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2024年03月20日(水)
『愛と哀しみのボレロ』

午前十時の映画祭13『愛と哀しみのボレロ』@TOHOシネマズ新宿 スクリーン1


「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで…」。原題『Les Uns Et Les Autres』(直訳すると「片方ともう片方」。「互いに」とでも意訳出来るか)から、『愛と哀しみのボレロ』という邦題はどうやって生まれたのだろう。同じフレーズが何度も繰り返され、しかしそれは決して同じではない。人生も同じ。1981年、クロード・ルルーシュ監督作品。

『午前十時の映画祭13』のラインナップにこのタイトルを見つけ、「来年の3月……忘れそう!」とリマインダーに即入力したのは昨年初春。いやあ待った。やっと観られた。朝イチで184分…寝るかも……と思ってたけどそんな暇などなくあっという間、そしてもはや戦前の今観ると、思うところがてんこ盛り。人類はほんっと同じこと繰り返すなー! でも人間逞しいなー! 人生一度きり! つらい! 素晴らしい! の目白押し。人生は激動、芸術は不滅。

初見は『ゴールデン洋画劇場』で、多分半分くらいカットされてたんじゃなかろうか。これでジョルジュ・ドンという存在を知りました。何せこどもの頃のこと、モデルとなった実在の人物の知識など殆どなく、インターネットというものはまだ存在せず、鑑賞後気軽に背景を調べることも出来ず。それでも宮崎の片田舎でこの作品を知ることが出来たのは、毎週良質の映画を放映してくれた地上波のテレビあってこそ。ゴールデン洋画劇場と月曜ロードショーには足を向けて眠れません(日曜洋画劇場と水曜ロードショーは宮崎ではやってなかった)。

1930年代から現代(1980年代当時)のパリ、ニューヨーク、モスクワ、ベルリンを生きた、2世代4家族の物語。ひとりの役者が複数の役柄を演じる仕掛けがあり、ところどころで非業の死を遂げた人物が生き返ったかのような錯覚も起こる。収容所で死んだユダヤ人が、戦後ラビの扮装で凱旋パレードに加わるシーンなんて一瞬「生きてた!?」と驚き、直後「いや、それはない…でも生まれかわりがあるならば……」なんて妄想して涙ぐんだり。そういうとこ『海のオーロラ』っぽい(世代)。

それなりに知識を得た大人になって改めて観ると、そうだーフランスってドイツ占領下の時代があったんだよなあとか、WW2後はアルジェリア戦争があったんだよなあと我に返る。日本のWW2というとやはり太平洋戦争に偏りがちだし、戦後は朝鮮戦争とか、アメリカの影響でベトナム戦争とかを連想しがち。全世界で戦争が起こっていない日なんて、1日でもあるんだろうか。ないだろうな。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラー、ルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフといった実在の芸術家たちをモデルにした人物は、戦争により人生を狂わされる。戦争により芸術を奪われ、あるいは戦争において芸術に救われる。音楽はいつでもどこでも流れる。死の収容所でも、生還のパレードでも。そんななか、映画作家は「こうあったかもしれない」人生をフィクションで描く。1944年に亡くなった(というかM.I.A.なんだよね……)グレン・ミラーの凱旋演奏なんてなあ…こうだったらよかったのにって思うじゃん……(涙)。カラヤンがほぼ無観客のホールで公演することになったシーンは史実なのだが(戦後裕福になったユダヤ人がチケットを買い占めた上で会場に足を運ばなかった)、今観ると初見時とは違う感情──ガザ紛争におけるイスラエル人の執拗さを連想する──が湧き上がる。まあカラヤンは「たまたまヒトラーの前で演奏した」なんてもんじゃない人物ではあったのだが。不朽の名作はこうして時代ごとに違う顔を見せる。

名作を繰り返し観る意義というところでは、『ボヘミアン・ラプソディ』と最後の展開が似てるなあと思ったのは今観たからこそだったなあ。いろいろいろいろあったけどチャリティのショウで大団円! そのテレビ中継を世界各国で見守る家族! 生きてればなんとかなる! でも人は死ぬんです! ていう。当時の赤十字における世間の信頼感というか敬意にも感じ入りました。赤十字も国境なき医師団も効力を発揮出来ていない現実を今突きつけられてるからね…ジュネーブ条約どこ行ったって感じだもんね……。といえば90年代当時観た『映像の世紀』で、あっこれ『〜ボレロ』で観た! と思った「ナチと寝た女として丸刈りにされ市中引き回される人物」とも再会して再びどんよりした。

それにしてもドンの亡命シーンが格好良すぎた。あんな華麗に…なあ……。ヌレエフの伝記映画『ホワイト・クロウ』とイメージがダブるなあ、当時の東側の芸術家ってこういう風に亡命するのが常(というのもなんだが)だったのかなあなんて思ったのだが、正にヌレエフがモデルだったんですね。当方ヌレエフを知ったのが90年代だったもので、ドンが演じるバレエダンサーが彼だと気付いたのは今回の鑑賞後でした(恥)。順序がバラバラになっている。ちなみに『ホワイト・クロウ』の監督はレイフ・ファインズなのですが、彼には三世代の人物をひとりで演じた『太陽の雫』という主演作があります。20世紀の100年、ふたつの世界大戦を生き抜いたハンガリー系ユダヤ人一族の物語。こちらも今観ると新しい発見がありそう。

クラシック、ジャズ、ポップス、スタンダード。絶え間なく鳴り響く音楽にも、時代を厳しく美しく捉えた映像にも釘付け。場内はほぼ満席。年齢層は高く、しかしトイレに立つひとは少なく、スマホを開くひとなど皆無。最高の劇場鑑賞でした。終映後近くの席のひとが「あの指揮者の人、ともだちのお兄ちゃんにそっくりでもう気になって!」といっててクスリ。こういう見ず知らずの他人の感想を漏れ聞くのも楽しい。定期的に劇場で観たいな。

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Kaoriさんとやりとりしてて、そうだー当時の映画って絶対演奏してないとか唄ってないのが丸わかりのもの多かったなあと懐かしくなったりもしました。エッフェル塔の上と下で演奏と歌は合わないだろうとか、ツッコミどころも多いんだけどドラマの力に押し切られるんですよね。こういう体験だいじ。エンドロールの赤十字ヘリの空撮とかもう笑顔で観た

・赤十字マークの意義と使用について┃日本赤十字社
紛争地域等でこの「赤十字マーク」を掲げている病院や救護員などには、絶対に攻撃を加えてはなりません。これは国際的な取り決め(ジュネーブ条約)によって厳格に定められています。
今読むと虚しいしつらい。戦争しないのがいちばんなのよ。平和を祈り、芸術を捧げる反戦映画でもありました