブル。サン・フォン伯爵夫人の語りから想像を膨らませるであろうところが、今回は舞台奥でその饗宴が視覚化された。ここがいちばん三島に観てもらいたかった、三島の感想を聞きたいと思ったシーン。澁澤龍彦が喜びそうなシーンでもあった。くっそなんでふたりとも死んでんだよ。作品は永遠の命を得ているのに。

オールメールの『サド侯爵夫人』は2008年に鈴木勝秀演出で観て以来(初日楽日)。このとき耳に入った「ほんっと、これって目で読む台詞だよね、耳で聴く台詞じゃないわ。でもちゃんと耳に入って来た!」という観客の言葉を忘れられないでいる。こうした舞台にはなかなか出会えない。そんな作品がまたひとつ増えたことがうれしいし、当時自分が抱いた解釈が更新されたことがうれしい。何度観ても気づきがある。宮本さんが演出する三島作品はいつも刺さる。

そして成宮さん、おかえりなさい。あなたが再び舞台に立つ姿を観られたことが本当にうれしい。

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・これが新たなミシマ世界…成宮寛貴主演「サド侯爵夫人」に宮本亞門が手応え┃ステージナタリー
宮本:なかなかこの戯曲で生でぶつかっていくエネルギーが生まれないので、語尾や、あえて衣裳やメイクもすべて省きました。三島さんの気持ちが一番染みいるように、そして中身がお客さんに届くように持っていきたいと。
衣裳やメイクをデコラティヴにしなかったの、とても良い効果だった。演じる側はそれに頼れないので怖いかもしれないな(それがいい)

・成宮さんは12年ぶりの舞台とのこと。『太陽2068』以来だったんだなー。今回の舞台、蜷川さんにも観てもらいたかったな